(・・・遅いな)
深行は壁時計をちらりと見て、それからケータイを手に取った。すでに午後10時になろうとしている。連絡はまだない。
泉水子は今日、大学の友人と飲みに行っていて、そのあと深行の家に来ることになっている。駅まで迎えに行くから電話をするように言ってあるのだが、ケータイは依然として沈黙したままだった。
11月に入って数日、朝晩の気温がぐっと低くなった。
あの泉水子のこと、変な気を回して連絡を寄こさないのではないだろうか。そう怪しんだ途端、手の中のスマホが振動した。ディスプレイには待ち人の名前。
すぐに出るのはなんだか格好悪い気がして、深行は2コール待ってから通話ボタンを押した。
『あっ、深行くん? 遅くなってごめんね。駅についたので今から向か・・・』
「なんですぐに連絡しないんだよ。改札を出たところで待ってろ。行ってやるから」
酔いが回っているのか舌たらずな可愛い声に、思わずぶっきらぼうな物言いをしたのは仕方ないと思う。やっぱりか、と深行はため息をついた。
泉水子が夜に来ることなんて、そうそうあるわけではないけれど。深行の家は駅からわりと近いが、人通りが少ない場所にある。そんな道を泉水子一人で歩かせるわけには絶対にいかない。
『でも、外寒いし。風邪をひいてしまったら悪いもの。私は大丈夫だよ』
(俺がそんなヤワなわけねえだろ・・・っ)
斜め上の気遣いをみせる泉水子に、深行は声を荒げそうになるのをぐっと堪えた。一呼吸おいて財布を後ろポケットに入れ、上着を乱暴に引っつかむ。注意をするのは後でいい。今は泉水子を迎えに行くことが先決だ。
「ついでにコンビニに行くつもりだったんだ。いいから絶対に動くなよ」
『分かった。じゃあ、待っているね』
ふわふわした口調の泉水子に、深行は動かないよう再度念を押して電話を切った。
我ながら少々過保護気味だと呆れるが、無頓着な泉水子にはこれくらい言わないと伝わらないのだ。
たくさんの人が行き来している改札から少しそれたところ。人の流れの邪魔にならないように泉水子がたたずんでいた。
所在なさげな姿に気持ちが急いて、深行は歩調を速めた。泉水子がこちらに気がついて、顔をぱっと向ける。
目が合うと泉水子は顔を輝かせた。
認めるのはなんだか悔しいだなんて感情は、とっくの昔に捨てている。非常に可愛くて、深行の心臓がどくんと跳ねた。小走りしてもそれほど上がらなかった体温が、少しばかり上昇している。
「遅くなるなとは言わないが、今度は電車に乗る前に連絡しろよ」
手を差し伸べると、泉水子の頬に赤みがさした。おずおずと握り、嬉しそうにはにかむ。深行は顔を引き締めて歩き出した。
つないだ手はあたたかく、夜空をあおぐと千切れた雲の輪郭がずいぶんと濃かった。ふくらんだ月が一段と眩しい。
秋から冬は湿度が低いので空気中の水蒸気も少なく、そのために空が澄んで見えるのだ。いつだったか、そんなことを泉水子に言ったことがある。
横目で見下ろすと、同じように空を見上げて歩いていた泉水子がこちらを見て微笑んだ。
歩調が少しだけ早まったのは無意識だった。
泉水子をソファに座らせ、深行がコップに水を入れて戻ってくると、彼女は気持ちよさそうに目を閉じていた。きっと帰ってきた途端気が緩んだのだろう。
「鈴原。眠いのならもう寝ろよ。風邪をひくぞ」
深行は隣に座って泉水子の肩を少し揺すった。
まだ酔っているのか、泉水子は目を開け、とろんとした瞳で見つめてくる。目元を染めて、むうっと唇をとがらせた。
「やだ。まだ寝ないもん」
「じゃあ、水を飲め。そんなところで寝たら襲うぞ」
泉水子は真っ赤になって絶句すると、すぐにコップに手を伸ばした。喉が渇いていたのか、美味しそうにこくこくと喉を鳴らす。そんなに嫌なのかよ、という複雑な気持ちは、とりあえず心の端っこへ追いやった。
泉水子が酒に弱いことは、戸隠でのフルーツポンチ事件から織込み済みだった。
大学に進学してから当然深行の心配の種は増える一方で。泉水子は甘い酒が好きらしく、深行が飲みすぎをとがめると頬をふくらませてむくれる。
自分が姫神だから心配されるのだと思っているようだが、当たり前にそれだけじゃなかった。ふにゃりとして隙が多くなるので、深行は気が気じゃないのだ。男のいる飲み会には泉水子ひとりでは絶対に行かせられない。
水を飲み終えて一息ついた泉水子は、だいぶすっきりしたようだった。「あ、そうだ」と言ってバッグの中を探り、長方形の箱を取り出した。
どこにでも売っている定番の赤い箱。それは、ポッキーだった。
「11月11日は、ポッキーの日なんだって。深行くん、知ってた?」
1111と続くことから、スティック状菓子の日だと、記念日認定を受けていることは知っていた。何でもかんでも『~の日』とつけたがるのがこの世の中。それに便乗した製菓会社の策略以外の何者でもなく、くだらない日があるものだと思っている。
「それがどうかしたのか?」
どことなく楽しそうな様子の泉水子に心の内をそのまま言うのはさすがに忍びなく。聞く体勢に入ってやると、泉水子は袋を開けてポッキーを1本取り出した。
「面白いよね。私は知らなかったのだけど、友達が教えてくれたの。それで、ポッキーゲームをすると、その・・・彼氏が喜ぶって・・・。どんなゲームなのかな」
「・・・・・・」
無垢な瞳。
思考が一瞬停止してしまったが、それを悟られないように見つめ返した。
世間知らずの泉水子にいろいろ教えるのは楽しいらしく、彼女の友人はいつの時代も余計なことを吹き込む。酒が入ればなおさらだ。
そう、余計なことを。
意地悪心がわき上がる。深行は泉水子が持っているポッキーを取ると、彼女の口にそっと差し込んだ。びっくりしている泉水子に、深行は淡々と言った。
「両端から食べ進めて、折ったほうが負けだ」
深行が反対側を咥えても、泉水子は目を丸くしたままだった。
まだ状況が分かっていないのだろう。仕方なくカリッと一口食べ進めれば、泉水子はいきなり首まで真っ赤になった。瞬間、ポッキーがパキンと折れる。
「俺の勝ち」
分かりきってはいたが、予想通りの反応をみせた泉水子に、深行は密かにホッとした。泉水子とポッキーゲームなんて冗談じゃない。
あの顔でかりかりかじられたら・・・。とても待ってなんかいられない。速攻で負けるのは深行のほうだ。
うつむいた泉水子は、耳を赤くして残りのポッキーをぽりぽりかじっている。そのつむじを見下ろして、小動物みたいだなと思う。可愛くてついふっと笑うと、泉水子が恨めしそうに見上げてくる。
「このゲームの、何が楽しいのか分からない」
まったくもって同感だった。
ポッキーなんて邪魔なだけだ。泉水子が食べ終わったのを見届けて、深行はその唇をふさいだ。
「・・・っ ん・・・」
触れるだけのキスが、徐々に甘く深くなっていく。何度も角度を変えてはその甘さを味わった。
互いの間の空気が密度を増し、深行は泉水子をゆっくりと押し倒した。
深行の腕に大人しくとらわれている泉水子が頬を染めて見つめてくる。潤みを帯びたその瞳に、深行の心がうずいた。
耳元に顔を埋め首筋に軽く吸いつくと、泉水子はくすぐったそうに身をよじった。
「・・・あっ や、ぁ・・・」
ウエストラインに手を這わせれば、泉水子はびくりと身体を震わせた。甘い声に煽られて理性が振り切れそうになる。吐息を閉じ込めるように唇をふさぎ、舌を絡めて吸い上げた。
「ふ・・・。ん、んぅ・・・」
何度目かのキスの後、深行は泉水子の耳元でささやいた。
「・・・眠い?」
アルコールのせいだけではなく赤くなっている頬にも唇を落とす。
寝たら襲うだなどとうそぶいてみたが、そんなことできるわけがないのだ。
甘い声。濡れた瞳。縋りつく腕。深行に意識が向いていない泉水子とつながることに、意味があるなんて思えない。
泉水子が小さく首を振ったのを確認して、深行は引き寄せられるように、また唇を重ねた。
終わり
ここまでしといて「眠い?」もないような気が(笑)
ポッキーゲームなんて、きっと痺れをきらして自分からキスしちゃう人だと思ってるから・・・。
深行くんて、ふたりの関係が深くなればなるほど過保護に拍車がかかると勝手に思ってるのですが、女子会などにはわりと寛容でいてほしいな。心配だけどあまりうるさく言ったら格好悪いとか思って(笑)
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ポッキーの日に書いた妄想です。
未来捏造・大学生設定。