「本日を持って日本は真の民主主義政権を樹立したことを宣言します!」
国会議事堂の演壇で、若きリーダーのAは高らかに声を張り上げた。
彼は、日本の民主主義を守るアジェンダの青年部部長であり、今は新生日本政府のトップだ。
中の上といった顔立ちが満面の笑みを浮かべると、議席を占拠した同志達がスタンディングオベーションし、演壇より一段低い速記者席を踏みつけ溢れるマスコミがカメラのフラッシュを焚きまくる。
民自党による日米安保の強化や集団的安全保障の宣言といった「普通の国」政策に危機感を覚えたのは、彼が名門大学で軟派に日々を過ごす中だった。当時はそんなニュースを耳に入れることはほとんどなく、そんな時間があったら仲間達と遊んでるか頭の緩そうな女と遊んでやるか。仲間の手伝いで適当なジジババに電話をかけて泣きマネをするバイトもやっていたが、そいつらが捕まってからは特にバイトもしていない。当時はビビったが、取調室で土下座して泣いてやったら起訴猶予で無罪放免だ。警察マジちょろい。
とまあ、そろそろ就活を見据えなければと思っていた頃だ。大手商社や政治家にもコネがあるという話で非公認サークルである平和研究会を先輩のツテで紹介されたのは。先輩は随分前に別れた女の元カレで、しかし本人にとっては何人もいるセフレの一人に過ぎないので喧嘩にもならず、むしろ気があって色々と世話になっていた。
「俺が性欲処理に困らないのはこいつらのおかげだよ」
就活のコネだけでなく下の世話まで完備という話に惹かれ、毎週校門でダサい格好でセンソウハンターイを叫んでる底辺な連中だとは思っていたが、とりあえず様子見だけと思って入ったのだ。
それからはなんてことはない。平和主義だの難しいことばかり並べ立てるのに適当に頷き、9:1で紛れてる普通めの女子を他の連中と回して、しかし校門前での啓発活動とやらは何回かやるだけで、他は普通。正直当時は左翼のサの字も意識していなかった。
そんなある日だ。自治会の抗議にめげず長年占拠している部室が妙に殺気立っていたのは。
「どうしたんっすか?」
そこからは当時の会長が延々と"暑く"語って、それに乗じたように周囲のメンバーもぎゃあぎゃあ喚き始めた。三日前に可愛くラブホで喘いでいたあの娘が怒声を挙げていたので二度と関わらないことを決めた。
さておき、どうやた政府が集団的自衛権を強行して徴兵されるそうだ。
「マジっすか。赤紙とか明日辺り来るの?」
その恐れもあると会長達は話しつつ、しかし閣議決定の段階だからまだ潰せると言う。正直この時の俺は徴兵されるなんて思っていなかった。高校で自衛隊に行った奴らもいるが、そいつらが何十万も貯金してると聞いてるからだ。そんな給料を徴兵してまでお国が払ってくれるほど財政に余裕がないぐらいはさすがに知ってる。
「いや、徴兵されれば義務だから給料なんてない」
「うわキッツー」
そんなタダ働きは絶対ヤダ。というわけで国会議事堂前でのデモ活動に(日当も出るので)参加することにした。
社会科見学でも行ったことがない議事堂前は案外広くて、しかも坂になっていて面倒だった。そこに寂しく百人ちょっとが集まって、やれメガホンだ横断幕だノボリだのを構え準備していた。正直、大学の入学式よりもしょぼい人数で、しかもほとんどが俺らみたいな学生か暇そうな中年共という構成は不安だ。
その中でこの場に似つかわしくない金持ちそうなスーツのおっさんが俺らに話しかけてきた。
「君達、○大の平和研究会だね」
会長がペコペコ頭を下げる相手、どうやらこのデモの主催者でしかもOBらしい。
先輩が言っていたコネは実在するようだ。ちなみに先輩はサボり。
何やらデモ中の注意やマスコミ対策用のあれこれが書かれたA4のマニュアルをもらい、デモは始まった。この時点でめんどくさくて帰りたかったが、まだ日当をもらってない以上帰れない。つか、お遊戯会みたいな人数でお遊戯会みたいなことをやっていて、それを俺たちよりも多いぐらいのテレビやヘリや撮影してるってのは、動物園の猿みたいだ。もっとも周囲の連中は舞台の主役みたいに真剣で、俺の方がおかしいんじゃないかと思った。
途中で議員とかいうおっさんおばさん共が参加して泣き喚いて警察に連れて行かれるという、きもすぎて写メも撮る気にならない珍事を交えつつデモは終了。夕方には部室で反省会と称してニュースに映る俺らを見て勝利への道とか革命の一歩とか褒めあって終了。まあこれで二万もらえるならまたやってもいい。
そんなこんなでバイトを繰り返していくうちに、何やら上位団体に気に入られて抜擢され、色々とアジったりしている内に全国規模の団体、つまり日本の民主主義を守るアジェンダの一員になっていた。
この頃には日本はだいぶきな臭いことになり、日米豪での軍事演習をやったり、自衛隊に対地攻撃能力がついたり、敵基地への先制攻撃が許されたり、中国との戦争を見据えて東南アジアに工場移転を奨励したり、従軍慰安婦や靖国問題は一歩も譲ろうとしない。着実にアメリカの目論見である日中戦争の道への歩んでいた。
米国がまたテロ攻撃を受けたのはそんな時だ。北部中東の新国家による宣戦布告が行われ、米国を始めその時に犠牲になった国々が次々参戦、多国籍軍としてなだれ込んだ。
当然のように日本も支持し、自衛隊の派遣が決定した。しかも今度は給油活動や給水活動だけじゃなく、南部中東での治安維持の一端を担うという。北部イラクからの難民保護や、南部中東でのテロ警戒が目的で、自衛隊の戦闘は明らかだった。
この頃にはだいぶ知識を得ていた俺は、すぐに抗議活動をするべきだと提言した。馬鹿でも分かる。イラク戦争のように間違った戦争に再び足を踏み入れ、しかもテロ警戒や難民保護を建前に中東人を殺そうとしている。平和主義の日本が平気で人を殺す殺人国家になってはならない。こんなことを続けていれば、いずれアメリカの言いなりに各地で「テロ警戒」を名目に徴兵されかねないのだ。
かくして俺が言い始めたということで俺が主導し、国会議事堂前での抗議活動となった。相変わらず人数は少ないが、派遣会社などにも頼んでどうにか大学の入学式程度の人数は集められた。
だが俺は知っている。何人集めても極右に染まった政治家を覆すことは出来ない。数の暴力で民衆の訴えを退ける政府など、日帝時代と何も変わりはしない。
俺達は密かに行動し始めた。もはやすっかり顔なじみとなった日朝新聞の記者に首相のスケジュールを教えてもらい、また国会議事堂の警備体制も教えてもらう。警察にいる同志から当日の機動隊の状況を教えてもらう。あとはこちらの準備だが、共闘やマル派の同志から精鋭を集めてもらう。決行前夜のミーティングでは、いよいよ民主革命だと士気が高く、成功を確信した。
デモ当日、晴天。
念の為にデモ隊を俺は主導し、本命は信頼できる武闘派のリーダーに任せている。
早朝に準備のために集まっていた俺たちは、議事堂裏から響いた爆発音に万歳した。スマホのラインに踊る革命成功の文字。驚く機動隊の連中を尻目に、俺達は正門に突撃した。
終わってみると呆気なかった。あれほど強そうに見えた警備員達は二回もゲバ棒で叩いてやると倒れ、テレビでは憮然としていた政治家が泣いて命乞いをした。衆議院議員数百人、それに議事堂の職員らを人質とした俺達は、冒頭の通り日本の真の民主化を宣言したのであった。
それからは思った以上にスムーズに事は運んだ。
なにしろ首相は爆殺され、非常時に首相の代役となる大臣達も与党の大物も一網打尽だ。警察も自衛隊もこの状況で動けるわけはない。極右政治家の何人かは見せしめに処刑し、残りも後々人民裁判で死刑を下すとして、他の議員達を使って警察と自衛隊は即時解散。俺達が合法政府として君臨し、人民を指導することが決定された。
まず俺が実施したのは貧困層への対応である。
銀行の非道な搾取に苦しむ人々を救うために徳政令を出し、さらに日本国内の大企業はすべてその資産を接収した。今後は国により内部留保などを持たないようスリムな運営がされるのだ。
次に憲法の遵守である。自衛隊は災害救助隊として重機や救助ヘリなど以外の戦車や戦闘機といった軍事力を放棄する。これにより浮いた費用が福祉に当てられる――はずだったのだが、思ったより削減効果はなく。自衛隊員の年俸を一律二百万にすることでどうにか兆単位のムダ削減に繋がった。
こうした軍事力を持たない真の平和主義は中国や韓国から大いに賞賛され、なんと中国からは早々と国務総理が来て金印という貴重品を俺にくれたのだ。実に気前が良い。
当然米軍を忘れてはならない。あれがある限り日本は絶対にアメリカに巻き込まれるのだ。しかしアメリカは強欲な国だ、連中の原発を爆発させニューヨークを火の海にするぐらいしないと日本の平和への渇望は理解しないだろう。とアメリカとの戦争を覚悟していたのだが、案外アメリカは物分かりがよく、早々と撤収していった。ついでに日米安保まで破棄してくれるという。さすがのアメリカも平和の灯を消したら世界中から非難されることをわかっていたのだろう。
そうして一年が過ぎた。未だに軍国主義への回帰を夢見て抗議活動をする不穏分子がいるが、全員マークしているので順次投獄している。可愛そうだが、平和のためには仕方ないのだ。
マスコミが協力してくれているのもありがたい。新聞やテレビ各社の非課税化というたったそれだけで、日本人の平和教育に貢献してくれるし、なにより彼らの情報力で未だ万全と言い難い政権の諜報を担ってくれている。日教組による平和教育も盛んだ。未だに日和見でいる連中も、いずれ進歩的教育を施されたエリートに駆逐されていくだろう。愚鈍な人民は不要なのだ。無能な働き者はいらないとよく言うが、こうして首相の地位にいるとよくわかる。
たまに、民衆が困ってるだの貧困してるだの馬鹿げた報告をしてくる部下もいるが、それもいずれ優秀な部下になれば変わる。かつては同志と甘く見ていたが、今の俺には無能者にしか見えない。
だいぶ国内が落ち着いてきた頃、韓国から接触があった。従軍慰安婦や日帝強占期について自ら謝罪し、極右政治家共から没収した財産の譲渡、それに対馬や独島の韓国領認定や宮内庁や各地の朝鮮王朝の宝物をすべて返還することで真の日韓友好を成し遂げたのだ。歴史上、隣国同士がここまで理解し合えたのは奇跡としか言い様がない。まさに平和主義の産物である。
「百済観音を返還して欲しい」
秘書から資料を渡されて思い出した。遠い昔に修学旅行で見た仏像だ。あんなもので良いという韓国の気前の良さを褒めつつ、了承する。数日後、法隆寺の抵抗を排除しついでに他にも韓国に関係ありそうな宝物を接収し引き渡すことに成功した。つーか寺が抵抗って比叡山かよ。
次にロシアから接触があった。ロシアは良い国だ。今でも首相官邸に戻ればロシア美女が何人も俺を待っている。北方領土はもう戻らないのだからときっぱり諦めたし、そうなると今度はなんだろうか。
「北海道が欲しい」
さすがに躊躇した。北海道の海産物が食えなくなるのは困る。今日の夕飯だってかつて銀座で一番だった寿司屋をまるごと国有にした、その板前が作るウニやカニの寿司だったのだ。
「では官邸には我々で最高の海の産物を無償で提供する、ということでどうでしょう?」
当然乗った。なにしろタダである。今日の支払いだって国有である以上予算がかかってるのだから、材料費で高いウエイトを占める材料費がタダなら国家予算はより削減できる。
それに北海道。あんな原野だらけで都市部以外は毎年雪だらけの場所、あんな所に電線や道路を走らせて整備してるなど無駄で仕方がない。ロシアがどうするかは知らないが、日本と違って広い土地の扱いには長けている彼らだ。きっと有効に活用してくれるだろう。
北海道に住んでいるという同志達は、むしろロシア国籍が取れると喜んでいた。かくして満場一致をもって北海道はロシア領となった。
予想通りの中国が来たのはそれからすぐだった。恐らくロシアの話を聞いてどこかの割譲を求めに来たのだろう。しかしここからが外交の駆け引きというものだ。
「沖縄が欲しい」
しかしここで、沖縄の天然塩やサトウキビで騙されない。そんなのはロシアの時に経験してる。思えば、ロシアとの交渉でももう少し要求すればよかったかと思うが後の祭りだ。今度失敗しなければ良い。
「いやーでもなぁ、沖縄は場所自体がなぁ」
北海道はまだスキー場の替えがきく。沖縄のような亜熱帯のリゾートは鹿児島じゃ利かないのだ。
「では、A様はフリーパスで沖縄に入国できるので如何でしょう?」
「んーそれだけだとなぁ」
「リゾートホテルの無料宿泊、それに沖縄では常に我が国選りすぐりの外交員がお世話する、でどうでしょう?」
「もう一声」
「これ以上はさすがに……あまり要求されますと、我が国は人民軍で解決しても良いのですよ?」
「わ、わかりましたよ。冗談です冗談ははは」
多少気に食わないが、中国は冗談が本気になることがある。実際、かつて尖閣諸島の割譲で当時の先輩同志達の意見を聞き難儀してるように見せたのだ。すると中国は冗談ではないことを示すために海兵隊を送り込み、尖閣諸島の領有を宣言したのだ。このままだとまた日中関係が悪化すると考えた俺の機転ですぐ祝電を送ると、中国はにこやかに対応してくれ、さらにパンダまでくれたのだ。
そう、中国はちょっと気難しい。いささか手が早いのは困りものだが、こちらがきちんと言うことを聞いていれば戦争はしないと約束してくれる義理堅い国なのだ。
沖縄の割譲はすでに同志達の多くが計画していたこともあり、スムーズに行われた。地元住民から不安の声も上がったし、抵抗勢力もいたがすべて排除した。不穏分子はまだ燻っているそうだが、中国による統治に後は期待することで任せた。彼らも平和主義の日本人とそうでない日本人の扱い方は心得ているだろう。
九州北部が韓国領となり、沖ノ鳥島というたかが岩を中国に渡したりした結果、最新の日本地図はだいぶコンパクトになった。少し寂しい気もするが、別に無くなったわけじゃない。俺の地位ならいつでもプライベートジェットで遊びに行けるのだ。
そんな風に平和を謳歌していた時だ、アメリカが来たのは。
アメリカは日本国内の米国資産や小笠原諸島の割譲を求めてきた。
断固として断る。沖縄が使えなくなった今、小笠原諸島の貴重な自然を切り崩して米軍基地にするのは目に見えているし、米国資産はかつて日本人から搾取したものだ。略奪者に戻すなんてあり得ない。
きっぱり断るとアメリカの使者は黙って帰っていった。毅然とした態度、これがアメリカに必要だったのだ。こんな簡単な事を歴代の政府はやってこれなかったかと思うと、つくづく民自党が無能だったのかよく分かる。
数日後、アメリカは非常識にも日本に対して宣戦布告してきた。
日本国内のアメリカ財産の保護と、日本国民の保護を謳ってきたのだ。
長年かけて肥え太らせた日本、その資産をアメリカの物にする野心を保護などと言い訳し、さらに平和に幸せに暮らしている日本人を保護などと、いかにも正義の味方でありたいアメリカらしい。
すぐさま国連大使を通じてアメリカに対する非難声明と全世界的な制裁を提案させるが、非難声明決議はなんと大多数の反対で棄却。安保理はアメリカが拒否権を発動するだろうことは予期していたが、多くの国がアメリカの言う日本人の保護を支持したらしい。嘆かわしい、アメリカの武力を世界中が恐れているのだ。
だが日本が屈する訳にはいかない。日本がここで倒れれば世界はアメリカに従うしか無く、二度と世界平和は訪れないかもしれないのだ。
救いの手を差し伸べてくれたのは、やはり中国だった。
「日本が中国の支持に従ってくれるならば、アメリカを説得しましょう」
こういう時に限ってロシアはだんまり、EUはむしろアメリカを支持し多国籍軍の派遣を言い出す始末。韓国は北朝鮮事情で忙しく力になれないと言うから仕方がないが、結局は頼りになるのは親身な隣国だけなのだ。
「お願いします。アメリカは日本を再び侵略して手先にしようと今度こそ日本人を絶滅させかねません。いっそ中国の力でワシントンを焼き払えば黙るんでしょうが……」
「いやいやA総理、それでは暴力的すぎる。中国はアメリカとも平和でありたいのですよ」
この差である。いかにアジア的優しさがありがたいことか。
そして一ヶ月後。
「それではここに、東日本州知事の誕生を祝して!」
テレビの向こうではアメリカ人の誰かが微笑んでいる。
中国とアメリカの話し合いの結果、日本は東と西で分割統治されることになる、西側は中国、東側はアメリカに併合された。テレビでは続けて西日本省の省長との平和式典が行われている。
どうしてこうなったのか未だにわからない。私は気がつけば首相官邸に雪崩れ込んできた人民解放軍に捕縛され、この監獄で政治犯として裁判を待っている。
国務総理にも主席にも、大統領にも事情を聞けないままにこうしている。
中国が裏切ったとしか思えないが、信じられない。あれほど尽くしてきたのだ。今こうしているのはアメリカを欺くためで、いずれ私が西日本の指導者としてあの綺羅びやかな舞台に立つ。そういう未来が待っているのだ。
続いて米中共同での宣言が始まる。日本は愚かな指導者による革命で滅ぼうとしていた。無謀な経済政策で指導者は肥え太る一方で人民は苦しみ、逆らうものは粛清されていった。落ち込んだ経済の影で死んでいった市民は莫大な数になる。……いずれも私の政策とはまったく違う。私の元に届いていた正確な報告では、人々は都市部に移住し便利な生活と平和な世の中に満足してる。大企業から奪取した財産が正当に分け与えられ、人々は安らかに暮らしている。そうだ。
これもすべてアメリカを欺くための策略のはずだ。こうして勝ったと油断している間に憎きホワイトハウスが核の炎で焼かれるに違いない。平和を否定する右翼共は尽く根絶やしにしなければ。
しばらくして看守がやってきた。裁判が始まるらしい。
この裁判で如何に私がこの国に、世界に尽くしてきたかを知らしめよう。
「私は、まだやれる……!」
口にすると勇気が湧いてきた。そうだ、まだこれからが本当の闘争の始まりなのだ。
鉄格子が開かれ、私は輝ける復活の道へと歩み始めた。
「続いてのニュースです。かつて日本を弾圧してきた革命政府の指導者Aが獄中で心不全のため亡くなっていたことがわかりました。中国政府の発表ではAは裁判で精神鑑定が必要とされた後も拘束されていましたが――」
「おはようございます、20XX年○月○日朝のニュースです。東西に分割された日本で統一戦争が勃発し今日で三年目、日本を統一し平和にするアジェンダによる核テロにより多数の死者を出した東京では慰霊祭が行われました。この統一戦争と平和主義を標榜するテロリストによる被害で日本人はおよそ一千万人にまで減少し、現在も東西暫定国境線では米中が睨み合っている状況です。現在も日本でのこれら革命に刺激を受けた非武装平和主義を名乗るテロリスト団体により世界中で年間十万人規模の死傷者が出ており、最近ではパリの国際平和会議を狙った極右殲滅主義者によるテロで――」
終わり。
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平和主義者による爆弾テロで革命政権が樹立した日本というあれな話