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アルドノア・ゼロ mico spei EPISODE.01

pixivで発表してきた15話からのifストーリー1話

2015-04-15 15:12:27 投稿 / 全8ページ    総閲覧数:1104   閲覧ユーザー数:1092

アルドノア・ゼロ mico spei EPISODE.01

 

「……以上が我が軍と地球軍の最新の戦況報告となります」

 副官であるハークライトの報告を聞き終えてスレイン・ザーツバルム・トロイヤード伯爵は深く息を吐き出した。

「つまりヴァース軍は地球上では大規模な戦闘には勝利を続けているものの、地球軍と民間人のゲリラ戦法に遭い支配領域の拡大、占領地の統治共に大きな難局に直面していると」

「そうなります」

 月面基地のスレインの執務室。情報の機密が守られるこの場所では有能な副官は何ら躊躇することなくヴァース軍の事実上の劣勢を認めてみせる。ハークライトのもたらした情報は各火星騎士が上申する羽振りの良い報告とは大きく異なる実情を示していた。

 選民思想に囚われ地球人に対する懐柔政策を採らない地球上の各火星騎士たちは自ら困難を増大させていた。地球に降り立っている各諸侯は占領地域の全ての地球人を敵に回していると言っても過言ではなく、その抵抗と不服従は頑強だった。

「そして地球軍は精鋭部隊を次々と宇宙に上げて我が軍のマリネロス基地を奪取。勢いに乗じてこの月面基地にまで迫ろうとしている。ということですね」

「そうなります」

 ハークライトは再び小さく頷いてみせた。スレインは再び大きく息を吐き出した。今度のそれはため息と呼ばれるものだった。

「僕が伯爵位に就いて4ヶ月。ヴァースは随分と劣勢になったものですね」

「自らを驕り危機感に欠け諸侯の足並みも揃わないヴァース軍ではそれも致し方ないとも」

 スレインはカタフラクトが収納されている格納庫がある方角へと目を向けた。

「僕の軍はまともに戦わせてもくれませんもんね」

 苦笑してみせる。ハークライトは主と同じ方角を見ながら敵意の視線を飛ばして頷いた。

「階級意識に囚われ、地球出身のスレインさまと第三階層が主力を成す我が部隊を戦場より遠ざける。そしてつまらぬプライドに拘泥して地球軍に各個に討たれる。救い難い愚行と存じます」

 スレインが伯爵に叙任されて以来、新ザーツバルム伯爵部隊は戦闘にほとんど参加したことがない。それには幾つかの理由があった。

 まず、地球人であるスレインが伯爵となったことで、古参のザーツバルムの家臣たちの多くが去っていった。彼らは地球人の下に仕えることをどうしても認められなかった。

 それはザーツバルム伯爵が抱えていた兵たちの激減も意味していた。量産型カタフラクトのパイロットにも事欠く有り様だったので、スレインはハークライトに命じて新たな兵を募った。

 ハークライトは去っていった者たちより遥かに多くの人材を引き連れてきた。彼らはスレインの下に仕官する意欲に燃えた有能な若人たちだった。だが、そのほとんどがヴァースの最下層である第三階層の出身者だった。

それが月面基地を守る他の火星騎士及びその部下たちには我慢できなかった。スレインの下には続々と人材、機体ともに集まって来ているのに他の騎士たちに出撃を断られ続けている。下賎な者と肩を並べて戦いたくないというのが結局のところの理由だった。

 スレイン軍は敵がいないことが明白な方面の哨戒や護衛任務ばかり任されている。たまに戦闘宙域に同行が許されても後方支援ばかりで近距離戦闘には参加させてもらえない。

 37家門の火星騎士の中で最大のカタフラクト数を有するようになった新ザーツバルム伯爵軍。けれど、その実態は誰にも疎まれて戦場の荷物、厄介者扱いされていた。

 だが、そんな状況を少なくともハークライトはこの上なく好ましく思っていた。

「スレインさまへの忠義に厚いヴァース軍最大の部隊が無傷で月面基地に集結している。スレインさまの夢の実現のためには非常に望ましい状況であると私は思います」

「以前にも言いましたが、僕に夢なんてありませんよ」

 スレインは首を横に振りながら立ち上がった。

「もっとも、ハークライトや他の部下たちの夢を叶えるサポートなら喜んでお引き受けしますが」

 にこやかな笑みを浮かべながら含みのある言葉を発する。

「はっ。ありがたき幸せにございます」

 ハークライトは恭しく頭を下げた。頭を下げているもののその顔が喜びを湛えていることはその雰囲気からわかった。

 

「ザーツバルム伯爵にご報告がございます」

 業務連絡用の回線が開き、若い男の顔が映った。ハークライトがスカウトしてきた第三階層出身の新兵の1人だった。

「レムリナ姫殿下がまもなく月面基地にお戻りになられます」

「わかりました。出迎えに参ります」

 スレインはハークライトへと顔を向けた。

「さあ。一緒に火星の全国行脚に回られていたレムリナ姫さまを出迎えに行きましょう」

「はい」

 ハークライトはスレインの後ろに付き、2人は姫の出迎えに向かった。

「レムリナ姫殿下はスレインさまにとって有益な様々な情報をご教授くださるでしょう」

 レムリナ姫に火星全国行脚を提唱した張本人はわずかに濁った瞳で笑ってみせた。

 

 

 

 

 

 

「鏡に自分の顔が映っているのを見て、久しぶりにホッとしました、わ」

 月面基地内部のレムリナ姫の専用ルーム。出迎えたスレインとハークライトに対して長旅から戻った姫殿下の開口一番は長い間影武者を務めたことに対する愚痴だった。

 レムリナ姫は戦意高揚と挙国一致の名目で火星中の高級貴族の領地を巡り回っていた。アセイラム姫として。レムリナ姫は一部の貴族には知られているものの、その存在は公にはされていない。だからアセイラム姫として行脚するしかなかった。

 姫殿下が各諸侯の領地を順番に巡って視察に訪れるのはヴァース史上初めてのことだった。その異例性もあってアセイラム姫に扮したレムリナ姫は訪問先の全てで歓待を受けた。

 その過剰と言える歓待は、アセイラム姫でないことを隠そうとするレムリナ姫にとってはストレスの種だった。プライベートな接近を図り立身出世を望む貴族の子弟たちには嫌悪感さえ覚えたほどだった。

「ヴァース隆盛のためのご尽力。このスレイン、心より感服致します」

 スレインは洗練された振る舞いで敬礼してみせる。だが、そんな敬意の表し方を接待攻勢を延々とされ続けた影武者姫殿下は望んではいなかった。

「じゃあ、私が頑張ったご褒美に頭を撫でてください」

 レムリナ姫は無邪気な笑顔を見せながらスレインを困らせるお願いをした。姫殿下は年相応な表情を見せたもののイタズラ好きで天邪鬼な性格をしていた。

 スレインは動揺を見せることなくしばらく目を瞑って考えたものの、車椅子に座る少女の頭に手を乗せた。

「失礼します」

 丁寧に手を左右に振りながら優しくレムリナ姫の頭を撫でる。

「気持ちいいわよ……スレイン」

姫殿下は勝ち誇った笑みを見せた。そんな彼女に向けられるハークライトと侍女のエデルリッゾの瞳がわずかに険しくなる。だが、その変化を確認してもレムリナ姫は勝ち誇り続けた。

 

 スレインの手が止まり、それから10秒ほど経ってからハークライトは姫殿下に質問してみせた。

「姫殿下。各諸侯の情報収集の首尾はどうでございますか?」

 レムリナ姫は大仰しく頷いてみせた。

「私が見たもの聞いたことは全てこの車椅子に内蔵されているカメラに納められています」

 レムリナ姫の行脚は各諸侯が持つ戦力の詳細を把握する目的を持っていた。その目的は各諸侯が自軍の武勇を見せようと進んで戦力を曝け出してくれたおかげで達成できた。

 だが、目的を果たしたはずの姫殿下の表情が暗くなる。その瞳に怒りの炎を灯しながら。

「私はヴァースは貧しいと常に言い聞かされて育ってきました。だから今の辛い生活を甘受するのは当然のことだと言い包められながら。でも、巨万の富はあるところにはある。そしてその富は意味もなく浪費されている。この行脚で改めて思い知りました」

「多数の貧しい者の搾取の上に君臨しているのが少数の支配者階級です。皇帝を頂点とする貴族階級制度とはそういうものです」

 第三階級出身で苦労して軍に仕官したハークライトもまた暗い瞳をしてみせた。

「やっぱり…………こんなヴァースなんて、滅んでしまえばいいのよ」

 レムリナ姫は重力下では立ち上がれない自分の足を叩きながら腹立たしげに呟いた。

 スレインは2人の話し合いに口を挟まない。レムリナ姫に火星の全国行脚を提案したのはハークライト。それを受け入れたのは姫殿下自身だった。

2人は共通の目標を持っている。スレインはそれに対してまだ何も言うつもりはなかった。だが2人は更に突っ込んだ危険な会話を始めた。

 

「皇帝陛下のご容態は如何でしたか?」

 ハークライトの切れ長の瞳が更に細くなった。対してレムリナ姫はお手上げと云わんばかりに両手を広げてみせた。

「正直、私にはよくわかりません。おじいさまは明日にも死にそうな気もします。ですが、あの状態のままもう半年以上生き長らえているそうなので後どれぐらい保つのやら」

 スレインはエデルリッゾへと瞳を向ける。皇帝の生死について語るという不敬罪に問われかねない話題に少女侍女は口に両手を当てて動揺している。だが、2人は声のトーンをむしろ上げて話すのを止めない。

「皇帝陛下がお隠れになれば、陛下ご自身、及び陛下が各諸侯に貸与された起動因子を用いたアルドノアドライブが全て停止します」

「そして使用できるアルドノアは私が起動させているこの月面基地の兵力のものだけ。ということになるわけですね」

 2人の会話が続く中でスレインはエデルリッゾの肩に手を置いた。

「アセイラム姫殿下に帰還のご挨拶に行きませんか?」

 少年伯爵に見つめられた少女侍女の顔が見る間に赤くなっていく。

「えっ? でも…………はっ、はい。わかりました」

 レムリナ姫とハークライトにはエデルリッゾの存在が元々眼中にない。そして2人はスレインに対して既に意思表明を終えている。

 対するスレインの答えは肯定も否定もしないことだった。だが、即座に否定しないこと。それ自体がひとつの答えを成していた。

「火星中のカタフラクトが停止してしまうタイミング。私たちでコントロールできた方が都合がいいですわよね」

 レムリナ姫はとても暗い顔で笑ってみせた。とても嫌な予感を抱かせる笑みだった。

「さあ、行きましょう」

「はっ、はい」

 スレインはエデルリッゾの肩を抱きながら室内から出て行った。副官と皇女は話を止めて恐ろしい表情で侍女の背中を睨み付けていた。

 

 

 

「アセイラム姫さま。不肖エデルリッゾ、火星よりただいま帰還いたしました」

 生命維持装置の前に立ち、深く一礼してみせるエデルリッゾ。侍女少女が特殊溶液の中で眠り続けるアセイラム姫と対面するのは2ヶ月ぶり以上のことだった。

「姫さまは、お変わりないですね」

 エデルリッゾは安心と多少の失望をもってアセイラム姫を見上げる。第一皇女がザーツバルム伯爵の凶弾に撃たれてから約2年。彼女は当時も今も変わらずに生命維持装置の中で眠り続けたまま時を過ごしている。ここに来ると時が止まったかのような錯覚を覚える。

「…………アセイラム姫殿下は肉体的には既に完治しているんです」

 スレインは容器の中の姫を見上げながら静かな声で告げた。

「でも、お目覚めにならないのです」

 スレインの言葉の意味がとても重いものであることはエデルリッゾにもよくわかった。すなわち、アセイラム姫は二度と目覚めないかもしれないということ。

 姫殿下はザーツバルム伯爵の揚陸城で頭部も撃たれたと少女は聞いている。脳死状態に陥っている可能性は十分に考えられた。そんな可能性は考えたくはないのだけれど。

「生命維持装置から出せば目覚めるという可能性は?」

 漫画のように都合の良い可能性に縋りたかった。だが、スレインは静かに首を横に振ってみせた。

「僕も同じことを医師に尋ねてみました。しかし、リスクが高すぎてとても許可できないそうです。下手をすれば……容器から出てすぐに心臓が止まってしまうと」

「そんな……」

 エデルリッゾの心臓の方が止まりそうになる。眠り姫の命の手綱はあまりにも脆い。

「科学がもっと進歩すれば、より高性能な生命維持装置が完成すると思います。そうすれば姫さまもきっと……」

「…………はい」

 今の2人にとってリスクばかりが高い冒険に手を出す気にはなれなかった。

 

「久々の火星の地は如何でしたか?」

 スレインは話題を変えてきた。暗くなった雰囲気を掻き消そうという彼なりの配慮が見えた。だから、エデルリッゾはそんな少年に応える為にとびきり明るく答えようと思った。

「レムリナ姫さまがボロを出すんじゃないかってずっと冷や冷やしっ放しでした」

 スレインは小さく笑ってみせた。回答は正解のようだった。

「それでは、レムリナ姫殿下の火星行脚が成功したのはエデルリッゾさんのサポートのおかげですね」

「そうです。私のおかげなんです」

 悪乗りして偉ぶってみせる。鬱屈した雰囲気がだいぶ吹き飛んだ。しんみりしがちだからこそアセイラム姫の前では落ち込んだ様を見せたくなかった。

「では、長い間頑張っていただいたエデルリッゾさんには何かご褒美を差し上げないといけませんね」

「ご褒美、ですか……っ!!」

 『ご褒美』という単語にエデルリッゾは過敏に反応を示した。月面基地では毎日顔を合わせている2人の顔が思い浮かぶ。彼女のイメージの中では悪い顔をしながらスレインに近付く男女。彼らの存在を思い浮かべた瞬間に、何をねだるべきかは明確に形を取った。

「じっ、実は、私は、この度の火星滞在中に、両親に会う機会を得ました」

 声がひっくり返りながらも何とか喋り始める。今思い出しているのは数年ぶりに両親と直接顔を合わせた席での出来事。

「久しぶりの再会でご両親もさぞお喜びになったでしょう」

「はっ、はいっ!」

 元気よく返事をしながらも体をモジモジさせながらスレインを上目遣いに見る。

「そ、それで、ですね。私ももう14歳になったので、その……そろそろいい人はいるのかと訊かれまして……」

 平均身長より低いとはいえ、エデルリッゾももう恋を知る年頃になっていた。そしてその相手はすぐ近くにいた。昔はあんなにも嫌悪していたのに今では眩しく仰ぎ見ている。

「私にはまだ特定のお相手はいませんと返答しました。ですが、身分が高く頼りがいのある男性の元に嫁ぐのが一番の親孝行だと思うんです」

 熱い視線でスレインを見つめる。少年伯爵は侍女少女に優しく微笑んだ。

「エデルリッゾさんほど愛らしく素敵な方なら相手は選び放題でしょうね。みな競ってあなたの愛を勝ち得ようとしますよ」

「そ、そうですかっ!!」

 スレインの好意的な反応にエデルリッゾは表情を輝かせる。そして勇気を振り絞り──

「で、では、私を、スレインさまの妻……」

「お姉さまっ!! あなたの妹レムリナが長旅を終えて帰還のご挨拶に参りましたっ!」

「スレインさま。ブリーフィングのお時間です」

 願いを述べようとしたタイミングでレムリナ姫とハークライトに遮られてしまった。姫殿下たちはエデルリッゾとスレインの間に文字通り体ごと割って入ってきた。そしてスレインからは聞こえないように悪意に満ちた耳打ちをしてきた。

「身分の高い男が欲しいのなら、火星で群がってきたボンクラ貴族の子弟をいくらでも紹介してあげるわよ」

「小娘。女だからという理由で付け上がるなと何度も言ってきたはずだが?」

 スレインを巡るライバルである2人は的確にエデルリッゾの邪魔をする。

「エデルリッゾさん。欲しいものは決まりましたでしょうか?」

「また、次の機会にお話します……」

 ハークライトとレムリナに部屋から引っ張り出されていくスレインの後ろ姿を見ながらエデルリッゾは大きなため息を吐き出した。

 この時の少女はまだ気が付いていなかった。スレインを巡って争う三つ巴の比較的平和な日々が終わりを告げようとしていることを。

 少女を待ち受けている運命はとても過酷だった。

 

 

 

 レムリナ姫が月面基地に帰還して約2週間。基地内では大きな騒動が起きていた。

 スレイン配下の新型カタフラクトの1機が月面上にある無人レーダー施設を誤射、爆破させてしまったことがきっかけだった。

 基地内の各諸侯はこれを好機とばかりにスレインとその配下に手酷い非難を浴びせてきた。それは飛行戦艦デューカリオンを主軸とする地球軍に劣勢を強いられていた憂さ晴らしも含んでいた。

 だが、この事件を通じて地球出身伯爵ということでただでさえ肩身が狭かったスレインは基地内での立場を完全に失った。

 新ザーツバルム伯爵の軍は火星上宙警備担当の伯爵と入れ替わる形で後方任務に就くことになった。火星騎士の感覚からすればそれは左遷以外の何物でもなかった。だが、この配置転換をハークライトは殊の外喜んだ。

「火星上宙を意味もなく飛び回るしか能のない愚鈍と月面基地の負け癖がついたうるさい犬どもに感謝しなければなりませんね」

「ハークライト。言葉に気を付けてください」

 スレインは副官に釘を差した。ハークライトは最近彼にしては軽率なことをよく口にする。己の陰謀を隠そうとしないで興奮している。

「失礼しました。ですが、今回の誤射事件は搭乗者の腕が未熟だったために起きた偶発的な事故です。彼をスカウトしてきた私の責任は重々承知していますが」

 ハークライトは深く頭を下げた。その反省の態度を素直に受け取れないのはスレインもよくわかっている。

 副官は事故だと強調しているが、放たれた銃弾はたったの1発。その1発で施設の動力炉を撃ち抜いて爆発させた。しかも、近距離にあった有人区域には一切被害を出さずに。

 そんな神がかり的な偶然が存在しないことは優秀なパイロットであるスレインにはよくわかっている。パイロットの射撃の腕前は賞賛に値する正確さを誇っている。

 火星に着任することになったハークライトとレムリナ姫が何をしようとしているのか。予想は前から付いている。2人は同じものに怒りを、恨みを強く強く抱いている。

だが、伯爵としては知らないフリを続けなければならない。成功しそうであれば知らないフリを続け、失敗しそうであれば強制的に止める。スレインはそう動いている。

「僕たちの部隊が抜けた場合、この月面基地はどうなるでしょうか?」

「ここはまず間違いなく地球軍によって攻め落とされるでしょう」

 間髪入れずに悲観的な回答が断言の形態を取って返ってきた。

「とはいえ、地球軍にも余力はありません。事が全て済んだら奪還すればいいだけのことです。休戦ラインは月面の適当なラインでよろしいかと」

 ハークライトは丸2年続いて誰にも止められなくなっている戦争の後処理について言及している。その見通しを明確に描きながら。そしてその見通しはスレインと似ていた。

「この基地のカタフラクトはレムリナ姫殿下の起動因子によって目覚めたアルドノアを使用しています。他の諸侯の部隊は全滅してくれると我が軍の行動がより円滑に進みます」

「滅多なことを言わないでください」

 スレインは副官を再び窘めた。ハークライトは実に耳障りが悪い、スレインにとって必要な情報を提供してくれる。有能な副官だった。

「レムリナ姫殿下は今回の異動に対して何と?」

「レムリナ姫殿下は今回の異動を受け火星にご帰還なさることをご決断なさいました」

 予想通りの答えが返ってきた。だが、理屈としては間違っていない。出自に問題があり疎まれて続けてきたレムリナ姫はザーツバルム伯爵によって担ぎ出された。その後任であるスレインが月面基地を去るとなればこれ以上ここに留まる道理はない。

 だが、今回のレムリナ姫の火星への帰還はそれより遥かに重い意味を持つ。ヴァースを根本から変えてしまうほどの重い意味が。

「つきましては、レムリナ姫の火星へのご帰還に際しては我が部隊が護衛に当たります」

「わかりました」

 スレインは返事しながら立ち上がった。

「少し、気分転換に出歩いてきます。異動の手続きを進めておいてください」

「はい。スレインさまが頂点に立つ時代がもうじき訪れます」

 スレインは副官に敬礼されながら執務室を出た。ハークライトとレムリナ姫は今が好機と捉えている。2人の本気を感じずにはいられなかった。

 

 スレインは執務室を出ると真っ直ぐにアセイラム姫の元へとやってきた。伯爵となりパイロットとして出撃することが減り、ここに来る頻度はますます増えていた。

「ごきげん麗しゅうございます、アセイラム姫殿下」

 恭しく姫殿下に一礼する。そしてポーズを取り終えてから気付く。敬愛するアセイラム姫に対してとても形骸的な挨拶をしてしまったことに。

 アセイラム姫に会うというのに心ここにあらずの状態だった。これから起きるに違いない非常事態に随分と焦っている自分に気付く。

「振る舞いだけ変えてみせても、中身は僕のまま。ということですね」

 思わず弱音が零れ落ちる。アセイラム姫が目の前で撃たれた時から強くあろうと心に誓った。コウモリはもう止めた。父と慕った人に復讐を遂げるだけの冷酷さも持ち合わせた。

 だが、これから行おうとすることは本来無関係の人間を多数巻き添えにすることになる。それを思うとどうしても憂鬱になる。

第三者の犠牲を平然と受け入れられるほど強くはない。それに気付いてしまった。だが強くなくても、やらなければならない。もうそんなところまで来てしまっていた。

「スレインさまっ♡」

 先に室内に来ていたエデルリッゾがスレインを見て瞳を輝かせた。

「エデルリッゾさん」

「はっ、はいっ」

 少女は何かを期待する瞳をしながら背筋を伸ばした。心苦しいものを感じながらも告げておくことにする。

「戦火はまもなく拡大します。僕や姫殿下の側にいるとあなたも巻き込まれる可能性があります。故郷に戻られてしばらく休養されてはいかがでしょうか?」

 これ以上この心優しい少女を危険に巻き込みたくなかった。醜い政争と謀略とは無縁でいるべき少女を。けれど、少女は頑なにスレインの申し出を拒絶した。

「私はレムリナ姫、そしてアセイラム姫お付きの侍女です。姫さまたちから離れることはできません」

 少女の瞳はとても強い意志を湛えていた。覚悟が篭っている。その瞳はスレインに似ていた。だが、似て非なるものだった。それを自覚せずにはいられない。

 スレインはアセイラムを見上げながら生命維持装置に手を触れた。

「僕の部隊の任務が月面基地防衛から火星上空警備へと替わります。それに伴い、アセイラム姫をこの装置ごと僕の航宙艦へ載せます。エデルリッゾさんには引っ越しを手伝ってもらうことになりますが、よろしいですね?」

「…………えっ?」

 エデルリッゾはきょとんとした表情でスレインを見ている。前言とは180度内容が変わったので戸惑っているに違いなかった。

 だから少女の肩に手を乗せて静かに、けれど力強く述べた。

「エデルリッゾさんはこの先僕のせいで危険な目に遭うかもしれません。ですが、あなたは必ず僕が守ります。敬愛するアセイラム姫殿下に誓って」

 アセイラム姫本人には誓えなかったこと。守りきれなかったこと。

 後悔を胸に抱えながら今度こそ成し遂げてみせようとアセイラム姫と自分、そしてエデルリッゾに誓う。

 せめてそれぐらいの気概は持ちたかった。

「はい、よろしくお願いします」

 嬉しそうに頭を下げるエデルリッゾ。

 闇しかない航路を選んだはずなのに一筋の光を設けたのは何故なのか。

 室内にいる2人の少女の眩しさに目が眩んで少年はそれ以上考えられなかった。

 

 

 

 

 月面基地を出発して数日。スレイン率いる新ザーツバルム伯爵航宙艦隊は任務地である火星の上宙約200km地点へと到達していた。

 ハークライトは100機を超す量産型カタフラクトのパイロットたちを度々招集しては警備の配置について細かい指示を出していた。

 一方でスレインは引き継ぎのための事務仕事で忙しく過ごしていた。そして仕事の妨害をしてくるレムリナ姫のイタズラに手を焼いていた。

「レムリナ姫殿下。もうすぐヴァースに到着しますから大人しくしていてください」

 今も、スレインがエデルリッゾから騎士叙任祝いに贈られたペンをレムリナ姫が取り上げて鬼ごっこ状態になっている。

 けれど、レムリナ姫もまたただ無邪気に過ごしているのではなかった。

「私はヴァース本国に戻ったら……どう振る舞えばいいの?」

 レムリナ姫の素朴にして難しい質問がスレインの胸を揺さぶる。

「アセイラムお姉さまとして周囲を謀り正体がバレることに怯えながら生きますか? それとも、下賎な身の者として誰からも疎まれアルドノア起動の道具として生かされることに感謝の念を絶えず述べながら生きますか?」

「それは……」

 スレインは即答することができない。先代ザーツバルム伯爵がレムリナ姫を担ぎ上げて要請したのは彼女自身が話した辛い生き方。そして、伯爵の後を継いだスレインもまた結局は彼女に同じ生き方を要求している。

 甘えを捨てたという自己陶酔のメッキが辛い境遇の人間を見ていると剥がれてしまう。

「なんて、意地悪を言ってごめんなさい」

 レムリナ姫は車椅子を動かすのを止めてスレインへと振り返った。和やかな表情が少年伯爵を見つめている。

「私の生き方は私が決めます。私は私なりに精一杯自由に生きてみせます」

「レムリナ姫殿下……っ」

 レムリナ姫がいつになく綺麗に見えた。なのに、胸が苦しくて仕方がなかった。

「だからスレインも自由に生きて。そして、私が邪魔になったら…………遠慮なく撃ってください」

 レムリナ姫が見せた表情にはどこにも邪気が感じられなくて。どこまでも澄んだ笑みだった。

「………………はい」

 目頭と喉が熱くなって。たった一言返事を返すのがやっとだった。

 

 

「レムリナ姫殿下、スレインさま。ヴァース皇宮への移動の準備をお願いします」

 ハークライトがスレインたちの元へとやってきた。

「皇宮への姫殿下の移動と警護は僕が担当するということでよろしいのですか?」

 ハークライトにもう1度念を押して確認する。ハークライトは静かに頷いてみせた。

「はい。皇宮には先日多数の賊が侵入し、一部の施設が破壊され金品が奪われるという前代未聞の事件が発生しました。現状では防犯システムの稼働率に問題があるとし、皇宮前方警備担当のマリルシャン伯爵よりスレインさま直々に姫殿下を皇宮までお連れするよう言いつかっております」

「つまり、移動中に何かあったら僕のせいにする、と」

 ハークライトの言葉に含まれる不審な点には目を瞑る。代わりにスレインを毛嫌いしていた月面基地では連敗続きだった伯爵の意図を口にする。

「いいじゃない。お高く止まったボンクラよりもスレインにエスコートされたいですもの」

 レムリナ姫は楽しげな声を上げた。

「つきましては、移動方法ですが……」

「私はタルシスでスレインと一緒に乗って移動します。もちろん、エデルリッゾも一緒に」

 更に楽しそうにプランを明かすレムリナ姫にスレインは苦笑してしまう。

「タルシスは一人乗りですよ」

「両手に花、しかもすし詰め状態の方がスレインは嬉しいでしょ? 男の子なんだから」

「………………はい」

 スレインは言葉を飲み込んでレムリナ姫の提案を受け入れることにした。

 

 

 

『今回の病床訪問では例の件の確認だけお願いします。決行は1週間後となります。実行は先日皇宮に侵入したプロが行います』

『随分と慎重ね。まあ、私がしくじって捕らえられたり死んだりしたら元も子もないからでしょうけど』

『レムリナ姫殿下はスレインさまの悲願達成のためには絶対に必要な方です。スレインさまのために生きて頂かなくてはなりません』

『あなたって本当にスレインが大好きなのね。女の子が喜びそう。でもね……あなたの企みはスレインにみんな看破されて利用されているのだと忘れない方がいいわよ』

 

 

 レムリナはスレインの駆るタルシスに乗り皇宮へと辿り着いた。アセイラム姫として帰還したので大勢の者に出迎えられた。

 帰還祝賀パーティーの話が早速持ち上がった。しかし姫は祖父レイレガリア皇帝に帰還の挨拶をすると述べ、スレインとエデルリッゾを引き連れて皇宮の奥へと向かった。

 皇宮は奥へ進むほど神聖不可侵な聖域の度合いが高くなり伯爵位を持つ者でさえ立入りを許されなくなる。皇帝が伏せている寝室へと繋がる通路を進めるのも彼女がアセイラム姫として帰還したから。レムリナのままであれば文字通り門前払いに遭っていたに違いなかった。

「おじいさまが病に伏せておられるのはここです」

 一際大きく頑丈そうな扉の前で止まり、スレインたちに若干緊張した声で告げた。それから少年伯爵の顔を見た。何を考えているのかわからない澄まし顔をしていた。その顔が少し嫌だった。

「スレインは私の謁見が終わったら自分の艦艇へと戻るのですか?」

 スレインの頬がわずかに張った。

「…………はい」

 沈黙の果ての小さな肯定だった。

「次は、いつお会いできますか?」

「………………わかりません」

 とても長い沈黙だった。

 皇宮内の警護や要人の世話は他の諸侯が担当している。アセイラム姫に扮しているレムリナ姫はスレインの保護下から離れることになる。火星帰還とはそういうことだった。

「では、最後の質問です」

 スレインは小さく頷いてみせた。

「私はスレインが野望を実現するために必要、ですか?」

 野望という単語にエデルリッゾが背中を震わせたのが見えた。

「…………はい。レムリナ姫殿下は僕が理想とする世界を実現するためになくてはならない大切な方です」

「スレインさまの、理想とする世界……」

 エデルリッゾはとても驚いた表情でスレインを見ている。スレインは自分に夢はないと何度も口にしていたのだから無理もないとレムリナは思った。

そのスレインが理想を抱いていることを認めた。それが自分に対する誠意であることはよくわかった。

「あなたは本当にズルい人ですね」

「はい。僕はあなたを今も、そしてこれからも利用します。僕が理想とする世界を築くために」

 スレインは膝を突いた。洗練された敬礼の姿勢ではなく、首を差し出すために両膝を築いていた。そんな少年の生の声が聞けてレムリナは安堵感を覚えた。

「では、先ほども述べましたように私も自分の好きに生きさせてもらいます」

 スレインが深く頭を下げている姿を横目に見ながらレムリナは皇帝の寝室へと入っていった。

 

 

「おおっ、アセイラムよ。戻ったか」

 ヴァース帝国皇帝レイレガリア・ヴァース・レイヴァースは酸素吸入器を口に当て、体の至る所に計測機器が貼り付けられてとても大きなベッドに横たわっていた。

 老衰しているとは思えないしっかりとした声が室内に響いた。しかし皇帝本人が喉から出したものではない。機械が脳波を読み取り予め録音されていた声がスピーカーを通じて本人が話しているように流れる。

 他にも謁見の間を通して行われる対談では立体映像が使われている。様々な技術を用いて皇帝の体調は伏せられている。

 皇帝がいつ死んでもおかしくない衰弱した身の上であること自体、最上級の国家機密に指定されていた。

「おじいさまもご機嫌麗しゅうございます」

 祖父への嫌悪感をひた隠しにしながら姉を立派に演じることに努める。

「もっと近くに寄ってくれないか。顔がよく見えんのだ」

「はい」

 レムリナは皇帝のベッドを覆う無菌電磁幕のすぐ隣まで移動する。皇帝は虚ろな瞳で天井を見上げながら寝ていた。

「今日も美しい顔立ちをしているな」

「ありがとうございます」

皇帝からはレムリナが視野的に見えないはずだが認識している。声と同様に機械的な何かで補っているようだった。

「手を、握ってはくれまいか?」

「…………私が無菌幕の中に入ってはおじいさまのお体に差し障るのではありませんか?」

 拒否反応を起こしそうになるのを耐えてそれっぽい理由を述べる。

「構わぬ。どうせ後数日の命だ。多少短くなったところで変わりはせぬ」

「後、数日……」

 レムリナは皇帝が後数日の命と聞かされて、胸の中がとてもざわつくのを感じた。

 考え事をしている間にベッドがひとりでに変形していった。

「これで、車椅子でも余の元まで来られるだろう」

 皇帝の言う通り、ベッドが凹んだおかげで車椅子に乗ったまま更に皇帝に近付けるようになった。

「…………お気遣い、ありがとうございます」

 レムリナは老帝の枕元までやってきた。すぐ目の前に祖父のやせ衰えた骨と皮ばかりの細い手があった。

「手を、握ってくれ」

「………………はい」

 覚悟を決めて皇帝の手を握る。ヴァースにおいて神にも等しい力と権威を持つ皇帝の手は普通の老人のそれと何ら変わりはなかった。その力のなさに拍子抜けしてしまうほど。

 

『今回の病床訪問では例の件の確認だけお願いします』

 

 共に悪巧みをしているスレインの有能な副官の言葉が頭を過った。

「例の件……」

 レムリナは手を握ったまま皇帝を見下ろした。

「現在、ヴァースは地球連合との戦の最中です。もし、おじいさまに何かあった場合アルドノアはどうなってしまうのでしょうか?」

 皇帝の機嫌を損ねるリスクを背負いながら踏み込んだ話をしてみる。回答次第ではレムリナとハークライトの計画は全て霧散することになる。緊張の一瞬。

「アセイラムは陣頭に立ちヴァースの指揮を採ってくれていたのだったな。そなたが帝国の未来、前線の兵士たちの身を案じてくれていること。嬉しく思うぞ」

 皇帝の表情が心なしか嬉しそうなものに変わった。

「心配せずとも余が死ねば、余が有しておるアルドノアの起動因子の継承権は後継者であるアセイラム。そなたに移るはずだ。余が死んだ後、受け継いだそなたが全てのアルドノアを直ちに起動させれば、ドライブ停止による混乱は短い時間で収束しようぞ」

「そう、ですか。それは安心しました」

 皇帝の説明を聞いてレムリナは内心で焦りを感じていた。

 姉に全てのアルドノア起動権が移ってしまったら。スレインたちのアルドノアドライブさえも止まってしまう可能性がある。いよいよもって計画が頓挫しかねない厄介な可能性が生じてきた。

「だが、古代遺跡任せにしては実際にアセイラムに継承されるか不確かなのもまた事実。アルドノアの起動権を横取りせんと企む良からぬ輩も出てくるやもしれぬ」

 私がその良からぬ輩です。

 心の中でそう答える。

「だから今日そなたがここに見舞いに来てくれたことを心より嬉しく思うぞ」

「それは、どういう意味でしょうか?」

「今この場で余がそなたにアルドノア起動因子の全ての権利を譲渡したい」

「ほっ、本当、ですか?」

 皇帝の話を聞き、レムリナは内心で飛び上がらんばかりに興奮した。言動の上では慎ましさを失わないように細心の注意を払いながら。

「しかし、そのような大役、私のような若輩者が務めるわけには……」

「良い。どうせ後数日でそなたに譲り渡されるものだ。生きている内に譲渡して余を安心させてくれ」

「わかりました」

 スレインの顔が思い浮かんだ。彼の役に立とうとしている自分が誇らしかった。

「それで、起動因子の継承とはどのように行うのですか?」

「特別なことは何も必要ない。ただ、このままの姿勢で目を瞑り余の中にある起動因子を感じ取ってくれれば良い。後は余とそなたの血の繋がりによって継承は行われるはずだ」

 特別な儀式を要さないことにホッとする。何しろレムリナはエデルリッゾに習ったことしか皇族的な振る舞いを知らないのだから。

「では、おじいさまのご健康にこれ以上差し障らないように早めに継承を行ってしまいましょう」

 レムリナはとても優しい笑みを浮かべた。

 

 

 

 起動因子の継承は驚くほど簡単に済んでしまった。戦争のために毎日のようにアルドノアを起動させていたレムリナにとって、祖父の中の起動因子を感じ取ることは造作もなかった。継承はものの数秒で済んでしまった。感慨も何もなかった。

「おめでとう、アセイラム。今からこのヴァースの統治者はそなただ」

 皇帝に言われてようやくヴァースの全アルドノアを支配する力を手に入れたことを自覚する。

 

『今回の病床訪問では例の件の確認だけお願いします』

 

 アルドノア起動因子に関わる情報を収集するというハークライトからの用件は満たした。アルドノア起動因子を全て継承するというそれ以上の成果も挙げた。もはやこの老帝には何の価値もない。

 

『決行は1週間後となります。実行は先日皇宮に侵入したプロが行います』

 

 またもやハークライトの言葉が頭を過った。

 ヴァース帝国の老衰皇帝は放っておいても後数日で死ぬ。そうでなくても1週間後に暗殺される。

 自分が手を下さなくても勝手に死ぬ。

 散々、人を苦しめておいて自分とは無関係に死んでしまおうとしている。

 少女の心臓が激しく高鳴った。

「おじいさま。一つ、お尋ねしたいことがあります」

「何じゃ?」

 心臓の高鳴りを抑えようと前かがみになりながらレムリナは訊いた。

「私にはレムリナのという名前の妹がいるらしいのですが、ご存知でしょうか?」

 それまで優しい表情を浮かべていた皇帝の顔が憮然としたものに変わった。

 祖父の表情の変化を見てレムリナの心臓の高鳴りは止まった。代わりにゾッとするほど体の奥底が凍てついた。

「あれはそなたの妹などではない。その名前、今すぐ忘れるのだ」

「ですが……」

「あんな卑しい地球人の女との間に生まれた者など余の孫でも、そなたの妹でもない」

 祖父の脳波を読み取った機械は嫌悪感丸出しの声を正確に再現していた。レムリナは小さく2回深呼吸してみせた。

「レムリナはその出自のせいで大変な苦労をしてきたのだと聞きます。皇族として温かく迎え入れてやっても、もうよろしいのではありませんか?」

「ならぬ!」

 今日最も大きな声だった。

「生かしておいてやっているだけでも過ぎた果報。あれを皇族の末席に加えるなどヴァース皇族の血が汚れる!」

「そう、ですか……」

 レムリナは皇帝の手を放して背筋を伸ばした。そして、光学迷彩を解いた。アセイラム姫の外観がレムリナのものへと戻っていく。

「おじいさま。私がその汚れた血を持つレムリナです」

「………………なっ!?」

 伏したままの老帝の目が大きく見開かれる。

「あ、アセイラムは、どうした?」

 皇帝はレムリナの相手はしたくないらしく、可愛い方の孫娘の安否だけを尋ねてきた。

「お姉さまなら2年も前に亡くなられていますよ。先代ザーツバルム伯爵に撃たれて」

「そっ、そんな馬鹿なっ!?」

 頼もしい後継者と思い続けてきた孫娘が真っ赤な偽者だった。しかも、自分が最も軽蔑している人物が成り代わっていた。老いた皇帝はその衝撃を受け止めきれない。

「ついでに言えば、パレード中のお姉さまを暗殺しようと仕掛けたのもザーツバルム伯爵で、私を担ぎ出してお姉さまを演じさせていたのも彼です」

「…………………っ」

 数カ月前に死亡した、最も信頼していた腹心の部下の裏切り行為を聞かされて呆然とするしかない。皇帝の精神は破綻寸前だった。だが、レムリナは精神異常という状態に陥ることを許さなかった。

「おじいさまは科学者としては有能だったのでしょう。けれど、政治家としては無能を極めていますよね。こんな男に扇動されてきたヴァースの民が本当に哀れでなりません」

 レムリナは笑みを浮かべながら皇帝の口から酸素吸引器を外した。酸素が足りなくなって老帝の顔が引き攣る。

「これで放っておいても数分の内に息絶えるのでしょう。しかし、私はおじいさまが自然死するなんてそんな幸せな最期を絶対に許しません」

 レムリナは白く細い両手を皇帝の首に掛けた。そしてジワジワと力を篭めていく。

「どうですか? ヴァースの中で最も忌み嫌われ、自分の力では立ち上がることもできない非力な小娘に首を締められ殺される気分は?」

 皇帝は声を上げない。ただ呆然としながらレムリナのなすがままになっている。

 悲鳴が聞きたくてレムリナは両腕に篭める力を更に強める。皇帝の体が微かに痙攣する。

 そして、蚊の鳴くような声がレムリナの耳に届いた。

「…………アセイラム…………」

 それがヴァース帝国皇帝レイレガリア・ヴァース・レイヴァースの最期の言葉となった。

「最期まで、私を無視し続けるのですね……おじいさま」

 ベッドの上に一粒の水滴が落ちた。

 

EPISODE.01 皇帝暗殺

 

 

 

 

 


 
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