03 始祖 -Zero-
城門じみた石造りの結界に囲まれた、人里の主要区画。まばらな人影たちが、暑苦しい日向から隠れるように陰に隠れ、とりとめのない雑多な流言飛語で涼をとっている。全くどちらが幽霊だか。幽霊らしく夏の涼しさを提供してやりたいところだが、あいにく暇な身分ではない。日向を避けてくれているのは好都合だった。道が空く。しかし里の人間というのは全くもって暢気なものだ。ありもしない都市伝説に尾鰭をつけて怯えるうちに、実在する怨霊に里のど真ん中を闊歩されたのでは、本末転倒というものだろう。まあ、平和ボケが平和に生きられるほうが、世の中平和で良いのかもしれん。そんなことを考えながら頭を掻き、熱気を伝う井戸端会議の海を漂っていると、見覚えのある影が見えた。
「お、よう山本。元気してるか」
「ヒイッ幽霊!……なんだ、蘇我の姐さんじゃねえですか。驚かさないで下さいよ」
「なんだじゃねーよ、失礼だな」
「ああ、こいつは失礼……でも、里であんまり出たり消えたりはその、色々と……」
「わーってるよ、ったく。嫌われてるのは重々承知。こっちも無駄な厄介ごとは御免なんでな」
これでも一応、幽霊だ。三下未満の一般人相手になら、気配をすこし消してやれば、触れられなければ気付かれない。尤も大して長くは消えていられないし、カンの鋭いやつにはすぐバレるのだが。そんなわけで今私は、人里で気配を消して、噂についての情報収集をしている。少し前に改定された幻想縁起に載って以来、里の連中は私をずいぶんと警戒してくれているようだ。全くもって有難い限りである。悪かったな高いところが好きなバカで。
これでも、太子の道場に出入りしているお陰で里の一部、要は道家連中にはそこそこ顔が知れている。この山本というサエない中年男もそのクチだ。先日の幻想郷浄化計画とやらで家族が軽傷を負い、そのとき太子に助けてもらった縁とかで、しばらく前から門人として道場に来ている。そういえば先日家族も退院したとかで、何よりである。今度太子に菓子折りでも持っていかせよう。
「で、今日はなんでまた里になんて?」
山本は腰を低くして、こちらの顔色を伺うようにおずおずと尋ねる。お前死人の顔色伺ってどうすんのだ。
「ああ、ちょっと私用でさ。聞き込み調査してんだよ、里の噂の。最近なんか、変な噂とかねえか?ちょっと前にあったろ、人面犬だの足売りババアだのって。ああいう、くっだらねえの、なんか無いか?」
「噂ですか?へえ、そうですね……そういや最近、道化師みてえな恰好した、頭のおかしな妖精が」
あ、そいつはもう会った。知ってる。次。
「へ、へえ……あ!そうだ。姐さん、『博麗太郎』って、知ってますか?」
屠自古が
「ぐおッ!?」
「呵呵呵!遅いな、お前は」
取り落としたボウガンを空中で拾おうと手を伸ばすが、うまく手が動かない。屠自古は雷の速度で全身を空中制動し、肩で引っ張るように強引に腕を動かし、一回転してどうにかボウガンを拾う。そして第二打を振り下ろすより先に、攻撃をあきらめ閃光と共に背後へ跳躍した。そして重力に支えさせるように腕を上向け、どうにか2挺の獲物を放さぬようにした。
屠自古は打たれた腕の位置をじっくりと確認する。瞬間的に強い霊力の流れた跡。ごく短い間、直撃した部位を麻痺させるに充分な量だろう。先の二撃。深く握り込んだ大幣を敢えて最小の動きの留め、最低限の力と最大限の速度で、博麗太郎は正確無比にここを打った。指を引く腱だ。亡霊といえど実体のある身。物理法則に従って五体を動かしている以上、筋が止まれば腕が止まり、腱が止まれば指が止まる。何も高尚な人体科学のたぐいではない。極めてシンプルかつ原始的、だが実戦的かつ効果的な護身術。あるいは、喧嘩仕込みの即席拳法。それを最高の技術と最大の知識で実践する。屠自古は瞬時に判断した。この男、強い。
博麗太郎。人里で山本に聞いた名だ。なんでも最近、この名を名乗る不審者の目撃情報が増えているらしい。その正体とは、失伝した博麗神社の開祖が大聖人として復活しただの、博麗の巫女が妖怪との間に生んだ鬼の子だの、博麗の巫女が無から生み出した人造人間だの、言いたい放題言われているそうだ。屠自古は一笑に付して相手にしなかったが、なる程、この男がその『博麗太郎』か。
(こいつがね……まあ、そういう噂も立つものか。こいつ、ただ者じゃあない。ただ者でない存在を、人間は理由なしに受け入れられない。だから理由をつけたがる。しっかしまあ、ばかばかしい尾鰭でも泳げば広がるものなのだな。あの巫女に、隠し子つくる甲斐性があるとも思えねえし。まして大聖人が復活だの……って、そこはアレだな。ウチはどうこう言えんな実際)
屠自古は木々をバリケードに、じりじりと迫る博麗太郎に対し距離を保つ。手の痺れは多少ましになったが、いまだ本調子ではない。得意のフルオート連射は反動も相応なものだ。おそらく今の腕では射線を固定できまい。しかし敵は手練。雑多な掃射で有効打の出せる相手でもあるまい。できれば一撃必殺、至近距離から万全の連射スペルで仕留め切りたいのが正直なところだった。屠自古は思案する。敵はまだ切り札を見せていない。腕の回復を待つのは悪手だろう。手っ取り早い方法はないか――。
「――レイコ」
ずう。屠自古の背後に、軍服を着た女性が出現した。その四肢はなく、かわりに霊力の帯が鬼火めいて
「なあお前。あの腕、奪れるか」
レイコと呼ばれた女性は包帯だらけの顔に黒髪を垂らし、こくりと頷いた。それを確認し、博麗はニタリと笑う。
「面白いな。それがお前の
「そのとおり。お前もいい加減、出し惜しみやめて見せてみろよ」
「呵呵呵!阿呆めが。簡単に手の内を明かすやつがあるか。お前、喧嘩屋としては玄人だが
「おっとっと、こちとら生来の喧嘩屋でね。お褒めいただき有り難い。お礼にしっかり教授されてやるよ。こういうのは、
「ぬかせ怨霊め!お前はここで
「やってやんよ!尖雷矢ァ!『ガゴウジマイクロバースト』ッ!」
びゅう!2者の闘気が一陣の風になって、林を吹き抜ける。屠自古は晴天の霹靂となって樹間を縫い踊る!狙うは博麗太郎の腕だ!博麗はするりと大幣へ両手を這わせ、長槍の
雷雲が渦を撒くように博麗太郎の周囲を高速旋回し、樹の隙間から落雷のごとき雷矢を断続的に撃ち込む。引鉄1回につき3連発のバースト射撃。雷矢はほぼ屈折せず、制圧力を捨てるかわりに弾速と貫通力にすぐれ、反動もフルオート連射と比較して小さい。本来は低反動を活かした精密狙撃用に新調したスペルだったが、やはり屠自古には少々荒っぽい用法が向いていたようだ。
しかし反動がゼロになるわけではない。引鉄を引くたび、痺れと痛みがフィードバックする。とうぜん狙いのほうも芳しくなく、僅かに正中を逸れた落雷が雑多に降り注ぐのみ。博麗太郎は熟練の槍兵を思わせる大幣さばきでこれを打ち流し、流麗かつ力強いステップで大地を踏み締めながら、演武を披露するがごとく林道の中心で鮮やかに舞う。断続的な落雷と博麗の演武が土埃をあげ、さらに速度が増してゆく。腕が徐々に悲鳴をあげる。だが加速をやめない。これでいいのだ!精度は低くてかまわない!後先など考えずともよい!周波数を上げろ!最後の一矢まで撃ち尽くせ!
「フォウ!フォウ!フォウ!フォオオオオウ!」
落雷!落雷!落雷!落雷!さらなる落雷!黄昏の赤い空を青の閃光が染め、黄土が舞う!博麗太郎はだが、非人間的なスタミナでこの猛攻撃をいなし続ける。その姿は神々しくすらある!凄まじい反射速度!そして落雷の間隔がほぼ連射のそれと相違ないまでに短絡し、屠自古の両腕も限界に達しつつあった時……屠自古は勝負に出た!
「フォウ!フォウ!フォ……何!?」
「うおらあああああああっ!」
それは左右から挟み込むような落雷2本を受け流した瞬間だった!博麗太郎の大幣に、グルリと強烈な遠心力が加わる。その力に引かれ、博麗太郎の左手首が捻られた。――右手は?然り!博麗太郎の右腕は失われ、かわりに屠自古の右肩から、不自然な位置にもう一本。細く筋張った右腕が生えている。その手にはボウガン!しかと博麗太郎に狙いを定める!
屠自古は挑発や慢心のためにカシマレイコを見せたわけではない。屠自古がレイコを召喚し、攻撃に移るまで、僅かながら隙がある。この隙に迎撃を刺せぬ博麗太郎ではあるまい。屠自古は敢えてレイコを先に召喚しておき、攻撃のタイムラグを極限までゼロにしたのだ。だが何故、この見通しのよい空間で不意討ちを成立させることができたのか?
屠自古は怨霊であり、レイコもまた、怨念に近い由来を持つ都市伝説である。屠自古は彼女の姿を、人里での自身のように消したのだ。当然ながら、博麗太郎のような手練がこの消失を見抜けぬはずはない。彼からすればレイコの姿は、最初から見えているのも同然。消えている事すら気付かないだろう。そこに屠自古はつけ込んだ。極限まで周波数を高めた波状攻撃に集中させ、じわじわと、博麗太郎の意識をレイコから落雷に集中させた。そしてピークに至る瞬間、屠自古は雷撃を纏ってレイコと共に突進した。あたかも、それが落雷の一本であるかのように!
「く……そおおおおおッ!」
「ゲームオーバーだぜ、おっさん。…… *ガゴウジサイクロン改* ッ!」
絶対回避不可能距離!博麗太郎から奪った万全の右腕で、必殺のフルオート連射を放つ……その一瞬前!
「やれやれ……余り、気が乗らないが」
ぞうっとする寒気が、屠自古を襲った。極限まで圧縮された時間感覚のなかで、彼女は博麗太郎のぼやきを聞いた。それは彼女の絶対的な心理優位を崩し、あまつさえ、勝機を焦った慢心を後悔させるに充分な
「*無象蹂躙*」
ぎらりと一瞬、スペルカードが斜陽を受けて煌いた。屠自古は反射的に、博麗太郎の右腕を持ち主に返却した。生存本能だ。空気抵抗を減じ、わずかでも早く、捕食者の危険領域から脱するためだ。事実、その判断は極めて正しかった。
ズン!呪詛を溜め込んだように黒ずんだ闇の玉が、先ほどまで屠自古のいた位置に墜ちて、炸裂した。爆発などと派手なものではない。消滅などと生易しいものではない。それはもはや、圧壊。怨嗟による質量破壊。大地を円く刈り取る思念の一撃。屠自古は霊脚を閃かせ、一目散に逃げようとした。だが、鈍化した時間感覚はいまだ戻らない。闇の玉はまだ三ツ。それぞれが、自身を追ってくる。蘇我屠自古の、1400年前に消失したはずの生存本能が、半ばアナフィラキシー・ショックのように暴れ狂いながら警鐘をかき鳴らした。
「亡びよ。有象無象の害悪どもよ」
ヤバイ。こいつはヤバイ。危険性の次元が違う。悪の大妖怪だとか妖怪寺だとか月人侵略兵器だとか、そういうのとはまるで違う。明確な
こいつに、オカルトボールを、渡したら、マズイ!
「――おおおおおおおおおおらああああああああーーーーーーっ!!」
屠自古は死に物狂いで、ポケットからオカルトボールを一ツ取り出し、思い切り西の空へ向かって投げた。火事場の莫迦力というやつか。ボールは本塁打を思わせる軌道でぐんぐんと飛んでいき、やがて見えなくなった。
所有権の放棄。それが今の彼女にできる、唯一の抵抗だった。怨嗟の黒塊が迫る。屠自古と黒塊との間に、カシマレイコが割って出た。それは無意識のうちに屠自古の行った防御行動だったのか、或いは。
「……く、そォ……畜生……!」
「ほう、まだ消滅していなかったか。死人の分際で生き汚い奴だ」
三度の圧壊をまともに受け、だが屠自古はまだ『生きて』いた。満身創痍で地べたを這いずりながら、それでもなお逃げようとした。何も誰かのためとか、これを誰かに伝えようとか、そういった利他的な考えからではない。純粋かつ強固な、捕食者から逃れるべきという、利己的な本能。それが彼女の原動力だった。博麗太郎は大幣を振り上げ――。
「――まあいい、力の無駄だ。命拾いしたな。今の俺には貴様を消す事よりも重大な目的がある。後でじっくり、他の有象無象もろとも消してやる。精々余生を満喫するがいい」
そう吐き捨て、博麗太郎はきびすを返した。その足音が去ってなお、屠自古は這いずり続けた。既にオカルトボールは手元にない。カシマレイコももういない。残ったボールは勝利者の手に、博麗太郎の手に。屠自古は悔しくてたまらなかった。勝てなかった事が?違う。情けをかけられた事が?違う。何がなんだかわからなかったが、屠自古は涙が止まらなかった。日も暮れ夜通し這いずって、涙も鼻水も枯れ果てて、ついに屠自古は気を失った。
「フンフーン、芋ようかんの賞味期限~♪……ギエエーーッ!ひ、人が!人が死んでいるーッ!」
古びた琴の付喪神が屠自古を見つけたのは、実に夜半過ぎのことであった。
「ウ、ウウ……」
「ハアーッ!まだ生きて……ギエーッ!足がない!幽霊!……っていうことはもう死んでるから別に大丈夫なのか。そうか。うん?なんだかややこしいな……」
気を失った屠自古の上を、いちどは素通りした九十九八橋であったが、何というか、何となく明日の寝覚めが悪そうだったこともあり、渋々引き返して担ぎ上げた。
「ああ、こいつ確か。あの聖人のとこの幽霊じゃん。厄介なものを拾ってしまった……めんどくさいな……姉さん留守だし……」
「ウウ……ごめんよ……ごめん……レイ、コ……」
「……?」
聞き覚えの無い名前をうわ言のように呟き続ける屠自古を怪訝そうに眺めながら、八橋は帰路についた。
● ● ●
遥か天にすら届く青竹が鬱蒼と立ち並び、日中ですら陽の日が満足に届かない竹林の深部。煌々と照る月の光はしかし、闇の隙間を縫って地上まで達し、黒一色の世界に僅かな灯火を添える。あたかも、人を惑い誘うかのごとく。常人ならば狂い死ぬ無限迷宮を、鈴仙・優曇華院・イナバは地上にあって稀有な感覚を道標に真っ直ぐに突き進む。
発端は夕刻。幻想郷上空を網羅する彼女のレーダーが、極めて異質な飛行物体反応を捉えた。直径およそ15cm、鉱石を削って整形した真球に近い形状(表面の凹凸は磨耗による影響とみられ、本来の形状は真球か)。極端な裂傷・破損はなく、硬度は極めて高いと想定される。重量およそ200g。航行速度およそ40kt。最高高度15m。霊力系統は言霊。神性比率は奇魂7、荒魂3。人里付近から西へ一直線に飛び、竹林に墜落した。
「――あった。これだ」
鈴仙はこれを感知し、師に内密で回収に及んだ。このところの彼女の周囲におけるパワーバランスは極めてピーキーであった。迂闊に特定の仲間へ与することは、即ち、別の仲間を斬る事にもなりうるからだ。一枚岩ではない世界で、板挟みのなかで生きる弱小の逃亡兵にとって、ギリギリ皮一枚の利害一致でのみ繋がる顔見知りでさえ、敵に回れば死を意味する生命線なのだ。
竹林に落ちた紫の宝珠。レーダーが捉えたその構成要素は、地上のそれでは絶対にない。明らかに、月の物質であった。
鈴仙は懐にオカルトボールを仕舞い、そそくさとその場を離れる。一瞬、彼女の視界に、どこかで見た人影が見えたような気がしたが、目を凝らすとそこには誰もいなかった。彼女はここが竹林の深部であることを思い出し、誰もいるはずのない闇へ背を向け、来た道を戻った。
● ● ●
「……ムニャ、あれ」
夜半過ぎの命蓮寺。蒸し暑い縁側を軋ませ、厠に立った寅丸星は、ぼりぼりと頭を掻きながら眠い目を擦り、廊下の向こうの影を見やった。寅丸星は判然としないまどろみの中で思案する。
「あれ……?」
「ん、なんだご主人様じゃあないか。どうした?こんな夜中に素っ頓狂な声で」
そこにいたのはナズーリン。フム、オヤ。確か昼ごろまでは寺に居た筈だが、午後の外回りに出たのを境に、寺ではとんと姿を見なかったので、てっきり自宅に帰ったのだと思っていたが。
「ん?どうしたご主人様。私の顔に何かついてるか?」
「ウーン、フアァ……今日はこっちに居たんでしたっけ……?」
「ああ。ウチの小屋はどうにも風通しが悪くてね。夏は暑くてかなわん。それにくらべて寺は涼しいからな。別にいいだろ?」
「ムニャ……別にいいですよ、ナズーリンもこっちに棲めばいいのに……」
「ハハ、冗談を言うな。私は一人住まいが気楽でいいよ」
「そうですか……じゃ、オヤスミナサイ」
寅丸星はそのまま、ポテポテと厠へ向かって歩いていった。そこでふと日中の記憶がおぼろげに戻り、くるりと振り返って尋ねた。
「……あれ。外回りの帰りにナズーリン、寺から帰ってませんでした?なんか、里のほうに向かってたような……人違いかなあ」
「うん、夢の話じゃあないのかい?自分で言うのもなんだが、私はけっこう特徴的な恰好をしているぞ。誰かと見間違うなんてことはないだろう」
「うーん、フアァ……そうかもしれない……」
ナズーリンはぼりぼりと頭を掻き、ため息を一ツついた。
「全く。私はこの世界に一匹だけだよ」
【04につづく】
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「もし、深秘録参戦者以外がオカルトボールを手にしたら」というifをもとに描いた、東方深秘録のアフターストーリー的連作二次創作SS(SyouSetu)です。
!注意!
このSSは一部の幻想住人にとってアレルゲンとなる捏造設定や二次創作要素がふくまれている可能性があります。
読書中に気分が悪くなったら直ちに摂取を停止し、正しい原作設定できれいに洗い流しましょう。
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