一刀が月たちの下に身を寄せてから、しばらくの日数が過ぎた。
最初はガスも水道も電気も無い生活に戸惑いもした一刀であったが、住めば都とでも言うのか、そのあたりは徐々に慣れてきた。
一刀は最初、ただ世話になりっぱなしなのも悪いと思い、何か手伝えることはないかと申し出ただが、そもそも字が読めなかったので簡単な雑用以外は何も出来なかったのだ。
月は「気にしなくてもいいんですよ。」と言ってくれたが、このまま何もしないで、っていうのは流石に駄目だろ。
何というか・・・ヒモみたいじゃないか。
そういう訳で、一刀は暇を見つけてはもっぱら字を習うことにした。
分からない所があれば月や詠に、二人の都合がつかない時は通りすがりの文官に、さらには、商家の出身である侍女にすらも聞いて回った。
その甲斐あってか、大抵の書物は読めるようになったし、字もそんなに難しい言い回しを使わなければ手紙だって書けるようになった。
その覚えの早さに月は「すごいです!」と褒めてくれたし。詠も「冴えない見かけの割りにはそれなりに頭がいいようね。」と褒めているのか、貶しているのかよく分からない言葉を頂いた。
そんな一刀は木陰で本を読んでいた。
広場の隅にある木の下で、芝生の上に座って静かにページをめくっていると、何かが近づいてくる気配を感じた。
顔を上げてあたりを見回すとそこには犬がいた。ピンとたった耳につぶらな瞳をしたウェルシュコーギーが一刀を見つめている。
一刀もその犬を見ていると不意にその犬がこっちに近づいてきた。
一刀は特に何をするでもなくそのまま眺めていると、犬がぴったりと身を寄せて懐いてきた。
(誰かの飼い犬かな?)
一刀は犬の首に巻いてある赤い布を見てそう思った。
何はともあれ、好意には応えなければなるまい。一刀は本を読むのを中断し、その犬を撫でてみる。
すると、その犬は嬉しそうに目を細めて一刀の手をペロペロと舐めてきた。
それで気を良くした一刀は本を脇に置いて本格的に撫でたりくすぐったりした。
そうやって犬と戯れていると、またもや何かの気配を感じた。
気配の感じた方に目を向けると、今度は女の子がそこに立っていた。
半分白、半分黒という服装をした子はこっちをジーっと見つめていた。
「・・・・・・」
「・・・もしかして、この犬は君の?」
「・・・・・・(コクリ)」
女の子は犬とお揃いの赤い布を首に巻いていたので一刀が尋ねると、その子は一刀をジーっと見つめて頷いた。
「・・・・・・セキト」
突然その女の子がそう呟いた。
「・・・?もしかしてこの犬の名前?」
「・・・・・・(コクリ)」
話の流れからして聞いてみると、その子はまた頷いた。
「そうか、お前はセキトって言うのか。いい名前じゃないか。」
「わふっ♪」
一刀がそう言うとセキトは言ったことが分かったのか、嬉しそうに鳴いた。
「ははっ、随分と人懐っこいな。」
「・・・・・・違う。」
一刀がそう言うと女の子が首を横に振った。
「えっ?」
「セキト、人懐っこくない。・・・・・・知らない人には懐かない。」
「そうなのか?」
「ん・・・・・・(コクリ)」
「じゃあ、何で俺には懐いてるんだろう?」
「不思議・・・・・・」
(本当に不思議だ。犬に好かれる匂いでもするのだろうか?)
そんなとめどないことを考えていると、その子がジッと見ているのに気がついた。
「ああ、自己紹介がまだだったな。俺は北郷一刀って言うんだ。君は?」
「・・・恋。」
「恋?」
「ん・・・・・・(コクリ)」
「それって君の真名じゃないのか?」
読み方の感じからしてそう思った一刀はその子――恋に尋ねた。
「ん・・・・・・(コクリ)」
「いいのか?あったばかりの俺なんかが呼んでも?」
「いい・・・セキトがこんなに懐くの初めて・・・・・・それに・・・」
「それに?」
「悪い人じゃなさそう・・・だから信じる。」
恋が一刀の目を見て言った。そのあまりに真っ直ぐで純粋な瞳と言葉に一刀は笑みがこぼれた。
「それならありがたく呼ばせてもらうよ、恋。・・・・・・俺も恋になら真名で呼ばれてもらいたいんだが・・・」
「?」
「俺には真名が無いんだ、ついでに字も。だから悪いな恋。」
「(フルフル)・・・・・・気にしなくていい。」
「そうか・・・なら俺のことは一刀って呼んでくれ。恐らくそれが一番真名に近いと思うから。」
「ん・・・わかった・・・・・・一刀。」
そう言った恋の顔は、心なしか少し微笑んでいるように見えた。
そうして二人(+一匹)でまったりとしていると、
「恋殿~~。恋殿~どこですか~~。」
どこか遠くから、恋を呼ぶ声が聞こえた。
「・・・ねね。」
「どうやら呼んでるみたいだね。行ってきなよ。」
「・・・・・・うん。」
「セキト。君もだ。」
「わふっ」
一刀がセキトにそう言うと、セキトは恋の方に走って行った。
恋はセキトを抱き上げると、そのまま声のした方へ歩いて行こうとしたが、途中で立ち止まって振り向いた。
「・・・どうした?」
「・・・・・・また今度。」
「!」
一刀は嬉しく思った。『また今度』、それはすなわち、『機会があったらまた会いたい』と
いう言葉と同義なのだから。
「ああ、また会おうな。」
「ん・・・・・・(コクリ)」
一刀の言葉に満足したのか、恋は頷くとそのまま向こうに行ってしまった。
一刀は恋が去っていくのを見届けると、再び本を読むことにした。
読書を再開してからしばらくすると、侍女がやって来た。
「北郷様。」
「・・・どうした?」
「賈駆様がお呼びです。至急、評議の間までお越しください。」
「わかった。わざわざありがとな。」
「いえ、それでは。」
侍女は一礼するとそのまま自分の仕事の持ち場へと戻っていった。
「さて・・・・・・と。」
一刀はそう呟くと本を閉じて、評議の間へ向かうことにした。
「遅いわよ。」
評議の間に来た一刀への第一声は詠のそんな言葉だった。
「ああ、すまなかった。」
一刀は言われたとおりに、すぐに評議の間へ向かったが謝罪した。この世界には携帯電話なんて便利な物は無いから、呼ばれたらすぐに来るなんてことは出来なくても待たせてしまったことには変わらない。
「次からは気をつけるのよ。」
「駄目だよ詠ちゃん。一刀さんは私達に仕えているわけじゃないんだから。」
そう言って月は詠をたしなめた。
まぁ、月の言うことにも一理ある。一刀は二人に世話になってはいるがそれは食客としてだ。多少の頼みごとを要請することは出来ても、命令に従う必要はない。
「いいのよ、月。うちにはただ飯ぐらいを置いておく余裕なんて無いんだし、それにどうせ、他の女と話していたに違いないわ。」
「もぉ、詠ちゃんたら。」
「・・・・・・・・・」
一刀は何も言えなかった。よもや、詠の言ったとおり、女の子と話していましたなんて口が裂けても言えない。
「お~い、うちのこと無視せんといて~。」
一刀が声のしたほうに顔を向けると、そこには袴をはいて胸にはさらしを巻いた女性が立っていた。
「君は?」
「うちは張文遠っちゅうもんや。よろしゅうな、天の御遣いさん。」
「俺の名前は北郷一刀だよ。北郷でも一刀でも好きに呼んでいいけど、天の御遣いはやめて欲しいな張遼さん。」
一刀がそう言うと張遼は驚きで目を見開いた。
「すごいで!月、賈駆っち。この兄ちゃんうちが名乗ってない名まで知っておるで!」
「別に、元々誰かから聞いて知ってたんじゃないの?」
詠が至極まっとうな意見を言う。
「まぁ、半分は当たりかな。」
「・・・?どういうこっちゃ?」
「俺は元々この世界に来る前から君たちの事を知っていたんだよ。」
「嘘、本当に?」
詠が信じられないといった風に一刀を見た。
「本当だよ。何だったら君たちが知っていそうな名前を全部言ってみようか?」
そう言って一刀は三国志の董卓軍にいた、覚えている限りの武将を挙げてみた。
「・・・どう?間違っている所とかあった?」
「・・・・・・ありえないわ・・・我が軍の文官と武官をここまで知っているなんて。」
詠はがく然とした顔でそう呟いた。
「ほえ~、すごいやっちゃなぁ。」
「はい・・・私もびっくりです。」
張遼と月も呆然とした顔で一刀のことを見ていた。
「あなた・・・いったい何者なのよ?」
「・・・どういうことだ?」
一刀は詠が何を言いたいのか分かってはいたが、あえてとぼけてみた。
「とぼけないで!どうしてここに来て日も浅いあんたが我が軍の陣容をここまで知っているのよ!答えようによってはただじゃすまないわよ!」
「え、詠ちゃん・・・」
「詠、落ち着きなって。」
二人は詠をなだめるが、詠は引く気がないようだ。ジッと一刀の顔を睨み付けている。
仕方なく一刀は答えることにした。
「詠は始皇帝や項羽や劉邦のもとで活躍していた人物を知ってるか?」
「それが、どう関係するのよ?」
「つまりは、そういうことだよ。」
「・・・・・・・・・」
それっきり詠は押し黙ってしまった。月と張遼は分からないようだったが、詠は多分分かったのだろう。
「そんなことより、月たちがこうやって集まってるってことは何か話し合う案件があるんだろ?そっちを優先しよう。」
「あっ、そ、そのことなんですけど一刀さん・・・」
そう言って月はそっと詠に目配せする。
「・・・まだ来てない人がいるのよ。」
詠が不機嫌そうな・・・いや、実際に不機嫌なんだろう声でそう言った。
「・・・は?俺が来てからもう随分たつけど・・・・・・?」
一刀が来たときに詠は『遅いわよ』と言ったのだ。それなのにこれだけ経ってもまだ来てない奴がいるとはどんな強者なんだ?
「まだ来てない人って?」
「・・・呂布と陳宮よ。」
「呂布と陳宮・・・」
詠の言葉に一刀は反応した。とりわけ呂布と言う言葉に。
「おっ、なんや一刀、呂布に興味あるんか?」
それを目ざとく聞きつけた張遼が一刀に尋ねた。
「まぁ、これでも俺、武を志す者だからな。」
そう呂布といったら、三国志のメジャー中のメジャーだ。活躍するのが三国志の前半部分だけだが、その並ぶものなき武勇には一種の憧れすら抱いている。
「あ~、確かにあの強さはもう反則やからな。」
「やっぱり強いのか呂布は?」
「おう、むっちゃ強いで。うちも数回戦って勝てるか勝てないかや。」
「へぇ・・・」
素直に感嘆する。この張遼って子はどれくらいの武を持っているのかは分からないが、立ち居振る舞いから見て只者じゃないということが容易に分かるからだ。
「あーっ!そんなことよりあいつらはまだこないの!?いったいどこで道草くってるのよ!?」
「え、詠ちゃん、落ち着いて・・・」
一刀が張遼と話していると、遂に詠が爆発した。月が詠をなだめているが、そんなのは焼け石に水だろう。
そんな二人のやりとりと聞いていると、不意に扉の外から聞き覚えのある声が聞こえてきた。
「恋殿~急いでくだされ~、もうみんな集まっているはずですぞ~。」
「・・・・・・眠い。」
「恋殿おおおぉぉぉ~~~~。」
なにやら、少女の悲痛な叫びが聞こえてくる。いや、そんなことよりこの声は・・・・・・
ややあって、扉が開きその隙間から恐る恐るといった感じで一人の少女が顔を出した。
「お、遅れたのです~。」
「遅い!!今まで何をしてたの!?」
詠の叱責が電光石火の如く飛んだ。
「れ、恋殿がお腹をすかせたので厨房に行ってただけです。」
「ふぅん・・・・・・ねねは国家の大事よりも恋のお腹を優先したってわけね・・・」
詠が怒りとも笑いともつかない表情で低い声で話すその姿は・・・・・・怖すぎる。
ねねと呼ばれた少女もそんな詠の姿に気後れするが、負けじと言い返す。
「そ、そのとおりなのです!ねねの主は恋殿なのです!だから恋殿を優先したまでなのです!」
それを聞いた詠は意地の悪そうな笑顔を浮かべた。
「へぇ・・・・・・つまり、ねねは恋に仕えているから俸給も月からでなくて恋から貰うってことでいいのね?」
「な、なんですとーーー!!」
それを聞いたねねは両手を頬に当てまるでムンクみたいになっていた。
「そ、それだけはご勘弁を~!恋殿の食費で一杯一杯なのに、これ以上減らされたら家計が火の車です~~!」
「ふぅん、どうしようかしら?」
それを聞いた詠は心底楽しそうに笑っていた。
・・・どちらかと言えばねねという少女の方が悪いはずなのに、傍から見たら詠がいじめているようにしか見えない。
「駄目だよ詠ちゃん、ねねちゃんをいじめたら。ねねちゃんも、次からは気をつけなくちゃ駄目だよ?」
「・・・分かったわよ。月がそう言うなら」
「うぅ・・・わかりましたなのです。」
月も見かねたのか仲裁に入る。詠は若干不満そうだが素直に引き下がった。
「まったく・・・ねねも恋もそんな所に突っ立ってないでさっさと入ってきなさい。」
詠に言われてねねが部屋の中に入り、次に入ってきたのは・・・・・・・・・やはり、あの広場で出会った女の子だった。
恋は部屋に入って一刀と目が合うと、驚いたような(無表情だからよく分からんが)顔をして立ち止まった。
「・・・どうしたのですか、恋殿?」
「・・・・・・・・・一刀?」
「やっぱり恋か?」
真名が出たあたりからそうだとは思っていたが・・・。一刀がそう考えていると、不意に頭上から殺気を感じた。
「ちんきゅうきーーーっく!!」
「おわぁ!?」
ズシャァァァッ!
一刀がとっさによけると、ねねは床を滑りながら着地した。
(い、今、完璧に頭の上の死角から攻撃してきたぞ!?)
一刀は不意打ちされたことよりも、少女のありえないほどの跳躍力に驚愕した。
「い、いきなり何するんだ!?」
「黙りやがれなのです!お前こそ何故、恋殿の神聖なる真名を勝手に呼んでいやがるのです!訂正するのです!さもなくばこの陳公台がお前を成ば(ごつんっ)痛っ!?」
ねねが両手を上げて体全体で怒りを表現していると、恋が後ろからねねの頭を殴りつけた。
頭を抱えてうずくまっていたねねは、殴ったのが自分の敬愛する恋だと知って驚いた。
「・・・・・・・・・」
「れ、恋殿?な、何ゆえそのように怒っておられるのですか?」
怒りと無言のプレッシャーを与えていた恋にねねが恐る恐るたずねた。
「・・・・・・不意打ちは卑怯者のすること。」
「し、しかし、こいつは恋殿の真名を勝手に呼んだのですぞ!?」
「・・・一刀ならいい。」
そう言って恋は一刀を見た。
「・・・・・・また会った。」
「思ったよりも早い再会だったな。」
「あんた達いつの間に知り合ったの?」
詠が不思議そうに一刀たちを見る。
「ついさっきだよ。ここに呼ばれる前に知り会って、そのときに真名だけ教えてもらったんだ。」
「恋も思いきったことをするなぁ。初対面やっちゅうのに真名を教えるなんて。」
「恋殿~!お気を確かにするのです!こんな胡散臭い奴に真名を許すなど!」
「・・・一刀、いい人。だから大丈夫。」
「恋殿ぉ~~~!」
ねねが恋を説得するが、恋は意に介さなかった。
「・・・・・・それより、ねね。」
「ううぅ、何でありましょうか、恋殿?」
「ねねも真名・・・教える。」
「な、なんですと~!?な、何故でありますか!?」
「・・・さっきの・・・お詫び。」
「えーっと、お詫びの意味も込めて信頼の証である真名を教えろ・・・と?」
「ん・・・・・・・・・(コクリ)」
一刀か恋の変わりに説明してみると、恋が頷いた。
「・・・悪いことしたら・・・謝って、お詫びする。」
「おおっ!珍しく恋がまともなこと言うとるわ。」
「ええ、珍しいわね。」
張遼と詠が本気で驚いている所を見るに、今の恋は本当に珍しいことなのだろう。
「詠ちゃん、霞さんもそんな事言ったら駄目だよ。」
そう言って月は困ったような顔をしていた。
「い、嫌であります!いくら恋殿の頼みとはいえ、これだけは聞けないです!」
「・・・・・・ねね・・・」
「うっ・・・」
ねねが断固とした拒否の構えを見せると、恋が悲しそうな顔をした。
「(じ~~~~~~~~っ)」
「う~、わ、分かったであります恋殿。ですから、そのようなお顔をなさらないでください。」
遂にねねが折れた。・・・正直、あんな顔を向けられたら、何だって言うことを聞いてしまいそうな気がする。
「ねね・・・紹介する。」
「・・・分かりましたですぅ。・・・名は陳宮、字は公台、真名はねねねです。」
「ねねね?ねねねってどう書くの?」
「音、音、音で音々音です。後、気安く呼ぶなです。」
「あ、ああ、俺は北郷一刀だ。好きに呼んでかまわないよ。」
「ふん!」
取り付く島もないねねの態度に一刀は苦笑するしかなかった。
「・・・一刀・・・ごめん。」
「気にしなくていいよ恋。そう簡単に信用してくれるとは思ってないから。」
そう言って一刀は恋の頭を撫でる。
「ん・・・・・・・・・」
恋は気持ちよさそうに目を細めた。
「くぉら~~~!何、恋殿をかどわかしていやがりますか!」
げしっ、げしっ
「ちょっ、すねは地味に痛いってねね。」
「気安く真名を呼ぶなです!」
一向に蹴りを止めないねねに辟易して一刀はその場から離れた。
「あはは、随分と仲良うなっとるやないか。」
「そう見える張遼さん?」
「そう見えとるで。あと、うちのことも霞でええよ。」
「えっと・・・そんなに簡単に教えちゃっていいの?」
「別にかまわんって。恋や月たちも教えてるし。それにうちだけ仲間はずれみたいやないか。」
「はぁ・・・それならよろしく頼むよ霞。・・・ついでにねねも。」
「おうよ、まかしとき!」
「ついでって言うなです!」
こうして一通りの挨拶を終えた一刀たちはひとまず軍議に移ることにした。
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出来ました四作目です。
最初はかなりのペースで書けましたが、最近落ち気味です。
もしかしたら次の投稿は少し間が開くかもしれません。
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