真恋姫無双 幻夢伝 第九章 3話 『皇帝』
曹操討伐命令。これが偽勅でないことは、閉ざされた洛陽の宮城の門が教えてくれた。加担した近衛兵は宮城内に籠り、皇帝の傍に仕えていた魏寄りの臣下は、命からがら逃げてきた。
皇帝の臣下たちは、各所へ密勅を送った。蜀や呉、そして南蛮などの異民族、さらには華琳と仲が悪そうな魏の臣下など、一見すると節操がないほどに大量に送っている。華琳が入手した密勅には、激烈に華琳のことを罵り、憎み、呪う言葉が並べられている。彼らは本気であった。
町の人々は何も言わない。何も語りたがらない。ただ、この先にある“災い”に戦々恐々としているだけだ。
許昌にいる華琳は、密勅を机に放りだすと、ふうとため息をついた。
「さて、困ったものね」
「華琳さま!そんなのんびりとしたことを言っている場合ではありません!一刻も早く討伐を!」
春蘭が、ドンと机を叩く。この事態を受けて、化け物に偵察に向かっていたアキラたちの軍勢は、国内に引き返していた。
桂花が、青筋を立てて怒る春蘭に、反論した。
「あんた、討伐って言うけれど、どうやってしろっていうのよ!?相手は皇帝陛下なのよ!」
「じゃあ、このまま手をこまねいていろって言うのか!」
「まずは事の真偽を調査して……特に、皇帝陛下ご自身が関わっているか、確認しないと」
「それでは遅い!すでに地方ではこの勅命に呼応した動きがある!」
普段は桂花に言い負かされてしまう春蘭も、この日ばかりは一歩も引かない。むしろ桂花の方がたじたじとなっていた。
春蘭と桂花が言い争う間に、秋蘭が忠告した。
「華琳様、今回ばかりは姉者の言う通りです。まずは宮城の門をこじ開けないと」
「秋蘭。分かっているでしょう?私がどれほど気を使って、朝廷との関係を保ってきたと思っているのよ」
華琳はまたため息をつく。
アキラによって十常侍が抹殺された後、華琳は正史の曹操とは異なり、慎重に朝廷工作を行った。花びらを一枚一枚引き抜くように、魏に反発する朝廷の臣下を取り除き、その代わりにこちらの息がかかった者を送り込む。先日、魏王に就任した際も、朝廷から提案させることに成功した。彼女は決して自身の権力欲を見せなかった。
今回の一件は、こうした華琳の努力を泡に帰すものだ。秋蘭も、彼女が抱く虚しさを感じとっている。
しかし春蘭は、ここまで事態が進んだら強硬に行動するべきだ、と主張する。
「宮城を包囲しましょう!やつらに謝らせるのです!」
「待ちなさい!そんなこと、許さないわよ!」
「しかし!」
彼女たちが激しく議論する執務室に、風が入ってきた。珍しく小走りだった。
「たいへんです」
「どうしたの?」
華琳は、これほど目を大きく見開いた風を見たことがなかった。春蘭たちも口を閉じて、風の方を振り向いた。
彼女たちは、春蘭以上に強硬な男の存在に、気が付かなかった。
風は大きな声で言った。
「お兄さんが宮城に攻め込みました!」
「なんですって?!」
華琳たちは息を飲んだ。そんなことが“この国”で起こるはずがない。
風は、驚きを隠せない様子で、状況を説明する。
「華雄さんや霞さんを連れて、宮城の門を打ち破ろうとしています。突破は、時間の問題です」
「すぐに止めないと!馬を用意して!」
春蘭たちも慌てて動き出す。華琳も走り出そうとした。
その時、稟が彼女たちの前に現れた。
「華琳さま、お二人がお見えです」
華琳は足を止める。そして冷静さを取り戻すと、稟に言った。
「分かったわ。すぐに会いましょう。通して」
ドンッッ!と町中に響き渡る大きな音を鳴らして、洛陽の宮城の門が壊れた。アキラたちの軍勢が中になだれ込む。
「不届きものがっ!……うぐっ!」
アキラに襲いかかってきた近衛兵を、華雄が斬り捨てる。アキラはその死体を白い目で見ると、指示を飛ばした。
「抵抗する者に容赦はするな!高位高官の者でも斬れ!霞、お前は暴れすぎるなよ」
「ええ~、なんでウチだけ釘さすんや!」
不満で口をとがらせる霞の足元には、すでに2人の死体が転がっていた。アキラは苦笑いを浮かべ、こう言い加える。
「あまりやりすぎるな。鎧に血が付くだろ」
「それがなんであかんの?」
「決まっているだろ」
アキラはにやりと笑った。
「これから皇帝陛下とご対面だからだよ」
百戦錬磨の汝南軍に勝てるはずもなく、近衛兵は敗走した。アキラは皇帝が住む宮廷を包囲させると、自身は華雄と霞を連れて中へと入って行った。
青ざめた皇帝の臣下がアキラの姿を見て右往左往としている。その中で骨のある者は、震える声でアキラを叱責した。
「ぶ、ぶれいもの!宮中で武器を用いるとは…」
「黙れ!!」
華雄が一喝する。その臣下は口をつぐんで俯き、他の者たちはアキラたちから遠ざかった。
アキラは、彼らを気にすることもなく、カツカツと進んでいく。この先の階段の上に、皇帝がいるはずだ。
この数百年、何人たりとも上ることを許されなかった階段を上る。そして頂上に辿りつくと、御簾を大きく引き裂いた。その中に、誰も間近で見たことがない、皇帝の姿があった。
皇帝は震える体を小さくしていた。か細い声でアキラに言う。
「さ、さがれ……余をだれだと思っている…」
「皇帝、だろ。違うか?」
と答えたアキラは、彼の首筋に剣をつきつけた。皇帝が一層おびえ、臣下たちが大きく動揺する。
アキラは、皇帝に問いただす。
「今回の一件、お前の命令で間違いないな?」
「ち、ちがう…!」
「残念だが、すでに宦官を買収している。証拠はそろっているのだ」
アキラは剣を振り上げた。皇帝の元に走ろうとした臣下を、華雄と霞が睨み止めた。
ついには失禁した皇帝に、アキラは冷たい視線を送る。
「…俺たちを苦しめた漢の皇帝とは、この程度だったのか………さらばだ」
「待ちなさい」
と、入り口の方から声が聞こえた。アキラが剣を下げて振り向くと、華琳がそこにいた。
「おお、魏王!よく来た!さあ、あの悪しき者から皇帝をお救いしろ!」
と、皇帝の臣下たちが命ずる。自分たちが今まで殺そうとしてきた者に、平然と救いを求めるこいつらに、華雄は反吐が出そうになる。
華琳は何も言わず、ただ睨み返す。その彼女の後ろから、あの2人の姿が見えた。アキラが口にもらす。
「蓮華に、劉備か」
その言葉に、皇帝の顔色がパッと明るくなった。
「は、はやく、はやく、この者たちと曹操を殺すのだ!皇帝の命令ぞ!」
2人はつかつかと進み出る。華琳や華雄たちの隣を抜けて、皇帝の前に辿りついた。
「なにをしている、はやく…」
「皇帝陛下」
蓮華の低い声が響く。その迫力に、アキラでさえ息を飲んだ。
蓮華は言う。
「ただ今をもって、孫権はすべての官位を返上いたします」
「……は?」
「聞こえませんでしたか。私はもう、貴様の臣下ではないと言っているのだ!」
皇帝の顔が再び青白くなる。彼は椅子から転げ落ちると、四つん這いの状態で、階段下の桃香に頼み込んだ。
「りゅ、りゅうび!お主なら余を助けてくれるよな?余は天の御遣いに協力しようと言っているのだぞ!」
桃香は背筋を伸ばして、皇帝を見つめた。あれほど尊敬していた皇帝が、醜い姿でこちらを見ている。彼女の目に悲しみの感情が浮かんだ。
「皇帝陛下、私はあなたを助けません」
「な、なんと……」
桃香は、皇帝に淡々と語った。この時、彼女は“漢を再興する”夢を、捨てた。
「あれはご主人様、北郷一刀の姿をした、ただの幻影です。北郷一刀は人を苦しめ、殺すような人ではありません。私は、私たちは、あの幻影を認めません!曹操さんに従います!」
「あ…あ……」
言葉なく、後ろに下がろうとした皇帝を、アキラがその腹を踏みつけて止めた。
「ふぐっ!」
「アキラ、ダメよ。“病人”にそんなことをしたら」
華琳が、蓮華と桃香の肩をポンッと軽く叩いて、前に出てくる。入り口から春蘭と秋蘭の姿が見えた。
華琳は2人に命ずる。
「皇帝陛下はご乱心あそばされた!いにしえの伊尹の例に従い、皇帝陛下を幽閉申し上げます」
「はっ!」
伊尹とは湯王に仕え、殷王朝誕生に寄与した名臣である。彼は湯王の孫の太甲が暴虐なふるまいをしたため、彼を幽閉して悔い改めさせた後に、再び王に迎えた逸話が存在する。
もっとも、華琳は幽閉を解く気はなかったが。
「立ち上がられよ」
「い、いやじゃ!いやじゃ!」
皇帝の泣き声が聞こえる中、アキラは階段を下りて彼女たちの元に向かった。目じりをつり上げた華琳が、彼を出迎える。
彼女は、彼の胸を指でこづくと、こう叱りつけた。
「二度とこういうことは止めてちょうだい。あなた、本当に殺そうとしたわよね?」
「分かった。次からは“相談してから”やることにする」
「そういう意味じゃないでしょ!あのねぇ!」
アキラは怒る華琳を放っておき、蓮華と桃香の元に向かった。
「ありがとう。2人のおかげで助かった」
「アキラ。呉はあなたの化け物退治に全面的に協力するわ。助けが欲しかったら、いつでも言ってね」
「蜀も協力します」
桃香もそう伝えた。アキラは、思わずこんなことを聞いてしまった。
「俺のことが憎くないのか?」
桃香は黙り込む。そして彼を静かに見つめると、こう言った。
「正直、あなたは嫌いです。あなたが憎い」
でも、と桃香は続けて言った。
「ご主人様はいつも、みんなのことを考えていました。私たちはご主人様の遺志を受け継ぎたい。あなたを助けたいからではありません。ご主人様のためだからです」
「……すまないな。変なことを聞いてしまった」
「………」
突然、「隊長!」とアキラを呼ぶ声が聞こえてきた。凪がアキラたちの元に駆けこんでくる。
彼女の顔は満面の喜びにあふれていた。
「やりました!銀の剣の作成に成功しました!」
「本当か!」
「はい!これから量産します!」
アキラは拳で手を打ち鳴らした。目の前に一筋の光が見える。
「華琳、反撃するぞ!準備しておいてくれ!」
「分かったわ!」
「蓮華と劉備も、遠征軍の編成を進めてくれ。頼む」
「分かっている。すぐにやるわ」
「はい!」
アキラは歩き出す。もうここには用がない。アキラは皇帝がいた椅子に振り返ると、こう言い残した。
「天下は天下のためにある。お前のものではない。今度こそ、さようならだ。俺の敵だった者よ」
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曹操討伐命令。朝廷の裏切りに、アキラはどうするのか!?