第一話 運命の出会いです
「ちこくちっこくぅ~!」
結衣は甲高い声を上げながら器用にパンをくわえて曲がり角を曲がると、運命とごっつんこして転倒した。
「いった~……」
おでこをさすりながら結衣が顔を上げてみると、そこには女の子のがいた。
結衣と同じく、額をさすりながら痛みに顔をしかめている。
ご、ごめんなさいっ!
そう口を開きかけて――結衣は凍りついた。
少女の手に、べっとりと血のついたナイフが握られていた。
その背後には、目を打つような赤い血溜まりが広がっている。その中心には、顔なじみが力なく横たわっていた。
それは結衣のクラスメイトで、たしか名前は太郎といったか。太郎は首をすっぱりと切られており、切断面からは鮮血がホースのように迸っている。
おそらくついさっき死体になったばかりなのだろう。
「見たわね」
ゆらり、と少女が身を起こすのが見えた。
固まって身動きの取れない結衣めがけて、手に握られたナイフを勢いよく振り下ろしてきた。
風を切る音。
薄暗い路地裏に、鋭利な輝きが閃く。
(――殺される!)
結衣は頭を抱えながら目をつぶった。
叫び声を上げなかっただけでも、死に様としてはまだマシな方だろう。頭の片隅でそんなことを思った。
◆ ◆ ◆
数日前。
学校帰りに、結衣は望美と喫茶店にいた。
いつもなら混んでいてなかなか入れないのだが、幸いなことに今日は二人分の席が空いていた。
多分、この辺りで物騒な事件がたて続けに起きているせいだろう。
みんな家に閉じこもってなかなか出ようとしない。
学校帰りに寄り道しているところを、巡回中の先生たちに見られようものならきっと説教どころじゃ済まされないだろう。
だけど今を生きる女子高生にとってはそんなの関係ない。いくら外が危なかろうと、そのためにスイーツを食べる時間を削るのは死活問題に関わる。
先生に見つかって怒られる危険を冒してでも、殺人鬼に狙われようとも知ったこっちゃない。
だけどスイーツを補給しなければ、こっちが死んでしまう。
女子とは、そういう生き物なのだ。
「ねえ、望美ちゃんは運命とかって信じるタイプ?」
「人並み程度にはね」
かったるそうに前髪をかきながら、望美は言った。
「ていうか結衣はさ、夢見過ぎなのよ。パンをくわえて曲がり角を曲がれば、イケメン男子とおでこをごっつんこ、なんて現実に起こるわけないじゃない」
「えぇ~、そうかなぁ?」
「そうよ。そんなベタすぎるシチュエーション、今どきマンガでも有り得ないわ」
望美は呆れてため息をついた。
望美と結衣の関係は長い。小学校の時から付き合いが続いていて、結衣にとってはなんでも話せる間柄。
つまり、唯一無二の親友だった。
「結衣はもっとさあ、現実的なモノの捉え方をしないとダメよ)
「例えばぁ?」
「まずはお目当ての男子とラインを交換するのよ。そんで毎日テキトーに会話してこいつ脈アリだなって分かったら、思いきってこっちから遊びに誘えばいいのよ」
「え、ええええっ、それってデート? むむむ、無理だよそんなの!」
「無理じゃないわよ。私はそれで何回も成功してるんだから」
えっへん、と望美は胸を張った。
高一にしては豊かなモノがそこで自己主張している。望美のと較べてみても、結衣のそれは遥かに平べったい。月とすっぽんのようである。
「そもそもいきなり男子とライン交換するのがハードル高すぎなんだよぉ。なんかそれっていかにも下心がありそうって感じで怪しまれそうっていうか……」
「馬鹿ね、下心なんて丸見えでいいのよ。考えていることは向こうも同じなんだから」
「うーん……」
ずずず、と照れ隠しでコーヒーをすすった。
あまりの苦さに眉をひそめる。見栄を張って無糖を頼んだのは失敗だった。砂糖たっぷりで甘ったるいミルクコーヒーを注文すればよかったとちょっぴり後悔する。
この話題はダメだ。
あまりにも経験の差がありすぎる。
かといって、このまま黙り込んでしまうと負けを認めているみたいで癪に障る。
結衣は負けじと口を開いた。
「望美ちゃんの言い分はもっともだと思うんだけどねぇ……そういうのはさ、ロマンが欲しいかなぁって……」
素敵な男の人と出会って、恋をして、やがて結婚する。
それも悪くはない。
だけど、普通すぎて正直物足りない。
そんなのは全然結衣の理想には届かない。
もっというなら、シンデレラや白雪姫のような……そういう運命の出会い。
白馬の王子様と激しい恋に落ちてしまうような、そんな衝撃的な出会いが欲しい。
自分を取り囲む全てを――世界さえも変えてしまうような、情熱的な恋がしたい。
そんな情景を夢見ながら、いつか訪れるであろう運命の到来を願って、彼女は毎日のように遅刻間際に家を飛び出しては、パンをくわえて曲がり角をひたむきに曲がり続けていた。
目を輝かせて熱弁する結衣に、望美はため息をついた。
「ねえ、結衣。シンデレラ症候群って聞いたことある?」
「ううん」
結衣は首を横に振った。
「潜在意識にある依存的願望のこと。男性に高い理想像を求めるオンナ。外から来る何かが、自分の人生を変えてくれるのを待ち続けている人がそうなんだって」
「何が言いたいの?」
「つまり、結衣は病気なの」
「はぁ?」
ぽかんとなった。
「親友のよしみで忠告しておくけど、結衣は悪い男に騙されやすいタイプだから気をつけること。そういう王子様みたいに澄ました顔してるやつに限って、腹の底はどす黒いんだから」
「まさかぁー。悪い人だったら途中で気づくよぉ。そりゃあ、世の中は広いし、いろいろな人たちがいるかもだけど、そういうのって実際に付き合ってみないと分かんないもん」
「馬鹿ねぇ。現実は、砂糖菓子のように甘くはないのよ」
望美はブラックコーヒーをすすった。
女子にしては珍しく甘いものが苦手なタイプで、学校帰りに寄り道のスイーツすら苦い顔。
そのせいか、一部の女子からはノリが悪いだとか味覚障害だなんて言われていた。
「で、結衣は好きな人いるの?」
「え……いや、あの、それは」
「何よ」
結衣はもじもじと子鹿のように細い膝をこすり合わせながら、
「じ、実は一人だけ……」
言った。
望美は目を丸くして、身を乗り出した。
「え、マジ? 誰よ! 誰なのよ! 教えて教えなさい!」
望美ときたら、自分のことはあまり話したがらないくせに、他人のことになれば目の色を変えて教えろとせがんでくる。
「ま、まだナイショ」
「えー、ケチ。そんなの減るもんじゃないじゃなーい」
「自分の気持ちに整理がついたら、そのときちゃんと教えるから」
望美はおあずけをくらった猫みたいに不満そうな顔をしていたけれど、
「まあ、なにかあったら望美様にいつでも相談するのよ」
自称・恋愛の達人は大きな胸の前で、堂々と腕を組んでみせた。
なまじ自らの肉体の価値を知っている望美は、自分のワガママボディを最大限に有効利用。
まるで通り魔のように学校中のイケメンたちをとっかえひっかえしているのだという。
そのせいか嫉妬に狂った女子からは、ゲロ豚糞ビッチと陰口を叩かれ、男子からは土下座をして頼み込めば一発ヤらせてくれるなんて噂が流れているほどだ。
これには望美も憤慨。
「失礼ね。あたしだってセックスの相手くらい選んでるわ!」
陰口を叩いた男子と女子の双方に殴りかかっていった。
やっぱり望美本人も気にしていたのか、その一件以来、男遊びを控え、多少は慎ましやかになったという。
自分とは真逆な生き方。
不潔にして堕落。
結衣にとっては嫌悪の対象であったが、そんな自由奔放な生き方がほんのちょっぴり羨ましくもあった。
……本人には絶対教えてやらないけど。
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夢見がちな女子高生、結衣がパンをくわえて、曲がり角を曲がると、運命の相手に出会った。
そこに現れたのは殺人鬼だった。間の悪いことに、一仕事終えた瞬間を目の当たりにしてしまう。
――殺される。
死を覚悟する結衣に、殺人鬼は言った。
「あたしのモノになって頂戴」
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