No.771282

アルドノア・ゼロ ヴァース帝国の女王

最終話前にきっと劇場版展開だと勘違いして書いた作品。

2015-04-15 16:28:32 投稿 / 全7ページ    総閲覧数:1397   閲覧ユーザー数:1392

アルドノア・ゼロ ヴァース帝国の女王

 

 

 

『私は、今ここに先代皇帝レイレガリア・ヴァース・レイヴァースの後を継ぎ、ヴァース帝国の女王になります。そして軌道騎士37家門の1人クルーテオ伯爵を夫に迎えます。我々ヴァース帝国王室は地球との和平を望みます』

 

 

 

 アセイラムがヴァースの頂点に立つことを宣言してから1時間が経過していた。平和を訴える放送とは裏腹にマズゥールカ伯爵の揚陸城内部は緊迫した空気に包まれていた。

「地球連合政府やスレインから私の訴えに対する返答はまだないのですか?」

 2年前、アセイラムにとってはつい先日の出来事を思い出しながら焦りを含んだ声で夫に選んだ新伯爵に尋ねる。

 アセイラムがロシアの地球連合軍本部で和平を訴える放送を行ったところ、返ってきたのは揚陸城による襲撃だった。連合軍本部は大きな被害を受け、アセイラム自身も瀕死の重傷を負った。放送を終えてから、今回もまた同じ結果を迎えるのではないかという焦りが体を締め付ける。

「双方とも停戦受諾の返答はありません。代わりに両軍ともこの揚陸城に向けて進撃を開始しています」

 クランカインの返答は2年前の悪夢が繰り返されようとしていることを指していた。アセイラムの胸の締め付けがより一層酷くなる。

「どうしてですか? 少なくとも地球連合は和平を望んでいたではないですか……」

 アセイラムはロシアの基地で和平演説を地球連合軍の幹部たちが歓迎していたのを思い出す。少なくとも彼らは戦争の継続を望んでいなかった。

「恐れながら姫さま。2年前と今とでは戦況が大きく異なります……」

 小声で意見を述べてきたのはエデルリッゾだった。アセイラムが目覚めて以来政治や戦争についてはほとんど意見を述べなくなっていた彼女にしては珍しかった。

「現状でヴァースは劣勢、とまでは言いませんが地球軍は攻勢に出ています。ここ1ヶ月だけでもセルナキス伯爵、オルガ伯爵、ゼブリン伯爵、ラフィア伯爵をはじめ数多くの犠牲者が出ています。スレインさまは軌道騎士同士の結託を訴えることで再度の攻勢を考えておられます」

「つまり私の認識とは違い、今の地球連合は即時停戦に乗ってくる状況にはないのですね」

 エデルリッゾはわずかに俯いてハイともイイエとも答えなかった。それは肯定に他なら買った。

 

「では、スレインがこちらに向かって来ているのは……」

「私を倒して姫殿下、いえ、女王陛下を再度手中に連れ戻すつもりなのでしょう」

 クランカインの返答にアセイラムはどうしても気が滅入る。

「私がここにいるのは自分の意志なのに……」

「トロイヤード伯爵はそう考えないでしょう。仮にそう考えたとしても、女王就任及び結婚宣言、並びに地球との和平提案を宣言されてしまった以上、それを取り消させるために御身の身柄を確保する行動に出るのは必然かと」

「つまり、私はスレインの敵になったのですね……」

 目を固く瞑る。スレインとの敵対。それを覚悟した上での宣言だった。そのはずだった。

 けれどこうして実際にスレインの軍勢が近付いてくるのを聞かされると心が乱される。

 軍事力、ではなく大切な友人に銃を向けられているという事実自体に。

 地球に降りて以来ずっとお守り代わりにしてきたペンダントを握ろうと思った。けれど、それを持っていないことに気付く。

 月面基地で地球軍の兵士から逃げるために移動していたところ、いつの間にか手元からなくなっていた。

 スレインとの繋がりがなくなってしまったことを感じずにはいられない。大きな喪失感。

「ザーツバルム伯爵とスレイン・トロイヤードは女王陛下の影武者を使い、戦意を高揚させる演説を繰り返していました」

 マズゥールカが言葉を付け足す。

「…………影武者とはレムリナのことですね」

 先ほど基地で別れた母違いの妹のことを思い出す。突然現れた、今まで存在も知らなかった妹。いまだ、打ち解けられてはおらずどう接していいのかわからない少女。

「お恥ずかしながら、界塚伊奈帆に指摘されるまであの演説を行っている人物が偽者であることに気が付きませんでした」

 マズゥールカの言葉は遠回しにアセイラムが戦争を煽り指導した張本人としてヴァース、地球双方で認識されていることを示唆していた。

 すなわち、今更になってのアセイラムの和平の訴えは両星には届かないものであると。

「女王陛下を長年に渡り監禁し、その間に陛下の理想とはかけ離れた好戦思想を流布するとは。スレイン・トロイヤードは私が思っていた以上に卑劣な人物です」

 マズゥールカの言葉に嘘はない。なのに、スレインのことを他人から悪く言われるとアセイラムの胸はとても痛くなる。

 結局、スレインが何故変わってしまったのか聞く前に彼の元を去ってしまった。自分が目覚めた時に流してくれたあの涙が何だったのか。スレインを何も知らないままでいる。

「アセイラム姫殿下は監禁されていたのではありません。最近までずっと昏睡しておられたのです。姫さまをお守りしていたのは紛れも無くスレインさまですっ!」

 エデルリッゾは大声でマズゥールカに反論した。

 それはとても不思議な光景だった。先程もエデルリッゾはスレインのために泣いてみせた。スレインは変わっていないと訴えた。アセイラムさえスレインのことを信用できなくなっている中でエデルリッゾは今も強く彼を慕っている。

 アセイラムが知るエデルリッゾはスレインが地球人ということで酷く嫌っていた。まともに会話しようとは絶対にしなかった。地球に降りるその前に会った時でさえ、睨みつけていた。その少女がスレインの評価を必死になって守っている。そんな変化に2年間の時の流れを感じずにはいられない。自分が時代に取り残されていることを感じてしまう。

「何が真実なのかは置いておくにしても、現状では女王陛下の平和を求めるお言葉が両星の民に届くのは難しいでしょう」

 クランカインによる話の整理はアセイラムの心を重くさせた。

 

 

 

「では、どうすれば戦争は止まるのですか? 私は一刻も早く戦いもそれによる悲しみも生じない世界を作りたいのです」

 アセイラムは喋りながら自分の言葉に違和感を覚える。平和を求める心に嘘はない。

 なのに、スレインとの決別を意識させた、彼の語る血塗られた理想世界を思い出してしまう。

 伊奈帆は述べた。戦争とは外交手段の一つであると。見合わない損害を受ければ戦争は集結すると。

 スレインは述べた。戦争は相手を吸収して一つになるか倒すまで終わらないと。

 ヴァース軌道騎士も地球軍も戦争を継続する方が自己の利益になると考えている。戦力も拮抗してしまっている。この状況でどう交渉力を発揮しようというのか?

 自分の想いをどう現実化すればいいのかわからない。

「戦争終結のための土壌を育成していくことが何よりも肝要ではないかと思います」

 クランカインが頭を下げる。

「土壌とは、具体的に何を指すのでしょうか?」

 アセイラムはやけに心臓が高鳴っているのを自覚していた。クランカインをよく知らないことに今になって思い出してしまう。どんな戦争観を持っているのかわからない。

 彼が地球人についてもどう思っているのかもわからない。もし、父親と同じ地球人蔑視思想の持ち主だとすれば、アセイラムにとって障壁となってしまうかもしれない。

「女王陛下にはヴァース本星に戻っていただき正式な就任の儀を行っていただきます。そしてアルドノアの起動権を盾に軌道騎士に抑制を促し、地球とは粘り強い交渉を続ける。和平が成るには今しばらくの時間が必要でしょう」

 クランカインの言葉には一見間違いがない。けれど、伊奈帆と共に過ごした地球での逃亡生活。相手を征服することの妥当性を語るスレインの凍りついた表情。クランカインの述べることが容易に達成できないことをアセイラムは体験的に理解している。

 それに戦争終結に時間が掛かってしまうのであれば、先帝を廃してまで女王就任を宣言した意味がなくなってしまう。そして、クランカインの言葉には落とし穴が潜んでいるように思えてならない。

 

「アルドノアの起動権はレムリナさまも有しています。アセイラム姫さまが独占しているものではありません」

 エデルリッゾの言葉にハッとする。

 会ったこともなかった異母妹が自分の影武者を務めてきた理由。それはアルドノアドライブの起動ができるからに他ならなかった。

 レムリナがいる限り、そのレムリナを擁しているスレインがいる限り地球軍との交戦を望む軌道騎士に抑制を求めることは難しい。

 レムリナとスレインがいる限り。そう考えたところでアセイラムは背筋がゾクッとするのを感じた。慌ててクランカインを見る。

「トロイヤード伯爵が擁立する妹姫があちら側におられる限り、確かに軌道騎士に抑制を求めていくのは難しいかもしれません」

 クランカインは再会した時から今まで爽やかな笑みを崩さないで答えている。けれど、その表情にアセイラムは氷と化したポーカーフェイスを身に付けたスレインの顔を思い出さずにはいられない。何かを企んでいることを察知して背筋が震えた。

「では、レムリナを私たちの元へと保護するわけですね」

「そうなります」

 頭を下げて丁寧に同意してみせるクランカイン。

アセイラムが抱いていた懸念は確信へと変わる。クランカインはレムリナの暗殺を目論んでいるのだと。

 つい先程の地球軍アサルト部隊による月面基地内部への襲撃を思い出す。

 月面基地を無力化させるには、アルドノアを起動させている人物を殺してしまえば良い。レムリナの存在を知らない地球軍がアセイラムの命を狙ってきたのは当然のことだった。

 となれば、レムリナが月面基地のアルドノアドライブを起動させていることを知っているクランカインは当然妹の命を狙っていくはずだった。

 客人に過ぎないはずのクランカインが戦闘中の月面基地内をうろついていた理由も今は怪しく思えてならない。本当に自分たちを救うことが目的だったのか。

「レムリナの説得は姉である私が誠意を持って行います」

「そうしていただけますと助かります」

 クランカインを牽制しておく。だが、自分の言葉が抑止力にならないことはアセイラム自身が一番良くわかっている。そして、妹をこちらに出向くよう説得できないことも。姉として接して来なかったのだから。しかも、その妹はスレインを深く想っている。

 

「地球との和平交渉も容易ではありません……よね?」

 アセイラムの苦悩は続く。

 2年前との違いは地球連合軍が勝機を見出していると自己認識していること。ヴァースの超科学兵器の威力が絶大であるという恐怖感が薄らいでしまっている。地球軍が強気でいることは交渉締結の可能性を狭めてしまう。

スレインのやろうとしていた総攻撃は地球が交渉テーブルに真剣に着くには有用な手段であるのは確か。けれど、それは地球に甚大な被害がもたらされたことによる戦争継続意志の喪失によるもの。スレインのやり方を否定したにも関わらず、そのやり方を基盤にして停戦を導くのでは意味がない。

これ以上血を見ずに戦争を終結させるためには、和平交渉に望む際に双方の承諾条件を擦り合わせる過程こそが重要になってくる。

「双方が一定程度以上納得する条件を擦り合わせなければ遠からず再び戦火は切って落とされるでしょう。残念ながら怨恨は決して浅くはありません」

 クランカインは爽やかな表情を崩さないままとても無難なことを述べる。けれど、その無難の裏側にあるものがアセイラムの胸を苦しくさせる。

「ヴァースにとって一定以上の納得とは何を意味するのですか?」

「戦後における地球内での権益の安定的確保かと」

 クランカインの言葉にマズゥールカも頷いた。その言葉自体に血生臭は感じない。けれど、アセイラムは更に突っ込んだ質問をするしかなかった。

「その権益とは具体的に何を意味するのですか?」

 クランカインもマズゥールカも黙る。それは2人の間で権益の具体的内容に関する一致が存在しないから。そもそもアセイラムはクランカインのこともマズゥールカのこともよく知らない。2人の伯爵が互いをどこまで知っているのかも怪しい。

「資源の、ヴァースへの安定供給が要かと存じます」

 伊奈帆に恩義があるというマズゥールカは火星騎士の中ではかなり控えめな要求を挙げた。その要求はアセイラムの望みに近いものではあった。第三階層の絶対的な貧困を解決するためには地球からの資源供給が欠かせない。

 けれど、マズゥールカの意見に対してクランカインはやんわりと修正を口にする。

「地球への移住、土地や海域の所有の問題も出るかと」

 クランカインの意見は、地球から多くの物を得ないと火星騎士やそれに連なる者たちの不満が噴出することを示唆している。クランカインの意見は支配階層の多数派の意見に違いなかった。元々、地球から多くを得たいがための戦争だったのだから。

 だが、ヴァース側の要望を聞けば聞くほど地球の不満は募るに違いなかった。和平交渉が新たな戦争の火種になりかねない。

 ヴァースの最高責任者に就任したのに、ヴァース支配階層の利益を代表して交渉には望めない。けれど、地球側に有利な条件を飲んでしまえば今度はヴァースが内側から瓦解してしまいかねない。平和を願う女王として両星の板挟みになってしまっている。

「女王陛下は如何お考えでしょうか?」

 クランカインが話を振ってきた。アセイラムとて両立できないこの矛盾を解く方法を知らない。

「争いのない状態を持続させることが両星にとって最大の権益だと心得ています」

 具体的なことに関してはお茶を濁すしかなかった。

「ヴァースだけでなく地球の民にまで慈悲深いその御心に敬意を表します」

 クランカインとマズゥールカは共に頭を下げた。けれどそれはアセイラムの言葉に納得したのではなく問題を先送りにすることに合意したに過ぎない。

「少し、休ませてもらっても構わないでしょうか?」

「御心のままに」

 アセイラムは現状が予想よりも遥かに行き詰まっていることに胸を痛めながら未来の夫の元から一時離れることにした。

 

 

 

「私はクルーテオ伯爵を信用できない方だと思います」

 揚陸城内、アセイラムのために準備されたVIPルームに入るや否やエデルリッゾは不満を漏らした。睡眠から目覚めて以来、ほとんど自分の意見を述べなかった侍女にしては珍しい他者への不満の表出だった。

「爽やかなイメージを演出し、言葉巧みに誠実な男を取り繕ってはいます。ですが、姫さまの婿の地位を得てヴァース内で権力拡大を目論む下心が見え隠れしています」

「…………そう、でしょうね。それを承知で私は彼を頼ったのですから」

 アセイラムは覗き込んでくるエデルリッゾの瞳を見ずに答えた。自分の決断を間違っていたとは思わない。けれど、後ろめたくはないかと言われれば後ろめたいに決まっていた。

「それに、クルーテオ伯爵の根底に流れる思想はヴァースの守旧派そのものです。あの方を後ろ盾にされても、地球を嫌厭し機会に恵まれれば攻めようとする以前のヴァースに戻るだけです。姫さまの愛する世界には到底なり得ません」

 エデルリッゾの言葉が心に突き刺さる。最も信頼する少女の言葉だからこそキツい。

「…………女王に就任しても私にできるのは、互いを憎みながらも戦争という最後の一線は絶対に超えさせない。最低限の交易で何とかヴァースを発展させる。それぐらいのことなのかもしれません」

 私自身は両星の民に憎まれながら。心の中で付け足す。

 改めて考えてみると今、そして未来の自分にできることが極めて限られたことしかないことを痛感する。

 眠っている2年間の間に狂ってしまった歯車を再び噛み合わせる術を彼女は持ち合わせていない。それでも必死に今なすべきことをやるしかなかった。

 

「デューカリオンに亡命しましょう」

 エデルリッゾは思い詰めた表情で、けれど真剣な眼差しでアセイラムの手を握り締めた。

「姫さまがスレインさまの元に戻られないというのならそれは仕方ありません。ですが、ここに残っても結局は政治利用されるだけ。王位に就いたとて何か大きなことができるとは思えません。だったら、ここはデューカリオンに亡命して姫さまがご活躍できるその時をじっと待つべきではないかと思います」

 侍女少女の申し出はアセイラムの心を浮き立たせてくれるものだった。

 伊奈帆の元に行ける。そして、解きほぐせないプレッシャーからの解放をもたらしてくれる。けれど、その魔法のような特効薬を受け取る気にはなれなかった。

「デューカリオンのみなさんが私を庇えば、伊奈帆さんたちが地球軍に狙われることになると思います。恩のある方々にそのような真似はできません」

「ですが、以前のように別人として潜伏する生活を続ければあるいは……」

 アセイラムは首をゆっくりと横に振った。

「私には伊奈帆さんやスレインのように大きなことを成し遂げる能力はないのかもしれません。ですが、私にとって特別に大切な2人にいつまでも守られているだけというわけにはいきません。私にできることは少なくても自分の足で立って歩かないといけないのです」

 伊奈帆やスレインに守ってもらうのではなく、自分のことを自分でやる。

 それこそが自らを政略結婚の道具としてまでアセイラムが女王に赴任した決意だった。

「姫さまの行かれようとする道はスレインさまとの対立の道ですよっ! そしてヴァースの女王になれば地球の敵となります。そうなれば、たとえ心は通じていても界塚伊奈帆さんとも敵同士になるんですよっ!」

 エデルリッゾはアセイラムのやろうとしていることが矛盾したものであることを怒鳴り声で訴える。

 伊奈帆たちの庇護の元から離れるのと、真意はともあれ対立する構図になるのでは意味が全く異なる。侍女少女はそれを語っている。

「そんなの、姫さまにとっては辛いだけじゃないですかっ!!」

 エデルリッゾは怒っている。自分よりもアセイラムのことをいつも優先させてくれている侍女に本気で怒られてしまった。記憶にない体験だった。けれどその怒りは自分のことを心から思ってくれてのことだとアセイラムは安心する。

「私の一番身近にいて一番特別な存在はあなたでしたね、エデルリッゾ」

 アセイラムは小柄な少女の髪を撫でた。

「確かに私のやろうとしていることは矛盾に満ちているのかもしれません。でも、伊奈帆さんとスレインなら……私がやろうとしていることをきっとわかってくれると思います」

「…………そう、なら、いいですが……」

 エデルリッゾは口を途中で噤んだ。

「でも、それじゃあ……姫さまの幸せはどうなるんですか?」

 少女は泣いていた。大粒の涙が大きな瞳から流れ落ちていた。

「私はあなたと伊奈帆さん、スレインに心から想われている幸せ者ですよ」

「それは……でも…………ですが…………」

 アセイラムの答えを聞いてエデルリッゾは俯いてしまった。

「…………お水をお運び致します」

 侍女は言葉少なに用件を告げると部屋から出て行った。何度も何度も目を擦りながら。

 

 

 

 エデルリッゾは出ていきアセイラムは1人部屋に残された。侍女の姿が見えなくなるとまた胸の苦しさが増していく。

「エデルリッゾには苦労を掛けてばかりですね……」

 エデルリッゾはアセイラムの話に納得が行っていない。でも、それでも精一杯支えてくれている。本当はスレインの元にいたいだろうに。

 エデルリッゾがスレインに想いを寄せているのは間違いなかった。けれど、そんな自分の気持ちを押し隠してアセイラムの側にいてくれている。

 エデルリッゾをスレインの元から引き離してしまったのは自分。そう思うと、彼女の幸せを奪っているのが自分としか思えなくなってしまう。

「私は、恩ある方々に仇しか返せないのでしょうか……」

 立っているのも苦しくなる。けれど、今崩れてしまうわけにはいかない。

 結果を出してエデルリッゾに認めてもらうしかない。それが、彼女を愛しい少年から引き離してしまった自分にできるせめてもの償いだった。

 

「エデルリッゾに女王と認めてもらえるように頑張らないといけませんね」

 手近な具体的な目標を立てる。

 エデルリッゾは女王就任宣言をしてからもアセイラムのことを『姫』と呼ぶ。それは長年の習慣が続いているだけのようにも見える。けれど、もっと根が深い。アセイラムがそれを知ったのはレムリナと一緒にいた時のことだった。

 エデルリッゾはレムリナのことを『レムリナさま』と呼び決して『姫』とは呼ばなかった。自分との呼び方に差異を付けるためかと思っていたが、レムリナが呼び方を気にしている様子はなかった。以前から『レムリナさま』と呼ばれているようだった。

 一方でアセイラムは『アセイラムさま』と呼ばれたことは一度もなかった。

 エデルリッゾはレムリナを『姫』と呼ぶこと、姫であると認めることを無意識に拒否していたに違いなかった。

 そして今はアセイラムが女王に就任したことに拒否感を抱いている。彼女の中ではまだ姫のままなのだ。

 だからまず、一番近しい存在であるエデルリッゾに女王と認めてもらえる行動を取ることがアセイラムにとっては自分に対する課題となった。

 

 

 

 

 アセイラムとエデルリッゾは急ぎ足でクランカインとマズゥールカのいる司令室へと戻ってきた。城内に警告音がひっきりなしに鳴り響いたからだった。

「何事ですか?」

「この揚陸城を追撃してきた地球軍とスレイン軍が交戦を開始。その流れ弾がこの城へも飛来している状況です」

 クランカインが前方の巨大モニターで戦況を確認しながら答える。

 和平を訴えたら軍を差し向けられた。それ自体は2年前と同じ悲しい構図だった。けれど、今度のアセイラムは落ち込んではいられなかった。

「この城の守りは?」

「この揚陸城は堅固に設計されており、迎撃システムも備えております。カタフラクトは搭載しておりませんがこの戦いを耐え切ることは十分に可能です」

 マズゥールカが力を篭めて太鼓判を押してきた。

「戦闘宙域から離脱は可能なのですか?」

 揚陸城はヴァースに向けて徐々に加速しながら移動している。

「もちろんです。女王陛下の御身には傷一つ付けさせはしません」

 城主であるマズゥールカは安全性を強調する。

「現状では地球軍の先鋒を務めている戦艦がタルシス以下のスレイン軍を足止めしている構図となっています。我らにとっては時間を稼ぐのに好都合です」

 クランカインが映像を流す。モニターにはアセイラムにとっても馴染みの深い艦艇が奮戦している姿が映されていた。

「デューカリオン……伊奈帆さん……」

 地球軍の戦艦とはデューカリオンに違いなかった。その艦艇の付近でオレンジ色のカタフラクトが銃を手に動き回っているのも見えた。確証はないものの伊奈帆のカタフラクトに違いなかった。

 伊奈帆たちは自分たちを逃がすために戦ってくれている。それを思うと胸の奥が熱くなる。そして、そんな伊奈帆に戦いを挑んでいるのが白いカタフラクトだった。

「タルシス……父の機体を……」

 クランカインが珍しく憤った声を上げている。

「先代クルーテオ伯爵が所有していた機体。ということは、今の持ち主は……」

 とても嫌な胸騒ぎがした。あの白い機体について知ってはならない気がした。

「現在の所有者は、スレイン・ザーツバルム・トロイヤード伯爵です」

 悔しさを押し殺した声でのクランカインの返答だった。

「では、あれは……伊奈帆さんとスレインが戦っている光景なのですか……あっ」

 立ちくらみを覚えてしまう。

 スレインがヴァース軍を率いていると聞かされて、伊奈帆が軍人を続けていることを知って。いつか2人が戦っている場面を見てしまうのではないかとずっと恐れていた。

 それが、現実になってしまっている。カタフラクト越し、それもモニター越しな分だけ現実味が多少希薄になっているものの、それは悪夢のような光景だった。

 

「伊奈帆さん……スレイン……」

 決着がつかないまま2人が無事に戦場を離れることを両手を合わせて願う。けれど、伊奈帆とスレインは互いを仇とばかりに激しく肉薄しながら戦闘を続けている。

 隣に立つエデルリッゾへと向き直る。体を固くして耐えながら顔を伏せてモニターを見ないようにしていた。見たくない争いに違いなかった。

 アセイラムもエデルリッゾも願うことは同じ。けれど、その望みは叶わずにタルシスとスレイプニールは傷ついていく。

「父の機体を傷付けて……」

 クランカインにとっては重視するポイントが違うようだった。

 様々な想いが交錯しながら揚陸城は徐々に両軍から距離を離していっている。

 

「揚陸城が戦場から完全に離脱しましたら、もう1度停戦の呼び掛けを行ってはいただけないでしょうか?」

 クランカインは膝を折って恭しく敬礼する。

「アセイラム女王陛下が去ったことをみなに知らしめれば、トロイヤード伯爵の求心力は崩れ去っていくことでしょう」

 クランカインはもっともなことを述べている。けれど、アセイラムはどうにも気が乗ってこない。

「ですが、スレインの元にレムリナがいる限り、あまり意味がないのでは?」

「陛下への忠義が厚い者はどちらが本物のアセイラム女王陛下か見分け我らの下に馳せ参じることでしょう。スレイン勢力の切り崩しを開始することが重要なのです」

 クランカインは酷く冷たい瞳を一瞬だけ見せた。

「野蛮な地球人風情とどこの誰とも知れぬ下賎な女から産まれたメッキの姫がアセイラム女王陛下といつまでも張り合えるものではないでしょう」

 あなたも父親と同じ考えの持ち主なのですね。

 アセイラムは心がとても冷たくなるのを感じた。そして、先代クルーテオ伯爵庇護の下でレムリナのことを全く知らされなかった理由を間接的に知った気がした。

「…………わかりました。スレインの勢力が弱体化して恭順を示してくれるのなら、戦争を終わらせることも可能になると思います」

 クランカインに対する評価は捨て置く。そもそも彼の人柄を見込んで婿に迎えると宣言したわけではない。今は戦争終結に向けた環境作りに励むのみ。

「それでは、この揚陸城が戦場宙域から完全に抜け出したタイミングで放送を行ってください」

「わかりました」

 周囲の風景が演説用に切り替わる。戦闘指揮所が優雅な宮中の一室のような派手やかな空間になった。

 

 ブリッジ要員がカウントダウンを開始する。

 もしかすると地球圏にいられるのはこれが最後かもしれない。それを思うと胸の奥底から寂しさが込み上げてくる。

 こんなはずじゃなかった。地球での滞在はもっと楽しい物になるはずだった。ヴァースと地球がもっと親密な関係を結ぶための第一歩になるはずだった。

 でも、それが全て文字通り吹き飛んでしまった。

 けれど今はそれを悔いている時ではない。彼女にはやるべきことがあるのだから。

「それでは、参ります」

 アセイラムは表情を引き締め直した。

 

 

 

「スレイン・ザーツバルム・トロイヤード伯爵ならびに彼に賛同するヴァース諸侯に申し上げます」

 アセイラムの正面には誰もいない。無人の演説会。けれど、語るべき人物の顔はハッキリと思い描ける。

 記憶を取り戻してからは全く笑ってくれなくなってしまった地球人の友達。彼に向かって胸の中を去来する熱さと冷たさが交じり合った想いを述べる。

「私は、私自身の意志でトロイヤード伯爵の庇護の下を抜け出しました。地球を破壊しつくし征服するという彼のやり方に賛同することはできません。私が真に望むのは1日でも早いヴァースと地球の恒久的な和平です」

 大半の者には白々しく聞こえているのを承知で訴え続ける。

 スレインの下で彼の望む言葉を紡いでいた自分が、今度はクランカインに身柄を保護され違う言葉を喋っている。風見鶏。中身がない。そうとしか聞こえないのはわかっている。

 けれど、だからこそスレインと伊奈帆だけには自分の想いを知って欲しい。そう切に願っている。

「私は、多くの屍と廃墟の上に恐怖に彩られた平和と安寧が欲しいわけではないのです。どんなに苦しくても辛くても共に繋げる手が欲しいのです」

 アセイラムは両腕を前方に向かって伸ばした。

 両腕の先には伊奈帆とスレインの幻が見えていた。地球に降りてからの辛い日々、伊奈帆とスレインがずっと心の支えであり続けた。

 今、2人とは立場上対立してしまっている。特にスレインとは思想的に相容れない。けれど、それでもいつか分かり合える日がくる。

 争いが終わって3人で手を繋ぎ合える日。

それが、アセイラムにとっての具体的な平和だった。

だが、それは容易には叶わない。

 

「さすが高貴な生まれのお姉さまは仰ることが違いますわね。出世欲と利権に縛られた連中をその身と血を担保に籠絡しながらも自らは清い存在であることをアピールなさる」

 アセイラムの姿が映っていたモニターが一斉に切り替わり車椅子姿のレムリナへと変わった。

「放送を……乗っ取られましたぁっ!」

 兵の1人が叫んだ。けれど、叫ばなくても電波ジャックされたことは明白だった。先ほどスレインの放送を乗っ取った時の逆だった。

「何故、レムリナが……?」

 アセイラムが驚いたのはモニターに映っているのがレムリナ本人の姿であることだった。妹はアセイラムの扮装をしていなかった。

 アセイラムの姿をしていなければスレイン勢力の求心力とはなり得ないはず。何故素顔を見せるのか意味がわからなかった。

「みなさま、お初にお目にかかります。アセイラム・ヴァース・アリューシア女王陛下の愚妹でありながら、下賎な身分の母より産まれ存在を隠蔽され虐げられ続けられてきた第二皇女レムリナ・ヴァース・エンヴァースと申します。以降、お見知り置きを」

 レムリナは安らかな笑顔を見せながら強烈な自虐とも取れる自己紹介をしてみせた。

「彼女が、アセイラム女王陛下の替え玉、か。レムリナ皇女。本当に実在したのか……」

 マズゥールカはレムリナを見て激しく動揺していた。

レムリナの存在は極秘。伯爵位を持つ者でも存在はあまり知られていない。そして、知っている王侯貴族は例外なくその存在を憎んでいた。ヴァースの後継者にアセイラムが存在する限りレムリナは存在しないことにしていても誰も困らなかった。

「私がどれだけ下賎な者であろうと残念ながらこの体は父ギルゼリアの血を引いています。その証拠を今からお見せ致します」

 レムリナは早速アルドノアドライブを起動させてみせた。アルドノアの輝きを周囲を明るく照らしていく。

「映像トリックのイカサマだと疑われても結構です。ですが、平和を愛するお姉さまは地球との戦争を止めるためにいずれ軌道騎士のみなさんのアルドノアを停止させるでしょう。そうなった時、誰がアルドノアを再起動させられるのか。ご記憶ください」

 レムリナはアセイラムとの差異を売りにしていた。それはアセイラムの平和を求める行動により損害を被ることを懸念する者たちへの訴えだった。

「アセイラムお姉さまはご立派な思想の持ち主で、平和をこの上なく尊ばれています。それについて私も異論はありません。ですが、お姉さまが目指す平和とはヴァースがこの戦争を通じて得たもの全て手放すことによって成り立つのです」

 揚陸城の内部の空気が変わった。アセイラムにとっては嫌な空気が流れ始めている。

「放送を乗っ取り返せないのかっ!」

 クランカインが大声を上げる。けれど、兵たちがどんな操作をしてもレムリナの映像は消えない。スレイン陣営は前回の乗っ取りに凝りてセキュリティーを強化したようだった。

「多くの血が流れ、餓死者を多数出すまでに至った血税を投入してのこの戦争。和平を重視するお姉さまは地球という宝の蔵を手放すことに躊躇がありません。果たして、お姉さまの高潔な思想はヴァースの大き過ぎる犠牲に見合うものでしょうか? 戦争の引き金となり、今は貴族階級の唯一無二の頂点に立つお方のお考えとして妥当でしょうか?」

 アセイラムは目を瞑って非難に耐える。レムリナが投げ掛けてきた疑問はアセイラムが自らに問い掛けてきたものに他ならない。そして、彼女自身をずっと苦しめてきた。

「自分を呪ってきた私はお姉さまのような高潔な思想を抱くことはできません。もっと欲しい。今あるものは守りたい。そんなより原初的な思考に従っています」

 レムリナが諸侯を引き込むための勝負に打って出てきた。

「話が脱線してしまいましたが、私、レムリナ・ヴァース・エンヴァースは先ほどお姉さまに振られてしまった惨めなスレイン・ザーツバルム・トロイヤード伯爵を夫に迎え、この月と地球に新王国ルナ・ユニオンを建国することを宣言致します」

 揚陸城内がどよめいた。

「私とスレインは、軌道騎士のみなさんが地球圏で得た権益を保証致します。それから現在のヴァースに不満のある方を身分を問わずお受け入れします。これを機に貧しく不健康の蔓延するヴァースを捨てて宝庫の楽園に移住しませんか?」

 レムリナは軌道騎士を取り込むだけでなくヴァースを積極的に切り崩しに掛かってきた。第三階層が不満の矛先を支配階級へと向け直しかねない危険な煽りだった。

「そして、ヴァースの圧倒的武力に命を狙われ震えている地球のみなさん。私たちはみなさんの降伏をいつでも受け入れます。降伏していただければ、あなた方の命、家、財産は保証致します。共に新王国を築こうではありませんか。スレインは元々地球人です。みなさんを悪いようには致しません」

 レムリナはスレインが地球人であることを全面に押すことで、支配地である地球からも自主的な協力を取り付けようとしている。

地球との同一性。一体感。その宣伝は全く効果がないものであるとしても、地球とヴァースを別物として語らないといけないアセイラムにとっては羨ましい切り口だった。

「私はアルドノアドライブを起動できるだけの下賤な者です。故にヴァースを継承する正統性を有しません。ですが、おじいさまが病床の身であるのをいいことに帝位を簒奪したお姉さまが為政者として正しいのでしょうか? そんなお姉さまを安全圏からのみ祭り上げる貴族たちが支配するヴァースは果たして信じるにたる国家なのでしょうか?」

 レムリナは地球には同質性を、ヴァースには異質性を語り掛けている。ヴァースを内側から切り崩すための演説に違いなかった。

「私は今のヴァースに不満を抱く全ての方を受け入れる用意があります。みなさまが新王国を選んでくれることを心より願っています」

 レムリナが深く頭を下げる。そして演説は終わりを告げた。

 

 

 

 演説終了から1分。揚陸城内には重苦しい雰囲気が立ち込めていた。レムリナの演説の影響力は大きかった。

「女王陛下の真似をして諸侯の気を惹き直すとばかり思っていたが……新王国建国を宣言しヴァースとの決別を謳うことでこちら側の切り崩しを図ってくるとは」

 クランカインは苛立ってシートを叩いていた。

「不満と欲望をストレートにくすぐる。戦争で得たものを失いたくない連中と、この戦争で貧しくなった者たちには心に響くだろうな。見事な戦術だよ」

 マズゥールカは冷めた瞳で暗くなったモニターを見つめている。

「新王国……決別……」

 スレインに銃を向けた数日前のことを思い出す。

 あの時、スレインは自分をヴァースの人間ではないと述べた。新王国の樹立、ヴァースとの決別を本気で決めていたことが今になってわかる。

「だがまさか、我らが戦争を通じて得たものを全て地球人如きに奪われてしまうとは……」

 クランカインは余裕のない表情を浮かべている。マズゥールカも同じだった。

 地球に展開している火星騎士たちは、自己の利益を最大限に保証してくれる新王国側に付くに違いなかった。なおもヴァースを支持する者はスレイン軍に駆逐されるに違いない。

 ヴァースは新王国のせいで資源供給さえ望めない苦しいポジションに立たされようとしていた。

「女王陛下。ヴァースの秩序維持のためにも新王国を詐称するスレインとレムリナ討伐のご命令を」

 アセイラムはクランカインへと振り返り首を横に振った。

「内政安定の方が先です。代わりに地球連合政府に、私たちには新王国を地球軍と共にけん制する準備があると伝えてください」

「現状のヴァースの軍事力、財力から鑑みれば、地球軍と連合してスレイン軍をけん制するのが一番妥当でしょうね」

 マズゥールカはアセイラムの意見に賛同した。

 ヴァースはほとんどの軍事力を前線である月、地球に差し向けている。その戦力がそっくり新王国へと寝返った。新王国を倒すために軍備力を増強すれば更なる増税が必要となる。これ以上の増税はヴァースを足元から崩しかねなかった。

「当面は新王国が侵攻を広げないように地球と連合して睨み合いの状況を作ることを目標にします。その間にヴァースの内政を充実させますよ」

「「御意」」

 アセイラムは大きな声で伸び伸びと号令を発した。その顔はほんの僅かだが晴れ晴れとしていた。

 

 ヴァースと地球の全面戦争に新王国が第三極として入ってきた。これにより事態はますます混沌とする様相を呈するようになった。

 だが、ヴァースと地球が新王国を牽制したためにスレイン軍は軍事作戦が取れなくなった。三者の関係は改善したわけではないが、戦闘のない状態がしばらく続くことになった。

「仮初と揶揄されるこの平和を……何とか恒久のものに変えないといけませんね」

アセイラム・ヴァース・アリューシア女王陛下は皇宮の執務室で静かに目を閉じた。

地球で見た鳥のことを思い出しながら。

あの鳥のように自由に飛び回り、伊奈帆とスレインに会いに行ける日を夢想しながら。

 

 

 了

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 
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