10話 章人(7)
章人は、墨俣への築城について木下秀吉に色々と聞くことにした。そのため、帰蝶に昼飯としておにぎりを5個つくらせた。もちろんその程度は自分でやりたかったのだが、帰蝶は頑として台所を使わせることを許さなかった。
「お昼くらい外で食べたら? 三食私の料理を食べるよりそのほうが気分転換になるんじゃない?」
この時代において、一日に三食を食べるというのは考えられないことだったのだが、章人はそれをはやらせたのだ。そのほうが動けるようになる、そう言って。
実際、兵もそのほうが動きは良くなった。栄養が増えるのだから当然の成り行きである。
「ここは港も近いから新鮮な海の魚も川魚も色々と入ってくる。手に入る中で最上のものは全てここ、つまり殿様のところへ入ってくるのだからここの料理が一番美味しい。それに、結菜は料理の基本をしっかり抑えている。城下の料理人では相手にならんよ」
「ありがとう……。一つ聞いてもいい?」
「どうぞ」
「久遠がぶつかってる壁。それをどうするか、章人なら何か知っているんじゃないかと思って……」
「ああ。それに関して私たちは何もすべきじゃない」
「え?」
「もちろん、私たちが助言をして久遠が壁を乗り越えたり、壊したりする手助けをすることはできる。しかし、それでは駄目だ。自力でやることが重要なのだ。もう子供じゃない。一国一城の主だ。私たちにできることは自分のやることをきちんとやる。それに尽きる」
目の前の壁1枚のことを考えれば、それは助けたほうが良い。しかし、将来また壁にぶつかった時、助けてくれる人が居ない可能性を考えれば、本人のためにならない。間違いなく、その壁は前の壁より大きいのだから。
「一国一城の主。だから久遠は章人に位を譲る、なんて言い出したんじゃないの?」
「あれは久遠の甘えだろう。『自分より仕事できるから君主譲ります』なんて馬鹿な話はない。壬月や麦穂には言わなかったのだから明らかだ」
「それは……。“子供じゃない”って今言ったけど、子供と大人の違いって何なの?」
「色々と考え方、見方はあるだろう。誰もが理解できる一般的な尺度としてあげられるのは間違いなく“年齢”だ。ただ、それではあまりにつまらないから私の考えを話そう。それは“期待”と“責任”だ。
たとえば子供は、歩けるようになれば、走れるようになればそれだけで褒められる。しかし、年齢を重ねればそれは当然のこととしか認識されない。あるいは包丁で野菜を切る。文章が読める。子供ならば褒められるだろうし、威張る材料になるかもしれないが、そんなもの大人になればできて当然のこととしか考えられない。その基準は何が違うのか、それは期待だ。人間というのは貪欲なもので、1つできればそれで良しとはせず、次のことができることを期待するのだ。そして、行動には常に責任がつきまとう。幼い子ならば『次からは気をつけて』で終わることがそうもいかなくなる。
『武家の子供は料理などしない』と屁理屈をこねるなよ」
「そこまで馬鹿でもないけど……。なら、久遠が“一国一城の主”になったのは“仕方の無い”ことなの?」
「ご名答。子は親を選べない。“生まれたのだから仕方ない”と割り切るしかないのだ。それに、さっさと出家せずに跡継ぎになったのだから、“時既に遅し”だよ」
誰かが聞いたら『罰当たり』と言われそうだな、と思った章人だったが、事実なのだから仕方ないと割り切ることにした。無論、帰蝶ならばこの近代的価値観も理解するだろう、という前提のもとで話してはいた。
「さて、行ってくる。夜、いつもより遅くなるかもしれないがよろしく頼む」
「何かあるの?」
「夜に話すよ。では」
木下秀吉から、いかにして墨俣築城の話を上手く聞き出し、協力を得るか、それを改めて考えながらいつもの仕事部屋へと向かう章人だった。
章人はいつも通り、木下秀吉と会って色々と話しながら書類を片付ける。終わる頃には城の文官が陳情で並び始めるが、それも昼前には全て終わる。ここまでは毎日変わらないいつものこと。木下秀吉も、いつも通り書類の片付けを手伝い、陳情の裁き方を見ていた。書類はかなり慣れてきたが、陳情の裁きは毎日見ていても追いつける気はしなかった。どうしてこれほど上手に“着地点”・“妥協点”をみつけて納得させることができるのか、全くわからないのだ。それに加えて数日前には、「うつけと噂していて申し訳なかった」だとか「佞臣、などと陰口をたたいてしまって申し訳ない」などと謝罪をする者もいたりと、不思議で仕方なかった。章人はその全てを「誤解が解けたなら何より」などと言って笑って許している。それもあって、城の文官でここに来て章人に助言を貰おうとしない人物は誰も居ない、という確信さえあった。
「さて、食事をしながら少し話をしたいのだけど、いいかな?」
「はい! 何を食べますか?」
「結菜に言っておにぎりを作らせたからそれを食べよう。漬け物もあるしね。それに、井戸の水は美味しい」
「結菜様の手作り!? 私が食べるなんてできません!! 私がよく行く店に連れて行きますから、そこでお願いします……」
「ひよと食べる」と言って帰蝶が了承して作ったのだからそこまで気にする必要はないと思ったのだが、それでも細かい意識まで劇的に変えるのは難しいため、素直に案内に従った章人であった。
そうして2人が来たのは“一発屋”という店であった。章人は敢えてこれまで行かなかった店であった。2人が頼んだのは定番の焼き魚定食。
「ヤマメか」
「そうですね! 珍しいですか?」
「とても美味しい魚だよ。川魚の中では釣るのがかなり難しい魚でもある。何度か釣りに行ったけど、尺ものが釣れたときは嬉しかったな」
章人はルアー・フライはもちろん、基本的なミャク釣りもやっていた。釣りでは“下手の長竿”を無視してやたら長い竿で尺ヤマメを釣ったことのリベンジをやりたかったのだが、物理的な時間がなかなかとれないまま今に至るのだった。
「あの……美味しくないですか?」
「そんなことはないんだけどね……。“あごだし”使ってるだけなのになんだかなあ、と思っただけだよ」
釈然としない顔で食べている章人が気になり、木下秀吉はそう尋ねた。章人からは、これらの料理は腕をあごだしで誤魔化しているように見えたのだった。千砂はもちろん、帰蝶も純粋に自分の腕がいいから美味しいものをつくれるのだが、ここはそうではない、ということである。
「あごだし?」
木下秀吉にとってその言葉は初めて聞くものだった。しかし、それに対する説明をする前に、ここの店主が姿を現した。
「おい、お前は商売敵か? 若造が俺の料理に文句つけようなんざ100年早いんだよ!」
「いや。気を悪くしたようですまない。邪魔したね。行くよ」
章人はそう言うと小粒金を一粒、店主の前に指で弾くと、ひよを連れて店を出た。
「ああいう手合いは相手にしないのが一番。大して美味しくもない大衆料理の店主、いわゆる“頑固親父”に多いのだけど、あそこもとは、残念だ」
章人の知るそういった店の大半はラーメンや中華料理などの店に多かった。会話を禁止したり「美味しかった」などと言うと「当たり前だ」といって怒るような店である。章人の感覚では『論外』である。なお、そういう店は“狂信者”と言って差し支えないような客がいて熱狂的に支持しているために経営が成り立っているのだった。
「ごめんなさい……。“あごだし”って何なんですか?」
「“トビウオ”という魚を聞いたことはあるかな? はっきり言って食べてそこまで美味しい魚ではないんだけど、煮干しにすると面白い出汁がとれるんだ。あの店では出汁に加えて煮干しを粉状にして色々と使っているようだね」
「高級魚ですよ……。煮干しにするなんて勿体ない……。早坂殿から見て“美味しい魚”というと何ですか?」
「一番好きなのは鮃かな。あとは鯛、鮪、鱧。河豚も美味しいけどあの魚の真価はやはり“白子”にある。別格に美味い。もちろん、他にも色々あるし、調理法によっても味は変わる。鮃に関しては身も美味しいけれど縁側が素晴らしい。とはいえ、今は時期じゃないから大して美味しくないだろうな」
木下秀吉の中では、鮃、鯛、鱧、河豚、全て高級魚である。食べたことはもちろんなく、名前を聞いたことがある、程度だった。鮪は大衆魚だが、醤油につけられたあの魚の何が美味しいのかよくわからなかった。
「え……。“今は時期じゃない”って、いつが旬なんですか?」
「鮃は冬だね。今は星鰈かなあ。夏場は珍重される魚だ。ただ、鮃より出回らない」
「鰈を干したものがそんなに有名なんですか?」
「それは干した鰈。私が言っているのは星のような印のついた鰈。別物。たぶん、漁師がこっそり食べて終わっちゃうと思う」
星鰈、章人の語るそれは高級料亭や高級寿司店が意地と誇りにかけて確保する魚である。
「まあでも、この時期のこの場所のこれ、というものもあるし、好みは人それぞれだし、食べてみて美味しいかどうかだろうね。それに、調理する人が下手だとどんな魚でもまずくなる。あのヤマメだって焼きすぎて炭みたいになったら誰も美味しいとは思わないだろう?」
「そうですね……。それにしてもすみません。ご飯も食べていませんし、話も全くできませんでした……」
「気にしなくていい。どうせ、話はあそこではできなかったからね」
「え?」
「不特定多数の人がいるところで細かい仕事の話なんてできるわけないだろう? 誰が聞いているかわからないんだよ?」
どこの世界にも“守秘義務”は存在する。章人の居たところで最も警戒すべきはネットワーク上のデータであり、敵はインターネット上に存在することが多かったが、この世界では純粋に“草”だとか“間者”という連中を最も警戒すべきなのだった。誰が聞いているかもわからない食事処でそんな話をするのは論外だった。
「あ……」
「結菜の料理を食べさせる口実ができたから私は気にしていないよ」
もはや、木下秀吉が断ることはできなかった。
「前代未聞です……」
「何事も経験だよ、経験。命取られるわけじゃないんだから、問題ない」
“食べながら”話すのではなく“きちんと味わって食べたい”木下秀吉が言えることはもはやそれくらいしかなかった。
「それはそうですけど……。ちなみに、何の話をしたかったんですか?」
「久遠からの頼まれごと。ただ、その前にちょっと気になることができたからその話からしよう」
「気になること?」
「そう。今は領地もないし、“早坂隊”と言われてはいるけど知行の経営してるわけでもないからお互い久遠から貰っているよね?」
基本的には殿様から渡された領地を使い、つまり“経営”して給料である“扶持”を渡すのが決まりであった。
「そうですね」
「将来は知行貰ってそこで賄ってやれるかもしれないけど、それまでのお金増やしたいなあ、と思ってたんだ。まあ、そういう形態をとらないでずっとこのままでやるほうが楽ではあるけど、そうもいかないだろうからね。知行を貰ったときのことも考えてお金は増やせるなら増やしたほうがいい。」
「そのほうが楽……というのは?」
とても不謹慎な言い方に聞こえたのでどうしても厳しい言い方になってしまうのだった。無論、そんなことを気にする章人ではない。
「領地もらって、そこで増やした金で兵隊雇ってどうこう、なんて面倒だと思わない? 久遠に毎回予算書いて『金寄越せ』といって貰ったほうが楽だよ。でも、私たちだけそんなやり方をとったら“不公平”の声が上がるのは目に見えてる。だから、近い将来そうなるのは明らかだ。そのとき、私たちがいきなり壬月や麦穂みたいにたくさん貰えるなんてありえない」
もちろん章人の頭の中では“いきなりたくさんもらう方法”も考えていた。それを木下秀吉に言うことはないのだが。
「そうですね……。そのときのやり方、はわかるんですか?」
「一番重要な方針はわかる。名言がある。『産めよ、増えよ、地に満ちよ』素晴らしい言葉だ」
旧約聖書にある言葉である。
「うめよふえよちにみちよ?」
「『産めよ、増えよ、地に満ちよ』だ」
「何言ってるんですか!」
その区切りで初めて意味を理解した木下秀吉は真っ赤になり、思わずそう言っていた。
「労働するのも人、戦争で兵隊になるのも人だ。ごく当たり前の話だと思うのだけど、何を想像したのかな?」
「それは……」
「問題はそこじゃない。知行を貰っていない状態で金を稼ぎたい、ということだ」
「できるんですか?」
「考えはある。それについてちょっと雑談をしたかったんだよ。」
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第2章 章人(1)
大変お待たせしました。