No.825086

別離   1.庭

野良さん

2016-01-15 20:54:01 投稿 / 全3ページ    総閲覧数:1023   閲覧ユーザー数:990

別離   式姫の庭 二次創作

 

 

1.庭

 

 足袋、脚絆の足ごしらえに、綺麗に編まれた草鞋の花木綿の緒をしっかりと結ぶ。

 離れの玄関を出る時、薄く紗を張った市女笠を被り、彼女はわずかに顔を上げた。

 抜けるような青空を背景に、淡い山桜に覆われた春の景色が拡がる。

 思わずため息がこぼれる様な、麗らかな春の日差しと景色。

 だが、彼女はその光景に、忌々しげな顔を向けてから視線を落とした。

 短い杖を手にし、軽めとはいえ、振り分けの荷物が、その華奢な肩から下がる。

 旅装の人が、好天気に向けるには、余りにその表情は不似合いな物であった。

 

「こうめ様、ご準備は整われましたか?」

「……うむ、そなたは?」

 傍らから響いた穏やかな声に、こうめと呼ばれた女性は、顔を向けずに短く返事だけを返した。

「私の準備は整っております……何時でも発てますが」

「左様か、そなたは相変わらず卒が無いの」

 賞賛の言葉に、ほんの僅かだがトゲが篭る。

「恐れ入ります」

 そのトゲに気づいているのか居ないのか、返って来た声音は何も変わらず涼やかで、己の苛立ちが身勝手なものである事をどこかで自覚していた彼女の胸には、寧ろ堪えた。

「……では行くかの、小烏丸」

「はい、こうめ様」

 歩き出したこうめに、小烏丸と呼ばれた少女が、その小柄な身には不釣合いな程の大荷物を背に、従う。

 だが、その足取りは、背に鴻毛を背負う程の重さも感じては居ない様子であった。

「意外に書物が多かったのう……すまぬな、大荷物で」

「いえ、私にとっては然程の重さでもありませんので」

「そうであろうが……な」

「はい、お心遣いありがとうございます」

 小烏丸と呼ばれた少女が柔らかく微笑む。

 人の少女の姿を取っているが、小烏丸は式姫、神々の一柱である。

 まだ幼かったとはいえ、こうめを抱えて十里の道を半日で駆け抜けた事もあった彼女にしてみれば、この程度の荷物など、軽い物であろう。

 

 綺麗に均されたは白砂の上を二人が歩んでいく。

 こうめの私室が有った、この離れからでは、この屋敷の正門は見えない。

 

 広い庭であった。

 

 木々が茂り、小川が流れる。

 その広い庭の中に道を作るように植えられた庭木に、こうめは目を向けた。

 常緑の木ではあるが、やはり春は葉の色も若やいで、嬉しそうに枝葉を茂らせている。

「この柘植は、確か悪鬼が苗を拾って参ったのだったな」

「そうでしたね、庭なんだから緑が無きゃ駄目だーって……ふふ」

 

 

「師匠、師匠、苗拾ってきたぞー、植えようぜ」

「お、柘植の良い苗じゃねぇか……って待て待て、そのまま埋めるんじゃない」

「?なんでだ、木は土から生えてくるだろー???」

「なんでって……そうだな、悪鬼よ、お前ご飯だけ食うのと、ご飯と肉あるのとどっちが良い?」

「肉ー、肉食いたいぞ、師匠」

「だろ、植物も土だけじゃなくて、藁の灰とか、土になり掛けの葉っぱとかが大好物でな、それを一緒に埋めてやると、よく育つんだ」

「そーなのかー、木って変な物が好きなんだな」

「生き物ごとに好きなものは違うからな、羊は肉を食わないだろ?」

「そーか、そーだよな。師匠はやっぱすげーなー、何でもしってんだなー」

「はっはっは、もっと褒めて良いぞー」

 

 悪鬼の短い髪の毛を、楽しそうにわしゃわしゃと引っ掻き回しながら、あの人は楽しそうに笑っていたものだった。

 

 式姫だけではない、彼女達の戦いで助けられた人々が、色々な物を置いて行った。

 採石所を解放した礼に、石像や灯篭を置いていった石工が居た。

 襖絵や屏風絵を描いていった絵師が居た。

 山神を静めてくれたお陰で、移動や商売が出来るようになったと、山の民が美しい什器を。

 妖怪に襲われていた所を助けた、旅の途中の飛騨の匠が、式姫たちの家を。

「荒れた、何も無い庭じゃったに、見事に育ったものじゃな」

 こうめの手が、綺麗に刈られた次の植え込みの表面に手を滑らせる。

「皆で丹精しましたから」

「そうじゃな」

 この庭と家の美しさは、人が平穏な生活を取り戻して行った証でもある。

 

 再び二人が歩き出す。

 柘植の植え込みが切れると、その向こうに、ちょっとした枯山水のように、砂目が整えられた閑静な庭が見えた。

 奥座敷に面した、落ち着く空間……ではあるのだが。

「この庭ともお別れか」

「お勉強部屋とのお別れは嬉しいのでは?」

「それを言うでないわ」

 微苦笑を浮かべて、こうめが庭と奥座敷に目を向ける。

 

「師曰(のたまわ)く」

「わし、のたうちまわる」

「……こうめ君、陰陽師ならんとするに、唐天竺の典籍が読解できないようでは先は無いよ」

「別にわしは陰陽師になりたい訳ではないわ!」

「そうかい?でも君は妖怪と戦うつもりなんだろう?」

「……それは、そうじゃが」

「だとしたら力と知識が要るね。しかもかなり強力な」

「お主に言われぬでも、判っておるわ……そんな事」

 こうめは、竹簡片手に涼しい視線をこちらに向ける鞍馬に悔しそうな視線を向けた。

「それとも、陰陽の道を諦めて、軍略を学ぶかい?私はそちらの方が専門だから、寧ろ教え甲斐が有るのだがね」

「それは、難しいのう」

 先生は申し分ない、目の前の大天狗は、かつてその知略一つで、唐土を三分した知将であり、内政に優れた宰相でもある。

 どちらかというと、問題なのは弟子である自身の問題。

「そうだね、君は戦には向いてない……人を出し抜くことも騙す事も、傷つける事も、どれも苦手」

「……手厳しいの」

「ある意味では褒めているんだよ。こうめ君、君は優しい子だ」

「それは、この時代に生きる身には……何の足しにもならぬ」

「そうでもないさ……」

 鞍馬はどこか遠い目を、庭に向けた。

「戦いの中に身を置く時、人は己の中に戦う理由を見出す必要が有る、それが名誉欲でも物欲でも何でも良い。心からの望みを見出したまえ」

「わしの……望み」

 口ごもるこうめに、鞍馬はどこか優しい視線を向けた。

「まだ幼い君が、今すぐにその答えを出す必要はないよ、でもそれを見出し、杖にして立たなければ、君はいずれ何かに押し流されてしまうだろう」

 変わり行く時代の奔流、人の悪意の深い淀み、人知を越えたものたちの圧倒的な濁流。

 その全てに、こうめは立ち向かわねばならない。

「左様か……」

 わしの、望みか。

 一つの顔が浮かぶ、意地悪ばかり言って彼女をからかって……でも、何の見返りも無く、いきなり危険と共に転がり込んできた自分を、何も言わずに助けてくれた人。

(ふむ)

 考えに沈んだこうめの様子を静かに見ていた鞍馬は、心の中で軽く頷いてから、部屋を出た。

 最後に見たこうめの頬が、僅かに紅に染まっていたのは、入ってきた日差しの故か……それとも。

「……君は最後まで戦えるかな、こうめ君」

 願わくば、我が旧主達の如く、夢半ばにして斃れる事の無いように。

 

 熊手で砂目を入れた白砂の中に、剣のような峻険な岩や、緩やかな景色を見せる平らな石が並ぶ。

「よい庭じゃ」

 昔は判らなかったが、今はなんとなくこの庭の良さがこうめにも判る。

 砂は海、砂目は波、岩や石は山や大地。

 世界を象った庭に向かい、静かに縁に座して心を自在に遊ばせれば、波音が身に迫り、深山の気が漂いだす。

 鞍馬が楽しそうに石を置き、砂目の流れを定めていた庭。

 その庭と奥座敷は、柔らかい光の中で、まるで時を止めたような静謐の中に佇んでいた。

 この姿は造られた時と変わらず、そしてこの先千年経っても変わらない、そんな気すらする。

 あの、万事に超然とした天才軍師の佇まいそのもののように。

「わしは……結局駄目な弟子じゃったのう」

「そんな事は無いと思いますよ」

「そうかのう?」

「ええ」

 

 あの最後の宴の時、鞍馬が旨そうに杯を干して呟いた言葉を、小烏丸は忘れる事は無いだろう。

 

「初めて勝てたよ……」

 

 常勝を謳われた軍師の呟きとしてはおかしい物にも聞こえるが、小烏丸には何となくその意味がわかるような気がした。

 鞍馬が助けた中原の覇者たらんと望んだ男は、一代としては十分すぎる程の領土を得たとは言え、その野心半ばで倒れ、将として鍛え上げた青年は、戦鬼となって仇敵を倒しながらも、兄との確執の果てに東北の露と消えた。

 

「戦いなんて空しい物じゃないか。この泡沫の世に、自他の血を流してまで君は何を望む?」

「全くだな、程々に過ごして、ある日死ぬ。泣かれもしないが、唾も吐かれない、人の一生なんぞ、それで良いんだろうと俺も思う」

「では何故、君は式姫を率いて戦い、更に私の助力を望む」

「俺はどうでも良いんだがよ……」

 どこかバツが悪そうな顔でそっぽを向いて、男は言葉を継いだ。

 

「ちっこいのが親の死体見て泣いてるなんぞ、嫌な世の中じゃねぇか」

 

 そんな気分の悪い世界に頬かむりして、ダラダラ生きててもしかたねぇとは思わんか?

 逆にそう問い返した男の顔を、しばし鞍馬はまじまじと見つめた。

「ふむ」

「俺ぁ、気分よく昼寝して暮らしたいんだ、それだけだよ」

 

 覇者になりたい、家門の再興を成し遂げたい。

 彼女の助力を欲する者は、みな野心に身を焦がし、その炎が目を輝かせていた物だった。

 カラスは光り物が好きと言う。

 烏天狗の眷属たる鞍馬は、その魂の輝きに魅せられて、人にその力を貸してきたのかもしれない。

 今、彼女の目の前に居る男には、そういう輝きは無い。

 無欲というか、頭が良すぎるのだろう、金や地位や家門の誉れなどという、世間が称揚する美徳の薄汚い身勝手さと空しさを、さっさと悟ってしまった。

 だが、それで無気力に生きる事を是とする類の世捨て人なら鞍馬は幾らも見てきたし、少なくともその中に自分の心を動かすような人は、一人も居なかった。

 飄々とした表情の下に、だがこの男は、それら半端な悟り人とは違う、確かに何かの輝きを魂の中に秘めていた。

 刹那に激しく輝き、世界を焼き尽くすような炎とは違う、この静かに燃え続けるような秘めやかな炎は、妖と人が跳梁するこの混迷の世界に何をもたらすのか。

 久しぶりの興味に心が動いた。

「判った、君に力を貸そう」

「そうか、忝い。今の所、礼は不自由ない三食と酒位しか出せんけど」

 男の言葉に鞍馬は思わず噴き出した。

「くっく、全く面白いな君は」

 領土、富、名声……鞍馬を誘う報酬は常にそういう物だった。

「貧乏なんだ、悪いな」

「それは構わないよ、稼ぎようは幾らでも知ってるからね、ところでそのお酒は美味しいのかい?」

「俺は好きだし、童子切と紅葉の姐ちゃん、後は異国の姫さんからは割と評判は良いな」

「ふふ、なら良いよ」

 大天狗たる彼女にしてみれば、領土も金も名声も、彼女の意のままになる塵芥に等しい物でしかない。

 煎じ詰めれば、それらは、鞍馬を軍師に招こうと、それを積み上げた彼らを計る意味しか持たなかった物。

 それが米と酒とはね……。

 だが、不思議と鞍馬は自分が安く見られたとは思わなかった。

 

「言って置いてアレだが、酒で俺達の戦に手を貸してくれたのは童子切と紅葉御前位だが……君も酒好きなのか?」

 多分その二人も、酒だけではない、それを彼女達に注いでくれる存在を気に入って手を貸しているのだろう。

「酒は、好きだよ……」

 まだ本当に欲しい酒、自らの知略で得た最後の勝利の美酒を、私は味わったことが無いけど。

 もう一度だけそれを期待して、この男に賭けてみようか。

「美味しく頂ける事を期待しているよ、よろしく主殿」

 

 鞍馬の望みは叶った。

 こうめと彼は、鞍馬に、今まで彼女が得る事のなかった最上の報酬を支払ったのだ。

「良い弟子だったと思いますよ、こうめ様も、あのお方も」


 
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