暦の上では立秋を過ぎて久しいが、まだ残暑の日差しは厳しい。
夏の暑さの中を、一組の男女が歩いていた。
男は白い海軍制服に身を包み、女は濃いグレーのパンツルックのスーツに身を包み、淡いクリーム色の日傘をさしている。
男の方は若々しい精悍さと老成した雰囲気をあわせもっていて年齢が窺い知れない。
一方、女の方は、端整な顔立ちにどこか武人然とした風情をしていて、大人びた印象ではあったがまだまだ若い。流した長い黒い髪はよく見れば潮風に焼けていて、見る人が見れば、彼女がただの女性ではないことが分かったであろう。
艦娘。人類の脅威である深海棲艦に対抗しえる、唯一の存在。
だがしかし、いま彼女は独特の衣装を身に着けず、艤装もすべてとりはずし、一見したところでは普通の人間の女性に見えた――そうでなくては街中には出てこれまい。
「そんな格好で暑くないか、提督」
女性の方が声をかける。低めの、落ち着いた、凛とした声だった。
「いや、大丈夫だ。恩師に会うのに失礼があってはいかんからな」
提督、と呼ばれた男はそう答えて、
「君の方こそ暑くないか」
そう訊ねられた艦娘は日傘をくるりと回して、言った。
「提督の恩師に会うのに無礼があってはいかんだろう」
そう答えて、手にしていた日傘をそっと提督にさしかけた。
戦艦、「長門(ながと)」。
それが彼女の艦娘としての名である。
「深海棲艦」という存在がいつから世界の海に現れたのか、いまでは詳しく知るものはない。それは突如、人類世界に出現し、七つの海を蹂躙していった。シーレーンを寸断されて、なすすべもないように見えた人類に現れた希望にして、唯一の対抗手段。
それが「艦娘」である。かつての戦争を戦いぬいた艦の記憶を持ち、独特の艤装を身にまとい、深海棲艦を討つ少女たち。
一大反攻作戦である、AL作戦、MI作戦を完遂し、本土近海への侵攻部隊を迎撃した鎮守府には束の間の安息の時が訪れていた。多忙な提督にも、一日だけであるが休暇が与えられ、その機会を利用して彼はある場所を訪れようとしていた。
灰色の墓石と卒塔婆が立ち並ぶ中を、提督と長門はゆっくり歩いていった。
「――ここだ」
提督がつぶやき、足を止めた。とある墓の前である。
提督は、手にしていた水を張ったバケツに手ぬぐいを浸すと、よく絞り、そうして墓石をぬぐい始めた。長門は持ってきた花を鋏で切ると、もう萎れていた花を新しいものに取り替えた。二人はしばし、黙々と墓を清めると、線香に火をつけ、供えた。
提督が手を合わせる。長門もそれに続いた。
「――教官殿、見ていてくださっていますか?」
提督は小さな声でつぶやいた。
「教官殿の教えのおかげで、皆、無事に帰ってこれました。一人も欠けることなく、彼女たちが戻ってこれたのは教官殿のおかげです」
長門の耳にも提督のつぶやきは入っていた。だが、彼女は何も言わない。
死者との対話に無粋なまねはするものではない、と長門はわきまえていた。
「正しいこと、善きことに力は使えと教官殿はおっしゃいました……自分がやっていることは、はたして、正しいこと、善きことなのでしょうか……」
その言葉を聞いて、長門がかすかに目を見開き、提督の背中を無言で見つめた。
提督はしばらく手を合わせたまま動かなかったが、やがて姿勢を正すと、墓に向かって敬礼し、そして長門に向き直った。
「終わった――つきあわせて、すまなかった」
「いや、わたしも一度、提督の教官殿には会ってみたかった」
そう、二人が言葉を交わしていると。
「――おやおや、艦娘の外出許可申請など出されるから何事かと思えば、実に色気のないことですな」
不意に、男の声がかけられた。
提督と長門が振り向くと、白い海軍制服に身を包んだ男が立っていた。
長門が提督をかばって足を踏み出そうとし――しかし、その提督が長門をさえぎって、かぶりを振ってみせる。
「心配ない。知人だ」
「友人の間違いでは?」
「君との間に友情を育んだ覚えはないよ、中佐」
その言葉を聞いて、中佐と呼ばれた男はにたりと笑った。
狐のような顔立ちだと、長門は思った。
「まあ、立ち話もなんですから、入りましょうか」
中佐の案内で、提督と長門は墓地近くの茶店へと来ていた。
「おっと――艦娘の方はちょっとご遠慮いただきたい」
中佐はそう言うと、大きな傘を差しかけている表の席を指し示した。
長門が提督を見つめると、提督はうなずいた。
「心配ない。暑い場所ですまないが、しばらく待っていてくれるか」
「心得た」
提督の言葉に、長門は短く答えると、表の席に腰掛けた。
長門を置いて、提督と中佐は中へと入った。客は他に誰もいない。
「――あいかわらず用意のいいことだ」
「何のことです?」
「準備していたのだろう?」
提督の言葉に、中佐は肩をすくめてみせた。
「ここの主人には貸しがありましてね。色々と無理が利くのです――ああ、麦茶を二つ、とっておきの冷たいものを」
「表の彼女にも出してやってくれ」
提督の言葉に、店の主人とおぼしき老爺はうなずいてみせた。
「いやあ、それにしても、今回の働きはお見事でした」
改めて開口一番、中佐から出てきたのは賞賛の言葉であった。
「AL作戦、MI作戦を完遂させただけでなく、本土近海の迎撃にも成功するとは」
「戦ったのは俺じゃない。艦娘たちだ」
「指揮をとっておられたのは貴方でしょう」
にやにやと笑いながら中佐が言うのに、提督は面白くない顔だった。
「現地での指揮は艦娘だ。俺はただ準備を整え、大まかな指示を出し、送り出し、帰りを待つ――ただ、それだけだ」
「ご謙遜を。大本営は今回のことを高く評価していますよ」
中佐の言葉に、提督はじろりとにらみつけるように、
「それで? 大本営は艦娘のために何をしてくれるのだ?」
提督の言葉に、中佐はふうと息をつき、肩をすくめてみせた。
「あなたがた“提督”はいつもそうですね。二言目には、艦娘がどうした、艦娘に何をしてくれるのか、と――彼女らのケアに気を配るのは大事ですが、度を越すと取り返しがつきませんぞ」
「どう取り返しがつかないのだ?」
「――表ざたにはなっていませんがね。ある泊地の“提督”が艦娘と駆け落ちしようとしたらしいのです。ええ、軍務もなにもかも放り出してね」
「雑誌が嗅ぎつけたら、格好の餌食だな」
「そうならないように緘口令をしいてあります。まあ、その提督は解任の上、敵前逃亡の罪で軍事裁判。今頃は特別監獄の中です」
「……艦娘の方はどうした?」
「解体したそうです」
その言葉に提督が苦い顔をしてみせた。“解体”とは、艦娘と艤装とのリンクを断ち、艦としての記憶を消去することを意味する――艦娘がただの少女に戻るプロセスだ。
そして、艦の記憶と共に、その少女は「艦娘としての記憶」も失う。両者は分かちがたく密接に結びついているからだ。おそらく、解体された少女は、何もおぼえてはいまい。ただ、自身の記憶にうまく思い出せない時期があるだけだろう。
このことは、当の艦娘たちには秘されている事実だった。
「今回、提督が艦娘と外出したと聞いて、まさかと思いましたよ」
「俺と長門はそんな仲じゃない」
「おや。恩師の墓参りに同行されるなど、充分に“そういう仲”だとは思いますがね」
中佐は狐のような細いツリ目でにやりと笑ってみせた。
「貴方もそうでしょうが――艦娘を扱う“提督”たちは、彼女らを女性として捉えすぎです。あれは戦闘単位として考えるべきで、女性であることは副次的な属性です」
中佐は提督を前にして、低い声で言った。
「解体され、艦としての記憶と、艤装を返上するまで、彼女たちは戸籍さえ与えられない存在です。そのことをわきまえておられない、あるいは分かっていても忘れている方が多すぎます」
「――艦娘に人権はない、そう言いたいのか」
提督の声はつとめて平静で、だがそれゆえに水面下の怒りを感じさせた。
「そこは難しいところです。艦娘をどう扱うべきか、大本営も政治家もいまだに答えが出せずにいる。解体した元艦娘は、徐々に、だが確実に増えています。いまはそのすべてに監視をつけていますが、早晩、追いつかなくなるでしょう」
「何が言いたいのだ、中佐」
「貴方にお願いがあります」
中佐はテーブルにひじをつき、手を組みながら言った。
「艦娘たちの情報をいただきたい。特にメンタル面での変化を。MI作戦を終えたことが、一部の艦娘の記憶や人格に大きな影響を与えるのではと我々は見ています。ささいなものでも構いませんが、ご連絡は定期的にいただけるとありがたい」
「……俺には彼女たちのプライベートを出歯亀する趣味はない」
「メンタルケアの一環として状況をフィードバックしてほしいだけです」
提督はしばし無言で考えていたが、やがて口を開き、言った。
「そういうことを頼んでくるからには、こちらも交換条件を出すことは予測しているのだろうな」
「無論です」
中佐は即答した。提督はうなずき、言った。
「ならばこちらからも頼みがある――大本営にスパイがいる可能性がある。つきとめてもらいたい」
「スパイとは……どこのスパイです?」
「深海棲艦とつながっているスパイだ」
提督はテーブルをこつこつと指で叩いた。
「AL海域の警戒網は予想以上だった。陽動して戦力を削ったはずのMI海域でも有力な敵戦力に遭遇した。そしてそれらすべてを囮にしての本土近海への侵攻――事前にどれだけの戦力を投入するか、相手が知っていたとしか思えん」
「まさか……深海棲艦の戦力が予想以上だっただけでは」
「大本営は魑魅魍魎の巣窟だが、無能者の集団ではないと俺は思っている。今回の作戦はことごとく敵に読まれていた。誰か情報を流している者がいてもおかしくない」
「――そのスパイをつかまえろ、と?」
「違う、泳がせてもらいたい」
提督は、ずいと身を乗り出した。
「深海棲艦とつながっているなら、そいつは彼らとのコミュニケーション手段を持っているということだ。俺が知りたいのはそっちの方だよ」
「ほう……」
「深海棲艦の中枢戦力級には人語を話すものがいることがたびたび報告されている。彼らとコミュニケーションがはかれるなら、あるいは和平の道が模索できるかもしれない」
「人類と深海棲艦が分かり合えるとおっしゃりたいので?」
「そこまで楽天家ではない。ただ選択肢は多く持っておきたい――いつまでも彼女達を戦い続けさせるわけにはいかないのだからな」
そう語る提督の顔は、真摯そのものだった。
「しかし……目下、人類の敵である深海棲艦に情報を売り渡して、そいつに何のメリットがありますか?」
中佐がそう訊ねるのに、提督は苦い顔をしていった。
「深海棲艦は人類共通の敵ではある。だが、彼らを駆逐して後、“この国”が生き残っていては都合の悪い連中はいくらでもいるだろう」
「なるほど、共通の敵を前にしてなお、人類の敵はしょせん人類ですか」
「そういうことだ。悲しむべきことだがな」
「……わたしとしては艦娘が人類の敵にならないことを願っておりますよ」
中佐の言葉は思いがけない魚雷となって、提督の耳にうがたれた。
「なんだと――?」
「今日、わたしがお願いにあがったのはそういうことです。彼女たちが人類に、いや少なくとも大本営に砲口を向ける可能性は低くないと考えています」
中佐は声をひそめて言った。
「貴方のおっしゃるとおりです。大本営は無能者の集団でもなければ、怠け者の集団でもありません――艦娘という存在について、我々はあらゆるリスクを検討しています」
無言のままの提督に、彼はささやくように言った。
「その時には、貴方が我々の敵とならないことを願っておりますよ」
表で麦茶を飲んでいた長門は、提督が出てくるのを見て、立ち上がった。
「――待たせて、すまんな」
提督の顔は青白く、額にわずかに汗が浮かんでいるのが見てとれた。
「それほど待ってはいないよ――提督」
「なんだ」
「具合がよくないのか?」
「――いや、だいじょうぶだ。行こうか、長門」
そう見せる提督を、長門はしばし見つめていたが、ややあって、うなずいた。
しばらく二人は無言で歩いていたが、程なく長門が訊ねた。
「あの男はなんなのだ、提督」
「士官学校の同期で、大本営の参謀だよ。いやなやつだが、一番の理解者でもある」
「提督の友人か」
「いや――ただの知人だ」
あくまでも、提督はそう言い張った。
帰りの電車には、窓から夕焼けの光が差し込んでいた。
提督と長門は、並んで座っていた。ここから鎮守府へはしばしの旅となる。
車内には、二人以外に乗っている者はいない。鎮守府の方へ向かう人間はもともとあまりいないのだ。
「今回の作戦では、赤城の指揮ぶりが際立っていたな」
長門は限定作戦を振り返りながら提督に話しかけていた。
「もっと赤城に旗艦の経験を積ませるべきかもしれない。あれはひょっとしたら将としてはわたし以上になるかもしれない」
「それほどか」
軽く驚いてみせる提督に、長門はうなずいてみせた。
「元の性格がごく自然に将器たりえているのだろうな――MI作戦の呪縛から逃れられたいまは、今後の伸びがむしろ期待できる」
長門はうれしそうにそう言うと、続いて、
「そういえば、出かける前に大和を見舞ったんだがな」
「まだダメージが残っている様子だったか?」
「いや、身体の方はだいじょうぶだが、目の前で泣かれたよ」
長門は思い出しながら、苦笑してみせた。
「――わたしは長門さんにまだまだ及びません、そのことが良くわかりました、と」
そう言って、長門はじとりとした目になって、言った。
「今回、初めて大和は提督のことを『怖い』と思ったそうだ。それまで、ふわふわした思慕を抱いていたのが、思いがけない一面を知って、すくんでいるんだろう」
「……それは、大和にわるいことをしたな」
「そして、こう言われたよ。長門さんはどうしてそんなに強いんですか、どうしてあの提督のことをあれだけ知って、あれだけ理解できるのですか、とな」
そう言うと、長門はふっと目を細めて、自嘲するかのように言った。
「わたしが強いだなんて、とんでもない話だ」
「そんなことはないだろう」
提督がそう言うのに、長門はかぶりを振ってみせた。
「軍艦としての長門の一生は知ってるな、提督? 世界に冠たるビッグセブンと言われ、国の誇りともてはやされ、しかし――」
長門は、目をつむり、言った。
「――かつての戦争では時代遅れの戦艦でしかなく、華々しい戦果には恵まれず、戦争を生き残ったといっても、榛名や利根のようにその砲口が最後まで空をにらんでいたわけではなく、煙突も切り取られ、隠すように偽装まで施され……身をやつすかのようにして生き残った挙句が、核爆弾の実験台だ」
そう言って、長門は目を開けた。心なしか、その目が潤んでいた。
「だから、艦娘として鎮守府へ来た当初は、ものすごく怖かった。自分には戦いに役立てられるものがなにひとつない。ただ気位だけがあるだけで、中身が伴っていなかった」
提督の方を向き、長門はかすかに微笑んでみせた。
目元が潤んでいることもあって、いまにも泣き出しそうな笑みだった。
「ああ、わたしは本当は弱いんだ。だけど、負けたくなかった。艦としての惨めな記憶にも、敵である深海棲艦にも、弱い自分にも。だからこそ、強くあらねばと思った。負けないために――そしてなにより、あなたに認めてもらうために」
長門の目が、じっと提督を見つめる。提督はひるまず、その視線を受け止めた。
「そのためにはどんなことも惜しまなかった。演習で技量をあげることもそうだし、提督が考えていることを理解しようとするのもそうだ――ああ、そうとも、わたしはあなたに認められたい一心で、負けたくなかったんだ」
そう言って、長門がふっと目を閉じた。
「いまわたしがわたしとしてあるのは、提督のおかげだ。赤城も、大和も、皆、かつての艦の記憶を抱え、それを乗り越えようとしている。わたしは、あなたのおかげで乗り越えることができた。だから――」
長門が再び目を開いた。その瞳に、強い光が宿っている。
「――あなたがどんな立場になろうと、わたしはあなたと共にある」
提督は黙っていた。
あの会話を長門は聞いていたのだろうか?
自分が艦娘たちにはとても明かせない暗中劇を演じているのを知ったのだろうか?
訊ねようとして、提督は、しかし、何も言えなかった。
それほどに、長門の目の光は、強く、正しく、まばゆいものだった。
「――ありがとう」
結局、提督が言えたのはそれだけだった。
長門は軽くうなずき、前へと向き直った。
ただ、隣に座る提督の右手に、自分の左手を、そっと重ねた。
その手の薬指に銀の指輪が輝く。
夕日を浴びて、それは赤くきらめいていた。
〔了〕
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ふらふらして書いた。やっぱり反省していない。
というわけで、艦これSS vol.13、夏イベント五部作の後日譚をお届けします。
五部作の最初のエピソードが提督の描写から始まりましたから、締めも提督にまつわるもので書きたいと思っていました。また、「提督にしかできない戦い」というのも描いてみたかったので、今回の筋立てとなりました。
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