ずず、と鼻をすすってから早いとここんな寒いところから離れようと猪狩十助は歩を早めた。
まだまだ秋の中盤ぐらいであるが、何の防寒具もしてない上に日が沈みかけているのだ、寒いものは寒い。
風邪をひくとは思わない(どういう自信だかわからないがそんな自信がある)が長いこと外にいるつもりなんてさらさらない。
沈みゆく夕陽を背に人のいない道を歩く、その先は、ここのつ者のいるところ。
どうせ今日は忍社に行くつもりだったのだ。
集合すると言われていたわけではないがどうせ誰かしらいるだろうし、運が良ければ暖かいものももらえるだろうし。
そんな事を、ぼうっと考えながら、垂れかけた涎を拭う。
未だ着いたわけではないのにあるかもわからないものの想像はしない方がいいと頭をブンブンと振って想像していた鍋の姿を振り払う。
「こういうのなんつーだっけな、とらぬ狸の.....」
狸と自分で言っておきながら少しギクリとしてキョロキョロと周りを見渡す。
勿論人はいなかったし獣の匂いもしない。(仮に人がいたとしても彼の発言はなんら違和感のあるものではない、むしろ逆に挙動が怪しくなってしまっているが、彼にその自覚はない)
猪狩十助は狸である、がそのことは基本的に他の人間には隠している(つもりだ)。
勿論ここのつ者の人間にだって。
自分以外にも仲間はいるが、彼らも同じように狸であることは人間には隠している。
絶対に隠さなければいけない理由を問われてしまえば少し目線を上に逸らしてしかめ面を浮かべて考えてしまうが、考えてもどうせ自分じゃ答えは出し切れっこない。ダメなものはダメなのだ。
強いて言うなら狸だとバレたら舐められそうだ、いろんな意味で。
自分には過保護でうるさい父がおり、人間のところへ行くなとすら言ってくる。
勿論それに素直に従うわけもない。
今日だって堂々と抜け出してきた。
狸だから、人間だから、よくわからんけどそんなものは関係ない。
脳裏に浮かぶ人間たちと過ごす間はまるで自分も人間になったのかと錯覚してしまうくらいに。
「ぶぁっくしゅっ!!!!」
オレンジよりも藍の方が大きくなった空の下、猪狩十助は駆け足に忍社へ向かった。
◆◆◆
結果として言えば、忍社にはやはりここのつ者がいた。
何故だかここのつ者に紛れ偽り人もいたが、皆等しく鍋を囲んでいた。
しかし問題はその鍋であった。
最初は着いて早々目に入ったその鍋に食らいつくように近づいたのだが、その場にいた数名のここのつ者のお陰か、鍋の色は酷く赤かった。
顔を鍋に近づけたことで伝わったその匂いは、赤い見た目を裏切らず、ツンと鼻をついてきた。
食べなくともわかる。辛い。
咄嗟に鼻を押さえ後ずさりするも吸ってしまったものは吸ってしまったもので、未だ鼻に残る辛さにクラクラしながら一言その場にいた者たちに「おっ覚えてやがれっ!!」と言い捨てて外の空気が吸える場所へ飛び出した。
飛び出す途中に同じ種族のここのつ者とすれ違って「見えてるでござるよ!」と黒い大きな羽織のようなもの(よくわからないが羽織よりも少し固いしでかい)を被されていたのはさっき気づいたことだ。
「見えてるって...まっまさか尻尾見えてたのか....?」
縁側に腰掛けながら先程の仲間の発言の理由を考える。
考えることは苦手なので一瞬で放棄され、頭の中がむず痒くなったので両手でわしゃわしゃと髪をかく。
まさかこれが十円ハゲの原因なのではとハッとした時には髪は普段よりボサボサしていた。いや別に十円ハゲじゃねぇし。ハゲてねぇし。
「にゃー、一日早い仮装にゃ?」
「....なんか用かよ」
「拗ねない拗ねない!今辛くない鍋煮込んでくれてるからにゃー、さっきの激辛はもう完食したのにゃ...私は食べてないけども」
大方あの激辛をつくった原因の人物らが全部食したのだろう。
いつの間にか隣に来ていた人間が、こちらへと顔を傾けてにっこりと笑う。
拗ねてるわけじゃねぇってのに。
「一日早い仮装ってなんだよ」
「ん? それ仮装じゃなかったのにゃ?」
それ、とは、この黒い羽織のことだろうか。
「明日なんかあんのか?」
「にゃー、十助くん知らなかったのにゃ? 明日はハロウィン!!にゃ!」
「はろうぃん?」
そういえば、なんかそんなこと聞いたことあったようななかったような。
しかし仮装してるつもりはなかったのだが、そう見られたということはこの羽織...みたいなのは仮想のために用意してたものなんだろう。
仮に尻尾を隠すために貸してくれたのだとしたらもう尻尾は隠れている(はずだ)し、後で返しておこう。
「知らなかったなら何でそんなおかしな格好してるにゃ?」
「これはその...あれだ、寒かったから借りたんだよ」
尻尾を隠すために貸してくれた。なんて人間がどうとか言う前にそんな情けないことは言えない。寒いのは事実だ。
「にゃ、確かに暖かそうにゃ」
「へっへー、だろだろ」
自分を褒められたわけでもなんでもないのについつい威張る。
「でももっと暖まるのもあるのにゃ、鍋、食べるにゃ?」
「.....おう」
羽織るだけでは暖まらない箇所が、ほんの少し暖かくなった。
「やぁ十助くん、おかえり」
「どうも」
「外は寒くなかった? 大丈夫?」
「...ん」
「先に食べてたでござる」
「ふふ、似合ってますわね?」
縁側から戻ってくれば暖かい空気に迎えられる。
今度は辛くない、うまそうな匂いだ。(一部人間の器からは辛い匂いが少しする)
「さ、暖まるにゃ」
促されるまま座って器と箸を握る。
言われなくても、存分に暖まってやる。
◆◆◆
眠たい目をこすりながら帰り道、あたりはすっかり暗い。
沢山食べてお腹は膨れたし、鍋のおかげで体の内側から温かくなれた。
このままひとっ走りでもしてもっと温まろうか。
なんて考えながら、ぼんやりと明日のことも考えていた。
「はろうぃんなぁ....」
仮装、と言われても何になればいいんだか。
先程羽織のようなものを貸してくれた仲間にそれは何の仮装に使うものかと聞けば、どっか遠い別の国の、なんとかって言うナントカらしい。
自分の周りだけでも一杯一杯なのに別の国のことなんてわかるわけもない。
かといって明日仮装しなきゃ食物は貰えない。しかも一人だけ仮装してないなんていう事態になったら嫌だ。明確に理由があるわけではないが嫌だ。
...と、腕を組んでどうしたもんかと考えて(今日はなにかと考える日だ)唸りながら歩いていると、ひょっこりと横の草木の中から知ってる顔が出てきた。
「あれ、十助くん」
「うぉっ、なんだお前どっから出てくんだよ」
「へへ...昨日満月だったから篭ってて...」
「ふぅん...」
特に言及することもなく自分の思考へ戻る。
今はこっちの方が大事だ、明日になるまで、もう時間がないんだ。
「何考えてるの?」
「あ? ....明日どんな格好しようかって...」
「あぁ、明日ハロウィンだもんね」
なんと、お前まで知ってたのか。と何とも複雑な表情になる。
「私もちゃんと用意してるんだよ、あとこれ狢くんの分」
「ん? あいつもう自分の仮装用意してたぞ」
「えぇ〜っ!!? そんなぁ...じゃあこれどうしよう....」
目の前の少女が取り出した二つの風呂敷。
片方は渡すつもりだったのだろうか、ガックリと項垂れてどうしたものかと風呂敷を睨んでいる。
「な、なぁ...おい」
「うん? なぁに?」
「いっ、いらねぇなら...貰ってやってもいいぞ」
丁度いい、なんて思ったのは内緒だ。
「....」
目の前の少女は訝しげにこちらを見るが、目は合わせずに、貰ってやると手だけ突き出す。
「うん、ありがと、はいっ」
ぽん、と素直に渡されたのに若干驚きつつも「ま、まぁな」とぎこちない答えを返す。
少女はそれに対してクスリと笑った後、手だけ振ってそのまま立ち去った。
「なんだこれ...」
渡された風呂敷を開ければ、先の羽織と似たように、自分の知ってる服とは違ったものがでてきた。
基本的になんか着る面積が小さい。というかこれ上半身に着るものなくね?
角のような装飾品もあるし(形状からして頭につけるものだろう)、一体なんの仮装なんだか。
わからないがモノは試しといったところだ。着てみよう。
....と素直に着てみたのが間違いであったのかもしれない。
思ったとおり上半身に着るものはなく、下半身は袴とはまた違った履物で覆われている。
まるでなにかの獣の皮でできているかのようなその履物は、後ろからながい尻尾のようなものが生えていた。
装飾品の角も頭につけてみたものの、鏡があるわけでもなく、自分の姿をはっきりと確認できず暫くたった。
「いっちょ走るか....」
いつまでもこうしてる訳にもいかないし、体も冷えつつある。ならもう余計なことは考えず動こう。
立ち上がった後軽く準備体操をして猪狩十助はどこへ向かうでもなく走り出した。
西洋でいう悪魔の仮装をしたまま。
◆◆◆
随分と走ったが息はまだ切れてない。
体の中心が熱くなってきたのを感じる。
ふいと止まって辺りをみれば、どこかの街のようだった。
もう深夜だ、無論街の人間で起きてる者は見当たらず、明かりもない。
それでもいくらばかりか景色が見えるのは、獣の証か。
「はーっ...遅くなっちまったなぁ...」
今日はこのまま帰らずにいようか。
どこかで明日が待ち遠しい自分がいた。
きっと明日は今日より暖かくなれる。
脳内に暖かい人物たちを浮かべ、にっ、と笑う。
ウズウズし始めた足は、あろうことか街の家の屋根の上へと進んだ。
登ることは苦ではなかったし、こんなことはお茶の子さいさいというやつだ。
あっという間に登り切って、すぅと息を吸う。
胸の中のウズウズが止められず、口までウズウズと、何かを吐き出すのを精一杯堪えているように震えていた。
今度は口を開けて、大きく息を吸う。
吸い込んだ空気をそのままに一度ピタリと止まってから、今度はそれを大きく吐き出した。
「はーっはっはっはっはっは!!!」
何かを叫ぶつもりはなかった。
ただ無性に笑いたかったのだ。
寒い格好をしてるのに、これっぽっちも寒くない。
「はぁ....」
高らかに笑ったことに満足したのか、そのままストンと腰を落とす。
「あー.....服忘れた.....」
着替えた後にそのまま脱ぎ捨てた服を、取りに行こうと思っても生憎ここがどこだかあんましよくわかってない。
「ま、多分あっちだろ」
今度はゴロンと屋根の上に寝っ転がり冷えた風を受ける。
あぁ明日が待ち遠しい。
早くあの、暖かみと共に。
猪狩十助は、静かに目を閉じ、小さく笑った。
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【夜】【街中で】【猪狩十助が】【悪魔の仮装で高笑いをしていた】【かごめ空閣☆】
名前はでませんが、モブに沢山のここのつ者たちが申し訳程度にゲスト出演してます。
【ここのつ者】
猪狩十助、音澄寧子(少しだけ)野槻狢(少しだけ)
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