第8席
董卓は宮中に籠もっていたが、逆に市街を歩き回っているのが張遼と華雄である。
西涼から董卓に従ってきたのはいいが、結局大して武を振るうところもなくやや苛立ってきている。兵練を施しても、いくら鍛えられた鉄兵共とはいえ、彼女らとは天と地の差がある。相手取っても正直面白くない。
張遼は酒量が増して、一方の華雄は呑まれやすいほうで、張遼に付き合っていれば当然、店を出る頃にはすっかり出来上がっている。そして、民にも時々当たってくるので、酔った二人を見れば民は素早く前を空けるのであった。
市街の行動は目が余るが、それでも宮中はようやく静まってきた。
政務はすべて董卓と賈詡が担当しており、どうにも部下の二人に目が届かなかった。
賈詡も早いところ仕事を片付けて、二人をどやしつけにいこうと努力していたが、次々に運び込まれる各方面からの報告書と書類と格闘を続けていた。
「恋どの、また拾ってきたのですか」
子犬を抱えた呂布に、陳宮が半ばあきれた顔で水と手ぬぐいを渡した。
その水を呂布は、先に犬に飲ませ、わずかな残りを喉に流し込んだ。
陳宮という有能な文官、軍師がいるものの使えないのは呂布が次々と拾ってくる動物の世話を担当しているからである。董卓の屋敷の一室は小動物園となっている。
「ん。新しい、家族」
渡された子犬を、陳宮は風呂に連れて行く。
その間、呂布はセキトと、そのほか数匹の「家族」と縁側で日に当たって昼寝をする。
いま唯一の「平和」はここにあった。
「キーッ!なんで西涼の小娘が、この私を差し置いて宮廷の重役となったのです!」
こちらも苛々が積もっている袁紹である。
ただそれも、まだ彼女一人の苛立ちで、隣の文醜は山のように盛られた料理を無我夢中で食べており、顔良は書類の整理に余念が無かった。
「斗詩さん、聞いていますの!?斗詩さん!」
「麗羽様、もう少し待ってください。あと少しでこれが終わりますから・・・・・・」
「あと少しで董卓が宮中を去るのですか?そうならそうと早く言えばいいのですわ!」
「えっ・・・・・・?」
顔良の言葉をどう勘違いしたのか、袁紹の機嫌は瞬く間に直り、文醜が食べている葡萄をつまみ上げた。
「へぇ、董卓が。西涼の小娘に巧くやられたようね」
「申し訳ありません。華琳様。何進殺害の際に張譲と趙忠を捕らえていれば・・・・・・」
荀彧が猫耳フードごと項垂れている。何進の権威は凄まじく、所詮武に心得のない宦官共に勝ち目はないと見ていたが、まさかあんな初歩的な手に引っかかり、命を落とすなど考えもしなかった。
ちなみにそれは曹操も同じで、あのとき何進に警告を発しただけで、なぜ彼女の護衛について行かなかったのか、悔やんでいるところであった。
ちょうど良く、荀彧が、非は自らにあると反省の意を示してきたので、何とか本心を隠すことが出来た。
それよりも問題は、
「兵ね」
そう、兵が足りないのである。自分の力に間違いは無いと思ってはいるのだが、いくら自分が覇王となる素質を兼ねそろえていたとしても、兵がいなければ天下に名乗りを上げることも出来ない。
有難いことに曹操には母が残した遺産があった。
親友かつ部下の夏侯姉妹にも両親が残した金はある。
「春蘭、秋蘭。私とあなたたちのお金で、兵を集めなさい。集めた兵は徹底的に鍛え上げるのよ」
「「はっ」」
「早速、取りかかりなさい」
もう一度拝礼をして、夏侯惇と夏侯淵が立ち上がり、退室した。
「桂花、いいわね。宮中の監視と報告を怠らないで。もうすぐ新たな時が来るはずよ」
荀彧も曹操の意中が何となく分かった。
残っている報告を一気に読み上げ、荀彧は曹操の足下までにじり寄った。
『帝、崩御あらせられる』
この知らせは大陸中を揺るがした。
各地の諸侯が、漢を我が手中に入れんと、再び動き出したのだ。
それは、洛陽にいる董卓軍とて同じであった。
最も、董卓自身はそのようなことは望んではいない。賈詡が手を回して、部下たちがいちいち応えていた。
賈詡は絶対董卓に相談はしなかった。董卓は、この期に乗じて天下を取るなど、絶対に拒否するに決まっているからである。
そして、自分の力を過信して、主君に知られないように、悟られないように、董卓を天下人にするための工程を進めていた。
そうなると、邪魔なのは、今なお天子の私室に籠もっている何太后である。
彼女がいる限り、宮中の勢力は分断されたままなのだ。
幸いなことに、主君董卓と、何太后はとても親しいとはいえない。
まだ天子がご存命であった頃、何太后はいろいろと無茶とも言える要求や命令を董卓に言ってきた。
人がいい董卓は、戸惑いながらもすぐ首を縦に振った。
これならば、たとえ何太后を宮中から追い出しても董卓は文句は言わないはずである。
それに、もう一つ、気になることがある。
陳留王――今は新帝であるが――の発言に所々不思議な点がある。
絶対知らないだろうと思っていた、世間や洛陽の裏の世界や、庶民の食事、特にお菓子については、高級なものから下等なものまで調理法をスラスラと言ってのける。かと思えば、急に年相応の子供っぽい振る舞いをしたり、長い話や報告を途中で打ち切らせたりする。
彼女が本を読んでいろいろ学んでいることは知っているが、そのような、いわば“帝を意のままに操るには邪魔”になる本などは彼女の手元には渡らないはずである。
そして、新帝が洛陽に戻られた際、付き添いで歩いていた五人も気になる。
しかし、街中を探し回っても、同じ人を見つけることは出来なかった。
賈詡は劉宏の私室に行き、寝台の脇の椅子に腰かけている何太后の前に立った。
なお顔を伏せる何太后を賈詡はじっと見下ろしていたが、やがて口を開いた。
「貴女は何時まで此処にいるつもりなの?」
明らかに見下した物言いだが、何太后は顔を上げることはなかった。
賈詡が入ってきたとき、日ごろとは打って変わって頭を下げる素振りすら見せなかった彼女をとがめなかった段階で、すでに立ち位置ははっきりしていたし、賈詡もそれは分かっている。
何太后にしてみれば、二つの後ろ盾の両方を失い、敵しかいなくなった宮中で、強く出ることなどできるはずがなかった。
「天子が変わった以上、あなたはここにいるべきではないわ。少なくとも、この部屋にはね。さあ、去りなさい」
伏せた顔を手で覆った何太后にもう一度、一瞥をくれて、賈詡は扉を乱暴に閉めた。
いずれにしろ兵が差し向けられる前に宮中を出なければ命はないのだが、もともとが肉屋の出である。頼りどころなどあるはずがなく、何より、この惨めな姿を誰にも見られたくなかった。さらに悪いことには、ここまで高位の者となると、欲しいものは口に出せば手に入るので、ほとんど金を持っていなかった。とはいえ、自分のものならまだしも、さすがにこの部屋にある天子の私物を持ち出すわけにもいかない。売ることができるものはせいぜい服と化粧品である。尤もそれらはなかなか高く売れるものではあるが、生活費としては一年も持つまい。元の肉屋はすでに売り払っているし、贅沢な暮らしを長いこと経験してしまい、いまさら元の貧乏暮しに身を落とすのも心苦しかった。
その夜、こっそり宮中を抜け出そうと、身支度を整えている何太后の後ろから声がした。
「無残だね。何太后」
何太后が声に振り向くと、帳の前に張譲が薄ら笑みを浮かべて立っていた。
「張譲、何時の間に……」
「もう僕を捕まえる気力さえなくなったんだ。もう少し足掻くのかと思っていたけどねぇ」
どうせ何もしてこないだろうと踏んで入った次第である。
「これ以上どう足掻けというのかしら。空丹様が亡くなられて、姉はそもそも貴方に殺されたのよ。白湯様は董卓を信頼している。私にはもう力はないの」
「陛下は董卓を信頼しているわけじゃない。どちらかというと賈詡を警戒している」
「でも、まだ白湯様は漢を治めるには力不足よ。董卓を重役に据えたのは白湯様だわ」
「要するにだれでもよかったのさ。ちょうど董卓が陛下に取り入る口実ができたから」
何太后はじっと張譲の目を見つめた。
「貴方は何を知っているの?なぜそこまで白湯様のお気持ちを?」
わかりきっていることだろうに、と張譲は首を振った。
何太后は、これをたとえ董卓や賈詡に漏らしたとして、自分の立場が変わるわけではないとわかっている。
「君の返事次第では、僕はもう君に会うこともないだろうね。昼間、入ってきた賈詡の懐に毒薬が忍ばされていたのを知っているかい?ま、生き延びる道はいくらでもあるさ」
それも見られていたのか、と何太后はさらに気を落とした。
「……あなたに降れというの?」
「そういう道を選ぶならね。それに、降るのは僕にじゃない。天より舞い降りし、御遣いに」
「奴の女になれと?」
張譲はつい噴出した。
「奴とは失礼な言い方だね。別にそういうのじゃない。彼は求めなかったら手は出さないよ。……求めても手を出して貰えないのも一人、いるけど」
二人は再び黙った。張譲も別に答えを急がせることもなく、そこから動かなかった。
その時、廊下を走ってくる数人の足音が響いた。
何太后の顔はみるみる青ざめ、力が抜けたように床にへたり込んだ。
「まだ話は終わってないんだけどなぁ……」
張譲は両開きの扉の境に手を置いた。
そんなことしてなんになる、と何太后も扉を見つめていたが、何度も扉が打ち付けられる衝撃が響くものの、なぜか扉は開くことがなく、外から怒鳴り声が聞こえてきた。
「まったく。夜までウジウジしていたお陰で逃げる道も無くなったじゃないか。さ、どうする?僕が消えれば、この扉など簡単に開く。袋小路で僕を捕まえられなかったろう?姿を消すことぐらいなら、僕でもできる」
唾を一つ飲み込んで、何太后は蚊の鳴くような声で言った。
「……たすけて……くれる?」
無意識に差し出された、冷え切った手を握ると、張譲はそれまでの蔑んだ笑みから一転、美しい少女の笑顔を見せ、今まで気が付かなかった帳の陰の90度回転した壁板の間に押し込んで、内側から鍵をかけた。内側から鍵をかければ、あの入り口はどうやっても開かない、ただの壁である。
すぐ目の前に、縄が下してある縦穴があり、縄を頼りに、2人は下へ潜っていった。
「こんなものが……」
ようやく一番下まで下り、何太后は上を見上げた。入口は閉ざされているため、もはや光すら入ってこなかった。
何太后はまた、恐ろしくなった。
姿をくらませることなどお手の物の張譲が、いつの間にかいなくなってしまっていて、自分はここに閉じ込められてしまうのではないかと。
「ち、張譲」
「ここにいるよ」
すぐ前から彼の声が聞こえて、伸ばした手を掴まれた。
「これはどこにつながっているの?」
「あまり詳しい場所はまだ言えない。僕らの隠れ家だから」
「その道が空丹様の部屋までつながっていたのですか?」
「いや、あそこには空丹様がお隠れになり、葬儀が行われている最中に繋げた。僕は当然、出席するべきではなかったし」
急に張譲が立ち止まると、同じような縦穴に縄が下ろしてあった。そこに何太后の手を導いた。
「先に上がるかい?後がいい?」
「先がいいわ」
縄には等間隔でこぶが出来ており、揺れることをのぞけば上りやすいものだった。そういえば、入ってきたときの縄には瘤はなかった。
上まで上がると、張譲は闇の中、振り返った。
「これから先は上下の差は無い。あるのは公の場に限る。いいね?」
何太后がよく聞いていた、腐れ役人特有のベットリした声ではなく、暗闇でも彼がどのような目をしているのか分かる、突き抜けるような声だった。
「ええ。むしろ私はその方がどれだけ有難いか」
「おびえることはない。皆、似たような境遇だ。僕の真名は遮侖だ。一方的だけど、僕が君を信じている証だ」
「え・・・・・・。も、もちろん私も信じているわ。私の真名は瑞姫。信じるに足りるかしら」
「真名を預かって信じないものはいないよ。さあ、裏の世界へ」
張譲は目の前の壁を3回叩いて、叫んだ。
「開け白胡麻、臍の胡麻!」
先ほどと同じように、前の壁板が90度回転し、光が差し込んで、目がくらんだ。
「遮侖様~、お帰りなさーい。今日の夕飯は私がつくったんですよ~」
久しく聞いていなかった天子専属の料理人、生き残った十常侍のもう一人の声が聞こえた。
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『新・恋姫無双・乙女だらけの三国志!!………わぁ乙女(^∀^。)?』 ……と遮侖が料理台に向かっているところではありますが、彼も一応まだ化けの皮を被っているようです。