第35話 美味探訪~追い求める者の名は 愛紗に秘められた“危うさ”~
翌日。旅の準備と情報収集を兼ねて街を見て回ることに決めた。まずは市場からだ。
と、まず目に飛び込んできたのは、牛。
「愛紗、福莱。あれ何?」
「牛の乳を売っているのですね。それなりに高価ですが、深みのある味わいで美味しいですよ。」
「牛乳かあ……。飲んでみようか。愛紗たちも飲む?」
「頂きます。」
「ええ。」
飲んでみると、それは牛乳ではなかった。牛乳よりずっとコクがある。どうしてだろう。何かが違う。
そうだ。これは“牛乳”じゃない。“原乳”要は牛から乳を搾っただけのものだ。クリームをとっていない。だから脂肪分が豊富にあってこんな味なのだろう。(※1)
と、いうことは。俺が頑張れば生クリームやバターを作れるかもしれない。この世界に、少なくとも中国には存在しないであろう、クリーム類。どうやって作るか、そんなことを考えていると、飲んでいる原乳に上澄みができていた。上澄み?
「これは……?」
「“層”だよ。放っておくと3層に分かれるんだ。一番上は飲めたもんじゃないぞ」
「それ、分けて貰えますか?」
「こんなもの、いくらでも分けてやるよ。ほら。」
壺に入ったそれは、明らかに“生クリーム”だった。これを振ればバタ-はできる。生クリームからバターを作るのは実習でやった。(※2)
「なあ甄、これを上下に振りまくってくれないか?」
「わかった。」
多少の疑問は感じながらも、やってくれた。仙術で。
少し経つと、固い物体が出来た。バターだ。
「ご主人様、それは?」
「無塩バター。これで料理の幅が広がるよ。」
そうして、卵と塩も手に入れて竈のあるところへ向かった。卵を割りほぐし、少し塩を加えてかき混ぜる。バターを鉄の、いわゆる“フライパン”の上にのせて溶かし、ある程度溶けたところに卵液を入れ、手早くかき混ぜる。
あとは手順を思い出しながら……。
半熟とはいかなかったけれど、プレーンオムレツ。胡椒があれば言うこと無いけど、仕方ない。
「ご主人様、何ですかそれは?」
「俺の国の料理。食べてみて。」
作った自分が言うのもなんだけど、懐かしい味だった。ハンバーグとかオムレツ、オムライス。そういうものは食べられなかったからなあ……。玉ねぎとナツメグ、どこかにないだろうか。
「初めて食べました。とても美味しいです……。」
「単純な作り方なのに良い香りですし、いくらでも食べられそうです。」
愛紗、プレーンオムレツはごまかしがきかないから実は難しいんだぞ……。と、女媧がひたすらに何かを食べていることに気づいた。
「さっきから何を食べてるんだ?」
「バターだ。」
え?
「バターだ。我々の世界にこのようなものはないのでな。いや、これは美味しい。」
「太るぞ。」
「私はいくら食べても太らない。」
ぶち殺したくなった。
気を取り直して店を回ると、薬屋があった。漢方薬屋か……。
そこにあったのは、粒の胡椒や砂糖、あとはナツメグと思わしきもの。どこから入ってきたかを聞いてみると、予想通りの答えが返ってきた。
今でいう“インド”と。
“マリン=ロード”
後漢(日南郡)→南ヴェトナム(チャンパー)→カンボジア(扶南)→南インド(サータヴァーハナ朝)→ローマ
をつなぐ海上の道。北はシルク=ロードがある。
“大秦国王安敦”やったなあ。マルクス=アウレリウス=アントニヌス。 この時代はいわゆる“五賢帝”の後。いわゆる“軍人皇帝”の時代だったはずだけど、ちゃんと交流あったんだな……。
「ご主人様……。」
大量の“薬”を買い込んだことで愛紗も福莱も呆れていた。袁紹のお陰で金は山のようにあったから問題無い。
そして肉屋。鴨が居た。
生きた鴨を目の前で殺して羽を取ってもらった。毛を炙って焼き、福莱が捌いた。
しかし、肉は案外普通だった。。正月の鴨雑煮の鴨はもっと美味しい。鴨なんて高級だからそれくらいしか食べる機会はないけど。
そうだ、“熟成” 殺して少し経った頃のほうが美味しいんだ。ということは……。でも、このまま置いておいたら腐るし、そもそも俺には食べ頃が分からない。
「とりあえず、肉と皮と内臓を分けましょうか。」
「ああ。」
!? 鴨。内臓。
フォアグラ。要は肝臓だ。
新鮮だから食べられるはずだ。
あった。
ソテーにする、調理実習でそう教わった。 塩と胡椒を振り、牛乳に付けて小麦粉をまぶし、もう一度牛乳に付けてから小麦粉をまぶし、バターで焼く。
2度するのがポイントだ、そう習った。臭みがとれる、と。
「舌の上でとろけるようです。こんなものがあったとは……。ご主人様?」
何かが違う。淡泊だ。あのとき食べたものよりあっさりしている。どうしてだろう。
そうだ。フォアグラは鴨を無理矢理太らせて、そこから肝臓を取るんだ。これは単なる肝臓。だから味が違うんだ。作れないかな……。
エサ。トウモロコシ。アンデス。輸入は無理だろうなあ……。何とか人工で太らせられないだろうか。
そんなことを考えていたら、あっという間に夕暮れになっていた。
「ご主人様はどうしてそんなに人を欲しがるのですか?」
夕食時、ふと、愛紗がそんなことを聞いてきた。
「?」
「私たちのところには十分すぎるほどの人材が集まっています。率直に言ってこれ以上求める必要性を感じません。
それに……。」
何故かそこで愛紗は言い淀んだ。
「それに?」
「いえ……。福莱はどう思う?」
「愛紗さんの意見もわからなくはありません。”船頭多くして船山に上る”ですから。ですが、あの人物”稀代の天才”に関しては別です。何としても味方に引き入れるべきです。敵に回すのは危険です。」
「そう。例えば、俺たちがあっさり落とした鄴の戦い。敵が椿や玉鬘の献策を受け入れてきたら、それだけで攻略はかなり厳しいものになっていたと思う。”味方にいる”ということを裏返すと”敵にならない”ということなんだよ。
仮に、福莱や朱里たちほど優秀じゃない人物だったら、福莱たちと実務を行う人との橋渡しを行って貰えば良いだけの話さ。重要な会議には入れない……ということ。
それに……。”国”ってなんだと思う? 俺は”人”の集まりだと思う。だから一人でも多く、貪欲に求めちゃうんだろうね。」
「なるほど。ところでご主人様、私から一つ伺っておきたいのですが、ご主人様は最初から潁川(えいせん)に向かわれるつもりだったようですね。目当ての人物がいるのですか? いるのならば、名前だけでも伺っておきたいのですが……。」
「名前? 郭嘉。字は奉孝。」
曹操軍黎明期の名参謀にして夭折の天才、いや、”鬼才”だ。俺が考える”最高の軍師”その1。
その業績はすさまじい。
たとえば、官渡の戦いの折、揚州から孫策が動いて曹操の本拠地である許昌を落とそうと計画したことがある。他の家臣が大慌てするなか、郭嘉は平然と「暗殺されますから大丈夫です」と言った。実際、孫策はそのすぐ後に暗殺される。といった話があったり、袁紹の死後にあえて追撃を避けることで袁家を仲違いさせ、最小限の被害で冀州を平定することに成功……といったような話がある。
が。38歳の若さで207年に没する。曹操に至っては、208年に赤壁の戦いで大敗北した際、”奉孝がいれば私をこのような目に遭わせることはなかったろう……。”と嘆いたと言われている人物だ。何が何でも欲しい。
「郭嘉……。」
「で、愛紗がさっき言いかけたことって何?」
「少し、嫉妬してしまいます。ご主人様が他の
”嫉妬”
愛紗に潜む”危うさ”の正体はこれか。感情的になるのはある意味でいいことだけれど、判断力を鈍らせることにもなる。冷静な判断ができないと言うことなのだから、戦場でそれが起こったら致命的だ。やっぱり、
「”一途”なのはとても良いことだと思いますよ。」
「わ、忘れて下さい。ふ、福莱。”稀代の天才”に関する他の情報は無いのか?」
「他の情報ですか? ”従者”として“程立”という方がいて、その方が本を売ったりという接触をしていることくらいです。」
「程立?」
「ええ。」
程立。どこかで聞いたことがあるような……。そうだ。程昱のことだ。”日輪を捧げる夢”を見たことが曹操の耳に入り(荀彧に話→曹操に語る)、”日”を”立”てる”昱”に改名したんだ。本名は程立だったはずだ。
でも、程昱と郭嘉の接点なんて……。演義で郭嘉を推薦したのが程昱だったろうか。それと、劉備が曹操の客将的な扱いになったときに暗殺どうこう……という話くらいしかなかったような……。やっぱりめちゃくちゃな歴史なんだろうか。
解説
※1:私たち一般人が飲めるものでこれに近いのは“低温殺菌の瓶牛乳(ノンホモジナイズドの牛乳)”と言われるものでしょうが、恐らく味は違うと思います。原乳の殺菌云々に突っ込んではいけません。
※2:乳脂肪分の高い(47%など)生クリームをペットボトルなどに入れて振ればバターができます。
後書き
家庭科万歳。漢方薬万歳。
仙人(女媧)の力で遠心分離~も考えましたが、冷めるので止めました。辛うじて無理のない範囲ではないでしょうか。
調味料(砂糖・胡椒など)は独自に色々調べた結果、こうなりました。私自身がタイムスリップできるわけでもなく、そのあたりの資料も(私の力では)断片的なものしか手に入らないため、これが限界でした。
現在、上野の東京国立博物館にて台湾の“故宮”展が開催されています。残念ながら目玉の“翠玉白菜”は終わってしまいましたが、近郊にお住まいで興味のある方は見に行ってみると古代中国の文化に触れられるのではないでしょうか。草書を一刀が読むのは厳しいだろうなあ、などということも思いながら見てきました。
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第3章 北郷たちの旅 新たなる仲間を求めて
“食”の記述で多少グロテスクなものがあります。嫌な方はお戻り下さい。