気温はうっすらと汗ばむ程でしかないが、まだ苛烈な日差しは健在である。もうじきに初秋を迎えるのだが、夏に名残惜しさを感じる艦娘達は、ここぞとばかりに屋外に繰りだしている。黒潮もクーラーボックスやらビーチパラソルやらの大荷物を抱えて、雪風とともに今朝から鎮守府近海の掃海艦に乗り込んでいる。
掃海艦自体は副司令が演習の監督のために出しているもので、演習の記録や通信管制を行う。また、演習海域を含めた近海の哨戒を行っている艦娘達の司令部機能も兼ねている。特に特別な設備が必要なわけではないため、深海棲艦の出現後、あまり出番のない軍の小型艦艇にとっても貴重な外洋に出る機会となっている。出港直前にまるでバカンスに行く様な格好で乗り込んできた黒潮と雪風に、乗組員はぎょっとしたが、副司令の許可が下りた——そのことにさらに唖然としたわけだが——ため、荷物の積み込みを手伝い、予定時刻には出港した。
二人は演習監督補助の名目で許可証を持っている。といっても、艤装から通信設備をだけ持ってきているだけで、夏の最後を楽しむ気が満々なのは、誰の目にも明らかであった。
掃海艦が湾内を抜け、外洋へ出ると、二人は船の前方に陣取り、荷物を広げ、ビーチベッドを設置し、パラソルを広げる。一応、陸から見えなくなるまでは配慮している辺り、副司令の事前注意は心得ている。セパレートの水着にホットパンツ、それにサングラスと麦わら帽子を完備した黒潮は、やはり水着の上にパーカーを羽織っただけの雪風とともにビーチベッドに身を投げた。
事前に天気図でも確認していた通り、今日は穏やかな空と海である。朝が早かったため少し仮眠をとっている間、掃海艇は青い水平線を軽快に進む。
「はぁ〜、たまにはこう、のんびりと過ごすのもええなぁ」
黒潮は麦わら帽子のつばを押し上げた。
「そうですねぇ」
雪風が出発後二本目の空になったラムネの瓶を傍らに置いて、立ち上がる。もう演習海域は目と鼻の先だ。
「自分で航行しなくていいのは、なんとなくまだ慣れませんけど」
「おかげ様でこうしてゴロゴロしながら、演習場まで来れるんやから感謝感謝や。まぁ、今頃汗水垂らしながら訓練しとる陽炎達には悪いがなぁ」
「そうですねぇ。順番順番、といっても特に陽炎は最近また忙しいですし。あ、見えました」
雪風が前方を指差すと、黒潮は、お、と言って、むくりと起き上がって双眼鏡を覗き込んだ。まばらな人影が、波の穏やかな海面に立っているのを視認すると、副司令に、見えたで、と声をかける。そしてまたビーチベッドにゴロンと横たわる。
「偏りすぎなんやな。仕事できる人間に仕事集まるっちゅうのはホンマなんやなぁ」
「事務仕事は、特にそうですよね」
「うちらは戦うてなんぼなのになぁ。本末転倒もええところやわ」
黒潮が手を伸ばした。雪風が氷の浮いたクーラーボックスからラムネを取り出して、タオルで水滴を吹いてから手渡す。
「まぁ、陽炎と不知火とあと浜風が頑張って秘書艦してくれてたら、うちらは楽できて助かるから、ええけどな」
『わざわざ通信開いた状態であてつけがましいわね!』
通信機を介して返事が飛んできた。
「いやいや、陽炎には大いに感謝しとるんやで、これでも。なぁ、雪」
「はい。雪風、煩わしさを低減していただいて感謝感激です」
『ったく何が感謝よ……。もう、この通信切るわよ!』
「ええで。ほな、飯まで気張り。今日の昼食は豪勢やからな」
黒潮は通信機のスイッチを操作してから、傍らに置いた。
「はぁ、わざわざ労いのためにこうして応援しにきてるのに、人の気持ちのわからん一番艦やわぁ」
「今のはちょっとわざとらしかったですかね」
「まぁ、ええやろ。ギャラリーがいた方が盛り上がるしな」
そう言って黒潮は豪快に笑い声を上げ、雪風もまぶしいほどの笑顔を見せる。
ひとしきり笑った後、黒潮は麦わら帽子を目深にかぶり直した。
「なぁ、雪」
先ほどの浮かれた声と違い、低く小さく、黒潮がつぶやいた。雪風も自然と声を落とす。
「何でしょう?」
「あんた、うちのしょうもない姉達についてどう思う? うちも含めて、な」
「どう思う、とは? 雪風はみんな大好きですけど……?」
「いやなぁ、家族、ってなんなんやろなって」
「それは……、雪風にはわかりません」
「そう、それがうちらの宿命なのかもしれんな。この世界に突然生まれ落ちた、その時には既にこの姿やし。何の縁もないこの世界で、司令はんが旗振ってるところに寄り合って生きてる姿は、端から見たらどう映るんやろな」
「今日は随分珍しいことを口にしますね」
雪風は明言を避けた。今まで黒潮の言った様な自分達の境遇を考えたことはなかった。そもそも、この鎮守府を外から眺めたこともないので、想像でしか答えられないのだが。
雪風は急に、海原にひとりぼっちで立っていた時を思い出した。明らかに海戦のまっただ中。ただただ不安に襲われたあの時。幸いなことに、すぐに陽炎達に巡り合ったことがどれだけ幸運だったか。
「確かに、そう言われてみたら、考えないわけではないですけど。ちょっと、うまく言葉にはなりません」
「何だか、あんたに訊いてみたかったんや。堪忍な」
「それは、雪風、だからでしょうか?」
「それもあるけど、まぁ、こんな風に暇な時とかにそれとなく訊いたり、な。別に誰にともなくやから」
「そうですか」
雪風は頷いた。何となく黒潮も、悩んでいる、或いは迷っているような事柄なのだろうと察しがついた。
「黒潮はどう思ってます?」
「うちが思うんはな、まぁ家族みたいなもんなんやろうなぁ。少し人数が多すぎるけど」
「結論が出てるじゃないですか……」
自分の勘が外れたことに、雪風は唇を尖らせた。黒潮がニヤニヤしながら、雪風の不満顔を見上げる。
「そや、うちはもう大分昔にそう決めた。この何もない海の上で、初めて陽炎の顔を見た時に、ああ、陽炎姉ちゃんや、って思ったしな。今思えば、そんな前のことでもないんやけど、なんだか懐かしい気がするわ」
「それでしたら、雪風も同じですよ。そういえば、真っ先に顔を見せにきてくれたのが陽炎でした」
「あれは、うちら以上に固執しとるからなぁ。陽炎型の名に、な」
黒潮が目を細めた。いつもは割と飄々としていて、感情をあまり周囲に感じさせない彼女には珍しく、愛おしさや慈しみといったものが感じられる微笑み。ほんの一瞬だけのその微笑みを、果たして仲が良いとはいえどれだけの娘が見たことがあるだろうか。雪風は類い稀な瞬間を目にしたことを誇らしく思い、やはりつられて微笑みを浮かべている自分にも気がついた。
「あと引きがいい。姉妹艦が見つかる時には、いっつも近くにいる」
「それはありますね。長姉の面目躍如というやつですね。陽炎の想いが皆に届いているんでしょうか」
「どちらかというと、神様に、かもしれんな」
「ああ、そうですね」
雪風の満面の笑みを見て、黒潮がまた麦わら帽子のつばを押し上げた。
「よっしゃ。整理ついたみたいやから、もう一度聞くで。雪風は、うちのしょうもない姉妹のこと、どう思うとる?」
「大好きな家族、ですね!」
胸を張ってはっきりと答えた声に、黒潮はニコニコと笑顔で応えた。
「うちもおんなじや。じゃあ、陽炎は」
「大好きなお姉ちゃんですね!」
「おお、はっきり言うたなぁ」
黒潮は立ち上がって、舳先まで歩いていく。演習参加の艦娘達が集まっている。いつの間にか、皆の顔がはっきりと見えるくらいまで近づいていたのだ。だが、居並んだ艦娘達は何故か誰もが、ニコニコと、或いはニヤニヤとしている。一人うずくまるようにして頭を抑えているのは陽炎。耳までまっ赤になっているのがわかった。不知火と舞風がそれを微笑ましく見ている。
(あれ、何か様子が……?)
雪風が漠然と疑問を持った時、黒潮がいたずらっぽく微笑んだ。
「ああ、そうや、雪に謝っておかんとな」
「え? 何ですか? 謝るって……。え?」
「通信、生きとったんや」
「え?」
黒潮の言葉が、雪風の耳を素通りしていく。
「今までの会話、全部陽炎と不知火と舞風と、一緒に訓練しとる皆に筒抜けやったんや。いやぁ、思った以上に気づかんもんやなぁ」
「え!? え……。だって、黒潮、通信切るって。スイッチを切って……」
「通信切る言うたんは陽炎やけどな。うちはただ通信機の、スピーカーを切って、置いただけやで。丁寧に説明すると、こちら側のマイクは生きとって、スピーカー切ってるので、向こうの声は聞こえへんかったわけや」
雪風が凍り付いた笑顔で辺りを見渡すと、白露と子日が目を輝かせ、那珂と由良が満面の笑みで手を振り、満潮が憐れみの目で雪風を見ている。時雨はいつものように微笑みを向けているが、少し困った風にも見えなくもない。
不知火と舞風に促されて、ようやく陽炎がまっ赤な顔を上げた。雪風と目が合うと、二人は鏡合わせのように、のろのろと手を振り合った。
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演習海域に向かう黒潮と雪風の会話。演習前のほっこり案件を目指しました。