No.769342 甘城ブリリアントパーク もう私、秘書の立場じゃ我慢……いすずの章2015-04-06 19:32:12 投稿 / 全9ページ 総閲覧数:6012 閲覧ユーザー数:5977 |
甘城ブリリアントパーク もう私、秘書の立場じゃ我慢……いすずの章
「可児江くんが、安達映子とデート……これはやはり、いつか見た夢の通りにあの女が秘書になり私がお払い箱にされる序曲だと言うの……?」
千斗いすずは激しい焦燥感に駆られて呼吸さえままならない。
支配人代行である可児江西也と『スプラッシュ・オーシャン』の人気キャストである安達映子の夜のデート。サーラマとティラミーにより別々に現場を押さえられ写メが出回ったことでその事実はパーク関連者の全員が知るところになった。
そうでなくてもいすずはその日、西也を夕食に誘って断られていた。
『…………可児江くんは、これから、女の人と、会うの?』
『…………そうだが』
『…………それは、私と飲みに行くより、大事な用事、なのかしら?』
『そうだ』
あの時のことを思い出すと今でも目眩がして寒気が全身を襲う。そして、いすずの誘いを断ってデートした相手が映子だった。
いすずにとって人生が根底から覆りそうな大事態だった。西也を映子に盗られ、秘書の座まで奪われて自分の居場所がこのパークのどこにもなくなってしまう。
役立たずの自分。いすずはかつてないほどに動揺し憔悴していた。そして、焦っていた。そんな状態で仕事が手につくはずもなかった。
「千斗っ! 聞いているのか、千斗いすずっ!!」
耳元で怒鳴られていすずはようやく自分が呼ばれていることに気が付いた。
「どうしたの、可児江くん?」
普段通りのポーカーフェイスを心掛けながら可児江の顔を見る。ここは甘城ブリリアントパークの事務棟の事務室。いすずと西也が日常事務を執り行っている部屋だった。
「どうしたのじゃない。ずっと呆けていただろう」
西也の視線が厳しい。けれど、ポーカーフェイスで切り抜けることにする。
「何のことかしら?」
時計を見ればいつの間にか2時間進んでいる。言い直せば、2時間呆けていた計算になる。廃園を逃れ立て直すために1分1秒単位で動くことを迫られている瀬戸際の遊園地でこの時間ロスはまずい。だから尚更ごめんなさいとは素直に言えなかった。
「しらばっくれるか。まあいい」
西也はあからさまな舌打ちをしてみせた。けれど、気を取り直し書類の束へと目をやる。
「昨日要求していたアトラクション改装費用の報告書。もうできているか?」
「…………あっ」
いすずは目の前が暗くなるのを感じた。西也に指摘されてから、今日中に出来上がっていなければならない仕事を思い出した。まったく手を付けていなかった。
「出来ていないんだな?」
「…………ごめんなさい」
西也に向かって頭を下げる。重要な仕事で大きなミスを犯してしまった。生真面目ないすずとしてはあってはならないミスだった。
「まあ、仕方ない。このところの激務続きで千斗も集中力が落ちてるんだろう。俺も、つい先日までそうだったしな」
意外なことに西也はいすずを責めなかった。仕事に厳しい完璧主義の少年にしては珍しいことだった。
西也自身、つい先日まで積もり積もったストレスのせいで能率が落ちていた。けれど、映子とデートしたことで良い気分転換となり復活を果たした。そしてそのデートのせいで今度はいすずが調子を崩してしまうという皮肉な構図になっていた。
「今日はもう休め。それで明日は学校に登校しちゃんと気分転換してからここに来い」
西也の命は口調こそ横柄だがいすずを思いやってのものだった。けれど、その命を聞いていすずは焦った。
「待ってっ! 仕事は山積みなのよ。私が先に帰ったら……」
自分の有用性を必死にアピールする。しかし──
「今のお前では役に立たん。完全復調を果たしてから戻ってこい」
訴えは西也にバッサリと遮られてしまった。西也は小さく息を吐き出した。
「とりあえず今日の仕事は広報に関する物がほとんどだ。トリケンを呼んでおけば何とかなる」
いすずは西也の口から映子や他の女性の名前が出なかったことに心底安堵した。これなら今すぐに秘書を解雇という最悪な事態は避けられそうだった。
「…………わかったわ。今日は体調も優れないし、早退させてもらうわ」
これ以上粘っても西也の機嫌を損ねるだけと判断。今日のところは仕事を上がることにした。普段より2時間以上早い上がりだが仕方なかった。
「それじゃあ、可児江くん。申し訳ないけれど、今日は先に上がらせてもらうわ」
「ああ。早く本調子に戻れよ。お前が居てくれないと業務が滞る」
「…………ええ。失礼するわ」
いすずは自分が必要とされていることを西也の口から感じ取って少し気分が軽くなるのを感じながら寮へと戻った。
そしてそれから1時間半後。
「携帯を事務室に忘れてきたわ……」
いすずは携帯を仕事場に置いてきたことに気付いた。室内のどこにもスマホがなかった。急いで帰ってきたので事務室の机の上に置きっ放しだったことを思い出す。
「取りに行かないとマズい、わよね?」
いすずは西也には今日はもう休むように言われている。連絡業務は西也に全部回させているに違いない。そういう点で抜かりのない少年なのはよく知っている。だから手元に携帯がなくても多分すぐには困らない。
それでも、支配人代行の秘書としての責任感から携帯を持っていないのはきまりが悪い。いすずは生真面目さゆえに携帯電話を取りに戻ることにした。
そして──
「西也く~ん。お茶淹れましたよ~」
「映子さん。わざわざすみません」
いすずが事務室で見たもの。それは、映子に茶を出してもらいデレデレと頬を緩めている西也の姿だった。
「何で……あの女がここにいるのよ?」
西也たちから見つからないように扉の陰に隠れて注意しながら中を伺う。西也は映子を呼ぶようなことは全く言っていなかった。
「業務報告に来ていただいたのにお茶まで淹れていただいて」
「西也くん……ここでは支配人代行でしたね。ごめんなさい。支配人代行がお疲れのようでしたから私にできることをと思って」
映子の言葉にいすずは敏感に反応してしまう。
「……やはりあの女。可児江くんに取り行って秘書の座を狙っているのね」
いすずの耳には映子が自分に代わり西也の秘書に就こうとしているように思えてならない。握りしめるマスケット銃に力が篭ってしまう。
「まっ、まさか、可児江くん……あの女を、私に代わって秘書にするなんてこと……」
いすずの全身が急にブルブルと震え出す。激しい寒気が全身を襲う。そして彼女の弱ったハートに更に楔を打ち込む西也の一言が放たれた。
「映子さんの淹れるお茶なら毎日でも飲みたいですよ」
「……なっ!?」
いすずの心が折れる音が鳴った。より正確にはいすずが手に握っていたマスケット銃の銃身が彼女の膝でへし折られた音が鳴った。
「まあ。支配人代行はお上手ですね♪」
2人はいすずの存在に気が付かなかった。けれど、いすずにとってはそんなこともうどうでも良くなってしまっていた。
「帰りま、しょう……」
フラフラと、体を左右に大きく揺らしながら事務棟を出て行ったのだった。
「えっ? 私……何でこんなところに?」
いすずはいつの間にかパーク内にある関係者専用通路へとやってきていた。
ここはキャスト専用の移動空間であると同時に、退勤後のキャストたちが一時のお喋りに興じる憩いの空間でもあった。
いすずはお喋りが昔から苦手。考え過ぎて言葉がなかなか出て来ない。しかも出てくる言葉は辛辣な場合が多く総じてコミュ力は低い。それを自覚しているからこそお喋り空間であるこの通路にはプライベートでは寄らないようにしている。
すぐに帰ろうと体を反転させる。だが、運悪くティラミーとマカロンに見つかってしまった。2人は珍しい人物を発見したとばかりに瞳を輝かせて駆け寄ってきた。
「いすずちゃんがここに来るなんて珍しいんだミー」
「誰か探してるのかロ~ン?」
あっという間に囲まれてしまう。正直鬱陶しいとは思った。けれど、前後を挟まれており簡単に包囲を解いてくれそうにはない。
そして、いすずの中で誰かに話を聞いて欲しい。というか、思い切り愚痴りたい衝動が2人を見て強く沸き上がってきた。親身になって相談に乗って欲しい。のではなく、不満をぶち撒ける壁役が欲しかった。
「やはりあの女、安達映子をキャストとして迎え入れるべきではなかったわ……」
いすずの言葉は悔恨に満ちていた。映子の面接採用試験に立ち会ったのはいすず。悪夢を正夢にしないために是が非でも不採用にすべきだった。信念を貫けなかった自分が憎い。
「何を言っているロン? 映子ちゃんは『スプラッシュ・オーシャン』で大活躍してくれているロン」
「映子ちゃんのおかげでプールは盛況。ボクたちの首の皮は繋がっているミー」
対してマカロンとティラミーは映子を高く評価していた。おそらく全キャストに質問しても同じ答えが返ってくる。甘城ブリリアントパークの集客の要のアトラクションと言えるプールが盛況なのは映子の存在なくしてあり得ない。
けれど、いすずは首を横に振った。自分の物の見方は異なるのだと。
「彼女がよく働いていることは私もよくわかっている。でも、そうじゃないのよ……」
いすずの呼吸は乱れている。顔はいつになく青白い。先ほどの事務室での一件を思い出してしまう。西也と映子は互いに気を許し合っているように見える。それがいすずには絶望的なプレッシャーとなっている。
「……私は困惑しているの。あの女が、夢に出てきた女にそっくりで、可児江くんがあの女の経歴を聞いてすごく動揺していたからよ。巨乳のお姉さんタイプで、私にはない包容力や、超弩級の性体験を持っている女にだらしなくクラクラして。可児江くん、まさか……彼女を秘書にして私を……うううっ!!」
これ以上吐露するのはいすず自身が耐えられなかった。壁に頭を打ち付けて痛みで西也と映子について一時忘れようとする。
そんないすずをマカロンたちは大人の視線で、というかエロ親父の視線で分析してみせていた。
「ああ、なるほど。いすずちゃんは可児江くんと映子ちゃんが急接近してジェラスに燃えているロンね」
「可児江くんを映子ちゃんに寝取られてしまって焦ってるんだミー」
2人は下卑たエロい視線でいすずを見ている。2人の下卑たけれどストレートな言動に、いすずは自分の心の内にとても黒いものが生じ始めていることに気付いていた。
だが、そんないすずの変化に気付かずにオス2匹は偉そうに語り続けていた。
「でも、それだったら心配要らないロン。お泊りだったらいすずちゃんの方が先にしたロン」
「貫通させた責任を可児江くんに取らせればいいんだミー。アイツ、そういう観念、意外と固く持ってそうだから有効だミー」
『お泊り』『貫通』という単語はいすずの逆鱗に触れた。
「私はただ寝泊まりしただけ。まだ貫通なんてしてないわよっ!!」
いすずは顔を真っ赤にしながら怒り2人に向かってマスケット銃を容赦なくぶっ放した。銃弾を背中に受けてマカロンたちは悶絶した。背中を腕で抑えながらビクンビクン体を震わせている。
「……私は、破廉恥なことなんてしてないんだから」
西也の家に成り行きで泊まることになった日のことを思い出す。
あの日、ラティファに魔法を授けられた西也はその反動で気絶してしまった。その彼を家まで運んだら遅くなったので西也の叔母に引き止められて泊まっただけ。それが真相。
いすずは何も間違ったことをしていない。倫理も道徳も守った。にも関わらず、倫理を破らなかったことを間接的に責められているのは納得がいかなかった。
「なら、話は簡単だロン。いすずちゃんが可児江くんを誘惑してお泊りな関係に持って行ってしまえばお嫁さんの座は確定だロン」
「べっ、別に私は可児江くんのことなんて、全然何ともこれっぽっちも想ってないのだから……」
いすずは頬を染めながら顔を2人からプイッと逸らしてみせた。けれど、その反応は2人のケダモノには納得行かないものだったらしい。
「テンプレ過ぎるツンデレだミーっ! いくら何でもこの業界舐めたコピペだミーっ!」
ティラミーがキャンキャンとうるさい。そんなスケベ猫を無視しながらいすずは大きなため息を吐いて再び俯いてみせた。
「大体、誘惑なんてどうやったらいいのかわからないもの。そんな経験ないのだし……」
「そんなことは簡単だロンっ!」
「可児江くんを映子ちゃんから寝取り返すなんていすずちゃんの大人の女っぷりを見せ付ければいいだけだミーっ!」
興奮して叫ぶマカロンとティラミー。けれど、2人の興奮の高さと反比例していすずは冷たい疑いの目を向けている。
「具体的にはどうするの?」
「可児江くんの前でモナピーを見せ付けてやればいいんだミー♡」
「それで、可児江くんが襲い掛かってきたらその様子をこっそりAV撮影すればいいんだロン。後は母子手帳と婚姻届をそっと差し出せばいすずちゃんエンドだロン♡ ついでにその時のAVをボクたちに見せて欲しいロン♡」
ティラミーたちは瞳をランランと輝かせながら涎を垂らしっ放しにしている。そんな2人の欲望駄々漏れの願望にいすずは遂に怒りの限界を越した。
「そんなこと……できるわけがないでしょっ!!」
いすずは怒りの表情で2人に対して念入りに6発ずつ弾を打ち込んだ。ティラミーとマカロンは完全に沈黙した。物言わぬ2人に対して苛立ちがいつまでも込み上げてくる。
「まったく、恥ずかしい思いをしただけだったわ」
いすずはプンプンと怒ってみせながら去ってしまった。
「ふぇええええぇっ。モナピーとAVが何なのか聞けませんでしたぁ」
物陰からよく知っている声が聞こえたような気がした。けれど、怒りと恥ずかしさで頭がどうにかなってしまいそうだったいすずには確かめる気力がなかった。怒りで大きな足音を響かせながら寮へと戻っていった。
目的を果たせず苛立ちだけ溜めたいすずは寮に戻ると早速入浴することにした。乱暴に衣服を脱ぎ捨てて西洋式の細長いバスタブに浸かる。
「やっぱり、お風呂の中にいると少し落ち着くわね……」
体育座り姿で頭を半分水の中に浸けていると少しだけ気分が軽くのを感じていた。
いすずは入浴が大好き。それは単にお風呂好きという話ではなく、メープルランドの住人だからということに由来している。彼女は水辺に棲む妖怪としてよく知られている存在の血を引いている。ゆえに水の中にいるのは彼女にとって入浴以上の意味を持っていた。
考えることを一切放棄して1時間ほどぬるい湯の中に浸る。寝ているわけではなく頭の中を空にしてただ水に身を委ね続ける。
それでもただ無心でいられる時間には限界がある。水に浸かっている快感の効果が落ちてくると代わりにネガティブな思考が彼女を取り巻き始めた。
「パークの再建に失敗し、今度また秘書の任まで解かれたら……私は一体どうすればいいの?」
人間界にやって来てから今日までの日々を思い出して身を震わせる。
いすずが人間界にやって来たのは元々軍の指令によるものだった。彼女の任務は支配人代行としてパークを再建することだった。経営の経験はないもののパーク運営のマニュアルは存在した。だから彼女にとって難しくない任務の一つに過ぎないはずだった。
だが、いすずは再建に失敗した。入場者数は激減し、いすずの高圧的な要求はキャストたちから大きな反発を招いた。再建どころか閉園が決まり掛けるほどに運営は悪化した。
エリート街道を順調に歩んでいたいすずにとっての初めての挫折だった。それは彼女の思考様式を大きく悲観的なものへと傾けた。
パークの再建は5月に西也が支配人代行に就任して以来着実に進んでいる。パーク存続も夢でないところまできている。
いすずは西也に深く感謝し、同時に自分の非才を責めてもいる。最初から西也が支配人代行に就任してくれていたらと悔やまずにはいられない。
それでも、西也の秘書としてパークのために貢献できる方法を自分なりに掴んだ。そのつもりだった。だが、そんな秘書の座を脅かす存在が現れた。
「安達映子……あの女は私から何もかも奪っていくつもりなのね……」
映子のことを考えるとどうしようもないほどに思考が負の方向へと傾いていく。
秘書交代、リストラ、メープルランドへの強制送還、達也と映子の結婚届の受け取り。これら一連の流れはいすずの頭の中では明日起きてもおかしくない逼迫した脅威だった。
「支配人代行の秘書の仕事はお茶を上手に淹れられればそれでいいものではないのよっ!」
先ほど事務室で見た光景を思い出して苛立ちを募らせる。同時に茶を上手に淹れられない自分に虚しさを覚える。そして──
「私にはあんな風に可児江くんを和ませることなんてできない……」
西也に気持ち良く仕事に臨んでもらうことに関して足元にも及ばない自分を強く意識して落ち込んでしまう。
いすずは問題点を的確に指摘することで西也に強い危機感を抱かせることはできる。その危機感こそがパークの再建に大きく役だった。それはいすずもわかっている。
けれど、危機感を募らせるばかりのいすずのやり方は西也の精神を確実に摩耗させた。数日前までの西也の仕事の能率低下はそれを端的に物語っていた。
支配人代行の役には立てても可児江西也の役には立てていない。最初はどうでも良かったはずの後者。それが今ではいすずにとってより大きな意味を持つようになってきている。
「私だって可児江くんに喜んで欲しいのに……」
体を更に屈めて胸を締め付ける苦しさに耐える。映子に遅れを取っている自分が嫌で嫌で仕方がない。
何とか映子の先に行きたい。西也の一番になりたいと強く願う。
そんな最中、先ほどのマカロンの言葉がふと脳裏を過った。
『なら、話は簡単だロン。いすずちゃんが可児江くんを誘惑してお泊りな関係に持って行ってしまえばお嫁さんの座は確定だロン』
マカロンに聞かされた時には苛立ちしか生まなかったその言葉。けれど、ひとりになって考え直してみると心に響く何かを伴っているような気がした。
「可児江くんを誘惑……」
いすずは自分の肢体を観察してみる。
胸の大きさだけなら映子より大きい。と、思う。腰だってよくくびれているしお尻だって引き締まっている。プロポーションでは映子には負けてない。と、思う。
けれど、いすずには決定的に足りないものがある。
「私には性体験なんてないもの。可児江くんを誘惑なんてできないわよ……」
いすずには男女交際の経験が全くない。今まで興味もなかった。男の気の惹き方なんて知らないし知りたくもなかった。けれど、映子の登場はいすずの考え方を大きく揺るがしている。
「安達映子の出ていたAVがAnimal Videoの略でAdult Videoの略じゃないのは知ってる。でも、だからといって安達映子が男慣れしていない証拠にはならない。年下の男の子をパクっと食べてしまい手懐けるのが趣味の悪女である可能性は否定できないのよっ!」
いすずは頭を抱えた。映子はいすずよりも大人の女。いつも余裕のあるその態度はいすずには豊富な男性経験を彷彿とさせる。友達も彼女もいない西也など映子の手に掛かれば容易く陥落させられそうだった。その時はもう目前に迫っている気がしてならない。
「私でもできる、安達映子に可児江くんを渡さずに済む方法は……」
思い悩んでいると今度はティラミーの言葉が脳裏に過った。
『可児江くんの前でモナピーを見せ付けてやればいいんだミー♡』
いすずは再び水の中の自分の裸身へと目を向ける。映子に引けを取らないこの体を使って西也にモナピーを見せ付ける様を想像してみる。白い指を下腹部へと持って行きながら想像して……。
「そんな破廉恥な真似が私にできるわけがないでしょうがあっ!!」
いすずは湯船の中から立ち上がって絶叫した。想像の中の自分はあまりにも破廉恥だった。スーツ姿なのに胸をわざと露出させ妖艶な表情で西也を誘惑していた。そんなこと、現実でできるはずがなかった。
「大体、私は可児江くんのことなんて、全然何ともこれっぽっちも想ってないのだから……」
ティラミーたちにまた呆れられてしまいそうな典型的なツンデレ台詞が出てしまう。けれど、今のいすずはそこで考えることを放棄しなかった。
「私は別に可児江くんのことを全然何ともこれっぽっちも想っていない。でも、そのことと彼を安達映子に渡して良いということは同義ではないわ。そうよ。私は秘書という自らの社会的ポジションを守るために安達映子の手に可児江くんを渡してはならない。これは自衛のための戦争なのよっ!」
拳を握りしめて熱くなる。
千斗いすず。自分に素直になれずわりと面倒くさい性格をしている少女だった。
「そうと決まれば、早速可児江くんの日常を探り直して彼好みの女になるように努力。じゃなくて弱みを握り、安達映子にこれ以上近付かないように警告しないと」
曲がりなりにも大義名分が立ったので今後の方針がスラスラと出て来るようになった。
「私と可児江くんは同じ学校。安達映子は大学生で全然違う学校。フッ」
事実確認をすることでいすずの元気が回復していく。
「私は可児江くんの家を知っている。おばさまにも挨拶したことがある。その際彼女だと勘違いされたこともある。対する安達映子はどうかしら? フフッ」
いすずはどんどん普段の調子を取り戻していく。裸のまま意気込んでいるのでどこか滑稽で扇情的ではあったが。
「明日は朝から可児江くんの家を訪れておばさまに嫁アピール。ではなく可児江くんの弱みを聞いてみましょう。上手くいけば保護者公認の嫁に。ではなく安達映子の暴挙を封印できるわ」
いすずは明日の行動指針が決まりようやく未来が開けた思いがした。それから安心して湯船に8時間浸かり直して朝を迎えたのだった。
朝を迎え、いすずは高校の制服に着替えて寮を出て行きすぐに西也の家に向かった。
「おはようございます。可児江くんをお迎えに上がりました」
歩きながら西也の叔母である久武藍珠への挨拶の仕方を熱心に考える。無難の挨拶を最初は考えていたのだが、どうにもしっくりこない。
「ここは1つ、可児江くんを西也くんに変えた方が私たちの関係をより深いものだと匂わせることができるんじゃないかしら?」
いすず本人の理解によれば、これは対映子のための牽制策。自分の将来が懸かっている問題と位置づけているだけにシミュレーションに余念がない。
「おはようございます、叔母さま。西也くんをお迎えに上がりました…………駄目。これではパークの仕事の都合で迎えに来たビジネスライクな関係に受け取られかねない。私と彼の個人的関係であることをもっと強く匂わせないと意味がないわ」
熱心に考え続けている内にいつの間にか西也が住むマンションの部屋の前まで到着してしまっていた。
「結局考えがまとまらない内に到着してしまったわけだけど仕方ないわね。ぶっつけ本番でやってみましょう」
いすずは大きく息を吸い込みながら覚悟を決める。インターホンを鳴らして少し待ち、扉が開くと同時に深く頭を下げながら自分にできる精一杯の挨拶を捲し上げた。
「おはようございます、義叔母さまっ! 西也くんの嫁の千斗いすずがお迎えに上がりましたっ! 西也くんの嫁確定の熱愛恋人千斗いすずをよろしくお願いしますっ!!」
何かおかしなことを口にした気もする。けれど、全力を出しきった爽快感ならある。恐る恐る頭を上げていく。さて、藍珠の反応は?
「…………何を寝言をほざいてるんだ、お前は?」
異常者を見る瞳でいすずを見下ろしている制服姿の西也の姿があった。いすずが挨拶した相手は叔母ではなかった。次の瞬間、非常事態に強いいすずは即座に思考を切り替えた。
「ちょっとしたアメリカン・ジョークよ。寝ぼけた可児江くんの頭を起こしてあげようと思って心にもない大ぼらを吹いたのよ」
ポーカーフェイスでシレッと言い返す。
「欠片も笑える要素がなかったんだが?」
「可児江くんには笑いの感受性も著しく欠けているのね。心底笑えない人ね」
「お前に言われたくない」
可児江に何を言われても一切無視をする。今朝、わざわざここに来たのは西也と漫才するためではない。
「あの……叔母さまは?」
「藍珠姉さんなら、雑誌の締め切りがどうとかで会社に泊まり込み。昨日から帰ってない」
大きな舌打ちの音が鳴り響いた。
「さっさと学校に行きましょう。遅刻してしまうわ」
舌打ちについては一切事情を説明せず無表情のまま用件だけを伝える。
「あっ、ああ……」
西也は納得が行かない表情を浮かべているものの、いすずには逆らわない。もう出発しないと時間的にまずいのは事実だった。
「ちょっと鞄を取ってくる」
「10秒以内で」
マスケット銃を構えながら命令する。
「無茶言うな!」
西也は急いで部屋の中へと駆けて行った。
2人並んで朝の通学路を歩く。いすずは西也の隣をきっかり歩幅を合わせて歩いている。傍から見れば恋人同士のように見えなくもない2人。西也はダルそうな表情をしながらいすずに尋ねた。
「何故今日に限ってうちに迎えに来たんだ? そんなこと、今まで一度もなかっただろう」
「可児江くんが暗殺者に狙われているという情報を掴んだから護衛のために来ただけよ」
サラッと嘘を吐く。ポーカーフェイスはこういう時に便利だった。だが、通じない嘘もある。
「嘘を吐くな」
「……可児江くんが悪女に狙われているという情報を掴んだから護衛のために来ただけよ」
少しだけ話を変えてみる。いすずとしては今度は嘘を吐いていない。映子の脅威は現実だった。
「すぐに銃で撃ってくる悪女になら狙われている自覚はあるがな……」
西也が嫌味を言ってくるがいすずは無視した。そして、今度はいすずの方から質問してみた。
「ところで。可児江くんの家に安達映子は足を踏み入れたことがあるのかしら?」
「なんだ、藪から棒に……」
「いいから答えなさい。あの家に安達映子をあげたことはあるの?」
マスコット銃の撃鉄が降りる音がする。その銃口は西也の頭へと向けられている。
「…………あるわけないだろ」
西也は額から汗を垂らしながら両手を挙げた。
「本当? 嘘を吐くと……実弾より3倍痛いこの弾があなたの脳髄を撒き散らすわよ」
「それ、普通に死ぬってことだよな?」
「で、本当のところはどうなの?」
いすずは銃口を西也の側頭部に突き付けている。
「…………俺が家に上げたことがある女は千斗だけだ」
いすずは銃を下ろした。
「そう。私が可児江くんにとって初めての女で唯一の女。そう言いたいわけね。フフッ」
いすずは血色の良い艶々した表情でドヤ顔を浮かべている。
「まったく、可児江くんの不人気ぶりには呆れるわね。初めてで唯一の女である私が言うのだから誰よりも的確な意見だわ」
「お前は何が言いたいんだ?」
西也は眉間にシワを寄せて胡散臭い物を見る瞳をいすずに向けている。だが、いすずが銃を手に持ったままなのでそれ以上は言ってこない。
「私が可児江くんの初めての女だって忘れてはダメってことよ」
いすずは足取り軽く学校へと向かい直すのだった。
「……え~、ということで困った時にはモブレです。美少年キャラはとりあえずモブ男に襲わせておけば男性向け二次創作SSを遥かに上回る安定した腐女子票が入ります。これをモブレ最高の法則と言います。ここ、テストに出ますから必ず覚えておいてください」
いすずにとって高校の授業は退屈なものだった。真面目なので予習復習は怠らず成績は優秀。だが、人間界の大学に進学する気はなく、既に軍に就職もしている。授業を聞くモチベーションはどうしても上がらない。
軍事教練や経営学の授業が欲しい。そんなことを考えている内に午前中最後の授業が終わりを告げた。
いすずは大抵の場合学食を利用して昼食を採っている。お弁当は持参してこない。普段食事は寮の食堂で採っているので料理はほとんどしない。やる気もない。
「可児江くんも今日はお弁当を持っていないはず。なら、初めての女である私と一緒に昼食を摂るべきよね。それが合理的判断よ」
叔母は昨夜から不在。弁当は用意されていないはず。料理が得意な西也が自分で準備している可能性はある。だが、西也の性格上、自分にわざわざ弁当を作るとは思えなかった。
西也は弁当を持ってきていないはずだと結論を下して意気揚々と教室を出る。目指すは西也が在籍する2年4組の教室。同じ校舎同じ階なので1分も掛からずに到着。
「可児江くんはいるかしら?」
率直に、だが横柄にも聞こえる言い方で扉付近の席の女子に尋ねる。そして尋ねると同時に教室内の最後尾窓際の席を覗く。席は既にもぬけの殻だった。
「邪魔したわね」
話し掛けた女子が返答をする前に去ってしまう。呆けた表情を見せる女子。いすずとしては女生徒に手間を取らせないための行動。だが、相手の反応を待たない振り回しはいすずが会話のキャッチボールが上手くできない人間であることを物語っていた。千斗いすず。彼女もまた学校内で友達が少ない人間の1人だった。愛読書は『僕は友達が少ない』。
廊下を歩きながらいすずは西也がどこにいるのか考えてみた。
「友達のいない可児江くんは人目を避けて昼食を摂ろうとするはず。となると……男子トイレね」
いすずの脳内検索で真っ先に引っ掛かったワードは便所飯だった。
早速、2年生が使う男子トイレの前に移動する。だが、正面に立って気が付いた。
「……この中に入るのは、自動迎撃装置稼働中のメープル城の中に入る並みに不可能ね」
男子トイレの中に入れない。男子生徒たちにジロジロ見られ不審者扱いされている。
「可児江くんはきっと学食ね」
行き先を定め直す。食堂がある1階に向かおうと階段に差し掛かった時だった。階段の上の方から知っている少女の声が聞こえてきた。
「可児江先輩のお弁当が食べられるなんて。椎菜は感激ですぅ♡」
いすずにとって聞き捨てならない内容だった。
「あの声は……中城さん?」
足音を消しながら慎重に階段を登っていく。声の主はパークでアルバイトとして働く中城椎菜で間違いなかった。
椎菜が話し掛けているのがエア西也なのか本物なのか。それが問題だった。
「弁当を交換しているだけだろう。大げさだな」
西也の声も聞こえてきた。残念ながら椎菜がエア西也相手に妄想を垂れ流しているという希望的観測は打ち砕かれた。
「お弁当交換でも可児江先輩の手料理を食べていることには変わりありません。椎菜はとっても感動してますぅ」
椎菜の言葉は2つの意味でいすずを凹ませた。
「可児江くんと昼食を共にするのはこの私のはずだったのに。そして、可児江くんの手料理を食べられるなんて……あの女も可児江くんの初めての女になったわけね。ぐぬぬ」
幸せ昼食プランが崩れ、なおかつ『初めての女』という自分の絶対的優位までもが崩れてしまった。クラっとした立ち眩みを覚えたところでかつて見た悪夢のことを思い出す。
「…………そう言えば、あの中城椎菜もまた私から秘書の座を奪おうとする女の1人だったわね」
夢の中でいすずから秘書役を奪おうとしたのは映子だけではなかった。椎菜もまた西也に取り行っていた。いすずの中で急激に緊張感が芽生えていく。
「落ち着くのよ、千斗いすず。どう見ても小学生にしか見えないお子ちゃま容姿な中城椎菜と私の可児江くんがどうこうなるはずないじゃない。恋なんか生じるはずもない……」
声は震えながらも強気を振る舞う。そんないすずに屋上手前にいるらしい2人の会話が近付いたことでより鮮明に聞こえてきた。
「あんまり……くっつくなよ」
「いいじゃないですかぁ。高校生の男女が2人きりでぇ一緒に食事してるんですからぁ寄り添った方が自然なんですぅ」
姿は見えないものの2人がどんな姿勢でいるのかは容易に想像がついた。椎菜がべっとりと西也に寄り添っている。幸せそうな表情を浮かべながら西也の胸に後頭部をもたれている。そんな椎菜に面倒そうな表情を向けながらもくっつかれたままになっている西也。内心は可愛い少女に寄り添われて嬉しいに違いない。そんな2人の様子が。
「中城椎菜。あの子はあんな幼い外見をしながら中身はメス豚ビッチだったわけね。クッ」
歯噛みして妄想の打撃に耐えるいすず。だが、まだ西也から何かアクションを起こしているわけではない。西也の好みはDカップ以上の大きな胸をした大人っぽい女性だと勝手に定義して心の立て直しを図る。
「高校生の男女って言われてもなあ……」
西也の声には呆れの色が含まれている。椎菜のことを小学生のように思っている。そのことにいすずはホッとした。だが──
「椎菜じゃ高校生に見えませんかぁ? 可児江先輩の役に立てないお子ちゃまですかぁ?」
「…………そんなことはない。中城はパークの役にも立ってくれてるし、俺個人もお前がいてくれて助かってる。お前はお子ちゃまなんかじゃないよ」
「なっ!?」
西也の回答はいすずの心に冷水を浴びせた。
「それじゃあ、ぼっち飯で毎日寂しい想いをしている可児江先輩のためにこれからは椎菜が毎日一緒に昼食を食べてあげます」
「ぼっち飯言うな。そんな気遣いは無用だ」
「椎菜がいつもひとりでご飯を食べるのが寂しいので。可児江先輩、一緒に食べてもらえませんかぁ?」
「…………そういうことなら仕方ない。わかった」
いすずはそれ以上聞いていられなくなって2人から遠ざかっていった。午後の授業を彼女はとても不機嫌な態度で受けた。
「なあ。昨日からなんか怒ってないか?」
「私はいつもこんな感じよ」
いすずは西也の質問を邪険に否定して仕事に取り掛かる。
けれど、返答とは逆にいすずの不機嫌は明白だった。昨日も今日も学校が終わった後、パークにはひとりできた。西也を教室まで迎えには行かなかった。
「まあ、気落ちしていないのならいいが」
いすずよりバス1本遅れてやってきた西也は早速書類に捺印している。
ちなみに西也の場合は学校にいても常に携帯で連絡を受け指示を出している。学校に通うことを強く薦めるラティファの手前とりあえず登校しているという体裁を採っている。そのために事務室では直接決裁しないといけない判子押しが一番重要な仕事となっていた。
「私には気落ちする理由も怒る原因もないわ」
いすずはバッサリと切り捨てた。けれど、昨日の昼に西也と椎菜が2人で食事をしている会話を聞いてしまってからずっと不機嫌だった。西也とはほとんど口をきいていない。
映子に続いて椎菜まで西也と秘書の座を狙っていることが明らかになった。心穏やかでいられるわけがなかった。
無言で緊張感に満ちた事務室。第三者で見たら驚くに違いない緊迫した空間の中で2人は仕事をこなしていく。そしていつの間にか時計は6時半を回っていた。
「あの、可児江さん。そろそろリハーサルの時間なんですが……」
エレメンタリオの水の精霊ミュースが事務室にやってきた。
「ああ。もうそんな時間か」
西也は時計を見ながら頭を掻いた。目前に迫ったナイター営業『スターライトワールド』。メープル城前でのエレメンタリオのダンスショーを本番の7時に合わせて行うリハーサル。その監修が今の西也の重要な仕事の一つだった。芸能界に所属して天才子役の名をほしいままにしてきた西也はダンスの振り付け、演出に関して園内で追随を許さない高いレベルを誇っている。
「いえ。お忙しい中、お手間を取らせてしまい申し訳ありません」
殊勝に頭を下げるミュース。だが、その際の表情の変化をいすずは見逃さなかった。
「……メスの瞳?」
俯いているものの、いすずにはミュースが西也を男として意識しているのがよく見て取れてしまった。いすずは映子とのデート発覚以降、西也に近付く女の反応に敏感になっていた。
「……今までそんな素振りはなかったのに」
ミュースが西也を意識している素振りは今までなかった。少なくとも表面上は。なのに今は西也を明らかに男として意識している。
「……やはり安達映子の存在が起爆剤になってしまったと言うの?」
椎菜の行動が活性化したのは西也と映子のデートを受けてのことに違いなかった。なら、ミュースにも同じ変化が起きていると仮定するのはおかしなことではなかった。
「可児江さん。私と、一緒に、メープル城に、参りましょう」
ミュースはやたら緊張している。けれど積極的な姿勢は崩さない。西也の腕を引っ張って自分の胸元へと引き寄せている。
控えめな常識人のミュースらしからぬ行動。誰かに自分の想いを暴露されて半分自棄になって行動しているようにも見える。何にせよミュースまで参戦してきたのは厄介なことだった。
「じゃあ俺はリハーサルに行ってくる。千斗は適当なところで仕事を切り上げ帰ってくれ」
西也がミュースに腕を引っ張られながら立ち上がった。
「……ええ。わかったわ」
素っ気ない返事をする。ミュースの行動に対して何も気にしていないことを返事の仕方でアピール。
「それでは、行きませう!」
ミュースはぎこちない動きを見せながら西也と共に去っていった。腕を組んだ姿勢で。
「…………ミュースが西也くんと結ばれても、私の秘書の座は揺るがない。キャストリーダーのモッフル卿が降格するだけなんだから。そうよ。動揺する言われなんてないのよ」
握っていたペンが中間で真っ二つに折れた。
時刻は7時35分となった。リハーサルは花火ショーも含めて本番と同じく40分の予定。そろそろ終わりになる時刻だった。いすずは仕事を切り上げて事務室を出た。
事務所を出たところで最後の花火が派手に打ち上げられているのが城の方から見えた。あの花火の下には西也がいる。西也に女の表情をしてみせたミュースと一緒に。
「ショーの出来具合を確認しておくのは秘書として重要な仕事だわ」
秘書の仕事であることを全面に出しながらいすずはメープル城へと向かった。
「みんなぁ~~っ。ありがとぅ~~っ!!」
「楽しかったよぉ~~っ」
「また来てねぇ……」
「ねるねるねるね~~っ!!」
いすずの視界にステージ上の4人の精霊が仮想ゲストを相手に愛想良く手を振っているのが見えたてきた。ショーは丁度終わりを迎えているところのようだった。
リハーサルに参加していたスタッフたちの拍手が鳴り響きステージの照明が暗くなる。
「ヨシッ。これなら夜間営業が始まっても十分に客を惹き付けられるな」
西也は大きな声を張り上げている。ナイターショーに大きな手応えを掴んだらしい。
夜間営業は平日の夕方からもお客を引き込めるように打った新しい布石の一つ。夕方から毎日百人単位で入園してくれれば1ヶ月で数千人、上手く行けば万単位での増客が見込める。閉園阻止のための西也の切り札の1つだった。
評価が良かったことでエレメンタリオは気分を良くして西也へと近付いてきた。
「ほらっ、ミュース。支配人代行にご褒美をもらわないと」
サーラマがニヤニヤと表情を緩めながらミュースの背中を押した。
「きゃっ!?」
ミュースは態勢を崩して前のめりになりそのまま西也の胸に抱きついた。全身を赤くして固まるミュース。西也も突然のことに固まって動けない。
「…………今のは事故ね。可児江くんを断罪するのは酷というものだわ」
ミュースに銃口を向けながらいすずが凍てついた瞳で西也の無罪を告げる。
「可児江さん。重い、ですよね……?」
「いや。そんなことはないんだが……その、胸が……」
ミュースはなかなか西也から離れない。むしろわざと抱きついたままの姿勢を維持しているように見える。いすずの銃の引き金を持つ指がどんどん軽くなっていく。
「支配人代行は美男子とくっつくべきなんですっ! フリー・エターナルサマーなんです」
コボリーがミュースを引き剥がしに掛かった。
「……何故美男子?」
疑問を抱きながらもコボリーの行動に安心して銃を下ろしに掛かる。だが──
「ぼーーいずらぁーーーーヴっ!!」
今度はシルフィーが回転しながらコボリーの背中に激突した。
「うわぁっ!?」
コボリーは態勢を崩し、ミュースと同じように西也の胸に飛び込んでいった。
「って、さすがに動けんから誰か何とかしてくれぇっ!」
西也は2人の女性に寄り掛かられて動けなくなっている。悲鳴を上げているものの、その顔は赤くて満更でもなさそう。
「すみません、可児江さん。私も体勢が悪くなってしまって本当に動けないんです」
「これがリアル三次元男性の質感……ポッ」
ミュースもコボリーも動かない。西也に抱きついたままになっている。
「全ては事故。ゆえに誰かを責めようというのは間違いよね」
いすずはマスケット銃を2丁構えてそれぞれミュースとコボリーの頭を狙いながら西也の無罪を口にした。
「……いけませんいけません……可児江さまが大人の女性に誘惑されています……」
いすずのすぐ側の樹の陰から少女の強張った声が聞こえてきた。銃を降ろして振り返る。
「姫殿下?」
木の影に隠れていたのはラティファだった。青い瞳の王女殿下は西也たちを凝視しながら暗い表情で「いけません」と繰り返している。いすずは銃を閉まい近付いていった。
「あの、ラティファさま?」
声を掛けた瞬間ラティファは大きく体を仰け反らせて驚いた。
「ひゃぁあああああぁっ!? あっ、あっ、あっ、あの……」
「落ち着いてください」
慌てて逃げようとするラティファの進路をさり気なく体で塞ぐ。
「どうか、なされたのですか?」
質問しながら何となく理由はわかっていた。ラティファは西也にミュースとコボリーが抱きついているから焦っているのだと。
ラティファもまた西也に密かに恋心を抱いていることをいすずはよく知っていた。
「いえ。何でもありません……」
ラティファは頬を赤らめながら恥ずかしそうに俯いた。けれど西也たちの様子が気になるのかその瞳は時々上を向いている。
「…………あの2人はそういう関係とは違うと思いますよ。少なくとも現段階ではまだ」
「えっ?」
ラティファが蒼い瞳を丸くしながらいすずを見た。
「可児江くんはなかなかに浮気症でワーカーホリックなようなので、まだハッキリと決めた相手はいないようです」
いすずは小さく息を吐き出しながら瞳を軽く閉じた。
「そう、ですか」
ラティファの声が少しだけ明るくなった。けれど、その表情はまたすぐに曇ってしまう。
「でもわたしは一刻も早く大人の女性にならないと可児江さまに相手にされません」
「姫殿下は可児江くんに一番大事にされている女性だと思いますが?」
「それはわたしの望む大事にされ方とは違うんです。いすずさんなら、わかりますよね?」
いすずは何も言えなかった。ラティファの言葉の意味は何となくわかる。間違ってもいない。けれど、それを肯定して返事できるほどに自分に正直にはなれていない。
「わたくしは一刻も早く大人の女性になりたいんです。だから……モナピーなんです」
「へっ?」
今度は間の抜けた声が出た。
「あの、一体何を仰られているのでしょうか?」
何故突然ラティファがモナピーなどと言い出したのか脈絡が掴めない。当惑するいすず。
「モナピーって何なのか……わたし、気になりますっ!!」
ラティファは好奇心に瞳を輝かせた。その瞳は情熱の炎で燃え上がっている。
「えっと、それは……」
ラティファはモナピーを知ることが大人の女になるための必要条件だと思い込んでいる。
何故そんな誤解を抱いたのかは不明。今日、仕事を無断欠勤して連絡も取れないマカロンとティラミーぐらいしかそんな妙なことを吹き込む輩がいないことは明白だったが。
「いすずさん。モナピーについてわたくしに教えてくださいっ!」
ラティファは本気の瞳をしていた。知らないと突っぱねることは簡単。けれど、そうするとラティファは独自に調査を進め、誰かにまた変なことを吹き込まれる可能性があった。
その結果、誤った知識に基づき事実とは違うことをキャストたちに説いて回る可能性も捨てきれない。そして──
〔可児江さまにモナピーを見せ付けてそれから一緒にAVの撮影をしたんですっ♡ とても楽しかったです♡〕
〔わたくし、こうして西也さまと夫婦となることができて本当に幸せです〕
〔そうだな。色々あったけど、こうしてラティファを嫁さんに迎えられて……俺も本当に幸せだよ〕
〔わたくしがこんなにも胸が熱くなる幸せを享受できるのは……モナピーとAVのおかげですね。モナピーとAVに心から感謝です♡〕
西也が責任を取らされラティファと即結婚などという展開もあるかもしれなかった。
「ラティファさまと可児江くんが結婚……」
想像の中でラティファは幸せいっぱいの表情を浮かべている。たとえ勘違いから始まった結婚だとしてもラティファは幸せになれる。西也ならラティファを幸せにしてくれる。
ラティファの幸せはいすずにとっての、いや、パークの全従業員にとっての共通の願い。けれど──
モナピーについて語らない
⇒モナピーについて嘘を教える
いすずは、ラティファの結ばれる相手が西也だと言うのがどうしても認められなかった。
ラティファと西也が幸せそうに過ごす姿を想像すると胸が締め付けられた。だから、ほんのちょっとだけ王女殿下に嘘を吐いた。
「モナピーというのは、南ドイツ貴族だったモナゲルガー・ピーケンハーゲン男爵(1822―1871)の名前を略したものです。大ドイツ主義を唱えオーストリアとの分離を嫌った彼は、相手を不快にさせる表情に長け、まとまり掛けた交渉をぶち壊してはドイツ統一に反対し続けたといいます」
ラティファの表情から血の気が一気に引いた。
「それでは、相手を不快にさせる表情を見せることをモナピーというのですか……」
「はい。大人の女には、汚れ役を買ってでも切り抜けないといけないこともあるのです」
平然と嘘を突き通したいすず。ラティファは目に見えて落ち込んでしまった。
「わたしには、モナピーはできそうにありません。大人の女性になる方法はまた他のものを考えることにします。ううう」
ラティファはフラフラとおぼつかない足取りで城に向けて歩き出した。そんな彼女をいすずは部屋まで護衛する。主君であり純真な少女に対して嘘を吐いたことをポーカーフェイスの下で激しく後悔しながら。自分が嫌な女であることを強く意識してしまいながら。
「…………みんな、可児江くんのせいよ。あの女ったらし」
とりあえず西也の背中に銃弾を2発お見舞いしておいた。ミュースとコボリーから離れてビクンビクンと地面をのたうち回りながら痙攣する西也を見ているとほんの少しだけ気分が軽くなった。
「ティラミーとマカロンがここ数日無断欠勤を続けているのだが?」
いすずがラティファに嘘を吐いて数日後。事務室内で西也は眉をしかめながらキャストたちの近況レポートを眺めていた。
「ただの噂に過ぎないのだけど、モッフル卿が怒りに満ちて粛清したそうよ」
キャストたちの間では、怒りに燃えたモッフルが2人を葬ったという噂で持ちきりになっている。西也も知らないはずがなかった。
「…………そうか。なら、2人は欠員になったとみなさないといかんな」
西也はいすずの報告に特に驚いた様子は見せなかった。やはり知っていたらしい。ということは西也が悩んでいるのは2人の行方ではないことになる。
「ティラミーとマカロンのアトラクションをいつまでも休館にしておくわけにはいかん」
西也が気にしているのはやはりパークの営業の方だった。
「けれど、今から新しい人材を雇ってアトラクションを任せたのでは新人研修が終わるまで時間が掛かるわ」
「だから既存キャストの配置転換を行う」
西也は既にそれを決めていたかのような断定口調だった。
「でも、誰を?」
「中城椎菜をマカロンの後任に、伴藤美衣乃をティラミーの後任に据える」
椎菜の名前が出たことでいすずの心は穏やかでなくなる。
「何故その2人なの?」
「中城は歌がとても上手い。その歌唱力を活かせばマカロンの代わりは十分に務まる。伴藤はよく入院して見舞いに花をよくもらうとかで花に詳しいそうだ。ティラミーの後任に適している」
西也の説明は理に適ってはいた。けれど、いすずにはどうしても気になる点があった。
「何故中城さんが歌を上手いことを可児江くんが知っているの?」
椎菜の歌唱力についていすずは何の情報も持っていない。履歴書には歌に関する情報は一言も載っていなかった。
「…………一昨日、仕事が終わった後に一緒にカラオケに行ったんだ」
西也はバツが悪そうに答えた。
「2人で?」
「…………ああ」
西也はいすずから顔を逸らした。
「そう」
いすずは大きく息を吐き出した。西也は映子に続いて椎菜ともデートしたことになる。いつも一緒にいるいすずには何の誘いもないくせに。
「待て! 銃を降ろせっ!」
いすずは気が付いた時には西也に銃を構えていた。
「あら? 銃の手入れをしていたらいつの間にか銃口を可児江くんに向けてしまったようね。せっかくだからこのまま試射してみましょうか」
「俺が死ぬだろうがっ!」
西也は怒鳴った。
「…………浮気者は死ねばいいのよ」
いすずはふて腐れながら銃を降ろした。
「けれど、勝手に降板させたら2人が戻ってきた時にすごく怒るんじゃないのかしら? あの2人、生理的に受け付けられないほど粘着質よ」
いすずはエロに満ちた瞳を思い出して身震いした。
「モッフルが変な仏心に目覚めなかったことに期待する。奴らが生きているのなら……その時はその時だ」
西也は腕を組みながらふんぞり返ってみせた。こういう時の西也には特に策はなくただの強がりであることはいすずも段々わかってきている。
「後に禍根を残しそうだけど……来場者が増えてゲストが捌ききれない事態が生じているのに2つもアトラクションを休館のままにはしておけないわよね。中城さんたちには支配人代行の決定を伝えておくわ」
いすずには西也の決定過程には不満があるものの、決定内容自体に異論はなかった。7月末までに動員数が足りなければここは閉園になってしまうのだから。
いすず自身が追い詰めてしまったパークの存続問題。打てる手は全て打つしかない。
思い詰めた表情を見せるいすずを見て西也は話題を変えてきた。
「それからな。例の話、決まりそうだぞ」
西也にしては無邪気に嬉しそうな声だった。
「天挑五輪大武會をあの使ってないスタジアムに招致するって話?」
「ああ。予選から決勝戦まで1週間の戦い全部をな」
熱い団体格闘技戦としてマニアたちの間で大人気の4年に1度の男たちの夢のバトル祭典。それを使われなくなったスタジアムで開催して大勢のゲストを呼び込もうというのが西也の最後の奥の手だった。
格闘技観戦客にパークの入場ゲートを潜るようにしてもらえば、1週間で10万人以上の集客が見込める。本当に招致できればという条件付きの話だが。
けれど、そんな難しい話を可能にしてしまうのが可児江西也という少年だった。
「可児江くんはすごいわね。私にはできないことを次々にやってのける」
自分が支配人代行をしていたころには考えられなかった積極的な変化が起きている。キャストたちは生き生きしながら日々の仕事に取り組んでいる。それがとても嬉しくて。けれど、同時に胸を締め付ける。
「……私がいなければ、もっと上手く進んでいたわよね」
パークにとって自分の存在が邪魔だったと改めて思わずにはいられない。
「何を馬鹿なことを言っている? 俺にはお前が必要だ」
「えっ?」
顔を上げて西也を見る。
「お前が秘書として隣にいてくれるから俺は支配人代行の仕事に専念できるんだ。自分の存在を勝手に軽んじるな」
いすずは胸の中がとても熱くなるのを感じた。
「俺はお前が秘書をしてくれるから仕事ができるんだよ」
「…………そう」
いすずは俯いた。俯くしかなかった。今の表情を西也に見られたくなかったから。
「たった一言でこんなになってしまうなんて。私って、こんなにも単純だったのね……」
いすずはそれから1時間の間俯いたまま仕事に励んだ。
椎菜が『ミュージックシアター』の、美衣乃が『フラワーアドベンチャー』のアトラクション担当に配置されてから数日が経った。愛らしい女子高生が出迎えてくれるアトラクションということで両者とも好評を博している。
西也によるパーク再建は残り2週間を切っている段階で順調に進んでいた。少なくともミュースが泣きそうな顔で事務室に入ってくるまでは。
「コボリーが誘拐されましたぁ~~~~っ!!」
「「えっ?」」
ミュースの話はいすずと西也にとって寝耳に水だった。
「いきなり随分な急展開だな。一体誰に誘拐されたんだ?」
事態をどう捉えて良いのかわからず西也は唸り声を上げている。
「可児江さんといすずさんですっ!」
「何故俺たちがコボリーを誘拐しなければならんのだ?」
大声で答えるミュースに不審の目を向ける西也。
「正確には頭の上に大きなチャックがついた可児江さんといすずさんです。語尾にミーとかロンとか付くんでおかしいとは思ったんですが、最後は力尽くで攫われてしまいました」
「アイツらか」
「ええ。彼らね」
頷きあういすずと西也。誰が真犯人なのかすぐに見当がついた。
「それは魔法の国の肉襦袢を着たマカロンとティラミーの仕業だ。チッ。モッフルめ。手心を加えてきちんと始末しなかったな」
西也は大きく舌打ちをしてみせた。
「それで、コボリーはどこに連れていかれた?」
「途中で見失ってしまったので正確なことはわからないですが、ルブルムさんのアトラクションの方ではないかと」
「地下迷宮に籠城する気ね」
いすずはかつて西也とともに乗り込んだ罠が満載のアトラクションを思い出す。危険過ぎて非公開になっているエリアも含めれば隠れる場所には困らない厄介な場所だった。
「単に籠城するだけならわざわざコボリーを連れて行かない。奴ら、何か仕掛けてくるぞ」
西也が表情を険しくその瞬間だった。モニターの1台が突如違う光景を映し始めた。モニターには学校の制服姿のいすずと西也が映った。
『ロンロンロ~ン。この映像を見ているに違いない可児江くん、いすずちゃんに告げるんだロン』
いすずの姿をしたマカロンがスカートの裾を掴んで生足をチラチラさせている。もう少しで下着が見えてしまいそうな危うい動きを見せるマカロンにいすずは殺意を覚える。
「後で殺す」
いすずはモニターを睨みながらマカロンの殺害を誓った。
『ミーミッミッミ。コボリーちゃんは人質に取ったんだミー。無事に返して欲しければボクたちの言うことを大人しく聞くんだミー』
カメラの前に左の手のひらが現れて上下に振られた。どうやらコボリーがこの映像を撮っているらしい。
『ボクたちの要求はただ1つ。労働待遇の改善だロン。ボクたちの了承も取らずにアトラクションのキャストから外した慰謝料も含めて給料を今の10倍、キャストリーダーの地位。そして週休3日を認めるんだロン』
マカロンいすずが拳を突き上げた瞬間にスカートが捲り上がり水色と白の縞々パンツがモニターにくっきりと映った。
「……今日の私と同じ下着……」
いすずはマカロン殺害を強く決意した。
「話にならん。強硬策で2人を捕まえる。そして死刑だ」
西也は机を強く叩いてみせた。
「可児江くんは交渉に応じないつもりだろうけど。ボクたちには切り札があるんだロン。ハァハァ」
マカロンいすずは息を荒げた。いすずのイメージダウン必須のやたらスケベな瞳をしている。
「まさか……コボリーにハレンチな真似を働くつもりかっ!」
コボリーが変態2人の毒牙に掛かる。それは想像するだけで恐ろしいことだった。
『いすずちゃんがボクと絡んでエッチな痴態を晒すAVを撮影してインターネット上に流すんだミー♪』
ティラミー西也はとても楽しそうな声を上げた。マカロンいすずは頬に両手を当てながらイヤンイヤンと顔を振ってみせた。両者ともエロい表情だった。
「可児江くん。あの2人を今すぐ殺したいのだけど?」
「俺も同じ意見だがコボリーが人質に取られているんだ。あまり急くな」
いすずたちにとってコボリーが人質に取られていることはネックだった。そうでなければ地下迷宮ごと潰している。
『いすずさんでなくてマカロンさん。支配人代行がマカロンさんを襲っていると思えばこのカメラを持つ手にも力が籠ります。女の子にモテモテなのに、敢えて獣姦。しかもオスを狙うなんて。鬼畜過ぎる支配人代行に対する崇拝の念が天元突破です。ハァハァ』
カメラから聞こえてくるコボリーの鼻息は荒かった。カメラが小刻みに揺れている。魂が荒ぶっているのは間違いなかった。
「コボリーは自らの危険を覚悟でマカロンたちを討伐するよう俺たちに訴えている」
「彼女の勇気を無駄にしては駄目よね。テロリストとの交渉には応じられないわ」
「えぇえええええええええええぇっ!?」
西也たちの決定に対してミュースが驚きの声を上げる。だが、2人は無視した。マカロンたちを討伐したくてしかたなかった。
「ボクの判断の甘さが……こんな事態を招いてしまったなんて申し訳ないんだフモ」
モッフルが悲痛な表情で事務室に入ってきた。
「腹を切れ。今すぐにだ!」
「待って。2人を始末してからでないと問題解決に繋がらないわ。切腹はその後よ」
いすずたちのモッフルへの対応は冷たかった。だが、そんな冷淡な対応にもモッフルは動じなかった。
「心配しなくてもあの2人はボクがこの槍で確実に仕留めるフモ」
モッフルは大きな突撃槍を掲げてみせた。
「よしっ。さっそく逆賊2匹を討伐に行くぞ。あの背景は間違いない。以前ドルネルが引き籠っていたあの休憩部屋だ」
「えぇえええええええええええぇっ!?」
物騒な決定に再びミュースが驚きの声を上げる。
「私たちも連れて行って!」
「ゴーファイト!」
サーラマとシルフィーも事務室の中に飛び込んできた。2人とも仲間を助け出すことに燃えている瞳だった。
「サーラマとシルフィーまで。でも……私が一緒に行って、惨劇が起きるより先にコボリーを助け出せばいいのよね。そうよ。私も一緒に行きますっ!」
考えを変えて一緒に付いていくことにしたミュース。
『交渉に応じるならメープル城のてっぺんに白旗を掲げるんだミー』
「ふざけるなっ!」
西也は再び強く机を叩いた。
ティラミーたちの提案を完璧に無視することに決めた西也たち。
こうして、この事件に関連のある6名でマカロン・ティラミー討伐、コボリー救出に向かうことになった。
意気込んでティラミーたちの潜伏先へとやって来た一行。だが、いすずたちの『ルブルムの洞窟』の進撃は思うように進まなかった。
「何故俺たちを通さないっ!?」
「そうは言われましても、今は支配人代行も含めて誰も通すなと支配人代行からの正式な指令書が来ているのですモグ」
マカロンたちはご丁寧に西也たちに成りすまして偽の命令書を発行していた。いつ忍び込んだのか西也の決済印を使った正式な指令書。その指令書により支配人代行の西也でさえ中に入れない。
「ならば強行突破するまでね」
いすずはマスケット銃を2丁構えた。
「支配人代行からの正式な指令書。たとえ相手が支配人代行でも命懸けで守るんでモグっ! ……アレッ?」
「変態2匹を討伐するために突撃ぃ~~~~っ!!」
モグート族とルブルムが全力で妨害していく中を突き進むことになったいすずたち一行。その強行軍は多くの犠牲を産むことになった。
「メ~~ガ~~~ン~~~~テ~~~~~~っ!!」
「ああっ!? シルフィーが何もないただの通路で自爆魔法を唱えただとぉっ!?」
「ミュース……恋愛をするなら優等生を止めて自分の気持ちにもっと素直になった方がいいよ……ガクッ」
「何で携帯の液晶画面にヒビが入ったぐらいでサーラマが倒れるのっ!? 嫌ぁあああああああああああぁっ!?」
「ボクはもう駄目なんだフモ。この槍の後継者はいすずしかいないんだフモ。この槍で、ボクの代わりにマカロンとティラミーにとどめを刺してやって欲しいんだフモ……ガクッ」
「モッフル卿のお尻に誤って突き刺さった槍を継承するのは嫌で嫌で仕方ない。けれど、あの淫獣どもに引導だけはきっちりと渡してやるわ」
ダンジョン攻略の途中でシルフィー、サーラマ、モッフルが志半ばで倒れた。別にモグート族やルブルムの妨害は被害に関係なかった。残った面々は胸に深い悲しみを抱きながら遂に目的の部屋へと到着した。
「開けるぞ」
「ええっ」
西也が扉に手を掛けいすずがマスケット銃を2丁構える。ミュースはすぐにコボリーを助けるために駆け込める姿勢を取る。
西也は緊張しながらマカロンとティラミー、そしてコボリーがいるはずの部屋の扉を開けた。
そしていすずたちが室内で見たもの。それは──
「ハァハァ。もういすずちゃんの中身が男だなんて関係ないんだミー。このまま美味しくいただいちゃうんだミー♪」
「止めるんだロ~~ンっ! ボクは男なんだロンっ! 盛るんじゃないんだロンっ!! この動画を腐向けにするんじゃないロンっ!!」
「あああっ!! 支配人代行がマカロンさんを襲って無理矢理に己の欲望をねじ込もうとしていますっ! 年に2回の祭りの薄い本が熱くなる展開ですっ!!」
ベッドの上のいすずの肉襦袢からパンツを引きずり下ろしているティラミー西也。本気で襲われると思い必死の抵抗を見せるマカロンいすず。西也×マカロンに脳内変換してガブリ寄りながらカメラを回すコボリー。
予想していたのとはだいぶ違う光景。けれど、救出のチャンスなのは間違いなかった。
「コボリ~~~~っ!!」
「えっ? ええっ? ミュースさんっ!?」
ミュースが室内へと飛び込んでコボリーに抱きついてそのまま2人から引き剥がす。コボリーが離れるのを確認すると同時にいすずはマカロンたちに向かって銃撃を開始した。
「「ぎぃやぁあああああああああああああああぁっ!?」」
いすずと西也の外見をした2人が背中を抑えながらベッドの上で飛び跳ねる。パンツが膝までずり下がっている光景を見ていすずは即座に2発目の弾を充填する。
「まっ、待つんだロンっ!」
「問答無用よ」
いすずの声はどこまでも冷たい。
「ボクたちのこのAVはいすずちゃんにとっては最高の援軍になるんだミー」
「どういうこと?」
銃の狙いを2人につけたまま低い声で尋ねる。
「真実はともかく、ボクたちは可児江くんといすずちゃんの外見をしているんだロン」
「それが何だと言うの?」
「もし、可児江くんといすずちゃんの痴態AVが流出すれば、厳格ないすずちゃんの家のこと。可児江くんのところ以外にはお嫁さんに行けなくなるんだミー。もちろん、可児江くんもいすずちゃんを嫁にもらうしかなくなるミー」
「AV流出の責任を取らせてお嫁に行き放題なんだロン。いすずちゃんエンド確定だロン」
ティラミーとマカロンはゲス顔を浮かべた。
「いすずエンドとか何をわけのわからないことを言ってるんだ、お前らはっ!」
西也が理解不明とばかりに大声を張り上げる。いすずは冷徹な瞳のまま処遇を決めた。
「ボクらのやっていることを見逃してくれればいすずちゃんは可児江くんのヒロインになれるんだロン」
「ボクたちはいすずちゃんの味方なんだミー」
バンッ、バンッと2発の銃声が鳴り響く。肉襦袢が破れ、マカロンとティラミーの頭が露出しながら2人は苦しみのたうち回っている。
「馬鹿にしないで頂戴っ!」
いすずの声は大きく、そして透き通っていた。
「私は可児江くんの秘書をしていられることに誇りを抱いているのよ。あなたたちの邪推を勝手に押し付けないで頂戴っ!!」
ティラミーたちは痛みに耐えながらいすずを睨む。
「そんなこと言いながら、可児江くんが他の女の子とまたデートしたら不機嫌を極めるのはいすずちゃんなんだロン」
「そうかもしれないわね」
「ただの秘書役にいつまでも我慢できないのはいすずちゃんが一番良く知ってるはずミー」
「そうかもしれないわね」
いすずは撃ち終えたマスケット銃に替えてモッフルに託された槍を構える。
「アナタたちの言うことは間違っていないのかもしれない。けれど……それを決めるのはアナタたちではないわ」
槍の先端が光り始める。モッフルの遺志が必殺の『雷神翔波』をいすずに撃たせようとしている。いすずにはその撃ち方がわからなくても、槍が勝手にそのプロセスを進めてくれる。
「私が可児江くんとどうなりたいかは……私自身が決めるわっ!!」
槍の先端にエネルギーが収縮する。眩い光が室内を包み込む。
「いつも破廉恥なことばかり考えているあなたたちは1度あの世で反省してきなさい……雷神翔波ッ!!!」
光が弾けて金色の軌跡を描きながら頭が動物、体が人間の謎生物へと直撃する。
「せめてもう1度娘に会ってから散りたかったロ~~~~ンッ!?」
「ボクはまだ女の子とニャンニャンし足りないんだミ~~~~ッ!?」
悪は滅びた。
「なあ、千斗……」
「さあ、帰りましょう。仕事はまだまだ山積みなのだから」
話し掛けようとする西也に背を向けていすずは部屋から出て行く。
その表情はいつになく晴れ晴れとしていた。
「最近、何だかとってもごきげんそうですね」
いすずはラティファの警護役としてメープル城のテラスに静かに控えている。そんないすずを見ながらラティファは嬉しそうに微笑んだ。
「そうですね。最近は毎日が充実してとても楽しいですから」
いすずはスケジュール手帳に目を落としながら小さく微笑み返してみせたのだった。
甘城ブリリアントパーク 秘書いすずノーマルエンド
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pixivで発表した甘ブリ作品その3