「おじちゃん。何してるの?」
何となく自分の家と隣の家の狭い路地に入り込んだセリファ・バンビールは、そこにうずくまっている『人型をしたもの』を見ていた。
頭部を持ち、身体があり、腕が二本に脚が二本。間違いなく「人型生命体」である。
だが、その細部は明らかに彼女と同じ「人間」ではなかった。
かなり細身だが堅い筋肉に覆われた全身。青白い皮膚。上半身は裸でスパッツのみ。足は裸足だ。
その全身はへとへとに疲れて薄汚れているのが一目瞭然だった。
頭髪はなく、卵のようにつるんとした頭部には目が一つあるだけ。本当は人間同様二つなのだが、片方が異様に大きく、もう片方が異常に小さいのだ。
口はともかく鼻にあたる物は見当たらない。
セリファは、何の悪意もない目でじーっと「それ」を見ていた。
「コワく、ナイのカ、オレが?」
かなり激しい訛りのたどたどしい人界の言葉。セリファはニコニコと笑顔を浮かべたまま、
「うん。おじちゃんこわくないもん」
そう言ってすぐ前にちょこんと腰掛けた。
「コわク、ナい……?」
その言葉は驚きに値した。この自分の姿を「恐くない」と笑顔で言う人間がいる事に。
「きミハ、だレダ?」
渾身の勇気を振り絞ってそう尋ねた。すると、さっき以上の笑顔で、
「セリファはセリファだよ。おじちゃんは?」
少しの沈黙の後、静かに口を開いた。
「……スーボ」
世界で最も不可思議な港町として名高いこのシャーケン。
ここにも、朝はきちんとやってくる。
同時に、面倒な騒動までやってくる。
平穏な日は、一日としてなかった。
だからこそ、ここへ来れば――どんな職種であれ――仕事にあぶれることはない、とまで云われている。
セリファが連れ込んだスーボを見て、姉のグライダ・バンビールは(当然だが)とても怒っていた。
「捨て犬とか捨て猫とか拾ってくるならまだしも。何なの、これは!?」
スーボは本当に申し訳なさそうにセリファの後ろで身をすくめていた。
「グライダ。落ち着きなさい」
同居人にして魔族のコーランが彼女の頭をぽかんと叩く。
魔族といっても、その姿は多種に渡る。
完全に人間と同じスタイルの者から、人型以外の共通点がない者まで様々なのだ。
完全に人間と同じスタイルである彼女は少し考えてからスーボに向き直り、
『あなた、魔族に間違いないんでしょう?』
魔界の言葉でそう尋ねる。スーボもうつむいたまま、
『はい。そう……らしいです』
その声には怯えよりも戸惑いの方が多かった。それを聞いたコーランは、
『「らしい」っていうのは、どういう事?』
『そのままの意味です。俺には、この数日間の記憶しかないんです』
悲しそうに、苦しそうに答えるスーボ。
『自分が魔族なのか、人間なのか、それとも
それから、つけ加えるように、
『それから、俺が追われている事だけです』
「コーラン。魔界の言葉で話を進めないで、あたし達にも訳してよ」
訳のわからない言語の会話を横で聞いていたグライダが割り込む。コーランは軽く謝罪すると、今までの会話――といっても大した物ではないが――を二人に話して聞かせた。
「追われてる、ねぇ。どんな連中?」
グライダは、ただの好奇心からそう尋ねてみた。スーボは、短くこう答えた。
「……魔界の、
その頃、魔界治安維持隊人界分所所長ナカゴ・シャーレンは、喫茶店のオープンテラスで食事中だった。
いつも付けている金属光沢を放つマントはなく、お気に入りのワンピース姿だ。
そのマントには魔界の住人が唯一苦手な風邪ウィルスの抵抗力を上げる効果があるのだが、さすがにオフの日までそれを着る気はなかった。
「シャドウさんは今お仕事中なんですか」
彼女はもぐもぐと料理をほおばりながら、目の前にいる神父の青年の言葉を聞いていた。
「ええ。今アルバイトをしている建設会社が受け持っている仕事の納期がきついらしくて、休みが取れないそうです」
そう答えたのはオニックス・クーパーブラック神父だ。彼は彼女の気持ちを知っているだけあって、淋しそうな表情を作っている。
シャドウは戦闘用特殊工作兵。ロボットなのだ。でも、ナカゴはそのロボットであるシャドウを心底好いている。まるで恋人のように。
「せっかくのオフなのに……」
別にナカゴはクーパーとデートという訳ではない。たまたまナカゴが店に来た時に、店員の「相席で宜しいですか?」という質問を了承したらこうなっただけである。
「申し訳ない、そこの魔族のお嬢さん」
すぐとなりの道路から、テラスの柵ごしに尋ねてくる声が。
「なんですか?」
「お嬢さん」の言葉に少々気をよくしたようで、一応の笑顔でそちらを向く。
ナカゴに声をかけてきたのは、二人組の魔族の男達だった。両名とも地味でぱっとしないスーツ姿である。こちらもマントはつけていない。
「唐突で申し訳ない。我々は魔界治安維持隊本部に属する者だ」
懐から写真付の身分証明書を取り出した。
「実は、この魔族の人物を探しているのだが、見かけなかったか?」
もう一人の男が差し出した写真に写っていたのは、青白い肌に頭髪のないつるんとした一つ目顔の人物だった。もっともそんな顔だけなので男か女かはわからない。
「知りませんけど?」
せっかくのオフに、仕事に関り合いたくない、と言わんばかりに即答するナカゴ。
「そうか。食事中に済まなかった。では」
男達はそそくさとその場を去った。
「……治安維持隊も大変ですね」
穏やかにクーパーが言った時、そのナカゴはテーブルの下で何やらやっていた。どうやら携帯電話を操作しているようだった。
やがて、ナカゴは電話に耳を当て、
「……私です。今メールに添付した写真の人物を照合して下さい。わかったら、すぐにこちらに連絡を」
それだけ言って、電話を切った。
「メールを送っていたのですか?」
仕事上の機密に触れるだろうと思い、控え目に聞いてみたクーパー。だがナカゴの方は、
「あの二人。治安維持隊の者ではありません。あの身分証明書も偽物でしょうね」
たったあれだけのやりとりしかしていなかったのに、しっかり見抜いていたらしい。
「最初に『魔族のお嬢さん』と断っておいて『魔界治安維持隊本部の者です』なんて言い方は不自然です。まずしません。人界の人に名乗るならともかく」
すまし顔できっぱりと言い切った。
「それに、あの人物の捜索依頼は本部の方から来ていませんし。私も知らない以上、あの二人は偽物です」
魔界の本部から人界に隊員が来る場合、総ての人界の分所とその所長にその旨を連絡しなければならない決まりらしいのだ。
だいぶ認知されているとはいえ、まだまだ魔界の住人は人界にとって「異質な」存在である。その辺りの便宜を考えての事だ。
「なるほど。では、その辺りを調べるように手配した訳ですか?」
「ええ。せっかくのオフが台無しです。シャドウさんには会えないし……」
ナカゴはぶすっとしたまま、皿に残った料理を一気にかき込んだ。
「しかし、どうしたものかしらね?」
グライダがクッキーをぼりぼりとかじっている。
「わかるのは名前だけ。追われる理由もわからない。数日前以前の記憶もない。追われてるのが治安維持隊ってんだから……よっぽどの理由があるんでしょうけど」
セリファも彼女と同じようにかじっていたが、
「おじちゃん、いい人なのに。何でおいかけられてるの?」
すがるような目で見つめられたコーランは、
「そうね。セリファがそこまで言うのなら、少なくとも『悪人』ではなさそうだし」
セリファにはほぼ無限大の魔力が宿っている。その副作用で『自分にとっての』という基準ではあるが「良い人」か「悪い人」かが『視覚で』判断できるのだ。
「こっそりナカゴに聞いてみようか? 彼女今日はオフの筈だから」
そう言って電話をかけた。
それから三十分くらい経ってから、電話で呼んだナカゴと一緒にクーパーまでやってきた。
一緒に来た事に驚くが、知識という面ではクーパーは大いに役に立つ。一緒に話を聞いてもらう事にした。
スーボは自分を追っている魔界治安維持隊の隊員、それも所長が来た事にひどく怯え、「騙したな」とさえ叫んだが、コーランに簡単に取り押さえられた。
今は無言でセリファの影に隠れたままナカゴを睨みつけている。
『あなたの名前はスーボで間違いないのね?』
ナカゴの質問に、スーボはぶっきらぼうな態度で首を縦に倒した。
『追われる理由は、見当がつかないの?』
コーランの問いにも首を縦に振った。
さきほど怯えて逃げようとするスーボを取り押さえる時に気づいたのだが、いくら何でも筋力が弱すぎるのだ。
つるりとした顔で非常にわかり難かったが、外観の年齢はコーランより少し下くらいだ。単純な力比べになったら、コーランはこの年代の男にはまず勝てない。
それに、彼からは一切の魔力を感じない。ほんの基礎的な魔法すら使う事ができないだろう。
何か特別な知識を握る存在といっても、ここ数日の記憶しか持たないのであれば意味がない。
となると、残るは記憶喪失の可能性だろう。
スーボは何か特別な知識を持っており、それを狙っている。しかし彼はその記憶を失ってしまったが、それでも失った記憶を欲しいがために狙われている。
それが妥当な線だろう。
そんな折、ナカゴの携帯電話が鳴り、すかさず出る。早口で二言三言やりとりをした後、
「思った通りです。さっき私にあなたの事を聞いてきた治安維持隊の隊員は、偽物と判明しました。彼らは刀剣の密輸疑惑のあるブローカーだそうです。既に人界と魔界全土に手配手続きを済ませましたから、すぐ捕まるでしょう」
グライダ達はその素早さにぽかんとするばかりだったが、このスピードこそが治安維持隊の真骨頂なのである。
「ご心配なく。あの二人が捕まれば、なぜあなたを狙うのかもわかるでしょう。早速で済まないのですが、あなたの知る限りの情報を、教えてもらえませんか?」
ナカゴはすっかりリラックスした様子でスーボにそう切り出したところで、もう一回ナカゴの電話が鳴った。
「御主人。此のリストの品を戴きたいのだが……」
店の主人は、目の前のロボットを見てぎょっとした顔をしていたが、やがてリストをひったくるようにしてもらうと、せっせと品物をビニール袋に詰め始めた。
建設会社でバイトをしている戦闘用特殊工作兵のシャドウは、上司に頼まれた通り、現場にいる全員分の
力が要求される建設現場という事もあり、働く人々も気さくな人物が多いので、ロボットという事で不当な扱いを受ける事もない。
シャドウ自身正社員ではないが、この職場を悪くないと思っていた。
代金を支払い、弁当の入ったビニール袋を持って現場に戻る途中、通りがかったとある店の前に人だかりができているのを見つけた。
店の前に魔界治安維持隊の隊員達が並び、店の中に向かって何やら叫んでいる。
「籠城事件か?」
誰に言うともなく言った言葉だったが、近くにいた野次馬の一人が、
「ああ。何でも魔界の治安維持隊の偽物が出たんだってよ」
その野次馬が気さくに話しかけてくる。
「シャドウさんっ!」
シャドウは後ろからいきなり抱きつかれた。
もっとも、気配は事前に掴んでいたので驚く事はなかったが。
「ナカゴか」
「はいっ。やっとお会いできましたね♪」
ナカゴは極上の笑顔でシャドウに話しかけるが、シャドウの方は全く無関心な様子で、
「仕事で来たのだろう? 丁度治安維持隊の偽物が出て来たぞ」
シャドウがナカゴの襟首を掴み、思い切り持ち上げる。人垣の向こうにナカゴが見た光景は……。
籠城事件によくある、人質に武器を突きつけて脅迫しているところだった。定番として逃走経路の確保を要求しているようだが、その人質に問題があった。
人質になっていたのは、彼女もよく知っているバーナム・ガラモンドだった。
四霊獣龍の拳の使い手の武闘家である彼が、なぜ人質になっているのだろう? あの程度の人物なら簡単にあしらえるだろうに。
「何をしてのだ、バーナムは」
シャドウがナカゴを持ち上げたまま不思議そうにそう言った。
「さあ?」
ナカゴは自分が先陣きって行かねばならないのを忘れて他人事のように答える。
「所長。オフの日に申し訳ありません」
ナカゴを見つけた隊員が近づいてくる。
「状況はどうなっている?」
シャドウはナカゴを下ろし、下ろされた彼女はその職員に真っ先に尋ねた。隊員はシャドウを気にした様子もなく、
「はい。完全に膠着状態です。結界を張っているので飛び道具や魔法が効きませんし……」
人垣の向こうの犯人をいまいましそうに睨みながら答える。
そんな時だった。いきなり建物の方からものすごい悲鳴が聞こえたのは。
バーナム・ガラモンドは、自分を拘束した『つもりになっている』犯人を見上げながら黙っていた。
確かに対獣魔用に編み出された拳法である「四霊獣龍の拳」を使えば簡単に拘束から逃れられるし、犯人を簡単に倒す事も可能だ。
(それじゃつまんねーしなぁ)
彼の頭にあるのは、その一点につきた。
単に倒すのでは面白くない。どうせなら劇的な逆転劇を演じて、思い切り目立ちたい。
彼の考えはそんなところである。
だから犯人が人質を取った時に「できるだけカッコつけて」身代わりを買って出たというのに。
地味なスーツを着ていたが、犯人がなかなかの美女だった事もその要因かもしれない。
だが、そうこうしている間に建物は魔界の治安維持隊に取り囲まれ、もはや魔法を使っても脱出する術はない。犯人が逮捕されるのは時間の問題だ。
(しょーがねーか)
バーナムは観念すると、外と魔界の言葉で怒鳴りあっている彼女の腹に肘を叩きつけ、その状態から拳を振り上げて、顎に裏拳をおみまいする。
いきなりの攻撃に、彼女の動きが一瞬だけ止まった。その一瞬でバーナムは掌に「気」の塊を浮かび上がらせ、彼女に叩きつけた。
四霊獣龍の拳の技の一つ・
威力を加減したとはいえ、その威力は並の物ではない。女性はものすごい悲鳴を上げ、床の上でうめいている。
それを見た治安維持隊はしばらく呆然としていたが、やがて我に返るとこちらに走ってきて犯人を逮捕。人質を全員開放した。
「バーナムさん!」
とっとと帰ろうとしていたバーナムをナカゴが捕まえる。
「なぜ人質になっていたのですか? あんな簡単に倒せるのに?」
「いいじゃねーかよ、そんな事。犯人を逮捕できたんだからよ」
バーナムはぶっきらぼうにそう言うと、大あくびする。そこに治安維持隊の隊員がやってきた。
「犯人の女性は拘束しました」
「女性?」
ナカゴの位置からは遠かったので、犯人の性別まではよくわからなかったのだ。
「私が遭遇したのは男性二人組でしたけど」
「しかし、彼女が治安維持隊の偽物を名乗っていた事は間違いありません」
その隊員は自信満々な態度でそう答える。
この女性が「この人物を知らないか?」と
こちらが本物の隊員とわかると、目の前の店に飛び込み、人質を取ったという訳だ。
「ナカゴが遭遇したと云う男二人組の仲間なのではないか?」
シャドウがそう尋ねると、ナカゴは首をひねって、
「確かに、その可能性はありますね。という事は、こちらは陽動……?」
少しの間考え込んでいたが、
「とにかく、その犯人は分所に護送して下さい。護衛は最小限に。それ以外の者は、先程メールで添付した人物の捜索にあたって下さい。この騒ぎが陽動の可能性もあります」
所長自らの指示とあって、隊員がきびきびと町に散っていく。ナカゴは一通り隊員が散っていったのを見て、
「さ、シャドウさん。私を手伝ってくれますよね?」
にっこりと微笑みかけるナカゴ。しかし、シャドウはしばらく沈黙してから、
「申し訳ないが、此れから現場に食料を届けねばならん。手伝う事は不可能だ」
人間ならば困惑の表情を浮かべているだろう、シャドウの返答だった。
クーパー達はしばし考えた後、彼の教会に移動する事にした。もしスーボがここにいる事を感づかれたら、周辺に迷惑がかかってしまうからだ。
スーボは目立たないように全身を覆うタイプのローブを着せられ、コーランと一緒に歩いている。
人界の人間も、魔界の住人に対して嫌悪感はあるものの、向こうが何かしてこない限りは露骨に嫌悪する者は少ない。
基本的に魔族は人界の風邪ウィルスに対して極端に抵抗力がないので、コーランのようにそれを防ぐマントをつける者が多い。
だが人間型とかけ離れた姿の種族もいる。そういう者はマントをつける事ができない。
そういった魔族がこうしたローブ姿なのは珍しくないし、魔族でもこの町では顔が知られているコーランが一緒ならば「魔界の人なのか」で済む。それに何より全身を隠せる。
スーボはセリファのとなりにピタリと寄り添い、彼女と手をつないで歩いている。
「元々おとなしいタイプなのかな?」
その光景を見たグライダが呟く。
セリファは人見知りしないタイプだし、結構人懐っこい。その彼女でもすぐに仲良くなるのは珍しい。
「そうらしいわね。けど、どの種族か見当がつかないのが気になるわね」
「そうなの?」
「ええ。一口に魔族といっても種類は多いんだけど、結構特徴はあるのよ。ああいうタイプは初めてだわ」
グライダとコーランの会話にクーパーがすっと入ってくる。
「では、コーランさんの知る限り、彼と同じ特徴を持つ種族はない、という事ですか?」
「ま、あんな目立つ目の種族なんて聞いた事ないし」
さすがのコーランも「お手上げ」の仕種を見せる。クーパーも知識はそれなりに持っているが、さすがに魔族の種族に関する知識はほとんどない。
そんな時、コーランは何者かの気配を敏感に感じ取っていた。
それと同時に前にスーツ姿の男が立ちはだかる。やや遅れて後ろにも。
その姿を見てスーボが怯えてセリファの後ろに隠れる。その反応を見ても、彼らがスーボを追っているとみて間違いはない。
「その魔族を、こちらに渡してほしいのだが」
「お断りよ。偽物の治安維持隊さん」
間髪入れずにコーランが言い返す。その答えを予想してましたと言いたそうに、
「じゃあ、手荒になるが……」
にやにやしてこちらを見て、すっとナイフを取り出す。どう見ても手荒な事がしたいと言いたそうな雰囲気だ。
グライダも剣を出そうとしたが、正当防衛でも、町の真ん中での抜剣は少々問題がある。
そんな一瞬のやりとりの後、スーボが口を開いた。
『俺がそっちに行く。この人達には手を出すな』
『待ちなさい、スーボ!』
コーランが止めようとするが、スーボは力なく首を振る。
わからない魔界の言葉でもセリファには何となく伝わったらしく、
「おじちゃん、行っちゃうの?」
ぽつりと淋しく呟く。しかし、手は握ったままだ。
「この人たちにつかまっちゃうの?」
セリファはスーボの手を握ったままがくりとうなだれる。
「そんなのやだっ!」
セリファはスーボの手を取ってそのまま真横の路地に駆けこんだ。
この行動は誰も読んでいなかったらしく、グライダでさえ一瞬あっけに取られていた。
いや、クーパーだけはその直後に路地に走りこんでいた。それを追って二人の男が追いかけようとした時、
「ここは通さないわよ、あんた達」
グライダとコーランが路地を塞ぐ形で立ちはだかった。
グライダは右手に赤い剣を出現させる。
「理由を喋ってもらうわよ、二人とも」
コーランも臨戦体制に入った。
「セリファちゃん!」
どうにか追いついたクーパーは、後ろから追手が来ない事を確認すると、二人に止まるように言った。
「セリファちゃん。ずいぶん無茶な事を……」
「だって、おじちゃんがつかまっちゃうの、やだったんだもん」
口を尖らせているが、胸を張ってそう言ったセリファ。
「スまん。めイわく、かけタ」
スーボがたどたどしく謝るが、クーパーはそれを止めさせる。
「それについては気になさらずに。ですが、あなた自身が狙われる理由を覚えていない以上、敵から情報を収集する事も必要になってきますね」
「見つけた!」
そんな時、鋭い女性の声が響く。クーパー達の目の前には地味なスーツ姿の女性が一人、息切らせて立っていた。
「スーボを渡してもらうわ」
よく見ると、スーツの所々に赤い点がついている。それが返り血だという事に気がついたのはクーパーだけだった。
「お断りします。彼がどんな人物であれ、あなた方のような人達に渡すわけにはいきません」
クーパーがきっぱりと言い切った。
セリファも無言ながら「ダメ!」と言いたそうに睨みつけている。
「そうくると思ったわ。やっぱりこの作戦は穴だらけじゃない……」
クーパー達に聞こえないような小さな声でブツブツ言った後、彼女は懐に手を伸ばす。
銃を出すのかと警戒したが、彼女が出したのは一枚の紙だった。
「悪いけど戻させてもらうわね!」
そう言うと声高らかに魔法の言葉を一言唱え、紙を広げてこちらに向けた。
するとどうだろう。セリファが固く握っていたスーボの手の感覚が消え失せ、ローブが地面に落ちる。直後、セリファのとなりでガランと金属音が響いた。
「スーボ!?」
不思議がる中ローブをどけると、そこにあったのは、ずいぶんと長い刀身の一振りの片刃の剣だった。
もっとも、それを刃幅が広めに作られた日本刀だとわかったのはクーパーだけだったが。
「そうか、変化の魔法……」
ようやくスーボの正体がわかった。
彼は元々この剣だったのだ。それを何らかの理由で数日前に人型魔族の姿に変えられたのだ。だから、彼には数日前以前の記憶が存在しなかったのだ。
「ずいぶん手の込んだ事をしたんですね」
幾分挑発気味にクーパーが問いかけると、
「まぁ武器そのものよりも人型の方が税関をパスしやすいしね!」
それから立て続けに何かを投げてきた。
それがあっという間に翼のある小鬼の姿となり、瞬く間にセリファを捕まえて空中に逃げてしまった。
「セリファちゃん!」
彼女が連れ去られた上空を見てクーパーが叫ぶ。
「おっと。わかってるでしょ?」
動こうとしたクーパーが、その一言で動きを止めざるをえなくなる。こちらが動いたら、セリファを突き落とす気だろう。立派な人質だ。
「セリファちゃん!」
スーツの女性の後ろからも悲痛な声が。そこには逃げ出した女性を追いかけていたナカゴが立っていた。その後ろにはバーナムの姿もある。
「おいおい。もしかして『動けばこいつの命はない』ってヤツか?」
上空のセリファを見てバーナムが毒突く。
「ご名答。その剣をこちらによこしなさい」
彼女はクーパーの足下に転がっている剣を指さした。
「その剣を使おうなんて考えない事ね、神父さん。たとえあなたが剣の達人だったとしても、この距離じゃどうしようもないでしょ? 私が斬られるよりも、あのお嬢ちゃんが地面に叩きつけられる方が早いわよ」
クーパーの目測でも彼女の言う通りだった。
このまま剣を拾って一足飛びに斬りかかったとしても、刃が届くより前にセリファの命はない。
それにこの剣の長さ。このくらいの長さの剣は以前使っていた事があるのだが、ずいぶんブランクがある。いつもの刀のようにいかないだろう。
「ご苦労だったな」
クーパーの後ろから先程の男の声がする。
セリファが捕まった事を知らせたのだろう。
グライダとコーランも両手を上げて「無抵抗」の姿勢である。
「『
「ええ。最初からこうすれば逃げられずに済んだのに、あんた達が人型にこだわるから……」
一同をよそにブツブツ言い争っている。
しかし、クーパーは大蛇丸を知っていた。
彼の使う剣の流派・
その伝説によると、開祖に剣を伝授した古代武神・
「それは、本当に『大蛇丸』なのですか!?」
クーパーがそう尋ねてしまったのも無理はないだろう。
「もちろん本物じゃないがね。けど偽物っていってもちょっとしたもんだよ。間違いなく高い値で売れるだろうさ」
女が得意そうにそう答えた時だった。
上空にいた小鬼がぎゃんと悲鳴を上げたのだ。その拍子に手を離してしまい、セリファが真っ逆さまに落ちてくる。
「セリファ!」
「セリファちゃん!」
グライダとクーパーがセリファを受けとめようと駆け出した時、彼女は高らかに叫んだ。
「神秘のトラッドの力、我が前に見せよ!」
すると、落下してくる筈のセリファの身体が、落下の途中で空中にピタリと止まった。
一同が不思議がる中、彼女の背中にうっすらと人影が見えた。
それは白い羽の生えたぼんやりとした人影だった。
「そうか。『
セリファは占いに使うトラッドカードに描かれた物を実体化する魔法が使える。それで「天使」のカードの絵を実体化させたのだ。
その天使はふわりとセリファを地面に下ろすと、かき消すようにいなくなった。
その頃、シャドウは工事現場のビルの頂上でライフルを構えていた。
スコープからセリファの無事を確認し、それからいそいそとライフルを片づける。
「さて。仕事に戻らねば」
ライフルケースのバックパックを背中に固定し、仕事の続きに戻っていった。
セリファはスーツの女をじっと睨んでいた。
無論恐怖を与えるような迫力は微塵もない。
「おじちゃんをかえして」
呟くようにぽつりと言った。
「おじちゃんをかえしてよ!」
表情に迫力はないが、彼女の持つほぼ無限の魔力が放つ威圧感は相当なものだった。
威圧感だけなら、神話に出てくる魔王クラスを凌駕するかもしれない。
じっと睨まれ続けている女は、正直に言って気を失いそうな程、精神的に押し潰されていた。
「それは、無理よ。その剣が本当の姿だもの」
蚊の泣くような細い声でそう言うのが精一杯だった。
「でも、その剣はもらわなきゃならないのよ」
女は仲間に目で合図する。すると、二人の男はスーツを引きちぎりながら巨大化する。さらに二つの巨体が混ざりあい、一人の巨人へと姿を変えた。女の方は高々とジャンプし、その巨人の肩に着地する。
「それなら、力づくで奪うのみ!」
全員が巨人に対して身構える。しかし、
「セリファがやる」
先程と同じように巨人を睨むセリファ。それから足元の大太刀の柄にそっと触れ、
「手つだって、おじちゃん」
小さくそう言うと、ポケットから一枚のトラッドカードを取り出し、柄の上に置いた。
「神秘のトラッドの力、我が前に見せよ!」
柄の上に置かれた『
トラッドカードの絵を実体化させ、なおかつ己自身と融合させる。方法は知っていたが、一度も使った事のない大技である。
一つ命令を実行すると消えてしまう「召還」と同系統の実体化と違い、これなら力の続く限り姿を保つ事ができる。
青年は大太刀を無造作につかむと、
《助太刀はいらない。私一人でやる》
見知らぬ青年の声とセリファの声が混ざった平坦な声で告げた。
「……セリファなの?」
グライダがおそるおそる声をかける。
青年は軽くうなづくと、大太刀を肩にかついで、無防備に間合いを詰めていく。
「……死になさい!」
肩に乗った女がそう言うと、巨人は見るからに力強い拳を思い切り振り下ろした。
《愚か者!》
気合一閃。担いだ大太刀を力任せと思える動作で振り回した。
何と、たったそれだけで巨人の拳が一瞬で消し飛んでしまったのだ。
斬り裂かれたのではなく、消し飛んだ。この場の全員が何が起こったのかわからないままだった。
《このまま帰るなら、見逃す。さもなくば、覚悟を決めろ》
拳を喪った巨人の悲鳴が辺りに轟く中、青年は混ざった声で警告を出す。巨人は答える代わりにもう片方の拳を振り下ろした。
何と、青年はその拳を「蹴って」弾き返してしまった。体制を崩されて巨人がよろめく。体格差が十倍はあるのに、まるで勝負になっていない。
それから地面を蹴って天高くジャンプする。簡単に巨人の頭まで飛び上がった。青年は大太刀を思いきり振りかぶり、
《警告はしたぞ》
冷酷な声と同時に、その大太刀を振り下ろした。
その一撃で巨人は跡形もなく消し飛んだ。
青年は地面に落下する女を抱き止めて着地すると、
《まだ戦うか?》
短く問うたが、女は目を丸く見開いたまま口から泡を吹いている。
もう彼女に戦う意志は欠片も残っていなかった。
こうして犯人は捕まり、一応の解決をみた。
彼女のいた会社にも調べが入り、数々の密輸や盗品売買の実体が明るみになった。
それに加えて、逃げる時に治安維持隊の隊員にかなりの怪我を負わせている。その分の罪状も追加された。
そうした報告書に目を通し、サインを入れたところでナカゴは背もたれに身を預けた。
「実体化させた者との融合」という、常識外れの大技をやってのけたセリファは、あれから一週間経った今もずっと眠ったままだそうだ。
魔力の方は無限でも、それを制御する精神力はそうはいかないから仕方ない。
おまけにカードに戻った「英雄」の絵が、あの時の大太刀を持っていたのだという。
それを見たセリファが意識を失う寸前、こう呟いたのを思い出した。
「これからはずっといっしょだね、おじちゃん」
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「剣と魔法と科学と神秘」が混在する世界。そんな世界にいる通常の人間には対処しきれない様々な存在──猛獣・魔獣・妖魔などと闘う為に作られた秘密部隊「Baskerville FAN-TAIL」。そんな秘密部隊に所属する6人の闘いと日常とドタバタを描いたお気楽ノリの物語。