夏も過ぎてもうだいぶん涼しくなった秋の日の事です。
季節外れのセミが一匹、空を飛んでいました。
「ずいぶんと長い間、土の中での暮らしだったけど、地上は本当に気持ちいい。眩しい太陽、澄んだ空に心地の良い風。でも、いつまでもこうして飛んでいるだけではいられない」
そう、セミは七年間も土の中で暮らした後は、地上に出て、わずか七日間しか命がないのです。その短い中で子孫を残さなければなりません。
「よし、誰よりも大きな声で鳴いて、僕の相手を探そう。それが、僕の生まれてきた意味なのだから」
ジリジリ、ジジジ
セミは早速近くの木に留まり鳴き始めました。大きな声で、元気よく、遠く、遠くまで聞こえる声で。でも、しばらく鳴いている内に何だか様子がおかしい事に気がつきました。まわりにメスはおろか、自分と同じセミの仲間すらいないのです。
「何でだろう。この辺は木が少ないから、仲間も少ないのかな」
そう思って色々な所へ行ってみました。でも、公園にも、街路樹にも、庭の木にも仲間は全くいないのです。
やがて夕方になり、草むらや地べたの虫たちが一斉に鳴き始めました。セミは一生懸命鳴いたけれど、その声は多勢に無勢。どんどん掻き消されてしまいます。
「ジリジリ、ジジジ、ジジジジジ…だめだ、だめだ」
その様子を見ていたコオロギがセミに話しかけました。
「やあやあ、これは珍しい。アブラゼミさんだ」
「え、僕が珍しい?どういうことだい、コオロギさん。やっぱりこの辺りにはセミはいないんだろうか」
「いやいや、ちょっと前までは珍しくなかったんだよ。でも、もうこの辺りにはセミはいない。もう秋だからね、みんな死んでしまったよ」
セミは、出てくるにはちょっと遅すぎたのです。秋になってすぐならまだみんないたのに、こんなに涼しくなってはもう誰もいないのでした。
「……そんな、じゃあ僕はどうすればいいんだろう。相手を探すために鳴いているのに、その相手がいないなんて」
「う~ん、南の方が暖かいと聞いた事があるんだが……もしかしたら、暖かいからまだ君の仲間がいるかも知れない。私は地べたを跳ねる事しかできないけど、君は空を飛べるから、ずっと遠くへ行く事もできる。どうだろう、行ってみては」
それを聞いてセミは少し救われた気持ちになりました。それからセミは南へ、南へと飛び続けました。空を飛べるから遠くまで。でも、セミが飛べるのはあと数日しかありません。一日、二日、三日…セミは飛び続けました。
セミが生まれてから一週間程経った日の事です。
夏が忘れ物を取りに来たかの様な、とても、とても暑い日でした。
セミは、ある家の庭木に留まりました。
「あれから、ずっと飛んできたけど、仲間はどこにもいなかった。もう、ずいぶんと力が抜けて、上手く飛ぶ事も、大きな声で鳴く事も難しくなってしまったな」
でも、セミはジリジリ、ジジジと鳴きました。それが、セミの生まれてきた意味だから。
「僕は、一体何の為に生まれてきたんだろう。七年も土の中にいて、ようやく地上にでたというのに」
がらがら、とガラス戸を開けて縁側に家のおじいさんが出てきました。片手にうちわ、片手に麦茶。よっこらしょと腰を下ろすとおじいさんは言いました。
「あ~、何とまた今日は夏が戻ってきたみたいに暑いと思ったら、セミまで鳴いているよ。今年、最後の聴き納め、夏の納めといきましょか」
セミは思いました。もう、上手く声も出ないけれど、最後は、このおじいさんのために精一杯鳴こう。
ジリジリ、ジジジ、ジジジ、ジ、ジ、ジ
おじいさんは穏やかに、嬉しそうな顔をしていました。セミは一生懸命鳴きました。
ジリ、 ジ ジ ジジ、ジ
今までで、一番へたくそだけど、一番、心をこめて。一声、一声。
そして、セミはいつの間にか天地がひっくり返っているのに気がつきました。
ああ、そうか。僕はもう死んじゃうんだな。でも、良かった。最後に、僕の声を聞いてくれる人がいて。僕の声を嬉しそうに聞いてくれて。生まれてきた意味が見つかって。
その年。その日が終わった後。
忘れ物や思い残しはもう無いかのように、夏の暑さが戻ってくることはありませんでした。
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夏の終わりと秋の始まり