戦が終結し、平原に立ち込めていた矢が風を切る音も剣戟の音も全てが止んだ。
今や耳に入るのは敵味方問わず兵の、つまり人の声だけ。
本来ならば一刀もそこに加わって戦の後始末に追われている頃なのだが、今回の戦ではそれよりも優先すべき事項があった。
そう、顔良達幹部の処遇決定である。
予定通り顔良は生け捕った。
恐らく左翼側、つまり恋の方へ赴いたと思われる文醜も、菖蒲がいたから問題ないだろう。
後は春蘭がきちんと袁紹を生け捕っているかだが、右翼における戦いぶりを見ればそれも大丈夫だろうと考えられる。
それらの心配も多少なりしつつ、ひとまずは魏軍の本陣へと顔良を伴って向かう。
顔良は最早逃走どころかちょっとした抵抗すらする気力が無くなったようで、特に拘束しているわけでも無いのに大人しく付いて来ていた。
尤もこの状況下で逃走を図ったり抵抗を試みればどうなるかは自明だからかも知れないが。
右翼の戦闘がいち早く決したのか、一刀が本陣に着いた時にはまだ詠と月、そして秋蘭以外の将は揃っていなかった。
「お疲れ、詠。全体的な被害はどうだった?」
「あら、一刀、おかえりなさい。予想よりも大分軽微よ。さっき両翼に詳細確認の為に兵を出したところ。
ついでに袁紹軍の降兵の取りまとめは梅にお願いするつもりだけど、問題無いかしら?」
「ん……そうだな。こっちは俺たちでどうとでもなるだろうし、そっちの人手もいることを考えればそれが一番か」
「なら決まりね。梅に伝令を。そのまま降兵の取り纏めをしろと伝えて頂戴」
「はっ!」
言伝を受けた兵が左翼へと去っていく。
その背を見やっていると隣に移動してきていた秋蘭が話しかけてきた。
「お疲れ、一刀。全く、相変わらずお前には驚かされてばかりだな」
「秋蘭こそ、お疲れ。結構な強行軍だったんじゃないか?」
「いや、それほどでもなかったよ。なにせ今回は熟練の兵ばかりで構成した部隊だったからな」
「そうだったのか。何にせよ、ありがとう。で、今更秋蘭を驚かせるようなこと、何かやったっけ?」
夏候の地にいた頃から随分と長い付き合いの秋蘭。
しかも彼女は一時期黒衣隊の長官さえ務め上げていた。
言わば一刀の表も裏も色々と知っている人物になるのだが、裏を返せばそれだけ一刀に関して驚かせることのハードルが上がっているとも言える。
その理由にとんと見当もつかず首を傾げる一刀の様子に、微笑を浮かべて秋蘭が答えた。
「月の部隊のことさ。あの十文字とかいう武器、どういったものかは知らされていたが、あれほどだとは思わなかったのでな。
私自身、そして私の部隊が弓を扱う部隊だからこそよく分かる。あれは破格の性能を持っている。
それを難なく作り、自在に操らせる辺り、まだまだ私は一刀を知らなかったのだと思い知らされたよ」
なるほど、と納得する。
自身が精通しているものだからこそ、普段以上に超時代的なものを感じ取れたのだろう。
しかし、とも思う。それはすぐに一刀の口を突いて出ていた。
「そう言ってもらえて光栄ではあるけど、あれはあれで弱点も結構あるんだよね。
一番大きいのは、構造のどこか一か所でも狂ってしまえば、真桜なりのところに持っていって直してもらわないと使えなくなる、ってところか。
それにこの十文字、弓より長射程だって説明したことあると思うけど、これ実際にはちょっと違うんだ。
相当の熟練を除く一般兵の弓よりは、ってのが正しいところ。例えば今回の袁紹軍のような、ね。
最大射程だけで見れば実は秋蘭の持つ餓狼爪みたいな長弓の方が飛ばせるはずだ。ただ、それにはかなりの訓練が必要になってくるだろうけど。
十文字の利点を正しく表すなら、準熟練弓兵の射程を容易に、それも低労力で実現できること。そして、十文字自体の鍛錬に然程時間を取られないために、他の武器種と両立が可能、ってことだな」
「それでもなんだがな――っと、この話はここまでのようだな」
そう言った秋蘭が流した視線の先、そこには恋と菖蒲、そして文醜の姿があった。
「ちょっ、ちょっと待ってくれ!痛い、痛いって!」
「……?」
「いやいやいや!何で、ちょっと何言ってるか分からない、みたいに首傾げ―――痛てててて!?」
3人が近づくに連れ、魏軍本陣に文醜の悲鳴が響き渡る。
恋が文醜を連れてきたのだが、半ば渋る文醜を力任せに引っ張っているようだ。
その腕を引っ張る方向というのが、文醜が一度逃げようとでもしたのか、肘の逆方向になっていた。
「恋さん、人間の間接はその方向には曲がりませんので、それはさすがに危ないかと」
「……そう?分かった」
「うぉっ!?」
菖蒲に諭されてパッと恋が手を放す。
いきなりだったためにドテッと尻もちをついて文醜は倒れてしまう。
「痛てて……ちっくしょ~……」
肘を擦りながら自力で立ち上がると、文醜は恋と菖蒲に前後を挟まれたまま大人しく歩き出した。
こちらも顔良と同じく拘束されておらず、得物を菖蒲が預かっている状態。
ずっと右翼の戦場だった辺りへチラチラと視線を向けていた文醜だったが、ある程度まで近づいた時点でこちらを視認するとそれがピタリと止む。
どこか安堵したような表情も見える辺り、それらの原因は恐らく顔良であろうと推測は出来た。
文醜のよそ見が無くなって若干早まった足取りで戻ってきた3人に、早速労いと疑問の言葉を投げかける。
「お疲れ、恋、菖蒲さん。ところで、さっきのはどうしてあんな状態に?」
「お疲れさまです、一刀さん。実は先程文醜さんが、左翼の結果だけでも知りたい、と突然走り出しかけまして……」
「……逃げそうだったから、捕まえた」
「だから違ぇって!あたいは斗詩が無事かどうかだけ知りたかったんだってば!!」
文醜の言葉から推測が当たっていたことは確定したが、それでも呆れることに変わりは無い。
袁紹もまだ来ていないので本題に入るまで時間はあるか、と考えて一刀は文醜を諭すことにした。
「その行動は余りに考え無しが過ぎるというものだよ、文醜さん。
確かにそうしたい気持ちは納得出来る。だが、今の貴女の立場を考えればそれは最悪の行動だと分からないかな?」
「うっ……そ、そりゃ分かってんだけどさぁ……」
「きつい言葉を使うが、捕虜が勝手な行動を取った場合、最悪殺されても何の文句も言えない。その身で戦を行う以上、そういった最低限のことだけは気を付けないとダメだ。
命を無駄に捨てたいわけでは無いのだろう?」
「…………はい……スンマセン……」
言い返すことも出来ず項垂れる。
一刀としても文醜と顔良に関する情報はかつての自分の調査でも、桂花からの情報でもそれなりに得ていたこともあり、それ以上責める気は無かった。
「たとえ運が巡った結果なんだとしても、折角拾えた命なんだ。次からは気を付けるように。
ああ、とりあえず顔良さんの隣にでも座っていてくれ」
そう指示され、文醜は大人しく顔良の横に腰を下ろす。
さすがに一刀に諭された直後なだけあって言葉を交わすような真似はしなかったが、アイコンタクトを交わして互いの無事を喜んでいた。
そのまま待つことおよそ15分、春蘭が中央奥から袁紹を連れて現れた。
こちらは文醜や顔良とは異なり、しっかりと拘束されている。
その理由は視界内に現れて以降の袁紹の暴れっぷりによって明らかであった。
「放しな、さい、なっ!!この私を誰だと思っているんですの!?」
甲高い袁紹の叫びが風に乗って一刀達の下にまで運ばれてくる。
これに対する反応は完全に二極化していた。
魏陣営は皆が皆呆れたような溜息を隠そうともせず漏らす。
一方で顔良と文醜は先程の一刀の話のこともあり、このままでは袁紹がどうなるか分かったものではない、と顔を青ざめさせていた。
2人がハラハラしながら見守る中、依然として暴れながらも春蘭に引き摺られるようにして徐々に近づいてくる。
「ちょっと、聞いてますの!?この!三公を輩出した袁家の!当主たる私に!貴女如き一般兵がこのような真似を―――」
「だから、何度言わせるつもりだ!!お前は戦に負けたのだ!最早その肩書きなど何の意味も持たんだろう!」
距離が縮まったことで春蘭の怒号も聞こえるようになる。
それを聞いてか、隣から、おぉ、と感嘆らしき息漏れが2つ上がった。
「春蘭様が頭を使っておられます……!」
「あぁ、姉者……!これほどに成長してくれていたなんて……!」
「ちょっと2人とも、それはさすがに―――」
言い過ぎじゃないか、と続けようとした言葉が途切れる。
2人に顔を向けると、どういうわけか、先程の発言の後に何かを期待するかのようにこちらをチラチラと伺っていたからだ。
「……え~っと?何を期待していらっしゃるので?お2人さん」
「なに、折角だから”ぼけ”と”つっこみ”とやらをやってみようと思ったのだが……むぅ、何か間違っていたのか?」
一刀の問いかけに平然とそう返す秋蘭に呆気に取られてしまう。
そもそも何故2人がそれを知っているのか、そこからして謎なのだ。
「色々と言いたいことはあるんだが……取り敢えず、それ、誰から聞いたんだ?」
「あの、風さんからです。なんでも天の国には”まんざい”なるものがあるとか」
元凶の名を出され、一瞬の間を置いて理解した。
いつぞや、風と稟のやり取りを見てふと呟いたことがあったのだ。まるで漫才のようだな、と。
それを耳聡く聞き留めた風が一刀に説明を迫った。
特に隠すようなことでも無いしな、と漫才の簡単なシステムを風に解説してやったことも覚えている。
それがまさかこのような形で妙な広がりを見せるとはさすがに思ってはいなかったのだが。
風への対応は後日考えるとして、とりあえず今すべきことを為す。
「秋蘭、菖蒲さん。風からどこまで聞いたかは知らないけど、確かに俺の国での漫才はその場を和ませる効果があるにはあるんだけども……
春蘭はそれを知ってるの?」
「いや、姉者は知らないと思うぞ。私と菖蒲が風から偶々聞いただけだからな」
「うん、だったらそういうのは止めといた方がいいね。知ってたら”ボケ”ってことでまぁ通じるだろうけど、知らないんだったらただの陰口だからさ」
「む……確かに。しかし、姉者はなぁ……」
「普段から華琳様に結構言われておられますよね……」
「あぁ、そう言えば……うん、なんか大丈夫な気がしてきたわ。ゴメン」
妙な説得力が菖蒲の言葉には宿っていて、思わず納得してしまう。
苦笑を交わし、誰からともなく、取り敢えず春蘭を待とう、と提案された。
幸い、と言っていいのか、袁紹を連れた春蘭は10分と経たずして一刀達の下までやってきた。
「お疲れ、春蘭。すまなかったな、任せっきりになっちゃって」
「何、気にするな。これが私の役目なのだからな!それで、こいつはどうすれば良いのだ?」
「あぁ、取り敢えず顔良の隣にでも。さて、袁の3人が揃ったところで、早速ではあるが―――」
「ちょっと待ってくれ!」
一刀の話し出しを折るように文醜が言葉を被せてくる。
どうしたのか、と視線で問うと、文醜は勢い込んでこう言い放った。
「あんたと斗詩は……以前に会ってるのか?」
「あぁ、そうか。その様子だと何も伝えていないようだね、顔良さん」
「……少しだけ、話しました。ですが、元々無理矢理呼び出されたようなものでしたし、話す必要は無いと判断したまでです」
結果としてこの判断が正しかったのかどうか、今となっては自信が持てないのだろう。答えるまでに僅かな間があった。
尤も、今そのようなことは一刀達にとってはどうでも良いこと。
今考えるべきはその詳しい内容を知ることが今からの話に必要がどうか。
これに関してはこれからの一刀の話に関わることでもあるので、一刀は顔良と相対した時のことを語ることにした。
「では私の方から話しましょうか。これは貴女方袁紹軍が劉備を追って我等の領内にまで侵入しようとした時のことです―――」
―
―――
―――――
劉備を追おうとする袁紹軍を撃退したその夜。
念のための警戒として陣を張った魏軍。
見張りと万一の伝令引き継ぎの為の兵を残し、将も含めた皆が撃退戦にて疲れた体を休ませている中、陣を離れる人影があった。
「隊長ですか。どちらへ?」
「野暮用だ。朝までには戻る。大丈夫だとは思うが、もしこっちで何かあったら花火を鳴らしてくれ」
「はっ。お気をつけて」
誰かを伴うでもなく、パッと見には武器すら持たず、一刀は悠々とした足取りで馬の下へと歩き、そのまま跨って駆けだす。
向かう先は第3地点の奥、州境を越えた先の開けた平地。
知力のある彼女であればきっとくるだろう。そしてその際に約を違えることもしないはず。
明確な根拠は無い。しかし、これまでたった一人でかの軍を支えてきたと言える彼女ならば、ここは従った方が得策だと気付いてくれると信じていた。
果たして、その奇妙な信頼は裏切られることなく。
一刀が指定の地に着いた時には既にここでの相手、顔良その人が待っていた。
「随分と大胆にやってくれましたね。北郷さん、いえ、御遣いさん、とでもお呼びした方が?」
到着した一刀に早速掛けられた言葉自体は幾分か皮肉めいたものであるも、その声には明確な敵意が刻まれている。
追撃のためにほとんど即席でまとめられただけの部隊とは言え、そのど真ん中まで侵入された上に書簡を無警戒で受け取ってしまったのだ、当然と言えば当然の反応だろう。
言葉を交わす前から顔良はずっとピリピリしているのに対し、一刀は普段と何ら変わらない様子でゆったりと構えている。
それでもさっと周囲の気配を探ることは忘れない。
近づいている段階からほぼ確信はしていたが、やはり顔良は一人できたようだ。
「呼び方は何でも構わないさ。それより、本当に一人で来てくれたみたいだね。感謝するよ」
「あんなものを渡されて、下手な真似はさすがに出来ません。
噂程度でしかありませんが、ここ最近の許昌の、これまでからでは考えられない程著しい発展は聞き及んでいます。
貴方が本当に天から遣わされた可能性、それが微量でも残っている限り、最大限の警戒をすることは当然では?」
「うん、まあそうやってまともに判断してくれることに賭けたんだけどね。正しく読み取ってくれて嬉しいよ」
薄く笑みを浮かべて一刀はそう返す。
一刀が顔良に渡した書簡。そこには次のようなことが書かれていた。
『顔良殿に内密の話あり。戦地より5里後方、平原に2刻の後来られたし。こちらに害意は無し。
なお、そちらの動向は全て掴んでいる。こちらの意にそぐわぬ行為がその場で確認された場合、主君と同僚と共に命を投げ出す覚悟をば』
有体に言って脅迫であり、通常であれば軍内最重要人物を含んだ重要人物3人を容易にどうこう出来るなど到底考えられない。
しかし、ここで活きてくるのが堅く封鎖しておいた許昌における詳細な情報だ。
絞りに絞られた情報からは、ほんの噂程度でしか天の御遣いについて知ることが出来ない。
断片的に入ってくる許昌の目覚しい発展の情報と関連させざるを得ず、その正体を想像するしか出来ない。
だが、人は得てして未知に対して過大評価、もしくは過小評価をしやすい。
顔良もまたその状態に導かれ、自然と気づかぬうちに”天の御遣い”のことを過大評価させられていた。
許昌の異常な発展は本当に天の業かも知れない。何か、得体の知れない技術を使用してくるかも知れない。
あまりに突拍子もないようなその仮定も、一度有り得ると思ってしまえば途轍もなく重い楔となってしまう。
顔良は自ら選択したようでいて、その実一刀達の情報操作術によって行動をほとんど操られていたようなものなのだった。
いくら柔らかく対応しようとも、顔良の全身から発せられるひりつくような緊張感は一向に減衰しない。
それだけ警戒するように仕向けたのだから、仕方ないか、と内心で軽く溜息を吐く。
「この場は回りくどい物言いは止めておこうか。だから、単刀直入に言おう。
顔良。我等が陣営には君を迎え入れる用意がある。待遇も申し分ないものにしよう。
こちらに来い、顔良。君のその能力、袁紹の下で腐らせておくには勿体無いものだ」
敵陣営からの引き抜き。
それ自体は決して珍しいものではない。
だが、最高位の幹部にこれほどまで直接的に、かつ根回しすら無くそれを行う者がいようなど、誰が考えよう。
顔良もまた、一刀の言葉の予想外さに限界まで目を見開いて驚きを示していた。
が、いつまでも驚いてはいられない。
話の方向性は顔良自身が幾つか想定していたパターンの中に無いものであったが、ここで黙ってしまうことが顔良にとって不利になるだろうことだけは直感で悟った。
心底驚きはしているものの、顔良の答えなど初めから決まっていたのだから尚更だ。
(わざわざこんな場を作るくらいだし、黙っちゃうとどんな甘言を弄されるか……黙ったらいけないっ!まずは―――)
心中で警戒のレベルを一つ押し上げ、顔良は脳裏で言葉をどうにか組み立てつつ、これ以上会話の主導権を渡さぬよう口を開いた。
「お断りします!私はずっと自分の意思で麗羽様――袁本初様に仕えているんです!」
強く意思を込めてキッと睨み返してくる顔良。
視線をぶつからせた2人の間に沈黙が幕を下ろす。
暫しの間を置いてこの沈黙を破ったのは一刀だった。
「……これはどうにも、曲げられそうにないね。そして、この場で折ることもまた、無理なんだろうね」
「当たり前です。どれほど破格の条件を提示されようと、私が麗羽様を裏切ることはありません!」
鉄よりも堅い意思。それが顔良の瞳には宿っている。
こういった瞳をした人物に、手練手管は通用しない事の方が多い。
だからこそ、一刀はあっさりと引き下がることにした。
しかし勿論、ただでは引き下がらない。
体を半ば反転させ、帰る意思を見せながらも一刀は顔良に宣言を残す。
「もう貴女も想定しているだろうけど、近々、袁紹軍と曹操軍で大きな戦が起こる。その際、俺達は君たちより遥かに少ない人数で綺麗に撃退しよう。
残念だが、有能な人材を活かすことが出来ていない袁紹軍では我等が軍には勝てないだろう。
加えて機能していると言える人材が君主を含めて3人、その内の2人は思考が読みやすい。貴女の策ですら、我等が陣営の軍師は容易く看破出来る。ちなみにこれは荀文若のお墨付きですよ。
完膚無きまで打ちのめして貴女達を捕縛した後、また同じ問いかけをするとしましょう。
ま、その時にいい返事が聞けることを祈っていますよ」
一刀のこの態度をただの傲岸不遜と受け取ることが出来たら、その後の顔良の対応も違ったものになったかも知れない。
が、至るところで圧されてしまっていた顔良は、この時そのまま受け取ってしまった。
どうにかしなければならない。このまま壊されてしまってはいけない。
まるで強迫観念にも似たそれらの考えが、結果として顔良を縛ることとなっていたのだった。
―――――
―――
―
「―――と、まあこんなわけで、一応事前に顔良さんとの面識だけはあった。そうなるね」
一刀の語った内容に、その場にいる各々の中には、何か言いたげな顔をしている者もいた。
が、ひとまずそれらを無視し、まずは話の続きを再開する。
「さて、取り急ぎ考えるべきは貴女達3人の処遇ということになるんだが……どうしたものか」
考え込む仕草を取ると、前方で3人に俄かに緊張が走ったことが分かった。
「えっと……一刀さんは顔良さんを引き入れたいのでは無かったのですか?」
横合いからおずおずと月が声を掛けてくる。
その質問に、当然、と首肯しながらも、しかし言葉は残念そうな響きを以てこう返された。
「そうしたいのはやまやまだったんだけどね。月達を、つまりこの部隊の皆を追いやったことに対する認識、その他を舌戦の時に見ただろう?
兵達が納得しないんじゃないか、と思うと、ね……」
顔良達の緊張の度合いが高まる。
しかし、そんなものはどこ吹く風、一刀の側では他の将までもが加わって話が進んでいく。
「なるほど。下の者の意を酌むことは大事なことだものね。そうなると……」
「ふむ。先人達の築いた定石通りならば、捕らえた首脳陣を放つことにそれほどの利点は無いのだろうが……」
「さすがに一刀さんお一人の考えで全てを決定してしまうわけにはいきませんですしね」
「む?結局斬るのか?」
どんどん不穏な方向へと向かっていくその会話に若干ならず袁紹が顔を青ざめさせる。
一方で顔良と文醜は騒ぐことも無く、されど顔色を極端に青ざめさせるでも無く、至極大人しかった。
決して話についていけていないわけで無く、一刀達の方に視線を向けて何事かを考えている。その瞳は真剣そのものであった。
「結局のところ、皆の意見も総合すると――」
「すいません、ちょっといいでしょうか?」
魏陣営の話が進み、再び一刀が口を開こうとしたその時、顔良がそれを遮るようにして発言許可を求めてきた。
「ん?どうかしたのかな、顔良さん?」
ラグ無しで即座に振り向いて応じる一刀。
顔良はその眼を真っ直ぐに見据え、確かな覚悟が滲む言葉がその口から紡ぎ出される。
「北郷さん、貴方が予言された通り、私達は完敗しました。そこにこちらから言えることは何もありません。
私達の処遇を検討する。その権利は確かにそちらにあります。
ですが。もしも、まだ私達に、いえ、私に選択肢を与えてくださると言うのでしたら……」
言葉に詰まり、僅かに顔を俯かせる。
しかし、すぐに逡巡を振り払うように軽く首を振ると、再び一刀の眼を見据えて、一段と力強く宣言した。
「私はこの身を全て捧げます。名も、顔も、今持つ全てを捨てる覚悟を以て魏国に下り、貴方が期待される働きを献上します。
物理的に不可能でないならば、この命続く限り、どのような仕事でもこなします。
ですから……せめて麗羽様と文ちゃんの命だけは、どうか助けて頂けませんでしょうか……?」
その場に居合わせたほぼ全ての者が、時間を止められたかのように息を呑んだ。
言葉を選ばず言うなれば、彼女は残る2人の為に自らの人権を放棄して奴隷になると言っているようなものだ。
重い。これ以上があるのか、と言えるほどに重い、その覚悟。
あの袁紹でさえ目を剥き、その名を途切れ途切れに呟くしか出来ないでいる。
身動ぎの音すら生じないほどの静寂の中、ジッと見つめ合ったままの一刀と顔良。
やがて一刀が徐ろにその口を開く。
「……それは、本気で言っているのか?」
「はい、勿論です」
「ふむ……嘘偽りは無さそうだな。なるほど、見上げた忠誠心、友誼だ。だが……」
一刀の台詞の最後に入った逆説。
それを耳にし、顔良の肩がピクッと跳ねる。
その流れから入る逆説に、いい予感など抱けるはずも無い。
何か、まだ差し出せる代償は何かないか。そう必死に思考を巡らす顔良の耳に次に飛び込んできたのは、予想外の人物からの、想定すら出来ないような言葉であった。
「……一刀、意地悪?」
今まで黙していた恋の一言。
一体何を、と頭上に疑問符を浮かべた顔良他2名を尻目に、一刀は恋に向き直って応じた。
「おいおい、恋~。そこはもうちょっと黙っててくれても良かったんじゃないか?
そりゃ、方針を変えるつもりは無いけど、今はそれとは別に見ておきたいものがあったんだしさぁ」
「……一刀なら、最初ので分かってたと思う」
「む……ふぅ、参った!うん、確かにちょっと楽しくなってきてしまってたのは認める」
それまでの調子を180度変えた口調で応じ始めた一刀に、図らずも顔良の目は点のようになってしまう。
思考は麻痺し、今取るべき行動など思いつきもせず、只々成り行きを見ているだけだった。
そんな顔良に再び振り向き、軽く咳払いを一つ入れてから一刀が切り出す。
「まぁ、今恋が言った通りなんだが。悪いね、少し貴女達を試させてもらった。
詠と秋蘭、それに菖蒲さん、ありがとう。即席にも関わらず合わせてくれて」
「全く。次からはそういう可能性は事前に相談しときなさいよね」
「なに、構わんさ」
「よ、良かったです。考え違いでしたらどうしようかと……」
三者三様の応えにもう一度礼を述べ、顔良に対して一刀が続ける。
「顔良さん、貴女の真なる忠誠心、そして友誼、確かに見させてもらった。その上でやはり、我々は貴女の能力を欲することを告げよう。
ああ、別に人権を無視するようなことはしない。1人の官として扱うことを約束しよう。
それと、きっと出してくるだろうから先に提示するが、勿論袁紹と文醜に危害は加えない。
望むならばそのまま魏軍に迎え入れても構わない。ただ、こっちはちょっと調整が面倒かも知れないが」
「ぇ……?あ、あの、それは本当のこと、なんですか……?」
呆然と、ただそれだけを尋ねる。
返答は、首肯。
ならば考えるまでもない、と顔良は即座に返答する。
「受けます。いえ、受けさせてください!ですから、お願いです。その条件は必ず……!」
「ありがとう、顔良さん。歓迎するよ。大丈夫、俺は約束は破らない。
さて、じゃあ後の2人は――」
「待ってくれ!だったらあたいも魏に下る!
今までもたくさん斗詩に助けてもらったことがあるんだ!こんな時までただ助けられるだけってのは耐えれんねぇよ!」
食らいつくようにそう言い放った文醜。
猪突猛進なところが目立つものの、指示されたことは好く守るタイプの武官。
運用次第では確かな戦力として数え上げる事も出来るだろう。
対して文醜を受け入れるデメリットはさしてあるとは言えない。
そもそもからして先程の一刀自身の言葉のこともあり、一刀の出した返答は当然、諾であった。
「そうか。ならば構わない。
それで、袁紹さんはどうするかな?」
「麗羽様……」
「姫……」
2人の側近から当てられる、何かを訴えるような視線。
如何な袁紹と言えども、その意味を読み違えるようなことは無かった。
「……わかりましたわ。私も下ります。私の……負けですわ」
大将の口から出た、敗北を認める言葉。
この瞬間、多少面倒な戦の後始末の半分が終了した。
その後、梅によって纏め上げられた袁紹軍敗残兵は、一刀達の前に連れて来られた。
そこで放たれた宣言の内容に、一同に衝撃が走る。
曰く、兵への処罰は一切無し。今後の兵役の強要も行わない。故郷へと帰りたい者は後に編成する護送部隊と共に戻っても良い。
宣言の内容が染み渡ると、どこからともなく歓喜の声が上がった。
命があっただけでも儲けものと思っていたところに、強制された兵役の正式な解除が言い渡されたようなものなのだから。
一部の者、後に判明するが顔良や文醜の直属の部隊の者達、そして古くからの袁家の親衛隊。
彼らを除いた、実に平原に屯する8割程の者達が、その顔に笑みを浮かべているという、一種異様とも言えるような光景は、そのまま暫く続くのであった。
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第五十話の投稿です。
捕らえられた袁紹、文醜、顔良の3人。
彼女達は果たしてどうなってしまうのか。