【魔海の神殿】
絶望という祝いは理性を奪い、
希望という呪いは自由を奪う。
どちらに縋っても明るい未来はない。
■■■■■■
青い海と、それに負けない爽やかな空。そのふたつを眺めながら白い砂浜に座り込む、赤い鎧の少年はつまらなそうに口を結んだ。
赤い鎧の少年の名前はダンテ。ぼんやりと遠くを見つめる彼の目線の先は海でも空でもなく、海の先にある遠い遠い別の大陸。
もっと厳密に言えば、その大陸にいるという以前出会った白い小さな王国の戦士だった。
ダンテは少し前におつかいとやらでこの海に来ていたその白い戦士と出会ったのだが、今でもその邂逅を思い戻せば「楽しかった」と笑みが浮かぶ。彼は強かったのだ、今まで戦った何よりも誰よりも。
あの時の高揚感は忘れられない。故にまた戦いたいと願い続けていたのだが、その白い戦士はあの日以降ここを訪れたことはなかった。
今日も他大陸の人を乗せた船は姿を見せない。俺はわざわざずっと同じところで待ってやってるのにとつまらなそうに小石を海へと投げ込み、ダンテはムスッとした顔で海に背を向けた。
世界の北側に位置するこの地は、水が豊かに流れ大地全てに加護を与える恵まれた場所。水が豊か故か植物も元気に育っており、大きな森や美しい草原も生い茂っている。
気候も穏やか、まあ多少寒い日も寒い場所もあるが、概ね問題無く日々を過ごせる優しい土地。波の音は耳を落ち着かせ、誰もが心休まる素晴らしい土地。
この地に来た者はみな口々にそう褒め称えるのだろう。しかしダンテからしてみれば物足りない、だから刺激を求めた。
何故海を見て心安らぐのだろう、あれほど音も無く真っ暗で不愉快なものはないだろうに。何故海を見て誇らしく思うのだろう、全てを飲み込む荒くれ者でしかないのに。
そう、ダンテにとって「海」とは、誇らしくそして心安らぐ場所で、真っ暗で不愉快な荒くれ者。どうにも不思議と相反する感情が芽生えるおかしな所で、しかし傍に居たいと思う、よくわからない場所だった。
毎日毎日モヤモヤしながら海の近くで過ごしていたら、突然面白いヤツが現れのだ。モヤモヤを吹き飛ばすほどの、海への気持ち悪さを忘れられるほどの「倒したいヤツ」が。
だから毎日楽しみに待っていたのに。このぐちゃぐちゃした気持ち悪い感情を噴き飛ばしてくれたヤツを、ずっと待っていたのに。
どうせ今日も来ないだろうと不機嫌そうに波の音に耳を傾けながら、ダンテは帰路に着こうと立ち上がり歩き出した。
すると進行方向からトゲトゲした少年が駆け寄って来た。砂埃を撒き散らし、元気に手を振りながら。
その姿を見てダンテが「サエザー」と彼の名前を呼ぶと、サエザーと呼ばれた少年はダンテの前で立ち止まりパァと明るく笑みを浮かべ武器を持ち上げる。
「おい!ダンテ! 今日もオレと勝負しようぜ!」
その物騒なお誘いにダンテは「…懲りないな」と薄く笑い同じように武器を取り出した。コイツじゃ物足りないがまあいいとダンテが小さく呟いた声はサエザーには聞こえなかったようで、今日は負けないとサエザーは元気よく笑う。
サエザーとは今迄何回も勝負をしたが、全戦ダンテが勝っていた。その度に悔しそうな表情となりながらも「次は負けねーからな!」と笑うサエザーにとって、勝負とは遊びの域なのだろう。
遊びとはいえサエザーとの勝負に毎回勝っていたダンテは、己は強いのだと自負していたし、勝負とは勝てるものだと思い込んでいた。
しかしついこの間、王国の戦士だとかいう同い年くらいの少年に完膚なきまでに叩きのめされ、ダンテは敗北の味を知る。悔しいという思いも確かに得たのだが、不思議と負けたのにスッキリした。
いつもは目につく海産物とサエザーに海へのモヤモヤをぶつけており、それでもあまり気分は晴れなかったのだが。
その差はなんだろうと悩み、ダンテはふと思いつく。自分より強いヤツと戦えば、頭はスッキリするのだと。
しかし戦うだけでは悔しさが生まれて、それはそれで面白くないのも事実。
勝たなくては。
倒さねば。
ああ、そうだ倒して、そして全てを飲み込めば良いのだと、ダンテは赤色の瞳を揺らしながらそう考えた。
さてさて勝負の結果といえば、ダンテはいとも簡単にサエザーを砂浜に沈め当然のように勝利を収める。砂塗れになったサエザーを見下ろし、ダンテは「次はもうちょい強くなったら来い」と呆れた声を落とした。
まあ、サエザーは仲間を喚びつつ戦うタイプなので、本人はそこまで強く無くともいいのかもしれないが。
毎度勝負するたびにサエザーが色んな蟹や魚を喚び寄せるのは面白いのだが、いかんせん、サエザー本体が弱すぎて勝負自体があっさり終わり、つまらないというか物足りなかった。
ダンテの不満げな言葉に、サエザーは「いやお前がつまらんつまらん言うからトゲトゲ増やしたんだぞ?」と砂塗れの身体を起こし、身に付けた鎧の棘をトンと叩く。これ以上増やしたらウニーになると、サエザーは頬を膨らませた。
ウニーのように棘だらけの鎧を身に付けたサエザーを想像し、それはそれで面白そうだなとダンテが薄く笑うと「今なんか変な想像したろ!?」とサエザーが笑いながら飛び掛かる。
さて、それでは本日の勝負第2戦目、開始。
■■■
まあ当然のように2戦目もダンテが勝利し、ボロボロになったサエザーが「仲間召喚中に攻撃すんのはズルいだろ!せっかく新しい技やろうとしたのに!」とポカポカ涙目で叩いてきた。いやだって、あからさまに「これからすっごいヤツ喚んじゃうからな〜」的な動きをしたヤツなんて、そりゃ速攻で潰すだろ。
負けたくないし。
ツンと素知らぬ顔でそっぽを向くダンテに「次は成功させるからな!邪魔すんなよ!大人しく見てろよ!わかったな!?」とよくわからないことを喚きながら、サエザーはもっと硬くなってやると叫びその場から逃亡した。
勝負だって言ってるのに黙って見ていないといけないのか?とダンテが首を傾げている間にサエザーの姿は見えなくなり、周囲はいつも通り優しく不愉快な波の音が響く。
ああ気持ち悪い。
ああ落ち着く。
ああ、もう。
少しばかり頭を抱え、ダンテはふらりと足を動かした。足の向かう先には各大陸を繋ぐ移動手段、一隻の船がぷかぷか浮かんでいる。
ダンテの脳裏に浮かぶのは唯一戦って負けた、唯一己のモヤモヤを晴らした、たったひとりの王国の白い小さな戦士。
海が、ああそうだこれが動けるのは海のおかげなんだ、海が繋ぐのならば大丈夫だ、海の影響下にあるのならばここじゃなくとも戦える倒しに行ける。
あの敵、海の傍で戦った敵、海の傍で戦って己を倒した敵、海の傍で戦って己を倒した水気質の敵戦士、を。
赤色の瞳をぼんやりとさせたままダンテは船の甲板に座り込んだ。揺れる船の上、船など初めて乗ったはずなのに不思議と身体は慣れていて酔う気配は一切無い。
甲板で微動だにせず座り込むダンテを船員は心配し声を掛けたが、ダンテは構うなとにべもなく拒絶した。船酔いするでもなく、しかし嫌そうに辛そうに、それでいて安心している様子の子供に船員は首を傾げ「何かあったらすぐ言え」と言葉を残し立ち去ることしか出来ない。
船員を追い払ったダンテは船壁に身を預けながら、小さく息を吐き出した。
波に揺られるとこ数時間。どうやら船は目的地に辿り着いたようで、ギシリと大きく揺れた後静止する。船員たちに心配そうに見送られながら、ダンテは岸に降り立った。
北の大陸とは違った、少し暑い気候の南の大陸。はあと大きく息を吸えば、異国の空気が肺に送り込まれる。
初めて訪れた故に土地勘がないダンテとしては、目的地がどこだかわからず途方に暮れた。アイツは「王国」の「戦士」だとか言っていたからどこかに城かなんかがあるのだろうが、流石にこの船着場からは見えない。
困ったように辺りをキョロキョロ見回せば、立派な道が延々続いていた。ダンテがそこに立てられている看板を読めば、この道は船着場から「城」へ続いているようだ。
他大陸から訪れた人を歓迎するかのように整えられた、立派で綺麗な舗装道路。そんなものを用意している「王国」は、ダンテが思っていたよりも強大であるらしい。
そんなところの戦士だなんて、アイツはもしや偉い立場にいるのだろうか。
む、と少し躊躇したもののここまで来て引き返すのもシャクに触ると、ダンテは舗装された道を歩き出した。海から離れ、白い戦士のいるであろう王国の城に向かってトコトコと。
しばらく進んで辿り着いた城の門。それはかなり大きく、綺麗で頑丈そうですごく立派な門だった。その上門番がデンと立ち塞がる。
あまりの大きさにダンテが門の前で呆けていると、ダンテに気付いた門番が「何か用かな?」と近付いてきた。「ここの戦士に喧嘩売りに来た」と言ったら追い払われそうだとダンテが言葉に詰まっていると、ダンテの身なりを見た門番が「あー、体験入団希望の子かな?」と1枚の紙を手に持ち笑顔を向けてくる。
その紙には「ちびっこ 騎士団体験!」と軽い文字が踊っていた。なんだソレと首を振りそうになったが、すんなり入るいい口実だと思い直し、ダンテは無言のままコクンと頷く。
すると門番は微笑ましそうに「じゃあ案内するよ」ととてもあっさり門を開いてとても簡単に中に入れてくれた。ガバガバじゃねーかこの王国。子供の暗殺者とかいたらどうするつもりなのだろうか。
見かけだけで案外大したことないのだろうかとダンテが呆れている間に、騎士団の訓練所らしい場所に到着した。訓練場はだだっ広く、中心では指導係らしき騎士風な大人とわやわやした子供が大量に集まっている。
集まっている子供たちの姿に統一性はなく、鎧や兜を身につけている子もいなくはないが大半が平服。ただの街の子供しかいない。
城の訓練場なのに戦士だと名乗ったアイツはいないのだろうかとダンテが首を傾げていると、子供たちが集まっている場所から少し離れた所に、きちんと鎧や兜そしてマントを身につけた子供が整列していた。あちらが王国の戦士なのだろう。
つまり訓練場の中心でわやわやしているのは、先程門番が言っていた体験入団の一般市民のようだ。ならばこいつらに用はないと、ダンテは目的の人物を探すため戦士たちの列に近寄ろうとした。
そんなダンテに気付いた、恐らく体験入団担当補佐であろうひとりの騎士が、苦笑しながら「説明があるから、もう少し此処にいてね」とひょいとダンテを持ち上げ輪の中に戻す。軽々持ち上げられたダンテはむうと不満げに、しかし暴れることなく大人しく従った。
ダンテを持ち上げた騎士がこう言ったからだ。「今日はあそこに居る見習いたちと一緒に、訓練の体験してもらうからね」と。
大人しくしてればアイツと戦えるらしいのだから、無駄に暴れて体力を減らす必要はないだろう。無闇矢鱈と喧嘩売る必要はない。うんとひとり頷いて、ダンテは輪の後ろの方でのんびりと、そして意外と楽しみに、そして不思議と心穏やかに、その時を待った。
しばらくして体験入団が始まり指導役の騎士たちが名乗ったが、必要ないとダンテは聞き流す。挨拶やら場所の説明やら武器防具の解説があったが、これも必要ないとぼんやりしていた。
周りの子供たちも、まあ一定数は真面目に聞いているが、大半は堅苦しい話になど興味がないのかあちこちに視線を飛ばしていたりソワソワと落ち着かない様子で身体を動かしていた。騎士たちもその辺りは予想済みなのかあまり気にしてはいないようだ。どうもこれは「子供たちに楽しんでもらおう」という緩いノリのイベントらしい。
「それでは、我が国の未来を担う戦士たちと一緒に騎士団の訓練を体験してもらう」
指導役の騎士が凛とした声を放つと、少し緊張した面持ちで待機していた小さな戦士たちが足並み揃えてダンテたちの前に行進してきた。キリッとした表情で歩み、そしてしっかりと定位置に整列したその姿に街の子供たちは感嘆の声を漏らす。
あ、子供たちの称賛の音に少しニヤけた戦士がいるな。得意げな顔のヤツもいる。
戦士といえどもこういうところはまだ子供なんだなとダンテが少し薄く笑っていると、先頭にいたひとりの戦士が怪訝そうな表情を浮かべたのが目に入った。
その戦士は、白い鎧に金の髪を持った、見覚えのある小さな戦士。
彼はどうやらダンテの姿をハッキリと知覚したようで、目を見開いて「あっ…」と驚いたような若干慌てたような微妙に嫌そうな声を漏らす。その声は整列した他の戦士たちの耳にも、指導役の騎士たちの耳にも、体験入団にきた街の子供たちの耳にも届き、その結果全員からの視線を集めた。
「タンタ、どうかしたか?」と不思議そうに彼の名を呼び小首を傾げる指導役に顔を向け、オロオロし始めたタンタという名の標的を見てダンテは口角を上げて他の子を押し除け前に出る。
そんなダンテに気付いたタンタはダンテの前に立ち塞がり、剣を持つ手に力を入れ、盾をしっかり構えて警戒しながら口を開いた。
「なん、…なんで、君が城に居るんだ」
「なんでと言われても。すんなりと入れたしな」
ダンテがわざとらしく首を傾ければタンタは小さく「城の防御ガバガバすぎる…」と若干泣きそうな声で呟く。それには同感だ気が合うな。
タンタのただならぬ態度と様子に周囲も不思議に思ったらしい。指導役がダンテを警戒しつつもタンタに事情を問い掛け、タンタはダンテを警戒しながらそれに答えた。
北の大陸におつかいに行った時襲われた、と。
その言葉に周囲から緊張したような雰囲気が感じられたが、残念だったなそれには対策してある、とダンテは笑い口を開いた。
「ああ、あの時は急に見知らぬヤツが現れたから、住処を荒らす敵かと思って、つい思わず」
そうダンテが言葉を並べればああなるほどと周囲の警戒心はやや薄れる。まあ当のタンタは「えええええ!!?嘘だろあの時それ否定しただろそこの通り魔ぁー!」と慌てていたが。
片や城の木端見習い、片や他の大陸からわざわざ体験入団に訪れた客。どっちが優先されるかなど火を見るよりも明らかだ。なあ?
タンタの主張に対し「存じ上げません」とばかりにダンテが首を傾げれば、指導役の騎士は「土地勘のない場所を不用意に歩き回ったこちらに非があるな」とタンタの頭を掴み下げさせ当人もダンテに頭を下げる。
勝った。
ダンテが内心勝ち誇っていると、タンタは下を向いたまま非常に納得のいかない顔で理不尽さに目を滲ませている。
勝った。
ならばこれならこの主張も通るだろうとダンテは「戦った際とても手ごたえがあり、興味が湧いたため勉強にきた。まずは彼と再戦をお願いしたい」と指導役に申し出てみる。指導役は少し躊躇したが、ダンテの風貌と1度戦ったことのある実績を加味したのか許可を出すかのように頷き、俯いたまま拳を握っているタンタに是非を問うた。
「…わかりました、やります」と震える声でタンタは顔を上げ、ダンテを睨み付けて低い音で「けど、」と言葉を紡ぐ。
俺が勝つからな、と。
その目を見て、その声を聞いて、ダンテはぞわりと背筋を震わせた。それは恐怖ではなく高揚感。
口の端を吊り上げ、熱い息を吐き出し、兜で覆った瞳を細める。
嬉しい、楽しい、さあ早く。
遊ぼう。
■■■
予定と少し変わったが、これはこれで騎士団体験になるだろうと指導役は他の子供に問い掛けた。このままふたりの闘いを見学するか、それとも気にせず剣術を学ぶか。
闘いそのものを見てから技術を学んだほうがわかりやすいかもしれないと期待しての問いだったが、まあ目の前で戦士の闘いが見れるのだ、全員一致で見学することになった。
戦うふたりを円で囲うように体験入団の子供たちと見習い戦士たちを配置して、万一に備え騎士たちが四方で待機するらしい。
ダンテとしてはギャラリーのいるバトルは少しやりにくいと不満に思うが、タンタがギャラリーがいようといまいと気にしていない風だったため対抗心に火がついた。なら俺も気にしない。
お互いに向かい合って、礼をして、レフェリーに指導役の騎士を添えて。
「お互いに無茶はするなよ」という声はもう聞こえず、周りの騒めきもすっと消えた。集中し周囲の人影も地面の色も何もかもが必要ないとダンテは彼らを意識から飛ばす。
残ったのは目の前にいるタンタだけ。彼の射るような視線がこの何もない真っ白な世界を揺らし、その視線を受けたダンテは思わず嗤った。
ああ、この瞳を己は知っている。
憎悪で彩られた、ただ真っ直ぐに己と対峙し、絶対に倒すと望む緑色の瞳。
白い世界で、ただ己だけを見る緑色の瞳。
それがまた己の前に立ちはだかる。
愉しいと、思った。
目障りだなと、思った。
「ああならば倒さなくては」とダンテは声を漏らし、何も無い地面を蹴り上げる。目指すは自分に憎悪を向けるちっぽけな敵。海のように波のように押し潰すように、ダンテは躊躇なく剣を走らせた。
しかしダンテの剣はタンタの盾に防がれ、本体には届かず終わる。ガキンとタンタの盾が大きな音を鳴らすと共に、周囲の喧騒が戻りわっと賑やかな歓声がダンテの耳に響き渡った。
その賑やかさに、一瞬、呆ける。
不思議なことにダンテが抱いた気持ちは「ここはドコだ?」という疑問。
足元は砂浜ではなく、ましてや海ではなく、船の上でもない。己の足はしっかりとした固い地面の上にあり、周囲から聞こえる音は波ではなく人々の声。
それは当然だ己の意思で大陸を移動し、自らの脚でココまで来て、己が要望して水気質の戦士と戦っているのだから。
違う。
己の意思とは裏腹に海に鎮められ、突然叩き起こされ、己が願わず水気質の戦士に闘いを挑まれたのだから。
違う。
ココは王国の訓練場だ。
違う。
此処は暗く冷たい海の底だ。
違う。
ココは海に浮かぶ船の上だ。
違う。
此処は荒れた波が襲う砂浜だ。
違う。
違、ーーー。
ひゅん、と風を切る音が聞こえてガンと脳が揺れた。
ダンテは反射的に距離を取りつつ、その方向に刃を振って何かを払い除ける。目を向ければ、払われた剣を握り直すタンタが映った。
ダンテが体勢を整え剣を構え直すその間も、タンタは一度たりともダンテから目を離さない。他の誰でもない「ダンテ」を見つめている。
「王国の騎士団の訓練場」にいる「他大陸から来て再戦を申し込んだ」だけの「ダンテ」を。
ああそうだ、俺は、
「俺は、ダンテ、だ」
「? 知ってるよ。君、前会った時そう名乗ったじゃないか」
ダンテの呟きにタンタは怪訝そうな顔を浮かべ、それでも律儀に言葉を返した。タンタからその言葉を聞いたダンテは嬉しそうに笑い、返答の代わりに再度距離を詰め斬りかかる。
俺がダンテだと肯定してくれてありがとう、と。
■■■■
幾度か斬り合い幾度か刃を弾き合い、審判役の騎士が手合わせを止めた時立っていたのはタンタだった。ダンテはというと息を切らし片膝をついて蹲っている。
剣の威力はダンテの方が上だったはずだ、現にタンタに一撃入れればかなりの確率で怯んでいた。それなのに勝てない。勝てなかった。
悔しそうにダンテが顔を上げると、タンタが少し得意げな顔でそれでいて申し訳なさそうに「ごめんやりすぎた」と手を差し伸べている。その手を無視してダンテが立ち上がると、行き場をなくしたタンタの手は所在無さげにヒラヒラ空を舞った。
ムスッとした表情で土埃を払うダンテに、審判役の騎士が微笑みながら「良い勝負だった」と声を掛け頭をぽふと撫でる。「タンタとあそこまで競り合うとは」と始終感心していた他の騎士たちは、観戦していた体験入団参加者に向き直り体験会の再開を伝え動き出した。
「君は少し休んでいなさい、落ち着いたら参加するといい」
タンタもな、とぽんと頭を撫で指導役の騎士も輪の中に戻っていく。その場にはタンタとダンテ、ふたりがぽつんと残された。
先程手を無視されたタンタとしては、ダンテとふたりきり残されるというのもなんとなく居心地が悪く、しかし無言でいるのも居た堪れない。初対面時も今この瞬間もダンテに対する印象はすこぶる悪いが、だからといって他大陸からわざわざ訪れた相手を放置するのも王国戦士の身としては良くないだろう、どうしたものかと逡巡しタンタはようやく「あっちの日陰で休まないか」と指差し誘った。
無視されたり断られたらそれはそれでもういいやと少しばかり思っていたが、ダンテは無言でタンタの指の先に向けて歩き出す。これは誘いに乗ったということだろうかと、戸惑いながらもタンタは慌てて後を追った。
日陰に到着しストンと座り込んだダンテにタンタが水の入ったコップを手渡したが、ダンテはそれを受け取らずタンタに顔を向けたまま「なんでだ?」と短く問い掛ける。質問の意味わからずタンタが小首を傾げると、苛ついたかのような声でダンテは「なんで勝てないんだ、俺のほうが強いのに」とタンタを睨み付けた。
ああ、とタンタは受け取って貰えなかったコップをダンテの側に置き、自分用の水をこくりと飲み込み一息吐いたのち「確かに君は力が強いけど、大振りすぎて隙が大きい」と指摘する。力任せに攻撃しすぎだと。
曰く、当たればデカいが空振りが多いダンテより、確実に堅実に攻撃を当てにいく自分の方が勝率は高い、とのこと。
そう指摘され「空振りが多いのはオマエがちょこまか動くせいだ」と反論したダンテだったが「敵が直立不動で待っててくれるわけないだろ」とタンタに呆れたように諭された。
ぐうの音も出ず押し黙るダンテに遠くから声が掛けられる。顔を向ければそこにはタンタと同じ顔の戦士がひとり笑いながら近寄って来ていた。
「そろそろこっち来いってさ、えーっと、ダンテだっけ?キミも」
目の前にいるニコニコしたタンタと同じ顔の戦士。ダンテの記憶にある「タンタ」はだいたい怒った顔か冷たい顔をしていたためか、笑顔の「タンタ」に対し違和感が拭えない。
変な感じだなとダンテが首を傾ければ、笑顔のタンタは「やー、しかしキミ凄いね!こいつ怒らせるなんて勇気あるー」とダンテの背中をバシバシ叩いた。怒ると怖いんだよねと笑うタンタに溜息を漏らし、無愛想なタンタは「先行ってる」とダンテに背を向け走り去って行く。
その背を見ながら苦笑し「ダンテも行こう?」と手を伸ばしたタンタを無視してダンテが立ち上がると、タンタはそんな態度を露にも気にせず「あっち」と先導するように歩き出した。
「怒らせないほうが、いいよ」とダンテを見ずに忠告しながら。
その後体験入団はつつがなく進み、割と平和的に終了の時刻を迎えた。
またおいでとも言われたが、他大陸に住む身としては何度も参加できそうにない。
まあ、勝てなかったが再戦出来たし、負けた理由もわかったから良いかと、スッキリした顔でダンテは北に戻る船に乗り込んだ。
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王国に出向いた日からしばらく、ダンテは幾分かスッキリした様子で日々を過ごしていた。
その間にもサエザーがまた遊びに来たため容易く捻ったのだが「だから召喚中に攻撃すんな卑怯だぞ!」と涙目で怒鳴られる。そう言われてもと頬を掻くダンテはハタと気付いた。いつも戦うコイツが召喚中動かないから、自分は力任せの大振り攻撃が癖になったのではないだろうか。
召喚中カカシ同然に突っ立っているサエザーに攻撃するならば、なるほど大振りだろうとなんだろうと適当に剣を振るえば当たる。それが癖になっているならば、ちょこまか動くタンタに「隙だらけ」と言われるのも腹立たしいが道理だ。
ふむと納得したダンテは「次からは動き回りながら召喚しろ」とサエザーに言ってみたが「出来ねえよバカ!召喚ナメんなバカヤロウ!集中しないと喚べねえんだよ無茶言うな!」とポカポカ叩かれた。召喚陣自体は動きながらも設置出来るが、結局のところ喚び出すときには足を止め集中しなくてはならないらしい。
不便だなとダンテが呟いたら、サエザーにだから召喚中は攻撃ナシな!と念を押された。いやその理屈はおかしいと思う。オマエが戦え。
そんな日々を過ごしていると、ある日「南の大陸にある王国が魔王に襲われ壊滅状態だ」という噂がダンテの耳に届いた。
多少は気になるが己には全く関係の無い話だとダンテは思っていたのだが、南の大陸に起こった異変は世界の秩序を崩すのに十分だったらしく、彼方此方で大なり小なり騒ぎが起こり始める。
なんせこの北の大陸にも「魔王」と名乗るモノが現れたのだ。魔王は次々と国や街や村、大陸全てを強大な力で飲み込もうと侵攻を開始した。
特に酷かったのはこの大陸で1番大きな国。根こそぎ壊され王族も殺され、なすすべなく滅びたと聞いた。
巻き込まれて死んだ人は数知れず。なんとか生き残れた者も住んでた国を追われ、行き場を無くし途方に暮れる。
これだけならばまだ良かった。南の王国のように生き残りたちが身を寄せ合い、魔王に反旗を翻し再度出発することができるのだから。
しかしながら北に現れた魔王はそれを許さない。尊大な態度で生き残りたちにこう声を掛けた。『我に首を垂れ、付き従うならば命だけは見逃してやる』と。
魔王の手下に成れば、この地に住む事を許し、この地で営むことを認め、生かしてやると。
その言葉は悪魔のひと言に等しかった。国を亡くし愛する者を喪くし家族すら奪われ絶望に染まった心の隙間に入り込む、最低最悪な悪魔のひと言。
従えば、もう襲われない。
従えば、安全に生きられる。
従えば、これ以上何も失わない。
魔王に恐怖を覚えた一部の人々は、その言葉に飛びついて魔王の手下に成り下がった。襲われた側が襲う側に成り変わった。
そうなれば地獄の始まりで、魔王の言に従って手先となった者とそれに反発した者が、元は仲間だった者同士が、元は仲良い友人同士が襲い襲われ殺し合う。
魔王の非道なひと言で、北の大陸は人が人を襲うただの地獄と化した。
奪いたいのだこの魔王は。
土地も人も、信頼も友愛も、全て、この土地から奪いたいのだ。
他者から物を奪うことが生業の、奪うことしか知らない生き物。
さながら賊であるかのように。
魔王ではある、それは間違いない。それでもここの魔王は王ではなく、賊。
ここの魔王は何もないところから生まれたわけでも余所の世界から喚ばれたわけでもない。
彼は元々この世界に生きた、ひとりの海賊だった。
近い昔にこの海で暴れ回った海賊が、そのまま魔王になっただけのこと。
故に彼は知っている。
どうすれば人の心を抉れるか、どうすれば人の心を崩せるか、どうすれば人の心を操りやすいか、どうすれば物を奪えるか。
それら全てを知っている。
なんせ元々ここを根城にしていたのだから。
なんせ元々ここを荒らす海賊だったのだから。
だから壊せる、だから奪える。知っているからこそ、彼は容易く支配出来た。
彼はこう思う、微塵も悩まずさも当然のように、ここは自分の縄張りなのだと。
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海は荒れていた。まあ荒れているのは海だけではなく、街も国も人々の心も、この地全てが荒れている。
そこかしこが戦火に晒されボロボロな大地をダンテが転ばぬよう注意しながら歩いていると、突然ドンと大きな音が届いた。
驚いてその音のした方向へと顔を向ければ、逃げ惑う人と叫び声、そして魔王軍が目に入る。場末の寂れた漁村ではあるが、こんなところにも魔王の魔の手が届くらしい。
しかし村人も村人だ。襲われ逃げ惑うだけだとは情けない、戦えば良いだろうにとダンテが呆れていると視界に魔王の姿が入り込んだ。
しがない漁村にわざわざ魔王が、などと思う暇は無く、ダンテはその場に固まった。魔王に対して恐怖感を抱いたわけではない。嫌悪感を抱いたわけでもない。
魔王の姿を見た瞬間、何故か既視感が襲ったのだ。
魔王の身につけている青色の帽子、そして腰に付けた宝石。
魔王など知らない、初めて見た。けれど、アレと似たようなものを身につけていた誰かを知っている、気がした。
魔王と同じく青色の帽子を被った、腰に六角形の青色の宝石を付けた男。
魔王とは似ても似つかないのに同じものを持つ、記憶に眠る見知らぬ誰か。知らないのに知っている誰か。
ズキンと頭が痛み、ダンテは思わず頭を抑える。幸いだったのは、魔王がダンテの存在に気付かずひと暴れしてそのまま立ち去ったことだ。
泣き声と呻き声と嫌な匂いが漂う魔王に襲われ壊れた村を一瞥し、ダンテは片手で頭を押さえたままふらりと海へ向かった。
脳裏に浮かぶは青色の帽子の男。青色の宝石を手に取り、よく見えないが笑みを浮かべているようだ。
これは誰だ。
魔王と相対すればわかるだろうか、魔王を倒せばわかるだろうか、あの宝石を奪えばわかるだろうか。
海に帰りたいと無意識に望んだダンテはふらふら足を動かし、荒れた砂浜へと辿り着く。
波の音が心乱し心癒しぐちゃぐちゃしてきた頭のまま、ダンテは周囲をぐるりと見回した。誰もいない、誰も来ない。サエザーが来てくれれば、以前のように遊べれば、きっと恐らく絶対に気持ちが少しは晴れるのに。
はあと大きく息を吐き、ダンテはようやく頭から手を離す。そうだサエザーがココに来るはずない。だってサエザーは魔王の手下になったのだから。
サエザーは故郷を襲われたのだという、それでも生きたかったのだという。だから手先に堕ちたのだと、ボロボロでこの海に逃げてきたサエザーと同じ村出身の人から聞いた。その人ももうココにはいない。
今頃魔王の命令で、どこかの村でも襲っているのだろう。サエザーの召喚術も戦いの腕も歳の割には上手いから、もしかしたら重宝されているのかもしれない。
なんせサエザーは俺が鍛えたからなとダンテは俯き砂浜に視線を落とした。こんなことになるならば「オマエは弱いつまらん面白くない」と事あるごとに焚き付けなければよかったと己の剣を握りしめる。
散々文句を言った結果、サエザーは召喚も出来て戦えて身を守れる万能型になっていた。俺よりは弱いけど。
魔王の手下になったサエザーなんか敵だとダンテはひとり頷き、ひとり俯き、口を結んだ。いつもダンテをバカバカ罵ってきたサエザーの顔を思い浮かべ、馬鹿はそっちじゃないかと寂しそうに呟いて、切り捨てるかのようにヒュンと剣を振る。
頭は苛々するし、知らん記憶が邪魔するし、サエザーは馬鹿だしと積もり積もった想いを抱きダンテは海に顔を向けた。魔王を倒せばこのモヤモヤが晴れるだろうか。妙な記憶に揺さぶられることも、魔王の所に行きやがったサエザーに苛々することも無くなるだろうか。
そうだ恐らくこの苛々は魔王が原因なのだから、魔王を倒せばいいんだと剣を握りしめるダンテの視界に人影が混ざり込む。
もしかしたらサエザーかと少しだけ期待しダンテはそちらに向き直ったのだが、残念ながらそこにいたのは見知らぬ子供。薄汚れた風貌の割に育ちの良さそうな、青色の髪を結い上げた多分少年が立っていた。
「あ、…」
小さく声を漏らし、彼は不思議なことにダンテを見て安堵の表情を浮かべる。自分と同じように魔王の襲撃から逃げてきた仲間だとでも思ったのだろうか。
確かに襲撃を目撃はしたが逃げてきたわけではない、サエザーではないのならば関わる必要はないとダンテはぷいと少年な背を向けてその場から立ち去ろうとした、が、少年はそれを許さずダンテのマントを軽く引っ張り引き止める。
「あの、…あなたも国を?」
襲われたのかと気遣うような声で少年はダンテに問い掛けた。
ああほらやはり魔王の襲撃から逃げ出した仲間だと思われている。例え自分の住処が襲われたのだとしたら、俺はオマエみたいに逃げ出したりはしないし戦う、だからオマエの仲間じゃない、と苛々しながらダンテはマントを掴む手を振り払った。
同士だと思われているのが不快なのか、不機嫌そうな声でダンテは「ヤツに滅ぼされた国など数えきれん」と遠回しに"オマエなんか知らん"と突き放す。ダンテの返答に少年は困ったように眉を下げ、少し泣きそうな表情となり悲しそうに顔を伏せた。
泣く?なんで泣くんだこの程度でとダンテが若干戸惑っていると、顔を伏せた少年は「そうではなくて、」と首を振り、ゆっくりと顔を上げ、縋るようにダンテと目線を合わせる。
「僕は、僕が誰か知っているひとを、探しているんです」
その言葉の意味が分からず怪訝な顔を浮かべたダンテに、少年はオタオタしながら「自分がどこの誰かがわからなくて困っている」ことを告げた。
彼が覚えているのは「自分の国が魔王に滅ぼされた」ことくらい。魔王に襲われた事で、それ以外のことを忘れてしまったようだ。
俗に言う記憶喪失と言われる状態らしく、歩いたり喋ったりすることに不具合はないが、記憶がスポンと抜け落ちている。
少年は「忘れるなら忘れるで…、魔王の事も忘れられたら良かったのに…」と悲しげに誰に聞かせるわけでもなく小さく呟いた。自分がどこの誰かもわからないのに、魔王に対する恐怖感だけはしっかり残っているらしい。
己のことがわからない不安感も重なり精神的に不安定となった少年は、運良く見掛けたダンテに声を掛けた。「あなたも国を?」と。もしかしたら、自分と同じく魔王に滅ぼされた国の人で、己を知っている人間かもしれないから。
しかしダンテは彼を知らない。知らない輩に付き合う趣味も義務もないとそのまま冷たく突き放せば、少年は慌てたように口を開いた。
「あの、しばらく一緒にいていいですか? だって、あなたは、強いのでしょう?」
少年の言葉に少し引っかかり、ダンテは不可解そうに首を傾げる。己の強さに疑いはない。サエザーと何回も遊んだし毎回ダンテが勝ってるし。
しかしそれは己や顔見知りしか知らないことだ。ダンテと今日初めて顔を合わせたこの少年が、そのことを知っているはずがない。
もしやダンテの強さが大陸で噂になっていたのかとも思ったが、確か彼は記憶喪失。名前も元々住んでいた場所もほとんど全てを忘却しているこの少年が、"ダンテが強い"なんてことを覚えているはずがない。
「確かに俺は強いがなんでオマエがそれを知っている?」とダンテが胡散臭いものを見るような目を向ければ、少年自身が驚いたように目を見開き己の口元に手を当てていた。
「…僕は、なんで…。僕は、あなたを知っているんですか?」
知らん、少なくとも俺はオマエを知らない。見たことも聞いたこともない。
ダンテがそう返せば、目の前の少年は困ったような泣きそうな顔でダンテを見つめてきた。そんな目で見られても困る。
はあと大袈裟に溜息を吐き出し、もう関わりたくないとダンテは少年に背を向けその場から立ち去った。
残された少年は引き止めたそうに手を伸ばす。が、諦めたように手を握り悲しそうな顔でダンテを見送った。
■■■■
苛々するのは魔王のせい、ならば魔王を倒せば良い。そう考えたダンテは魔王と相対するならばこの小さな身体では足りないと、まず体躯を伸ばそうと鍛え始める。
なんせ魔王はダンテの身体の数倍はあった。その上あの性格ならば魔王はダンテを見て「小魚過ぎて見えなかったファッファッファ」などとホザくだろう。
「稚魚など放っておけファッファッファ」と尚も続ける脳内のウザい魔王に苛つきながらも、ダンテは体躯もそれに合わせた戦い方も考え、結局思い切り叩きつけたほうが楽だし強いのでは?と思考停止しながらもなんとか形にすることが出来た。
穏やかな浅瀬に映る成長した己の姿を見て、ダンテは満足げに笑いここまで成長出来たのなら、魔王なり魔王の手下なりとも同等に対峙出来るだろうとひとり頷く。
というかこれならサエザーに勝てるのは勿論、今度こそタンタにだって勝てるかもしれない。自信ありげに薄く笑うダンテに、突然聞き覚えのある声が投げられた。
その声の主に当たりを付けて、ダンテは笑みを消し声のした方に身体を向ける。視線の先には会いたくて会いたくなかった青色鎧にトゲを纏った青年の姿。
「ダンテ!」
それはダンテの名を呼んで、何が嬉しいのかニコニコと笑いながら駆け寄ってきた。魔王の手下に堕ちた元友人の現敵で、居て欲しいときに居なかった薄情者で、サエザーとかいう名前だった誰かさんが、ダンテに向かって手を振っている。
手を振り返す代わりにダンテは無言で彼を睨み、ひゅんと剣を振って刃を向けた。
それに驚いたのかサエザーは足を止め、オロオロしながら「せっかく自由時間ゲットしたから、1番に会いにきたのに」と眉を下げる。
魔王の手先になった馬鹿に今更会いに来て貰っても嬉しくないと、ダンテは剣を振り上げ交戦の意思を見せた。その殺気と敵意に気付いたサエザーは慌て、ブンブンと必死に"敵じゃねーです"とアピールをしながら叫ぶ。
「やめて殺さないでやめて!待てよオレ今日まで生き延びたのに頑張ったのに!何だよ白旗?白旗上げればいい?持ってねーけど白い旗、持ち歩かないだろ白い旗!オレの心の白旗見て!めっちゃ振ってるから力一杯振ってるから!見えない?見て見ろ頼む!」
ハタから見ても必死なほどに口を回し、いっそ哀れになるくらいパタパタ手を動かすサエザーに毒気が抜かれ、ダンテは呆れながらゆっくり剣を下ろした。いまだなんか訴えているが必死すぎる。
ダンテが剣を下ろしたことに気付いたサエザーはほっと胸を撫で下ろし、再度笑顔を浮かべ「久しぶり」とやんわり手を振った。その態度からサエザーに敵対意思はないことはわかるのだが、魔王の手下相手に警戒を解く気にはならずダンテはぎゅっと剣を握る。
サエザーもそれを把握しているのか、ダンテの間合いの内には入ってこない。互いに表情が見える程度の微妙な距離間のまま、ダンテは「何の用だ」と口を開いた。
「会いに来ただけだっつっただろ」とサエザーは苦笑し、元気そうだなと嬉しそうに微笑み手をヒラヒラさせる。そんなに離れなくてもトゲ刺したりしねーよと冗談のように付け足して。
「魔王がさー、調子ノって侍らすオトモ増やしやがったからオレいらなくね?っつったら『アズールサマのために働け』て海将のヤローに怒鳴られてさ」
んじゃ最近出てきた魔王に敵対するよくわからないナニカが問題になってたから確認してきまーすとかなんとか言いくるめて、拠点から飛び出してきたらしい。さっき「自由時間をゲットした」とか言っていたがとどのつまり外回りという名のサボりでは?
ケラケラ笑うサエザーを横目にダンテが呆れていると「まあ、魔王んとこ…海底の神殿に居ても、良かったんだけど、な」とダンテをチラチラ見ながらサエザーは頬を掻いた。
よくわからない態度のサエザーにダンテは首を傾げるが、よくわからないものは放っておこうとダンテは考える。先程のサエザーの言葉に、いくつも情報が紛れ込んでいたからだ。
魔王の名前と副官の存在、最近追加されたらしい部下、そして魔王の拠点である神殿が海底にあること。
ダンテとしては思わぬところからもたらされた重要な情報を喜ぶべきなのだろうが、それはそれとして魔王軍の情報をペラペラ漏らすサエザーに対し「いいのかオマエ」という気持ちにもならなくもない。魔王の手下は統率が取れていないのだろうか、それともサエザーが特殊な馬鹿か。
まあ元々自由意思とはいえ半ば選択肢の無い状況にしてから無理矢理手下にしているのだから、忠誠心など皆無なのかもしれない。恐怖で従えようとするからサエザーみたいな忠誠心の薄い手下が出てくるのだとダンテは魔王を嘲った。
魔王は確かサエザーが言うには「アズール」だとか、いう、名前、…?
魔王の名前を反芻したダンテは、その単語を並べた際妙に引っ掛かりを覚える。初めて聞いた名前、のはずだ。なのにこの音の並びを聞いたことがある気がする。
ダンテの中の深い深い記憶の底で、氷のように透き通った声の女がその名前を呼んでいた。
その女が魔王と同じ名前を呼ぶと、魔王ではない男が振り向き笑い、女が波の上で知らない唄を歌う。その唄を聴きながら寝返りを打つと、ダンテの横にはもうひとり知らない赤ん坊が眠っていて。
「あー、………あのさ、ダンテお前さ…」
ダンテが覚えのない記憶に飲まれていると、サエザーが歯切れ悪くモゴモゴと口を動かしていた。その言葉に我に返ったダンテは軽く首を振り、先程の知らない記憶を弾き飛ばす。
魔王の所業を見るたびに聞くたびに、記憶が掻き乱されて気持ちが悪い。この不愉快さの原因はやはり魔王なんだ、早く倒さなくては。
気持ち悪さを吐き出すように追い出すように大きく息を吐いたダンテを見て、サエザーは意を決したように「お前さ!もしかして妹、」と言葉を発した。が、そんなサエザーの言葉は既にダンテの意識の外に追いやられ、ダンテはサエザーを無視し背を向ける。
耳慣れない妙な音が聞こえてきたのだ。
ガシャンガシャンという機械音と、蒸気を排出するような放出音。
決死の言葉を無視されたサエザーはダンテのあまりの態度に呆けていたが、ダンテが一点を見つめているのに気付き不思議そうな表情で同じ方向に顔を向けた。
ふたりが見つめる視線の先には、奇ッ怪なカタチの鉄の塊が大地を闊歩している。見た目からしてみれば、南の大陸にもこの大陸にも存在している「ロボ」と同じ系列の生き物だろう。が、赤い瞳でこちらを見つめじわじわ距離を詰めてくる姿は、どうひっくり返っても他のロボたちとは様子が違った。
「ロボ」は幾つか用途によって種類があったが、総じて心優しく献身的。しかし目の前の鉄の塊は、明らかにこちらを害そうと近付いてくる。
姿をよくよく観察すればさらに奇ッ怪さが露わになってきた。ロボの胴体から生えているのは脚なのかそれとも腕なのか。形としては腕のようなのだが、それを使って歩んでいるならば脚なのだろうか。
立派な脚を器用に動かし、赤いライトを光らせて、ソレはダンテたちに向かってコトバを鳴らした。
「ターゲット、ホソク」
ダンテたちを標的と定め、奇ッ怪な形のロボはけたたましく機械音を震わせる。ソレに呼応してかこの場にふたつ小さな影が喚び出された。
現れたのは上下逆さになったような小さな丸いロボと、腕が異様に大きいロボ。はじめに近付いてきた奇ッ怪なロボと同じように、この2体も赤い瞳でダンテたちを睨みつけてくる。
増えた奇ッ怪な物体を見て、またその3体に殺意を含めた目で睨まれて、サエザーは大慌てで武器を構え叫んだ。
「ダンテ、こいつ、なんなんだよ!?」
「さあな。だが、負けられないッ!」
ダンテとしてはそう答えるしかない。
しかしどちらかといえば、どこにも所属していないダンテより魔王の手下やってるサエザーのほうが恨まれていると思うので、その台詞はダンテがいうべきではないだろうか。可能性をしては「魔王反発勢力」が「魔王の手下」を「殺しに来た」というほうが高い気がする。
まあサエザーの反応からこの奇ッ怪なロボは魔王軍ではないようだし、ダンテとサエザーの両方を殺そうとしているところから、反魔王勢力でもなさそうではある。単に目に映るもの全てを襲っている、強いていうなら「大陸全部殺す」を目標に掲げた第三勢力といったところか。
しかしロボとは自己改造ができただろうかとダンテは首を傾げた。目の前にいるロボたちを奇ッ怪だと思っていたが、よくよく見れば見たことのあるロボをぐちゃっと改造しただけのように見える。
1番大きいロボの腕という名の脚では他のロボも自分自身も改造など出来そうにないし、しかしロボの自己改造など聞いたことがなかった。となると恐らくロボを改造した何者かいる、そう予想したダンテは手に持つ剣に力を込めた。
とりあえずアレだよくわからんが、ロボって斬れるのだろうか。硬そうなのだが。
刃こぼれしそうだなと思いつつ先手を取ろうとダンテは奇ッ怪な物体に向けて剣を振り下ろす。予想通りガキンと弾かれた。
そうだよなロボだもんな装甲硬いよなどうしたものか。
困った顔でダンテが距離を取れば、サエザーも奇ッ怪なロボに武器を叩きつけていた。が、同じように武器を弾かれ「知ってた!」と涙目で叫ぶサエザーは置いといてダンテはふむと考える。
南の大陸に行ったとき装甲が剥がれているロボを見かけたから壊れないわけではないのだろうが、あのロボは普通に動いていた。装甲が剥がれたくらいでは止まらないのだろう。
オロオロしているサエザーに「…壊せないなら機能を停止させるか。合わせろ」と伝え、ダンテは再度奇ッ怪なロボに斬りかかった。一番大きな脚のロボに狙いを定め剣を振り上げる。
停止させるために狙うべきは、頭か、胸か。
瞳部分がカメラの役割をしているのならば武器の形状的にサエザーの方が当てやすいだろう。ならば俺は頭を狙うかとダンテはサエザーに「上」と短く声を掛けロボの天辺に剣を叩きつけた。ダンテの指示を聞いて慌てながら、サエザーもダンテの指示通りロボの天辺部分の平たい場所に武器を振り下ろす。…俺が天辺狙って攻撃してんだから、オマエは瞳部分狙えよ、馬鹿。
図らずとも同じ場所を叩いたダンテたちだったが、正解だったのだろうか、奇ッ怪なロボがガタンと動きを止めた。停止行動を見せたロボを見てサエザーが「やったか!?」と嬉しそうな声をあげた瞬間、ロボが警告音と共に大きな声を鳴らす。
「エマージェンシー」と。
その声と鳴り響くサイレンにふたりが警戒を強めると、ロボたちが、厳密には先程動きを止めた脚のロボと大きな腕を持つロボの2体が共鳴しサイレンの合唱が始まった。
エマージェンシー、つまりは緊急事態。ああなるほど流石ロボ、彼らには己の身に危険が迫った時に起動する特殊なシステムが組まれているらしい。
このロボ作ったやつふざけんな硬い装甲と変なパーツ搭載した上に緊急対策プログラム入れんな、殺意高すぎるだろ戦う身になれ馬鹿野郎。
ダンテが大きなサイレンに耳を塞ぎつつ毒づくと、喧しいロボの内1体が「ガッタイモード キドウ」と音声を鳴らした。「合体?」とサエザーが怪訝そうな声を漏らしている間に、言葉通り彼らは上下合体し巨大な腕と巨大な脚を持つ奇ッ怪さが増したロボと変貌していく。
組み上がった新たなロボはぐるりと赤い瞳を光らせ飛び上がり、サエザーに向かって落下した。「げっ!」とサエザーが危険を察知し大慌てで逃げ出すと、その瞬間ドォンと大きな音と共にロボが砂浜を抉る。
その衝撃でサエザーは砂浜に転がった。朦々と砂埃が舞い視界が濁ったが、それでも敵意を向けるロボの赤い瞳がダンテたちを睨み付けているのがわかる。
砂浜に転げながらサエザーが引きつった声で「頭殴ったら悪化した気がするんだけど」と苦言すれば、ダンテは「俺は間違えてない」とツンと言い返した。
実際目の前のロボの姿は、彼らが身の危険を感じたから起こった変化だ。ダンテたちがきちんと「ロボが攻撃されたくない場所」を叩いた結果ともいえる。まあそれ故悪化したのも事実ではあるが。
「倒し方は間違っていない」
頭を狙えば停止させられるだろうとダンテは転げたままのサエザーの尻を蹴飛ばし「やるぞ」と短く声を落とした。蹴んなよバカと叫ぶサエザーを立たせたダンテは剣を構え、チカチカ光る赤い瞳に向かって走り出す。
それを追いかけサエザーは「上のやつか?下のやつか?」と声を投げた。合わせると言外に言われたダンテは「自分で考えろ」と言い返し剣を走らせる。
合体で回復された可能性も無くはないが、先程動きを止めたほう、つまり弱ってる奴から潰すほうが合理的だ、それくらいわかるだろう。
ダンテたちの動きを見てロボも反撃に動き出した。勝手に動くな狙いにくい。
暴れ回るロボとそれを避けつつ剣を振り回すダンテ、そして「お前らウロチョロすんなよ召喚する場所もヒマも余裕もねーんだけど!」と召喚士の優位を潰され泣くサエザー。
金属音とプレス音とサエザーの叫び声が辺りに響き渡っていた。
何度斬りかかっただろう。何度潰されかけただろう。何度サエザーが「もーヤダ!もー無理!そろそろオレ死ぬ!」と騒いだだろうか。
体中にヒビを走らせたロボたちがぷしゅんと音を立て「ゼロシステム エラー…」という電子音を流して動きを止めた。聞こえる音はダンテたちの荒い呼吸と波の音だけ。
常に光っていたロボたちの赤い瞳は色を失い、コツンと叩いても反応はない。確認を終えたダンテはようやく大きく息を吐き、サエザーはその場にへたり込んだ。
「よかったダンテもオレも生きてる…」とサエザーが微笑んだが、ダンテの表情は硬いままだった。なんせ目の前のロボはエラーが出て止まっただけだ、いつ再起動するか不安しかない。
完膚なきまでに壊しておきたいのだが、ダンテもサエザーもそんな体力残っていないし、そもそもあれだけ叩いてヒビしか入らなかった装甲を壊す方法がわからない。どうしたものかと思い悩んだが、結局答えがわからず放置することに決めた。
いつ復活するかわからないのならば、早急にここから離れたほうが良いだろう。ダンテはへばっているサエザーに近寄り「じゃあな」と声をかけた。
その声に我に返ったサエザーは「待て待て待て!」とダンテのマントを掴む。鬱陶しいとダンテは睨み付けるがサエザーは負けじと「お前に!妹とか!いない!?」と声を張り上げた。
ダンテがいないと返せば「いやいやいや!神殿に居るんだよ!お前と似た子が!」と必死にマントと引っ張り上げる。「もしかして魔王に捕まってるとかそんなんじゃねーの?!人質的な!違うか!?」と更に言葉を重ねてくるものだから、ダンテは苛ついて無理矢理マントからサエザーを引き剥がした。
知らんもんは知らん。関係ない。
ぷいとダンテはサエザーに背を向ける。最後に一応「アレが再起動するかもしれないから、とっとと逃げたほうがいいぞ?」と忠告だけ残して。
ダンテが去り残されたサエザーは「お前、お前なあ!」と怒鳴りはしたが追い掛けることはせず、代わりに停止している鉄の塊を蹴飛ばした。
これ以上はダメだ、しつこく縋り付いてもきっと冷たい目で睨まれるだけ。ああやらかした、失った信頼は二度と取り戻せない。…少しは期待していたのだけれども。
顔を見せたらすぐさま刃を向けられたのは流石に堪えた。ああアイツにとってオレはもう「敵」になってしまったのだと。
違うよ、とサエザーは俯きながらトボトボとダンテとは反対の方向へと足を向ける。
あの時、魔王軍に村が襲われた時、自分は死ぬんだと思った。その時サエザーが抱いたのは「オレが死んだらダンテはどうなるのだろう」という遺される相手を想う心。
いつも浜辺でひとり佇んでいたダンテ。
本人は否定するだろうが、どうにもその姿は寂しそうだった。
だから頻繁に「遊び」に誘ったのだ。
サエザーが遊びに誘うと、いつもダンテは笑ってくれたから。
だからサエザーがいなくなったら、ダンテはもう二度と笑わなくなるかもしれないと。
ずっとひとりぼっちで寂しそうに海を眺めるだけになりそうだと。
それは嫌だなと思ったのだ。
だから確実に生き延びるために、サエザーは魔王の手下になった。ダンテをひとりにさせたくなくて。
魔王の手下になろうとなんだろうと、生きていればまたダンテに会いに行けると思って。
「手下になったら神殿に放り込まれたせいで、なかなか会いに行けなかったけどさ…」
はあとサエザーは溜息を漏らした。彼女の相手はオレじゃなくても良かっただろうにと、ひとりの少女を思い浮かべる。
誰かは知らない、何故神殿にいたのはも知らない、名前すら知らない。大きな帽子で顔を隠した泡のようにふわふわしている女の子。
妙に丁寧に扱われていたため「大事な人質」みたいなポジションなのかと思っていた。なんせサエザーは、その子の話相手としてずっと当てがわれていたのだから。
大人しくて物静かで、ほとんど喋らない小さな子。ここら辺も人質なのかと思った要因だ、名前を聞いても無言だったため魔王に拐われたショックで喋れなくなっているのだと。
そう考えたサエザーはなるべく楽しませようと明るく話をしてあげていた。何を話しても反応はほとんど無くて、めげそうだったけれども。
しばらくそんな日々が続きサエザーが話題のネタ切れ一歩手前だった頃、その子が突然言葉を発したのだ。
拐われたっぽい子に「友達」の話はタブーかもしれないと黙っていたが、もうネタが無く仕方なしにと出した話題。こんなヤツがいてさ、とダンテの話題を出した時、急に彼女がぽつりと喋ったのだ。
「そのひと、昔、お父さまに聞いた、わたしのお兄さまに、似てる」
その子が喋ったことに驚き、父親がいるらしいことに驚き、兄がいることに驚いて、サエザーは色々話し掛けてみる。が、その頃にはいつも通り口を閉じ小さな貝のペンダントを弄るだけに戻っていた。
その後しばらくしてサエザーも大きくなり、魔王も部下を増やし、外に出るチャンスを得たサエザーは出かける前にその子に声を掛ける。ちょっと外に行くからしばらく話ができなくなったと。
「じゃ、またな…えーっと、」
「………ポワン」
久々に声聞いたなとサエザーがキョトンとしていると、彼女は己を指差して「わたしの名前」ともう一度声を鳴らした。そういや初めてこの子の名前聞いたなとサエザーは頬を掻く。
そんなサエザーを気にすることなくポワンと名乗った少女は微笑み「ずっと色々おはなししてくれてありがとう、サエザー。いつかまた、来てね」とやんわり手を振った。
初めて名前を呼ばれたとサエザーは驚き、ポワンに向き直る。ぽわぽわしたクッションを抱え手を振る彼女のその笑顔は、なんとなく、ダンテの笑った顔と似ていた。
どこも似ていないのに、どこか似ている。
もしかしたらと思ったが、結局それを聞く暇は無くサエザーはひとり神殿から逃げ出した。
そんなこんなでダンテに会いに行ったサエザーだったが、結果はご覧の通り。完全に敵対されるわ、話も流されるわ、共闘したのに冷たいわで割と悲しい。
ポワンからもダンテからもまともに話が出来なかったサエザーは困ったように空を見上げた。サエザーの心の中とは裏腹に、綺麗な青空がサエザーを見下ろしている。
もしもあのふたりが本当に兄妹ならば会わせてやりたかったなと呟いたサエザーは、突然パチンと己の両頬を叩いた。違う、「やりたかったな」じゃない「やる」んだ。
ダンテに「お前はひとりじゃない、家族がいる」と教えてやらなくては。
もう寂しそうな顔をしなくてもいいんだと伝えなくては。
ダンテを探しに行こう。剣を向けられても冷たくされても縋り付いて教えよう。
オレはアイツらの友達なんだから。
■■■■
サエザーが決意を新たにしている頃、大陸中央の滝のある湖近くでダンテはぼんやりと虹を見上げていた。先程サエザーに言われた言葉は流したが、どうやら魔王の元には人質がいるらしい。
珍しいなとダンテは首を傾げた。手下にするのではなく人質とは、魔王にとって重要なポジションなのだろうか。
ならばソレを取り上げてやれば魔王は悔しがるだろう。人質とやらが弱点になるかもしれないと嗤い、ダンテは湖に目を向けた。
魔王軍に襲われボロボロになったこの湖は以前の美しさのカケラもない。しかし壊され方が絶妙で、岩や破片が流れ落ちる滝とぶつかり飛沫を散らしあちこちに大小様々な虹を生み出していた。
魔王によって作られたこの幻想的な景色を幸いというべきか、それとも巫山戯ているのかと罵るべきか。
虹が輝く妙な光景に呆れるダンテに、薄っすらと聞き覚えのある声がかけられた。声のしたほうに顔を向ければ、そこには見覚えのある青い髪を結った育ちの良さそうな青年が立っている。
少し前出会った、記憶喪失の上に妙な言動を繰り返す面倒臭い青い奴。あの時と違うのは、小さかった頃のオドオドした表情が消え去っているくらいだ。
ダンテに駆け寄った青年は爽やかな表情で笑みを浮かべ「あのときは名乗れず申し訳ありませんでした」と、妙に凛とし妙に礼儀正しい丁寧な所作で己の名前を告げる。その所作を見てダンテは軽く首を傾けた。
一般人がここまで丁寧な動きをするだろうか。この大陸でこんな綺麗な所作を取れるのは、少し前に滅びた国の王族くらいでは?
そう思いダンテが「記憶」と口に出せば、青年、名乗った所によるとフロウだとかいう名前、は「全て思い出しました」とにこりと微笑んだ。
「僕は魔王に滅ぼされた国の王子、…でしたが国が失くなった今は王子でもなんでもないですね。ただのフロウです」とフロウは少し眉を下げダンテに再度名を告げる。
当人はただのフロウだと言っているが、どちらかといえば「亡国の王子」という言葉の方が適当かとダンテはフロウをじっくり眺めた。なんせ所作全てに王族っぽさが滲み出ている、これで「もうただの一般人ですから」などと言われても大体の輩は萎縮するだろう。ああ面倒臭い。
国が滅びているのに王子は王子のままなのだなとダンテがうんざりしていると、フロウは笑顔で突然「協力して魔王を倒しませんか?」と提案してきた。フロウの言葉にダンテがノータイムで「嫌だ」と返答すると、フロウは驚いたように「何でですか?」と首を傾げ主張する。
「僕たちは同じ目的を持った同志じゃないですか、力を合わせて一緒に戦いましょう!」
魔王に国を滅ぼされ、魔王に恨みを持つ反魔王派の仲間だろうとフロウはダンテに問い掛けた。ああ、以前会った時そんな事を話したな。否定したつもりだったが伝わってなかったのか。
いや、そんなことはどうでもいい。
俺はただ、度々己を襲う不可解な記憶と気持ち悪さと苛々を排除したいだけだ。
だからその元凶の魔王を倒したいだけだ。
だから、断る。
「アズールは俺一人で倒すッ!」
そう言い放ったダンテは己の口から飛び出した魔王の名前に苦々しさを覚えた。そうだ違う、この名前は、魔王なんかに使っていい名前じゃない。
…なんでだこれは魔王の名前だろう?なんで違うと思うんだ俺は。
わからなくて気持ちが悪い。
矛盾した気持ちに顔を歪ませながらも、ダンテはフロウを睨み付けた。そもそも何故フロウは自分に協力を持ちかけたのかが理解できない。反魔王を掲げているヤツなど他にいくらでもいるだろうに。
故にダンテが「俺じゃなくてもいいだろう」と冷たく言い返せば、フロウも強い口調で言い返す。
「だってあなたは、!」
フロウの言葉がそこで止まった。
言葉に迷ったわけでも、以前のように思い当たる理由がないから口を噤んだわけでもない。
突然、ピロピロという場に似つかわしくない電子音が流れてきたからだ。不可思議な音で口論は止まりふたりが辺りを警戒すると、空から音の出元であろう何かがノイズ混じりの音声を振りまき舞い降りてきた。
ふわりとダンテたちの目の前に現れたのは、綺麗な電子の翼を付けた白い人型の、見覚えはないが恐らく確実にロボの一種で。
「ワタシ ハ、ゼロ。アナタタチ ヲ、ハイジョ スル」
真っ直ぐな音でそう告げて、ダンテたちを見下ろし青色の瞳を輝かせる。姿形はダンテの知るロボとは違ったが、瞳の形と鳴らす音、そして所々のパーツがロボたちと似ていた。
不思議なのはその形。ダンテの知るロボたちはどれも樽のように角ばっていたのだが、目の前にいるロボはすらっとした人型だ。しかもふわふわ宙に浮いている。
ダンテたちを一瞥しストンと地面に足を付けた人型ロボに戸惑いながらも、フロウは「お前はいったい…、何者ですか!」と声を投げ掛けた。フロウの声色は警戒を孕み、武器であろう三又の槍を強く握っている。
まあわけのわからないまま「排除する」などと宣言されたのならば、警戒態勢にもなるだろう。そんなフロウを尻目にダンテは先ほど戦った奇形のロボを思い出していた。
あのロボは停止する直前に「ゼロシステム」という音声を吐いている。その時はただのシステム名だと思ったが、目の前にいるロボットが己の名前を「ゼロ」と提示した。
ゼロシステムの「ゼロ」が数字の零ではなくコレの名前を指していたのだとしたら、あのロボを作った、否、改造し組み替えたのは。
「フロウ、気を抜くな!」
思わずダンテが叫ぶ。ロボたちを作り替える力を持つならば、生き物すら改造できてしまうかもしれないと。そうなったら改造メカフロウが出来上がり、敵に回るかもしれないと。…ちょっと見てみたい気もするが。
ダンテの忠告に反応し慌てて飛び退いたフロウは、ロボからの排除行動、ハタから見ればただの拳、を避け切った。しかしそのロボの一撃は、近くでうにうにしていたウニーの1匹に運悪く当たる。
ロボの拳を受けたウニーからバチンと生き物から到底鳴るはずもない音が響き、…響いただけで外傷は一切見当たらなかった。明らかにロボは何かをしたにも関わらず、だ。
不思議そうに首を傾げウニーを観察したフロウは突然目を見開いてダンテに「離れてください!」と声を荒らげる。何が起こったかはわからないが、道楽でそんな大声を上げないだろうとダンテは素直に距離を取ろうと地面を蹴った。
ピッと、不思議な音がウニーから鳴る。
その音が周囲から消え去った瞬間、ウニーはパァンと内側から弾け飛んだ。
飛び散る針とウニーの中身。それとともに広がる熱波。
木っ端微塵となり辺りに美味しそうな香りを漂わせる元ウニーの現残骸。ダンテの皮膚を灼く熱波は、あの小さな体から発せられたとは思えないほど高く広い。
ポタポタと飛び落ちたウニーの残骸を目に、ダンテとフロウは顔を見合わせた。内部から爆破する技など見たことがない、なんだこれとダンテが口元をひくつかせるとフロウが「古い書物で見た、爆弾とかいう道具と似てます…」と冷や汗を流す。
魔法より不便で手間もかかるからという理由で廃れた道具。しかし魔力のない者でも作れて、殺傷力はモノにもよるがかなり高い代物。しかし似た性質のミジンコがいるため、今では完全に無くなった古代の兵器。
どうやらあのロボはその古代の道具を、生き物を改造することで再現出来るらしい。
「ついさっき、奇形ロボと戦ったが…。こいつほど厄介ではなかったな」
「あれ、僕も変なロボに襲われましたよ。ここまで厄介ではなかったですが」
似た体験をしていたふたりは逃避するようにお互い少し笑い、同時にロボに目を向けて声を揃えた。「アレが奇形ロボの親玉だろう」と。厄介さが段違いだ。
「変なロボを作ったのもアレですかね」とフロウが呟けば、ダンテも「なら修復もアレがやってるな」と呟く。お互いうんと頷いて武器を構えて走り出した。
つまりアレを倒す、先程の奇形ロボを考えると硬さ的に倒せるかは微妙なので停止させれば、奇ッ怪なロボは再生出来なくなるだろう。再起動されたら面倒臭いと思っていたところだ、全力で行くぞ。
と、ダンテは意気込んで剣を振るったものの対するロボはふわっと浮かび上がりダンテの攻撃をさらりと避けた。狡いと思う。
昔戦ったタンタと違って、ロボは空中を縦横無尽に動き回るせいか攻撃が当てにくい。面倒臭さにダンテが舌打ちをすれば、フロウが「任せてください!」と手に力を込めた。
いきますよ、と周囲が青く輝いたかと思うとふよふよ浮かぶ水球が現れ、ロボに向かって飛んでいく。どうやらフロウは水を生み出す魔法を扱えるらしい。
そうか機械なら水ぶっかければ良かったのかとダンテが感心しているとフロウの投げた水球は宙を舞うロボに見事に当たり、その衝撃でロボがふらふらと地面に落下する。こうなればダンテの出番だ、先程避けに避けられた恨みを込めて重い一撃をロボに叩きつけた。
地上に墜ちたらダンテが、空中に逃げたらフロウが。お互いの得意分野でロボを追い詰めていく。
追い詰められたロボはピピっと鳴き、突然己の身を守るように丸くなった。その姿を見てダンテは警戒を強める。なんせ先程サエザーと一緒に戦ったロボは、一旦停止した後合体して糞面倒臭いモードに変化したのだから。
まあここには合体出来そうな他のロボなどいないから杞憂だとは思うのだが、警戒するに越したことはない。それはフロウも同じなのか、厳しい目で丸まったロボを睨みつけていた。
ダンテたちが警戒する中、ロボは「…コマンド、シュウフクチュウ…」と音声を漏らし淡い光に包まれていく。その光が収まりロボに目をやると先ほどダンテたちが与えたダメージはどこへやら、そこにはつやっとしたロボが得意げに浮いていた。
おいちょっと待て振り出しに戻ったぞ巫山戯んな。
ダンテが舌打ちするとフロウも呆れたように「自己修復ですか」と呟いていた。戦えて回復も出来て改造も出来るロボ。理不尽すぎるだろコレ作ったやつ誰だ出てこい。
散々与えた攻撃が無に返り若干精神にダメージが入ったふたりを尻目に、ロボはストンと地面に降りて己の両手を前に出し力を溜めていた。明らかに「この掌からヤバいもんだしますよ」と言っているようなものだ。
「ハドウホウ…」と音を鳴らすロボを見て、回避するつもりだった足を止めダンテは思い直す。「ハドウホウ」が「波動砲」ならば、規模が大きい可能性が高いと。
広範囲に撃たれるならば回避行為に意味はない。ならば撃つ前に停止させるほうが早いかもしれないと。
「最大出力で水ぶっかけられるか?」
「……、そっちのが良さそうですね。貴方もお願いします」
フロウを呼び止め依頼すると、同じく下手に逃げるより壊した方が良いという結論になったのかフロウは頷いた。「僕が怯ませますので」と深呼吸し、フロウはすいと腕を天に向け大きな水球をロボの真上に生み出す。
その大きな大きな水の球はフロウの腕の動きに連動するのか、フロウがついと腕を下ろすと同じように落ち真下にいたロボに降りかかった。突然の水の塊に襲われたロボは少しばかり体勢を崩す。
その隙を見逃さずダンテは現状最大限の一撃を、ロボに向けて振り下ろした。ただでさえ苦手な水を浴び、その上思い切り叩きつけられたのだからロボとしては堪ったものではない。玩具のように吹き飛んだ。
ガシャンと音を立てて地面に墜ちたロボはザーザーとノイズ混じりの声を鳴らす。
「ワタシ ハ ナゼ ツクラレタ ノカ…。ナゼ 、 アナタ ハ…」
音律が狂ったような声。女のような声色で男のような声色のその声は、壊れたレコードのように徐々にゆっくりとなっていき最後には大きなノイズに呑まれていった。そのままロボの瞳から光が失われ、ピタリと動作を止める。
しばらく警戒したものの二度と動き出す事はなく、ダンテたちはようやく安堵の息を吐いた。フロウがくすくす笑いながら言う。
「ああ良かった、停止したあと最後の攻撃のエネルギーが暴発するかと」
「やめろ。マジでそうなったらどうするつもりだ」
ダンテが睨み付けるとフロウは不思議そうに「貴方は変な方ですね」と笑みで返した。一匹狼のようで協調性はないが、今のようにくだらない言葉にも返事はくれる。舌打ちだけして無視されるかと思ってましたよ?とフロウは再度くすりと笑った。
「この戦いの前の僕のお願いも、貴方はわざわざ断った。興味ないと無視して立ち去っても良かったでしょうに」
割と会話してくれるんですねと頬を掻き、フロウは再度提案を繰り返す。「一緒に魔王を倒しませんか?」と。
ダンテの答えはーーー。
■■
「…、まあわかってましたが」
ダンテが立ち去った湖のほとりでフロウはふうと息を吐いた。ダンテの答えは変わらず「断る」のひと言。
俺ひとりで倒す、仲間なんかいらない、ひとりのほうが気楽。
どう考えても魔王を倒すためには手を組んだほうが合理的なのだが、なんでそこまで頑ななのかと呆れはした。あそこまで頑なだと誘う気持ちも失せるため問題ないが。
ならばと「ではどちらが先に倒すか勝負ですね」と冗談半分で言ったら、「アレを倒すのに勝ち負けとかないだろ」とそっぽを向かれた。ごもっとも。
まあそのあと「海底神殿に先に乗り込むのは俺だ」と、恐らく魔王の居場所っぽいことを漏らしたので腹芸は苦手とみえる。素直というか、基本的に思っていることをそのまま出す性格なのだろう。
ただ配慮と語彙と言葉が足らないため誤解を生みやすい気もするが。チグハグで面倒な人だとフロウは苦笑した。
「協力していただけなかったことは残念ですが」
得られたものがあったから良いかなとフロウは頬を掻く。魔王の拠点が海底神殿ならばこちらにはケルーとピィが、海や水中に強い仲間がいるのだ。恐らくダンテより先行出来るだろう。
仲間って大切ですよ?とフロウはぼんやり虹を見上げた。ひとりで出来ることなどたかが知れている、自分では出来ないことは仲間が助けてくれる。
それを拒否し仲間を持たないままひとりで進む彼はどうなってしまうのかなと、フロウはダンテの去った道に顔を向けた。
■■■■■■
ダンテはフロウと別れた後、海底神殿へ行くための方法を探す。本当に海底にあるのか、それとも大陸から離れた小島にあるのかわからないがどちらにせよ「海上や水中を移動する方法」が必要だ。
島には泳いで行けるのか、海底には素潜りで届くのか、そもそもどの辺りにあるのか。まあサエザーが魔王の手下となり働いていたのだから、何かしら神殿に移動するための方法はあるのだろう。
そこまで考えてダンテはハタと気付いた。ごちゃごちゃ悩むよりもサエザーを問い詰めて吐かせた方が早い、と。
もしやまださっきの場所にいるかもしれないと、サエザーを探しにダンテは砂浜に向かう。まあ残念ながら、同じくダンテを探すため別の場所に移動していたサエザーとは、見事なまでにすれ違ったのだが。
ダンテが人探しのためウロチョロしていた時、とある噂が耳に入る。それは「亡国の王子が魔王を退け進攻を止めた」というもの。
その吉報はダンテを驚かせるのに充分で、思わずダンテは剣をカランと地面に落とした。ぼやぼやしている間に先を越された、サエザーがなかなか見つからなかったせいだと、ダンテはこの場にいないサエザーに恨み言をぶつける。
違う負けたわけじゃない、別にどっちが先に魔王を倒すか勝負していたわけじゃない。
けれども己の獲物が先に討ち取られたのは事実。悔しさ故に近くにあった木を殴りつけ、聞こえてきた噂を反芻した。
王子とはフロウのことだろう、アイツどうやって海底神殿に行ったんだ?
魔王を退けただとどうやって?たかだか水の魔法が使える程度で、俺より力は弱いくせに。
…ん?「退けた」?
ぐるぐる回る思考の中、ダンテは噂の内容が「退けた」であり「倒されてはいない」ということに気付く。フロウは魔王を討伐したわけではないのだとダンテは首を傾けた。
黙っていれば討伐されたことになって英雄、よもや勇者などと讃えられただろうに、なぜわざわざ「倒してません、弱らせただけです」と宣言したのか疑問が浮かぶ。まあ育ちの良い王子故に嘘を付けなかっただけかもしれないが。
噂によると魔王軍はほぼ行動不能状態に陥り、残党は慌てて海へと逃げ出しているという。それを聞いたダンテは慌てて海へと向かった。
ソイツらを追い掛ければ、迷わず神殿に行けるだろうと確信して。
フロウが魔王を倒していないのならば今から俺が魔王を倒せば俺の勝ちだと、ダンテは口角を上げて海の中へと飛び込んで行った。
■■■■
運良くあわあわ狼狽しながら水中を泳ぐブリュブリュ鳴く魚っぽい何かを見付けたダンテは、気付かれないよう注意しながら後を追う。しばらく泳いでそろそろふやけそうになった頃、小さな島が見えてきた。
小さな島には神殿らしき建物が乗っている。が、そこから生き物の気配はしなかった。不思議に思ってダンテは上陸し堂々と神殿の中に踏み込むと、なるほど、神殿の中には海底に続く穴が開けられている。
地上と海底、両方に神殿があったのかとダンテは柱をコツンと叩きその冷たさに驚いて手を離した。海底に続く建物だとはいえ冷たすぎないか?氷のようだ。
変な神殿だなと怪訝に思いながらもダンテは海底に続く階段を降りていく。降りれば降りるほど階段も柱も壁も天井も古びていき、最下層に着いた時には崩れそうなほどヒビ割れた神殿が目の前に広がっていた。
ジメジメとした薄暗い空気。雰囲気に嫌悪感を抱いたダンテは崩れた柱を蹴飛ばしながら奥へ進んでいく。
不思議と迷いはしなかった。間取りは知っているとばかりに足は勝手に動いていたし、ここに来たことがあるかのように頭はとても冷静で。
ああココだと足が止まったその場所は、彫像の置かれた広い広い神室だった。神室とはいえ神などおらず、代わりに神室に置かれるべきではない玉座が置かれ、その上には青黒い帽子を被った魔王がニヤニヤと笑いながら訪問者を見下ろしている。
魔王、であるはずだった。ダンテが昔一度見かけた時と姿形は変わらない。しかし、一度フロウに敗北したせいだろうか、負けたが命長らえたせいだろうか、魔王は以前と比べるまでもなく凶悪さが増していた。
魔王だったときよりも威圧感が上がり、不気味さも殺意も更に上。邪心の神とでも言わんばかりのオーラを放ちながら羽虫でも見るような目で、ソレはダンテに声を落とす。
「キサマに、己の無力さを思い知らせてやるわッ!」
悔しかったのだろうか、フロウに負けたことが。だから負けた時よりも力を付けて、再度大陸を奪おうとしていたのだろうか。
魔王の手下が次々と神殿に戻っていたのは逃げ出していたのではなく、魔王もとい邪神が軍を再結成するために呼び寄せていただけだったのかとダンテは薄く嗤った。フロウのしたことは無駄だったと気付いたからだ。
むしろ悪化させただけだといえる。魔王を倒したと嘯いて結果邪神を放置していたら、以前の比ではない被害が大陸を襲っただろう。
まだフロウに負けていない。ここでコイツを倒せば魔王討伐勝負へ俺の勝ちだと、ダンテは剣を構え邪神に向き合った。
「この一撃で終わらせてくれる!」
タンタにもサエザーにもフロウにも魔王にも邪神にも、勝つのは俺だ強い方が勝つんだ強いヤツが生き残るとダンテは思い切り床を蹴り上げた。
魔王から死戦を潜り抜け邪神となっただけあって、目の前の敵は体力も攻撃力も上がっているのだろう。なんせ拳を叩きつけられた床が粉々となってただの瓦礫と化したのだから。
あの糞王子本当マジ余計なことをしてくれたなと毒付きながらダンテは飛び散る破片を避けた。魔王のままならもっと容易く勝てたのに。
破片を擦り抜けダンテが得意の火を重ねた刃を走らせれば邪神は怯む。魚っぽいから火が苦手なんだろうかとダンテは小さく笑い、ならばと火を散らしながら舞うように剣を振るった。
円舞の締めにダンテは瓦礫を足場に飛び上がり、重力を味方に剣を叩きつける。単純な一撃、避けられるかと思ったが何故か邪神は目を見開いて固まったままだった。
いや違う、厳密には邪神は口を動かしている。誰かの名前を呼ぶかのように。
その声はダンテに届かず、ダンテの落とした刃を正面から受けた邪神は断末魔の悲鳴とともに神殿に倒れ伏した。
ズシンと倒れる音を最後に、神室は静寂に包まれる。聞こえてくるのはコポコポという海中を昇る泡の音とダンテが漏らす呼吸のみ。邪神はピクリとも動かなかった。
倒した、勝った、ああこれで。
疲労の色を滲ませつつも満足げな息を吐くダンテの耳に、ふわふわとしたこの場に不似合いな女性の声が届く。
「お父さま…?」
ダンテが声のした方に顔を向ければ、そこには大きな帽子で顔を隠した女の子が入口に立っていた。ああそういえばサエザーが「人質っぽい子がいる」とか言っていたが、コイツだろうか。
真っ直ぐ邪神の元に到着したから忘れていたとダンテはその子を見つめる。ダンテの視線を受けてかその子はダンテと邪神を交互に見て、不思議そうに首を傾けた。
少女は「お父さま、こんなとこで寝ちゃっだめよ」と邪神にポテポテと駆け寄り身体を揺する。動かない邪神に再度首を傾げ、困ったようにダンテに顔を向ける。
お父さま?とダンテは怪訝そうに少女を見下ろした。サエザーに聞いた人質だと思っていたが違うヤツなのか、というか父というのが邪神のことならばコイツは邪神の娘か。家族がいたのか魔王のくせに、狡いな俺にはいないのに。
目の前にいる少女を睨み付けダンテは剣を握り締めた。人質の子供でないならばコイツにとって俺は親の仇、今後邪魔になるだろう始末しておくべきだと。
剣を振り上げようとダンテが腕を動かしたその時、目の前の少女は言葉を並べた。
「おかえりなさい、お兄さま…。お父さまが寝ちゃったの、部屋にはこぶの、てつだってね…」
その言葉の羅列を聞いたダンテの手から剣が滑り落ち、声を出そうとした口から息が漏れる。ダンテが落とした剣の音にを驚いたのか、少女はオロオロと目線を彷徨わせ「どうしたの…?」と落ちた剣に近寄った。
小さな身体で剣拾い上げ、ヨロヨロとした足取りでダンテに手渡そうと差し出してくる。ダンテはソレを受け取らず、代わりに掠れた声で「どういう、意味だ」と少女に問い掛けた。
少女は不思議そうに剣を抱き締め、問いの意味がわからないと困ったように首を傾げる。その行為を見てダンテは苛ついたように戸惑うように少女と邪神を見遣って「兄、と、は」と音を絞り出した。
さらにわからないとばかりにオロオロしながら「サエザーがね、お友達がいるって…。それをお父さまに話したら、お父さまは驚いて」と少女は辿々しく口を開く。
「『それはお前の兄だ、生きてたのか。…良かった…』って…。だからお兄さまが帰ってくるの、待ってたの」
何故、とダンテが問えば少女は「家族はおうちに帰ってくるんでしょう?」と当たり前のように微笑んだ。ここがわたしたちのおうちだからと。
ちょっと前にもひとが来たけど違うって言ったから、今度こそ、帰って来てくれたあなたはわたしのお兄さまでしょう?と少女は期待するようにダンテを見つめる。その瞳に晒されて、ダンテはゆっくり膝から崩れ落ちた。
サエザーは勘違いしていた、それはそうだ魔王とこの少女は似ても似つかない、親子だなんて気付くはずもない。だからサエザーはこの少女を「丁寧に扱われるほどの重要な人質」なのだと思い込んだ。
サエザーは正しかった、少女はダンテの妹だった。俺にも家族がいた。
サエザーは知らなかった、魔王はダンテの父親だった。俺はこの手で家族を殺した。
目の前の少女にその事を伝えるべきだろうか、父親は寝ているだけだと信じている妹に。
伝えたらどうなるだろうか、妹は俺から離れるだろうか。家族がいたことなど無いからわからない。
ようやく見つけた家族なのに。あっという間に崩れるのだろうか。
ダンテの声は上手く流れずポツポツと不思議な音を鳴らすばかり。キョトンとする妹は「お兄さま具合わるいの…?」と心配そうにダンテの背を撫でる。
お兄さまが先かなと妹はダンテの手を取って部屋に連れて行こうと引っ張った。ダンテはそんな妹に首を振りようやくひと言口に出す。
「…外、……外に、…ここから出ないか?」
父親の死体から目を逸らしたくてもう見ていたくなくて妹に見せたくなくて。思わず口をついた言葉だったが、妹は不思議そうに首を傾け「だめよ」と言った。
「お父さまが言ってたわ…、あと前きたひとも」と少しばかり得意げに、兄を諭すようにぽふぽふ背を撫で妹は微笑む。
「外は危ないんでしょう…? あのね、お父さまはね『大事なお宝は安全な場所、自分の手元に置いておくものだ』って」
だからわたしはここから出ないと、お兄さまもお父さまのだいじなものだからここにいないといけないと。
「だってここはわたしたちのおうちで、お父さまの宝箱だから」と、そう言いながら妹は既視感のある笑顔を浮かべた。
その笑顔は、薄っすらとしか記憶がないが、子守唄を歌ってくれた母親の笑顔に似ているとダンテは気付く。
思い出した、覚えていた。青い帽子を被った父親とひらひらとした母親の顔を。
ぽたりとダンテから涙が溢れ落ちる。
ああ正しかった。
魔王を倒したら混濁していた記憶は蘇った。
最悪の形ではあったのだけれど。
妹の言葉に「そうか」とだけ答えてダンテは立ち上がる。ダンテが動いたことで妹は嬉しそうに「お兄さま、おへやはこっちよ。あのね、いっぱいお話してほしいの。あ、サエザーはまた来てくれるかな…?」とダンテの手を引き部屋へと誘った。
わたしとお兄さまのおともだちだもの、他のひとはもうきて欲しくないけど、サエザーならいいよね、と妹は兄の手をぎゅっと握り締めニコニコ見上げてくる。
そうだなとダンテは力なく笑い、ぼんやりとひと言紡いだ。ああ自分は家族のことをなにも知らないのだと自虐しながら。
「…オマエ、名前は?」と。
母親のことも知らない、父親のことも知らない、家族との接し方もわからない。
当然だ、それを知る方法は今さっき自分の手で潰してしまったのだから。
だから唯一遺った妹のことだけは、たくさんたくさん知りたいと思う。
だから、俺に家族について教えてくれるか?
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1章。続きもののようななにか。独自解釈、独自世界観。捏造耐性ある人向け。【シリーズ完結】【改稿済み】