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艦これファンジンSS vol.35「スピアーヘッド」 2/5

Ticoさん

はぎはぎして書いた。やっぱり反省していない。

というわけで、艦これファンジンSS vol.35をお届けします。
今回は矢矧主人公のカレー洋前哨戦です。

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2015-05-10 07:13:02 投稿 / 全3ページ    総閲覧数:1506   閲覧ユーザー数:1503

 その少女は、「凛とした」と称するには、やや険の目立つ顔立ちであった。

 それは研ぎ澄まされた刀にも似た美しさと、どこかあやうさを秘めている。

 セーラー服に似た白い上着と短めの赤いスカートが、戦装束めいていた。

 ポニーテールに束ねた長い黒髪は、女武者のいでたちをどこか彷彿とさせる。

 まなざしはあくまでも鋭く、まっすぐに、彼女は水平線を見つめていた。

 彼女の身は陸上ではなく、海上にあった。

 海面に立って浮かぶ光景は超常じみていたが、しかし、確かな事実だ。

 身にまとう鋼の艤装――立ち並ぶ連装砲、背に背負う煙突の生えた主機。

 その姿からして、彼女がただの女の子ではないことを如実に物語っている。

 艦娘。人類の脅威、深海棲艦に対抗しえる唯一の存在。

 彼女の表情は硬かった。その足元には、沈めたばかりの深海棲艦の残骸が浮かぶ。

 だが、その顔が強張っているのは、いまだ戦闘の緊張が解けていないからではない。

 与えられた役割に対する不本意さが、そうさせているのか。

 それとも、与えられた役割を十全に果たせていないことが、そうさせているのか。

 二つの鬱屈は共に彼女の中でとぐろを巻き、どちらが主なのか判断がつかなかった。

 軽巡洋艦、「矢矧(やはぎ)」。

 それが、彼女の艦娘としての名前である。

 

 「深海棲艦」という存在がいつから世界の海に現れたのか、いまでは詳しく知るものはない。それは突如、人類世界に出現し、七つの海を蹂躙していった。シーレーンを寸断されて、なすすべもないように見えた人類に現れた希望にして、唯一の対抗手段。

 それが「艦娘」である。かつての戦争を戦いぬいた艦の記憶を持ち、独特の艤装を身にまとい、深海棲艦を討つ少女たち。

 鎮守府に所属する艦娘は、目下、西方海域の大規模な侵攻作戦に取り組んでいた。カレー洋に展開する敵機動部隊を叩き、リランカ島を占拠して策源地とし、さらにその西方のステビア海へ切り込んで、連絡の途絶した欧州とのコンタクトを図る一大打通作戦。

 「第十一号作戦」、あるいは非公式に「グランドスピアー作戦」と名づけられたこの限定作戦の第一局面が、カレー洋における威力偵察任務であった。

 威力偵察とは、身を潜めて行う偵察とは異なり、敵性海域に乗り込んで戦闘を経た上で力づくで敵情を探るものである。その遂行には高速かつ戦闘能力の高い艦娘が選ばれる。そして偵察行為である以上、それは本隊の作戦に先んじて行われ、すなわち一番槍の栄誉を担うことでもあった。

 

「軽巡へ級を一、駆逐ロ級を三、グリッド座標NW四四三地点にて発見。周回行動中であったこれと交戦し、撃滅。当方に損害なし。敵増援の気配なし――様子を見ますか?」

 矢矧が通信を送ると、ほどなくノイズ交じりの女性の声で返信が返って来た。

『――その必要はない。NW海域の偵察はいったん打ち切る。帰還せよ』

 先方の声もいささか疲れているように聞こえるのは、自分の気のせいだろうか。矢矧はそう思ってから、かぶりを振った。艦隊総旗艦どのがこのくらいで音をあげるはずもないだろう。音をあげたいのはむしろ自分の方なのだ。だから、指揮を取る者も疲れていてほしいと――そう思うに過ぎない。

 理性では分析できても、感情では納得できない。その納得できなさを、大きなため息にして吐き出してから、矢矧は信号弾を打ち上げた。

 青空に赤い光がまたたき、同色の煙がたなびく。

 程なくして、矢矧が率いる艦隊の面々が集まってきた。敵の増援を警戒するために周囲に散っていたのだ。

 真っ先に駆けつけたのは、茶色の髪を二つに編んだ艦娘であった。矢矧と同じ艤装、同じ衣装を身につけ、面立ちの雰囲気もどこかしら似ているが、矢矧ほど鋭さは感じさせない――姉妹艦の能代(のしろ)であった。

「お疲れ様。今回も無事に帰れそうね」

 まだ張りのある彼女の声を聞いて、矢矧は内心で背筋を伸ばす思いだった。

 無事に帰るまでが作戦。当たり前のことだが、成果の上がらない任務ではその認識も萎えがちである。矢矧のどこか甘えた心に、姉の声はひときわ強く響いた。たまらず、矢矧は自分の頬を自分の手のひらで軽く張ってみせた。

「――よし!」

 気合を入れてみせると、能代が苦笑いを浮かべてみせた。

「そんなに肩に力入れなくて良いのよ」

「いいえ、あの子たちもじき来るでしょうから。旗艦がしゃんとしていないと」

 矢矧はそう言い、海原に目を向けた。

 程なく、二つ三つの影が見えたかと思うと、ぐんぐん大きくなってくる。

 いずれも矢矧たちよりも小柄な艦娘である。

 小さな体に並々ならぬ闘志を秘めたリトルファイター、駆逐艦だ。

 近づいてくる艦娘は三人、それぞれに違う場所から集まってきたにも関わらず、矢矧の前に来たときには、計ったようにほぼ同時に到着し、ずらりと横一列に並んだ。

 最初に口を開いたのは、金の髪にきらきらした目の輝きの艦娘である。

「舞風(まいかぜ)、戻りました。主機も砲も異状なし。いつでも踊れます!」

 相変わらずの元気のよさに矢矧の口元が思わずほころぶ。敵との戦闘をダンスと称してはばからない彼女の機動は、実際に素晴らしいものがあるのだ。

 続いて声を発したのは、短く刈った銀の髪に、端整な顔立ちの艦娘である。

「野分(のわき)、健在。目だった損傷なし。お望みでしたらもう一戦でも」

 声こそ静かなものの、そこに秘められた戦意は高い。矢矧はこの艦娘を指揮下の駆逐艦では一番信を置いていた。どこか自分に似ているところが、好ましいのだ。

 最後に声をあげたのは、長い銀の髪に鉢巻を締めた艦娘である。

「朝霜(あさしも)、まだまだ元気だぜ! なんだい、もう帰っちまうのかい?」

 上官であるはずの矢矧に対しても、くだけた口調である。正直、矢矧はこの艦娘は扱いづらいと考えていたが、こと対潜戦闘においては彼女の腕はピカイチなのだ。

 居並ぶ駆逐艦娘たちの顔を見回して、矢矧はうなずく。いずれも損傷は少なく、活力が残っていて、意欲も旺盛だ。可能であればこの子たちを引き連れて、もう少し海域にとどまりたい。

 とはいえ、命令は命令だ。それに従い、彼女たちを率いて戻らねばならない。

「帰還指示がでたわ。本海域を離脱して本隊に合流する」

 矢矧がそう告げると、駆逐艦娘がそれぞれに残念そうな声をあげた。

「んじゃ、とっとと帰ろうぜ。早いとこ飯食ってシャワー浴びてえや」

 朝霜がそう言うと、舞風が周りをきょろきょろと見回して、

「でも、まだ一人足りないよ?」

 舞風の言葉を受けて、野分がぼそりとつぶやく。

「また、あの人、遅れてる」

 その言葉に、能代がやれやれと肩をすくめ、矢矧は頬をかすかに朱に染めた。

 程なくして、波の音にまじって、実にのんびりした声が聞こえてきた。

「ごめんなさーい、遅くなっちゃった」

 侘びつつも悪びれる様子のない満面の笑顔。長い黒髪に、温和そうな顔立ち。矢矧たちに向かって暢気に手を振って近づきつつ、しかし、彼女は、

「あーれー、止まってよお」

 速度を誤ったのか、矢矧のそばを通りすぎて明後日の方向へ行きそうになり、慌てて舵を切って回頭している。その様子を見て駆逐艦娘たちが一斉にくすくすと笑い、矢矧自身はというと顔がひきつるのをおさえきれなかった。

「ごめんなさい。みんなの顔見たら、ほっとして油断しちゃった」

 寄せてきながら彼女はのんびりとそう言った。着ている衣装は矢矧や能代とお揃いである。顔立ちはあまり似ていないが、その黒髪の艶やかさは矢矧とうりふたつであった。

 矢矧にとっては、一番上の姉に当たる、阿賀野(あがの)であった。

「ちょっと、阿賀野姉、もっと早くこれないの?」

 怒りをこらえる矢矧に先んじて、能代が声をあげる。それに対して阿賀野は、

「待って待って。そんな怖い顔しないで」

 あくまでもにこにこと笑みながら、言ってのけた。

「こんな綺麗な海だもの、急いで戻ったらもったいないじゃない」

「いまは作戦行動中。物見遊山に来てるんじゃないのよ?」

「えー? 固いこと言っちゃだめ」

 阿賀野型は四人姉妹である。矢矧が三女、能代が次女、阿賀野はれっきとした長女。

 にも関わらず、妹である能代が姉に説教しているという有様。それを目の当たりにしている駆逐艦娘たちは揃って口をへの字に結んでぷるぷる震えている――笑いをこらえているのだ。

 旗艦の矢矧は黙りこくっていた。副官代わりの能代が説教している以上、下手に口出しをするのはよくないことと分かっていたからだ。分かっているものの、さりとて、粗忽な姉に対する鬱憤が消えうせるものではない。

 これまで深刻な事態には陥っていないものの、阿賀野のマイペースさは、作戦行動に支障をきたすのではないか。実際に任務に当たってから、矢矧の頭にはその疑念がつきまとって離れない。

 ひとしきり能代が説教して、それなりに阿賀野が反省の表情をみせたのを見届けて、矢矧は気を取り直して凛とした声で号令をかけた。

「艦隊、東へ転進。本隊に合流する」

 言葉短くそう告げると、駆逐艦娘たちが一斉に「はい」と返事して続く。

 能代も表情を引き締めて最後尾につく。

 ただ一人、阿賀野だけが矢矧に併走しながら、首をかしげて見せた。

「どうしたの? おなかいたいの? 顔真っ赤よ?」

 そのあまりにも見当違いの気遣いに、矢矧はとうとう声を荒げてしまった。

「そんなんじゃないッ!」

 

 水平線の彼方から鮮やかな航跡を描きながら、少女にしか見えない人影が海上を駆けて来る。その姿を艦橋から双眼鏡で確認しながら、彼は安堵のため息をついた。

 異状なし、との報告を受けていても、この目で確認するまでは心が落ち着かない。

 それは鎮守府にいた頃も、そしていまヘリ空母に乗り込んでいても、変わることのない心持ちだった。

 彼は、白い海軍制服を着込んでいた。その面立ちから年齢は判別しづらい。壮年に見えたが、その目の輝きはより若々しく、かと思えば、身のこなしは老成した雰囲気をまとっている。その制服にも帽子にも、艦隊指揮官を示す徽章はついていたが、階級章を判別できるようなものは見出せない。

 彼は、艦娘たちから「提督」と呼ばれている。彼女たちの指揮官なのだ。

「おっ、戻ってまいりましたな。相変わらず素晴らしい速度だ」

 提督の隣にたつ人物がそう声をあげる。こちらはまだ年若い男性で、青い海軍制服を身にまとっていた。肩の階級章は少佐を示している。彼もまた双眼鏡を覗いていたが、それをおろすと、にやと提督に笑いかけて言った。

「あの先頭を駆けるポニーテールが『矢矧』という名前なのは、本当でありますか」

「そうだが、それがどうかしたのか」

 提督がじろとにらみつけるのにもひるまず、少佐は写真を一枚取り出し、

「可能であれば、サインなど頂けないかと。“彼女”のファンでして」

 そう言って、彼は写真を提督に示してみせた。

 そこに映っているのは、少女の姿ではない。

 モノクロの古めかしい軍艦の姿だ。

「……なにか、ゆかりがあるのかね」

 提督の問いに、少佐はうなずいてみせた。

「ご先祖様が乗っていたそうです。坊ノ岬沖海戦で九死に一生を得た、と」

 その声に沈痛な様子はない。ただ、歴史上の事実として、自分の過去と現在とを結ぶ奇異なめぐり合わせを喜んでいるかのようだった。

 提督はいったん帽子を脱ぎ、髪の毛をなでつけながら大きく息をつくと、言った。

「艦娘と一般船員との接触は固く禁じられている。それは知っているな?」

「無論であります。ですから、閣下にお願いしております」

「……彼女はいま作戦行動中だ。すぐには無理だな。首尾よく打通作戦が成功すれば、帰途に改めて考えてみよう」

「楽しみに待っております」

 少佐はそう言うと、写真を懐にしまいこんだ。

「それにしても、艦娘とは素晴らしい機動力ですな。このカレー洋に来るまでに洋上演習を拝見しましたが、人間と変わらない大きさであの速さ、あの動き、そしてあの火力。なるほど、普通の船乗りが深海棲艦相手にはお役御免になるわけです」

 少佐の声には少しも暗いところはない。純粋に艦娘を賞賛していた。

「深海棲艦相手には彼女たち抜きでは戦えませんな。非力な自分たちでは、あの海の怪物にはどうにもなりません。こうして目の当たりにすると強く実感します」

 その言葉に提督は黙りこくっていたが、ややあって、ぼそりと言葉を発した。

「……人間が深海棲艦相手にまったく歯が立たないわけではないさ」

「いや、しかし、現に――」

「艦娘が投入される前の、海軍の深海棲艦に対するキルレシオを知っているか?」

 提督の問いに、少佐が目をぱちくりとさせる。

 その反応を予想していたのか、提督は面白くなさそうに答えた。

「一対五だ。護衛艦五隻を並べて、ようやく深海棲艦の駆逐艦クラスに抗しうる」

「それは……事実上、勝負にならないのではありませんか」

「だがまったく勝ち目がないわけじゃない。有人の護衛艦ではまずいのであれば、無人の洋上ドローンなどの開発もあったはずだ。だが、大本営は最終的に艦娘計画を採用した。それがもっとも安上がりで、なによりも人死にが出ない選択だったからだ」

「しかし、それは合理的な判断ではありませんか?」

「どうかな。その時点で人間は“自分たちの戦い”を諦めたといえる。あるいは、多大な損害を出してなお、“人間は自分たち自身で戦うべきだった”のかもしれん。彼女たちにすべてを押し付けるのではなく、“この戦いを己のものとして背負う”ために」

「恐れながら、その発言は大本営への不信と取られかねませんよ」

 声をひそめて少佐が言うのに、提督は薄く笑んでみせた。

「失礼した。そのような意図は毛頭ない。ただ、『人間がまったく深海棲艦にかなわないのだ』という思い込みを払拭したかっただけだ」

「しかし、それならなぜ、大本営は軍備の増強に力を入れないのでしょうか。閣下のおっしゃることが本当なら、支援任務であっても彼女たちの力になれると思いますが」

「――怪物の相手は、怪物にさせるのがお似合いだと、そう考えているんだろう」

 提督は、ひときわ低い声でそうつぶやくと、帽子を深くかぶりなおした。

 

 

「――以上が、第七次出撃の概略となります」

 矢矧が背筋を伸ばして報告を終えると、目の前の艦娘はきびきびと言った。

「ご苦労。まずは休養をとってくれ。明日はWN海域に偵察に出てもらう」

 凛とした声、長く流した黒髪、端整な面立ちは美人といってよかったが、その身にまとう雰囲気はどこか武人の空気を感じさせる。艦娘たちのまとめ役、“艦隊総旗艦”の二つ名で呼ばれる長門(ながと)だった。

 先の通信で矢矧に帰投を命じた声の主でもある。

 二人がいるのは、艦娘用にあつらえられた特設運搬船の一室だ。元は客船だったこの船を徴用して艦娘に必要な設備を整え、「洋上の鎮守府」としているのだ。ここなら損傷を直すこともできるし、整備や補給も受けられる。

 矢矧と長門は客室のひとつを改造した作戦室で話し合っていた。

 打通作戦の本隊は、提督が乗り込む指揮通信用のヘリ空母がひとつ、特設運搬船がひとつ、そして念のための護衛艦がふたつ、から成っている。深海棲艦の制圧海域に乗り込むのにはささやかな陣容にみえるが、特設運搬船には六十人からの艦娘が乗り込んでいる。実際の戦力は過去に例を見ないほど大規模なものといえた。

 通常、限定作戦ともなれば、艦娘は鎮守府から長駆して現地へ向かうか、それとも最寄の泊地を拠点とするか、を取る。それが今回は異例なことに通常艦艇からなる部隊を仕立ててカレー洋に乗り込んだのは、二つ理由がある。

 その一つは、提督自身が前線近くまで身を運ぶことを希望したこと。

 いま一つは、リランカ島を越えて進出する今回の打通作戦では、鎮守府からあまりに遠いという事情があったためだ。

 なにはともあれ、休める拠点が近くにあるというのは、ありがたい話ではあった。

 ただ、そのために、矢矧たち威力偵察部隊が反復して出撃を強いられているのも、また事実なのだが。

 長門がテーブルに広げた地図にピンを刺す。反応がネガティブであることを示す青いピンがずらりと刺さったそれを見て、矢矧は眉をひそめた。

「敵はいったいどこにいるのだ……」

 長門がぼそりとつぶやく声が、矢矧の耳には痛い。

 発見できないのは自分の責任だと感じればこそ、いまの状況がはがゆい。

 リランカ島攻略に先んじて、カレー洋に展開する敵機動部隊を叩く。

 そうしておかないと、島の攻略中に背後から攻撃されかねない。

 作戦としては理にかなっている。矢矧もそこに疑いを挟む気はない。

 予想外だったのは、威力偵察に出て一週間が経つのに、深海棲艦の機動部隊の尻尾さえつかめないことだった。

 当初、数日で発見できるはずだった敵部隊が見つからないまま、倍以上の時間がすぎている。限定作戦も、展開期間にはリミットがある。最悪の場合、敵が見つからないままに時間が経過してしまい、タイムオーバーになる可能性すらある。

 いつまでも、ここカレー洋に大規模な戦力を貼り付けておくわけにはいかないのだ。

「――ひょっとしたら」

 矢矧は、昨日から心にわだかまっていた疑問を口にした。

「カレー洋に深海棲艦の機動部隊など、いないのではありませんか?」

 それを聞いて、長門がじろと矢矧をにらむ。

「いないとすれば、どこに潜んでいると思う?」

 長門の問いに、矢矧は精一杯の気合を入れて答えた。

 そうしなければ、長門に対して意見をすることなどとてもおぼつかない。

「もしかすると、敵機動部隊はリランカ島に身を寄せているのかもしれません。そう考えると、威力偵察で敵の所在を掴むことができない理由が説明できます。あるいは――」

「あるいは?」

「そもそも、敵の機動部隊なんていないのかも。西方海域にはわたしも何度か来ていますが、リランカ島周辺に潜んでいるのは、潜水艦を中心とするいわゆる“群狼部隊”です。大規模な機動部隊は見たことがありません」

「……だが、リランカ南西のカスガダマ島沖には、過去、敵の中枢戦力として装甲空母鬼からなる敵機動部隊が確認できている。われわれの動きに呼応して出てきてしかるべきだと提督は考えておられる」

 長門は地図をまえにこつこつとテーブルを指で叩いて、言った。

「矢矧。敵機動部隊がリランカに潜んでいる、あるいは、機動部隊がいないということについて、お前は何か確証は得ているのか?」

 そう問われて、矢矧は声を詰まらせた。確証があれば、もっと強く上申している。

 言ってみたのはあくまでも思いつきでしかないのは、矢矧自身がよく分かっていた。

「――推測と願望は違う。そのことは忘れるな」

 矢矧の心を見透かしたかのように、長門は低い声で言った。

「はい……」

 思わずうなだれる矢矧に、長門は優しく肩に手を置いた。

「だが、指針を定めることはいいことだ。お前が考えた推測に基づいて、動いてみてはどうだ。提督やわたしが間近にいるとはいえ、威力偵察部隊の旗艦はお前だ。こと現場の判断は、矢矧、お前に任せている――だから、な。あまり気負うな」

「……ありがとうございます」

 小さな声で礼を言いつつも、矢矧の心は晴れなかった。

 そもそもが、威力偵察任務自体が、彼女の本意ではなかったからだ。

 不本意な任務をあてがわれ、しかも結果が出せていない。

 それゆえに矢矧は苦しんでいるのだった。

(そのことは長門さんも分かっているはずなのに……)

 恨むべき筋合いはまったくない。それでも矢矧は、編成を決めた提督と、作戦を指揮する長門に、複雑な感情を抱かずにはいられなかった。

 

 作戦室を辞して、矢矧は運搬船の甲板に出ていた。

 海原をぼうと見つめながら、ため息を何度もつく。

 潮風は肌になじんでいるが、それでも自ら海を駆けて感じる風と、こうして船に揺られて感じる風とでは趣が違う。

 前者が戦いを呼ぶ灼熱だとしたら、後者は休息をくれる安らぎだった。

「お隣、いいかしら?」

 鈴を転がすような声をかけられて、矢矧は振り返った。

 誰が来たか、振り向く前に声で分かっていたが――それでも、実際に目の当たりにすると、矢矧の胸は高鳴った。

 優美な長身。桜吹雪を模した簪をつけた長い黒髪。単なる美人と言うにとどまらず、どこか華のように人を惹きつけてやまない容貌。その威容を誇る巨大な艤装こそつけていないものの、彼女の姿を知らない艦娘は一人としていない。

「大和(やまと)さん――ええ、どうぞ」

「ありがとう」

 大和は微笑むと、矢矧の隣に立った。

 潮風にまじって、大和からやわらかく甘い香りがするのを矢矧は嗅ぎ取った。

(ああ、この人はどうしてここまで破格なのか)

 矢矧は感嘆の念を禁じえない。

 だからこそ、彼女と行動を共にできないことが悔しかった。

「偵察任務、どう? 苦戦しているみたいだけれど」

 大和がそう問いかけてきて、矢矧はたまらず泣き出しそうになった。

 彼女の言葉が何気なくという感じではなく、あらかじめ用意しておいたような響きだったからだ。あるいは、矢矧が帰投したとの知らせを受けて、大和はずっと自分を探してくれていたのかもしれない。

 大和と矢矧の縁は深い。かつての軍艦としての記憶では、矢矧は大和の随伴艦として共にし、坊ノ岬沖での最期も一緒だったのだ。

 ゆえに、艦娘としての矢矧にとって大和は憧れの存在であり、共に戦場を駆けることが夢であった。阿賀野型軽巡としての自分はスペックこそ高いものの、その経験不足からしばしば「永遠の期待の新人」「あさっての戦力」と揶揄されてきた。それでも折れることなく練度をあげることに専念してきたのは、ひとえに、大和と肩を並べて戦うことを目標としてきたからだ。

 自分がこの限定作戦に選ばれたと知ったとき、矢矧は飛び上がらんばかりに喜んだものだ。今度こそ、大和と同じ海を往くことができる、と。

 だが、鎮守府最強の艦娘である大和は決戦戦力であり、作戦の終盤に投入されることが決まっていたのに対し、自分に与えられた任務は本作戦前の偵察任務だ。

 初の限定作戦で、いきなり部隊の旗艦を任せられ、しかも一番槍。

 姉妹たちをはじめ、誰もが矢矧を誉めそやした。

 だが、矢矧にとっては、大和と共に戦えないことの方が悔しかった。

 あるいは自分がいい加減な性格なら、任務を投げ出してしまったかもしれない。

 しかし、彼女は生真面目なことこのうえない性格だった。任務を放り出すなど考えられるはずもない。与えられる任務はこなすべきだ――こなそう、でもなく、こなしたい、でもなく、「こなすべき」と考えてしまうのが、矢矧の不器用なところではあったが。

 矢矧は深く息を吸った。それと同時に浮かびかけた涙も飲み込む。

 努めて明るい声で、矢矧は大和に言った。

「だいじょうぶです。ちょっと難航してますけれど、きっとうまくいきます」

 この人の前では弱音は吐けない。

(そうしてしまったら最後、きっと自分は立ち直れなくなる)

 矢矧は内心ひそかにそう思った。敬愛する大和の哀れみを買うのは嫌だった。

「そう……」

 大和は何か言いたげに矢矧を見つめたが、ややあってついと視線をはずし、

「……ひょっとしたら、深海棲艦に見透かされているのかもしれないわね」

 海面を見つめながら、彼女はそう言った。

「見透かされている……?」

 矢矧が繰り返してみせると、大和は大きくうなずいた。

「深海棲艦にしてみれば、無理にわたしたちと戦う必要はないもの。それなりの規模でかからない限り、敵部隊が大規模な反撃に出る必要もない――あいつらにとって手駒にできる個体は無数にあるのだから。それらを警戒網としてばらまいて、大きな餌がかかったときにだけ動くようにしているのだとしたら……」

「それじゃあ、いくら偵察部隊が出て行っても……」

「ええ、前衛の警戒部隊に察知された時点で敵本隊は引っ込むでしょうね」

 そこまで言って、大和は肩をすくめてみせた。

「あるいは連合艦隊をすぐに投入すべきなのかもしれない。でも、そうすると敵情が分からないまま、わたしたちが先に一手打つことになる。不利な態勢で戦端が開くのは避けられない――そこを、どうにかしないと」

「……相手に、一歩先に打たせる……」

「あくまでもわたしの推測よ? はずれている可能性もあるし、ね」

 大和はそう言ってみせたものの、矢矧は真剣な面持ちでじっと考え込んでいた。

 

 大講堂の演台中央の階段に敷かれた緋色の絨毯。

 それを矢矧は一歩一歩踏みしめて、演壇へと歩み寄った。

 提督が部隊名と旗艦である矢矧の名を読み上げ、部隊旗を授与する。

 非公式には「グランドスピアー作戦」と呼ばれる本作戦の先鋒部隊。

 西方海域に一番乗りを果たす栄誉を担う偵察部隊は、槍の穂先の意匠だ。

 一礼して矢矧はうけとり、回れ右をして再び階段を降りる。

 姉妹たちがこちらを見ている。阿賀野も、能代も、末の妹の酒匂(さかわ)も嬉しそうだ。赤絨毯を踏むのは艦娘にとって望外の栄誉。矢矧はそれに選ばれたのだ。

 しかし、矢矧の目はすぐに大和に向けられた。

 優美な長身は艦娘の中にあってもひときわ目立つ。

 この階段から彼女までの距離は二十メートルもない。

 それでも、その距離が矢矧には途方もなく長いものに思えた。

 と、見てる間に、大和がどんどん遠ざかっていく。

 矢矧が思わず手を伸ばしても、大和は他の艦娘に囲まれて、別の戦場へ行く。

(あの人の隣に、わたしはいるべきなのに!)

 声にならない声をあげようとして、息を吸った瞬間。

 矢矧は、はっと我に返り、夢から目を覚ました。

 椅子に座って机に向かい、その机には海図を広げている。

 明日の行動を考えているうちに、いつのまにか眠ってしまったらしい。

 矢矧はかぶりを振って夢の残滓を追い払おうとして、自分の肩に毛布がかけられていることに気づいた。

「これは……」

「あ、矢矧。起きた?」

 のんびりした声が、矢矧の耳に入ってきた。

 相部屋の阿賀野がベッドに横たわって毛布にくるまったまま、こちらを見ている。

「まだ午前二時。横になって休んだ方がいいわ。疲れとれないから」

「……これ、阿賀野姉が?」

 矢矧の問いに、阿賀野はくすくすと笑って答えようとしない。

 代わりに彼女が発したのは別の言葉だった。

「うんうんうなりながら、何を考えていたのかな?」

「……阿賀野姉に言っても分かってもらえないわよ」

 つんと澄まして答える矢矧に怒りもせず、阿賀野は相変わらず暢気な声で言った。

「話すことで考えが整理できる、って聞いたことがあるよ。よかったら話してみて?」

 促されて、矢矧はしぶしぶ口を開いた。

「……相手に先に一手打たせるための、こちらの一手。それを考えていたの」

(言ったところで阿賀野姉には理解できないでしょうね)

 矢矧はそう考えていた――だが、阿賀野は大きく目を見開いて、それを聞いていた。

 ややあって、阿賀野はこくりとうなずいて、言った。

「賑やかにしたらいいんじゃないかしら」

「なんですって?」

「ねえ、矢矧。もしもわたしが眠っているあなたを起こそうとして――」

「……起こす方はいつもわたしだと思うのだけど」

「――たとえばの話、よ。あなたを起こそうとして、そっと身体をゆするのと、耳元でフライパンとお玉をガンガン叩いて騒ぐのと、どっちが早く起きると思う?」

 どういう例えだ――矢矧はあきれたが、ふと、脳裏にある考えがひらめいた。

 偵察部隊だと見透かされているのなら、そうでないように見せかければいい。

 矢矧の脳髄がフル回転し、再び海図に視線を落とす。

 そんな彼女を見て、阿賀野は小さく息をつくと、頭から毛布をかぶった。

 

 

「艦隊を二つに分けるですって!?」

 翌朝、出撃前の打ち合わせ。

 矢矧が提示した作戦を聞いて、能代は大きく声をあげた。

 他の駆逐艦娘たちも目を丸くしている。

 動じていないのは、目の下にやや隈を作った矢矧と、あくびをしている阿賀野だけ。

「ええ。今日はWN海域に出るけど、北回りと南回りの二隊に分けるわ」

 矢矧はうなずきながら、言った。

「北ルートは、能代、阿賀野、朝霜の部隊。南ルートは、わたし、舞風、野分。途中の敵は撃ちもらしても構わない。電探の発振を頻繁に行って、お互いの通信も普段以上に密にしてちょうだい」

「普段以上って、どのくらいなのよ」

「いつもの倍よ」

 こともなげに言ってみせた矢矧に、能代はうなってみせた。

「これはあれなのよね? 捜索範囲を広げることで、敵の発見確率を高めようっていう……通信も艦隊を分けたからお互いフォローしよう、っていう……そういうことよね?」

 恐る恐る確認する能代に、矢矧は据わった目つきで答えた。

「長門さんにはそういうことで報告しておくわ」

「……実際のところはどうなの?」

「敵が『二個艦隊で攻めてきた』と思ってくれれば成功よ」

 矢矧のその答えに、能代は頭を抱えてみせた。

「これは威力偵察じゃないわ……立派な陽動作戦じゃない。そこまでやれって言われてるわけじゃないでしょう?」

「じゃあ、聞き返すけど。このままでどうにかなると思う?」

 矢矧は能代を見つめて、ついで、駆逐艦娘たちを見つめた。

「カレー洋は広いわ。延々と雑魚を掃除していても埒が明かない。敵が食いついてくれるだけの何かを用意しないと、機動部隊本隊の所在はつかめない」

「……これは明らかに旗艦としての権限を逸脱してるわ。すぐに長門さんに報告して、指揮権限の変更を――」

 そう言いかけた能代の腕をつかんだものがいる。

 阿賀野だった。目をいっぱいに広げて、ふるふるとかぶりを振ってみせる。

「信じてあげよう? 矢矧が一生懸命考えた作戦なんだよ? 危なくなったらすぐに逃げればいいじゃない。ねえ?」

 そう言って、阿賀野は駆逐艦娘たちに向き直り、頭を深々と下げた。

「みんなもお願い。無茶かもしれないけれど、無茶をしないと道が開けないって、わたしも思うの。なにかあったら、しんがりはわたしたち軽巡が務めるから」

 矢矧もまた、駆逐艦娘たちに頭を下げた。

「ごめんなさい――みんなの力を、わたしに貸してちょうだい」

 しばし、室内に沈黙が流れる。

 ややあって、朝霜がにやりと笑いながら、言った。

「――やってもいいぜ。こういう大勝負は嫌いじゃない」

 その言葉に、舞風が続いて言う。

「すごく大変なダンスになりそうですね。踊りがいがありそうです」

 舞風がそう言うのを聞いて、野分が肩をすくめてみせた。

「あなたがそんなこと言うなら、わたしも行くしかないじゃない」

 三人の駆逐艦娘がお互いに顔を見合わせると、矢矧に向かって大きくうなずく。

 その様子を見て、能代が両手を挙げて、大きく息をついた。

「わかったわよ。この子たちがやる気なら、仕方がないわ」

「能代姉……」

「二つ約束して。危なくなったらすぐ逃げる。駆逐艦を先に逃がす。いい?」

「もちろん。約束する」

 矢矧がうなずいてみせると、能代はふっと微笑んで、矢矧の手を握った。残るもう片方の手で、野分の手を握ってみせる。阿賀野も、矢矧の手を握って、朝霜の手を握る。それを見た駆逐艦たちがうなずき、手をつないだ。

 お互いに手をつないで、ひとつのわっかになってみせる。

「ほら、艦隊旗艦。気合の入る一言、言いなさいよ」

 能代に促されて、矢矧が咳払いをすると、高らかに言った。

「わたしたちは六人でチームよ。出発するときと同じように、帰ってきたときに、もう一度こうやって手をつなぎましょう。一人も欠けることのないように、全員必ず無事で」

 駆逐艦娘たちが「おうっ」と声をあげる。

 そして六人はつないだ手をふりあげると、笑みを交わして、手を離したのだった。

 

「南ルート、敵警戒線突破!」

 矢矧の号令に続いて、駆逐艦の二人が声をあげた。

「舞風、損傷軽微。まだまだやれます!」

「野分、被害なし。魚雷残弾、まだだいじょうぶ」

 海面を素晴らしい速度で駆けながら、お互いにうなずきあう。

 三人の報告は無線に乗って北ルートの別働隊にも伝わっているはずだ。

 敵の撃滅は狙わない。水雷戦隊の高速を活かして、警戒線を食い破る。

 それも電探を積極的に放ちながら、二箇所同時にだ。

『こちら朝霜。いいねえ、こういう電撃戦もあたい好きだよ』

『こちら阿賀野。速過ぎて目が回りそう……』

『こちら能代。いまだ敵は警戒部隊のみ――』

 弾む声で入った通信が、一瞬途切れる。

『――なんだい、ありゃ』

 朝霜が、呆然とつぶやく声が通信に乗って聞こえる。

 その不穏な響きに、矢矧の首筋が総毛だった瞬間、能代の絶叫が響いた。

『敵機動部隊! 大きい! グリッドWN二四六、東進中――』

 そこで通信はふっつりと切れた。後に残るのは耳障りなノイズだけ。

「本隊に緊急打電、敵機動部隊を発見と――」

 矢矧の指示に、舞風が悲鳴をあげた。

「だめです! 電波妨害されて通信できません!」

 それを聞いて矢矧は唇を噛んだ。能代たちが当たりを引いたのは間違いない。

 いま本隊に連絡がつけば、救援は間に合うのに――

「――行きましょう、矢矧さん」

 野分が静かな戦意を秘めた声で言った。

「わたしたちが駆けつければ、能代さんたちを助けられるかもしれません。窮地に陥った仲間を見捨てたとあっては駆逐艦の名折れです」

 その言葉に舞風もうなずいてみせる。

 束の間、逡巡して、しかし、矢矧はかぶりを振ってみせた。

「いいえ。約束どおり、危なくなったらすぐ逃げる、そして駆逐艦を先に逃がす、よ――能代たちのところへはわたしが行くわ。二人は本隊へ知らせに行って」

「そんな、軽巡一人でどうしようって言うんですか」

 舞風が泣きそうな声で言うのに、矢矧はにやりと笑ってみせた。

「ただの軽巡じゃないわ。最新鋭の阿賀野型軽巡よ――さあ、行きなさい」

 その言葉に、舞風と野分は顔を見合わせると、目の冴えるような敬礼をしてみせた。

 そうして二人が回れ右をして、主機を一杯に上げて海原を駆けていく。

 二人の後姿を一瞬だけ見送ると、矢矧はうなずき、舵を切って北へと進路を向けた。

 

 矢矧が駆けつけたとき、三人は雲霞の群れにたかられていた。

 敵の艦載機が何度も何度も繰り返し、爆撃を繰り返す。

 朝霜がジグザクに機動して避けながら、高角砲を懸命に空へ向けている。

 能代はそれより動きが鈍い――阿賀野をかばっているのだ。

 阿賀野の艤装は半分が吹き飛び、無残な残骸となっていた。

 能代と阿賀野に向けて、艦載機の編隊が襲い掛かる。

 それを目の当たりにした矢矧は声にならない叫びをあげながら海面を駆けた。

 通常よりも鋭い機動で敵と二人の間に割り込むと、高角砲を放つ。

 予期せぬ邪魔に目算のくるった敵艦載機が編隊を乱し、そのうちの二機が落ちた。

「二人ともだいじょうぶ!?」

 叫んだ矢矧に、能代が叫び返した。

「なんで来たの! このバカ!」

「駆逐艦を逃がすためよ!」

 矢矧はそう言うと、朝霜に向かって怒鳴った。

「いつまで防空戦闘やってるの! 早く逃げなさい!」

「だけど、あたいは――」

「いいから、行きなさい! しんがりは軽巡の仕事!」

 矢矧の叱咤がしたたかに朝霜の背を打つ。

 朝霜は泣き出す寸前のように顔をゆがめると、くるりと回れ右をして主機を上げた。

「――能代、あなたも行って」

 対空砲火を撃ちながら矢矧がそう言うと、能代はまなじりをつりあげて抗議した。

「冗談じゃないわ。あなたたちを見捨てるなんて……」

「……敵の機動部隊に接触したのはあなたの隊よ。あなたの方が本隊に報告する時には適切だわ。あと、朝霜一人じゃ無事に逃げ切れるか分からないし、それに――」

 矢矧は、ふっと能代に微笑みかけた。

「――姉が三人揃って帰らなかったら、鎮守府で待ってる酒匂が悲しむわ」

 阿賀野型姉妹の末っ子の名前を出すと、能代の顔がくしゃりとゆがんだ。

「矢矧、あなただって……わたしの妹なのよ」

「不出来な妹でごめんなさい――行って、お願い」

 その言葉に、能代は、

「――――ッ!」

 声にならない叫びをあげると、回頭して朝霜の後を追って駆けていった。

「あなたも行ってちょうだい。わたしがここで食い止めるから……」

 弱弱しい声で阿賀野がそう言うのを、矢矧は一蹴してみせた。

「冗談じゃないわ。わたしは旗艦よ。皆を無事に逃がす責任があるわ」

 阿賀野をかばって防空戦闘を繰り広げながら、矢矧は言った。

「じゃあ、右半身支えて……そうしたら、残った砲が使えるから」

 阿賀野の頼みに、矢矧はそのとおりにした。

 ややあって、二人揃って高角砲を放つ。

 火力が増したように見えて、その実、機動性は下がっている。

 いまの阿賀野では思ったような速力が出ないからだ。

 じりじりと下がりながら、撃ち続けるしかない。

 矢矧はぎりと歯を食いしばると、砲のすべてを空へと向けた。

 

 艦載機の雲霞の群れが、何度も何度も二人を襲った。

 至近に落ちた爆弾は十発を超え、海面下で襲ってきた魚雷も五本を超えた。

 それでもなお、矢矧は海面に立っていた。

 もはや艤装はひしゃげ、満足に動く砲もわずかしかない。

 足首まで海面下に沈み、もはや水上機動もままならない。

 しかし、矢矧は――笑っていた。

 背後に阿賀野をかばいつつ、笑っていた。

 二人ともボロボロだが、まだ沈んではいない。

 坊ノ岬沖海戦では、軍艦矢矧は爆弾十二発、魚雷七発を受けてようやく沈んだのだ。

 艦娘である自分もそれぐらい耐えてみせねば顔向けができない。

 誰に対して、と自問して、脳裏にうかんだのは、桜の簪を刺した華のような艦娘。

 戦艦大和。艦娘になっても自分の憧れだった。

 彼女を真似ようと衣装も少しいじって、えらく怒られたのも良い思い出だ。

 矢矧は西の水平線を見つめた。

 ぽつぽつと見える黒い影は深海棲艦の艦隊だろう。

 そこから、再び雲霞の群れが沸き立つのが見えた。

 ――おそらく、これが最後の空襲になるだろう。

 額から流れる血を拭って、矢矧は大きく息を吸った。

 さあ、来るなら来い。何機道連れにしてやろうか。

 雲霞の群れが耳障りな音を立てながら、迫ってくる。

 そんな中、阿賀野がぽつりとつぶやくのが聞こえた。

「矢矧ったら、一人で頑張りすぎなのよ」

「なによ、こんなときに」

「周りはあなたを心配しているのに、一人で抱え込んで、頑張っちゃって」

「悪かったわね」

「もっと周囲に甘えていいんだよ?」

「今度、生まれ変わったらそうするわ」

 そう軽口を叩いてみせた矢矧に、阿賀野が上目遣いをしながら、言った。

「あなたの無茶に、わたしが何の保険もかけないでおくと思う?」

 そう、阿賀野が言った直後だった。

 雲霞の群れのうなりを圧倒するかのように、遠雷のような音が響き渡った。

 はっとして矢矧が空へ顔を向けた瞬間、雲霞の群れに向かって何かが突っ込んで行ったかと思うと、火花のように散って無数の光の線を描き出す。それに打たれて、敵の艦載機の群れが次々に落ちていく。

「――三式弾!?」

 矢矧は声をあげた。そして、あの遠雷の音。

 あんな音を出せるのは鎮守府でもごくわずか――四十六センチ三連装砲。

 大和型の主砲以外にありえない。

『――連合艦隊、突入せよ』

 ノイズ交じりの声で、通信が入る。長門だ。

『矢矧たちが命がけで見つけた敵部隊だ――残らず叩きのめせ』

 その通信に、別の声が入る。

『オッケー! 皆さん、ワタシに就いてきてクダサイ! フォローミー!』

 その号令に、何人もの艦娘が『応!』と声をあげるのが聞こえた。

 慌てふためいた様子で、水平線上の深海棲艦どもがうごめく。

 それを目指して、矢矧たちの横を十人を超える艦娘たちが駆け抜けていく。

 二個艦隊から編成される連合艦隊。

 カレー洋の制海権を押さえるための主力打撃部隊だ。

 矢矧は思わず阿賀野に向き直った。

 阿賀野は、にんまりと笑うと親指を立ててみせた。

 

「なんて無茶をするの!」

 叱咤の声は、しかし、涙に滲んでいた。

 戻ってきた舞風たちに手を引かれ、本隊まで帰り着いた矢矧を出迎えたのは、はたして大和であった。

「阿賀野から話は聞いていたから、事前に準備は整えられたけど、もしちょっとでも遅れたら、あなたたちは――」

 大和がにらみつけるのに、矢矧は苦笑いを浮かべるほかなかった。

 能代が肩をすくめてみせる。

「阿賀野姉って意外に策士だったのね。事前に作戦内容を長門さんと大和さんに教えるなんて。そんなことやる暇あったかしら?」

「夜明け前に矢矧が寝入った隙にね。何を考えているかは想像ついたから」

「……事前に教えてよ、そういうのは」

 矢矧がうんざりした声で言うと、阿賀野は指をちょんちょんと突き合わせながら、

「だって、話したら、余計なことするなって、怒りそうだったし」

「分かったわよ、今度からはちゃんと話してよね」

「怒らない?」

「怒らないわよ」

「……いまは?」

「怒ってるわよ、もちろん」

「ほうら、やっぱりぃ」

「やっぱりぃ、じゃないわよ、阿賀野姉!」

 矢矧が阿賀野の頬をつまんでひっぱる。「いたひいたひ」と阿賀野が悲鳴をあげる中、大和が咳払いをしてみせた。

「ねえ、矢矧、ひとついいかしら」

「……なんでしょうか」

 ごくりと唾を飲み込んで、矢矧が向き直る。大和は真剣な面持ちで、言った。

「わたしも決戦艦隊の旗艦はまだ預けられていないの。その役目は長門さんが担っているから――でも、もしわたしが艦隊旗艦を任せられるときが来たら、そのときは、あなたに護衛水雷戦隊を預けてみたい」

 大和の言葉に、矢矧が目を丸くしてみせる。

「それって……大和さん!」

「こんな危なっかしい子、手元に置いておかなきゃ心配で仕方がないもの」

 そう言って、大和がウィンクしてみせる。

 矢矧は思わず頬を染め、目を輝かせたが――すぐに、かぶりを振ってみせた。

「すみません、大和さん。我が儘なのは承知していますが、もう少し待ってください」

 そう言って、矢矧は照れくさそうに艦隊の皆の顔を見回した。

「わたし、自分ばかり一生懸命で、他の人が助けてくれていることに気づくことができませんでした。阿賀野姉も、能代姉も、舞風も、野分も、朝霜も、それに大和さんも……みんなわたしに力を貸してくれているのに、それが視界に入っていませんでした」

 矢矧は気恥ずかしげに笑みを浮かべた。

 だがそれは、心中のわだかまりがすっかり解けた、晴れやかな笑みだった。

「だから、もう一度出直します。自分を見つめなおして、鍛えなおして、大和さんの随伴にふさわしい艦娘になったときに、改めて、宜しくお願いします」

 その言葉に大和は、ふっと目を細めて優しく言った。

「じゃあ、待っているわね――そのときまで、水雷戦隊の席は空けておくから」

「はい――そのときは喜んで!」

「よかったわね、矢矧」

 能代がそう言いながら、矢矧の手を取る。矢矧がうなずき、もう片方の手で大和の手を取った。阿賀野が、駆逐艦たちが、手を握り合う。そうして、大和も含めて、手をつないだひとつのわっかになってみせる。

「あれ、一人多いぜ。いいのか?」

「帰ってこれたごほうびですよ!」

「うん、そうだね。増える分には歓迎だ」

 駆逐艦たちがそうさえずってみせる。。

 能代がそれを聞いて優しい笑みを浮かべ、阿賀野がにっこりと笑む。

 大和が華のような笑みを浮かべると、矢矧はそんな大和と皆を見て微笑んだ。

 カレー洋の一角に、艦娘たちの笑い声がさざめく。

 それはこの戦いにおける、最初の勝どきとなったのであった。

 

〔続〕


 
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