「ねえ……昨夜の事、誰にも話してないよね?」
その言葉に、僕は思わずドキッとする。
「え? ああ、うん……」
適当に僕がそう答えると、うつむきがちな彼女の濡れた瞳が僕を射抜く。僕の方も、昨夜の事を思い出して、なんとも言えぬ気まずい気持ちになる。
別に、変な話ではないはずだ。年頃の男女がクリスマスを一緒にすごしていたら、きっと普通な事のはずだ。
彼女の目線から逃れるように、宙を見上げる。
何となく、もっと親密になれると思っていた。でも、いざこうして顔を合わせると何とも言えない気恥ずかしさを感じてしまう。
何かが、変わってしまったのだろうか。一線なんて言い方をするくらいだから、きっと僕たちも何かを越えてしまったのだろう。今までいたところとは違う、一歩進んだ関係。より、恋人らしい付き合い方、交わり方……。
「私の事……本当はどう思ってるの?」
脳内に広がりつつあったピンク色の光景が、冷水を浴びたように消え去る。
「ど、どうって、そりゃ――」
「本当に?」
言葉を遮られ、続けて言いかけた言葉を僕は飲み込む。
「ねえ、その言葉、信じていいの?」
心の内を見透かされるようなこのまっすぐな瞳、あの時と同じだ。
決して、感情の強い子ではなかった。昨夜のことがあるまで、そんな瞳で見つめてくることもなかった。おとなしくて、時折見せる恥じらいのある笑顔。そういう所に、僕は惹かれていたはずだった。そう、昨夜までは。
ベッドに横たわる彼女。あの時の、表情。その瞳に見据えられて、僕はどこか恐怖感を感じた。いつもとは違う表情を見せる彼女。魅力とは程遠い、何か知らない一面、知りたくない一面を垣間見た気がして、僕はそれ以上動くことが出来なかった。冷や汗をかいて、青い顔をして、眼前の彼女を見下ろしていた。彼女も僕から目を離さず、ただじっと僕を見つめていた。
どうすることも出来なくて、お互いに微動だにせず固まって、いつの間にか朝になって、気が付いたら今に至る。どこからが正確で、どこからが曖昧なのか、その境目すら分からなくなりそうで、自分がどこに立っているのかさえ怪しいくらいだ。その曖昧さの中で、彼女の瞳だけが脳内でフラッシュバックする。
「ねえ、私の事……本当はどう思ってるの?」
彼女の事は本当に好きだった。
愛していた、といっても過言じゃない。
彼女のぬくもりも、体温もすべてが愛おしかった。
だから、だと思う。この手ですべて奪いたいと思ったのは。
最初にそう感じたのは、きっとキスをした時だ。彼女の口から漏れる、初めてという言葉に言い様のない興奮を覚えた。その時、僕もどこかで自覚していたんだと思う。彼女への見方が少しずつ歪み始めていたのを。
そして、昨夜、彼女の大切なものをすべてを手にした僕は、彼女から流れる血の暖かさに、今まで感じたことのないほどの熱を持つ彼女に、そっと優しく口づけをして、丁寧に、丁寧に弔った。
消えていく体温に名残惜しさを感じながら。
気が付くと、またここに足を運んでいた。彼女の眠る元に、花束を持って。
「ねえ、私の事……本当はどう思ってるの?」
僕を背後から抱きしめ、耳元で彼女が囁く。
生気を感じさせない青白さと、霞むような希薄な存在の彼女が夕焼けに染まっている。
「僕は、君のことが好きだったんだ」
嘘偽りなく、淡々と答える。
懺悔のつもりなんかない、罪悪感なんてなかった。
これが僕の愛の形、そしてこれが愛の結果。
そう言うと、彼女はすっと消えていなくなった。
「……また、来るよ」
そうつぶやいて、彼女の墓に花を添える。何度となく繰り返したこの動作にももう慣れた。
視線の先に、死線を越えた彼女が僕を待っている。僕の好きな笑顔ではなく、僕のすべてを見透かすようなあの時の表情のまま。
「ねえ、私の事……本当はどう思っているの?」
死がふたりを分かつなんて嘘だ。こうして君と僕は永遠に彷徨っている。離れる事なんて出来ない……というよりも、僕が君を縛りつけているのかも知れない。
だって、本当は――。
「まじかよ……」
しばらく僕は現実感が持てなかった。
友人から教わった、コマンド入力で解放される新たなシナリオ。ネットに情報がなかったから嘘だと思っていたが、まさかこんなことになってしまうなんて。
純愛アドベンチャーゲーム、視線の先に。
半ばテンプレとも呼べる展開の凡作と聞いていたが、この隠しシナリオで一気に評価が変わってしまった。
コントローラーを握りながら呆然と画面を見つめる。そこに浮かぶ二つの選択肢が尚の事僕を躊躇させる。この選択で、作品の世界ががらりと変わってしまう。二転三転、それ以上してしまう。どっちを選べばいいのだろうか。何度も十字キーをガコガコ動かし、煮え切らない思いで選択肢を睨む。
その時、どこかでゲーム内の彼女の声が聞こえた気がした。
「ねえ……私の事、本当はどう思ってるの?」
幾度となく聞いたこの言葉。
何となく……何となくだが、これは僕たちプレイヤーに向けられている言葉なのではないだろうか。
きっと、そういう意図が含まれた選択肢なのだろう。
そう考えれば、自然と、彼女の為になる選択肢がどちらかと言う事ははっきりと分かった。彼女を傷つけないように、あえて真実は伝えない方がいいのだろう。きっと、それが彼女の為であり、僕にとっての最高の選択肢だと思える。
そう思い、僕は下の選択肢に合わせて決定ボタンを押した。
押せる……と思っていた。
しかし、そこにはコントローラーも画面もなく、ただ僕の前に口元だけが微笑む彼女がいるだけだった。
どこから、現実だったのだろうか。
どこから、ゲームだったのだろうか。
一体ここはどこで、僕は一体何者だったのだろうか。
もう、よく分からない。ただ、僕の前にはゆらゆらと青白く揺れる彼女が消えることなく居続けた。そして、僕を抱きしめて、何度なく聞いたその声で、何度となくこう繰り返す。
「ねえ、私の事……本当はどう思ってたの?」
彼女の瞳が永遠に僕を見据えている。
曖昧な中に存在し続けた彼女の瞳に、青白い僕が映っていた。
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三題噺 「ゆうべ」「瞳」「十字」
没供養その3.