―――MIZUHO―――
「いつもいつも、うるさいのよ! ウザい!!」
そう母に言い捨て、みずほは家を出た。
恐らく、直後だったのだろう。
一限が終わって、担任に呼び出された。
母が倒れた、と。
すぐに病院へ向かったが、母に意識はなかった。
集中治療室で機械につながれている母は、母でないようだった。
その場でどうしてもじっとしれいられなかったみずほは、しばらくして病院にたどりついた父に後をまかせ、入院に必要であろうものをとりに帰ることにした。
下着、タオル、眼鏡、時計、洗面用具。
用意しながらみずほは思った。
病院に持っていったとしても、この先必要になるだろうか。
意味がないのではないか。
家に帰ることもないかもしれない。
そう思った自分に恐ろしくなった。
背負ったバッグがずしりと重かった。
自転車にバッグを乗せた後、みずほはふと、遠くを眺めた。
霞の掛かった山が、青く見えた。
「空気の色、知ってる?」
昔、かなたに聞かれたことがある。
透明じゃないの? と聞き返した。
かなたは左右に首を振った。
「空気の色は青いんだよ」
みずほは興味なかったが、へぇ、と相槌をうってみた。
遠くを見れば、みんなにその色が見えるという。
遠くのものほど、自分とそのものの間の空気の壁が厚くなるから、色がわかるのだと。
「見ているのに見えていないもの、たくさんあるよね」
そう言ったかなたの意図が、みずほには見えなかった。
これ、か。
当たり前のように家にいる母。
いちいちうるさいことを言われても、それが自分のためであることは、少し考えればわかることだった。
自分の体調より子どもの心配をする、そんな母の顔色くらい気づいてあげなければならなかったのに。
山の青い色がぼやけた。
しばらくして、涙がこみあげたせいだということに気づいた。
ぐっとシャツでぬぐう。
早く病院に向かわなければならない。
「戻ったら意識も戻ってる!」
そんな、かなたの根拠のない言葉が聞こえた気がした。
「でも、そうだよね。朝のこと謝ってないし」
みずほは自分に言い聞かせた。
元々、娘が母のためにしたことを無駄にするような人ではない。
母の日のプレゼントも、誕生日プレゼントも、ボロボロになってもちゃんと愛用してくれる、そんな優しい人なのだ。
重い思いをして持っていくこの荷物だって、きっと使ってくれることだろう。
グッとペダルを押した。
泣いていたってなにも変わらない。
みずほが腰を上げてこぐ自転車は、真っ直ぐ病院を目指していた。
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私もかなたに教わりました。