No.709065

艦これファンジンSS vol.9(1/5)  「出撃前夜」

Ticoさん

くらくらして書いた。やっぱり反省していない。

というわけで、ちょっとお休みを頂いていましたが、艦これSSの新作をお届けします。今回は、まだ開催中ですが、夏イベントを舞台に描いてみることにしました。

前日譚、本編、後日譚と合わせて、全部で5つのエピソードから構成されますが、今回お送りするのは前日譚、プロローグとなります。

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2014-08-16 00:56:14 投稿 / 全3ページ    総閲覧数:1209   閲覧ユーザー数:1188

 その書類を目にした瞬間、彼は大きく息をはいた。

「ついに来るべきときが来た、というべきか……」

 天井を仰ぎひとりごちる。自分がいま情けない顔をしていることはよく自覚していた。秘書艦の赤城(あかぎ)は席をはずしている。こんな顔をしているところを見られなかったのはもっけの幸いというべきだったかもしれない。

 執務机に大本営からの命令書を置き、彼は腰をおろしていた椅子から立ち上がった。窓に近づき、そっと外の様子をうかがう。

 見ると、先輩格の少女が、数名の、やはり少女たちに激をとばしているところだった。一見して十代後半に見える彼女たちだったが、独特の衣装と身体中に身に着けた鋼鉄の艤装が、見た目どおりの女の子ではないことを如実に示している。

 艦娘。人類の脅威、深海棲艦に対抗しえる唯一の存在。

 先輩格の艦娘は軽巡洋艦で、指導されている艦娘はおそらく駆逐艦なのだろう。かつての軍艦と同じカテゴライズが艦娘にはされている。軽巡洋艦と駆逐艦の仲はこの鎮守府でも、もっとも密接でもっとも体育会系な雰囲気があった。一応はれっきとした軍事組織なので、体育会系というのも妙な表現ではあるが。

 実際に彼女たちがすぐに前線に出ることはあるまい。だが今回の作戦では、先輩にあたる多くの艦娘たちを死地に送り出さねばならない。深海棲艦に人類の通常兵器では対抗できない。そのための艦娘ではあるが、しかし、仮にも女性を戦場に立たせて自分は安全な後方で控えていることは、いつまで経っても慣れるものではなかった。

「提督、ただいま戻りました」

 穏やかな声がかけられる。振り返ると、長い黒髪に赤い袴の弓道着を身に着けた女性が立っている。彼女は彼の顔を見つめると、軽く首をかしげ、言った。

「どうかされましたか?」

「いや、大丈夫だ――赤城、一時間後に会議を開く。召集をかけてくれ」

 その言葉に、赤城の表情が引き締まり、こくりとうなずく。

「かしこまりました。例のメンバーを呼んでまいります」

 赤城は一礼すると、部屋を出て行った。マホガニーの扉がぱたんと閉まると、彼は壁にかかげられた図上演習盤に手をかけ、はずした。

 一枚の地図が現れる。北太平洋を収めた、今回の作戦の海域図だ。ここが、今回の限定作戦の戦域となる。いま出て行った赤城も出撃メンバーだ。

 彼はしばし、灼熱の戦場となるであろうその海域図をじっとにらみつけていた。

 白い海軍制服。若々しい精悍さと老成した雰囲気をあわせもつその外見からは、実年齢はうかがいしれない。

 その本名も詳しい経歴も明らかにはされていない。

 だが、彼こそ鎮守府の司令官であり艦娘達を指揮する立場の人間だった。

 提督、と彼はそう肩書きで呼ばれていた。

 

 「深海棲艦」という存在がいつから世界の海に現れたのか、いまでは詳しく知るものはない。それは突如、人類世界に出現し、七つの海を蹂躙していった。シーレーンを寸断され、なすすべもないように見えた人類に現れた希望にして、唯一の対抗手段。

 それが「艦娘」である。かつての戦争を戦いぬいた艦の記憶を持ち、独特の艤装を身にまとい、深海棲艦を討つ少女たち。

 艦娘と深海棲艦との戦いは各地で繰り広げられていたが、どの海域でも一進一退の攻防となっている。ひとたび撃滅しても深海棲艦はあぶくのように現れ、勢力を盛り返す。そこで、機を見ては鎮守府を束ねる大本営から大規模作戦が発令されることがある。

 期限を区切って展開される一大反攻作戦は、「限定作戦」と呼称されていた。

 

「失礼します」

 提督執務室の扉をノックして、一人の艦娘が入ってくる。髪を赤い細いリボンで後ろに束ね、どこか巫女を思わせる衣装を身に着けていた。

「いらっしゃい、伊勢(いせ)さん。あなたで最後よ」

 赤城が微笑んで出迎える。遅れたわけではないが、最後に来たとあって少々照れ笑いを浮かべた伊勢だったが、居並ぶ面々を見て、にわかに表情があらたまった。

 秘書艦の赤城。航空母艦に分類される艦娘で、鎮守府では空母陣のまとめ役である。

 その横に立つ、髪をサイドポニーにし、無表情な面持ちの艦娘は加賀(かが)。同じく航空母艦の艦娘で、赤城とコンビで最精鋭の“一航戦”と呼ばれている。

 伊勢の姿を見て軽く頭を下げたのは、軽巡洋艦の神通(じんつう)。一見気弱そうな柔和な面立ちだが、鉢金を模したリボンと凛とした芯の強そうな眼差しが印象的である。現に彼女の指導する訓練はもっとも厳しいと評判であり、駆逐艦たちからは尊敬と恐れを抱かれている。この鎮守府では水雷戦隊のまとめ役といってよい。

 そしてなにより、長い黒髪を流した武人の雰囲気を漂わせた艦娘がここにはいた。艦隊総旗艦の二つ名で呼ばれ、提督の代理を務めることもある、この鎮守府のボスと呼べる戦艦の艦娘――長門(ながと)である。

 居並ぶメンバーからして、これはただごとではない。現に、執務室には軽く緊張感が張り詰めていた。先に来ている四人は、何の用件で呼ばれたか見当がついているらしい。

「――すまん、待たせたな」

 奥の扉から提督が入ってくる。艦娘たちは一斉に脇を締めた海軍式の敬礼をした。提督も返礼して応える。

「君たちを呼んだのは他でもない。大本営から限定作戦が発令された」

 その言葉に、部屋の緊張感が一層高まる。伊勢もそれを聞いて得心がいった。

「出発は明後日の払暁となる。かねてから一部の者には話していたが――」

 提督はそう言い、壁に掲げられた地図に歩み寄り、一点を指し示してみせた。

「本作戦は北太平洋のMI島を攻略するものとなる。MI島は北太平洋における深海棲艦の拠点であり、有力な敵空母機動部隊が確認されている。MI島の占拠および敵機動部隊の撃滅が本作戦の目的である」

 提督はいったん言葉を切り、艦娘達を見回すとうなずき、次に、より北を指した。

「また、MI作戦開始前に北方において陽動作戦を敢行する。AL海域における深海棲艦の拠点を叩くことで深海棲艦の遊弋部隊をひきつけ、MI作戦の実施を容易にするためだ。よって、本限定作戦は二方面二段階作戦となる。これまでの限定作戦に比べてはるかに規模が大きくなる」

 そこまで言って、提督が次に続けた言葉は艦娘達を驚かせた。

「なお、MI島攻略においては大規模な敵群体と遭遇することが予想されるため、従来の六人を一編成とする艦隊ではなく、二個艦隊を組み合わせた“連合艦隊”をもってこれに当たるものとする」

 連合艦隊、と艦娘の誰かがつぶやく。かつての艦の戦いの記憶を持つ艦娘にとって、その言葉が持つ響きは特別なものがあった。

「MI作戦の空母機動部隊および連合艦隊の指揮は赤城に任せる。副指揮として加賀をこれに当てる。残る二枠の空母の人選は赤城に一任する。また、随伴打撃戦力として長門、陸奥を組み入れてほしい。神通は護衛水雷戦隊の指揮を委ねる。人選は同じく任せるので、今日中に選んでおくように」

 そこまで言って、提督は伊勢に視線を移し、言った。

「伊勢はAL作戦の指揮をとってもらいたい。主要な打撃戦力となる重巡洋艦はこちらで選抜したので随伴戦力の人選を行うように。なお、AL作戦の副指揮として、日向をこれに当てるものとする」

 日向の名前を聞いて、伊勢の表情が不意にこわばった。

「以上である。質問があれば、受け付ける」

 提督はいつもこの通りであった。自分で作戦を考案し、艦娘には伝えるだけ。艦娘から提督に意見具申できる者は少ない。とはいえ、この部屋に集められた者たちは、みなその特別な立場の艦娘とはいえたが。

 すっ、と手をあげた艦娘がいる。説明を聞いてもなお無表情の加賀である。

「提督は史実のMI作戦はご存知ですね」

「無論、知っている」

「あの作戦はMI島の攻略と敵機動部隊の撃破と、二兎を追ったばかりに惨敗する結果になりました。提督ご自身のお考えとして、MI島の攻略と、敵機動部隊の撃滅、どちらを優先なされるおつもりですか?」

 加賀の声は淡々としていたが、それだけにはぐらかすことを許さない迫力があった。

「――MI島の攻略だ」

 提督が搾り出すような声で答える。

「大本営は両方を完遂するように求めているがね。どちらを優先するかといえば、敵拠点を一時的にしろ叩く方が良い結果を出せると考えている」

「わかりました。ありがとうございます」

 一見、慇懃無礼に感謝を述べてみせた加賀だったが、ふと赤城の方を向き、彼女と目を合わせると、こくりとうなずき、言った。

「もちろん、敵機動部隊を撃破しなくてはMI島の確保はおぼつかないでしょう。作戦を十分に果たすためにも、敵戦力の撃滅には力を注ぎます」

「助かる――苦労をかけるな」

「任務ですから」

 加賀は一見そっけなくそう答えると、そっとうつむいた。

 次に手を挙げたのは神通である。

「護衛水雷戦隊とおっしゃいましたが、編成の目安をお教えいただけますか?」

「君が旗艦を務める。駆逐艦は三人程度、あと索敵能力を高めるために航巡か重巡を入れた方がいいだろうな――これでいいか?」

「はい。目星はつけられました。ありがとうございます」

 ぺこり、と神通が頭を下げる。赤城は穏やかな笑みを浮かべたまま黙り、長門は腕組みして目を閉じたまま微動だにしない。

「他に質問はないか? ないならこれで――」

 提督が言いかけたところで、かすかに震える手を伊勢は挙げた。

「どうした、伊勢」

「……日向を出すって本当ですか」

「ああ。協力して作戦にあたってほしい」

「日向は、まだ本調子じゃ……」

「演習を重ねて練度は向上している。問題はないと判断した」

「そうじゃなくて!」

 伊勢は自分でも思ってみなかったほど、語気を強めていた。

「あれから日向は初の実戦なんですよ!? いきなり、こんな……」

「初ではない。日向は君と並ぶ歴戦の古参艦だ」

「違います! 日向は、日向は――」

 伊勢は言葉を詰まらせた。自分でも泣き出さないのが不思議だった。

「……日向が一度撃沈したことか」

 提督の言ったことは、誰もが知っていることとはいえ、あらためて口にだされると伊勢の肩にずしりと重くのしかかった。

「日向はそのあと救出に成功し、戦闘経験と生活記憶の一時喪失に陥っていたが、練度の回復と共にそれらにも十分な改善が見られている。せっかくのベテラン戦艦を遊ばせておく余裕は本作戦にはないのだ」

「金剛たちでもいいじゃないですか!」

 伊勢が思わず口走った言葉に、提督は冷然と首を横に振った。

「だめだ。今回、金剛たちは遊撃部隊として、ALおよびMI両方面の支援に当たってもらうことになる、攻略部隊に当てるつもりはない。それに――」

 提督はすがるような伊勢の目をじっと見つめた。まるで射すくめるように。

「これは日向自身の希望でもある。次の限定作戦に伊勢が出るような場合には、必ず自分も出してほしい、と」

「日向が……?」

 伊勢は呆然としてつぶやいた。提督がうなずいてみせる。

「どうしてもというのなら、説得の機会は与える。日向が自分から辞退するようであれば今回の作戦からは除こう」

 その言葉に、伊勢は顔をうつむけ、唇をきゅっと噛んだ。

 提督が艦娘たちを見回す。その目線が黙ったままの長門に止まった。

「――何か言いたいことがあるんじゃないか、長門?」

 提督がそう口を開くと、腕組みしたまま長門はじろりと提督に目を向けた。

「大和(やまと)は、どうする気だ」

 長門は鎮守府最強の戦力といえる艦娘の名を出した。彼女の言葉に、赤城と加賀もうなずいてみせる。拠点攻略ともなると大和の火力は大いに心強いはずだ。だが。

「彼女は、留守番役だ」

 提督はこともなげにそう言ってみせた。長門は軽くかぶりを振ってみせ、

「大和とわたしが替わってもいい。連合艦隊の指揮を赤城が執るのならばわたしがことさらに加わる必要もないだろう。ならば――」

「君が考えていることはそういうことじゃないだろう、長門」

 提督が軽く肩をすくめてみせるのに、長門以外の艦娘は不思議そうな顔をした。

「おそらく、俺が考えていることと君が考えていることは同じだ。なればこそ、そのときには大和が必要になる。そういうことだ」

 彼の答えを聞いて、長門はしばし天井を仰ぎ、ため息をつくように言った。

「わかった――ただ、大和は納得しないと思うぞ」

 長門の言葉に、提督は窓の方を見ながら頭をかいた。

「それは俺から本人に話すしかないな」

 

 

 会議があったその日のうちに、指揮役となった艦娘から出撃する艦娘に内示が出され、夜までには提督の了承を経て正式に編成発表となり、翌朝には全艦娘を集めて講堂で作戦概要が発表された。

 限定作戦自体は前々から噂されていたが、その規模と目的地は明らかにされていなかったので、史実のターニングポイントとなった戦役をなぞるかのような作戦に、ある艦娘は興奮し、またある艦娘は危惧した。

 空前の規模での実施となる今回の作戦は、鎮守府の第一線級の艦娘を根こそぎ動員してまだ足りないほどであり、遠征に出ている艦娘を急遽出撃部隊に編成するなどの臨時措置がとられた。

 鎮守府は常に臨戦態勢であり、望めばすぐに総力戦にとりかかれた。朝の作戦発表から日中にかけては艦娘たちはあわただしく出撃準備に追われたが、その夜には無事に壮行会が執り行えたのは、やはり彼女達の手際のよさといえるだろう。

 

 宴もたけなわである。講堂で開かれた壮行会は鎮守府の全艦娘が参加ということになり出撃メンバーである艦娘の胸には赤いリボンの花が付けられていた。当然ながら、リボン付きの艦娘はそうでない艦娘からうらやましがられ、戦場に臨むことになった艦娘はそれぞれに得意そうであった。

 そんな様子を見て、加賀は、何を浮かれているのかしら、と心の中でひとりごちた。

 宴の中心から加賀は離れて、壁際に立っていた。料理も手にせず、飲み物の入ったグラスを持ったまま、しかし口をつけようとはしなかった。

 もともと、こういう宴席は苦手なのもある。ただ、素が無愛想な加賀は、この夜さらに無愛想さに拍車がかかり、むしろ不機嫌そうな空気を漂わせていた。最初の方こそ何人かの艦娘が声をかけてくれたが、そっけなく対応すると、ほどなく皆遠慮して加賀をそっとするようになっていた。

(だめね、せっかくの場なのに)

 加賀は人知れず自分に愚痴ってみせた。とはいえ、出陣を祝う気分になれないのも確かなのである。艦娘はかつての艦の記憶を引き継いでいる。MI作戦といえば、それまで常勝を誇っていた一航戦が見るも無残に敗れた戦いなのだ。

 それを、史実をなぞるかのように、大本営は、いや、提督は命じてきた。

 加賀にしてみれば、古傷をえぐり返すかのような思いである。では、誰かに代わってもらうかといえば、自分が抜ければその穴は瑞鶴(ずいかく)か翔鶴(しょうかく)のどちらかが埋めることになるだろう。それは加賀のプライドが許さなかった。

(五航戦の子にはこんな重要な作戦まかせられません)

 彼女達が練度不足とはいわないが、しかし、自分達に及ばないのも事実なのである。理詰めで考えると自分が出るしかないのだが、そうすると感情の部分でかつての記憶にさいなまれるのだった。

(赤城さんはどう考えているのかしら)

 加賀は宴の中心にいる彼女に目を向けた。赤城に普段と変わった様子はない。MI作戦の指揮を執るのだからと、出撃メンバーに満遍なく声をかけているようだった。かたわらには飛龍(ひりゅう)と蒼龍(そうりゅう)がいて、しきりに赤城に話しかけている。

(あの子たちにとっても、かつての記憶は同じ、か)

 そう自分に言って聞かせてみせたが、しかしなすすべなく沈んでいった自分や赤城に対し、飛龍は一矢報いた記憶がある。自分とは受け止め方がまた違うのかもしれない。

 ふと、赤城と目があった。赤城は最初きょとんとした顔をしてみせたが、すぐに飛龍たちに頭を下げると、足早に加賀のもとへとやってきた。両手には料理を山盛りの皿を、一皿ずつ持っている。

 赤城は加賀をじっと見つめると、にっこり微笑み、皿を差し出した。

「はい、加賀さんのぶん。さっきから全然食べてないでしょう」

「……食欲がわかないわ」

 加賀がそっけなく答えてみせるのに、赤城はますますにこにことし、

「ふふん、加賀さんが実は私以上に食べるのは知ってますよ? だめですよ、明日出発したら当面は戦闘糧食なんですから、こんなごちそうはおあずけですよ」

「あなたはよく食べれるわね」

「そりゃあ、おなかがすいては戦はできませんもの」

 赤城はそういうと、無理やりに皿を加賀に押しつけた。しぶしぶ加賀が受け取ると、満面の笑みを浮かべて、自分の分に早速口をつけ始める。

 しばらく押し黙ったままの加賀と、無言で食事を咀嚼する赤城であった。

 が、ごくりと赤城が料理を飲み込むと、加賀の耳にそっと顔を寄せ、ささやいた。

「――加賀さん、わたしの前では無理しなくていいんですよ」

 赤城の声は、気遣いに満ちていて、優しかった。

「だいじょうぶです、ここなら他の子には聞かれません」

 加賀は目を丸くし、小さく一呼吸するとささやきかえした。

「赤城さんは不安にならないの? あのMI作戦なのよ?」

「不安じゃないといったら嘘になります。だから食べて気を紛らわせているんです」

 赤城のささやく声は、内容とは裏腹に真剣さに満ちていた。

「ですが、加賀さん、わたしたちがひたすら練成してきたのは何のためですか? あのときの記憶をばねにして、二度と繰り返すまい、次の機会には必ず打ち勝ってみせると誓ったからではないのですか?」

 赤城の問いに、加賀がかすかに目を見開いた。赤城がうなずいてみせる。

「提督はおしつけてきたわけではありません。運命を塗り替えてみせろとわたしたちに言ってるんです。ならば、それに精一杯こたえようじゃありませんか」

 そう言って、赤城はふっとおだやかな目をしてみせた。その眼差しに、気負った様子は微塵も感じられない。

 加賀は大きくため息をついた。長らくコンビを組んでいるが、やはり、この同僚には色々とかなわない。だからこそ、連合艦隊の指揮が彼女にゆだねられたのだろうが。

「――料理、ありがとう。いただくわ」

 そう言った加賀の顔からは、ほんの少し、こわばりがとれたかのようだった。

 

 伊勢の耳には、壮行会のにぎやかな様子がかすかに聞こえてくる。

 きっと屋内では宴の真っ最中なのだろう。本来なら自分もそこに加わるべきだったが、伊勢にはもっと重要なことがあった。

 講堂からほんのすこし離れた中庭である。

 伊勢はきっと表情をひきしめ、目の前に立つ人物を見つめた。

 自分と似たような面立ち、肩の辺りで短く切りそろえた髪、そしてなによりも凪いだ海面のような表情――姉妹艦の日向である。

「ねえ、日向。お願い、考え直して」

 必死の声で伊勢は訴えかけた。だが、日向はかぶりを振ってみせるばかりだ。

「辞退する気はない。わたしもAL作戦に参加する」

「無茶だって。演習でいくら練度があがったからって……」

「これがはじめての実戦だというわけではないよ。少々のブランクはあるけど、うまくやってみせるつもりだ」

 日向が少し目を細める。笑ってみせたのだ。心配性の姉をなごませようとしてくれたのだろう。だが、その気遣いがむしろ伊勢の不安を駆り立てた。

(いまのあなたにとっては初めての実戦でしょう……!)

 過去の限定作戦で、日向は深海棲艦との戦いで一度戦没判定が出されている。

 その後、なんとか“素体”は回収できたと伝えられたが、戻ってきた日向はどこか人格があやふやで、伊勢との思い出も記憶していなかった。その後、日向が演習で練度をあげていくにつれ、徐々に記憶も戻ってきたのだが、身近で見ていた伊勢には、それが「記憶の回復」ではなく、「記憶の定着」に見えて仕方がなかった。

 日向の最後を伊勢は目の当たりにしたのだ。死んだ艦娘が戻ってきたからという話を、容易に信じられるわけがない。そもそも艦娘という存在自体、何者であるのか自分達でもよくわかっていないのだ。姿がそっくり同じ別の何者かが日向の記憶を借りて戻ってきた――伊勢にはそんなふうに思えて仕方がなかった。

 であれば、いっそ他人と割り切って、事務的につきあえばいいのかもしれないが、感情の部分で割り切ることができなかった。

 こうやって日向を引き止めているのが良い証拠だ。

「どうしても、辞退してくれないの? ねえ、今回の作戦は本当に厳しいものになると思う。だったら前線復帰するのはもう少し軽い任務からでも……」

「そんなに大変な作戦ならなおさら伊勢だけにまかせておけないな」

 日向はそういうと、くつくつと笑った。伊勢には、それがしゃくにさわった。

「――あなたなんかいなくても、立派につとめてみせるわ」

 笑い声が頭にきて、伊勢はついそう口に出した。

 その言葉に日向の笑い声がすっと引いていく。彼女の凪いだような顔に、しかし、静かに怒りが満ちていくのが伊勢にはみてとれた。

「……わたしでは足りないと言いたいのか」

 その言葉に、伊勢は謝ろうとした。

 だが、口をついて出たのは別の言葉だった。

「そうよ。日向の助けなんかいらない。あなたはここでお留守番してなさいよ」

「ほう、わたしにはまかせられないんだな」

「ええ、いまのあなたにわたしの背中は預けられないわ」

 違う、そうじゃない、そんなことを言いたいんじゃない。

 理性が感情をおしとどめようとして、しかし、失敗し、伊勢は心の中のもやもやを吐き出すように言葉を発していた――ひょっとしたら、それは日向が戻ってきてからずっと蓄積し続けてきた澱のようなものだったのかもしれない。

 日向が冷え冷えとした目で伊勢を見つめ返す。

 怒っているような、失望しているような声で、彼女は言った。

「そうか、そういうことなんだな。結局、伊勢はわたしをそう見てるんだな」

 そう言って、日向が一歩、また一歩と足を踏み出す。

 伊勢に近づき、そして、押しのけるようにその肩を手の平で突いた。

「…………っ!」

 伊勢はよろめき、道を譲った。日向はそのまま数歩前に出ると、振り向かないまま、

「AL作戦には行く。指揮には従う。だけどそれだけだ――足をひっぱらないでね」

 そう言い捨てて、講堂の方へと歩き去っていった。

 伊勢はしばし呆然としてその後ろ姿を見送っていたが、膝からがくりと崩れ落ちると、手を地面につけてうなだれた。嗚咽まじりの声で、彼女はうめいた。

「なんであんなこと言っちゃったのよ……」

 日向には実戦に出てほしくないだけなのに。

 そう思って、しかし、自分自身でそれは嘘だと気づいていた。

 結局、いまの日向を信じきれないのだ。伊勢が知ってる日向なら喜んで同行してもらっただろう。進んで背中を守ってもらっただろう。

 だが、あの日向には、まかせきれない――そのことに、気づいてしまった。

 潤みきった目で、伊勢は空を仰いだ。

 その頬を涙が一筋つたうのを、ただ月だけが静かに見守っていた。

 

 

「はい、じゃあ気合入れと行きましょうか」

 壮行会の一角に集まった一同を見回して、穏やかな声で神通はそう言うと、かねてから用意していたものを取り出した。

「なんだい、これ?」

「陶器の杯っぽい?」

「なにをするんですか?」

 護衛水雷戦隊に加わることになった駆逐艦の三人が受け取りながら声をあげる。

 時雨(しぐれ)、夕立(ゆうだち)、綾波(あやなみ)である。いずれも練度十分の駆逐艦の精鋭揃いであった。

「おっ、これはあれじゃな?」

「あら、良いですね」

 同じく杯を受け取った利根(とね)と筑摩(ちくま)にはわかったらしい。水雷戦隊に加わることになった航巡である。本来ならば神通よりも上席にあたるのだが、彼女たちもまた艦の記憶としてMI作戦の敗北を知っている。その雪辱を果たせるのならば、と喜んで神通の指揮下に加わってくれたのだ。

「皆さん、杯はいきわたりましたね? それじゃ注いでいきますよ」

 神通は居並ぶ一同を見渡すと、一人ずつ杯に何かを注いでいった。

「出陣前の乾杯じゃ! 一息に飲み干したら、杯を床にたたきつけて割るのじゃぞ!」

 まだ事情が飲み込めていないふうの駆逐艦たちに、利根が得意げに説明してみせる。

 利根の言葉を聞いて、駆逐艦たちは一斉に興味津々といった表情になった。

「お酒っぽい?」

「飲んじゃっていいのかな……」

「よ、酔っ払ったりしないのかな」

「かまわんかまわん、この程度どうってことないし、景気づけなのじゃ」

 利根がうなずいてみせるのに、筑摩がにこにことして応えてみせる。

「でも姉さん、これお酒のにおいしませんよ?」

「なに? ……本当じゃな。神通、ひょっとしてこれはただの水か」

 利根がじとりとした目つきになってみせるのに、神通は苦笑してみせた。

「さすがにこの子たちに飲ませるのはどうかと思いますので――」

「なんじゃあ、つまらんのう。出陣前くらい、ぱーっとしてもよいではないか」

 不満そうに口をとがらせる利根の肩に筑摩がぽんと手を乗せ、なだめる。

「いいじゃないですか、姉さん。生きて帰ってくるのですから、本当のお酒はこの子たちが大きくなってから飲めますよ」

 筑摩の言葉に、微笑みながら、神通がうなずく。

 利根はしばし考えていたが、ぱっと表情を輝かせ、

「うむ、それもそうじゃな。気分じゃな気分、うむ!」

 そう言うと、杯を口元に運んだ。それを見て、駆逐艦たちもならう。

 神通はきりと表情を引き締めると、言った。

「それでは、作戦の成功と、無事の帰還を願って――乾杯!」

 一息に杯をあおると、手にしたそれを床にたたきつける。皆もそれに続いた。

 ぱりんと涼やかな音を立てて、杯が次々と割れる。

 利根がにやりと笑い、筑摩が微笑み、駆逐艦たちは満面の笑みを浮かべると三人とも手を挙げて、ぽんとハイタッチをしてみせた。

 その様子を神通は満足げに見つめ、深くうなずくのだった。

 

 執務室で提督はある艦娘と対峙していた。

 優美でどこか華を感じさせるその面立ちは、しかし、いまはこわばり、怒りの色で染め上げられていた。

「――どうしてわたしが留守番役なんですか」

 凛としているのに、どこかあどけなさの残る声。背は高い方だが、しかし、古参の艦娘と比べると精神年齢的にどこか幼さを残しているのが、彼女――大和にはあった。

「君の戦力を評価すればこそ、残したんだよ」

 提督は平静な声でそう言った。大和の耳には、かえってそれが事務的に聞こえた。

「おっしゃっている意味がわかりません。評価してくれたのなら、なおのこと出撃の機会を与えてくださるべきではありませんか」

 大和はかろうじて怒りをこらえている声で言った。

 手の早い艦娘ならとっくに提督を殴っているかもしれない。

「君は決戦戦力だ。だからこそ、今回は出せない」

「MI作戦は決戦ではないのですか。それだけの重要な作戦ではないのですか」

 そう言い募ると、大和はぎゅっと拳を握りしめた。強く握るあまり、拳から血の気が引き、白く変じている。

「……やはり、提督のお心は長門さんにあるのですか。長門さんに任せないと気がすまないのですか。わたしではお役に立てないのですか」

 大和は心中から吐き出すように言った。

 提督を前にしてそう言うのは、あるいは、彼女にとって初めてのことだったろう。

 提督は大和をしばし見つめていたが、やがて、ぼそりと言った。

「長門を、超えたいかね」

「――もちろんです」

「それならば、俺がこう決めた意味もわかるはずだ」

「どういうことですか」

「長門にはわかっていた。今回の作戦、長門は自分の席を君に譲ろうとさえした」

「……それは知りませんでした」

「だが、俺はそれを止めた。君は――大和は残るべきだと思ったからだ。そう言うと長門は理解した。納得はしていないかもしれないが、しかし彼女には分かっていたんだ」

「…………」

 大和の表情から怒りが引いていき、代わりに疑問が浮かんでいた。

「まだわからないかね」

「わかりません」

「わからないなら、その視野において君は長門にまだ及ばないということだ」

 そう言うと、提督は大和に背を向けた。

「しばらく考えてみるといい。俺は君を評価すればこそ、残したんだ」

 それっきり提督は何も言わない。大和は怪訝そうな表情を浮かべたまま、しかし、一礼すると、執務室から去っていった。

 マホガニーの扉が閉まる音を聞いて、提督は大きく息をついた。

 願わずにはいられない――彼女が実地で答えを知ることにならないように。

 

 明けたばかりの空は青というよりもまだ白に近い。

 払暁の光に照らされて、鎮守府の海に艦娘たちがずらりと並んでいた。

 ざっと三十人以上は数えるであろう。

 これだけの艦娘が出撃するのは壮観といえたが、提督の胸に誇らしい気持ちはない。

「諸君の健闘を祈る――成し遂げて、無事に帰って来い!」

 彼はそう声を張り上げると、脇を締めた敬礼をしてみせた。

 艦娘たちが一斉に敬礼を返すと、隊伍を組みながら海面を駆けていく。

 彼女たち、それぞれの顔を、提督は目に焼きつける。

 考えたくはないことだが、これが見納めになるかもしれないのだ。

 水平線へと消えていく彼女たちが見えなくなるまで、彼は敬礼を崩さなかった。

「今回も、見送る側になってしまいました」

 ようやく敬礼を解いた提督に、たおやかな声がそっとかけられる。

 着物を着込んだ、穏やかな物腰の艦娘である。

「鳳翔(ほうしょう)、それは俺も同じだよ。俺はいつも見送る立場、そして帰りを待つ立場だ――俺には、祈ることしかできない。情けないことだな」

 その言葉に、鳳翔はゆっくりと首を振ってみせた。

「この日のために兵站を整え、艦娘たちを育ててきたのでしょう?」

「信じて、待つしかないか……」

 提督はつぶやいた。

 その視線は水平線の彼方へ向けられたまま、彼はしばらく動こうとはしなかった。

 

〔続く〕


 
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