学級日誌に『晴れ』と書いたところで、涼やかな風が舞い込んだ。
私は手を止めて、揺れるカーテンに誘われるように窓の外へ目を向けた。そこには水色の絵の具を薄く広げたような、気持ちのいい空が広がっている。もうすっかり秋の空。
放課後誰もいない教室で、爽やかな秋の空気を感じていると、机上に置かれたケータイがブーと振動してメールの着信を知らせた。
あっ、と声を上げて急いでケータイを手に取った。日直で遅くなることをうっかり言い忘れていたのだ。今日は執行部で会議があるというのに。
きっと真響さんか深行くんからのメールだろう。ケータイを開いて液晶画面を覗き込むと、案の定深行くんからだった。
先に会議を始めてもらわないと。そう思って返信のボタンを押しかけたとき、
「うーん。予想通りと言うか・・・らぶらぶの『ら』の字もないメール。普段からこうなの?」
「ひゃっ!」
いきなり耳元で声がして、私は椅子から数センチ飛び上がった。びっくりして振り返ってみれば、ミユーが私の肩越しにケータイを覗き込んでいる。
「お、驚かせないでよ。どうしたの? 忘れ物?」
「うん、机の中にお財布忘れちゃってさ。しっかし、見られても怒らないところがイズーらしいね。まぁ、見られて困る内容なんてないんだろうけど」
ミユーは苦笑しながら私の前の席の椅子を引くと、跨ぐようにこちらを向いて座った。
見られて困る内容・・・? 私は言われた意味が分からなくて首をかしげた。
「それより早く日誌を書いちゃいなよ。急ぐんでしょう? 私が返事をしておいてあげる」
にっこり笑ってミユーは私のケータイを手に取った。
「え、いいの?」
私は文字を打つのがあまり速くない。一刻も早く終わらせたいので、その申し出は正直助かる。私はお言葉に甘えて、日誌を書き進めながらミユーに打ってもらう言葉をつむいだ。
ミユーは、「ガラケー使うの久しぶり」、と言いながらも親指をすごい速さで動かしている。私の声を出すスピードと変わらずに文字が打ち込まれている様子は驚異だった。ミユーに尊敬の念すら抱いてしまう。
「よし、じゃあ送るね」
その言葉に日誌から顔を上げてお礼を言いかけたけれど、ケータイの画面を見ながらミユーが満足げにしているのを見て、頭の中で危険信号が鳴り響いた。
このイタズラ好きのミユーにいったい何度おちょくられたことか・・・。今までの記憶が一気に蘇る。
「ま、待って! 送る前に見せて」
ミユーは特に気にするふうでもなく、ほい、と言ってこちらに画面を向けた。そこには私の言った通りの言葉が書いてあってホッと息をついた。
「うん、大丈夫。お願いします」
せっかく良かれと思って助けてくれているのに。やっぱり人を疑うのはよくない。私は恥じながら心の内でミユーに謝った。
メールを送ってもミユーは帰る素振りを見せなかった。どうしたのだろうと訪ねようとしたとき、ケータイの振動音が響いた。
「あ、返事きたよ」
ミユーがまた画面を見せてくれる。そこには端的に『了解』の一言だけ。予想通りの返事で頬が緩んでしまう。
そして、もしかしたらミユーは返事も見せてくれるために待っていてくれたのではないかと思った。
「どうもありがとう。おかげで助かっちゃった」
「どういたしまして。じゃあ、帰るね。がんばってー」
ミユーはにんまり笑うと、ひらひらと手を振りながら教室を出ていく。私は手を振り返して、急いで日誌の続きにとりかかった。
職員室で先生に日誌を提出すると、私はすぐに生徒会室へ向かった。
あれから何分経ってしまったのだろう。廊下を歩きながら、ブレザーのポケットからケータイを取り出した。パカッと開いて、先程ミユーに送ってもらったメールを確認する。
『Date:××××/××/×× ××:××
To:相楽深行
Sub:
今日、日直だということを言い忘れてました。
ごめんね。終わったらすぐに行くので、先に始めてもらうよう伝えてもらえるかな。』
らぶらぶの『ら』の字もないメール、か。 だってそんなの送ったことないし、もちろんもらったことなんてないもの。
時間を確認すると、結局日誌に20分もかかってしまっていた。急がなければ。
・・・あれ?
まじまじと見て気がついた。『END』がない。確か私のケータイは、メッセージの文末に必ずついていたと思ったけれど。
親指でボタンを押してスクロールすると、どんどん下に下がっていく。
何だろう、この長い空白。しばらく押し続けていると文字が出てきた。そこには、
『深行くんに、早く会いたいよ。大好き。大好き。
-END-』
「え、えええええええ!!!」
あまりの衝撃に喉がひっくり返った。ケータイを取り落しそうになる。
なにこれ! なにこれ!! 信じられない!! 深行くんはこれを私が書いたと思っているということ!?
ケータイをパタンと閉じて、恐る恐るもう一度開いた。何度確認しても送信済みになっている。いや、そもそもこれを読んだから返事がきたわけで・・・。
身体中の血液が沸騰したように熱い。ひどい羞恥に汗が噴き出してくる。
ああ、やっぱりミユーに油断してはいけなかったんだ。どうしよう。もうこのまま帰りたい・・・。
待って、もしかしたら! こんなに空白が空いていたら深行くんだって気がつかなかったかもしれない。
私は涙目になりながら、いちるの望みをかけて、重い足取りで生徒会室へ向かった。
そっとドアを開けると、話し合いは順調に進んでいるようだ。私は邪魔をしないよう、静かに真響さんの隣へ座った。
真響さんがプリントを渡してくれる。これまでの内容を小声で説明してくれるけれど、メールのことが気になって顔を上げることもできなくて。
焦りと羞恥に耐えながらの会議は、いつもの何倍も長く感じられた。
ようやく会議が終わり、みんなが退出してふたりきりになるのを待ってから、私は深行くんの隣に座った。
カバンから参考書を取り出していた深行くんは、一度だけこちらを横目で見るとまた視線を戻した。
緊張で膝が震えてしまう。私は大きく息を吸い込んだ。どうかこの酸素がパワーに変わりますように。
「あのう、深行くん。さっきのメールのことだけど・・・」
勇気を出して切り出すと、深行くんは視線を合わせないまま、ふっと笑った。
「さすがにあれは焦った」
やっぱり一番下の文章まで読んだんだ! 一気に頭のてっぺんまで血が上る。私は思わず声を張り上げた。
「ち、違うの。あれは実はミユーが書いたのっ」
「・・・え?」
事の詳細を説明すると、深行くんは一瞬固まってしまい、それからハッとしたように慌てた。
「鈴原。俺のメールは読んだのか」
「えっ 読んだよ。『了解』って・・・」
あっ ひょっとして! 深行くんのメールにも続きがあったのでは!
私は急いでブレザーのポケットからケータイを取り出した。けれども私が開く前に、深行くんが素早く奪ってサッと立ち上がった。そしてケータイを頭上高く上げて何やら操作をしている。
「やっぱり続きがあるんだ! 送ってくれたのならいいじゃない。見せてっ」
精一杯手を伸ばすも届かない。この身長差がまったくもって恨めしい。私は深行くんの腕を掴んで思い切り飛び跳ねた。
「ちょっ 鈴・・・」
「きゃあっ」
勢いがあり過ぎて深行くんの身体が前のめりにぐらつき、そのままふたりで傾いてしまう。床に倒れこむ衝撃に備えてギュッと目を閉じると、すごい力で腕を引かれて体が反転した。
痛みはまったくなかった。それどころか、柔らかい。
不思議に思って目を開けると、なんと深行くんが私の下敷きになっている。下から見上げてくる深行くんと目が合って、ドキッと鼓動が高鳴った。
「ご、ごめんね。大丈夫!?」
急いで体を起こそうとしたら、深行くんはすかさず私の後頭部に手を回した。考える間もなく引き寄せられて、唇が重なる。
「んっ・・・」
少し離れてもう一度。二度、三度。
「ほら。返してやる」
深行くんは意地悪そうな、それでいて甘やかな笑みを浮かべると、私の顔の前にケータイをちらつかせた。
「・・・深行くんの意地悪」
きっともう深行くんからのメールは削除されてしまっているだろう。真っ赤になってじとっと睨むと、深行くんは楽しそうに短く笑った。
くやしい。深行くんの笑顔にときめいてしまうこともくやしい。本当にずるいんだから・・・!
「いいもん。明日ミユーに聞いてみる」
起き上がってツンと顔をそむけると、深行くんも体を起こして少し顔色を変えた。
「なんで、波多野」
「だって、深行くんからの返信を教えてくれたのはミユーだもの」
そうだよ。よく考えてみれば、仕掛けたミユーはきっと深行くんのメールを最後まで読んでいるはず。
嬉しくなってにっこり微笑みかけると、深行くんはまたぱったりと倒れこんだ。
終わり
メールを受け取ったときの衝撃はそうとうだったと思います(笑)
超ラブラブなメールを送り合うふたりはどうも想像できないんですけど、長いこと会えなかったりしたら(と言っても1,2週間くらい(笑))ちょっとはあるのかなと思ってみたり。
いったい何て返事をしたんだろう(無責任)
Tweet |
|
|
0
|
0
|
追加するフォルダを選択
RDG6巻後。高2の秋くらいの設定です。