外伝2 「新説神魅人鬼録」
これは、この神魅の地の起源とも言える、鬼人の出生秘話を記したとされた『神魅人鬼録(しんみじんきろく)』を元に、私「詩(し)月(づき) 鬼(き)流(りゅう)」が翻訳・要約し“新説”とした逸話、そして現状の神魅町における事象や幾つかの風説に関して、個人的な意見と考察を交えた、報告書である。
これを記している現在、時代に流れにより村からあふれ出てしまった鬼人をこの地に抑え込むために、現長老によって付近の町とこの村を統合し「神魅(しんみ)町(ちょう)」となり10年が経つ頃合いであるが、「神魅人鬼録」はその時よりも遡り遥か昔、「鬼魅(おにみ)村(むら)」と呼ばれるようになり始めたであろう時代の話である。
…山に周囲を囲まれた窪んだ土地の中、僅かな人間達により作られた「鬼魅村」、外部からの侵入を阻むが、それは、内部の人間も逃さない閉鎖的な環境でもあった。
そんな閉鎖された状況の中で、長い間続いた鬼魅村には、歪んだ精神状況により生み出された”噂”や、憧れを抱くような”伝説”でもなく、村人たちの常識として、実際に「鬼」と“妖怪”が存在していることが知れ渡っていた。
村人たちはこの鬼に畏怖しつつも、鬼魅村の象徴として考えており、鬼たちも極力接触をせずに、お互いが干渉しないことで、平和な均衡を保っていた
鬼も妖怪でありながら人気のない環境で生活するあたり、あまり人と関わり持とうとしない穏やかな思考を持つ部類の鬼であるのだろう。
しかし、我々”鬼人(きじん)”が生み出された原因となった、”物語”の起因となる出来事が起こる
…それは、毎年ある時期に行っていた”祭事”の日であった。
村人たちは、年が変わる少し前の時期(現在の正月)に、共に生きる鬼へ畏敬や感謝の気持ちを伝えると共に、鬼の荒んだ精神を鎮め鬼魅村の平和を保つ為に、この祭事を執り行っていた
この祭事は、村人の中で鬼の心を鎮めるほどの澄んだ声色を持った女性を”巫女”して選び、巫女は山の中の聖域へ一人で向かい、その場所で”聖歌”を歌うというものであった。
祭事の日は必ず満月の日を選んでいた、それは鬼が“月の光”を自らの力に変え、満月の日は鬼の力が最も高まる日であり、その状態故に鬼の精神は荒んだ状態であるため、鬼の最大の力を総じて低下し、これから一年間はこの均衡を保ち続けるという思惑であった。
…余談だが、現在この祭事は、正月の祭事「静歌(せいか)祭(さい)」の神楽等へ受け継がれている。
話は戻り、この度の祭事の巫女は「霧(きり)月(づき) 海奈(みな)」という、成人を迎えたばかりの女性(当時15歳)に、その任を課された。
…旧神魅人鬼録の内容によると、上記の“選んだ”とは正確には不適切であり、この巫女の声色は代々血筋により継承されていったものであり、恐らくこの 巫女も代々続く巫女の子であろうと思われる、故に必然的に選ばれたというのが最も正しい言い方だろう、また巫女の血筋の者は“人”ではなく“神魅の巫女”という種族という扱いであったようである。
彼女は祭事の習(ならわし)通り、鬼の高ぶった妖気に溢れた森の中を一人で歩き、目的地である神域へと辿り着き、彼女は“聖歌”を歌った
彼女の“聖歌”はこの地域全てへと響き渡り、荒んだ妖気は徐々に薄れ、森は静かで彼女の歌のように穏やかな雰囲気に満ち溢れていた
彼女の聖歌は成功した、それは即ち祭事の成功でもあった。
鬼魅村でも彼女の聖歌は聞き取れており、村人たちも聖歌の成功を確信し、祭事の成功を大いに喜んでいた…
…この神域はどこにあるかは未だ不明だが、森の中にあるどこかの滝の前の窪んだ場所の様であり、この場では特殊な音は大幅に増幅され、神魅の地域全てに広がってゆくようだ。
彼女も祭事の重要な事柄である聖歌の成功を感じ、神域から立ち去ろうとしたその時だった
森の奥からはっきりとした狂気ともいえる、強い妖気がこちらに向かってくることを彼女は感じた。
彼女はいち早くその場から逃げ出そうと考えたが、強烈な妖気に当てられすぐに足が動かない、巫女とは言うがこの祭事のおけるただの肩書きであり、彼女は紛れもなくただの人間なのだ。
そうこうしている間に森の中から巨大な黒い人影のようなものが、木の枝を薙ぎ倒し大きな音を立てて姿を現した。
紅色の皮膚に脈動した血管、人間の2倍程ある体長、現れたそれは鬼だった
鬼と人間は互いに干渉しなかったため、彼女は鬼の姿を見るのは初めてであったが、目に見えて様子がおかしいと感じた
目は赤く血走り意識が感じられず、低い唸り声をあげている
鬼には知性があり、理性を持ち合わせているということ、だが目の前の鬼は理性など微塵も感じられず、暴走しているような状態であった。
しかし彼女にはゆっくりと考える時間はなく、足が動けるようになったのを感じると、背を向けて精一杯の力で逃げ出す。
しかし鬼は彼女が走ることに感づくと、標的を彼女に定める、まるで元から彼女を標的にしていたであるように…
彼女は必死に村へと走るが、鬼は彼女との距離をすぐに縮め、彼女へと体当たりをしてきた、
鬼の体は彼女へと当らずに木へとぶつかっていった、彼女は脇目も振らずに走ってゆくが、鬼がぶつかった木は真っ二つにへし折れ、折れた木は彼女の向かう先へと倒れてゆく…
低い振動音と共に小さい悲鳴、彼女は倒れた木の下敷きになってしまった。
鬼は彼女が動けないことを良いことに詰め寄ってくる、そして彼女の眼前に立つと大声を上げながら、渾身の力を込めた腕を彼女に向かって振り下ろした
鈍い音が静かな森の中に伝わってゆく、倒れた木に鬼の姿はない。
静寂の中に小さな吐息のような声が聞こえてきた、…彼女は無事だった。
どうして無事だったのか、それは数秒後に答えが出る
すぐ側から草木のへし折れる音が聞こえる
彼女は辛いながらも顔を上げてその方向を見つめた、
そこには同じような紅い肌に巨大な体の人影が1つ、鬼が2体いた。
1体は先ほどの襲いかかってきた鬼だが、その鬼はもう一体の鬼に首を掴まれていた
しかし違うことが一つ、その鬼の様子は前の鬼と違い穏やかな雰囲気に包まれ、その瞳には意識が宿っていた(以下“暴鬼”と“静鬼”と省略)。
静鬼は暴鬼を一方的に殴打し、暴鬼の気配は完全に沈黙した。
静鬼は暴鬼が沈黙したことを確認すると、後ろを振り返り彼女のもとへと近づく。
いくら穏やかな雰囲気をまとっていたと言っても、それは2体を比べて言ったものであり、圧倒的な力を持ち巨大な外見を持つ存在に初めて接触し、彼女は恐怖心を抱き小刻みに震えながら助けを乞う
だが初めて接触する、人ならざる者に言葉が通じるとは到底思えず、彼女は 再び覚悟し目を強く閉じた…
ふっと、彼女は体が軽くなるのを感じる、彼女は思わず目を開くと、静鬼は彼女に圧し掛かっていた木をどかしていたのだった。
彼女は予想していたものと異なる状況に驚き、呆然としていたが、すぐに我に返り立ち上がろうとする
とても傷つきボロボロの体で、立ち上がろうとする彼女の姿が目に入った静鬼は、すかさず彼女にその大きな手を差し伸べた
彼女は思わぬ手助けに再び驚いたが、その人を襲うとは到底思えぬ、慈愛に満ちた穏やかな表情を見て、静鬼を信頼しその手を掴んだ
静鬼を助けにより立ち上がった彼女は、まだ足がふらついていたが感謝を伝えようと静鬼の顔を向いて口を開くが、鬼に人の言葉が通じるかがわからず、 ぎゅっと口を閉じた
だが彼女の思考に反して、静鬼は「大丈夫か」と、たどたどしくも心配そうに彼女に向けて言葉を発した
人間ほどではないが、鬼も知性を持っている為に人語を理解し発することが可能であった、このとき彼女はその事を理解した。
彼女は静鬼の言葉を受け、笑顔で「ありがとう」と礼を言った。
そして彼女は身体を庇いながら、ふらふらとゆっくりした足取りで戻ろうとしたが、静鬼はその様子を見て、彼女を丁寧に抱え上げた。
背後から不意の力を受けて、彼女は小さく可愛らしい声を上げたが、それが静鬼の思いやりによる行動と分かると、静鬼に抱きつくように身体を預けた
やがて彼女を抱えた静鬼は、鬼魅村へと辿り着いた。
しかし初めて鬼が人の前に現れたこと、その鬼の巨大な紅い肌の異様な姿、そして鬼の抱えているものが傷だらけの巫女の姿、多くの要因が重なり、村人たちは彼に明確な敵意を持って警戒した。
静鬼はこの人の意識を感じ取ると、村の入り口付近で霧月を丁寧に降ろし、すぐに背を向け森に帰ろうとした
しかし霧月はすぐに静鬼に立ち止まる様に声を上げ、困惑する村人たちにすぐに事情を話した
事情を聞き取り理解した村人は、すぐに警戒を解くことはなかったが、やがて
静鬼を信用し彼を歓迎した。
…彼女を助けた静鬼は、鬼の中でも高位の存在であったようで、他の鬼は彼の事を“和者”と呼ぶようだが、人は皆 彼のことを「優(ゆう)鬼(き)」と呼んだ
人間は異なる存在であり力も劣るにも拘らず、優しく 穏やかに接してくれたからである。
高位の鬼は、他の鬼から畏敬を受けるほどであり、尚且つ人とある程度の意思疎通が可能になるために、人語を理解し発することができるようである。
彼曰く、あの時襲った鬼は祭事が始まる前に暴走しており、彼女の歌の力以上に力が高まっていた故に彼女に歌は、鬼の癇に障り彼女の声が聞こえる方向へ向かっていったようである。
不思議なことにも この事を境に、霧月は優鬼に恋心を抱いた様である
そして村人に歓迎された優鬼は、鬼魅村で過ごすようになっていった。
やがて鬼魅村の月日は流れる
…しかしここからが、我々鬼人の誕生に直接関わる事件である。
それは平和に過ごしていた鬼魅村にとって突然の出来事であった
巫女である霧月が何者かの子を身籠っていたが発覚したのである。
騒ぎになった理由は、彼女の周りに寄りつくような男は存在しないのであった
それこそ彼女の周囲の人間は疑われたが、もちろんの事彼らは強く否定し、霧月本人も彼らとは全く事は無かったと証言をした
結局誰の子か分からぬまま、あてはまる人物も判明されず…ただ一名を除いて。
やがて霧月が産んだのは、男女の双子だった。
先に生まれ姉となった女の子は、巫女である海奈に似た可愛らしい姿であった
しかし、次に産まれた男児の姿を見た 村の者は驚愕し、同時に子の父親が何者か判明することとなる
男児の頭部には、二つの小さな角が生えていた。
…そう、巫女と交わっていたのは優鬼だったのだ。
村の者の態度は、“忌み嫌うもの”と“穏やかに迎えるもの”に別れていた
しかし忌み嫌うものの多くは 巫女である彼女に強く関わる者であるため、 比率としては少数の派閥であった。
我らを守ってくれている他ならぬ優鬼の子である、村の者たちは件の子の誕生を暖かく受け入れていた。
忌み嫌う者たち(以下:「忌者」と呼称)は姉弟を名前で呼ぶことをせず、
女児は「優(ゆ)海(み)」と名付けられたが、忌者は“巫鬼”と呼び、
そして男児は「鬼(き)那(な)」と名付けられたが、忌者は“鬼人”と呼んでいた。
海奈はその事に気づいていたが、それを気にすることもなく、我が子達を深い愛情を持って育てていた。
その頃の優鬼は、長い間 人間たちと過ごしたことで人語をかなり理解し、 会話も滞りなく行うことが出来るようになっていた。
そしてある日優鬼は村人達に、ある重要な話をした。
彼曰く、種族の異なる鬼と人が交わったことが、禁忌とされる所業であり、鬼魅村を囲う森に住む妖怪たちの怒りを買ってしまった様で、尚且つ 二つの種族が珍しくも見事に入り混じった“かの子”達を狙っているため、村に妖怪達が攻めてきているそうだ。
しかし、元来この付近の妖怪たちは、鬼達によって纏め上げられており、その鬼達も穏やかな性格であったのだ
故に村人たちは妖怪が攻めてくることを考えることがなかったために、この話を聞いて村人たちは怯えてしまった。
しかし優鬼はその様子を見て、「心配せずとも自分が、妖怪から鬼魅村を守る」と言い、その日から彼は森に身を置くようになった。
話をした二日後から、村の周りが騒がしくなった、恐らく優鬼が村を守るために妖怪と戦っているのであろう、
時には村に妖怪が入り込んできたこともあったが、被害が出る前に優鬼が現れ妖怪を倒していった、その時の優鬼の姿はあの強大な鬼と思えないほどに、全身が傷だらけであった
しかし一か月後、森の中で無残な姿で「優鬼」が発見された。
彼の肉体は低級妖怪共が食い荒らしており、彼の生死は一目瞭然であった、唯一顔だけは無事であり、その死に際に残した表情はとても悲しげな表情であり、うっすらと涙の様な跡が残っていた。
そして彼の命の引換とでもいうかのように、あれ程騒がしかった森が嘘のように静かになり、妖怪が襲ってくることも無くなった。
優鬼の死を知った海奈は、大声を上げて泣くほどに嘆き悲しんだ
そして彼女の笑顔は少なくなり、以前よりも活動的に外へ出歩くことも無くなり、家に閉じこもり庭で子供たちの成長を見守る日々となった。
…それは優鬼が亡くなってから2年ほど経った、ある満月の夜の事であった。
癒海も鬼那もすっかり成長し、外見は人間の少年少女と同等の背丈であり、思考や感情も人と何ら変わらぬものであった。
それも海奈が人と変わらぬ育て方と共に、片時も忘れぬこと無く深い愛情を持って接していたからなのだろうか。
そして成長した双子は、両親の特徴を受け継いだとてもよく似た顔立ちだった
その日、縁側に座り家族3人揃って庭で月を眺めていた
海奈は幼い頃から、綺麗に輝いた満月を眺めていた、その癖は母となっても変わらぬものだった
娘である癒海は、海奈に似た顔立ちで、その性格も海奈によく似たものであった、そして優海も海奈の隣で静かに座って月を眺めていた。
しかし鬼那だけは、満月を見たときから様子が変わり、まるで憎むかのように満月を睨みつけ、唸り声をあげていた
そして鬼那は何かの気配を察したかのような素振りをすると、家を飛び出し村の方へと走って行ってしまった。
その様子を見た海奈は、すぐに鬼那を追いかけようとしたが…
優海は追いかけようとする海奈の袖を引っ張り、海奈を止めた
海奈は不思議そうに優海を見たが、優海はとても純粋な笑顔をしていた
そして優海はたどたどしい口調で「私が行く」と悪気なく言った。
その様子にどこか自分と重ねた海奈は、自分の娘の事を心から信じたのだろう、とても穏やかな笑みで優海の頭を撫で、「行ってらっしゃい」と優しく言った
そして優海は満面の笑みで「行ってきます」と言い、パタパタと小走りで追いかけて行った…
そして村の入り口、なにやら騒がしい声が上がっていた、そしてそこにいたのは鬼那であった
…が、鬼那だけではない、怪しい複数の影がうろついている
その影は妖怪であり、それは村の中に妖怪が入っていたという事であった。
鬼那はその妖怪の気配を察し、飛び出していったのだ
そして鬼那は妖怪に向かって臆することなく、唸り声をあげ威嚇する
妖怪もその気配、鬼の気配と鬼那の頭に生えている角を見て、人間でないと判断していた
しかし妖怪は判断しただけで、鬼那を相手にせず村を襲い始めた。
その妖怪の様子に、鬼那は怒りを露わにし、妖怪へと飛びかかった
鬼那の拳は妖怪の一体に当たり、その妖怪はいくらか吹き飛んだ
しかし別の妖怪によって鬼那は吹き飛ばされ、地面を滑り転げる
まだ鬼の血が流れているとはいえ、まだ幼い鬼那には妖怪の相手をすることは早かった。
しかし、地に伏している鬼那の目が赤く光り、鬼那は力を振り絞って立ち 上がる
そして不意に鬼那の腕から炎が昇った、その様子を見た村人は騒然とした
だが鬼那はその事を知ってか知らずか、気にする素振りをしない
鬼那は叫び声をあげると、同時に燃えた腕を妖怪に向かって振りかぶった
鬼那の腕から炎がするりと抜け、妖怪に向かって飛んでいき、その炎に触れた妖怪は、たちまち炎に包まれて、やがて妖怪が息絶えたと同時に炎は消える。
同様にもう一体、鬼那は腕に炎を宿し、炎を妖怪へとぶつけ、妖怪を仕留めた。
だがこの時 鬼那の体力は僅かであり、荒い息とともに意識が薄くなっていた
にも関わらず、鬼那は構う事無く叫び声をあげ、再び炎を纏わせようとした。
…しかし炎は腕に纏う事無く、鬼那の全身を包みこんだ
鬼那は自らの炎に身を焼かれ、叫び声を上げる
その様子に村人が悲鳴の様な声を上げた、その時だった
パタパタとたどたどしい足取りで優海が走ってきた。
そして優海はこの状況を目にすると、小走りからゆっくりとした歩みとなり、鬼那の近くへと歩み寄る
その優海の表情は、一目で状況を理解していた様であり、子供とは思えぬ真顔であった。
鬼那とある程度の距離まで近づくと歩みを止め、息を深く吸い込む
そして優海は、優しくも明るい声色で、“歌”を口ずさんだ。
その歌は、海奈が子守唄の代わりに歌っていたものであり、巫女であった時に歌った聖歌であった
すると優海の歌に合わせ、鬼那を包む炎がみるみる静まっていき、炎はすっかり消えていった。
優海の歌は、鬼那の炎を消すだけでなく、残っていた妖怪にも影響を起こしていた
歌を聴いた妖怪が、もがき苦しんでいるのであった
細かいことは一切分からないが、優海の歌には“力”があり、それは妖怪に影響があるという事が、村人たちはそう判断した。
やがて妖怪は苦しみながらも村から飛び出すが、村を出てすぐに力尽き、倒れた身体は蒸発するように消えていった。
そして優海は、今までの事が嘘であったように微笑み、鬼那を抱えて我が家へと帰って行った。
一連の事件を見た村人たちは改めて、双子が人間でないこと、そして敵意は無く寧ろ人間の味方であることを実感し、一様に敬愛の念を抱いた。
…そして再び、海奈達は平和な日々を過ごしていった。
だがそんな中に、裏では怪しい動きをしている人影があった
それは鬼の姉弟を忌み嫌っていた巫女の関係者、忌者だ
忌者達は海奈が傷心しているのを良いことに海奈を言いくるめ、巫女と契りを結ぶに相応しい、言わば婚約者と呼ばれる者と彼女を結ばせた。
やがて海奈は再び子を産んだ、生まれたのは女児であった。
…それは新たな巫女の子が産まれたということだった。
忌者達は巫女の血筋を絶やさずに残そうとしたのだろう、結果的に海奈を騙した形となったが、この行為により巫女の血は保たれることとなった。
そのことに彼らは満足し、鬼人と巫鬼を良く思わない者は依然残っているが、明確な対立は起こらなくなった。
次の巫女の子は「癒(ゆう)奈(な)」と名付けられ、海奈は新たに生まれた子も、姉弟と同様に愛し育てた。
…だが海奈の心が晴れることなど無かった。
相変わらず海奈の心は塞ぎ込み、その心に反映されて体は弱まっていった
そして遂に海奈は病に倒れ、数日による決死の看病も虚しく、海奈は息を引き取っていった。
海奈が息を引き取る間際の表情は、病に苦しんでいたのにも拘らず、とても安らいだ表情であった、まるで愛した人のもとに逝ける事が嬉しい事のように…。
やがて優海は海奈の両親の下へ引き取られ、癒奈は別の巫女の家系が引き取り、鬼那は村の長が引き取り、姉弟は別れることとなった。
…これで鬼人と巫鬼の生まれの話は終わりとなる。
そして時は流れ、忌者の様な否定派閥も消えていった。
やがて鬼魅村の人々は、大きな騒ぎもなく平穏に過ごしていった。
しかし人間は、鬼人の血に惹かれてしまう様で、少しずつであったが鬼人の数は増えていった
鬼人の“力”と人間を誘引する性質、危険性を感じた当時の長老は鬼魅村を閉鎖したが、その影響で鬼人は増加し、反比例に人間は減少していき、やがては鬼魅村に純粋な人間は姿を消した。
そして現在、依然閉鎖的ではあるが、ある程度外部の人間が入ってくることもあり、「神魅町」となる頃には妖怪の存在を聞くことも無くなった…。
…ここからは神魅町に関わる、事象に関する私の考察である。
まず先ほど記した、鬼人が人間を誘引する性質、私が思うに、人間にも意識が遺伝され、この鬼魅村を守った“優鬼”の血に惹かれたのではないだろうか?
だとしたら、長老の起こした鬼魅村の閉鎖の必要は全く意味がなかったと考えられる、影響を及ぼすのは神魅の人間のみであり、外部の人間は影響の範囲外であるからだ。
そして現状、外部から来た人間が神魅の地に住み着くことは珍しい、特に人間の子供において尚更であり、実質長い間滞在した者は皆無である
それは神魅の地には、妖気と呼ばれる特異な雰囲気に似た空気が満ちている だけでなく、純粋な人間は感受性が高く、成人を越すまではこの地に慣れない為である
人間の子供は特に感覚に鋭敏であるため、数日で高い発熱を起こしてしまう
このことから私は、この地に慣れ親しんだ住人で無ければ影響はさほど無いと考える。
…現在の私たちの名付けにおいて、恐らく過去から続く風習であるが、姓名は字の位置にも意味があり、名字に”月”が入った文字と名前の”鬼”の入った字の距離が近付くほどに、“鬼の血”の濃さが判断できる。
但し、直接表記されず右左辺へと小さく纏めて表記される場合それは“鬼の血”が薄まっているということである。
しかし昨今においては、鬼人が自由に結ばれている事により、個々の“鬼の血”の濃さの差異が明らかな程に分かれているため、姓名に”月”と”鬼”の字が入らぬほどに薄くなり、自由に名付けが行われている事が現状である、しかし我が“詩月”の家名においてはその濃さが顕著に表れている、それは私たちが“彼”、優鬼、そしてその子である鬼那の直系にあたる家系であるからだ。
だがどうしたことだろう、この地域特有の空気の所為か、個々が自由に決めた姓名も自然の関わる文字が含まれているのは何故だろうか
…そして、巫女の血筋の家系には、名字または名前に”水”が関わる文字が入るのは偶然か必然か、だが私が考えたところで結論が出ることはなかった。
また、これを記述している一年前、現長老の監視の下 神魅町の中心人物のみで、ある実験が機密的に行われた
それは巫鬼の遺伝はどのような法則で行われているかであった。
…しかしそれはほぼ名目上であり、実際はある程度の原理を把握しているうえでのもっと細かい部分での実験である。
実験の内容は単純で、巫鬼の血を他者に飲ませることだった。
被験者は、既に妊娠している女性、そして既婚の男性と、男性と別の既婚の女性、そして少年と少女の計5人であった
妊娠している女性の子は男児であったが、男にも力だけが宿ることは無いのかという観点から被験者を加えたのだった。
実験結果はその資料を参照した方が明確であるが、未だに開示できる範囲は 限られているため、ここでは詳細を述べることができない
だが実験は予想通りの物であり、成功といえるものだった。
…この逸話と現状の神魅町の風習から、私は些細な共通点に気付いた
巫鬼の血の遺伝者は、“月”に対して好印象を持っているという事だ。
だがこれが何の役に立つかは現在の私には分からない、しかし考察の一つとしてここに記しておくことにする。
最後に報告の結論として、改めて現状の鬼人に関して纏めておこうと思う。
・鬼人とは、文字通り”人間”と妖怪である”鬼”のハーフであり、鬼の血が流れた人間である。
・例外的に巫鬼が存在し、人間の巫女ではなく”神魅の巫女”と”鬼”のハーフという存在となる。
・巫女は女性の場合にのみ受け継がれ、その巫女の力は子にほぼ全て宿る。
・巫鬼の場合も同様だが、現状は例外として巫鬼の血液を呑んだ場合、間接的に力が遺伝するが、呑んだ本人ではなく 呑んだ者の子に宿る。
・巫鬼の力は、“癒し”“鎮め”“滅す”聖なる力の性質を持つ。
・現在の鬼人は巫鬼と共に生まれたもう一人の男児、鬼那の血が遺伝元である。
・鬼人も鬼と同様に、月の満ち欠けの影響を受け、新月時には力を失われ、満月時には力が増幅される。
・鬼人であっても、ある一定の歳を越えるまでは力の流れが不安定であり、 満月時には暴走を起こしてしまう事がある。
・鬼人の姓名で、名字の”月”、名前の”鬼”が近い程、その者の鬼の血は濃い。
…以上をもって、詩月鬼流による「新説神魅人鬼録」の報告を終了とする。
鬼の人と血と月と 外伝2 終
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鬼の人と血と月と 外伝2話 です。
舞台となる「神魅町」の過去背景となる話です。
本編に重大に関わる点を書いているため、閲覧には注意して下さい。
本編第8話読後に読む事をお勧めします。