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少し湿気た、どこか涼しげでカビ臭い空気が漂う。
見渡す限り古びた書籍が詰まった本棚がどこまでも並ぶ様は、圧巻の一言に尽きた。背丈の優に二倍はある棚一つ一つを見ても、空いた隙間はほとんど見当たらない。どちらを向いても書籍に溢れた特殊な空間。バストロ魔法学園の図書館は魔道関係書に限れば大陸随一という蔵書量を誇る施設だった。
図書館という性質上、古い魔道書が多い為か、どこか湿っぽい印象はあるが、かといって陰気な雰囲気は感じられない。学舎と同じく古い建築様式の美が溢れる図書館は、よく管理が行き届いていることが窺(うかが)える。
学園で立ち並ぶ建物群の中でも、西端を担う巨大な図書館は魔法学園の要と言っていいだろう。古来より伝わる魔道技術を後世に残す為に、世の魔道家はすべからく魔道書の類を書きたがる。それは魔道に携わる者の性(さが)なのか、当然のように蔵書量は増え続け、年輪を重ねる巨木の如く、年々魔法学園に有象無象の書物が溜まっていく。
そんな過去からの遺産を管理する施設がバストロの図書館ではあるのだが、それをたった三人の司書が詰めるだけと知る者は意外に少ない。
そのバストロ魔法学園図書館専属司書が一人であるアンフィー・アンフィー・アモーリタ・(中略)・ロングビィー・ナタリーは日常業務である返却図書の点検をしていた。
アンフィーは魔法学園の司書ではあるが、自身は魔法使いというわけではなく、魔道のマの字も知らない魔道の素人である。ただ単に本棚に本を並べて棚幅ぴったり綺麗に収まると、にやりと笑いが漏れる、そんな極々普通の女性であった。
図書館へと返ってきた書籍に、傷汚れがないのを確かめ終わったアンフィーは、凝り固まった肩を軽く叩く。
司書というのは意外に重労働だ。何せ扱うのが分厚い紙の塊で、両手に持ちきれない本の山とくれば、腰、肩にくるのは当然、ついでに本好きの身の上とくれば視力だって悪くなる一方で、眼鏡を片時も放せない体になってしまった。
しかし、それもこれも自分が好きで選んだ道だ。司書として本に囲まれる生活に不満などあろうはずがない。
そんなアンフィーは若い容姿に似合わぬ「よっこらしょ」との言を吐いて、確認の終わった本の棚差しに向かった。
台車に山積みの本。その重量を支える車輪がキュルキュルと鳴る。静かな図書館ではそれが妙に響いて、耳に残った。
(あれ? あの子……)
アンフィーは一人の生徒を見付け立ち止まった。
白でも黒でもない、不思議な灰色の髪が印象的な女生徒だった。真っ黒の魔道衣には、その異色の髪がよく目立つ。未成年を多く抱える魔道学園においても、その女性徒は比較的幼い部類に見受けられた。ただ、その若々しい顔立ちは難しく凝り固まって、熱心に書物に目を落としている。
(最近よく一人で来るわね。何か講義で難しい課題でも出たのかしら……)
微笑ましい感想を抱きながらも、軽く会釈だけして横を通り過ぎるアンフィー。
突然、視界の端を流れていくその女生徒の姿が揺れ動いたような気がして、アンフィーは二度見してしまう。
確かに、こう、歪んだ硝子越しに見たような奇妙な光景に見えた気がした。いや、もっとはっきり言うならば、女生徒の姿が二重に見えたのだ。
そう思ったのに、女生徒は先程見た通り、やはり一人で黙々と書を読んでいる。
(やだ、乱視? 眼鏡が合わなくなってきたのかしら?)
アンフィーは手早く眼鏡の位置を直し、遠くの本棚に目をやった。矯正された視力でも遠くの文字は霞んで見える。
次の休みには眼鏡屋にでも行こうかな、などと週末の予定を考えなら、アンフィーは司書としての業務に戻っていった。
〔ふぁ~あ。主(ぬし)、勉学に勤しむのはいいが、我は面白うない〕
見ている者に伝染しそうな大きなあくびだった。
愛玩人形のような銀髪の髪を振り乱した姿を見た者は息を呑むだろう。ただ、残念ながらその顔立ちは優麗とはいえない。むしろ野暮ったい表情がよくにあう素朴な少女に見える。
〔主、聞いておるのか? おい、主〕
銀髪の少女はもう一人の少女をせっつくように言う。彼女は街の片隅で花売りをしていても誰も違和感を覚えないだろう容姿の少女ではあるが、見る者の視線と捉えて放さないだろう。もし視えるのではあればの話だが――。
彼女はユーシーズ・ファルキンという名らしい。彼(か)の魔女戦争を引き起こした戦禍の『魔女』のと同じ家名だ。いや、家名どころか、本人はその魔女ファルキン本人であると認めているのだ。ということは、本物の『魔女』なのか。
ユーシーズが何者なのか、エディ・カプリコットは、彼女の言葉を疑うわけではないが、何せ、その名が自称である。それにその姿が視える者が、今も共にいるエディ以外にいないのだから、鵜呑みにしろという方が酷というものだ。
それに、ただでさえ魔女だなんだとわけがわからないのに、ユーシーズと名乗る少女の姿は虚ろに薄く、輪郭もぼやけて、どこまでがその少女で、どこからが大気であるのか、側によっても明確に分かつことが出来ないのだから、更に達が悪い。それほどまでに薄い姿。その存在自体の希薄さが、本当にここに少女が存在しているのかすら定かにしてくれない。自称魔女なのに、いるかどうかもわからない。それなのに、なぜかエディには視えてしまう。一体全体何がどうなっているのか、エディにはさっぱりわからない。
魔法学園で落ちこぼれと噂されるほどに、実力皆無なエディ・カプリコットだが、彼女にも特技の一つぐらいあるもので、その目で幽世を覗く力『霊視』を持っている。だから、ユーシーズという現体を持たぬ幽体の少女が視えるといえば、合点がいくのだが、『霊視』という能力はそれほど珍しいものでもなく、魔法学園には使える人間が山ほどいる。それなのにエディの他にユーシーズが視える者がいないという現状はどう解釈すればいいものか。
〔主。人を無視するでないわ!〕
エディの横でふわりと浮いていたユーシーズが怒鳴り声を上げて、エディの顔に急接近。あまりに近すぎて、眉間よる皺が全て数えられる程に、押し迫ってきた。
同じ顔だ。鏡でしか見られないが、毎朝身支度で見慣れた顔がそこにある。どこからどう見てもそっくりな顔立ち。自分と同じ顔が目の前に浮かんでいるので、エディはぎょっとして本を読んでいた体を反らした。
そうだ、これもエディを悩ますユーシーズの疑問の一つだ。どうして、エディと同じ容姿をしているのか。エディは幾度となく幽体の魔女に問うたが、まともな返事が返ってきた試しはない。
自分と同じ顔、同じ姿。若干髪の色と長さが違うだけで瓜二つの二人。その二人がこうして一緒に生活しているというのは、なんらしかの、運命という名の策謀を感じてしまう。
〔エディ、本当に耳が聞こえておらぬのかえ?〕
(な、何よ。ちょっと考え事してただけじゃない)
〔主はいっつもああだこうだ考えて、結論に至らん。全く無駄な思案よの〕
その指摘にエディはぐうの音も出ない。全くもってその通りなのだ。ユーシーズには全て見抜かれている。魔女曰く、エディが心中考えることは、幽世の者には勝手に聞こえてしまうそうで、このユーシーズ・ファルキンには筒抜けなのだ。
居心地悪く、エディが一息吐くと、ユーシーズがエディの読んでいる本を覗き込んできた。
〔こんなもの読んでも仕方がなかろうに。我は飽きたぞえ〕
図書館で本を読むエディは一人きり、周りには誰もいないようで、広い建物の空気が止まっているようだった。いつの間にか日も沈み、他の図書館利用者もほとんどいない。
(だったら一人でどっかに行ったらいいじゃない。別に私と一緒じゃないと移動出来ないわけじゃなし)
エディは幽体の魔女に心中の言葉で返す。
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魔法使いとなるべく魔法学園に通う少女エディの物語。
その第三章の01