No.738716

Pajama Fighter 51

全国のパジャマ萌え諸君に告ぐ。
まくら投げで汗をかけ!
男女混合総合戦略競技「Pajama Fight」、開戦!

2014-11-22 09:56:04 投稿 / 全1ページ    総閲覧数:417   閲覧ユーザー数:417

 
 

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                 告

 

   国立特別術科学校では、二〇三五年度の高等部編入試験を実施します。

   募集人員は男女各15名、受験資格は本年度中学校卒業見込の者です。   

   本校では、競技まくら投げ選手の養成を通じて、生徒個人の可能性を

  かん養し、わが国の根幹を支える多様な人材を育成することをめざして

  います。卒業後の進路は選手への道に限らず多岐に開かれており、わが

  国の次世代を担う幅広い生徒諸君の挑戦をお待ちしています。 

 

                    国立特別術科学校長・文部大臣  

                     同副校長(予定)・国防大臣  

 

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◆第一夜警時――パジャマを着た戦士

 

 

 2035年4月1日日曜日、はじまりの日。

 新入生歓迎会の開会を前にして大体育館2階のバルコニーは喧騒に満ち満ちていた。

 色とりどりの制服パジャマを掻き分け、用足しで遅れた俺は山吹色の一団を見つけて混じる。腰から下げたそれがぶらぶらと鬱陶しくて、アタッチメントから捥ぎとり小脇に抱えた。

 それっていうのは――枕。

 この学校で学ぶ生徒の必須アイテムだ。なんせここ、国立特別術科学校高等部は、全寮制高校、兼、プロまくら投げ選手の養成機関だからな。

まくら投げ……知らないひとは少ないと思うが、一応説明しておこう。

 まくら投げは世界人気No.1の男女混合総合戦略競技だ。競技パジャマを身に纏ったプレイヤーたちはパジャマファイター(Pajama Fighter)と称される。だから術高の制服はパジャマ。

 ここにずらり居並ぶ450人は、みんなみーんな、「ワナビー」さんってわけ。

 俺?

 俺を一緒にしてもらっちゃ困る。マスゴミの虚像にエレクトするほどナイーブなニューロンはトーキョーデザートをサヴァイブしてきた脳みその何番地にだって引っかかっちゃいない。

 意味が分からねえなら辞書でナイーブって引いてみな。

 じゃなんで俺がここにいるか。そりゃもちろん……えーとほら、あれだ、プロはペイがいいからな! うち貧乏だし、ここ学費タダだし、リッチマンに憧れて!

 は? ツンデレ? てめえ調子クレてっと蹴け殺すぞドン亀が。

 さて、場面戻って。

 腰を下ろそうとして誰かに肩を叩かれた。振り向くやいなや視界の端で鋭い犬歯がぎらりと光る。すわ脊髄反射で枕を構えると、ぼふっと間抜けな音がして上半身に衝撃が走った。

 あーあ、またこいつだよ。勘弁してくれ。

 襲撃者はくっきり眉毛を段ちに捻って地団太を踏んだ。

「だあーっ、よけられた! バカジ! ちょっとはおとなしく殴られなさいよ!」

 赤みがかったウルフカットのメス狼、山内さんない初花ういかは血の気が濃すぎて中学生にして献血の常連だったらしい。朝、初顔合わせの男子にかたっぱしからタイマンを挑んで回り、俺だけ一発も拳を当てられなかったのを根に持ってこうして虎視眈々とつけ狙ってくる。

 っと、いけねえ、申し遅れたぜ。

 俺の名前は鍛冶鉄火。で、バカ鍛冶だからバカジ。この初花が仲良し(ライバル)の証にくれたあだ名だ。

「まあいいわ、バカジ。それより背中にムカデ這ってるわよ」

「えマジ!? うわどこ「隙ありっ!」ぶぼぁっ!?」

「やったーっ、これで完全制覇よ! 決まり手は名づけてエイプリルフールソバットね!」

 だまし討ちじゃねーか!

 どう仕返しするか考えていると前の席の少女が嘆息した。半日で男子の憧れの的ポジションを獲得した松風清子だ。彼女の魅力はスレンダーな肢体にとどまらない。

「初花ちゃん、あなたエイプリルフールの使い方を間違えているわ」

 痺れるようなその大人の魅力とは……、

「私だったら――自分に気がありそうな男子に告白して夜中までアツアツデートした挙句、うまくホテルの目の前で24時を迎えてその日の痴態をさんざんぱら笑ってやるわね」

 この黒さ! ドS撫子いただきました!

「なんでわざわざホテル泊まるん? 寮帰ってくればよくない?」

「え……初花ちゃん、本気で言ってる?」

 そこに後ろから心配そうに割り込んできたのはメガネザル――もとい眼鏡をかけた童顔だ。小さい体で強調されるくりくりお目目がまわりの庇護感情をかきたてるこいつ、山田美妙のあだ名はこれも初花の命名で微妙斎に内定済。微妙に頭がよさそうだから、らしい。

「どういう意味よ微妙斎。って、あそっか、デートで寮じゃ確かにちょっとかもね。でもだったらあたし夜は野外がいいわ。アウトドアってやつよ」

「……わ、わあ、ワイルドライフだね……」

「ひいふうみいよ。それにしてもこの班、やっぱりふたり足りないわ。どうしたのかしら」

「足りないのはひとりかと。僕を数え忘れておいでのようですね、清子さん」

「いやね、背後霊が喋ったわ」

 嫌味をものともせず朗笑した彫刻のような美青年は中御門経という。成金の御曹司だ。

「朝から不思議だったんだけど、なんかふたり仲よしじゃない?」と初花が訊いた。

「慧眼です初花嬢!」きざったらしく指を弾いて「清子さんとは以前からお付き合い――」

「付き合いじゃなくて付き纏いでしょう」

 石化した。

「進学先を合わせてくるなんて鳥肌ものだわ、ストーカー。あなたならいくらでも強豪私立の特待が選べたでしょうに。同じ敷地に寝泊まりだなんて、口から経血出そう」

 それからプログラムはとんとん進み、今は結いあげ髪の生徒会長が競技場のまんなかで挨拶している。紫のパジャマは競技布団を敷きつめた純白のコートによく映えた。このあとは教師vs先輩のエキシビションマッチだ。

 セミプロの試合が間近で見られることにわくわくしていると美妙がにゅっと顔を出した。

「ねえねえねえ、これどういう意味かな。鉄火くんなにか知ってる?」

 小声で差し出してきたレモン色のプログラムには小さな印字でこう読めた。

『※ なお、この展示試合には生徒が寮室の鍵を使用する権利が賭けられています』

 賭け? なんのこっちゃ?

 首を捻っていると、生徒会長の声が耳に転がり込んできた。

「――術高では、諍いはまくら投げの賭け試合で決着をつけます」

 へえー、喧嘩はまくら投げでやるのか。いいねえ、そういうの嫌いじゃねえ。

「今回の争点は、昨年度学校側が通告してきた寮室の鍵を撤去するという方針についてです」

「へ、部屋の鍵を……!? ストーカーがいるのに!?」

 怖気が走ったのか清子は体を抱いて呻いた。

「生徒側として戦う30人は、公式戦に出場する全校選抜チーム『代表中隊』」

 腕組みした初花が「出たわね」と目を細くする。

「県大、インハイ、プロデビューの第一歩っていうあの『代表中隊』」

 まずは代表入りを目指せ、か。わかりやすくていい。

「一方、教官軍の正式名称は教導隊(Agressor)といい、監察小隊に率いられています。監察小隊は術高を統監する最高権力組織で、代表中隊の選抜も彼らの職掌です」

 監察小隊という名前に在校生がざわめきたった。人気者ってわけじゃなさそうだ。

 会長の演説が終わり30人ずつの選手団が入場してきた。黒と紫の2列で、紫パジャマの先頭に会長が合流すると、それまでの粛々とした雰囲気から一変、頭上のスピーカーが爆発した。

『っゆーわけで実況はっ! 報道部放送科よりアキバ・レィジとっ!』

『黒部さゆりでお送りいたします。紫の代表中隊は大きな拍手で、黒の教導隊は目を付けられない程度のブーイングでお迎えください』

 沸き起こる歓声と豚声の中、整列して、礼を交わした。

『勝負だ! 戦だ! 意地と意地の激突だ! さあいま突撃の角笛が鳴らされてぇっ――』

 ホイッスル。

『戦 闘 開 始(Hit The Hay)!』

 白状する、目の前の光景に俺は思わず息をのんだ。

 中学生は6人制試合シツクススのみなのだが、全然ちがう。競技布団の敷きつめられた巨大なコートで30人と30人が雄叫びを上げぶつかりあう様はまさに戦争だ。

「ナイスよっ! 右翼囲んで囲んで――ぃよし、討ち取ったわね!」

「あ、あの姿勢からあんなに低空のシュート!? すっごいレベル高いよ!?」

「はっはっ清子さん僕のほうが正確に撃てますがね(キラッ)なぜなら僕のスローイングは清子さんのハ(キラッ)ア(キラッ)ト(キラッ)を撃ち抜くために鍛えむぐぐ」

「……まくらって便利よね。安眠も永眠も導けるのだもの」

 中御門は清子の太腿で窒息していたが、見ようによっちゃ膝枕だから本望かも――ああやっぱり。力なく垂れた腕の先にサムズアップがぶら下がっている。

 しかしこう大歓声に包まれると血が騒ぐっつうか、柄にもなく俺も大声をあげたくなってくるな。……あれだ、こういうのは溶け込まねえとかえって目立つし。そうと決まりゃあ、

「いっけえぇ! そこだそこそこぶち込めっしゃあっ! っておい囲まれたぞどうすんだまずいまずい来た避けたすんげーっ! 側宙避け! 側宙避けなんて生で初めてみたぞ! そこだそうだオレンジ突っ込めぶっ殺せええっ!」

 ツンデレじゃねえっつってんだろが。こっから手出して鼻捥ぐぞてめえ。

 俺が注目しているのは、黒と深紫の舞闘のなかでひときわ目立つド派手なオレンジ髪の選手だ。その先輩は、ひとりで教官ふたりを翻弄していて、遠目に男女はわからないが、狂戦士のごとき戦いぶりだった。

「ふぅ……すっげえな……。あの先輩とか圧してるっぽいし、こりゃいけるかもしれねえぞ」

「それはどうかしらね」

 ところが清子はそういってフィールド上の一点を指し示す。

 サッカーコートほどもある巨大な長方形の奥、エンドラインから突き出た本営ゾーンの半円には眠たげな半眼髑髏の黒旗が立ち、手前に小山のような巨躯が姿勢を低く控えている。あれはたしか教導隊キャプテンの猿渡先生だ。それから指が滑った先のコート反対には、紫の旗の下で指示出しに忙しそうな生徒会長。

「バカジくんには、ふたりの違いがわかるかしら?」

 違い? うーん……どういうこった。

「……ふん。僕も言われて気づいたが、生徒会長女史は焦燥しているのだよ」

 天パが人パになった中御門がバカにしきって鼻を鳴らした。

「代表中隊は圧しているのではなく前線の向こうへ引きずり出されているのだ。教導隊は生徒が疲弊したころを狙って総攻撃を仕掛けるつもりだろう。ね、清子さん!」

 特大のウインクに、清子は親指を立て首を掻き切るしぐさで返す。

「あっ」という美妙の声を合図に俺たちはミーアキャットの一家よろしく視線を戻し――

 巨人が身を起こすのを目撃した。

すっくと立った猿渡先生が一声吠えると、ばらばらに戦っていた黒パジャマが一斉に身を翻した。それまでの乱戦が嘘だったようにぴしりと整列した黒揚羽の編隊が姿を現す。せつな、編隊は攻城弩バリスタとなって突撃し、紫チームの戦線を粉々に打ち砕いた。試合はどんどん教師側に傾いていき、それに比例して初花もますます手すりから身を乗り出していく。

「そこのあんた根性出しなさ――またやられた!? あーもうあたし代わる! 選手交代!」

「はっはっは、まあ清子さんの部屋に鍵があろうとなかろうと(キラッ)そんなものは僕のラ(キラッ)ヴ(キラッ)の障害にはなりえむぐぐ」

「よせ清子それ俺の枕だから! って初花暴れんな興奮しすぎだ、おい落ちるぞおま――!?」

 ぼぐ、

 と不用意に初花に近づいた途端うなじに鈍重な衝撃が走り、世界が真っ白に燃え上がった。

『――!? 前代未聞――! 新入生――試合――乱入――!?』

 ……痛ってぇやりぁがったな狼女……乱入? まさかマジで寝台コートに躍り込んだんじゃ……。

 痛みをこらえて瞼を開けると、呆気ににとられてこっちを見下ろす4人組と目があった。

 メス狼の口がゆっくりと動く。

 め ん ご ☆。

「はあああああああああぁぁぁぁ!?」

 瞬間、視界の端で黒い影が動き、脊髄反射で飛び退るや、白い何かが鼻先を掠めた。

 針を刺すような痛みに思わず鼻を押さえた手にはぽつんと緋色のワンポイント。

 鼻が削れた。枕で。

 ぞわりと全身の毛穴が開く。ど、どういう枕だん速してんだよ……。

「はぁいお坊ちゃぁん。そこ、お・邪・魔よぉん」

 しなのついた声に振り返った先には、鳥類のように首の長い黒パジャマの女教官。

「やれやれ、どういうつもりかな、新入生君?」

 首を振り戻せば、こんどはあのオレンジ髪。

『おぉっと、判定システムが選手名UNKNOWNに減点3をつけているぅ!』

『どうやら不測の事態に被弾非接触継続記録(HOUSeKeeper)システムが曲解を施した結果、乱入者は試合に取り込まれたようですね。しかしこうなると……』

「君はどちらの陣営になるのかね? 道理では我々側だが」

「逸脱行動への罰則として教導隊に編入よぉん? ……ダメねん、システムに反応なぁし」

 そこはかとなくいやな予感が肋骨の内側を撫でた。

「いや俺すぐどきますんで! ね! どーぞ気にせず続けててください!」

「ふむ。……敵の手に落ちるぐらいなら」「壊してしまったほぉがマシ、よねん?」

「「――くたばれ闖入者ぁあっ!」」

「話聞いてえぇぇ!?」

 そばがら枕でボコられる恐怖が、アドレナリンとなって体を支配する。

 ――っ!

 とっさに前回り受け身に飛びのいた俺の上下を2発の重量枕がうなりを上げて刈り走った。

「……避けられた、だと?」

 いまは偶然上下に21.5センチの隙間があったから避けきれたものの、次もそうとは限らねえ! なんとかして攻撃を思いとどまらせないと痣だらけにされちまう!

「白旗! 白旗ぁ! 俺に戦意はありまっせぇん!」

「オリンピック級の一撃を躱す力を見せつけておいてその発言は説得力に欠けるぞ」

 ひぃい!? 実力って、俺のは逃げ専なのに!

「興味が湧いた。先ほどの身のこなし、いま一度見せてもらおう」

 オレンジ頭が腰を低く枕を構えた。右手の枕を腰だめに回転させ、左手の枕を真っ直ぐに突きつけてくる独特の姿勢だ。対して俺を挟むように立つ鳥女は両手を広げた怪鳥けちようの構え。

 あらやだ、本気ですやん。

 どっくん、

 と心臓が大きく鼓動する。左心房から飛び出した生体燃料が大動脈を駆けあがる。血中アドレナリンが爆轟し、ATP回路は悲鳴を上げて、視神経を雷サージが走り抜けるや、世界が無数の格子に区切られる。

 オレンジが踏み込んで、鳥女が振りかぶった。

――頭部、避けきれない。胸部、躱しきれない。腹部、やり過ごせない。大腿部、絶望的。

結論はひとつ。

「ふんぬらぁっ」

「なっ……!?」

「ブ――ブリッジしたのぉ!?」

 有効な回避運動がこれしかなかったんだよ!

 唸りを上げて回転する――枕の癖に――旋輪のような2発は辛くも鳩尾の直上を通過した。

 しかし、ブリッジの痴態を晒したまま安堵の溜息をついた次の瞬間、

 どすどすっ。

 木こりさんが木の股に斧を打ちこむ画が脳内で点滅し――俺の意識は春風に散った。

 

 ポニーテールの教師は、もはやぎろりと殺人的な眼光だった。

「何か申し開きはあるか、あん?」

 先輩たちの手によって片付けが進む寝台コートの片隅に俺たち5人は連座させられていた。

 お叱りをうけているのである。そらそうだ。

 俺がはっきりと意識を取り戻したのは生徒側の敗北で試合が終わった後だった。整列して礼を終えるや黒パジャマのひとりが階段にすっ飛んでいき、やがて初花の耳を抓りあげて4人を率いてくると、仁王立ちでこう言った。

「私が貴様たちの飼いぬ――チッ――担任の栗荊あざみだ」

 おっかないことに飼い主と担任の間に共通点を見いだせるひとが俺たちの先生らしい。

 以来お小言の鞭で調教されていまにいたる。

「秩序を乱すな! そして鍛冶は汚いものをひとに向けるな! まったく、兵主部といい貴様たちといい、なぜわたしのクラスは問題児ばかりなんだ」

 そういうあなたも目つきの悪さじゃ問題児級っすけど。

 ポニやん(ポニーテールヤンキーの略。俺命名)がもういちど視線で俺たちを威嚇すると、さっきの鳥女が通りかかった。

「あぁら栗荊先生、お説教かしらん?」

「学期頭から嘆かわしいことに、ええ、そのようです、雉尾先生」

「ご精の出ますこと。でもん、もうひとりの方を見ていなくて大丈夫かしらぁん?」

「ご心配なく。あの淫獣なら朝から物干場ぶつかんばに閉じ込めてあります」

「あらぁん、それは困ったわぁん。ついさっきそこの彼の洟と涙と涎で汚れた競技布団を仮洗いして干してきちゃったのよねぇん。あの子が中にいたなんて露・知・ら・ず。うふんっ」

 気持ち悪い作り笑いにヤンキーアイが突き刺さった。ポニやんが口を開きかけたとき、

『いやんっ!』

『あんっ!』

『ちょっとぉ! 何なのぉ!?』

『ひゃあんっ!』

『ふぁっ!? だ、誰よいったい!?』

 やたらと艶っぽい声が遠くの方でぽつぽつ上がり、それが少しずつ近づいてくる。ついにバルコニーのあちこちで嬌声が上がりだし、かと思うと突然ふっと声が途切れた。

 不気味なまでの静寂が訪れて、

「きゃ――――――――――っ! 痴漢! 変態! 中御門!」

「濡れ衣だあ!」

 すぐ隣から最大級の悲鳴が上がった。

 バルコニーから飛び降りてきた何者かが清子にむしゃぶりついている。

「むふふ。むふふふ。にゅふふふふ。この尻はなかなかの上玉、むへへへへへ」

 な、なんだいったい?

 謎の下卑た笑いが響くやいなや、清子を貪る亜麻色の頭に剛速枕が突き刺さり、変質者は盛大に吹っ飛んだ。見ればそいつも俺たちと同じ黄色パジャマだ。

「貴様ぁ! 兵主部! 兵主部のり子! まだ懲りてないのか!」

 変質者がその矮躯を起こした。乱れた髪をぶるっと払うと輝く絹糸がさらさらと流れ、小さな素顔があらわになっていく。

 天使のような美少女だった。

ふわふわロングの後ろ頭で6色に塗り分けた一輪の花飾りが咲いている。生クリームみたいな白肌の頬はローズジャムでも混ぜ込んだのかほんのりと朱を含み、ぷっくりぷりんとみずみずしいくちびるはラズベリーのゼリーか何かで、まるで砂糖細工の天使さまだ。

「いや~春休み分きっちり回収したですよ。うん、これで今年も元気いっぱいです」

 ほくほく顔でそうのたまって、痴天使はポニやんに捕獲された。

「これは」と言いつつ黄色い小尻をポニやんの手が張った。「ひぃんっ」

「兵主部のり子。中等部の持ち上がりだが、ワケあって外部生クラスのうちに振り分けられた」

 ああ、読めたぜ。たぶんさっきみたいなセクハラが原因だな。

「持ち上がり先の担任が入学拒否しろって騒いでな。仕方なく拾ってやった」

 いやいったい何したんだ!? 入学拒否レベルのセクハラって!?

「まあ、それはともかく。……怪我の功名というかなんというか、これで揃ったわけだな」

 それからポニやんは俺たちをひとりひとり順に見た。

 格闘少女、山内初花。

 メガネザル、山田美妙。

 ドS撫子、松風清子。

 ストーカー、中御門経。

 痴天使、兵主部のり子。

 そして俺――貧乏人、鍛冶鉄火。

「こんな場で言うのもなんだが――おめでとう」

 なぜか次に聞こえたのは、ぶっきらぼうだが心から祝福する暖かい言葉だった。

「貴様たち6人はこれから3年間、寝食を共にし、悔し涙と嬉し涙を互いのために流し合うチームだ。細かいことは教室でまとめて説明するが、ただ、大事なのは貴様たち6人が――」

 にかっと爽やかに笑う。つられて俺たちも晴れやかな気持ちになり、そして、

「――男女別3人ずつのルームメイトだっつうことだ」

 百合ハーレム宣言に初花と清子は塩の柱と化した。

「問題児の隔離部屋かしらぁん? あぁら、ちょうどいいところにいらしたわねん」

 雉尾先生の声で顔を上げると、さっき出場していた巨人が腕組みして立っていた。この人は、えーっと、たしか、そう、猿渡先生だ。

「また異常者が問題を起こしたのか、栗荊」

 生徒を異常者呼ばわり、ねえ。穏当じゃねえな。そんな奴からはいらん敬称を取っちまえ。

「やつと一緒に放り出せばよかったのだ」と猿。

「う、うぅ……わ、わたし何かしたですか?」

 それはまあ、たぶん、YESなんだけど。

「……猿渡先生、ことばが少々厳しすぎるのではありませんか?」

「黙れ、お帽子組めが。いいか兵主部、少しでも逸脱行為をしてみろ、即退学にしてやるぞ」

 そう捨て台詞を残すと雉尾を連れてのしのし去っていった。ずいぶんのりちゃんのことを嫌っているようだ。まさかあの大猿にもセクハラしたのか?

「はあ。腹立ててもはじまらないな。おいしっかりしろ、同じ女スケとして気持ちはわかる。しつけ用に風紀委員のスタンロッドを支給するつもりだった。ほら、濫用すんなよ」

 痴天使はさっそくロッドをつきつけられて、心外そうに頬を膨らませた。

 

 術高は八ヶ岳連峰の人里離れた山奥に位置している。陸の孤島ってやつだ。

 よくいうように、山の日はすとーんと暮れた。食堂で開かれた歓迎ディナーは豪勢の一言に尽き、在校生によるバンド演奏を眺めながら、のりちゃん――畏れ多くもそう呼ぶことを許されたのだ。アーメン――は、んっくと焼きそばを飲み下した。

「つまりですね、術高には学年ぶち抜きでクラス大隊って縦割りがまずあるです。

  勇猛果敢の1大隊、獅子を戴く赤備え、

  志操堅固の2大隊、龍を奉じる青海原、

  妙計奇策の3大隊、天馬を彩る緑柱石、

  狂瀾怒濤の4大隊、大鷲と踊る橙火影、

  不羈自由の5大隊、雀蜂と飛ぶ黄桜花、っていうですよ」

 教室でポニやんがした説明のおさらいだった。

 大隊五色に代表中隊の紫を加えればあの髪留めの色になるが、意識してるのかもしれない。

「大隊同士競い合って技量を磨くわけですね。それで大隊を学年で分けてクラス中隊、その中に6人一組の班小隊です。とくに、中隊は術高での家族なのですよ。だから清ちゃん今夜は家族水入らず裸のつきあいびびびびび」

 ――家族水入らず、ねえ。

 おっといけねえ。いらん感傷だった。

「こ、腰に効くわぇ。……話を戻すとですね、私たち6人は5大隊1学年の5番目だから515小隊です。普通の学校とは年組が逆だから混乱するかもですね」

 美妙が猿渡の言っていた「お帽子組」について訊くとのりちゃんは口ごもり、代わりに「それはなあ!」と青いテーブルから声が飛んだ。2大隊2年――22中隊生だ。

「黄色い帽子のこったよ。よちよち歩きの幼稚園児がかぶるやつ」

 向こうの卓で不快な笑いが沸き起こり、のりちゃんが溜息をついた。

「『お帽子組』は経験で劣る5大隊をバカにした呼び方のひとつです……。鉄火くん、初花ちゃん、卵を置くです。焼き場連中のたわごとに耳を貸す必要なんてないですから」

「焼き場って?」と美妙が猛り狂う初花を全身で押さえこんで訊いた。

「競争から脱落してプロを諦めたやさぐれグループです。やきもち焼きの屍溜まりですね」

「はっはーん、惨め! 敗残兵! ゾンビ! 無精卵! いい気味ー!」

 初花がここぞとばかり罵ると向こうの卓がふっつりと押し黙った。かなり効いたようだ。

「言ってやった言ってやった! ……にしても大隊とか中隊とか、まるで軍だわね」

「ですね。軍隊ちょう怖いから、わたしも最初はびっくりしたです。とはいえ生活はそんなにミリミリしてなかったです――あのひとたちが来るまでは」

 ことばを区切ると同時にのりちゃんが息をひそめた。

「そう……桃太郎トリオがきてすべて変わってしまったです……」

 なんだその愉快な三人組は。

「監察小隊のことです。すぐ規則で色んなことを禁止したり、退学処分をふりかざしたりするですよ。11中の雉尾先生、12中の戌井先生、13中の猿渡先生だから、桃太郎トリオなのです」

「あはは! なに、じゃここは鬼ヶ島ってわけ?」

「ポニやんがいるあたりあながち否定できませんね」

 のりちゃんは昼のおしりぺんぺんを思い出して身震いし、慌ててあたりを見回した。

「どういうわけか、わたしはあの3人に嫌われてるみたいで……」

 わけは想像つくんだ、のりちゃん。ただ嫌い方が尋常じゃないってだけで。

 メス狼とのりちゃんが地元名物の鹿ステーキを取りに席を立った。俺は独特の匂いが苦手だったので遠慮し、テーブルで山菜天ぷらを噛んで待っていると、その小さな騒ぎに気がついた。食堂の入り口で先生たちがもめている。

 しばらくすると観音扉がばーんと開け放たれた。

「教育課程にない集会は禁止だ! 即刻撤収しろ!」

 怒声を上げて踏み込んできたのは大猿だ。噂をすればというやつだった。そのまま生徒会長と口論が始まり、大猿の手下のふたりは生徒の腕を摑んで無理やり席から立たせはじめた。俺の股間に一撃をくれた雉女と土佐犬みたいな寸胴の男だ。

 土佐犬が生徒を突き飛ばした拍子にグラスが宙を舞い、落ちて砕ける直前に誰かの右手が掬いとめた。

 割り箸を銜えた初花だ。反対の手は鹿ステーキの紙皿を捧げ持っている。

「せっかくのお祝いの日に、ちょっと野暮なんじゃない?」

 土佐犬男は答えず初花の喉笛に手を伸ばした。

 対する初花はつむじ風のようだった。ステーキを垂直に跳ね上げ一呼吸、体たいを開いて小手を捻るや犬は一回転して卓に墜落。一拍後、肉は皿に収まった。猿渡が顔を真っ赤にして怒鳴る。

「教官に手を上げたなおまえぇ! 雉尾、教育だ! 誰が上か叩き込んでやれ!」

「そんな酷いです! 初ちゃんのは正当防衛ですよ!」

「黙っていろこの異常者が!」

 ……まだ言いやがる。代表中隊の選抜責任者じゃなきゃ張っ倒してるところだ。

 にしても、このままじゃ監察に目を付けられて初花の代表入りが絶望的になっちまう。やれやれ、仲裁に入ってやるか、と、腰を浮かした時にはもう手遅れだった。

 初花に忍び寄る雉尾が痙攣して崩れ落ち、清子は警棒のスイッチをちんと弾いた。

 や、殺っちまった……。

 猿渡は突然の反乱に怒りで身を震わせていた。静まり返った食堂を威嚇するように睨みまわし、やがて何かに気づき、一転不気味ににやりと笑った。

「そうだ……警告はしたぞ……。兵主部のり子!」

 意外な指名に一同が戸惑った。そして――

「お前を煽動の罪で退学処分とする!」

 ……は? 

「猶予はひと月だ。その間に転校先を見つけるんだな、異常者」

 監察小隊は食堂から出ていった。ことばの失せた食堂に扉の音は大きく響いた。

 

「徹底抗戦よ!」

 その夜、五彩寮の集会室で私服パジャマ29人を前にして初花が吠えた。

「あのワンコロども、賭け試合で術高から追い出してやるんだから!」

 のりちゃんはあまりのことに実感がわかないのか、ぼーっと袖のフリルをいじっている。

 賭け試合はその大小にかかわらず隊対隊が原則だ。しかも教官に拒否権はない。だから、仕掛ければ51中隊30人vs監察小隊3人という絶好のカードが成立するけど、

「で、でも、賭け試合は乗るか反るか。負けたら逆に僕らが追い出されちゃうよ……」

 みんな気まずげに顔を伏せた。そりゃそうだ。話したこともないクラスメートのために高校生活を賭けろというのは無茶がある。と、がたいのいい迷彩パジャマの男子が手を挙げた。

「その子の退学取り消しを要求するんじゃだめなのか? リスクは小さくて済む」

「ふん。よしんばそれで勝てたとして、あの5大隊嫌いだ。我々のうちからは在学中ひとりも代表中隊に選ばれなくなるだろうな」と中御門が切り捨てた。

 しばしの沈黙ののち、今度は化粧の濃い女の子が、

「……いうてわたしら関係なくね。巻き込まないで欲しいんですけど」

「あぁん!?  51中隊がバカにされてんのよ? 黙ってようっての、この敗北主義者!」

「はあ? なにこいつ、マジうぜーんですけど!」

 こんな話の進め方じゃ決まるものも決まらない。

「落ち着けよ」と、仕方なく口を挟んだ。

「猶予はひと月あるんだ。情報収集しつつ練習して、強くなってからもっかい考えりゃいい。中隊でかかれば30対3、鬼の監察小隊たって楽に勝てるかも知れねえだろ」

 どっちにしろ代表中隊入りしたければ強くならなきゃならないからこの提案はそれなりに受け入れられ、明日から自主練を開始するということで会議は閉じた。

 三々五々、慣れない匂いの寮の廊下を私服パジャマが散っていく。

 俺たちの足は女子階に向かう階段の前で止まった。俺は先立つものの問題で修学旅行童貞だから、こういうときなんと言っていいのか迷ってしまう。

「んじゃ、えーっと……。みんなおやすみ、だよな?」

「ん。おやすみバカジ」

「微妙斎くんもおやすみです。ってまあ、こっちは今夜寝かさないびびびび――」

「ええ、おやすみなさい、バカジくん、微妙斎くん」

「あっはっは、背後霊は寝ないということですかな。では一晩中背後をお守りびびびび――」

「懲りないねえふたりとも。それじゃ、おやすみなさい、いい夢を」

 クラスメートとこんな風に声をかけあうのは初めてで、妙にくすぐったい思いがした。

 

 *

 

『まくら投げだと? 勝手ぇ抜かすな。てめえは家業を継ぐんだ』

 そのとき俺は中一で、姉貴も巻き込んで連日連夜大喧嘩になった。

『てめえがその才能で何しようってのか想像つくが、半ら半尺な今のままじゃ確実に失敗するぜ。これぎりてめえのことは忘れるが掟だけは守れ。家族以外に知られるな』

 そんな絶縁状を残して親父は去った。姉貴が看護学校の寮に入ったころだ。親父の予言は俺の心に重油のごとく染みついたが、俺は信じないことにした。ひとりで借金取りから逃げ、ひとりで学校に通い、術高に入るためにひとりで練習をし続けた。

 ある卑怯な才能に、すべてを賭けて。

 

 前にも言ったが術高はぐるりを森に囲まれている。

 覚えてねえだ? 豆腐の角に頭ぁぶつけて閻魔さまに自分の鈍さを謝ってこい。

 謝ってきたな。よし、進めるぜ。

 立地の理由は高地トレーニングの合宿施設を安く買い請けたからで、斜面を段々に切り開いているのに、てっぺんの駐車場からどんぞこの湖までかなり広い。で、そのうち中腹の校舎から少し下ったところに小体育館はあった。

猛烈な部活勧誘の十字砲火をくぐり抜けて――「安いよ安いよ語学部だよ英中韓露四か国語タダだよーっ!」――やっとの思いでそこに辿りついた、初めての放課後。

 備品の枕を配っているとポニやんを呼びに行っていた女子が駆け込んできた。

「姐御、放課後練習は監督できないって!」

 聞けば、正規課程を超える指導は監察に禁止されてしまったのだという。5大隊の上級生にもコーチを頼みにいったが、監察の機嫌を損ねることを恐れて及び腰だそうだ。

 まあ練習とはいえ、まずはチームビルディングだから今日は問題ないだろうけど。なにせクラスメートの顔と名前も一致しきってないし――

「鉄火鉄火ー、夜麻雀しよーぜ! くまウータンも来るっていうからさ!」

「ちょっと待ったあ、なになに麻雀ですとぉ!? 翔っちよぉ、この緋牡丹博徒沖ひかりを忘れてもらっちゃ困るねえ! 悪いけど鍛冶、あんたの席はわたしが貰い受けたから!」

「ってかてっくん聞いてんな聞いてんな! うちらポジション同じでしかも名前が夏美と!」

「冬美なんだ。びっくりだよね~。運命? 運命っしょ?」

「かじかじ……ゆうべダンディだった…………ね……きゃんち」

「あきさみよー。って、あんれ、どーしたの鍛冶、膝ついちゃって。ひーじー?」

チ、チームスポーツだからかな、はは、ほら俺、ひとりで鍛えてきた変わり種だし……。

「声出してくわよ! はい、じゅっこー!」

 そんな劣等感も体を動かしだすとたちまち吹っ飛んだ。準備体操の掛け声に従って黄色い円が整然と動く。術高では制服パジャマをそのまま競技ユニフォームに使うから、すぐに動き始められるのだ。

 それからしばらく練習が続き、あっという間に時間が過ぎた。乱取り、フォーメーション、小隊対抗6人制試合シツクスス、と初日にしてはよく動いたほうだ。

 使った枕をピラミッド状に整えて出口に向かうと、なんだかやたら混み合っていた。人だかりから垣間見えるのは赤ストライプの集団で、どうやら中等部でのりちゃんが所属していた11中のようだ。その証拠にのりちゃんは賑やかに旧交を温めている。

「りっちゃ―――――――ん! 揉ーまーせーてぇーっ!」

「ぎゃああ! ヘルプ! ヘルプミー!」

 ひと晩寝て元気が出たようだ。よかったよかった。

 人垣を掻き分けて黒パジャマが現れた。長い首に湿布を貼っている。雉尾だ。

「あぁら、51中じゃなぁい? ここはプールじゃないのよぉ?」

「は? どういう意味よ?」と初花が不穏に睨み返す。

「足掻くんなら余所でおやりってことよん。うちはおたくと違って忙しぃいの。来月の選考会でベンチ入りできるかもな子がいるしねぇん。お帽子組はぁ、おんもでお遊戯でも――」

 ――――――ヴ―――んっ、じじっ、じじじっ。

 聞き覚えのある電子音に怪訝そうに雉尾が見やった先には、これ見よがしに警棒を天に突き上げて、なぜか反対の手にリーダーの教科書を開いた清子が立っていた。

「で、電撃娘! いい威嚇のつもりかしらん!? ふん! げげげ厳罰を科すわよぉ!」

「雉も鳴かずば撃たれまい、といいたいところだけど。ちがうわ。これは――」

「あ、あぁら、どう言い逃れするつもりかしらぁ!? 見ものだわぁ!」

「――これは、自由の女神よ」

 みんな最後の耳掃除から何日経ったか指折り数えた。

「突然自由の女神のものまねがしたくなっただけよ。それともなに、校内では自由の女神してはいけないと国会で青島幸男が決めたのかしら?」

 そんな法律があったなら西から上ったお日様が東に沈んでしまうだろう。

 おちょくられたことに気づいて雉尾は顔を真っ赤に染め上げた。

「ば、バカにして! いいわ、実力の差を見せてあげる! お前たち、や~っておしまい!」

『……あ……あらほら、さっさー……』

 引きつり笑いの11中が敬礼して、はじめての練習試合が幕を開けた。

 

 *

 

 審判を務める教官が判定システムの動作チェックを済ませてホイッスルを鳴らした。

「これより練習試合を行います。ブリーフィングタイムは開戦までの10分です。両中隊はただちに装備を整え作戦会議を開始してください。それでは――中隊わかれ!」

『わかれます! やあ―――っ!』

 60人が鬨の声をあげながら二手に分かれて舞台袖に駆け込んでいく。俺も倉庫で共用備品から装備一式をひっつかみ「作戦室1」と書かれた扉に突進する。

 戦闘準備から、まくら投げは始まっているのだ。

 狭い部屋でポジションごとに制服の上に装備を加える。

 俺と初花は接近戦の前衛だ。ヘッドギアに胸当てと脛当てで、格闘家といった風情。

 清子と中御門はボーリンググローブみたいなサポーターで腕を固めている。中衛の装備だ。遠距離投擲の負担から手首を保護するためで、あとは左肩の予備弾倉が目立つ。

 いちばん身軽なのが美妙やのりちゃんの後衛。二本の長い尻尾を垂らしていて、これを競技枕のタックに通し一度に大量の枕たまを運ぶ。味方に弾薬を分配するのが彼らの仕事だ。

 枕には種類ごとに攻撃力が設定されていて、各競技者はライフにあたるベッドポイント(BP)が0になった時点で戦死ベツドダウン=退場となる。一方のチームが全滅するか、どちらかが敵陣最奥の旗を自陣本営まで運びきったらゲームセットだ。シンプルだろ?

まっさきに装備を整え終えた初花がさっそくホワイトボードを背にして喝を入れはじめた。このクラスで戦う初めての試合にみんなの気持ちが高ぶっていく。俺は競技ゴーグルを阿弥陀に掛けて両手で一発頬を張った。

 そんじゃ、いっちょう動きますか!

 

『パンプキンスープにしてやんよおぉっ、このかぼちゃ野郎っ!』

『何をーっ! うらなりトマトのカンプラチンキのアンポンタンがあああっ』

 敷布団の大海を白い弾雨が乱れ舞う。

 二回目の突撃もぽしゃった。開戦ベツドインから15分、現在3度目の膠着状態。

枕を積み上げた掩体に重たい何かがボスンとぶつかり、危うくシェルターが吹っ飛びかける。豆を流すような独特の音で三種そばがら枕だと知れた。

 俺と背中合わせに身を縮こめた初花が呻く。

「こりゃ参ったわね、バカジ」

 コートの敵側では尻すぼみに掩体が配されている。

 無地の赤旗が立つ最奥に向かって徐々に兵力の口を閉じていく、盃型の布陣だった。

 つまり、攻撃を仕掛ける度に包囲されてしまうのだ。

「けど敵さんもどういうつもりかわからんぜ。ただの平野セットならあのまま前進してこっちを囲むってのもありだけどよ、橋はどうするつもりなんだろうな?」

 長方形のコートには両の陣地を隔てるように大河が走り、2本の橋が架かっている。川といっても布団の色が違うだけ、橋といってもマットレスが渡してあるだけなんだけど、ともかく今回の戦場はそういう設定なのだ。

 競技まくら投げのコートは試合や大会ごとにデザインが変わる。

 主催者の創意工夫によるこの仕掛けは、できるだけリアルな枕「合戦」をお膳立てしたいからだそうだ。たとえば薄青の一帯、「河川」は飛び越し禁止で、踏んだらドボンの溺死判定をちょうだいする。これは2秒で戦死ベツドダウン判定の場外ルールよりも厳しい。

 まくら投げとは想像力が試されるスポーツなのだ。

 枕たまの補給担当に控えている美妙が俺の疑問に答えた。

「あまり枕を飛ばしてこないから、たぶん、渡河に備えて機を窺っているんだと思うよ」

 ふむ。俺たちの補給の切れ間を待っているわけか。

「なるへそよ」と初花が頷く。

「ならその待ちの姿勢を逆手にとるわ。いい、合図で中間防衛線まで後退、わざと砲撃ペースを落とすの。本体をこっち岸に誘き出して一気にぺしゃんこにしてやるんだから」

「悪くねえ作戦だけどよ、となると問題はあのデカブツだぜ」

 ちらっと敵陣の奥を見やる。

 陣地深くに、いまも掩体から巨躯の肩が盛り上がって見えた。開戦からこっち正確無比な遠距離砲撃で我が方の補給線に打撃を与え続けている敵キャプテンの大山だ。のりちゃんによると気は優しくて力持ちタイプの中衛らしいが、その膂力は並大抵のものじゃない。

 白兵戦に持ち込むにしても、あの人間砲台を野放しにしておくのはリスキーすぎる。

 初花はしばらく悩ましげに爪を噛んで考えこんでいたが、やがて、

「そこは気合いよ!」

 牙を見せて凶暴に嗤った。

 しばらく弾雨をやり過ごし、初花の合図で俺は清子が控える左翼の掩体に駆け込んだ。

「急いで補給するのよバカジくん! ここからがヤマだから!」

 すっかり息の上がった清子がセットの崩れた髪から汗を散らして叫ぶ。

「初ちゃんを掩護するです! 枕たまは撃ちすぎないよう気をつけてください!」

 耳元にはいま駆け込んできたばかりののりちゃんの熱っぽい息。

 飛んできた敵弾を拾って自軍のものにできるのは後衛だけで、目立たない割りに走りっぱなしで地味にキツい。しかもそういう打ち損じは当たり判定が残っており、放っておくと地雷原化するから、後衛部隊はその処理という重要任務も帯びていることになる。

 返事をする暇もなく、また二本の尾っぽを翻してのりちゃんは弾拾いに走る。

「早くっ! もう初花ちゃんが動くわ!」

「おう!」

 俺が弾帯に6発補充し終えると同時に、初花がこっちを向いて飛び出した。目指すは10m後退した中御門の掩体だ。

俺と清子は援護しようと、軽くて連射の利く甲一種うもう枕を振りかぶる。

 その時、視界の端にあの大男が映り込んだ。

焦点が甲三種そばがら枕を握ったその手元に吸い寄せられる。

 時すでに遅しだ。俺の右手はもう投擲モーションの半ばまでを描いている。それに床に積み上げた弾薬はどれも甲一種うもう、質量が違いすぎて豪速の重量弾が相手では簡単に跳ね飛ばされてしまう。焦って判断が遅れる。初花と大男の間で視線が小刻みに痙攣する。

 震える視界が、それを捉えた。

 逆サイド、すっくと構え立つ彫刻。

 青年ダビデは均整のとれた肢体を豹のようにしならせて、甲二種ウレタン枕を投擲した。

 ひうう。

 巨人ゴリアテの放った大岩が滑るように川を飛越する。それに向かって一直線に、ドライブ回転を帯びて飛びかかるダビデの飛礫つぶて。

 一瞬後、中御門の弾丸は寸分狂わず大岩の腹を噛んだ。ひしゃげて叩き落とされた白い殺意がフィールドに突き刺ささる。ぱたりと砲撃が止み、静寂が舞い降りた。

 なんのつもりか、首を傾げて中御門が静かに告げた。

「いい腕だ。だが、妙な感触がしたぞ。君は何かを恐れているようだ」

 目も眩むような大金持ちの家に育ったという。

 ゆうべ聞いた話だ。幼いころに親が最高級の寝具を惜しみなく買い与えたせいで物心ついたときには人並み外れた触覚を有していた。以来、青天井の小遣いにあかせた寝道楽の果ての果て、寝具を知り尽くした中御門の敏感肌は触れたものの運動特性を正確に把握し、まくら投げでは、その能力が針をも通すコントロールとなる。

 ……手触りの嫌いなそばがら枕だけはじんましんが出るから触りたくないらしいが。

 大男が低い声で答えた。

「驚いたな。ああ、その通りだ。負ければ罰則だと雉尾に脅されている」

「ふん。脅されてやるまくら投げは楽しいかね?」

「退屈だな。まったくもって。だからこそ、悪いが、勝たせてもらう」

「諦めているな、この試合は退屈だと。諦めている君では僕の枕を落とすことはできまいよ」

「ほう、ずいぶんな自信だな。なら、試してみるか?」

 にやりと笑い、岩壁のような巨体が敵陣中央に進み出た。左肩には甲三種そばがら枕が3発鈴なりに下がっていて、まるで武者鎧の小こ札ざね板のようだ。

 静かな気迫が徐々に潮位を上げていく。ダビデが静かに名乗った。

「515小隊、中衛、実家は資産家、中御門経」

「11中隊『屹立する獅子隊ステータンツ』隊長、中衛、大山精肉店が長男吉達。『泣き(コリツク)』のひとつは持ってるだろうな、細腕」

「ご心配痛み入るよ。無論さ」

 泣き(コリツク)。まくら投げ特有のシステムだ。

 枕の攻撃力は、最大威力の三種そばがら枕でも一撃3点で、ベッドポイント(BP)が20を超える前衛の存在を考えるととても十分とはいえない。そこで適用される特殊ルールが「泣き(コリツク)」だ。

 事前に申告した技名を「泣いて(コリツク)」宣言してから申告どおりの手順が踏まれれば、その時点での枕の攻撃力が5倍される。攻撃の意図が敵に知られてしまうものの、頭数の減っている試合終盤ともなると重要な戦術のひとつになる。

 いわば必殺技だ。1試合でひとり2回まで使用が許されている。

 中衛選手の初期BPは10。中御門の肩に装填してある甲二種ウレタン枕は通常点が2点なので、泣き(コリツク)が命中すれば一撃必殺の効果を持つ。

 大山が左肩に手を伸ばした。

「挽肉50,000グラム、お持ち帰りの用意は、できてるか」

「勝利の女神レデイと寝具デュヴェは繊細だ。心を砕いて接さなければ微笑んではくれまいよ」

 中御門も身を屈め、肩の二種枕に触れるか触れないかに手のひらを浮かした。

 呼吸が凪ぎ、静寂しじまが舞う。そして――。

 先手をとったのは大山だった。

 電光石火で肩の甲三種そばがら枕が投擲され、砲弾は一直線に中御門に向かって馳せる。

 泣いて(コリツク)いない。ノーモーションからの奇襲攻撃だ。

 中御門は即応して右手を腰まで滑らせた。甲一種うもう枕を3発いっしょくたに引っ摑み、弾幕を張ると同時に川に向かって彼我30mの距離を詰め迫る。大山は2発目を摑み取っている。中御門も甲二種ウレタン枕のボディを握りこむ。

 雷鳴のごとくゴリアテが泣いた(コリツク)。

「筋切剣山ジヤカード・ナイフ!」

 ピボットターンの遠心力を利用して枕の散弾を射出する。右手で肩から三種を2発、左手で腰の一種を3発。さらにもう1回転して空いたばかりの右手で残りの3発。直撃コースでふたつの重弾頭が中御門に肉迫し、6発の薙ち射しやが後を追う。攻防一体の曲芸だ。

邀撃する中御門は迫りくる砲弾を見据え、

「デュヴェ・シングル!」

 槍投げのごとく、甲二種ウレタン枕を刺すように投げた。

 ただ一直線に投げるだけ。

 甲二種ウレタン枕は無回転で飛び、投影面積のもっとも小さな側面を頭に、大山の放った弾雨の間隙を摺りぬける。大山はまだターンの勢いを殺しきれていない。弾幕に防御を任せた無防備な胸板に必殺のジャベリンは迷いもせずに飛んでゆき――突き立った。

 ホイッスルが2度吹き鳴らされる。

「……諦めは人をのろまにする」

 8発計60点分の枕を受けて転がっていた中御門は、ゆっくりと身を起こした。

「二種枕は剛性が高く、回転することで扁平な飛翔体になって軌道が安定する。それが君の正確な遠投の秘密だ。そして安定した弾道の間隙を刺し通すぐらい僕にはさほど難しくない。『君に勝つ』なんて僕は一言も言わなかったはずだ。……次は全力で手合わせ願おう」

 英雄は語りながら悠々と歩み――布団を――降りた。

 大山は天を仰ぎ、やがて、笑いだした。信じられないほど精密なコントロールを目の当たりにして挑戦心をくすぐられたのか、そのままどっかと大の字に倒れ込む。

 歴戦の11中はそうして戦場にできた虚を見逃さなかった。

 流水が岩に割られるように大山を避けて橋に殺到してくる。数は一見して20を超え、主力部隊だとすぐにわかった。

「来るわよ! 総員、対まくら戦闘用意!」

 前線と、

「撃ちぃ方――」

 前線が、

「――――始めぇっ!」

 衝突した。

 切り込んできた女子を滅多打ち。ひとりをやっつけてすぐその次にとりかかる。こう乱戦になっちゃ誤射が怖くて迂闊に泣けないが戦力は互角、勝ちの目はある。

 なんて思っていたら、敵の後詰が勢いこんで大喝一声。

『一年間便所掃除の刑を思い出せ! うんこ臭くなるぞ――っ!』

 うわあ、そんな罰で脅されてたのか。そりゃ勘弁だわ。

 この叱咤で敵部隊は勢いを増した。鬨の声を上げて一気呵成に襲いかかってくる。

『リメンバー・うんこー!』

 目を血走らせて打ちかかってきた敵の攻撃を枕でさばきながら、鬼気迫る攻勢に、一歩また一歩と後退せざるをえない。まずい、ほとんどの戦力を川のこっちにおびき出せたのに、このままじゃそれがあだになって逆に押し切られるぞ。

 なんとかまた一人を討ち取ったとき、どうやったのか、耳元で囁かれるように声がした。

 

(いまなら敵の懐はガラ空きだぞ、鍛冶鉄火君)

 

 一瞬見回す。誰もいない。頭の中に直接響くような声だ。いったいどうやって……。

 いや、それどころじゃねえ。そうだ、敵はほとんどが川のこちら側にいる。ってことは――

(なにをしている。さあ、君の切り札を見せておくれ、向う見ずの無鉄砲君)

 押し潰すように右目を瞑り、弾くように瞼を切るや、空間に蚕糸のグリッドが刻まれた。

 天目一箇アメノマヒトツ、と俺の一族はその才能を呼んでいる。

 超常現象でもなければ伝説でもない。鍛冶家に代々遺伝する、そう、職業病だ。

 幼いころ、一緒に町を歩いていると、ふとした拍子に、親父は俺の右目を覆って訊いた。

 ――あの信号まで何歩かわかるか、鉄火?

 俺はそれを親父考案のささやかなゲームだと思っていた。結果はいつも外れ。そりゃそうだ。人間は左右の視差で距離を測る。片目じゃ遠近感はない。

 だが、親父がごつごつした手を左目に覆い被せて同じゲームをすると、俺はいつだってものの長さを不思議なまでに正確に言い当てることができた。

 手に右利き左利きがあるように目にも利き目がある。その利き目が異様に鋭いというのが、鍛冶を生業としてきた我が家の遺伝体質だ。熱風渦巻く鍛冶場で鋼の形を正確に把握し精妙巧緻な鍛造を可能にする強靭な目が年月をかけて血統に織り込まれていったらしい。ご先祖さまはずいぶんでかい法螺を吹いたようで、鍛冶を司る天目一箇神の子孫だとか伝えられている。

 重要なのは、この目がまくら投げで絶対の防具になるということだ。襲いくる枕を紙一重で躱すなんて芸当が、やろうと思えばできてしまう。

 ……遺伝に頼るのって、ちょっと後ろ暗いんだけどな。

 まあ、人生賭けちまったとある目標のためだ。お天道さまも許してくれるだろうよ。

 その天目一箇アメノマヒトツが告げていた。いまならいける、と。

「ちょ、バカジあんたどこ行……バカ! 勝手な真似は許さねえわよ! 待ちなさい!」

 スタートを切った。

 敵中を駆け抜けマットレスの橋を渡る。足元に着弾。二度の突撃の経験が活きた。身を捩って狙撃を躱す。掩体の配置、地雷の位置は覚えている。こめかみから2cmを敵枕が過る。迅雷の勢いで敵旗に到達、旗の護衛部隊は初期BP5の後衛だけでかんたんに片付いた。赤旗の竿を摑み、すかさず振り返る。退路は荒れ狂う雹嵐。横殴りだ。

 なんとか後ろをついてきた初花が枕で額の汗をぬぐう。

「おったまー……あんたよくこんな曲馬やってのけたわね」

「まあな」

 家族以外に知られてはいけない。それが鍛冶家のルール。

 当然敵も俺たちの侵入に気づいて防御線を構築しようとしていた。けど、のりちゃんの巧みな采配で敵部隊は寸断され、橋はまだ生きている。目を凝らす。いくつもの経路が浮かび上がる。退路は――ある。

「オーライ飛ばすぜ初花ぁ!」

「背中はあたしに任せなさい!」

「おっしゃぁ上等! 突撃いちばーん!」

「安全装置よーし! 弾込めよーし! 連発よーし!」

『前へ! やーっ!』

 

 *

 

 生存者、我が方11名、敵8名。旗の先取により51中隊の勝利で試合は幕を閉じた。

 黄色パジャマたちは円になってマイムマイムで初勝利を祝っていた。踊り狂う円陣の中央で俺と初花は砂漠に沸いた井戸水のごとく崇められている。一方の赤パジャマたちはこともあろうに便座の形に寄り集まってうなだれていた。いつの間にか忍び寄ったのりちゃんが、

「……せ ん り ひ ん ぅひょ――――――っ!」

「ぎゃああこないでぇ! もげる胸もぎとれるーっ! No Borderrr!」

 聖体拝領の儀式を眺めていると誰かが布団を渡ってきた。がっしりした肩にどっしりした眉とへの字口。11中隊長大山吉達だ。中御門に用があるようだったが、踊りにかこつけて清子と手を繋ごうと必死なのを見てとると苦笑して、円陣をくぐって俺の隣に収まった。

「目の覚めるような突撃だった。まるで枕たま筋があらかじめ見えているかのようだったぞ」

 ……よく見てやがるな、代表候補さんはよ。

 そうして肩を並べてしばらく黙り、それからぽつりと訊いてきた。

「のり子はどうなる?」

 そりゃ、気になるか。

「まだわかんね。何とか助けたいとは思ってるけどよ。そっちはどうだ?」

「言い訳に聞こえるだろうが」苦しげに前置きして「3年間の投資は3年間の友情に匹敵する」

「責めねえよ。ましてや担任が監察じゃ逃げ場がねえ。去年も退学者が出てんだろ?」

「そう言われている、というのが正しいな。不思議なことにどこの誰が退学になったのかわからないのだ。都市伝説だとかブラフだとかいう説もあるが真相は霧の中だな」

 へえ、そんなことがあるのか。

 大山は下唇を嚙んで、それから力強い目で俺を見た。

「中隊として、は難しい。だが、俺個人にできることがあったら何でも言ってくれ」

 痺れるね。中隊長の責任と友人の義理の両方から逃げない、男のまっすぐな目だ。

 しかしにやりと笑った俺のハードボイルドな返答は、あられもない嬌声にかき消され、

「おひょ―っ! ギーちゃん春休みでまた成長しましたね―っ! うっひょ――っ!」

 ぷっとふたり同時に吹き出した。

 

 雉尾の姿が見当たらないと思っていたら、体育館からの帰り道で猿渡と連れ立って南へ下っていくのを見かけた。気になって後をつけると、ふたりはやがて森に入っていった。

 6人一列でついていく。踏み出すごとに土の匂いが甘く香った。鳥の歌、風の音、葉擦れの波が侵入者の存在を噂しあって、森の中は案外騒々しい。

 やがて行く手に窪地が見えた。木の間通しに人影がちらつき、猿渡の声が漏れ聞こえた。

「第九委員会というものに聞き覚えはあるか?」

「第九、ですか? 委員会は全部で8つだったかと……」

「戌井に焼き場連中からタレこみがあったらしい。探れ」

「直ちに調査を始めます。また『バイトのオバちゃん』対策ですが――どうされました?」

「……西の囀りが戻らんな」

 猿渡が目を細める瞬間、限界まで身を伏せた。するととなりで、のりちゃんが親指と人差し指で作った輪を口に含んで、かすれた音を鋭く数度吹き鳴らした。

「鹿のようですが」

「鹿を恐れて鳥が飛ぶか。気に入らん。場所を移すぞ、ついてこい」

 猿渡は雉尾を連れて山奥に駆けだした。後を追ったが、巨躯からは想像できないほど足が速く、後姿が木々に隠れた拍子に見失ってしまった。やがて巨岩がごろごろしている川辺に行きあたったが――おいおいマジかよ――ふたりは影も形もなく消え失せていた。

 りんりん、りんりん。

 どこからか鈴の音が届く。

 音の源はすぐに見つかった。向こう岸で誰かが林へ分け入ろうとしている。オレンジ髪にオレンジパジャマ。展示試合で活躍したあの先輩だ。パジャマの上に登山装備はかなりシュール。

「こんなところでいったい何を?」

 中御門のひとりごとに弾かれたように振り返った。中性的な顔に浮かぶのは恐怖ともとれる表情で、しばし時が止まり、鋭く身を翻すと風のように森の中に消えていった。

「はれま。ド派手な髪の毛によらず恥ずかしがり屋さんなのですよ。……それにしてもあんな先輩中等部にいたですかね。鹿さんなみのシャイ逃げだったですが」

 清子が辺りを見回した。

「この山、鹿がいるのね」

「動物たくさんなのです。『バイトのオバちゃん』っていう恐ろしい妖怪もいるらしいですよ」

 熊は滅多に見ないと聞いた清子は、中御門をちらっと見て残念そうな顔をした。

「散歩……遭遇……『清子さんここは任せて!』……あと少しで完全犯罪だったのに」

 ……冗談じゃないから怖い。 

 

 

 

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