4話 章人(1)
「おや、地元に降りることになったか。尾張国のようだ。桶狭間の戦いの真っ最中といったところか。今川勢に加担したところでどうにもなるまい。かといって信長は好かんし……。ふむ……。私は独立して新勢力を作るのが好きなのだ。気ままに行こう。それにしても良い雷鳴だ」
章人は、道中で太上老君から“外史”に関する詳細な説明を聞きつつ移動していた。そして、つんざくような雷鳴とともに天より“外史”へと現われた。光の玉で移動し、悠然と地面に降り立った。地形から、そこが尾張だと確認していた。信長を嫌う理由はただ一つ「光秀の裏切りによって死んだ」その一点だけである。様々な陰謀説はあれど、「部下に裏切られた」という事実は主君が無能であることを明確に示す、と考えていた。
しばし時は遡る。
「殿! 2万5千の今川軍に対し、我がほうは2千弱。この兵力差は無茶を通り越して無謀というものですぞ」
「いえ! 無謀などというものではありません! 自殺行為です!」
織田家の重臣、柴田勝家と丹羽長秀が主君、信長を諫めた。しかし、信長は意に介した様子もなく、その場にいたもう一人の人物へ尋ねた。
「お前もそう思うか? 猿」
「え、ええっ!?」
主君、信長の雑司から始まり、ついに足軽まで出世した木下秀吉。しかし、柴田勝家と丹羽長秀の2人を相手にしては縮こまるのも当然であった。そもそも、なぜ信長が自分をこんな重臣との会談に連れてきたのかもわからなかった。といっても、一騎打ちの能力など自分には全くないことも理解していたが。
「何かあるのならば言え」
お前がここにいる必要はないと言外にほのめかしながら、多少以上に苛ついた口調で柴田勝家はそう言った。
「僭越ながら申し上げます。
圧倒的な兵力差から、敵は油断しきっており、本隊は縦に伸びて無防備な状態です。そして主力の朝比奈泰朝、松平元康隊は我が方の砦で激戦を繰り広げております。すなわち、本陣は手薄となっていることが予想されます。加えてこの暴風雨に紛れれば、本陣の今川義元を奇襲で討ち取ることは十分に可能と思います」
「……」
理路整然と軍略を語る木下秀吉。あっけにとられている柴田勝家と丹羽長秀であった。
「よく言った!」
“我が意を得たり”と言わんばかりに信長は叫んだ。
「は、はひっ!」
「殿!?」
信長は木下秀吉の才能には何となく気づいていた。しかし同時に“自信”がないという欠点にも気づいていた。それを今回、反転攻勢をかける絶好の場でつけさせてやりたい、そういう思いがあった。しかし、信長や秀吉が思うよりはるかに今川軍は強かった。奇襲をかけて追い込んでなお、親衛隊を殺し、今川義元を討ち取ることができないでいた。自ら最前線に立った信長や柴田勝家にも若干の焦りが浮かんできたころ、突如雷鳴が轟く。
「おーおー。やっと着いた。おや? お取り込み中だったかな?」
およそ戦場には似つかわしくない声。純白に煌めく着物に打刀。信長は、この人物がこの戦いの鍵になると直感していた。柴田勝家が何者か尋ねようとした矢先に、今川の兵が5人、章人を殺さんと刀を向けた。と、太上老君以外の誰もわからぬうちに、5人の首が飛んだ。章人は小さく「さようなら」と呟いた。
「何者だ貴様」
「壬月!! 今は構うな! さっさと義元を討ち取れ! お主、少しここで見物していてくれ」
自分の感が正しいことを悟った信長は、このさらなる混乱に乗じて今川義元を討ち取るべく命じた。それは的中し、見事に討ち取ることに成功する。極限の緊張状態が切れぬうちに、丹羽長秀が現われた。
「久遠様、崩れたとはいえ、敵のほうが兵数は圧倒的に多いのです。早く撤退すべきかと。……? その者は?」
章人はこの黒くて長い髪の娘が織田信長だということに気づいていた。信長の言うことを聞いてのんびり観察していたのは彼女に興味が沸いたからである。理由は読み取った性格にある。いわゆる“鳴かぬなら 殺してしまえ 時鳥” の印象を全く受けなかった。
「分からぬ、だがお主、わが本拠の清洲城へ来てはくれぬか……?」
「ふむ……」
「頼む……」
「殿!?」
章人にとって、それは面白い光景であった。誠心誠意、頭を下げられる、という。殿様が訳もわからぬ人間にいきなり頭を下げるか、答えは「下げない」 そんなことをしてはいけないのだ。その愚をあえてしたこの“久遠”にかなり興味がわいていた。
「いいだろう。行こう」
「全軍退却。退けい!」
織田信長の本拠地、清洲城。章人はそこの一室に通された。その場には、章人と姿の見えない太上老君。そして……。
「ふえええええ……」
木下秀吉である。突如現れ、得体の知れぬ何かをして5人を一瞬で殺したのだ。怖くて仕方なかった。
「どうした? 水でも飲むか?」
「い、いえ……。お客様にそのようなことをさせるわけにはまいりません……」
「ところで、名を聞いていなかったな。私は早坂章人。君の名は?」
「木下秀吉といいます。真名は“ひよ子”です。“ひよ”とお呼び下さい」
「真名? 真名とは何だ?」
「ご存じないのですか? ご、ごめんなさい。親しき人、あるいは主人と部下などが日常的に呼べる名です なぜかあるのは女だけですが……。」
何らかのことで機嫌を損ねるわけにはいかないと思った秀吉は“知らない”という事実を“なかったこと”にした。
「ほうほう。君は何故、会ったばかりの私に真名を教えた?」
「何というか……。何故か、私にもわかりません。ただ、人って、自分から先に信頼しなければ決して心を開いてはくれませんよね? だからだと思います」
木下秀吉は、自分の心の奥底を覗かれているような眼で見られていると感じつつ、思ったことを素直に言っていた。
「なるほど……。君は賢いな」
「大したものだな」
「久遠様!」
最後のやりとりだけ聞いていた信長が、四人の女性を連れて入ってきた。
「何もしていないがね。御大登場か。私は腹が減ったぞ」
「言うと思ったわ。準備させた」
「結菜様!?」
「改めて自己紹介をさせてもらおう。我は織田信長。真名は久遠だ」
「柴田勝家。壬月」
「丹羽長秀、真名は麦穂と申します」
「私は帰蝶よ。さっさと食べなさい」
「私は早坂章人。では頂こう」
そう言うと、章人は飯を味噌汁の中に入れた。雑炊のできあがりである。
「な……」
「時間が惜しい。玄米だが美味である。漬け物も美味い」
“稀代の美食家”とまで呼ばれる章人の舌を満足させる料理が出た。章人を知るものがいたならば驚いたろう。しかし……。
「あわわわわわ……」
「何と汚い食べ方……。まるで蛮人」
「この粋が分からぬとは……。致し方あるまい」
ここにいる5人を試す目的でこのような食べ方をした章人は、“誰も気づかないのか”といささかの失望を覚えていた。
「うぬぬぬぬ。結菜の料理を汚しおって……。貴様、万死に値する!!」
「お待ち下さい!!」
「何じゃ麦穂、こんな蛮人の肩を持つのか?」
「箸の、箸の先を御覧下さい」
「な……。一寸も濡れておらぬだと……」
「お主、一体何処の出だ?」
「秘密だ。だが、拐かされてきたわけではないから心配は要らぬ」
小笠原流礼法という、異次元の礼法を家元直々に学んだ章人にとって、この程度は造作もないことであった。信長たちが驚いたのも当然で、知識として、そんなことができる人物がいるということは知っていても、この尾張の地で実際にできる人はまずいないだろうと思っていたのである。
「帰蝶と言ったな」
「は、はい……」
「素晴らしい料理であった。時間が惜しい故にあのような食べ方をしてすまなんだ。今度食べる機会があればきちんと食べると約束しよう」
「忘れないでよね」
帰蝶は不満げにそう漏らした。いつもの高慢とも言える性格は影を潜めていた。理由は単純で、正面からの純粋な好意や感謝には慣れていなかったのである。
「ああ」
「我々はお主の処遇について決めねばならぬ。」
信長はそう告げた。全力をもってかからなければならない、そう考えていた。
「そうか。それに関して残念な報せがある。“天から降りてきた○○の化身”などと私を祭り上げようというのなら、私は諸君ら全員を殺して脱出せねばならなくなる」
「な……。もし、そうでないというのなら?」
「客将として、お主を助けるのはやぶさかではない。ところで……。お主の目標は何だ?」
「我の目標は、日の本全土の統一だ。それが我の義務。それより……。お主は客将として何を欲する?」
章人は”義務”という言葉にかなりのひっかかりを覚えていたが、今はそれを指摘する時ではないと思い、止めたのだった。
「私から出せるのは武と知。欲するは情報と金」
「いいだろう。よろしく頼む」
「久遠様!」
柴田勝家が反対の意を示すように言ったが、信長は黙らせた。目算は外れたようだな……。章人はそう感じていた。間違いなく、自分を神輿として担ぎ上げて天下を狙うつもりだったのだろう、そう確信していた。
「どこで寝るといい?」
「我の家へ来い」
「そうか。ではな。ひよ」
「は、はい!」
木下秀吉を除く一行は信長の屋敷まで歩いて移動していた。章人は、家臣、というより柴田勝家が、自分に何の相談もなく章人を“客将”などという身分にすることを決めた信長にかなり反発していることに気づいていた。そこで、相談の機会を与えることにした。
「ここか。少し散歩に行っても良いか?」
「構わぬ。迷うなよ」
「分かっている」
章人が去ると、柴田勝家は主君に食ってかかった。得体の知れぬ人物が、“情報と金”などと言い出したことに相当の不満をもっていた。反乱を起こすとしか思えなかったのである。
「殿! 何故あのような者を?」
「わからぬ。わからぬが……。他国に出してはいけぬと我の中の何かが告げていた」
「ですが……」
丹羽長秀も心配そうな表情であった。あの場では裏切るようなそぶりは見せなかったが、底知れぬ人物であることは疑いなかった。まして一瞬で5人を切る人物である。
「それより、このあたりでも“鬼”が出現すると噂よ。大丈夫?」
そう帰蝶が呟いた。
「壬月、麦穂、ゆけ!」
「は!」
のんびりと夜風にあたりながら散歩をしていた章人は“鬼”と対峙していた。禍々しき瞳。ぬめりを帯びた肌。口から見える巨大な犬歯。
「これが“化生のもの”か」
「そのようだな」
太上老君と、そう念話で話をしていた。
「“妖怪”か? まあいい。こいつの試し切りにはもってこいだな。人を食った罪、許さぬ。死ね」
腕が一本。切り落とされた。
足が一本。切り落とされた。
歩けなくなった。
首を切り落とされて死んだ。
「な……」
「おや、壬月殿、麦穂殿。あと一匹。そこで鑑賞していて下さい。私の武の一部を披露する良い機会だ。」
「わかった」
「え、ええ……」
「ふむ……。敵わぬとみて逃げるか。だが、逃がさぬ」
一閃
一撃で鬼は縦半分に割れ、死んだ。それで丹羽長秀は、章人が“理”で動く人物なのだ、ということになんとなく気づいた。ふつう、人は感情を持って動く。しかし、この人物はそれを強大な理性でもって押さえ込んでいると感じたのである。
「当たらずとも遠からず、かねえ。この者の弔いを。そしてこの後始末を頼めますか?」
「何を言っている? 柴田衆を呼んでおく。お主は帰れ。道は分かるか?」
「無論」
そうして、屋敷へ戻り、用意された客間で床についたのだった。
後書き
戦国恋姫はかなりお待たせしてしまいました。申し訳ありません。忘れたわけではありませんのでご安心ください
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第2章 章人(1)
お待たせしまして申し訳ありません・・・。