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AD三二七五年六月二四日午前九時三〇分
ヘリから降りて来たその男の目は、狂気に満ちていた。
危うい目だと、スパーテインは感じる。目が金色だから、余計にそう見えるのかもしれない。
狭霧のイーグ、エミリオ・ハッセス。目の前に対峙している男はそう名乗った。異様に暗い声だった。
「待っていた、ハッセス大尉」
スパーテインは彼に敬礼した。エミリオもまたそれに習う。
「事態は聞いています。ルーン・ブレイドのメンバーが来たと。目の傷はその時ですか?」
「そうだ。貴公を呼んだ意味、わかるな?」
「はい。撃退せよ、ですね?」
「すぐ理解してくれて助かる」
「恐縮です。私はベクトーアに憎しみを持っています故、いくらでもやれます。『やれ』と言う言葉だけで十二分です」
言動の端々にも、狂気がにじみ出ている。
血のローレシアで家族を失ったことが、こういう性格を築き上げたらしいが、それ以外にも何かあるようにしか見えなかった。
感じるのは、ベクトーアに対する憎しみ。それも果てしなく深い憎しみだ。目を見ると、それがありありと見える。
「直に、乱世にも終わりが来よう。それまでは戦い続けるしかない。そうだろう?」
「そうですね。あなたの目も、それ故ですか?」
頷いた。だが、エミリオは表情一つ変えない。
「そうだ。乱世に終わりが来るそのためなら、私の片目ごときくれてやる」
「剛胆、ですな」
一瞬だけ、エミリオの表情が動いた気がした。
昼時だった。叢雲の中では、各自昼飯にありついている。ブラッドもまた、そんな一人だった。
もっとも、普段と違って、鋼とブラスカがセットだが。一応鋼をブラスカと監視するという名目で一緒に行動している。
一人でうろつかれて極秘資料のある所などに入られたらたまった物ではない上に産業スパイとして既にどこかが雇っている可能性もあるからだ。
「ここで美味い飯って何だ?」
鋼が唐突に口を開いた。少しだけ苛ついた口調だ。恐らく先程のレムとの喧嘩で疲れたのだろう。
あれを見たとき、ブラッドは面白い奴だと、鋼を見て心底思った。怪我の具合は大したことがなかったようだが、その怪我を圧してまで斬り合いの喧嘩、それも十六歳のガキ相手に本気になる奴があるかと、ブラッドは腹を抱えて笑いそうになった。
その瞬間に確信したのは、この男は凄くバカだということだった。
「色々と種類は有るぞ。ラーメンから日本食からファーストフードまで全部一通り物がある。ついでに美味い」
この船には信じがたいことに飲食街が存在する。いくら居住区が広いと言ってもこれはやり過ぎだろとブラッドは思っていたが、おかげで古今東西あらゆる食事が楽しめるので特に文句はない。
しかし、鋼とブラッドの会話はまるで成り立っていないことに、当のブラッド本人が気付くのにそう時間は掛からなかった。
「だから何が美味いんだよ?」
「せやな、ラーメンやろな、やっぱ」
ブラッドの代わりにブラスカが答えた。
「決めた。飯はラーメンにする」
問答無用に、鋼が言った。
「あっそ……っていいてぇけどよぉ……」
「あのおばんの所から買うのはほんま、やめた方が身のためやで……」
「どこにでもいる普通のババァだろ?」
「あ、バカ!」
ブラッドやブラスカの制止も聞かず鋼はラーメン店へ足を運ぶ。
「おばちゃん、ラーメンとチャーシューメン、両方大盛りで頼む」
意外に食うなと、ブラッドは思ったが、所詮こんな物かとも思った。
自分は相当の大食感らしい。昔レムにそう呆れられたことがある。夕食を食った後にラーメン屋をかれこれ五軒ほどハシゴしてそれぞれの店でチャーシュー麺と替え玉を一個ずつ頼んだことがあったが、別に胃袋はどうということもなかった。
それだけ食ったにもかかわらず、体重は維持できているし、筋肉も結構ある。それと体調管理も問題ない。
医学的に見てお前は異常だから解剖させてくれと、玲に冗談か本気かわからないことを言われたことがあった。
しかし、あれだけの物を頼む客を、あの店主は放っておかない。
確かに、あの店主の作るラーメンは美味い。
だが、もう五五にもなるのに若い男に手を出そうとするクセがある。危うくブラッドとブラスカもかつて毒牙に掛かりそうになった。
さすがに自分がいくら女好きでも、あれだけ年齢が行くと興味も失せる。抱いても衰えているような体には興味がないのだ。
遠目に覗くと、鋼の体をまじまじと見るやいなや、店主は体を触り始めた。
しかし、鋼はそれをすぐさま振り払うやいなや、逃げた。
なんか、その光景を見ると監視の任務など、どうでもよくなってきた。
「ブラスカ、飯食うか?」
「せやけど、さっきおのれ負けたやん。どちにせぇおのれの奢りやで」
そう言われると気が滅入る。
あんなバカみたいな麻雀するんじゃなかったと、今になってブラッドは後悔した。
「な、なんだ、あの婆は……?」
鋼は廊下の一角で喘いでいた。
全速力で逃げた。昨日よりも更に早かった気がする。
最初に体を触られた。最初から「ボディバランスがたまらない」などと言い出してきた地点でまずいと感じた。
その後言われたのが「付き合わない?」の一言だった。それも触りながら、である。
自分も男だ。中年、否、老境にさしかかった女性に触れられても嬉しくない。
「ど、どしたの、傭兵さん?」
「うっわー、顔真っ青……」
ルナとレムがいつの間にか自分の前に来ていて、交互に言った。
それを機に鋼はルナの肩を掴むやいなや「あの婆クビにしろよ、おい! こんな違った意味で怖い思いするのはかなりやなんだよ! 俺こん中であと一日過ごせッてか ストーキングされんぞ、俺!」と嘆願する。
これが自分の声かと思うほど、情けない声だった。
ルナは後に『あの時の彼は目が血走っていた』と述懐した。
「あ、ああ、あの人ね……。ま、あれは関わったあなたの方が悪いわね」
ルナが表情をひきつらせながら言った。呆れられているのが、目を見てすぐに分かった。
「でもあの婆さんのラーメン美味いよ? 特にチャーシュー麺はなかなか美味だし」
レムが言う。そう言われると余計に腹が減ってくる。案の定、腹が鳴った。
考えても見れば昨日からまるで食っていない。
「ちくしょー……まともなもんはねぇのか?」
「っていうか何が食いたいの?」
ルナは間髪入れずに鋼に聞き返した。
「なんでもいいからまともな店員のいる美味い物」
「在り来たりだわね」
お前に言われたくはないと言おうと思ったが、殴られる気がしたから言葉を飲んだ。
「そういえば、ブラッドとブラスカは?」
「あの二人なら俺を放ってすぐ自分の飯食いに行きやがった」
自分に付いていたのが監視のためだろうというのは分かっていた。しかし、付いてるんだったらあの状況助けてくれよとも思った。
「俺らは遠巻きに見ていただけだ。被害受けたくねぇから」
突然ブラッドが後ろからひょっこりと姿を現した。その瞬間、ブラッドに詰め寄り、涙ながらに「何で逃げんだよこん畜生……。俺がどうなってもいいってのか、おい……」と、異様に暗い声で言った。
顔を見ると、ブラッドが明らかに引いている。後に『目の下がくぼんでいてあの時は奴が老境に達したかと思った』とまでブラッドが語るほど、鋼の表情は疲れ切っていたという。
結局この後、ブラッドに牛丼を奢って貰ったが、食事一つに何故これ程疲れるのだろうと、鋼は箸を進めながら思った。
風が、少し強くなった。村正はそれを肌で感じる。
アシュレイ駐屯地から東に百キロ、そこにフェンリルはキャンプを設営した。仮設テントと少数のM.W.S.、そして補給物資のみの簡素なものだ。
配備されているM.W.S.はフェンリルの主力量産機『FM-068スコーピオン』が六機。
球体状のカメラアイが頭部の前面部ほぼ全てを埋め尽くしているというフェンリル独特の頭部形態以外は、外見的特徴は見受けられない。だが内部は、アフリカの気候に合わせた全天候対応型のモデルである。
しかし六機だ。自分の所持しているプロトタイプエイジス『XA-012紫電』を含め、更に増援として送られてくるM.W.S.二個小隊で計一三機。
それだけであの基地を攻めてレヴィナスを奪取せよと、ネット経由で命令が来た。
昨日鋼に刺された腹の傷はすぐに回復したものの、さすがに服装ばかりは変えざるを得ず、威厳も減った暮れもないTシャツを着ていた。黒のロングコートなど日を吸収して暑くなるだけだから着る気にもならない。
しかし、そんな彼を嘲笑うかのように仮設テントの中も日が照り返すため暑い。
どこにいても変わらないと感じた。
「村正様」
突然、彼の後ろに従者が来ていた。昨日もいた男だが、相も変わらず名前も知らない。日が当たり顔が見えても、どのくらいの年なのかはよく分からなかった。
「どう思う? 今回の作戦は?」
「正直、かなり厄介であることは明白です。レヴィナスの保管場所が何処かも、未だに分かっておりません」
「機密だからな、そう簡単にばらしたりはしないだろ。ところで、全軍の指揮権があのロックウォールに移ったというのは、本当か?」
「間違いありません。彼が全体の指揮を執ることで、あの軍勢は一気に精強になります。不思議な男です。いるだけで兵士の力が大いに増す。現代の豪傑と歌われるのも無理はないと、私は感じております」
「そんなの相手に、十三機でどうにかしろってか? 無理難題ふっかけてくるな」
村正は溜め息混じりに一度頭をかきむしる。
「俺としては、指令書に書いてあった十二機を囮にして接近するって事は、やりたかないんだが」
「しかし、それしかございますまい。もしくは、時を待ち両軍弱ったところを殲滅するが得策かと」
「後者は下策だな。時間だけで言うなら、正直ルーン・ブレイドに分がありすぎる。あいつらの利点は機動力だからな」
「でしたら、その策を取るしかございますまい。心苦しいでしょうが」
「場合によっては、兵の退路の確保、頼めるか?」
「お任せを。そういう無理に近いことにも応えるのが、従者としての私のつとめでございます」
そう言って頭を下げると、従者はいつの間にか消えた。
また名前を聞きそびれた。そう思いながら村正は、作戦指令書をもう一度見直した。
暗がりの部屋の中央に、三次元コンピューターグラフィックで展開されたアシュレイ駐屯地の地図が浮かび上がった。
五分前に偵察隊が持ち帰った物らしい。時刻は午後六時三〇分、作戦開始時間まで後三時間だ。
「今回の任務における最優先事項はあくまでもレヴィナスの奪取です」
ルナの言葉でようやく鋼はアシュレイでの警備の厳重さを理解した。確かにレヴィナスがあるとすればこれだけ多数の軍勢が攻め入るのも納得できる。
しかし、そんな物たかが一ファクターだ。傭兵にとってはクライアントの目指すことなどどうでもいい。ただ任務を遂行して金が貰えさえすればいいのだ。
「この三次元マップを見れば分かるように、警備は厳重。円周上に仕組まれたガトリング群とM.W.S.だけならまだしも、よりによってロックウォールは増援隊としてアイゼンウォーゲまで呼び寄せたようです。更にレヴィナスの強奪が目的だから、それを破壊しないためにも、この戦艦主力装備である七〇連多段頭ミサイルポットの発射も制限ととにかく不利です。今回の任務、相当苦労することになるのは明白かと」
相手にするのはプロトタイプエイジスが二機。それだけでもきついのにM.W.S.が更に五〇機以上。しかも空中戦艦の武装は使おうにも使えまいし、フェンリルも黙ってはいまい。
だからこそ、戦のし甲斐があると、鋼は考えていた。
「つまりゃぁ、今回はM.W.S.戦が全てを制する、ってわけか? 数足り無さすぎねぇか?」
「ご心配なく。アジア方面陸軍第六六M.W.S.中隊『ファフニール』に三次方向から侵入して陽動を演じてもらうことになってます。そして相手が踊らされているうちに、二個小隊にわけられたあたし達の部隊それぞれが六時と十二時方向から一気に中枢へ突入を駆けて挟撃する」
敵は例え陽動とわかっていても迎撃に出て行かざるを得なくなるわけだからそれだけ中枢の警備は薄くなる。
ほんのちょっと、薄くなればよい。それだけで十分だ。今回の戦いはレヴィナスの強奪さえ出来ればよいのだ。レヴィナスが無くなったアシュレイなどに用はない。ベクトーアのみならず全軍勢が興味を失う。
要するにベクトーアかフェンリルがレヴィナスを奪うか、或いは華狼が守りきるか。それが全てだ。
どうやら、鋼の心配など要らないらしい。この女は先まで見ている。
「せやけど、最後の最後が厄介やな」
ブラスカが口を挟む。
「ロックウォールかぁ。確かに厄介だよねぇ、あの機体は」
レムはコンソールデスクの前にいた。
「データ見せろ」
鋼がそう言うと、レムはコンピュータの中から機体のデータを発掘する。
『電脳くん二号ライブラリ、起動』
安直すぎる名前だと、鋼は心底思った。ネーミングセンスが悪すぎる。
「なんじゃいこれ?」
「私が開発したシステムの『電脳くん』。OSは当然専用。しかも三号まであるという完璧ぶり」
「で、こいつは何号だよ?」
「この子は二号。一号は私の部屋。三号はノーパソ」
レムはキーボードを動かしながら鋼の質問に答えた。
なんてことないように言うが、よくもまぁこれだけ巨大なシステムを築いたものだと、鋼は感心すると同時に呆れていた。
レムはライブラリの中から『XA-058』という項目を選んだ。その瞬間、巨大スクリーンに機体のコンピューターグラフィックが表示される。
『XA-058夜叉』、拠点防衛任務に適した機体だ。あのスパーテインの愛機でもある。
マスコミで宣伝のために何度も取り上げられていた。そのため、知っていたことは知っていたが、共闘や敵対はしたことがない。だから正確なスペックもよくわかっていなかった。
「これ倒せってわけ? あ~あ、めっちゃ骨折れるわ」
アリスは重いため息を吐いた。
「それもあるけど静止衛星レーザーもあります。武装はレーザーカノン四機。味方マーカー付いてないとそれだけで撃ってくるって代物。ま、そう言うときのためにゲイボルクだけど」
「ゲイボルク?」
「アリスの機体の肩に搭載されてるメガオーラカノンだ。確かにあいつの射程なら軽く撃破できるな」
ブラッドが口を挟んだ。
「破壊し終わった後に一気に接近。だからアリスは比較的重労働になるわ。チーム編成は六時方向から攻めるのはレム、ブラッド、ブラスカでよろしく。ブラッドがフォワード、レムはセンター、ブラスカはバックで。基地内突入後の行動は各個判断に任せます」
ルナの言葉に三人は頷いた。
「あたしを含めた残り三人は一二時方向から突撃。フォワードはあたしがやります。センターは鋼さん、バックはアリスで。以上」
「待った」
レムが突然話しかける。
「敵機最新鋭配備図の強奪はやらなくていいわけ?」
「まさか。レム、よろしく」
「はいよ~」
キーボードを叩く瞬間、レムは快楽に似た感覚に襲われる。自分自身が機械と一体化したかのようなこの感覚が、レムにはこの上なく快感だった。
キーボードの上で手を踊らせる。軍事基地のマザーコンピューターのホストを見つけ出し、そこから敵機配備図や所属兵装のデータを根こそぎ強奪する。
もちろん痕跡など一切残さない。何重にもホストを駆使することで経路判断を困難にする。しかも、相手に気付かれずに相手のホストコンピューターに侵入することなど、レムには造作もないことだった。
アシュレイ駐屯地のマザーコンピューターを発見するのにも、そう大して時間は掛からなかった。念のため本物かどうかをこれまた彼女の作り出したソフト『簡単確認くん』でチェックする。
ポンと一つ音が鳴る。本物だ。
このネーミングセンスのなさは何とかならないのかとよく言われるが、どうもそこらのセンスだけは全く分からなかった。
おかげで友人からはよく「色んな意味でずれてる」と言われることがある。
「みっけ。プロテクト……解除。クライアント権限でログオン、と。パスワードは……三重か、でも、柔い!」
そう言うやいなや、レムは一気に指を走らせ、偽装パスコードを入力し、三重のプロテクトを破った。『アクセス、許可します』と音声ガイダンスが告げた。
ちらりと後ろを覗くと、鋼が一つ感心した風に口笛を吹いた。
どーだ、参ったか。
レムはふと鼻が高くなった気がした。
すぐさま情報がライブラリの中にダウンロードされていく。数秒で全ての項目のダウンロードが完了した。そしてその瞬間に通信をカットする。
逆探知をされた様子はない。ウィルスが仕掛けられた偽ファイルであると言うこともないようだ。
レムは思いっきりガッツポーズをする。
「よっしゃ、完璧! まぁ私に破れないプロテクトなんかこの世には存在しないんだけどさ! おお、神よ、私やばすぎ?!」
完璧だ。それがまた嬉しい。
そしていつの間にか、高笑いをしていた。
レムの高笑いが作戦会議室に響き渡る様子を見て、鋼は考えを変えた。
やっぱし、こいつはバカだ……。
一度は感心した。確かに仕事は凄い。しかし、鼻に持ちすぎる感がある。
その瞬間に思ったのだ。何故こいつがこんなにむかつくのか。
ああそうか。こいつは、昔の俺だからか。
考えてもみれば、あれくらいの年齢の時は、あんな様子だった気もする。紅神という巨大な力を貰ってしまった故だったのかもしれない。
「よし、総員準備開始。これより警戒態勢をA2へ引き上げる」
ロニキスの声で、ようやく我に返った。
この艦長とは、司令室に入る前に一度話しただけだ。一見老けて見えるが、目の奥には巨大な炎が燃え広がっている。戦を生業とする人間の目だった。
「作戦コード『MOON BASE』。作戦開始時は二一三〇だ。以上、解散!」
ロニキスの声が響き渡ると同時に、全員が一斉に敬礼をして解散した。
それから三時間近く、鋼は整備をしていた。レストアを施した左腕は、問題なく動くようだ。
それに、全体的な駆動が少し良くなった印象がある。
この技術スタッフはなかなかの物だと、鋼も認めざるを得なかった。
そして全ての準備が終了すると、コクピットで待機した。一瞬だけ、このコクピットは暗くなる。その瞬間が、溜まらなく長い。
相も変わらずの、血の色に近い赤い耐Gスーツに身を包んでいると、一瞬闇に同化したかのような感触に何故か襲われた。
モニターに光が灯ると、その感触は急になくなる。
横のモニターには、追加武装として『MG-65』四五ミリマシンガンが握っている紅神の腕が映っている。小振りながらかなりの威力を秘めるベクトーアの優秀なM.W.S.用短機関銃だ。
だが、鋼としてはどうも嬉しくない。横にいる空破の保持している武装が特注品だからだ。
『AR-68』四〇ミリアサルトライフルをベースにした銃だ。『CAR-No.01「ゲイルレズ」』というらしい。『槍を持つ者』の意味を持つ巨人の名を借りた『Customized Assult Rifle』、だからこの名前なのだそうだ。
ルナが割と先程自慢げに語っていたのが腹立たしい。
『どう、緊張してる?』
そんなルナから通信が入った。彼女はベクトーアの共通耐Gスーツに身を包んでいた。その姿は普段よりも勇ましく見えた。
「んなわきゃねぇだろ」
鋼は苦笑しながら言うが、ルナの表情は少し暗かった。
『今回の任務の相方はクレイモアが一二機いるけど……どうだか……』
さすがにプロトタイプ二機、いや三機を相手にするにはあまりにも戦力が不足していると考えているのだろう。
だが、鋼にとってはそんなことどうでも良かった。要するに彼らは囮であり、自分にとって任務が成功し金さえ貰えればいいのだ。
無用な感情は任務の邪魔になる。
「別にんなもん知ったこっちゃねぇよ」
傭兵は金で動く。故に真の仲間など存在しない。だからこんな回答になる。
『あの、一つ、相談があるんだけど』
「ンだよ?」
『あなた、うちに入る気ない?』
この言葉にはさすがの鋼も目が飛び出そうになった。傭兵であることをやめ、軍の犬になれと言うのか。
「あぁ? てめぇらの傘下になれってか?」
『傘下って言うんじゃなくて……その、仲間として、あなたを迎え入れたいの。考えてくれないかしら? 入るんだったら給料結構弾むし、それに何より一人でやるよりも遙かに多くの情報を仕入れることが出来るわよ、うちらの部隊ならね』
どことなく金をちらつかせて踊らせるあたりが彼女らしい。
彼女としてはこれだけの戦闘能力を誇る人物を自分の手元から離したくないのだろう。敵に回ろう物なら厄介なことこの上ないし、何よりプロトタイプが自分達の軍に一機手に入るのは相当大きい。士気の向上や戦力から見てもだ。あらゆる意味でプラスになる。
しかし自分がそんな簡単にOKを出してくるはずがないことも彼女は分かっているらしい。それが彼女の利口なところだ。
しかし、鋼としては悪くないと思い始めた。確かにこの部隊の情報収集能力は群を抜いている。
今までもいくつかこの手のオファーがあったが、フェンリルは機密主義のため情報網がそんなに入ってくることはない故却下。華狼は前に玲ことジェイスと共にいたことがあったが、どうも軍部が堅い雰囲気だからか好きになれない。
で、今回のベクトーア、それもルーン・ブレイドからのオファーだ。さすがにこれほどオープンになっているのだったら行けるかも知れないと鋼の中で何かが囁いた。
奴の情報が手にはいるのだったらいても悪くはない。しかし、即答するのも気が引けた。
だからただ「考えといてやる」とだけ言った。
「で、一つ質問。いざというとき計算外の勢力が現れた場合は?」
少し、話題を変えた。正直、ああ言われた瞬間から、不思議と妙な焦燥感に駆られている。こんな感情は初めてだった。
『中身に寄るけどそれも一緒に破壊。アイオーンとかだったらなおさらよ』
「了解。ところで報酬の上乗せは?」
『そんなものあるわけないでしょ? あなたは結構高い値で雇ってるンだから、それくらい我慢するの』
少しルナがむくれた。どこか子供っぽい、年相応の仕草だった。
「ち、わーったよ」
わかんねぇ奴だと、鋼は思った。ルナは本当に表情がコロコロ変わる。正直見てて飽きない。
『……ねぇ、やっぱり名前、教えてくれない? 会ってから一日も経って、その上昨日の夜あれだけ助けて貰ったのに、名前知らないなんて、なんだか少し嫌なの』
そしてこういう時に浮かべる憂えた表情は、時にはっとするほど美しく、脆い華のような印象を受ける。
いつ何時最後の出撃になるかわからない。戦場において命は誰の物だろうと等価だ。それはナノインジェクション実験の生き残りだろうが、先天性コンダクターであろうが。特別な存在など所詮付加価値の一つでしかなくなる。
だからこそ、自分の胸にしっかりと刻んでおきたいと考えるのだろう。
そして、鋼が口を開こうとしたまさにその時だった。
『各員に次ぐ。警戒態勢をSレベルに移行。これより戦闘態勢に入る。戦闘における各員の逸走の努力に期待する。以上』
ロニキスからの通達だった。
おかげで会話が途切れた。
『あの……』
「後で教えてやる」
いつの間にか、そんな言葉が口から出ていた。
ルナが微笑み、礼を言った。
その時、鋼の心が、熱く燃えた気がした。
この感情は、なんだ。俺は、何を思っている? 何故、俺はあんなことを言ったんだ? こいつは、なんなんだ。
ルナの笑顔には、不思議な魅力がある。まるで何かに包まれるような、そんな魅力だ。何故か、心が安らぐのだ。
これをカリスマというのだろうかと、鋼はぼんやりと考えた。
『レイディバイダー、持ち場について下さい』
オペレーターの声で、鋼は我に返った。
紅神の横にいたレイディバイダーはすぐさま起動し赤色灯に導かれながら出撃用の第六ハッチへと向かう。
『アリス、気を付けて』
ルナの言葉に対し、アリスは無言でレイディバイダーをハッチの開放と同時にブースターを吹かして甲板へと向かわせた。
これが彼女なりのやり方なのだろう。
ホントに、面白れぇ奴が多い。
鋼には、ルーン・ブレイドはそう思えた。
不適な風が吹いている。スパーテインは、慌ただしく出撃の準備を整えるアシュレイ駐屯地のデッキで、それを感じた。
夜叉をじっと見つめる。
グレーのボディはまさに『岩』といった雰囲気だ。更にそれを助長させるかのような重装甲。
岩を叩ききれる自信すら失せてくるとまで言わしめたこれと、防御システム『オーラリフレクトバインダー』の存在がまさに『壁』となっており、だから彼には『ロックウォール』の異名が付けられた。
しかし、それ以上に興味深いのが夜叉の頭部ユニットだ。
夜叉は発掘当時、頭部センサーの一部が損壊していたため顔半分に代理品であるKL製の高感度センサーユニットが取り付けられていた。それがまさしく今のスパーテイン自身と被っている。
片目を失った自分と片方の顔を失った愛機、これ程因果なことがあるのだろうかと言わんばかりだ。
「私も、お前と同じ人生を歩んだか……」
彼は愛機をじっと見つめる。
だがその瞬間、表情は怒りに変わる。
「夜叉よ、私に力を示せ。この借りを返すために!」
「少佐、出撃準備、全て整いました。いつでも行けます」
史栄が近づいてきて、言った。史栄はゴブリンを使うのを好むが、中身はかなりのチューンナップを施してある。外見だけで侮ると痛い目を見るのが史栄の特色でもあった。
「史栄、お前はどう見る?」
「はっ。僭越ながら申し上げます。レヴィナスを、別の施設へ移送するべきです。この戦闘の真っ直中に」
「いいところを突くな、史栄。私もそれを考えた。だが、どうもこの戦そのものがきな臭い。誰かに、これ自体を仕組まれたような気がしてならぬ」
「確かに、張り詰めた別の何かを感じます。しかし、それほど気にすることではないのでは?」
「だといいがな……」
自分だったらどうするか、スパーテインは考え始めた。
まずレヴィナスは移送する。しかし、発見されればそれまでだ。となってくると、基地の何処かしらに封印することが正しい。幸いにしてそれは行われているようだ。自分にも何処に隠してあるかは伝わっていない。恐らく知っているのは今幽閉しているあの基地司令だけだろう。
しかし、何処に隠すか。あの性格からすれば自分で持っていることも考えられるが、同時にあれはたった数グラムで桁外れのエネルギーをはじき出す。そんな危険なものと同居するとは考えにくい。
ともなれば、未だこの基地の何処かにある。それもそう簡単に破られる心配のないところ。レヴィナスの奪取が目的なら空爆は行わない。となってくれば、安全なのは地下だ。
地下で、侵略されにくい場所。
その瞬間、スパーテインの顔が強ばった。
まさか、地下にある発電施設。そこに隠したとすれば……。
「史栄、ドルーキン殿の兵に伝令。地下の発電施設を調べろと、そう言え」
「承知」
史栄が直接駆けていく。割と近くにいるようだ。
自分の考えたことが、考えすぎでなければよいのだが。だが、戦という物は常に最悪の事態を考えて動かねば兵が犠牲になる。
自分の仮説が正しければ、この基地の自爆コードがセットされようものなら、半径数キロのクレーターが出来る。
それだけは、なんとしても避けねばならない。
だが、まずは戦だ。
整備デッキに、けたたましいM.W.S.の起動音が響き始める。
それが、急に自分の闘争心をかき立てた。
作戦開始まであと一分となったところで、カウントダウンが始まった。
待機していた各機もカタパルトエリアへと向かい始めた頃だろう。
作戦開始時間と同時にレイディバイダーがゲイボルクを射出し軌道上の衛星を破壊、その後アリスは出撃と結構なハードワークが待っていた。
だが、一にも二にもまずは目の前の仕事を片付ける。それを行わない限り何も始まらない。
アリスはレイディバイダー頭部にセットされているスコープをおろした。それによりコクピット内部のモニターが変化し、一気にズームが掛かった。
一度、呼吸を整えた。空中戦艦の上といえど、衛星軌道上までかなりの距離がある。気力を使った武器でそれを狙撃するのは、異様なまでの神経と気を消耗するからだ。
アリスは正面のコンソールパネルでゲイボルクを選ぶ。レイディバイダーの肩に、長大なカノン砲がセットされた。その銃身はモニター越しにすら見える。
「ゲイボルク、セット確認」
『ターゲットは?』
「もうとっくに見えてる。ブリッジ、誤差修正タイミング、そっちに任せるわ。あたしはあいつを破壊する」
『了解。コンマ誤差、修正します。上半身が少し揺れますが、我慢してください』
オペレーターがそう言うと、確かに少しだけ、機体が揺れた。
最大望遠にすると、かすかだが、光が見えた。人工衛星がいる。
唇を舐めると、アリスは、左目を閉じ、右目に神経を集中させた。
直後、瞬時にレイディバイダーの装甲に仕掛けられている冷却口が解放され、ゲイボルクの銃口に光が灯り始める。
体から一気に力が吸い取られるような感じだ。それも桁外れの早さで、だ。IDSSの波紋が、まるで石を投げ込んだ水面のように広がっている。
作戦開始までの時間数値が、徐々に減っていく。
汗が頬を滴り落ちたが、そんな物は無視した。目が少しだけ霞むが、大したことはない。
既に、捕らえた。
行ってこい。
そう言った瞬間、カウントが〇となり、ゲイボルクが照射された。
槍の名に恥じぬ青き光の柱が夜空を照らし、天高く飛んで行く。
照射を終えたとき、息が上がっていた。レイディバイダーも、動くことが出来ない。冷却に四十秒、この時間が、アリスには無限に感じられた。
この機体に乗り始めて早二年、この武装の使用だけはどうしても慣れない。
『静止衛星、爆参を確認。作戦、開始します』
そう言われた瞬間、レイディバイダーの冷却が終わり、アリスは呼吸を整え、通信を入れた。
『こちら「魔弾の射手」、冷却完了。これより、作戦行動を再開する』
なかなか派手にやった。鋼はアリスを見てそう思った。
ならこっちも派手に暴れてみようじゃねぇか。なぁ、相棒。
紅神に鋼は心の中で語りかける。それに呼応するように、IDSSの波紋が広がる。
リニアカタパルトフィールドに移送されると、すぐにハッチが開いた。月光が、出口に差している。
考えてもみれば、昨日もこんな月だった。だが、不思議と昨日より不吉な印象はない。
『XA-006、スタンバイ完了』
『カタパルトエリアオールグリーン』
『視界、進路、オールクリア。システムノーマル』
床に電撃が迸り、紅神が浮いた。
そして、信号は赤色から緑色へと変わる。
鋼はその瞬間、ペダルを一気に踏んだ。
「XA-006、出るぜ!」
ブースターが雄叫びのように咆吼を挙げ、一五〇メートルの長いカタパルトを突き抜ける。
体に強烈なGが襲う。
こうして赤い弾丸は戦闘領域へと疾走した。
『XA-022、スタンバイ、完了』
『視界進路、その他オールグリーン』
ルナは瞳を一瞬閉じ、精神を集中させた。
カタパルトエリアの中に入ると、また時間の流れが遅く感じる。
しかし、出撃の時は来るのだ。
瞳を開ける。カウントが始まっている。
なら、行くまでだ。
信号が、緑へと変わった。
「ルナ・ホーヒュニング、空破、行きます!」
叫び、一気に空破を加速させた。
珍しく、レムはカタパルトエリアで悶々としていた。
アイオーンの戦闘能力をすべて記憶している。
セラフィムと名乗ったその存在は、確かにレムにそう言ったのだ。
ホントにそんなこと可能なのかな?
頭に疑問符が浮かんでは消した。
今更気にするんじゃない、レミニセンス・c・ホーヒュニング。
自分にそう言い聞かせていくとなんだか自分でもすっきりしてきた。
逐一深く考えていたら変になるからやめとこう。
レムはそう言う結論に達した。
『レム、どしたよ? 今日は不安か?』
ナビゲーターの浩司は訪ねる。
だがレムはそれを軽くはぐらかした。
「だいじょーぶ、だいじょーぶ」
『ま、いい。ホーリーマザー、カタパルトエリアへ』
『BA-09-S-RCホーリーマザー』、ベクトーア機械開発部第九課が三機開発した高機動空中戦闘能力重視機『BA-09-S』をベースにレムがOS、並びにブースターをチューンナップしたカスタマイズバージョンでBA-09-S三号機だ。
マニピュレーターに握られている武装はBA-09-S用に開発された『T-09特殊銃剣「ブレードライフル」』。オーラシューターとオーラブレード双方の機能を併せ持つ武装、それが二丁。
まさしく彼女が普段装備している双剣と同様のスタイルだ。
メットのバイザーを閉じる。
背部の大型ブーストユニットが展開した。
それと同時にシグナルは緑色へと変化する。
「レミニセンス・c・ホーヒュニング、ホーリーマザー、出る!」
レムはフットペダルを踏み込みホーリーマザーを一気に空へと吸い込まれんばかりに飛び出させた。
空を見る。また、つかめそうもない月が広がっていた。
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出撃準備、そして出撃