秋の空は澄み渡って高く、そよぐ風は涼を運んで心地よい。
蒼穹を眺めながら彼女は目を細め、手にした杯に口をつけた。
くいとあおり、酒を口中に含む。
ふわりと暖かな甘露を存分に楽しみながら、彼女はひとりごちた。
「良い風になったもんだねえ」
つんつんとはねた赤い髪、紅白を中心に緑を配した着物にも似た衣装、そして傍らに広げられた巻物にも似た飛行甲板――それらが、彼女をして普通の女の子ではないことを如実に示している。
艦娘。人類の脅威、深海棲艦に対抗しえる唯一の存在。
まだ日は高い。それでも飲めるのは、非番の特権というやつだ。
漆塗りの杯を手に、ゆるゆると酒をたしなむその姿は、一幅の絵のようだった。
軽空母、「隼鷹(じゅんよう)」。
それが彼女の艦娘としての名前である。
「深海棲艦」という存在がいつから世界の海に現れたのか、いまでは詳しく知るものはない。それは突如、人類世界に出現し、七つの海を蹂躙していった。シーレーンを寸断されて、なすすべもないように見えた人類に現れた希望にして、唯一の対抗手段。
それが「艦娘」である。かつての戦争を戦いぬいた艦の記憶を持ち、独特の艤装を身にまとい、深海棲艦を討つ少女たち。
艦娘とて常に戦場にあるわけではない。過酷な前線に身を置く彼女たちであればこそ、与えられる休暇は貴重であり、かけがえのないひとときであった。
「あー、やっぱりここにいた」
不満そうな声を耳にして、隼鷹は振りかえった。
おそるおそるという様子で一人の艦娘が“よじ登って”くる。
さらさらとした長い黒髪、華やかさを感じさせる整った顔立ち、そして隼鷹とよく似た紅白の衣装。
「おーう、飛鷹(ひよう)じゃん」
「探したんだから。よりにもよってこんな――ひゃあ!」
突然、強めの風が吹き、飛鷹が悲鳴を上げて座りこむ。
その様子を見て、隼鷹はからからと笑った。
「無理してこなくていいのに」
「屋根の上じゃ声が届かないじゃないのよ!」
柳眉をしかめながら、飛鷹が言う。
そう、隼鷹がいるのは鎮守府の屋根の上である。鎮守府の屋根は緩やかながら傾斜のついた金属瓦となっている。そこに登ろうと思ったら、手近な出窓から身を乗り出してよじ登ってくるしかない。
「いいだろー、ここ。なかなか高いから鎮守府が一望できるんだぜ」
隼鷹がにっかりと笑いながら言うと、飛鷹はため息をついて、
「なんとかと煙は高いところが好きだって言うけどね……」
そう言って、身をかがめて、そろそろと近づいてくる。
「まあまあ。せっかく来たんだし、どうだい」
隼鷹はそう言うと、杯に酒を注ぎ、ついと突き出した。
それを見て飛鷹の端整な顔がますます険しい表情になる。
「こんな昼間っからお酒なんか飲んでるの?」
「なかなかオツなもんだぜ。どうだい、一杯」
差し出される杯を、飛鷹は両手で突っ返しながら、答えた。
「遠慮するわ。こんな明るいうちから飲むなんて非常識にも程があるもの」
「いいじゃん、非番なんだし。昼からひっかけたってバチは当たらないよ」
隼鷹の陽気な声に、飛鷹はあきれた顔で言った。
「わたしたちは艦娘なのよ? いつなんどき出撃があるか分からないのに、そんなに呆けていていいの?」
「まじめだなあ、飛鷹は。もっと肩の力抜きなよ」
「隼鷹みたいに、ふにゃふにゃになるのはごめんこうむるわ」
「おいおい、相方にその言いようはないでしょ」
「事実だもの、仕方ないじゃない」
隼鷹と飛鷹は姉妹ではないが、それに近い関係であった。元になった艦はもともと商船であったものを、戦時改造で空母に改装された経歴を持つ。艦娘としての彼女たちにもその記憶は引き継がれていて、ともすれば軍艦としての名ではなく改装前の船の名前が出そうになったり、敬礼にしても他の艦娘に比べるとどこかゆるくて締まらない印象がぬぐえない。
とはいえ、真面目な飛鷹はそこそこきちんとしているのに対して、万事が適当な隼鷹はどこかいい加減でイージーな印象がぬぐえない。こんな相方と同じに見られてはたまらないとことあるごとに飛鷹は口をすっぱくして隼鷹に言うのだが、当の隼鷹はどこ吹く風と自分のスタイルを崩そうとしない。いまだってそうだ。
むすりとした顔でにらんでいた飛鷹は、ふと下の方を見て、ぞわっと肩をすくめ、
「――こんなところ、酔っ払って落ちちゃったら、おおごとじゃないの」
「あー。そりゃたしかに。ここ五階だっけ六階だっけ。艦娘でも落ちたらさすがに怪我はするだろうねえ」
そう言うと、飛鷹はすくっと立ってみせた。
それを見て飛鷹がぎょっとして目を丸くする。
「ちょっと、だいじょうぶなの?」
「へいきへいき。酒も切れたし、ちょいと補充してくるかな」
そう言って、足取りも軽く隼鷹が屋根を歩く。酔いが回ったふうでもなく、足取りもたしかで、怖気づいた様子は微塵もない。
それをぽかんとした様子で見ていた飛鷹であったが、
「――ちょっと待ちなさいよ」
そう声をかけられて、隼鷹が振り向く。
「どした?」
呼び止めた飛鷹はというと、じとりとした目に、ちょっと震える声で言った。
「……お、降りるの手伝ってよ」
立ち上がろうとして、しかし、ふるふると身をすくませている。
そんな相棒の様子を思わず可愛いと思って、隼鷹は笑みを浮かべた。
「なあんだ。おやすいごようだよ」
そう言って、手を差し伸べると、飛鷹は照れくさそうに頬をふくらませた。
左手に陶器の徳利。右手に漆塗りの杯。
飲兵衛ここにありといった風情で隼鷹はゆるゆる歩いていた。
鎮守府の敷地にそよぐ風が心地いい。
わずかに火照った頬から熱がさめていくのを隼鷹は楽しんでいた。
すれちがう駆逐艦娘が眉をひそめてこちらを見るのを、隼鷹は意にも介しない。
正体をなくすほど酔うのは悪い酔い、人に絡むのは良くない酔い――それが隼鷹のモットーだ。飲むからには楽しく、迷惑をかけずに、自分にも周りにも心地よければそれで一番なのだ。で、あればこそ、こうして飲んでいても後ろ指を差される筋合いはないのだ。見事に自己正当化してみせた隼鷹としては遠慮するところなどなにもない。
ふと、隼鷹は岸壁の一角にたたずむ人影を目にして、声をあげた。
「おぅーい、祥鳳(しょうほう)、瑞鳳(ずいほう)」
自分でも思ったより大きな声が出てしまった。
すれちがったばかりの駆逐艦娘がびくっと身体を震わせ、じろりとこちらをにらんでくる気配を感じながら、隼鷹は人影に向かってすたすたと歩いていった。
声をかけられた方はというと、隼鷹のいでたちを見て、やれやれといった顔で、
「また飲んでるんですか、隼鷹さん?」
白い着物を片肌脱ぎにした長い黒髪の艦娘――祥鳳がそう言う。
「この間は出撃にまでお酒持ってきてましたよね」
そう指摘したのは、赤と白の弓道着に身を包んだ小柄な艦娘――瑞鳳である。
二人に言われて、たははと照れ笑いを浮かべて見せた隼鷹は、艤装の点検をしていたらしい彼女たちの様子を見て言った。
「そっかー、二人ともこれから遠征か」
「ええ、南西海域に囮機動部隊を出すんです」
瑞鳳が答えてみせるのに、祥鳳が続ける。
「潜水艦の子たちが少しでも動きやすいように支援しませんとね」
そう言って、祥鳳は弓を構えてみせた。瑞鳳も飛行甲板の点検に余念がないようだ。
そんな様子を見て、隼鷹はうんうんとうなずいてみせ、
「いやあ、えらいねえ。おつかれさんだよ、ほんとに」
隼鷹のその言葉を聞いて、祥鳳がややあきれた顔をしてみせた。
「何言ってるんですか。月が変わったら隼鷹さんたちの出番ですからね」
「そうですよ。近海の対潜哨戒はわたしの役目なんですから、そしたら隼鷹さん飛鷹さんが遠征に出るんですよ?」
瑞鳳が腰に手を当てて言うのに、隼鷹はその肩をぽんぽんとたたいてみせた。
「わかってるよ、うん、わかってるともさー。でもね、いまは祥鳳と瑞鳳がお仕事なわけよ。非番のわたしとしては無事を祈って一杯やるほかないわけよ」
したり顔の隼鷹の言葉に、祥鳳と瑞鳳は顔を見合わせると、
「何もなくたって隼鷹さんは飲むんじゃないですか?」
「無事を祈るときぐらい素面でいてください」
二人してつっこむのに、隼鷹はにぱっと笑ってみせる。
「まあまあ。二人とも調子は変わりないようでなによりなにより」
そう言ってみせると、祥鳳が少し顔をうつむけて言った。
「まあ、ちょっと落ち込むこともありましたけどね……」
その言葉に、瑞鳳もやや陰りを帯びた表情をみせた。
「遠征から戻ってきたらびっくりしたよね。戦没者が出た、って……」
束の間、どよんとした空気が流れたが、すぐにそれを打ち消すように祥鳳が、
「でも、落ち込んでばかりもいられませんから」
「そうです。任務は待ってくれませんし、お仕事してれば気も紛れますし」
そんな二人の様子を、隼鷹は笑みを浮かべたまま聞いていたが、
「そっかそっか。まあ、二人が元気そうならそれでいいんだ、うん」
そう言って、あらためて祥鳳と瑞鳳の肩をたたき、
「筑摩なら一命は取りとめたらしいよ。いまは練度を回復するのに頑張ってる」
隼鷹のその言葉に、二人が目を丸くする。
「本当ですか?」
「ずっと遠征に出てたから気がつかなかった……」
驚いた様子の二人に隼鷹は微笑みながら、
「まーあ、演習漬けでなかなか忙しいみたいだけど、機会があったら声かけてやってよ。ちょっと色々忘れてるっぽいけど、喜ぶと思うし」
「ええ、そうします」
「教えてくれてありがとうございます」
「いいっていいって。それよりそろそろ出発しなきゃならないんじゃないの?」
隼鷹がうながすと、祥鳳と瑞鳳はぺこりと頭を下げて、桟橋へと駆けていった。
「ちわーっす、鳳翔(ほうしょう)さんいる?」
「あら、隼鷹さん、いらっしゃい」
隼鷹の声に応じて、割烹着姿の艦娘が店の奥から出てくる。穏やかな顔立ち、たおやかな物腰、声も温和そのもの――鎮守府でも古参である、軽空母の鳳翔である。
かつては第一線で戦っていたものの、いまは半ば引退して鎮守府内で小料理屋を開いている。その味は「これぞおふくろの味」と皆に言わしめるほどで、その温厚な人柄から彼女を慕う艦娘も多い。“小料理屋鳳翔”は提督禁制の店なので、艦娘どうしが胸襟を開いて語るにはもってこいのお店なのだ。
「まだ仕込み中だから、何も出せませんよ?」
おっとりと微笑む鳳翔に、隼鷹は頭をかきながら徳利を突き出し、
「いや、あたしの用はこっちのほうでさ」
それを見て鳳翔は目を丸くしたが、ついでくすりと笑みをこぼしてみせた。
「もう、また昼間から飲んでいるんですか」
「こんなの飲んだうちに入らないって」
隼鷹が笑ってみせると、鳳翔はふうとため息をついて、
「ほどほどにしておくんですよ。あなたはお酒には強いほうだけど、うっかりどこかでつまづいたら痛いじゃすまないんですから」
そう言いつつ、鳳翔は棚から一升瓶を取り出した。
「はい、いつもの」
「おっ、すまないねえ。いっちょなみなみと頼むよ」
隼鷹が徳利の栓を開けると、鳳翔がとくとくと酒を注ぎ始める。
徳利を支えながら隼鷹は店内を見回して、さりげない調子で訊ねた。
「どうだい、お店、繁盛してる?」
「おかげさまで。ここ数日は賑わってますよ」
「ここ数日は?」
「ええ。筑摩さんのことがあったでしょう?」
その言葉に隼鷹がすっと目を細める。
酒を注ぎ終わった鳳翔は、右の頬に手を当てながら、言った。
「あれがショックだった艦娘はやっぱり多かったみたいなの。飲もうっていう気もなかったのか、一時は客足も減ったわね。ただ、長門(ながと)さんが主だった重巡の子たちを連れてきてからは、その風向きも変わったかしら」
「ふうん、艦隊総旗艦どのがねえ」
「あの夜は結構荒れてたわねえ……提督への不平不満を皆で言い合って。ただ、そこで吐き出したらすっきりしたみたい。それからは、昨夜もその前も、いたって平和よ」
「ほー、それはそれは」
何の気なし、というふうにうなずいてみせた隼鷹だったが、その目つきをみて、鳳翔が困ったように眉をひそめてみせる。
「――あら、怖い顔して。何をたくらんでいるんですか?」
「へ? やだなあ。何もたくらんでないよ」
照れ笑いを浮かべて隼鷹はそう言い、徳利を手にとってみせた。
ゆすって中の酒がちゃぷちゃぷと音を立てるのを聞いて、満足げにうなずく。
「ただの飲兵衛が世間話しているだけさ」
隼鷹のその言葉に、鳳翔がふうと息をつく。
「まあ、そういうことにしておきましょうか――お酒、それで足りますか?」
「うん、平気平気。これだけあれば一人で飲むには充分……」
言いさした隼鷹を、鳳翔がじっと見つめている。隼鷹はにかっと笑みを浮かべ、
「まいったな、鳳翔さんには。あまり追求しないでおくれ」
「――たぶん、お気に召すと思いますよ」
誰が、とは言わない。ただ、鳳翔は嫣然と微笑んでみせる。
言われた隼鷹は笑いながら、手を振って小料理屋を後にした。
「ちょっと通りまーす」
「どいてどいてー」
黄色い声がそう呼ばわりながら、ごろごろと重く転がる音が鎮守府に響く。
リヤカーに荷物をどっさりと載せて、艦娘が二人がかりで運んでいるのだ。
「おー、精が出るじゃん、白露(しらつゆ)、村雨(むらさめ)」
それを見かけた隼鷹が声をかけると、艦娘たちが顔をあげた。
額には汗で前髪が張り付いているが、表情は晴れ晴れとしている。
「こんにちはー、隼鷹さん」
リヤカーを引っ張る方の艦娘――白露がそう応えると、
「ええ、がんばらないとですから」
後ろから押す方の艦娘――村雨も続けて声をあげる。
隼鷹は笑みを浮かべて二人に近づくと、リヤカーの荷物をまじまじと見つめた。野菜や米袋が山と積まれているその様子に、
「なんだいこりゃ。大食堂で使うのかい?」
「はいはーい、そのとおりです。食堂の素材ですよー」
村雨がにっこりと笑みを浮かべて答える。
「みんなよく食べるから、きちんと補充しないといけませんから」
白露がふんと息をついて、言った。
「おなかが減っては戦ができませんからね!」
「――いやあ、待機組も大変だねえ」
二人の顔を見ながら、うなずきながら隼鷹は言った。
艦娘にも生活というものがある。艤装の整備だけでなく、艦娘自身の食事などのおさんどんなどだ。それらは出撃しない留守番の艦娘――練度の低い三線級の艦娘、通称「待機組」の仕事となっていた。
彼女たちは前線に出て戦うことはまずないのだが、鎮守府を回すための重要な役回りであった。出撃前に艦娘がたっぷり食事をとれるのも、帰投後に汚れた衣服を洗濯してもらえるのも、鎮守府内で綺麗に整えられているのも、すべては待機組の働きゆえと言えた。待機組の待遇は第一線の艦娘に比べれば必ずしも良いとは言えず、それゆえに待機組から出撃組への鞍替えを希望する艦娘も少なくないのだが、それでも自ら望んでおさんどん仕事をやろうという艦娘もいる。
白露と村雨は、そんな家事仕事を引き受ける、やる気のある待機組であった。
「あんたらのおかげでちゃんと飯が食えるんだなあ。ご褒美に一杯飲む?」
隼鷹が徳利を差し出して見せると、白露も村雨も苦笑いを浮かべ、
「だめですよー、わたしたちはまだ仕事中です」
「隼鷹さんも飲むのは鳳翔さんとこだけにしてくださいよ」
そう二人につっこまれ、隼鷹は頭をかいてみせた。
「そっかそっか、うん――しかし、みんなよく食べるもんだねえ」
食料品が満載されたリヤカーを見ながら隼鷹は言った。
「食欲の秋だからみんな食が進むのかねえ」
そう言ってみせると、白露が少し眉根を寄せてから、言った。
「うーん、どうかなあ。みんな食欲がもどってきたのはここ数日かな」
白露の言葉に、村雨がうなずいてみせる。
「北方海域から帰ってきてからはみんな食べる量減ってたよね」
「新メニューを投入したらぼちぼち戻ってきたけどね」
「やっぱりみんなご飯はしっかり食べてほしいもんね」
二人の言葉に隼鷹はうなずきながら、白露の肩をぽんぽんとたたいた。
「いやあ、そりゃよかった。まあ、食べなきゃ元気でないし、食べられるだけの余裕がみんな出てきたってことなのかな」
隼鷹がそう言うと、白露は首をかしげてみせた。
「そういう――ことなんでしょうか?」
「うんうん。食べられるってのは大事なことさ」
にかっと隼鷹は笑うと、リヤカーからひょいとリンゴを一個手にとった。
そのまま、手を振って、その場を立ち去ろうとする。
「ちょっともらっていくぜ?」
「あっ、もう、だめですよ!」
白露が頬をふくらませるのに、隼鷹は背中越しに答えた。
「お代は提督につけておいてよ。必要経費だから」
そう言って歩みさる隼鷹を、白露も村雨も不思議そうな顔で見送った。
日が傾き、夕暮れに差し掛かった黄色い光が鎮守府を照らす。
隼鷹は、一見、何もすることがないかのように、敷地内をぶらついていた。
時折会う艦娘にいちいち声をかけていく。徳利を提げた陽気な様子の隼鷹を見て皆一様にあきれてみせたが、すぐに空気をなごませて話しかける。もともとが気さくな隼鷹が酔いに回った様子で明るく声をかけると、それだけで皆、口が軽くなるらしい。
いままさに空母寮の前で出会った二人もそうである。
「あら、隼鷹さんこんにちは」
「あー! また飲んでますね!」
銀の髪と茶色い髪、お揃いの衣装。からくり式の飛行甲板の艤装を背負った艦娘は、軽空母の千歳(ちとせ)と千代田(ちよだ)である。
「おーう、ご苦労さん。演習帰りかい?」
二人とも服が煤けているのを見て、隼鷹がそう声をかける。
「ええ、いまさっき終わったばかりです」
「もう、長門さんと赤城さんが組むメニューってすごくハード……」
ぐったりした声をあげる千代田に、千歳が目を細めてたしなめる。
「こら、そんなこと言わない。まだまだ練成が足りないんだから」
「そんなこと言っても」
千代田が口をとがらせて、不平をもらす。
「提督の要求レベルが高いのよ。第一線ってそこまで必要なのかしら」
そんな千代田に、隼鷹はにかっと笑いながら答えてみせた。
「二人とも良い線まで行ってると思うよ。でもあと一歩じゃないかねえ」
「そういうものですか……」
「それに、龍驤や筑摩の面倒みてほしいってのもあるんじゃない?」
そう、隼鷹はさりげなく名前を出してみせた。
「どうだい? あの子たちの様子は?」
その問いに千歳がやや首をかしげて答える。
「龍驤さんは問題ないですね。北方戦隊からの仲ですが、演習では制空権確保に一役買ってくれています。ただ、改装可能な練度がまだまだ先なものですから――」
「本人は『ぼちぼちやるわ』と言ってたよね」
千歳の言葉に千代田が続けて言う。
「もう一人の方は、どんな塩梅なんだい?」
隼鷹が笑みを浮かべながら訊ねる。
――しかし目は笑っていないことに千歳も千代田も気づいているかどうか。
問われた千歳はおとがいに手をやりながら少し考えてから、
「……めざましいですね。めきめき練度があがっています」
「はじめは新米の艦娘かってほどぎこちなかったのにね」
千代田の言葉に千歳がうなずいてみせる。
「ええ。あれは新たに学んでいるというより、昔の勘を取り戻している感じね。最初はちょっと違和感あったけど、最近は普通に会話するぶんにも問題ないし」
「そういえば演習から帰るたびに利根さんが迎えに来てるよね。二人で手をつないで帰って、見ててほほえましいなあ」
「あら、なに千代田? ああいうことしてほしいの」
「ち、ちがっ……千歳お姉、何言ってるのよ、もう!」
顔を赤くしてみせる千代田に、千歳はくすりと笑みを浮かべる。
だが、不意に、真剣な顔をして、ぼそりとつぶやいた。
「やっぱり、長門さんの言ったとおりなのかしら。あの筑摩さんは、本当に助かった筑摩さんなのかしら」
「でも戦没判定されたって、北方に行った人たちからは聞いてたけど?」
千代田の言葉に、千歳が首をかしげる。
「そうだけど、現にいまいるわけだし――まあ、いくつか筑摩さん忘れていることがあるみたいだけど、日を追っていくたびにそのあたりも戻ってきているわよね……」
そう言って、千歳も千代田も考え込んでしまいそうになるのを、隼鷹がからからと笑ってとどめた。
「まあまあ、元気そうなら何よりじゃん。安心したよ」
「安心したって、なにがです?」
千代田がきょとんとした顔をしてみせるのに、隼鷹はウィンクして応えた。
「なんでもない。まあ、何か気になることがあったら、長門さんに話しておくといいんじゃないかねえ」
隼鷹のその言葉に、千歳が笑みを浮かべてみせる。
「まあ、最初はとまどいましたけど、気になっているわけではありませんから」
「そうだよね、もう慣れちゃったよね」
二人がそう言うのに、隼鷹がうなずいてみせる。
「そっか。まあ、二人ともお疲れ様。早く着替えないと晩御飯間に合わないよ?」
「あーっ、そうだった。千歳お姉、急ごう?」
「そうね、では隼鷹さん、失礼します」
軽く頭を下げて寮の中へ入っていく二人を見送りつつ、隼鷹はひとりごちた。
「さてと――日も暮れるし、まあ、こんなものかな」
マホガニーの扉からうっすらと明かりが漏れているのを確認して、隼鷹は提督執務室の前に立った。こんこん、と軽くノックすると、中から「どうぞ」と提督の声がした。
「ばわーっす、提督、お疲れさん」
扉をひょいと開けて隼鷹が執務室に入ると、煌々と明かりが灯った執務室の中で、提督が黙々と言った様子で書類を片付けていた。提督自身は書類に目を落としたまま、隼鷹に声をかける。
「隼鷹か。何の用だ」
「いや、なにね。お仕事でお疲れの提督に差し入れをさ」
隼鷹はそう言い、にかっと笑って執務机へ歩み寄り、彼の鼻先に徳利を突き出した。
「酒か――つまみがないぞ」
「秋のこんな夜にはつまみなんざなくても飲めるもんさ」
徳利と杯を執務机に置くと隼鷹は窓の方へ近づいて、外を見ながら言った。
「虫の声を聞きながら、月を愛でて飲む。秋の酒はそれだけで美味いもんさ」
「そういうものか」
「――それで美味い酒が飲めないなら提督に悩みがある証拠さ」
隼鷹の声は、それまでのくだけた様子からは一転して、真剣な色を帯びていた。
黙りこくる提督に、隼鷹は、ぽつりと言った。
「たのまれごと、やってきたよ」
その言葉に、提督が真剣な顔で隼鷹を見る。視線を向けられた隼鷹はというと、苦笑いを浮かべて手を振ってみせた。
「ああん、そんな怖い顔すんなって――ひとまず、鎮守府はいつもどおりに戻ってるよ。筑摩の件はショックだったみたいだけど、皆、いまは気にしていないみたいだ」
「……そうか」
「長門さんが色々気を遣っているみたいだし、利根が筑摩と変わらず仲良くしてるのも大きいかな」
隼鷹はそう言うと、頭の後ろで手を組んで天井を仰いで言った。
「艦娘もいつまでも悲しみに浸れるほど暇じゃないし、暇にならないように提督もいろいろ仕事を振っているんだろう? ここ最近の鎮守府は特に色々立て込むようになって、ある意味活気があるからね」
提督の方へ顔を向けなおすと、隼鷹がウィンクして言った。
「後始末としては提督はやれることをちゃんとしてると思うよ。あたしにそれとなく皆の様子を調べるように頼むこともしたわけだしね」
「……すまんな、身内のスパイみたいなことをさせて」
提督の申し訳なさそうな声に隼鷹はからからと笑ってみせた。
「いいっていいって。あたしも気になっていたことだしね――提督はさ、もっと艦娘をたよっていいんだよ。あんたの責任はあんたのものだけど、全部背負い込んで自分を責める必要はないんだ」
隼鷹の声はあくまでも明るく、そして、からりと晴れ渡っていた。
「いろいろと聞いたよ。長門が諌めてくれたんだろ? 伊勢が殴ってくれたんだろ? 過ちをおかしそうになったら止めてくれるやつがいて、過ちをおかしたら殴って怒ってくれるやつがいる――なんだかんだであんたは慕われているんだ。そこは自信をもっていいんじゃないかな」
「――そんなに俺は凹んでいるように見えたか」
「長門とろくに話もせずに執務室にこもって仕事に埋もれているのが証拠さ」
そう言うと、隼鷹はすっと目を細めてみせた。
「筑摩がいったん戦没判定してから、長門とちゃんと話してないだろ?」
その問いに、提督がたちまち難しい顔をしてみせる。彼の表情を見て、隼鷹はふうとため息をついてみせた。
「だめだよー。ここの鎮守府は提督が司令官だけど、長門の存在あってこそ回ってる部分もあるんだ。それに――ケッコンカッコカリした仲なんだろ? つらいと思うときは弱音を吐いても許される仲だと思うぜ?」
隼鷹がそう言った、その時。執務室の扉をノックする音がした。
次いで、マホガニーの扉が開く。
「――失礼する」
姿を現したのは、長い黒髪を流し、凛とした顔立ちに武人の雰囲気を漂わせた艦娘――艦隊総旗艦の二つ名を持つ、長門その人であった。
提督はというと長門を見て目を丸くし、長門はというと隼鷹を見て目を丸くした。
「――どうして、君が」
「いや、わたしは隼鷹から呼ばれて――」
戸惑う様子の二人に、隼鷹がひときわ大きな声で、
「提督が、今夜は長門と飲みたいんだってさ」
そう言って、徳利をつんつんと指でつついてみせる。
長門は怪訝そうな顔で、
「そうなのか? 提督」
「いや、その、な――」
言いよどむ提督に、隼鷹が目配せしてみせる。
それを受けて、提督がかるく咳払いをして、言った。
「……ああ、君と飲んで――そうだな、話がしたい」
「そうか、うん、そうだな――わたしも提督と話がしたかった」
長門がすっと目を細め、執務机に歩み寄った。
それと入れ違うように、隼鷹がさりげなく部屋から去ろうとする。
「それじゃごゆっくり――虫の声、夜の月、そして憎からず思っている人が隣にいるだけで酒はぐっと美味くなるものさ」
そう言い残して、隼鷹はマホガニーの扉をそっと開く。
その背中に、提督と長門、どちらからともなく同時に、声がかけられる。
――ありがとう、と。
夜の鎮守府を隼鷹はゆるゆると歩いている。
いくつかの角を曲がった彼女は、月明かりに照らされた相方の姿を見つけた。
ちょっと柳眉をしかめた飛鷹の顔を、隼鷹は、ああ可愛いなあ、とふと思った。
「どこほっつき歩いていたのよ」
不満そうな飛鷹の声に、隼鷹は肩をすくめて答えてみせる。
「飲兵衛だからね、ほっつき歩いてしまうもんさ」
隼鷹の言葉に、飛鷹は黙って、徳利をつきだしてみせた。
「その割にいまは酔ってないみたいじゃない。その――これから、どう?」
飛鷹の申し出に、隼鷹は目を丸くし、次いで微笑んだ。
耳を澄まし、空を見上げる。
虫の声。夜空にかかる月。そして。
「――憎からず思っている人が隣にいるだけで、酒は美味くなる、か」
そうひとりごちると、隼鷹はうなずいた。
「いいよ。どこで飲む?」
「そうねえ……」
隼鷹が歩き出し、飛鷹が肩を並べて続く。
二人の間で、徳利がゆらゆらと揺れていた。
〔了〕
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ふよふよして書いた。やっぱり反省していない。
というわけで、ちょっとお待たせしてしまいましたが、艦これファンジンSS vol.19をお送りいたします。
筑摩さんロストのショックの後で、なんでもない日常回を書きたいなあと思ったものの、いまいちネタがなくて困っていたところ、Twitterのフォロワーさんから「隼鷹さんとか題材にしてはどうですか?」とリクエストがあったので、書いてみました。
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