No.768172

おじろく、おばさ(完成版)

Thyleさん

本作はプチホラーに参加した作品を加筆修正しました。
プチのシステムが不明だったり字数制限があった等初版は読めたもの
ではありませんでしたのでこちらでだすことになりました。

なお「おじろく」「おばさ」は実在した因習です

2015-04-01 03:42:11 投稿 / 全4ページ    総閲覧数:2755   閲覧ユーザー数:2729

『おじろく、おばさ』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 私の名前は、結城一郎。職業は大学講師で国立C大学で近代考古学を専門に教えている。この近代考古学は他の考古学と違い口伝や伝承を中心に調査をするフイールドワ-クが主体となる学問である。

 私が『おじろく、おばさ』という言葉に興味をもったのは1か月前に、我が大学の名誉教授にして近代考古学の大家である大垣先生がフィールド調査に向かった長野県で行方不明になってからだ。

 

 大垣先生は、几帳面な方で事前に下準備をしてから現地に調査に行かれる。しかし、今回の場合には何を思ったのか大垣先生のご家族にも話さず、ただ長野県神原村に行くと言われ、そのまま消息不明となった。

 

 私は30代前半の血気盛ため、大垣先生の調査に大変興味があったというより、大垣先生の調査の秘密に触れ、若くして教授のポストに就きたいという野心から大垣先生の調査を引き継ぐこととなった。

 

 

 早速、私は大垣先生の消息を追うべく長野県神原村に向かったが最新型のカーナビにはそのような地名は存在しなかった。しかし大垣先生の資料に挟まっていた古地図のコピーを頼りに何とか神原村に向かうことが何とかできた。

 

 岩手県をフィルドワークとしていた柳田邦夫先生の著書「遠野物語」を読めば理解できることだが、 国土の7割が山である日本。山林によって隔絶された村では、独自の文化が発生する場合が多い。昔の長野県神原村(現・下伊那郡天龍村神原)もその一つのようだ。

 

 大垣先生の調査対象としていたのは[おじろく、おばさ」という意味は長男以外の人間は、結婚もできず、世間との交流すら許されず、死ぬまで家のために奴隷のごとく働かされる......。

いったい、いつの時代の、どこの国の話だと思われるかもしれない。しかしこれは、日本に20世紀まで実在した『おじろく・おばさ』という風習なのである。

 

  耕地面積が少ないこの村では、家長となる長男より下の子供を養う余裕がない。そのため、家に残った下の子供は「おじろく(男)・おばさ(女)」と呼ばれ、長男のために死ぬまで無償で働かされた。

 家庭内での地位は家主の妻子よりも下で、自分の甥っ子や姪っ子からも下男として扱われる。戸籍には「厄介」とだけ記され、他家に嫁ぐか婿養子に出ない限り結婚も禁じられた。村祭りにも参加できず、他の村人と交際することも無かったため、そのほとんどが一生童貞・処女のままだったと推測される。将来の夢どころか趣味すらも持たず、ただただ家の仕事をして一生を終えるのである。

 そんな奴隷的な状況が、ある種の精神障害をもたらすのだろう。『おじろく・おばさ』は無感動のロボットのような人格となり、言いつけられたこと以外の行動は出来なくなってしまう。いつも無表情で、他人が話しかけても挨拶すら出来ない。将来の夢どころか趣味すらも持たず、ただただ家の仕事をして一生を終えるのである。

 

この辺りの状況を報告しているのが、『精神医学』1964年6月号に掲載された近藤廉治のレポートに記載がある。近藤は現存していた男2人、女1人のおじろく・おばさを取材し、彼らの精神状態を診断している。普段の彼らにいくら話しかけても無視されるため、催眠鎮静剤であるアミタールを投与して面接を行ったそうだ。

 

 すると固く無表情だった顔が徐々に柔らかくなり、ぽつりぽつりと質問に答えるようになったという。以下、その答えを抜粋してみよう。

 「他家へ行くのは嫌いであった。親しくもならなかった。話も別にしなかった。面白いこと、楽しい思い出もなかった」

 「人に会うのは嫌だ、話しかけられるのも嫌だ、私はばかだから」

 「自分の家が一番よい。よそへ行っても何もできない。働いてばかりいてばからしいとは思わないし不平もない」

(『精神医学』1964年6月号・近藤廉治「未分化社会のアウトサイダー」より抜粋)

 

 16~17世紀頃から始まったとされる『おじろく・おばさ』制度だが、もちろん現在の神原では、このような制度は存在しないだろう。ただ明治5年でも190人、昭和40年代に入っても63人のおじろく・おばさが生きていたという。更に驚きなことに平成の世になって1人だけ現在も存命の『おじろく』がいたことだ。

 

 

 

 

 

 

    『おじろく・おばさ』は、なにごとにも無関心で感情が鈍く,自発性が無い子供のようになった様子がうかがえるのが特徴的である。この『おじろく・おばさ』の取材に先立ち、近藤先生は二つの推論を持っていたようだ。

 一つは、もともと遺伝による精神障害が多い集落であり、そのような人々がおじろく・おばさになるのではという説。もう一つは、気概のある若者は村の外に出てしまい、結果、無気力な者だけが残ったという説。

 

 しかしこの二つともが異議があり、長年の慣習に縛られた環境要因によって、人格が変化してしまったのではというのが近藤の結論だ。彼らの多くが子供時代には普通で、20代に入ってから性格が変わってしまうというのも、その裏づけとなるだろう。

 だが、大垣先生の説では、この常識を覆すような節

遺伝精神障害説や無気力在留説とは異なり『バナナ型神話説』を提唱していた点である。

 

 バナナ型神話とは神が人間に対して石とバナナを示し、どちらかを一つを選ぶように命ずる。人間は食べられない石よりも、食べることのできるバナナを選ぶ。硬く変質しない石は不老不死の象徴であり、ここで石を選んでいれば人間は不死(または長命)になることができたが、バナナを選んでしまったために、バナナが子ができると親が枯れて(死んで)しまうように、またはバナナのように脆く腐りやすい体になって、人間は死ぬように(または短命に)なった。

 

 旧約聖書の創世記に出てくる生命の樹と知恵の樹の説話も、このバナナ型神話の変形であると考えられる。生命の樹と知恵の樹は互いに相反する性質を持つ双対であり、一方の選択肢(バナナ・知恵の樹・必然の死)を選ぶと、もう一方の選択肢(石・生命の樹・永遠の命)を失うというバナナ型神話の構造に由来するのである。そして神ヤハウェは人を追放して、生命の樹への道を守るために、エデンの園の東に、智天使ケルビムと輪を描いて回る炎の剣を置かれた。

 

 大垣先生の提唱では、他の村の『おじろく・おばさ』とは異なり、何かこの村には特有の遺伝的なものがあり、『おじろく・おばさ』になったものは子供のように無邪気になり長命であるという点である。また、ある一定の年齢になると多くは神隠しに合い行方不明になることが多いということである。そして警察での調べでは、山での遭難で遺体は不明ということで捜査は終了している。

 

 

 私は大垣先生がたびたび訪れる痲木(まぎ)さんの屋敷に向かった。痲木さんはここでは豪農として名高く、分家が2家あり、主家は旧村長をしていたことから昔の話や出来事に詳しいとされていた。

 私が痲木さんの家に訪れたら、丁度痲木さんらしき人物が広い庭の手入れをしていた。

私は割腹がよい、初老の人物に会釈をして話をした。

痲木さんに挨拶をして暫く他愛のない話をして相手の警戒心を解いていった。

 「車でこの村に入ったとき、初夏なのにもう米の収穫をしていましたが、この村では同じ作物を作る場合は二期作(にきさく)できるのですか?」

 痲木氏は自慢するかのように、

 「米だけじゃない、根菜等の野菜なども豊富にとれ二毛作 (にもうさく)することがでくる

これもムクロ様のご利益なんだ」

 「ムクロ様とはなんですか?」

 「昔から伝わるここいら周辺の訪来神様のことだ」

訪来神とは、異界から訪れる神のことで、訪れることにより福がくると言われている。しかし訪来神は必ずしも人々に幸福をもたらすとは限らず、生贄を要求差し出して訪来伸を帰したという因習があった

 「その神さまのおかげでこの農地や畑が豊潤なのですね」

 「そうだ、この村が発展し産地消費ができるのもムクロ様の御蔭だ。だが神事に必要な人員が少なくなり、この神事を行うのも難しくなってきている……」

 そして、本題である大垣教授の行方について質問をした

「1か月程前に大学の大垣教授が訪れたのですが大垣教授の行方等ご存じないでしょうか?」

 

 するとさっきまで温和だった痲木さんの顔が真っ赤になり拳を上げて大垣教授の行方は知らない

とさかんに言いまくっていた。私は何とか痲木さんを落ち着かせ大垣教授の行きそうな場所について再度質問をしたが‘知らん‘と一言言い放つと本宅の方に引き込んでしまった。

 

 私は途方に暮れていると庭園の石垣から生気のない目でこちらを見ている背丈は子供ぐらいの喜寿(77歳)をこえたであろう1人男性がいた。

「あんだ、都会の駄菓子をもってないべ?」

「飴ならあるが、それでよいならやるぞ」といって私は飴の袋を投げ渡した。

 男は私に近いてきた。風呂に入ったのがいつか分からない程の悪臭を漂わせていた。

 里山にある村の外れの古びたお堂を指し、眠そうな目でいきなり語りだした男は胸の名札に『重太』と書かれ ていた。少し痴呆のような感じで自分の者であるかのように衣服に名前が書かれていた一見おじろくかと思ったがそれにしては自我があり同じことを繰り返して話す点を除けば会話は可能であった。

 

「……あんたはええお人のようだ……」

 「今夜はおらがムクロク様のお相手をする神事が行われるだ。あんた好奇心であの里山のお堂でやる神事を見たらあの学校の先生のように石になっちまうだよ」 

 

「大垣教授が石になったのか?神事とは何か教えてくれないか?」

「うだ。あの先生は優しくお菓子くれたエエ人だった……。お菓子くれたエエ人だった……

  老いた『おじろくおばさ』が最後に行くところだ 『べうぇぬす様』 に最後のご奉公をするところだ

そして、おらがここいらで最後のおじろくだ」

 

 この時、何故私は宗教では隠れ念仏等村の部外者に知られてはならない宗教がある。それには触れてはならないタブーとであり絶対の秘密あり、私はこの時は有益な情報にほくそ笑んだ。

 しかし、本当にほくそ笑んでいたのはこの汚い男 重太の方であり、あたかもエデンで智慧の実を食べるかのように誘惑的な情報を私にわざと語ったのではないだろうか。

 

 

 

 

 

 

 私は一向衆講と呼ばれる神事が始まるまで車の中で儀式が始まるのを待つことにした。

その間、車のシートに放り投げていた大垣教授の散乱とした資料をもう一度読み直した。

 

 この村は戦後になるまでは、表向きは浄土一向衆だが実は隠れ切支丹の村であった。ここいら辺りはよく隠れ切支丹の村等は多数あり別にそれ程珍しい話ではなかった。

 但し、この村が他の村と異なる点は『おじろく・おばさ』が長命であるが、この村を出て嫁いだら10年もしなで死去するという。またWW2で大勢のおじろく・おばさが戦死したことからこの儀式は一旦途絶えしそうになった。しかし、痲木氏の祖父がこの神事を復活させて現代にいたる。

 

 また、『おじろく・おばさ』が死ぬとムクロ様と呼ばれそれぞれの家の墓地に埋葬されるのではなく村の共同墓地に埋葬される。その埋葬も密葬で家々の者はその行為を見てはならないとされている。

 資料を整理しながら読んでいると1枚の誰とも宛と分らない文書と緑色奇怪な星のアミュレットが出てきた。

 

 大槻先生の文書の内容はかいつまんで説明されてた。

 

「私は生命の樹と智慧の樹以外に邪悪の樹ークリフォトーの存在をも確信られるだろう。山の中腹にあるお堂の下に隠し階段があり、降りるとあたかもン・カイの漆黒の闇を連想が続いている。洞窟は緩やかな傾斜があり……部屋の中央には穴があり、生贄である『おじろく・おばさ』が底が見えない穴に落とされる。………

最後の絶命するときに叫び声とも悲鳴と身の毛を育つ、耳から音が離れない。まるで何かに生きたまま

貪り喰われていようだ。…………

神事を取り仕切る痲木氏とその2分家が奇怪な祭文を言っている。………イア・イア・ゾクタァ

 

この祭文を聞くと祭文自体には問題はないが、所々でイア・イア・ゾクタァとい意味不明なう固有名詞らしき言……古き印を持ってきてよかった。このアミュレットがなければ『地底に君臨するもの』の従属種族から逃げることができた。」

 

 

 以上が書かれていた内容だった。そしてこの奇妙な緑色をした星が古き印らしい。そう考えると私は古き印をポケットの中に入れた。私は大型LEDライト等の道具を入れたバッグを片手に山のお堂を目指した。

 

 

 

 普段は閉めてあるであろう古びたお堂で、お堂の門には太い金属棒であたかも牢屋を連想させるようなのが印象的であった。この分厚い門は開いており今なら侵入することができる。そう考えた私はお堂の内部に入るっと仏像の下に板が外され井戸のように深い穴があった。

 本来井戸のように深いところは酸素が少なく酸欠で倒れ死んでしまうことが多い。しかしこの洞窟内では地上のどこかと通じているみたいで風を感じることができた。

 

 早速私は井戸のように深い穴を設けられた急勾配の階段を下りて行った。

階段を下り終えると巨大と言いようがない洞窟がひろがっていた、この洞窟には先行して入った麻木氏らが付けたであろうかがり火が設けられていることにより完全な暗闇でないのが助かった。

 

 洞窟内をかれこれ10分程歩いていると洞窟内に冷風が吹き、怪しい祝詞の声が聞こえてきた。

その角で明るい部屋がった。中央には25mプールのような浴槽に黒い水で満たされていた。

 壁の角から中を見ると麻木氏とその分家の二人も麻木さんと一歩下がって何かにひれ伏ふしていた。

 

 私はひれ伏している先をみて黒いタールを見た瞬間私は悲鳴を上げそうになった。黒いタールに無数の大臼歯、無数の触手が黒いタールから伸びてていた。そしてその周囲には何十体ともいえる苦行の表情をした石像が周囲を囲んでいた。

 そして、黒いタールは重太らしき者を貪り喰らっていた。訪来神の吉凶禍福で神の接待役(生贄)でおじろくおばたは村の吉凶禍福の儀式の必要な接待役だったのだろう。

 

その光景恍惚とした表情で痲木氏は奇怪な神道とも仏教、キリスト教とも違う祭文を唱えていた。

 

 『いあ いあ ぞたくあ! ぞたくあ くふあやく ぶるぐとむ ぶぐとらぐるん ぶるぐとむ! あい あいい ぞたくあ!』

 

 異形な落し子が重太を貪り食う咀嚼音が部屋に鳴り響き、それに呼応するかのように痲木氏らは呪文を唱えていた。 確か『いあ』はアクロ語で「(私は)空腹だ」という意味をする。すると神に人身御供をする対象はあの黒いタールで『ゾタクア』と呼ばれる存在なのだろうか。そして祭事を行うのは痲木家すなわち東方の三賢人の役割をはたすカスパール、メルキオール、バルタザール役がこの土地の豊饒と引き換えに生贄を黒いタール状の生物に奉げてきたのではないだろうか。 

 

 私は恐怖よりこの農村特有の一種の隠れ念仏(生き仏信仰説)ではないかと学術的好奇心に駆られより近くで観察すべく石像の隙間からこの光景を観察した。

 

そのときだ。

 

 私が触れている石像はうめき声を出した。よく見るとそれは大垣教授であった。

「うぅうううう結城君か、早く逃げろ……私のように……生きたまま石像にされるぞ。奴らは生贄を奉げる事によって豊潤な土地を授かる為にこのような事をしているんだ……早く逃げろ。コーキュートスに眠るゾタクアが目を覚ますぞ……」

 

石像が話した!

 

この突然の出来事に思わず私は叫び声を上げてしまった。

黒いタールのような不定形の姿をしたスライム状の生物は目があるのかこちらを振り向き、痲木氏ら3人もこちらを見ていた。

 

無形の落し子はヒューヒューと風を切るような音を出して人の言葉を出した。

「ここに生贄以外の人がいる。そのものは我が触れることができない護法をもっている。マギよ 術者よ。汝が輩をとらえるのだ」

 

 「結城先生か…まだこの村の秘密を探っていたのですか……落し子様の神事によりこのジャハンナムを犯した罪を償ってもらいましょうか」

 痲木氏の目は血走り、ある種の麻薬の一種を服用したかのように口から涎を垂らしながら生贄の喉元を掻っ切る大振りのナイフを持って襲ってきた。

 

 私は大型LEDライトを振り回して対抗した。そして私はすかさずライトのスイッチを付け痲木氏の目に強烈な閃光を浴びせた。薄暗い室内にいたのが強烈な光を浴びた為一時的に失明をし痲木氏はよろけてプールに落ちた。

 

 すると無形の落し子は私と痲木氏の区別がつかないみたいで大きな大臼歯で痲木氏を噛み砕いた。他の二人もその光景を見て逃げ出そうとしたが落し子の触手が足に絡みつき次々と貪り喰われていった。

 私は過呼吸のように息をしてポケットに入っているアミュレットを取り出した。私の周囲にも数本の触手が襲ってきたが目に見えないバリアーのようなもので私に触れることはできないようであった。

落し子は漆黒のプールから出ることはできないのか何本もの触手を向けたがどれも私に触ることができないようであった。

「大垣先生、どうすれば元に戻せますか?」

「……もう私は生きたまま石になる。……早く君は外に出てこのお堂を燃やすんだ……」

 

 

                          

 

 

 階段を上り、肺いっぱいに外の冷たい空気を吸った。

 そして私は大垣教授の指示どおり、お堂にガソリンを撒いて火をつけた。

落ち着きを取り戻す為に震える手でダバコをに火をつけて吸っていると眼下の村の方で火の手や叫び声が聞こえた。私は何事かと村の方を見ると、コウモリの耳を持ちヒキガエルを連想しそうな巨大な生き物が次々と村人を喰らっていた。

 

これ以上この村にいることは危険だと思った私はタバコを投げ捨て車に乗りアクセルを踏んだ。その時焼け落ちたお堂から黒いタール状の怪物が私の後を追いかけて車のボンネットに飛びついてきた。

私はこの邪悪な落し子を振り払うためアクセルを全開にして急ブレーキをかけることによってこの怪物を振り落した。 

 そのあとはこの恐るべき村から一刻でも離れたく全速力でこの村を後にした。

 

 

 後日談であるが、新聞にもTVでもこの村を襲っていた怪物はもちろん、そもそも村自体が元か無かったのように平凡な日常であった。

 

 あの村が通常の狭い農村の場合、近親結婚等などがあり遺伝子異常が奇形の多産となる。しかし、この村では『おじろく・おばさ』では遺伝子異常による精神疾患はなくただもう一つ、この因習から読み取れるのは、疎外された環境が人格に影響を与えてしまうという点だ。

 疎外された状況に置かれれば、それにやむなく適応するために人格も変化する。

社会が個人に影響を与える一つ例として着目してみれば、さまざまな示唆があるだろう。

 

そのような中で今回のケースを考えると「おじろく・おばさ」は奇怪な訪来神に生贄を奉げることによって五穀豊穣を願い、労働力としての価値がなくなった「おじろく・おばさ」を生贄として奉げて口減らしをしていたのだろう。

 

 今では私は暗闇が怖く何時あの怪物が襲ってくるか分からず、地下鉄には乗れないことはもちろん、ヒューヒューと風を切る音を聞くだけであの村の惨劇を思い出すのであった。

 『いあ いあ ぞたくあ! ぞたくあ くふあやく ぶるぐとむ ぶぐとらぐるん ぶるぐとむ! あい あいい ぞたくあ!』

 

 

 

 


 
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