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真・恋姫†無双 異伝 ~最後の選択者~ 第三十四話(一)

Jack Tlamさん

第四章、最後の戦闘……大変長らくお待たせ致しました。

本文だけで驚愕の約150KB。大ボリュームなので分割投稿になります。

では、どうぞ。  ※アンチ展開・残酷描写有

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2014-11-14 06:10:01 投稿 / 全9ページ    総閲覧数:7199   閲覧ユーザー数:5062

第三十四話、『輝ける意志、天に至りて』

 

 

――悠久の時を越えし賢王と、歩み出したばかりの仁王。敵として対峙し、その想いをぶつけ合うには早過ぎたのかもしれない。

 

しかし、それは避け得ない事象だったのだ。二人の違いは、あまりにも決定的で、あまりにも対立的だったのだから。

 

まるで形の見えない茫洋たる理想は、醜悪なる闇を生み出す。唯一つの目的を持つ確固たる意志は、如何な闇も滅する光となる。

 

己が為すべきことを再認識した一刀と朱里は、断固たる決意と共に己に課した使命を果たすため、遂に新たなる段階へと至る。

 

悠久なる輪廻を経て研ぎ澄まされた意志と力。それは命の力を識るが故に。超越の咆哮とともに、無限の力が覚醒を遂げる――

 

 

 

□虎牢関戦・劉備軍

 

「――ご、ご主人様っ!?」

 

突如として大量の鮮血を吐き出した一刀に、劉備はすぐさま駆け寄ろうとした。恋愛経験の無い劉備が初めて懸想した相手なのだ、

 

その強い想いは歪んでいるとはいっても紛れも無く本物であり、そうであればそうして駆け寄ろうとするのも当然のことであった。

 

だが劉備は一刀と朱里から放たれているのであろう、何らかの力によって接近を阻まれてしまった。

 

そして数瞬の沈黙の後、一刀達は突如として咆哮を放つ。その時、二人を包んでいた光が爆裂し、一番近くにいた劉備達は強烈な

 

衝撃波をもろに受け、かなりの距離を吹き飛ばされる。他にも多数の人間が巻き込まれ、曹・孫両軍も被害を受けた。

 

「桃香様っ!ご無事ですかっ!?」

 

咄嗟に劉備を庇った関羽のおかげで、吹き飛ばされてもどうにか地面に叩きつけられず、劉備は負傷せずに済んだ。巻き込まれた

 

者達も大して負傷はしていないようだったが、目の前の光景に恐怖しているのか、行動を起こす様子が無い。

 

「あ、愛紗ちゃんっ!ご、ご主人様は、ご主人様はどうしちゃったのっ!?」

 

「わかりません……一体何が……!」

 

焦燥のあまり喘ぐように関羽に事態の説明を求める劉備。しかし関羽にもこの事態の説明が出来るだけの準備は無い。両名はただ

 

目の前の光景が理解出来ず、混乱するばかりであった。

 

一方の張飛は、関羽に殴り飛ばされた後、一刀達と劉備達の言葉の応酬を見守っていた。一刀達が喀血した時は張飛もまた二人に

 

駆け寄りたくなったが、そこで彼女の勘が働き、咄嗟に近くにいた孔明を抱え、兵に指示を飛ばしてから後方へと走ったのである。

 

そのため、衝撃波が生じるよりも数瞬早く、同じく後方に退避していた鳳統達と合流することが出来た。衝撃波から二人の軍師を

 

庇い、兵にも指示して懸命に耐える。衝撃波をやり過ごした後、趙雲は張飛に怒鳴るように訊ねた。

 

「鈴々っ!一体何が起きた!?」

 

「ごめん、わかんないのだ!星、話は聞こえてた!?」

 

「大体はな!だが、この事態を説明するには不十分だ……!」

 

趙雲は歯噛みする。全て聞こえたわけではないが、聞こえた話だけでも総合すれば「常識的思考で理解出来る範疇の理由」として

 

十分な説明をするだけの材料になる。だが、「その範疇外の理由」について説明するには、あまりにも不十分である。当然ながら、

 

それはあのやり取りから推し量れるようなものではない。見識の広い趙雲でも、流石に常識の範疇外にまでは思考が至らなかった。

 

張飛と趙雲がやり取りをしているのを横目に、鳳統は半ば崩れ落ちかけている孔明に駆け寄り、支える。

 

「朱里ちゃんっ……!」

 

「あ……ああ……!なんて……私たちは、なんてことを……っ!」

 

孔明は半ば錯乱していた。他者の感情に敏感な鳳統は、焦点が定まらずどこか虚ろな孔明の表情の裏にある感情をすぐに見破った。

 

焦燥、銷魂、そして悔恨。がたがたと躰を震わせる孔明の目は鳳統の姿を捉えることも出来ず、また血色も非常に悪かった。

 

「朱里ちゃん!朱里ちゃんってば!」

 

「……私たちは、見離されちゃったんだ……!自分勝手だったから……よく考えもしなかったから……っ!」

 

「……」

 

心配して呼びかける鳳統に応えず、さらに錯乱する孔明に、鳳統はそれ以上何も言うことが出来なかった。その表情に動揺などは

 

無く、静かに眼前の友人を見つめる。その瞳に揺らめく光は、ようやく気付いてもらえて安堵しているのか、それとも気付いたが

 

故の孔明の苦悩を憐れんでいるのか。いずれにしても、鳳統は孔明が何故動揺しているのかを理解していた。

 

「ひ、雛里ちゃんっ!」

 

「……何かな?」

 

「と、止めなきゃ。桃香様たちを止めなきゃ!このままじゃ……このままじゃ、お二人はっ!」

 

「……」

 

孔明はがたがたと震えながらも、鳳統にどうにかそれだけ伝えようとする。しかし、鳳統の表情は恐ろしいほどに凪いでいた。

 

「……雛里、ちゃん?」

 

「……もう手遅れなんだよ、朱里ちゃん。取り返しのつかないことを、桃香様達はやってしまったから。今からずっと前にね……」

 

「えっ……!?」

 

困惑する孔明から目を離し、鳳統は未だ激しい光に包まれている一刀達の方を見やる。その時点で孔明は気付いた。それは最悪の

 

解答。得てはならなかった解答。涙に濡れていながらも、殆ど感情の見えない鳳統の横顔に、孔明は全てを悟ってしまう。

 

「し、知ってたの……?雛里ちゃんは、全部知ってたのっ!?」

 

「……私は、お二人を信じているだけ。それだけだよ」

 

「っ!?」

 

決して、孔明の得た解答を肯定したわけではない。だが、孔明にはそうとしか思えなかった。鳳統は最初から何もかも知っていて、

 

それを自分達には伝えず、弱き民を救うという使命感に燃え、大切な人達を董卓から取り戻さなければという焦燥に駆られていた

 

自分達を、ずっと冷ややかな目で見ていたのではないかと。

 

だが、それで鳳統を責めることは出来ない。知ろうとしなかったのも、信じようとしなかったのも孔明達なのだから。鳳統は都度

 

孔明達に警告を送ってきていた。次々と襲い掛かってくる過酷な現実に目が曇り、耳が塞がった孔明達が気付けなかっただけだ。

 

「あ、ああ……っ!」

 

しかし、気付いたところで何になっただろうか――孔明はそう自問する。例え孔明が鳳統からの警告を素直に受け取ったとしても、

 

劉備達の暴走は止められなかったであろう。先の軍議の途中から変化した劉備の言動が、今こそ恐ろしい意味を持って想起される。

 

そう、劉備は――

 

「ああああああっ……!」

 

それだけの思考を数瞬の間に終え、結論を得ても、孔明の躰の震えは止まるどころか余計に酷くなっていく。そして、その原因を

 

生み出した劉備達は、未だ最前列で強大な光の炎を前にして、極まった筈の焦燥を、さらに色濃くその顔に浮かべていた。

 

「くっ……!一体、何だと言うのだ!何が起こっているっ!?」

 

「ご主人様っ!ご主人様ぁぁあああっ!!」

 

時間とともに混乱を深める関羽と、己が慕う相手に向かって叫ぶばかりの劉備。その様は悲痛。しかし、その悲痛は醜悪。それに

 

二人が気付くことは無い。既に己すら見失いかけているが故に。その目を焼く眩い光は、どこか暗闇にも似ていた。

 

そんな二人の耳に、一刀の声が届く――。

 

「――その手に剣を取り、そしてここまで来たのなら、既に倒される覚悟は出来ているだろう!事ここに至り、その意地と野望を

 

 貫くことが民のためとなると、戦いに来たのなら!その覚悟に敬意を表し、今こそ我らも力を示そう!我らが真の力をな!」

 

天にも届かんばかりの勢いで燃え続ける光の中から響く声。それはこの嵐の中でもはっきりと聞こえ、戦場に立つ者達に遍く届き、

 

その意味を否応無く理解させる。たったの二人で曹操・孫策両軍の六万もの戦力、そしてそれを率いる大陸屈指の武将・智将達を

 

前にして尚も圧倒的だった一刀と朱里が、その時ですら全く本気でなどなかったということ。

 

凡百の徒がそう言えど、只の典型的な負け台詞。しかし既に示された、並ぶ者無き『御遣い』の力。それがその言の裏付けとなり、

 

決して揺るがぬ説得力を、そしてこの上ない恐怖と絶望を与える。精鋭六万を以て打ち破れず、大陸屈指の将達を容易く凌駕する

 

その力。圧倒的――その表現でさえ既に冒涜。武を極めた達人を超え、人ならざる超人をも超越したその先に在る力。彼らの力を、

 

最も簡潔、かつ的確に表す言葉は唯一つ――

 

 

 

――『絶望的』。

 

 

 

「「我らが名は『天の御遣い』!邪なるもの盡く斷ち、魔なるもの遍く殲す者!戦場(いくさば)に立つ者達よ、我らが力を心魂に刻め!!」」

 

立ち向かうこと既に禁忌。挑みかかるは只の愚行。今こそ示されるその力、其は極限まで研ぎ澄まされた、決して折れぬ意志の形。

 

匹敵する強き意志を持たねば、対峙すること決して能わず。反董卓連合軍の醜行、その代償が今、最悪の形で与えられる――。

 

 

□反董卓連合軍・公孫賛軍本陣

 

――戦場からやや離れた場所に陣取っていた公孫賛軍の面々は、常識では有り得ない光景に愕然としていた。

 

「これは……!こんなことが、ありえるというのか……!?」

 

その中心に立つ公孫賛は、思わず脱力しそうになる両脚にどうにか力を込めながら、一心に戦場を見つめていた。天を覆う黒い雲、

 

間断無き落雷、轟々たる暴風。そして戦場の中心――おそらくは一刀と朱里から放たれている、燦爛たる光の炎。それはあまりに

 

激しく燃え盛り、炎が膨大な熱を放つのと同じように、異様なまでの波導を放出していた。

 

「なん、て、強い波導……!震えが、止まら、ない……!」

 

「ぐうぅっ……駄目だ!躰が……思うように動かない!」

 

公孫越が槍を杖代わりにすれば、その傍らでは田豫が片膝をついて耐える。簡雍は錫杖で自分を支え、諸葛均も剣を鞘ごと地面に

 

突き立てて重圧に抗う。程昱はといえば、耐え切れずに座り込んでしまっている。

 

「なんて、凄まじい力ですの……!何がお二人に、ここまでの力を、与えているんですの……!?」

 

「現実とは、往々にして、想像の上を行く……でも、こんなことが現実に起こり得る、と言うの……!?」

 

「……お兄、さん……朱里ちゃん……風達は、お二人の覚悟、を、見縊り過ぎていたのですね……」

 

それでも、その場にいる全員が戦場に目を向け、そこから目を離さない。あの戦いを見届けるために。互いに何の利益も無い戦い。

 

しかしながら、今後に重大な影響を齎すであろう戦いである。それを見逃してはならない。皆がそう思い、必死に戦場へと視線を

 

向ける。それが彼らについていくことを誓った自分達が今出来ることの精一杯であると、そう信じて。

 

「圧倒的な戦力差を意にも介さないほどの、力……最早、これは人の領域に在る力ではない……!」

 

「お姉様……」

 

「これが、一刀達の覚悟の形だというのか……これが、二つの世界を救わんとする者達の力だと……意志だというのかっ!?」

 

公孫賛の口から迸った言葉は、問いではなかった。それは、目の前の現実を受け入れるために必要な、感情のせめぎあいであった。

 

血が滲みそうになるほどにきつく拳を握りしめ、唇をわなわなと震わせる姉を見て、公孫越は姉の傍にそっと寄り添う。彼女には

 

理解出来ていた。姉が何を感じているのかを。だからこそ、いつものように傍に寄り添いながらも、何も声を掛けられなかった。

 

「私は……見誤っていた。あいつらが何を見て、何を感じてきたか……それを、何も知らないわけではなかったのに!」

 

この面々の中では一刀達を最もよく知るのは公孫賛である。だからこそ、彼女は悔しさを感じずにはいられなかった。あの二人が

 

他の何を犠牲にしてでも、多くの命のために戦ってきたことを知っている。それは『前回の外史』でも同じだった――公孫賛には

 

わかっていた。あの時の出来事が、今でも二人の心に暗い影を落としていることを。

 

(輪廻に心を磨り減らされ、その果てに尚も心を磨り減らし……それでも戦い続け、前へと進み続けたが故の覚悟と力、か!)

 

彼女には痛いほどに理解出来る。太守として涿郡の治政を任されるまでにどれほどの苦労があったか。この腐った世の中、欺瞞や

 

背信など日常茶飯事である。その中で公孫賛は地位を獲得し、ここまで伸し上がった。数奇な運命に翻弄され続けてきた二人とは

 

比べるべくも無いが、どこか似ている。だからこそ理解出来る――ふと重圧が薄れた時、公孫賛は誰とも無しに呟く。

 

「……我々は、見届けなければならない……真なる『超越者』の誕生を……そして全てが動き出す。二度と戻れぬ方向に……!」

 

そして悟る――今度こそ、全てが戻れぬ方向に動き始めたことを。

 

「それは誰のせいでもない。ただ、幾つもの要素が、偶然最悪の瞬間に絡み合ってしまっただけ。でも、これが契機になる」

 

「うん……きっと、この乱世の様相は一気に変わっていく。ここから始まるんだ……あたし達も、改めて覚悟を決めないとね」

 

少女達は知る。今この時こそが、乱世の節目になるのだと。激動する時代の中の、ほんの一瞬。しかし極めて重要な一瞬なのだと。

 

「わたし達も、それぞれに覚悟を決めなければなりませんのね。運命に挑み続ける覚悟を……」

 

「お兄さん達が風達に求めた唯一のこと……同じ道を歩もうと、違う道を歩もうと、誰もが持つべき『命の誇り』……」

 

少女達は理解する。かの者達が自分達に求めた唯一のことを。目を背けず、歩み、挑み続けることが、命あるものの誇りなのだと。

 

「今迄も、これからも。生きるが故に抗い、戦い続ける……そこに、善も悪も無い……強い意志を持つ者だけが、勝利する……」

 

「ああ、そうだ……そうだな、水蓮。力とは、それを使う心に宿るもの。折れない意志は、即ち折れない剣となる……!」

 

対話を為したが故の理解。それはごく当然のこと。しかし、対話するにも覚悟がいる。対話とは、苦しみを生むものであるからだ。

 

その困難を敢えて為さねば互いを理解することなど出来はしない。だが、それ以上に簡単な方法が無いのもまた事実である――。

 

「……一刀、朱里。力で解決出来ることなど、本来何もありはしない。そんな『力』は、いずれより大きな力に敗北する。それが

 

 世の摂理なんだろう。それをよく知るお前達に『剣を抜かせた』ことの意味……出来ることなら、知りたくなど無かった……!」

 

戦場から目を背けず、懸命に視線を向け続ける公孫賛の握り拳から、数滴の血が滴り落ちた。

 

 

 

□反董卓連合軍・袁紹軍陣地

 

――袁紹軍の陣地で、義務感から天幕の外に出ていた袁紹達は、力無く戦場を見つめる他には何も出来ずにいた。

 

「なぁ斗詩……あれって一体、何が起こってるんだと思う?」

 

「……何度も言うけど、私にだってわからないよ……文ちゃんこそ、どう思うの?」

 

「それがわかんねえから斗詩に訊いたんじゃん……って、これもさっき言ったな……」

 

最早漫才にしかなっていない悪循環な会話を繰り返す顔良と文醜の傍らで、袁紹はじっと戦場を見つめていた。その眼に力は無い。

 

しかし、何かを見定めようとする光はあった。二枚看板もそれに気付いてはいたが、袁紹もやはり非凡の人。長い付き合いである

 

顔良や文醜にもどこか理解し難いところがあるのは否定出来なかった。それをよくわかっているが故に、二人は下手に袁紹に声を

 

かけることが出来なかったのである。普段から気安い仲であるこの三人にしては珍しい光景であった。

 

「……」

 

二枚看板の疲れたようなやり取りも耳に入っていないのか、袁紹はただじっと戦場を見続ける。それが自分の義務だというように。

 

「ちょいと見て来よっか?どの道、戦場がどうなってるかを偵察するのは軍務の一環だしな」

 

「それもそうだけど……巻き込まれちゃうかもよ?」

 

「だからあたいが行くんだっての。下手に兵に行かせたらどんな惨事になるかわかったもんじゃねえ。姫もそれでいいっすよね?」

 

埒が明かないので、いざ巻き込まれても良いように身のこなしに自信のある文醜が偵察に出ることを顔良に提案し、袁紹に同意を

 

求める――ここで初めて袁紹は反応を示したが、彼女はゆっくりと首を横に振り、文醜の進言を退ける。

 

「……それはなりませんわ、猪々子。降伏を決めた以上、わたくし達は『軍事的な』動きをしてはなりません。良いですわね?」

 

「そりゃ、重々わかってますけど……何が起きてるのか気になるのは当然でしょ?」

 

「なりません。わたくし達に出来ることは最早何も無く、こうして戦いを遠くから見届けるしかないのですわ。そうではなくて?」

 

文醜を諌める袁紹の口調はごく静かなものだったが、そこには確かに軍団の長たる威厳があった。それを感じて、文醜は口を噤む。

 

戦場からずっと視線を外さない袁紹の表情は、顔良達も見たことが無いような厳しいもので、まるで彼女の父である袁逢のそれを

 

彷彿とさせるものであった。今の彼女を袁家の元老達が見たら何と言うだろうか――そう思いながら、顔良は静かに口を開く。

 

「……では、私達は何をすればよろしいですか、麗羽様?」

 

顔良が、ただ一言そう訊ねた。袁紹は数瞬目を閉じて思案した後、初めて戦場から視線を外して顔良に目を向け、次いで文醜にも

 

目を向け、そしてまた数瞬の思案の後――袁紹は顔良に向き直り、問いを返す。

 

「……まだ物資に余裕はありますわね?」

 

「はい。ですが、流石に我が軍のものだけでは……」

 

「美羽さんと七乃さんをこちらに引っ張ってらっしゃい。嫌がっても無理矢理に。わたくしが許可しますわ。それと、白蓮さんの

 

 所に伝令を出しなさい。白蓮さんなら二つ返事で引き受けてくれる筈ですわ。後は汜水関にも使者を。可及的速やかに」

 

「諒解しました。文ちゃん、白蓮様の所に行ってきて。私は美羽様の所に行ってくるから」

 

「ほいきた。んじゃ、行ってくるぜ」

 

文醜は疑問を差し挟むことなく、顔良の指示に従い陣を出ていく。混乱する諸侯への警戒のため、一応『斬山刀』を背負っていく。

 

「汜水関への使者はわたくしの親衛隊から出しますわ。文もしたためねばなりませんし。斗詩、頼みましたわよ?」

 

「はい」

 

顔良もまた袁紹に短く返事をすると、大槌を持って陣を離れる。後に残された袁紹は、唇を噛みながらも再び戦場へと目を向けた。

 

「……まるで、神の降臨を見ているかのようですわ……いえ、もしかしたら本当に……」

 

袁紹は恐怖しながらそう呟く。天地が荒れ狂い、その中心で燦爛と燃え盛る光の炎を見れば、そう思ってしまうのも致し方のない

 

ことであった。顔良達も口にこそ出さなかったが、挙動がいちいち辛そうだったので、同じように重圧を感じていた筈である。

 

「我々は、何を得ようとしたのでしょう……無闇に欲をかいた挙句、眠れる龍を目覚めさせてしまった……!」

 

今更後悔しても遅過ぎる――それでも、呪わずにはいられない。我欲でこの反董卓連合軍を糾合した、あの時の愚かな自分自身を。

 

「あれは、戦ってはならない相手……敵に回してはならない存在!わたくし達は、気付くのが遅過ぎた……そう、彼らの存在に!」

 

己の愚かさを呪い、悔恨の念に苛まれ、それでも戦場を見続ける袁紹の唇から、一筋の血が顎に流れた。

 

 

□虎牢関戦・曹操軍

 

――虎牢関を前に、最早連合軍ですらない曹操軍、孫策軍、そして劉備軍の三つの軍は、たった二人の人間に圧倒されていた。

 

「い……一体、何が起こったというの!?」

 

曹操の上擦った声は、その場にいる全員の心情を代弁するものであった。目の前で起きている事態を、僅かでも理解出来ないのは

 

仕方のないことではある。それだけ常識外れな事態が、曹操達の眼前で起こったのである。爆裂する波導が大軍勢をいとも容易く

 

後方に吹き飛ばしただけでも驚異的だが、三つの軍に向けて放たれたであろう言葉はこの轟然たる嵐の中でも明瞭に響き、そして

 

その言葉の内容が人々に更なる恐怖を呼び起こす。既に底知れぬ恐怖が支配する戦場にあって、それ以上の恐怖が蔓延していく。

 

轟々と唸る強風、地を砕かんとばかりに次々落ちる雷の爆音の中、曹操軍は動揺していたが、激昂した曹操がその動揺を破った。

 

「……くっ!全軍突撃なさいっ!あのような力、野放しになどしてはおけない!なんとしても無力化しなさいっ!私も出るっ!!」

 

何とも無謀な命令。おそらく身内ですらもそう思うであろう命令を曹操は下した。彼女の理性は大き過ぎる恐怖に蝕まれ、正常な

 

判断力を失っていた。故に、曹操は底無しの恐怖と己の醜い意地に衝き動かされ、そしてそれに気付くことも無かった。

 

「はっ!!」

 

「……お任せください、華琳様!あのような、全身精液男や売女など……っ!恐るるに、足りません!!」

 

「……っ!悪党に味方するような奴は、何があっても許さないっ!勝つんだ!流琉をこっちに連れてくるためにもっ!!」

 

曹操軍の将達も、同じような状態であったのだろう。冷静な思考などは隅に追いやり、曹操に従って軍を動かしていく。夏候惇も、

 

荀彧も、許緒も。何があろうと敵はたった二人であり、中原最強を誇る曹操軍がたった二人、それも『天の御遣い』などと名乗る

 

得体の知れない連中に背を向けたとあっては、主君である曹操の名折れ。退けるわけが無かった。

 

「……」

 

唯一、夏侯淵だけは曹操の命令に反応せず、黙って従ったものの、その顔には怒りも闘志も無く、困惑ばかりがあった。それでも、

 

彼女もまた部隊を率いて動き出し、曹操軍は全軍を挙げて二人の敵に向かっていく。その様子を見ていた一刀は『五常流星』をも

 

抜き放ち、二刀流となる。その身に白き燐光を纏う青年は、真っ先に向かって来る夏候惇隊を睥睨し、静かに構える――。

 

「――やはり来るか……ならば、見せてあげよう!『乱撃・散華ノ辻』ッ!!」

 

そう叫ぶやいなや、一刀は『幻走脚』を使って一瞬で加速――彼我の距離はそれなりにあった筈だが、音よりも早く駆ける一刀に

 

その程度の距離など意味が無い。超音速で駆け抜けながら、両腕がぶれて見えるほどの速度で刀を乱れ振るう。神速の刃は大気を

 

千々に切り裂き、また大気そのものが刃となり無数の強烈な斬撃を生む。不可視の刃が武器を、鎧を、肉を切り裂き、一刀自身が

 

生み出す衝撃波もまた見えざる鈍器となり、斬撃を受けた者達を吹き飛ばしていく。連続する加速、制動、そして旋回――全てが

 

攻撃の動作となり、全ての攻撃が必殺の威力を孕みながら、命までは決して奪わない。ものの十も数えないうちに、夏候惇一人を

 

残して隊は完全に沈黙し、そこに合流した他の隊が眼前の光景に息を呑む中、いの一番に夏侯淵が姉に駆け寄る。

 

「姉者っ!一体何があった!?」

 

「わからん!だが、状況を把握出来ぬうちに全員やられた!どうやら、奴が今迄で最大の難敵であることは否定出来んようだ!」

 

何が起こったのかが当事者の夏候惇にもわからないままにこうなっているのだから、彼女の言い分も致し方のないことであろうが、

 

この状況では指揮官が状況を把握出来ていないこと自体が兵の士気を下げ、恐怖を煽る結果となる。それでも夏候惇は言わずには

 

いられなかった。剣を持つ手はがたがたと震え、自分達が最悪の難敵と対峙していることを、否が応にも思い知る。

 

「なんで、あんな下品な男にいいようにあしらわれてるのよっ!男なんて、みんな惰弱で無能な欲望の塊に過ぎないのにぃっ!!」

 

夏候惇の言い分を聞いた荀彧が悪態をつくが、それは不当な非難というものだろう。確かにそんな男はこの世には何人となくいる。

 

だが、例外もまた存在する。一刀自身がその一例だ。凡百の徒には度し難いところはあれど、これまでの戦いであれだけの軍勢を

 

一糸乱れず統率して見せた上に、個人の武勇でもまた類い稀なるものを示している。今もそう。それを「無能」と言うのは荀彧が

 

自身を「無能」と称するに等しい。しかし、人間とは追い詰められれば嫌でも感情的になるもの。致し方のないことであった。

 

「いい加減になさい、あなた達!今は戦闘中なのよ!――っ!?」

 

このような状況ですら剣呑な雰囲気になりかけている夏候惇と荀彧を、最後にやって来た曹操が怒鳴りつけた――次の瞬間だった。

 

近くで閃光が弾け、爆発音が轟き、大地が大きく揺れ、兵達の悲鳴が上がる。そう、一刀の攻撃は終わっていなかったのだ。

 

「い、今の何!?何なのっ!?」

 

あまりに異常な現象に、戦う力など持たない荀彧は震え上がってしまう。他の者も、何が起きているのかを全く把握出来ずにいた。

 

その間に再び閃光が奔り、一瞬遅れて凄まじい衝撃と爆発音が大地を揺らす。よろめく曹操達の許に、一人の兵が走って来る。

 

「そ、曹操様!」

 

「何だ!?一体何が起こっている!?」

 

「それが、敵の姿は見えないのに、一度に数百人の兵が斬り倒され、爆発音とともに千人以上が一度に吹き飛んでいるんです!」

 

「な、なんですって!?」

 

曹操達が驚愕する間にも断続的に閃光が奔り、衝撃と爆発音が轟く。精強なる曹操軍の兵達が吹き飛ぶ姿は、見る者を戦慄させる。

 

「嘘……なんで!?どうしてぇっ!?」

 

やっとの思いで奮い立たせた戦意を失い、怯えきった許緒が悲鳴を上げる。だが、曹操にそれを顧みる余裕など無かった。犬歯を

 

剥き出しにし、痛みを伴うほどに歯軋りをする――たった一人の人間が一度に数百人単位の兵を斬り倒し、あまつさえ一度に千人

 

以上を吹き飛ばすほどの強力な攻撃を連続して繰り出すなどと。あの男は、それほどの豪傑なのか。風に聞く呂布の武、それをも

 

凌駕し、中原最強たる曹操軍を襤褸布か何かのように薙ぎ払っていくほどの存在だというのか。そんな男が、目指す方向すら無く

 

野放しにされ、その上こちらの理想や誇りを穢したというのか――曹操の中に、形容し難い凄まじい怒りが湧き上がる。

 

「……華琳様!このままでは徒に被害を増やすだけです!恥を忍んで申し上げます、後退を!」

 

夏侯淵が曹操に呼びかける。その顔に最早困惑は無く、これ以上ない焦燥だけがあった。この頃の夏侯淵は何か悩んでいる様子で、

 

すっかり短気になってしまっている曹操を諌めることも一度や二度ではなかった。曹操もその度に感謝していたが、今度ばかりは

 

感謝どころか、夏侯淵の訴えを拒絶するだけであった。

 

「黙れ!あのような力が野放しになっているのを許しておくわけにはいかないのだ!まして、それに背を向けたとあっては、我ら

 

 曹操軍の、ひいてはこの私、曹孟徳の名折れ!天下に覇を唱えんとする者が敵に背を向けることなど、決して有り得ないっ!」

 

「あんな下品な男が存在しているってだけで最悪なのに、あまつさえ華琳様を傷付けたのよっ!?許しておけるわけがないわ!」

 

「臆したか、秋蘭!確かにあの男は難敵かもしれん!だが、まだ勝敗は決していないのだ!」

 

曹操に続いて荀彧が嫌悪感も露わに吐き捨て、夏候惇は妹を激励するかのように言った。しかし、夏侯淵にはわかっていた。既に

 

勝敗は――いや、初めから決していた。たった二人で大軍の前に立ちはだかるなど、余程の強者か、ただの愚か者かのどちらかだ。

 

そして策略でも、力でも、ここまで一方的に曹操達を追い詰めるほどの男が、愚か者である筈がなかったのだ。

 

「――言い争っている暇があるなら、武器を構えたらどうだ?」

 

今度こそ不意打ちだった。強風の狭間に響いた軽い足音の主は、血に濡れた長刀を携えた一刀であった。長刀は紅く染め上がって

 

いたが、一刀自身は返り血を浴びた様子が無い。その事実が、一刀の超絶的な技量を物語っていた。

 

曹操達は武器を構えようとするが、一刀が放つ威圧感が再び金縛りのように彼女達の動きを封じてしまい、身動きが一切取れない。

 

「くぅっ……なんて威圧感……っ!ええい、動けっ!何故、躰が動かないっ!?」

 

なんとか躰を動かそうとする曹操だったが、無駄な試みであった。人間、度を過ぎた恐怖からは逆に逃れられないものである。

 

「……さあ、これで終いにしようか!」

 

終局の宣告が放たれると共に一刀が身に纏う白い燐光は紅蓮色へと変わり、炎の如く輝きながら、際限無く出力を上昇させていく。

 

「な、何!?一体何をする気なのっ!?」

 

啻ならぬ光景に怯えた様子の荀彧が堪りかねて叫ぶが、一刀はそれに答えることなく、長刀をゆっくりと天に掲げながら詠唱する。

 

「南方火徳星君奉勅……燃ゆる熒惑の気を宿し、万物焼き掃う真火と成せ!『五行流星』、解放……応現せよ、『灼光劍(しゃくこうけん)』ッ!!」

 

瞬間、烈々たる熱量が生じ――長刀は燃え盛る炎を纏う異様な姿に変貌する。一刀は曹操達を睥睨しつつ、ゆっくりと刀を蜻蛉に

 

構え直す。放たれる超高熱が激烈な乱気流を引き起こし、曹操達はまともに目を開けていられない。そして轟々と燃える紅い炎は

 

原始的な恐怖を呼び起こし、地を焦がし肌を焼く高熱量は立ち向かう闘志すらも溶かし尽くし、その輝きはさらに増していく。

 

「其は、戦野に歎く劫火(ほのお)の刃!()して折れぬ我が意志を糧に、我が敵の心魂を焼き尽くせ!受けろ!『破軍戰滅斬(はぐんせんめつざん)』ッ!!」

 

咆哮とともに炎は増大し、更なる高熱を孕む青き炎となる。総てを焼き尽くす劫火の刃が、轟音と共に振り下ろされる――!

 

「ああぁぁあぁぁああぁ――っ!!??」

 

その一撃は曹操達が立つ大地を砕き、途轍も無い爆炎と爆風を生み、未だ半数以上を残していた曹操軍を、既に倒された兵諸共に

 

吹き飛ばす。暴力的な衝撃と熱量を全身に受け、為す術も無く吹き飛ぶ曹操の意識に、一つの疑問が滑り込む。

 

――我々は、何を間違った――?

 

間違ってなどいない。間違いを認めれば、その時こそ真の敗北。心中で否定する曹操だが、理性と本能が否応無く理解する。

 

――我々はそもそも、格の違いを見誤っていたのだ――。

 

 

□虎牢関戦・孫策軍

 

――曹操軍が抵抗らしい抵抗も出来ず、たった一人の人間に吹き飛ばされていく様を見て、孫策軍は統制を失っていた。

 

「狼狽えるな!あんなもの、ただの虚仮威しだっ!」

 

そう怒鳴りつけ、なんとか軍の士気を取り戻そうとしている甘寧も、兵達と同じくらい、いやそれ以上に狼狽していた。あれほど

 

精強を誇り、中原にその名を轟かせる曹操軍が、たった一人の人間に、甘寧からすれば軟弱そうにしか見えないあの男に為す術も

 

無く蹴散らされるなどと。曹操達と同種の意地と憎悪を抱いてしまっている今の甘寧は、目の前の事態を受け入れられなかった。

 

「思春ちゃ~ん!あれが虚仮威しなんかじゃないことは、見ればわかるじゃないですかぁ~!」

 

そんな甘寧を陸遜が咎める。「虚仮威し」という表現を使ってでも兵を鼓舞しようとする甘寧の意図くらい、陸遜も理解している。

 

だが、どこからどう見ても虚仮威しとは思えない、『天の御遣い』の掛け値無しの力を認めようとしないことは、戦場に吹く風を

 

全く読めていないとしか言えなかった。これ以上の戦闘続行は危険――陸遜は言外にそう指摘する。

 

「五月蠅いぞ、穏!貴様はあれを……あのような男がこの事態を引き起こしているなどと、そう言うのか!?」

 

「それが事実でしょ~!わたしが言わなくても、雪蓮さまや冥琳さまだってそう思ってますよぉ~!」

 

陸遜の言う通りである。兵を不安にさせるだけだと誹られるであろう意見だが、そもそも兵達は既に目の前の現実に打ちのめされ、

 

狼狽しているのだ。このような非常識な事態が目の前で起こっている今、常識による対応は意味が無い。いつもの戦であったなら

 

甘寧の鼓舞も効果があっただろうが、今回は状況が違い過ぎる。これでは甘寧の鼓舞も状況の読めていない空論でしかない。

 

「くっ……私は認めん!奴らが『天の御遣い』などと、認められるわけがっ!」

 

「思春ちゃんの石頭~っ!」

 

「貴様ら何を言い争っている!そんなことをしている場合かっ!」

 

言い争う甘寧と陸遜の間に業を煮やした周瑜が怒鳴り込んで来た。その物凄い剣幕に陸遜は飛び上がり、甘寧も口を噤みはしたが、

 

その眼には未だ戦意の炎が燃え盛っている。そんな甘寧を睨みつけながら、周瑜は兵達にも聞こえるように宣言した。

 

「反転せよ!この場は退却するより他は無い!」

 

「しかし!あの男をこのまま生かしておいては!」

 

「反論は認めん!これは命令だ!者共、退却だ!退却せよ!」

 

周瑜は甘寧の反論を封じると、兵に指示を飛ばす。兵達は慌てて周瑜の指示に従うが、恐怖のせいか反応が鈍い。弱体化したとは

 

いえ、かつて『江東の虎』・孫堅が率いた軍とは思えないほどの為体に周瑜は歯噛みするが、どうしようもなかった。今の彼女に

 

出来ることは、一刻も早く軍を退却させることだけだった。袁術は文句を言うであろうが、それを考えたところで他に手立てなど

 

あるわけが無い。周瑜は兵達を追い立てるように、続けざまに指示を飛ばすが、時既に遅く――

 

「――逃げられるとお思いですか?」

 

曹操軍に向かわなかった朱里が、その身から燐光を散らしながら姿を現した。剣も抜かず、仮面の奥から冷然と周瑜達を睥睨する。

 

「くっ、遅かったか……」

 

「おのれ……化物め」

 

周瑜は強く歯噛みし、その隣で甘寧が鋭い眼で朱里を睨むが、朱里の眼はあくまでも冷たかった。そこに孫策がやって来る。

 

「……撤退するなら追撃はしないんじゃなかったの、仮面の軍師ちゃん?」

 

「最後の警告はしました。それを無視して戦端を開いたのはあなた達です」

 

孫策が問うが、朱里はにべも無くそう返した。確かに彼女達は律儀にも最後まで警告をしていた。それを受け入れず、この状況を

 

招いた原因の一端は確かに孫策軍にある。攻撃されても相手を卑怯とは言えない。だが、それを認めるわけにはいかなかった。

 

「『天の御遣い』は、乱世を治めるために現れるんでしょう?戦いをやめて逃げる相手を見逃す優しさは無いわけ?」

 

「生憎と、私も戦場に生きて長いので。あくまで争うことを選んだ敵をただで見逃すほどの慈悲までは持ち合わせていません」

 

「へぇ、それってあなた達の存在意義に反するんじゃ――っ!?」

 

孫策が朱里の言葉に反論しようとしたその時、一際凄まじい衝撃と数多の悲鳴が轟いた。見れば、まだ半数以上は残っていた筈の

 

曹操軍が途轍も無い爆炎と爆風を受け、襤褸布の如く吹き飛ばされていく。その非現実的な光景に、言い知れない恐怖が蔓延する。

 

そして恐怖は現実感すらも蝕む――あんなことが、ありえるのか。

 

「――あちらは終わったようですね」

 

孫策達は我を忘れて立ち尽くしていたが、朱里の感情の無い声を受け、冷や水を浴びたように我に返る。その声が孫策達に届いた

 

時には既に、朱里は空中に舞い上がっていた――刹那、宙を舞い、両手に光を宿した朱里の視線と、孫策の視線が交錯する――。

 

「っ!避け――」

 

「無駄です!『龍鱗連火弾(りゅうりんれんかだん)』!!」

 

危険を察知した孫策が回避の指示を飛ばすよりも前に、無数の氣弾が朱里の手から放たれ、孫策軍に雨のように降り注ぐ。逃げる

 

ことなど出来るわけもなく、孫策軍は無数の氣弾の衝撃に蹂躙されていく。降り注ぐ氣弾は地面を撃ち砕き、土塊や砂塵を激しく

 

巻き上げ、それが更なる被害を及ぼし――少なくとも十以上は時を数えたか、そこで氣弾は降り止んだ。

 

「ぐぅっ……!やってくれたわね……個々の威力は小さいけど、まさか氣弾を雨のように降らせるなんて」

 

「なんという、力だ……奴らは今迄、全く本気を出していなかったとでもいうのか!?」

 

「くっ……下劣な妖めが……!」

 

「あんな力……一体どうやって……?」

 

驚愕と懐疑が同居した複雑な感情に顔を歪めつつ、孫策達は体勢を立て直す。精強な孫策軍の兵達も、既に息も絶え絶えといった

 

様子であった。そこに軽い音とともに朱里が降り立ち、軍の前衛にいる孫策達に冷たい眼を向ける。それに真っ先に反応したのは、

 

既にかなり負傷している甘寧だった。その目を憤怒と憎悪で爛々と輝かせ、曲刀を後ろ手に構えて跳躍し、朱里に襲い掛かる。

 

「死ねぇぇえぇっ!!」

 

「馬鹿ですかあなたは!」

 

烈々たる甘寧の気合を、朱里はごく単純な毒舌とともにいなす。剣を抜かず格闘の構えを取り、再び襲い掛かってくる甘寧の腹を

 

蹴り、怯んだところで甘寧の躰を掴み、流れるような動作で投げ飛ばす。間髪入れずに双剣を抜き、踏み込みながら構える――。

 

「続けて参ります……『陽虎』・『月狼』、展開!『双龍乱舞』!!」

 

そう叫ぶが早いか、朱里は『幻走脚』を使って一瞬で姿を晦まし――次の瞬間、兵達の鋭い悲鳴が上がる。慌てて周囲を見渡した

 

孫策には、一瞬だけだが蛇腹剣を操って暴れまわる朱里の姿を捉えることが出来た。一刀ほど派手ではないが、それでも恐るべき

 

戦闘能力を示す朱里の姿に、孫策達は圧倒される。懸命に指示を飛ばすがそれ以上に混乱が大きく、収拾がつかないまま、朱里の

 

攻撃で多大な被害を受けてしまった。一人一人の負傷こそ大したものではないが、それ以上に精神的な影響が大きかった。そして、

 

攻撃を終えた朱里が孫策達から少し離れた場所に再び姿を現した時には、さしもの孫策達も冷静さを失いかけていた。

 

「連合をいいように躍らせるほどの智謀を持ちながら、我らをたった一人で圧倒する武力をも併せ持つだと……悪い冗談だ……!」

 

「今迄は彼が隣にいたから、わからなかったけど……あの子も私達とは格が違うみたいね……!」

 

周瑜をして「悪い冗談」と言わしめるほどの力を示した上、あれほど激しい攻撃を終えても涼しげに佇む朱里の姿に、孫策は格の

 

違いを悟る。彼女の着衣には一滴の返り血も浴びた様子が無く、剣ばかりが血に濡れていることからも、それは歴然としていた。

 

「……さあ、終わりにしましょうか」

 

朱里がそう言い放つと同時、右手の剣は赤の、左手の剣は青の輝きを帯びる。再び蛇腹剣が伸び、朱里は舞い踊りながら詠唱する。

 

「赫く燃ゆるは太陽の光、蒼く燃ゆるは太陰の闇……乾坤一対、揃いて相食み、総てを滅する奔流を成せ!『天獄焱(てんごくえん)』、燃生(ねんしょう)!」

 

瞬間、彼女を囲むように舞っていた双龍は一つに絡み合い、螺旋をなす。二色の輝きが増すとともに、何か恐ろしい響きが生じる。

 

強風を圧して高まる音は、聞く者を恐怖に陥れる。相反する二つの力の融合が空間を歪ませ、見る者の現実感を奪っていく。

 

「な、何をするつもりなんですかぁ~!?」

 

湧き上がる本能的な恐怖を抑えきれない様子の陸遜が叫ぶが、朱里は陸遜の問いには答えず、孫策達を睥睨する。赤と青の輝きは

 

いや増して、螺旋の中心では黒い炎が生まれる。まるで天地を呑み込むかのように、吹き荒れる風が、舞い散る岩石が、黒い炎に

 

吸い込まれる。見る間に黒い炎の勢いは増し、赤と青の輝きをも呑み込む。黒く恐ろしい炎を宿す螺旋が、孫策軍に向けられる。

 

「其は、虚無にして無窮なる火焔(ほのお)()して折れぬ我が意志を糧に、我が敵の心魂を打ち砕け!受けなさい!『逆鱗衝天咆(げきりんしょうてんほう)』ッ!!」

 

咆哮とともに螺旋が緩み、長い筒状をなす。開かれた顎の奥から不可思議かつ恐ろしい轟音を響かせ、黒い炎が放たれる――!

 

「ああぁぁあぁぁああぁ――っ!!??」

 

放たれた漆黒の奔流は渦巻く激烈な衝撃波となり、余波で大地を砕きながら駆け抜け、身動き出来ない孫策軍に回避すらも許さず、

 

塵芥同然に吹き飛ばす。恐るべき衝撃に全身を喰らわれ、為す術も無く吹き飛ぶ孫策の意識を、一つの疑問が侵蝕する。

 

――我々は、何を敵に回した?――。

 

立ち塞がるならそれは敵。戦は水物、絶対は無い。戦わなければ勝敗は無い。心中でそう思いつつ、孫策の理性は理解する。

 

――我々はそもそも、彼らの敵足り得なかったのだ――。

 

 

□北董連合軍・汜水関封鎖部隊(張遼隊・華雄隊)

 

――急激に天候が荒れ始めたので、何事かと思って様子を見に城壁に上がっていた張遼と華雄は、驚愕をその顔に浮かべていた。

 

「この感じ……一刀に朱里か!?」

 

「戦闘が始まったのか。しかしなんという氣の波導だ。ここは戦場から離れているというのに、全身に吹きつけてくる……!」

 

そう遠くは無いが、離れていると言っていい距離はある虎牢関で行われているであろう戦闘の気配を感じる。しかし、それ以上に

 

一刀と朱里という二人の波導が暴風とともに汜水関に押し寄せ、さらに遠くに運ばれていくのを、二人の武人は感じ取った。

 

「あかん、あかんで……そないなことしたら、ホンマに後戻り出来んようになって……」

 

二人のことをよく知る張遼は、どう考えても『人間』のものとは思えない気配を感じ、怯えていた。いつもはあっけらかんとして

 

いる張遼には珍しく、どうしようもない恐怖に襲われているかのような表情を浮かべながら、震える躰を掻き抱いていた。

 

「……最初から、そんな気など無かったのだろう」

 

「華雄?」

 

華雄はそう言って、張遼の懸念を否定する。彼女は怯えたような様子も無く、しかし厳しい表情で虎牢関の方角を睥睨していた。

 

「不退転……それは、己が進むべき道を真に見定めた者のみが至れる境地。闇雲に己を貫き通そうとするのは、それではないのだ。

 

 そして彼らは、既にそれすら越えた境地に至っている。彼らの意志は最早、決して折れぬ刃の如しだ」

 

華雄の言葉は静かだった。以前は猪突猛進の猛将であった華雄を知っている張遼からすれば、信じられないほどに落ち着いている。

 

「だが、それは些細な事。一つだけ確かなのは、彼らがここまでの力を出すような事態になっているということだ」

 

「……せやな。今迄は出さんかったモンを出すより他無い状況になっとるんは、少なくとも確かやろな。最後の最後まで出す気が

 

 無かったか、それとも……なんにしても、想定外の事態なんやろな」

 

連合の動きについては、汜水関を封鎖している張遼達にも報告が届いていた。連合は完全に分裂し、曲がりなりにも意思の統制が

 

出来ていた今までとは違い、個々の勢力の動きを抑制出来なくなっているのだ。袁紹軍に並ぶ勢力である袁術軍が孫策軍を勝手に

 

動かしたこともさることながら、状況を知りながら己の意地を通すことに躍起になっている曹操と、そして状況をまるで読まずに

 

こちらも無理矢理に己の筋を通すために一刀達を取り戻そうとしている劉備の動きは最たるものと言える。

 

「力に魅入られ、力に頼る者は、いずれより大きな力に敗北する。彼らは示そうとしているのだろう。その基本的な原理をな……」

 

力に魅入られている。孫策はともかく、曹操や劉備はまさにそれである。力に頼るということは、実は最も単純で簡単な解決方法

 

である。譲歩の必要性が無いが故、力があればどうしてもそれに頼りがちになる。しかし、それは本来的に最悪の手段なのだ。

 

「乱世では力が必要だが、乱世だから力で解決しようと思ってはいかん。民を苦しめる乱世を、言い訳にしてはならんのだ。民を

 

 守るため力を振るうというのであれば尚更な。その力は民から託されたものだということを、我らは忘れてはいかん……」

 

「その通りやな。個人の力の使い道は自由やけど、力に魅入られんためには強い意志が必要や……心の力が、な」

 

張遼の言葉に、華雄は黙って頷く。互いに顔を見合わせることなく、戦場の方角を見据える二人の眼には、強い光が宿っていた。

 

 

 

□北董連合軍・虎牢関防衛部隊(呂布隊・馬超隊・楽進隊)

 

――爆発音と衝撃があまりに連続して続くので、楽進の独断で開かれた門の先には、有り得ない光景が広がっていた。

 

「な……!?」

 

「い、いったい……何が起こってやがる!?」

 

言葉を失う楽進と、驚愕のあまり怒鳴ってしまう馬超。その隣で、物静かな呂布は黙ったまま、しかし心配そうな表情で戦場へと

 

目を向けていた。三人が視線を向ける先では、精強を誇る曹操軍と孫策軍が、たった二人の人間に蹂躙されていた。

 

「なんという氣の波導……こんな力が、人間に出せるものなのか……!?」

 

操氣術の巧者である楽進だが、それ故に事の異常さが人一倍理解出来るのか、驚愕というよりは恐怖に近い感情に顔を歪めていた。

 

しかし、呂布はそうではなかった。心配そうな表情を崩すことなく、呟くように言う。

 

「……ご主人様と朱里……泣いてる?」

 

「恋?」

 

「……哀しい。でも、二人ともそれに負けてない。それを力に変えて、戦ってる……」

 

表情の変化に乏しい呂布であったが、その眼は今にも泣き出しそうな光を湛えていた。困惑した楽進が馬超の方を見るが、馬超も

 

また、呂布と同じような表情をしていた。情緒豊かな馬超の秀麗な顔も、言葉に出来ない哀しみと怒りに彩られていた。

 

「……そうかよ……そんなにかよ、ご主人様、朱里……あんだけ平穏を願ってたあんたらがそこまでしなきゃなんねえほど、この

 

 世界は狂ってるっていうのかよ……劉備、曹操……ご主人様達にそこまでさせて……そんなに天下が欲しいかよ」

 

「翠……」

 

馬超は孫策の名を挙げなかった。その理由は楽進も呂布も承知している。外史の運行が正常であれば馬超は家族を奪われる運命に

 

あるので、孫策を怒るに怒れないのだ。故にこそ、何でも力で奪おうとする曹操や、理想は違えど結局同じことをし、さらにその

 

業から目を背けている劉備が許せないのである。かつて曹操に仕えていた楽進には、下手なことは言えなかった。

 

「……一番怒らせちゃいけない人を、あいつらは怒らせた」

 

呂布をして、「一番怒らせてはいけない人」と言わしめる一刀。馬超と同じくらい一刀との付き合いが長い呂布がそう言うのなら、

 

それは信頼出来る情報だろう。楽進にもわかっていた。一刀はどんなに自分を貶められても受け流せる人物である。しかし仲間を

 

はじめとした他者を愚弄する者には激しい怒りを見せる。一刀の声はこちらにも届いていた。彼が怒る理由は言うまでもない。

 

「愚弄したんだ、隊長達が守ろうとしているものを。己の意地や野望を貫こうとするあまり……故にあれほど哀しみ、怒り……」

 

「そういうこった。見損なったぜ、愛紗に、桃香……ご主人様を本気で怒らせた奴なんて、そうそう心当たりねえぞ……」

 

一刀の怒りに同調するかのように表情を険しくする楽進と、かつての戦友達への失望を露わにする馬超。呂布は二人を黙って見て

 

いたが、哀しみと怒りが綯い交ぜになった表情を浮かべる。そんな三人の視線の先では、恐るべき大破局が続いていた。

 

 

 

□北董連合軍・先行撤退部隊(典韋隊・于禁隊・陳宮隊)

 

――洛陽への道の途上にあった先行撤退部隊の面々は、戦場から押し寄せてくる異様な波導に足を縫いつけられていた。

 

「これって……兄様と、朱里さんの!?」

 

「凄い氣なの……向こうで何が起こってるの?」

 

「お二人の強さは承知していましたが……ここまでの気迫、恋殿でも出せるかどうか」

 

戦場の方角を振り向いた典韋、于禁、陳宮の三人は、異口同音にこの異常事態についての感想を漏らす。天候にすら影響を及ぼし、

 

戦場から離れつつある先行撤退部隊の所にまで伝わるほどの波導を放つとは、一体何があったのか。三人はそれが気懸りだった。

 

「……おっつけ報告が来る筈なのです。ねね達は早く洛陽に戻らねばならないのです」

 

軍師である陳宮は流石に冷静であった。与えられた命令を果たすため、ひどく心配そうに戦場の方角を見つめ続ける典韋達を促す。

 

取り敢えず部隊は再び動き出したが、不安が拭えない将達は先頭辺りで寄り集まり、馬上で話を続ける。

 

「隊長に朱里ちゃん、どうしてここまで?」

 

于禁はまだ不安げに、時折後ろを振り向きながら馬を進める。その馬に同乗している陳宮も、冷静に任務続行を促しはしたものの、

 

年齢的には于禁より遥かに幼い彼女は、于禁以上に不安げな表情を浮かべていた。

 

「……兄様、凄く悲しんでます……朱里さんも……」

 

不意に、于禁達が乗る馬の隣を歩く馬上に在る典韋が、片手で胸を抑えながらそう言った。その愛らしい顔は、悲哀で歪んでいる。

 

「ホントに何があったんだろ……何もわからない時って、凄く不安なの」

 

「ねねも不安なのです……」

 

于禁や陳宮も、典韋の悲哀を見て取ってか、悲痛な表情を浮かべながら俯いてしまう。悲哀の表情のままに、典韋は陳宮に訊ねた。

 

「……今起きてる戦いって、劉備さんの我儘が原因の戦いなんですよね?」

 

「まあ、大まかにはそうですな。そこに曹操の意地と袁術の無思慮が加わることで、此度の戦いは起きているのです」

 

「……戦いが嫌いな筈なのに、どうして力尽くで兄様達を取り戻そうとするんだろう?」

 

典韋には理解出来なかった。戦いを嫌い、仁徳を掲げることで世に漕ぎ出した劉備。その彼女が、力尽くで一刀達を取り戻そうと

 

している。そもそも董卓を力尽くで排除しようとしている連合に参加している時点で何かがおかしい。あまりにも矛盾している。

 

「……経験上、流琉が疑問を抱くのもわかるのですが、今は回答を控えさせて頂くのです」

 

呂布と共に劉備軍に降ることが外史の運行により運命づけられていた陳宮は、典韋の疑問に回答するだけの材料を持ってはいたが、

 

この場での回答は控えた。自分の意見がどうにも偏見じみてしまうことくらい、陳宮とて承知しているのである。

 

「……やっぱりおかしいよ、こんなの……対話だ、理想だなんて口で言っても、結局……本当にそれが仕方ないことなの!?」

 

虚しくも示される世の真相に、幼い少女は嘆く。乱世に生きるなら力は必要、しかし力を持てない者の方が多い。そうした人々の

 

ためと振るわれる力が、その程度のものであったのかと。少女が零す涙を止める術など、この場の誰もが持たなかった。

 

 

□青州・北海国

 

――青州・北海国の地。青州を治める少女・孔融は、突如西の方角に異様な気配を感じ、外へ飛び出した。

 

「いかがなされました、理穏様!?」

 

突然執務室を飛び出した孔融を追って、手伝いをしていた女性――孫乾も外に出る。するとどうしたことか、先程まで晴れていた

 

空を黒い雲が覆い尽くし、強風が吹き、雷が轟いているではないか。その雲は、西の方から広がっているように見える。

 

「……一刀殿!?」

 

「理穏様、一体どうなされたのですか?」

 

「……朱里殿の気配も感じる……一体、何が起こっているというのです……!?」

 

孔融は孫乾の問いに応えず、西の方角に全神経を集中させている。何事にも真剣な孔融だったが、ここまで真剣に、その類い稀な

 

愛らしい顔を歪めてまで何かに神経を集中させるような姿など、長い付き合いである孫乾でさえも数えるほどしか見たことがない。

 

そこまで考えたところで、そんな場合ではないと思い直した孫乾は、何か知っているらしき孔融に訊ねた。

 

「理穏様は、この異様な天候に心当たりがあるのですか?」

 

「……ええ。都の方角から、私の知っている方々の気配を感じるのです。しかし、この異様な気配は……まるで……」

 

その豊かな胸を掻き抱き、孔融は尚も西へと神経を集中させる。まるで何かに惹きつけられているかのように。孫乾はそう感じた。

 

「都と言えば……今は『反董卓連合』が董卓軍と戦っているのでしたね。その、知っている方々というのは何方です?」

 

そう問われて孔融は気付いた。孫乾には一刀達のことは話したが、彼らが董卓を助けるため洛陽に赴くことは、時期が来るまでは

 

胸にしまっておこうと考えていたことを。しかし、事ここに至ってその時期が来たのだと思い、話すことにした。

 

「……『天の御遣い』、北郷一刀殿と北郷朱里殿です。お二方は董卓殿にお味方するため、洛陽に赴かれたのです」

 

「左様で御座いましたか……何か隠しておいでではないかと思ってはいましたが……」

 

孫乾の応答に孔融は頷き、再び西へと目を向ける。風が弱まる気配も雷が止む気配も一向に無かったが、孔融の心は決まっていた。

 

「……美花(ミーファ)、すぐに船の手配を。天候が落ち着き次第、都に赴きます。後のことは良しなに」

 

「よろしいのですか?」

 

「ええ。あなたには代理権を預けます。私が戻るまでの間、諸々の対応はお願いします」

 

「かしこまりました」

 

孫乾は孔融の命を受け、天候が戻り次第すぐに孔融が出立出来るようにするべく、城の中へと戻っていった。城壁の上に一人残り、

 

孔融は再び西の方角を見やる。西から押し寄せてくる異様な波導は未だに続いているどころか、更に強くなっているようでもある。

 

「……乱世を治めんとする志もまた一つの仁義。されど争いによって仁義は為せず。乱世にあっては難しいのかもしれません……

 

 一刀殿、朱里殿……あなた方の決意と力が真に民のためにあり、そのためにこそ振るわれるものであることを信じています……」

 

孔融はただそれだけを祈る。そして、一刀達の決意は自身の祈りを裏切るものではないと、孔融は何故か確信を持っていた。

 

 

 

□益州・蜀郡

 

――益州の州治である蜀郡・成都の地。その少女は、不意に押し寄せてきた異様な波導によって、微睡から叩き起こされた。

 

「な、なに、これは……!?」

 

思わず椅子から立ち上がった少女は、闘気に満ちたその波導に思わず傍らに立てかけてあった剣を取ってしまう。しかし近くには

 

人の気配が無い。城の中庭には、今迄この東屋で微睡んでいたこの少女しかいなかった。思い直して、少女は再び椅子に座る。

 

中原から遠く離れた蜀郡・成都の地。情報は手に入るが、それはどうしてもかなりの時間がかかる。そして暫く前に長安との連絡

 

まで途絶えてしまっていた。噂で流れてくる情報も、入手した時には新鮮な情報ではなくなる。

 

「……やっぱり、軍を出した方が良かったのかな……あれってどう考えても言ってることが滅茶苦茶だもんね」

 

新鮮な情報でなくとも、重要な情報ならば掴んでいる。冀州牧・袁紹と兗州牧・曹操の連名で発せられた反董卓連合の檄文。その

 

文は成都にも届き、少女も目を通していた。この善良な少女にも、かの檄文は「滅茶苦茶」と映っていた。

 

(……でも、内容をそう感じるだけで、言っていること自体は間違っていないのかもしれないし……わたしがそう感じたところで、

 

 それだけで軍を動かすなんて……将も兵もこの益州の民……わたしの判断だけで傷付けていいものじゃない)

 

しかし、少女は動く決断が出来なかった。父を喪って以降、御家騒動で家族を全員喪い、一人残されてしまった彼女は自己不信に

 

陥っており、自分の感覚などまるで信じられなくなっていたのである。今こうして益州を治めていても、御家騒動のせいで益州は

 

荒れてしまった。家臣と共に奔走した甲斐あって民の信頼を失わずに済んだのは良かったが、まだ予断を許さぬ状況であったので、

 

年若く責任感の強い彼女は、未だ民に苦労を強いねばならない己の不甲斐無さを恥じ、益々自己不信を深めていた。

 

「……」

 

それでも民を想う気持ちはそれとは別に少女の心の中で燃え続けており、せめて未熟な自分の判断で民に要らぬ負担をかけぬよう、

 

此度の戦についても沈黙を貫くことを決めた。幸いにして有能な家臣に恵まれていたため、家臣の言葉をよく聞きつつ判断すると

 

いう形で益州を運営していこうと決意したが、その判断すら間違ったのではないかと悩み、少女は日に日に覇気を失いつつあった。

 

そんな自己不信の彼女の心を動かす程に、押し寄せる波導は何かを少女に訴え、少女の心の奥底の何かが反応する。

 

(……考直にお願いしに行こう。なんだか、そうしなきゃいけない気がする)

 

そう独りごち、少女は立ち上がって剣を取り、東屋を出る。目指すは少女と最も年齢が近い家臣――法正の部屋。あの少女ならば、

 

自身の胸の奥底で激しく燃える何かをどうにかしてくれる、そんな気がしたのだ。そう思う間にも、荒れ具合は酷くなる。

 

(何かが起きてる……そんな気がする。またわたしの変な勘違いなら良いんだけど……でも)

 

ふと立ち止まり、再び空を見る。黒い雲が空を覆い、強風が庭の木々を盛大に揺らし、雷も遠くで轟いている。異常な天候だった。

 

「……天の怒りを感じるようです……わたしは、どうしたら良いのでしょうか……」

 

少女は腰の鞘から剣――先祖伝来の『恭王伝家』を抜く。父の遺品であり、魯恭王・劉余から伝わる剣。それに問いかける。当然、

 

宝剣は鈍く光るだけで、少女の問いには答えない。だが、その鈍い輝きが問いへの答えであるかのように、少女には感じられた。

 

少女――益州牧・劉璋は、表情を引き締めて剣を鞘に収め、法正の部屋へと向かった。

 

 

 

□揚州・呉郡

 

――揚州・呉郡の地。かつての本拠を訪れていた孫権と黄蓋は、突如として天候が荒れ始めたため、雨宿りの用意をしていた。

 

「うむぅ……雨季でもないというのにこの荒れ模様。こうも急に荒れだすとは不自然じゃな……」

 

黒雲に覆われた天を見上げながら、黄蓋がぼやく。その傍らでは、肌寒いのか両腕を胸の前で組んだ孫権が黙ったまま俯いていた。

 

「権殿?どうされた、黙りこくって」

 

「……別に気にするほどのことではないわ。でも、この異様な……あなたはどう思う?」

 

「そうですな。堅様や儂、粋怜(スイレイ)でも無理じゃろうて。じゃが、ここまでとなると人間業とは思えませぬな」

 

考え込む黄蓋を横目に、孫権は顔をあげて空を見る。雲が一瞬の耀きを見せるたびに遠い轟音が響くその様は、まさに嵐の前触れ。

 

いや、既に嵐なのかもしれない。その証拠に、風がとても強いではないか――薄紅色の長髪が強風に靡く。

 

「都の方角から感じるのう。連合軍と董卓軍の戦も終結が近いのじゃろうか。策殿達は上手くやっておるかな?」

 

「それは信じているわ。姉様に冥琳、思春や穏、明命もいる。本当は私も参加したかったけど……これも孫呉のためだものね」

 

孫権達が建業に来たのも、孫策達が反董卓連合軍で功績をあげて風評を得る裏側で、『呉』の独立のための準備をするためである。

 

戦いに長けた孫策を筆頭に本隊は派手に暴れ、地道な活動に長ける孫権を筆頭に分隊は静かにより大きな事を動かしていく。この

 

二段構えの戦略によって袁術を追い落とし、呉の地を取り戻すことが一先ずの目的であった。

 

「左様。じゃが、都の方角からここまで異様な波導を感じるというのは……かの地で何かあったのでは」

 

ふと、黄蓋がそう呟く。老練の将である黄蓋には、押し寄せてくる波導の根源を感じることが出来た。それは烈火の如く燃え盛る

 

憤怒と、言い知れぬほどに強く深い悲哀。数多の戦場を駆け抜け、戦いの中で燃やされる生命の炎を数えきれないほどに見てきた

 

黄蓋をして『異様』と評さしめるほどの波導。いつも豪快で、孫策に全幅の信頼を置く黄蓋が心配するのも無理は無かった。

 

「不吉な事を言わないで!姉様達はきっと、きっと大丈夫よ……ごめんなさい、つい感情的になってしまったわね」

 

そんな黄蓋の呟きをすぐさま否定したものの、孫権もまた黄蓋と同じように孫策達を心配していた。それほど武に長けてはいない

 

彼女でも、この事態の異常さは理解出来た。汜水関、或いは虎牢関で何が起きているのだろうか。そしてそれを想像し、心配する

 

しかない自分がなんとももどかしく感じられ、長髪を一房手に取り、それを握り締めながら空を見やる。

 

「……私達には、祈ることしか出来ない。戦なんて起きなければ……」

 

本隊と別れ、裏方に徹する自分には何も出来ない。出来ることといえば、祈ることだけ――それが尚のこと、孫権を苦しめる。

 

「……『乱世を治めんとする者が、乱世を逃げ道にしてはならない』……誰が言っていたことだったかしら?」

 

不意に思考の内に浮かんできた言葉を口に出す。孫権にはよく似合う考えの言葉。しかし、孫策といい黄蓋といい、彼女の周囲は

 

血気盛んな人物ばかり。誰がそれを言っていたのか――それを考えた時、孫権の胸がずきりと痛んだ。

 

 

□幽州・涿郡

 

――幽州・涿の地。城の中庭の東屋で、三人の少女が空を見上げていた。

 

「さっきまでいいお天気だったのに、急に雲が出てきましたね~」

 

「……この異様な気配は……とすると、この雲は自然のものではない……稟さんはどう思います?」

 

「おそらくは貴女の推測通りだと思いますよ。朱里殿から頂いたこの『気圧計』には、先程まで反応が無かったのですからね」

 

薄青色の癖毛を三つ編みにした赤い服の少女から問われ、朱里から渡された簡易型の気圧計を指し、郭嘉は少女の問いを肯定する。

 

これがあれば大まかな天候は予測出来るらしいが、先程まで反応が無かったにも関わらず、急激に気圧が下がったのだ。

 

「う~……肌が粟立っちゃいます~」

 

やはり癖のある薄青色の長髪を、こちらはそのまま流している白い服の少女が情けない声をあげる。両腕で自分を庇うようなその

 

仕草は、単に寒いからというには少し異常だった。軍師である郭嘉にはあまりわからないことだったが、その郭嘉にさえもそれが

 

異常だと思えるのだから、武官である白い服の少女や、両方を兼務する赤い服の少女が気付かない筈は無かった。

 

「何か感じてるの?」

 

「はい。とっても恐ろしい何か……立ち向かおうとしても、その途端に心を折られるような……姉さんは何も感じませんか~?」

 

「……なんでしょうね。この、心の奥底から湧き上がってくるような恐怖は……」

 

(貴女も同じようなことを言うのですね……どうやら、私達が感じている『何か』は、同じもののようですね)

 

姉妹のやり取りを見やりながら、郭嘉は心中で整理していく。この天候は明らかに不自然だ。快晴と呼べるほどの晴天だったのに、

 

ここまで急に雲が空を覆い尽くすのは少々おかしい。しかも予兆すらなかった。そしてある意味怖いもの知らずと言える白い服の

 

少女が肌を粟立たせるほどの気配。郭嘉も同じことを思う。立ち向かおうとすること自体、大いなる禁忌であるかのような――。

 

「姉さん……怖いです~」

 

「そんなに頼られても……私だって怖くて仕方がないのに」

 

戦に際しては勇敢だが、戦いを離れればよくいる姉妹にしか見えない二人。それほど背の高い方ではない郭嘉から見れば、一刀に

 

迫るほどに背の高い彼女達の方がよほど年上に見えた。そんな二人が怯えている傍で、自分はまだ考え事をするだけの余裕がある。

 

それは何故か――そこまで考えたところで、郭嘉はある確信に至った。

 

「……天梁(テンリョウ)天泣(テンキュウ)

 

あまりの恐怖からか、見てわかるほどに全身を震わせながら酷く不安げな表情を浮かべる双子の姉妹――麋竺と麋芳の真名を呼ぶ。

 

二人は黙って郭嘉に目を向ける。自身も今にも震えだしそうな恐怖を味わいながらも、それでも郭嘉は不敵に微笑んでみせる。

 

「一つだけ、確実に言えることがあります……我らは、勝ったのですよ」

 

麋姉妹はよくわからないといった様子で首を傾げる。だが、郭嘉にはわかっていた――この圧倒的な波導の源が、誰であるかが。

 

 

 

□益州・とある城

 

――荊州との境から然程遠くない、益州のとある城。城主・黄忠は、押し寄せてきた異様な波導に全身を強張らせた。

 

「うぅっ……なんて異様な気配。まるで、天が怒り狂っているようだわ……」

 

異様な波導にその豊満な肢体を震わせ、中庭の木々を揺らす風に菫色の長髪を靡かせながら、黄忠は空を眺めやる。この一帯では

 

元々少し雲が出ていたが、それでも晴れてはいたのだ。にも関わらず黒雲が空を瞬く間に覆い尽くし、まだ距離はあるが落雷まで

 

起きている。雷が非常に苦手な黄忠だったが、それ以上に押し寄せてくる波導に気を取られ、雷への恐怖心を忘れていた。

 

「……ごしゅじんさま……?……朱里お姉ちゃん……?」

 

「璃々?」

 

不意に、隣にいた黄忠の娘――璃々が空を見上げながらそう呟くのを、黄忠は聞き逃さなかった。

 

「お母さん、これって、ごしゅじんさまと……朱里お姉ちゃんだよね?」

 

「えっ?ええ……そうね、璃々。この感じを、私達は知っている。間違いないわ、あの二人よ」

 

璃々が挙げた二人の人間。明らかに知っている人間の気配を察知しているような口調である。璃々が挙げた二人のことが判らない

 

黄忠ではない。黄巾の乱が終わって暫くの頃に、黄忠は『かつての外史』の記憶を取り戻していた。二人の『天の御遣い』の噂は

 

ここ益州にも届き、それ以来、黄忠は職務の合間に情報を集めた。今頃は反董卓連合軍が結成され、知己である董卓達が諸侯から

 

攻められている筈の時期。しかし、連合軍にいるであろう一刀達の気配がここ益州の地までも届いたのは何故なのか。歴戦の将で

 

ある黄忠にもそれはわからなかったが、一刀達の気配が途轍も無い悲哀と憤怒に満ちていることにはすぐ気付いた。

 

「ごしゅじんさまと朱里お姉ちゃん、泣いてる……?」

 

感性の鋭い璃々も、黄忠と同じく感じていた。黄忠は後で知ったが、璃々の記憶は、黄忠とほぼ同時に戻っていた。記憶が戻って

 

以来、どこか人を超越したような感覚を度々見せる璃々の姿を何度も見ていた黄忠は、娘の感想に今回も全幅の信頼を置いた。

 

「二人は今、桃香様の所にいるっていう話だった筈だけれど……何があったのかしら……?」

 

「……ねえ、お母さん。もしかしたら……もしかしたらだよ?ごしゅじんさまたちは、桃香さまと喧嘩しちゃったのかも……」

 

「喧嘩?」

 

「だって、月お姉ちゃんは何も悪いことしてないもん。でも、桃香さまがなんで月お姉ちゃんを攻めたか、お母さんだって聞いて

 

 いるでしょ?もしかしたらだけど、そのことで喧嘩しちゃったのかも。なんとなくだけど……璃々はそう思ったよ?」

 

黄忠は戦慄した。語彙が増えているのは記憶が甦っているが故に当然だが、まだ幼い璃々が指摘した点は極めて肝要な点であった。

 

かつて感じた、劉備の理想の矛盾。それが何らかの、いや最悪の形で表面化してしまったのかもしれない。もしかすると一刀達は

 

董卓に味方している可能性もある。そして黄忠は間もなく知ることになる――璃々の指摘が、正しかったということを。

 

 

 

□司隷州・京兆尹

 

――洛陽から遠くない京兆尹・長安の地。風に当たろうと庭に出ていたその少女は、都の方角に鋭い目を向けていた。

 

「なんて不穏な天気……自然のものだとは思えないわ」

 

艶やかな黒髪を強風に靡かせる小柄な少女は、胸にこみ上げてくる何かを抑え込むように、胸に握り拳を当てながら、尚も洛陽の

 

方角に視線を向け続ける。明らかに都の方角から広がっていると思われる黒雲は、雨の代わりとばかりに雷を盛大に落としている。

 

河内郡の実家を離れて暫く。長安には物も情報も集まるため、殆ど外に出られない少女も、あまり不自由はしていなかった。この

 

長安も最近では少しずつ状況が改善し、それを為した董卓への感謝の声があちこちで上がっている。

 

その矢先に、反董卓連合の檄文であった。その噂は長安にも届いている。世間的には董卓は悪人とされ、諸侯が連合を組んでまで

 

董卓を排除しようとしているのだ。董卓がどんな人物であるかは、すぐ隣の雍州での治政を見ればわかること。少女は連合の噂を

 

耳にしてからすぐに、董卓の情報を集めた。知れば知るほど、有能で民想いな人物。劉協からの信頼も篤く、民からの評判も良い。

 

中央で働いている少女の父が偶に寄越す便りを読めば、父も董卓を高く評価しているのが文中から見て取れた。

 

だからこそなのか――

 

「天は怒っている……董卓さんを、ひいては立ち直ろうとしている漢王朝を、我欲で叩き潰そうとする諸侯に……」

 

漢王朝は腐敗していた。それは中央との繋がりが深い家系に生まれた少女も痛いほどに知っている事実である。しかし今は状況が

 

違う。民は、世は確かに待ってくれないかもしれない。だが、賢い皇帝と有能な為政者を得て、後漢王朝は今まさに立ち直ろうと

 

しているのだ。王朝の力が弱まってしまったが故の乱世にあっては仕方のないことかもしれないが、だからといって再生の途上に

 

ある王朝を、今度こそ完全に潰そうとしている諸侯の姿に、少女は悲しみと怒りを覚えていた。

 

「……もしも曹操さんの要請を受けていたら、その片棒を担がされていたかもしれない……」

 

そもそもこの少女が実家を離れて長安に来たのも、曹操からの執拗な要請から逃れるためであった。『八達』の中でおそらく最も

 

優秀であり、尚且つ、美しく愛らしい容姿を持つ少女。「その手の趣味」を持つ人材収集家の曹操が、少女に目を付けぬ筈は無い。

 

それを見抜いていた少女は、厳格な父に頼み込んでまで実家の伝手を頼り、長安に逃れて来たのである。

 

「……逃れてきても、曹操さんの『草』の目を避けるために籠の中の鳥……皮肉ね」

 

どちらにせよ自由はきかない。曹操の所に行けば漢王朝滅亡の片棒を担がされ、今こうして長安にいても何も出来ない。なんとも

 

歯痒い状況に置かれていた。こんなことなら寧ろ父と同じように中央に仕官し、戦いを早期に終わらせるために自身の力を活かす

 

べきだったのかもしれない――少女はそう思い、今になって自らの選択を悔いた。

 

噂では、今は劉備軍にいる筈の『天の御遣い』が皇帝側についたらしい。その噂の真偽を確かめる術は今は無いが、いずれそれを

 

確かめられる時が来る。徳高き名将と名高い、二人の『天の御遣い』。民衆の心を集める彼らは、諸侯とは正反対の行動をとった。

 

――もし、曹操ではなく彼らに出仕を求められたなら。

 

「……噂が本当なら……紫青(シセイ)の力を、御遣い様方にお預けしても良いのかもしれませんね」

 

少女――司馬懿の呟きは、強風と落雷が起こす轟音に掻き消されていった。

 

 

□徐州・下邳国

 

――徐州・下邳国の地。徐州牧・陶謙は、嵐とともに押し寄せてきた異様な波導にその身を震わせた。

 

「ぬうぅ……なんという氣の波導じゃ。この感じは……御遣い殿達か」

 

「くぅっ……!全身にびんびんくるッスよ……ってお婆!心当たりがあるんスか!?」

 

陶謙の隣にいた深紅の長髪を持つ少女――高順もまたその身を震わせていたが、何か知っている様子の陶謙に気付いて声をあげる。

 

「……燐鳴(リンナ)よ。いくら風が強いとはいえ、そんなに大声を出さんでも聞こえておるわ。うむ、確かにわしには心当りがある。以前、

 

 わしが『向こう』に行っておった時、『天の御遣い』達に出会ったと話したであろう?この感じはまさしくあやつらのもの」

 

「『天の御遣い』!?じゃあ、この滅茶苦茶な天気って、御遣い様達が起こしてるって言うんスか!?」

 

「そうとしか思えんほど強い波導じゃ!これほどの氣、文台や寿成でも……!」

 

昔馴染みの名を挙げ、それらとは比べ物にならないほどの闘気を、陶謙は肌で感じていた。天候すらも一変させるほどの力を持つ

 

存在が本当にいて、そんな存在に己の願いを託したのか――陶謙の背を、薄ら寒い感覚が這い上がってくる。

 

「お婆の言うことを信じてないわけじゃないけど、ちょっとここまでくると信じきれないッス……」

 

「それがわからぬからお主は未熟だというのだ、燐鳴。じゃがお主の言うこともわかる。確かにこれは……」

 

歴戦の猛将である陶謙ですら、出会ったことのない異常事態。まだ年若い少女である高順に理解しろという方が難しかったか――

 

そう思い直し、陶謙は洛陽の方角へと目を向ける。その目は、いつも以上に苛烈な光を湛えていた。

 

「……お婆、何考えてるんスか?」

 

高順が不安げに訊ねてくる。陶謙とこの少女の関係はかなり長い。身寄りのない彼女を引き取り、武芸の稽古をつけ、育ててきた。

 

その甲斐あって、今では十分に一線を張れるだけの実力を持っていると陶謙は踏んでいる。軍の正式な将ではないが、黄巾党との

 

戦いで何度か部隊を任せ、最小の被害で最大の効果をあげてきた。親しみやすい性格のおかげで、軍内でも彼女を慕う者は多い。

 

いっそ、武者修行と称して高順を一刀達に同行させてやろうかとも考えていた陶謙だったが、ただでさえ彼らにはやるべきことが

 

あった上、陶謙が動けないために「董卓を救ってほしい」という願いまでも託してしまっている。いくらなんでもそれ以上は拙い。

 

そう考えて、陶謙は高順を傍に置いたままにしているが、落ち着いたら向こうにやってもいいと考えていた。

 

「……燐鳴よ、これより先の大陸の動きをよく見ておけ。わしが見込んだ者達が、どこまでやるのかをな」

 

「御遣い様達のことッスか?燐鳴も会ってみたいッス。強いって噂だし、勝負もしてみたいッスね」

 

「今のお主では瞬きもせんうちに負けるわい。わしでも数合打ち合うのがやっと……その数合すら叶わぬやもしれんぞ」

 

「ええっ!?お婆が数合で負ける!?御遣い様達ってそんなに強いんスか!?」

 

「見ただけで技量の高さは感じたわい。文台や寿成でもあそこまでは出来まいよ。いったいどんな修羅場を潜り抜けて来たのやら。

 

 それほどの力を持つ者達が天地揺らぐほどに怒るとは。連合の俗物共め、やってはならんことをやってしもうたようじゃな……」

 

陶謙は空を見上げ、つられて高順も空を見上げる。嵐は、なおも続きそうにしか見えなかった。

 

 

 

□西方・『さいはての村』

 

――西方の辺境にある、通称『さいはての村』。そこを訪れていた医者・華佗は、驚いて東の方を振り向いた。

 

「これは――ぐぁっ!くっ!な、なんて氣の波導だ……!」

 

神農大帝の時代より伝わる幻の医術『五斗米道』を修得し、各地で病人や怪我人を治療してきた医者である華佗。『五斗米道』の

 

性質上、氣の扱いにかけては超一流であるため、華佗はこの異様な波導に内包されているものをすぐに感じ取った。

 

「……これは、怒り……そして、哀しみ……間違いない。どこかで戦いが起きている……それも、大きな戦いが……!」

 

乱世にあっては戦いは頻繁に起こり得る。それがすぐにどうこう出来るようなものでないことは華佗とてわかっている。それでも、

 

人々を医術によって救う医者である華佗にとって、戦とは何よりも憎むべきものの一つであった。諸侯のつまらない我欲のために

 

多くの命が簡単に消える戦。戦う者全てを否定しているわけではないが、それでも彼は戦いには否定的だった。

 

「――おにいさん、どうしたの?」

 

不意に、一人の少女が話しかけてきた。藍色の髪を持つ幼い少女だった。不思議そうに華佗を見上げている少女は、背中に大きな

 

籠を背負い、草刈り用と思われる小さな鎌を手に持ち、これから森に山菜を採りに行くとでもいわんばかりの格好である。

 

「ん?……ああ、なにやら東の方から妙な気配を感じてね……」

 

「それって、この強い風とかと一緒に吹きつけてくる何か凄いもののこと?」

 

「っ!?君にもわかるのか!?」

 

「うん。でも、多分村のみんなも、なんとなくわかってると思う。みんな怯えてお家に篭ってしまったから」

 

つい先ほど着いたばかりの華佗だったが、少女に言われて初めて気付く。確かに村には人の気配こそあれど、人の動きは見えない。

 

少女が言ったとおり、それぞれの家に篭ってしまったらしい。無理もない――少女は話を続ける。

 

「でも、おかみさんから『仕事はしっかりやれ』って言われたから、これから山菜を採りに行くの」

 

「そうか……でも、この荒れ具合だと森の獣達も凶暴になってるだろうしな。危ないから、オレもついて行こう。もし君が怪我を

 

 したら、すぐに治療も出来る。オレも丁度、薬草を採ろうと思っていたところなんだ。手持ちがそろそろ不安だったしな」

 

「おにいさん、お医者さんなの!?」

 

「ああ。名乗るのが遅れたな。オレは華佗。大陸中を旅しながら、色々な所で人々を治療している医者だ」

 

「すごい!じゃあ、色んなお話、知ってるんだ!ねえ、おにいさんさえよかったら、今晩にでもお話、聞かせて!」

 

目を輝かせてそう請い願う少女に、華佗は笑いながら応じる――ふと、まだこの少女に名前を訊いていなかったことを思いだした。

 

「そういえば、お嬢ちゃんの名前を聞いてなかったな」

 

「わたし?わたしは――」

 

華佗に訊ねられ、少女は一瞬躊躇ったようだったが、すぐにまた笑顔になって、華佗の問いに答えた。

 

「キョーイ。わたしの名前は姜維」

 

さすらいの医者・華佗と、辺境の村に住む少女・姜維。この出会いが新たな流れを生み出すことを、今の二人が知る由も無かった。

 

 

 

□豫州・潁川郡

 

――豫州・潁川郡の地。気ままに町をぶらついていたその少女は、突然天候が悪化したので、近くの茶店に避難していた。

 

「おばちゃん、嵐が来そうだよ。吹っ飛ばされるといけないから、暖簾だけでも取り込んでおいたら?」

 

「こりゃ大変な風だね……まあ、あんたの言う通りに取り込んでおこうか。さて公達ちゃん、何か飲んでいくかい?」

 

「ん、じゃあお茶。いつも通り温めでお願い」

 

「あいよ」

 

少女――荀攸の注文を承った茶店の女将が奥に引っ込む。間もなく茶が届き、荀攸はそれをゆっくりと啜りながら外を眺めやった。

 

「……いやぁ、あんなに晴れてたのに急に曇りだして、おまけに風は吹くわ、雷は鳴るわで大変な天気だね」

 

「そうだねぇ。これじゃあ今日はもうお客は望めそうにないさね。暖簾を取り込んで、早めに店仕舞いしちまおうかね」

 

「店仕舞いはせめて私が飲み終わるまで待ってよ、おばちゃん……それにしても、変な天気。自然のものじゃないみたい」

 

そう言って、荀攸は目を細める。北方のどこかから吹きつけてくる異様な気配。荀攸もある程度は武芸を嗜んでいるため、それが

 

凄まじい闘気であることはすぐにわかった。だが、それ以上の情報を得ることは出来ない。普段はあっけらかんとしている荀攸も、

 

流石に恐怖を覚えるような現象。それを吐き出すように大きく息を吹けば、湯呑みを満たす薄茶色の水面が揺れる。

 

「自然のものじゃないって……じゃあ、これは天の御怒りってことかい?怖いねぇ……」

 

女将はそう言って、奥に引っ込んでしまった。勘定の時に呼べばいいか――そう思って、荀攸はまたゆっくりと茶を啜る。

 

(反董卓連合、ね……どー考えても、あれって言ってることが滅茶苦茶な気がするけど。袁紹が発起人になってる時点でね)

 

既に民の間で噂になっている、反董卓連合軍。都で専横を極める逆賊・董卓を討つ正義の連合軍――民の間ではそんな噂が流れて

 

いるが、荀攸はその欺瞞を見抜いていた。この乱世にあって、そんな単純な理論が罷り通るわけがないのである。

 

(桂花の奴、兗州の曹操に仕官したって言ってたけど……ありゃ、片棒担がされたね。本人としては良いんだろうけどさ)

 

ごく近い関係である年下の親戚の顔を思い浮かべる。関係はすこぶる良好とはいえないが、一応定期的に便りはくれる。そのため、

 

荀攸は曹操の性格をある程度把握していた。曹操ならば絶対に連合に参加するだろう――荀攸はそう結論付けていた。

 

(近いうちに顔出しに行くか。曹操にも会ってみたいし……確かめたいこともあるし、ね)

 

心中で今後の計画を瞬時に組み立て、荀攸はそこで茶を飲み干した。女将を呼んで勘定を済ませ、店を出る。髪が乱れないように、

 

荀彧のそれに似た形状の、鮮やかな橙色の頭巾を被る。歩きながら空を見上げれば、天候は悪化の一途を辿っていた。

 

「……灯里。あんたは今どこにいるの?まさか、戦場になんていないよね……?」

 

強風に吹き消されかねないような小声で、親友を想ってそう呟く荀攸。彼女は心配していた。親友は戦場にいるのかもしれないと。

 

そんな筈はないだろう――かぶりを振る荀攸だったが、その心配が的中していたことを、彼女は後に知ることになった。

 

 

※(二)に続く

 


 
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