『帝記・北郷:十六~五百年の敵:前~』
蜀が管理者達の手に落ちたことを察した新魏軍は、少しずつ部隊を撤退させ兗州に集結させる傍ら、長安と襄陽にそれぞれ二万ずつの兵を急行させた。
長安派遣軍は総大将を華琳、軍師を躑躅が勤め、襄陽派遣軍は藤璃を総大将に紅燕が軍師に着いている。
新魏の動きに合わせて一部の呉軍に新魏軍を追撃しようとする動きがあったが、撤退するならばもう帰っているはずの一刀が最後まで戦線にその身を置いたことで疑心暗鬼が生じ、加えて風炎の命や対蜀戦線の緊張もあって両軍の激突は回避されていた。
そして舞台はそれぞれの戦場へと場所を移す。
緩やかに、時代に急かされるように。
「陸遜将軍、龍泰将軍、蒋欽将軍、御到着!!」
城兵の声が響き、鉄で補強された大きな水門が静かに開く。
その後に続く船団にはためく、『龍』と『陸』それに『蒋』。
濡須守備軍から柴桑の防御の為に派遣された一万の軍勢とその将達であった。
船を埠頭に着け板で桟橋との間に道が作られるや、まず降りて来たのは隻腕であったのが嘘であるかのように義手(蒼亀から渡されたトランクに入っていた)を軽く掲げて兵達に笑みを見せる龍泰こと龍志。
続いて、いつもはぼさぼさの銀髪を珍しく少しは整えた呉の特攻隊長・蒋欽こと朱音。
最後に、言わずと知れた呉の頭脳の一人。智謀はその胸に引けを取らない陸遜こと穏。
三人を出迎えるは同じく三人の将。
中央に立つは黒髪を風に流し、眼鏡の奥に理知的な輝きを讃える呉の筆頭軍師・周喩こと冥琳。
その左右に立つ女に、龍志だけでなく朱音と穏も目を丸くする。
「君は…」
「龍~志ィ!!」
ドグガッ!!
「ぐはう!!」
その内の一人は龍志の姿を見るや、軽く地を蹴り見事な跳び蹴りを龍志の鳩尾に叩き込んだ。
完全な不意打ちに流石の龍志も防御が間に合わず体をくの字に折って悶絶した。
「張昭様!どうしてここに!?」
声を上げた朱音に、張昭と呼ばれた女は不機嫌そうな目をじろりと向ける。
それだけで朱音は半歩後ろに下がった。
「どうして?この阿呆が呉に来たと言うのに何の挨拶も寄こさんから、こっちから訪ねて来たのだ」
未だに鳩尾を抑えて呻いている龍志に顎で示して張昭はふんっと鼻を鳴らした。
「ぐおお…というか、俺は龍泰ってことに成っているんじゃ……」
「あら、もう皆知っているわよ」
そう言ったのは龍志の姿を面白そうに眺めていたもう一人の女。
三国同盟を境に隠居したはずの呉の宿将・程普であった。
「ま、曼珠…君もどうしてここに?」
「何。天下がまた面白い事になっているみたいじゃない。それなのに隠居なんてしていられないでしょ」
パチリと左目でウインクをした曼珠に、龍志は『変わってないなぁ』というように乾いた笑いを浮かべた。
「何はともあれ、久しぶり。で、俺に記憶が残っているってことをどうして呉の兵に教えたんだ?」
「おい龍志!!曼珠には挨拶をしておいて私にはしないとは何事だ!!」
曼珠から冥琳に視線を移した龍志の脛めがけて、再び張昭の蹴りが飛ぶ。
「おっと」
それを龍志は軽く足を上げて受け止めた。
「挨拶を忘れてすまない。牡丹も久しぶりだな。元気にしていたか?」
「ふん。元気でなくとも元気にせねばやっていけぬわ!!」
面倒くさげに言いながらも、頬を微かに赤く染めどこか嬉しげな牡丹。
横目でチラリと龍志を見るや、困ったようなその顔を見て彼に見えないように小さく笑み浮かべ。
「ほら、冥琳に話があるのだろう」
「そうだった。冥琳。理由を言ってくれないか?」
「その前に見せたいものがある」
そう言われて移動した先の部屋で冥琳が出したのは一巻の書簡。
おもむろにそれを受け取り開いた龍志は、柳眉を寄せて眉間に皺を作る。
書簡に書かれていたのは簡単に言えば降伏勧告。
だがその内容は侮蔑と嘲笑に彩られ、よほど肝の据わっていない者か誇りを知らぬものでなければ城を枕に討ち死にするほうがましだと思うだろう。
「…あからさますぎて片腹痛いが。察するにこれと同じ物が領内にばらまかれたか?」
「ああ。おかげで呉内では新魏に降伏するくらいなら死を選ぶと言う者や、新魏に降るくらいなら蜀に降るという者が続出している」
「成程…牡丹が柴桑まで出てきたのはそれが理由か」
呉の文官筆頭を尋ねられた時、対外面のみを見ているならば冥琳の名を答えるものが多いかもしれない。
しかし実際のところ、冥琳は文官としてよりも指揮官としての面も多く、文官であり武官であるという微妙な立場に当たる(尤も、実際の三国時代は文官と武官の兼任は多かったので、無理に区分するのもナンセンスな事なのだが)。
生粋の文官として国内の統治にあたっているのは間違いなく牡丹であり、牡丹の発言が呉の統治に与える影響は大きい。
とはいえ今回のように国内で対新魏の風潮が過熱しているような場合は、文官よりもむしろ武官の統制をとる必要が出てくる。
必然的に、雪蓮や祭が不在な今、呉の武闘派の舵取り役は冥琳か韓当あたりが妥当な所になるのだが、文官と武官の狭間にいる冥琳の方が牡丹としては勝手が良い。
というわけでその相談の為に牡丹は直接自分が建業を離れて柴桑に来たのだろうが……。
「それで、でっち上げでも良いから新魏と呉の絆の証として俺を立てようってわけか」
新魏と呉は一応交戦状態だが、互いに侵攻の意思がない事は明白である。むしろ蜀が不穏な動きを見せている以上、新魏としては洛陽の早期奪取と雍州や荊州の守備に兵力を割きたい事は事情をよく知らない呉にも解る。
そして呉としては、雪蓮惨死が流言飛語であると龍志から教えられ、蓮華の生死もはっきりしない以上、二人の帰還まで孫呉としての形を何としても残したい。
雪蓮を配下にしていることからも新魏につけば孫呉の形は残るかもしれない。しかし、今の蜀に降れば間違いなく孫呉は失われる。
孫尚香がいるものの、彼女は人の上に立つ器を備えてはいるが、この苦境を越えるにはまだ未完成な器である。
故に、公式ではないものの(というか王の不在に勝手に講和など結べるものではない)呉が新魏に恭順を示した証が必要となる。
そしてその役割に最もふさわしいのは、かつて一時的に呉の統治にあたり呉の人々からも慕われ、敵であった時にその武威を見せつけた龍志をおいていない。
無論。彼に仲間を殺された兵達は不信を抱くだろう。しかし、龍志の武名は荊州を奪われ士気の下がった呉軍には良い活性剤になる。
「まあ、別に構わんがな。俺としては蜀の足止めができれば良いし、君達は孫呉という形を守りたい。その為にする事は一緒。だったら協力するだけだ」
「まったく。養われているというのに何て言い草だ」
口の端を歪めて笑う冥琳に、肩をすくめてみせる龍志。
自分勝手なのはお互い様だ言うように。
「まあ了解した。それはそれで、俺としてはもう一つ気になっていることがあるんだが」
「何だ?」
「お前の病のことだ」
『病』
その言葉に一瞬だけ冥琳の顔から余裕が消えたが、すぐさま元に戻し。
「ははは。何を言うかと思えば…お前の薬のおかげで快調そのものだよ」
「嘘を言うな。幾らあの薬が効くとはいえ、体を養生しなければ意味はない。薬とはあくまで回復の助けなのだからな」
それに応える冥琳の言葉は無い。
二人のただならない雰囲気に、周りも戸惑いを浮かべながらも黙って事の成り行きを見守る。
「……呉の為に命を捨てるか?」
「…さてな」
「……やれやれ」
深々と溜息を吐くや、龍志は流れるように一歩踏み出す。
それはあまりに自然な動きで、冥琳には彼の体が揺れた程度にしか見えない。
だが、次の瞬間冥琳の意識は瞬く間に暗闇に吸い込まれいった。
何が起こったのか。そんなことを考える間も無いうちに。
「りゅ、龍志さん!?」
目の前で起こった事態に驚きの声を上げたのは意外にも穏だった。
龍志の人差し指が冥琳の眉間に触れたと思った次の瞬間、彼女は崩れ落ちるように彼の胸の中に倒れてしまったのだ。
「やはり病んでいたか…」
「流石だな、牡丹は気付いていたか」
「ふん。伊達に国母だの何だのと言われてはおらぬわ」
不安と褒められた嬉しさの混じったような微妙な表情でそっぽを向く牡丹。
その隣では曼珠が龍志の腕の中の冥琳をじっと見ている。
「…大丈夫なの?」
「さて。正直、俺が呉に来た時すでに病状は進んでいたんだ。冥琳のことだからここ数日は寝る間も惜しんで働いていたろうから……正直、俺の手に余るかもしれん」
「そんな~どうするんですか~」
泣きそうな声を上げたのは穏。
普段は飄々として冷静な彼女でも今回ばかりは焦りを禁じ得ない。
現在の呉において冥琳は必要不可欠な人間なのだ。
いや、今の呉以上にこれからの天下に必要とされる逸材。
「大丈夫ですよ穏様」
そう言ったのは後ろで黙って事の成り行きを見ていた朱音。
「龍志先生のことだから、何かお考えがあるはずです」
「へえ…随分と龍志のことを信頼しているのね」
「それは勿論!あたしや亜莎の先生ですから!!」
けしからん胸を揺らし自慢げに言う朱音に、曼珠はほほうと笑みを浮かべ、牡丹は溜息をつき頭を押さえ、穏はへえと感心の声を漏らし、龍志は…。
「ははは…」
苦笑していた。
「まあ、一応手はある。穏には冥琳を連れて新魏に行ってもらいたい」
「新魏に降れと言う事ですか~?」
「さて、降るのか保護を求める形にするかは君の手腕の見せ所だな。いずれにせよ江東を代表する名家の周家と陸家が新魏との和解もしくは降伏を望んでいることを示せば、騒いでいる豪族達も幾分落ち着きを取り戻すだろう」
恋姫無双ではあまり触れられていないが、陸家は江東の四姓の一つに数えられた名家である。また、武力で成りあがったに近い孫家が江東の豪族達の信頼を勝ち得た要因の一つは、代々漢王朝の太尉を出して来た周家が積極的に孫家に協力したと言う事がある。
余談ではあるが、陸家は一度当主の陸康とその一族が孫策に殺されたという事もあり、陸遜が孫策の娘を娶って孫呉の家臣になるまでは反孫家の代表的な一族だった。
とりあえず、恋姫の世界に三国志正史の背景をあまりに持ってくるのも興醒めだが、今回の龍志の行動の背景として恋姫の世界においても周家と陸家の影響は大きいと言う事をご記憶いただきたい。
「本来なら桑柴から冥琳が離れることは望ましくないんだが、曼珠が戻って来てくれたおかげで武官の統制も何とかなりそうだ。曼珠を総大将にしてその脇を俺と風炎を呼んで固めさせれば……」
「あ、私嫌よ。総大将なんて」
「……え?」
どこぞの顔文字のように間の抜けた顔をしてしまう龍志。
「現役に戻るとは言ったけど、もうあんな面倒くさいことしたくないもの」
「えっと…なら風炎に」
「あいつが来るまでどうするつもりだ?」
「ええと…朱音」
「ええ!?無理無理無理っすよ!!」
「…牡丹」
「戯けたことを言うな。私は建業に戻らなくてはならん」
「………消去法で俺しかいないじゃないか」
「ま、そういうことだ。頑張ってくれたまえ司令官殿」
バシバシと背を叩く曼珠に、悲哀を誘う何とも言えない笑みを浮かべる龍志。
「まあ、私も手伝ってあげるから」
「あ、あたしもいます!!」
「まあ、建業から応援しておいてやろう」
「頑張ってくださいねぇ~」
「……はい」
もはやぐうの音も出ない龍志であった。
いかに呉の民から信頼されているとはいえ、幾度となく刃を交えた立場。加えて龍志の声望も建業や呉郡などの都市部では高いが末端までは行きとどいていない。
龍志としては冥琳や曼珠の補佐に努めるのが一番ベストな選択だったのだが……。
「雪蓮…早く帰って来てくれ」
呉国防衛線は思いのほかに大変なことになりそうだと、今更ながら龍志は思った。
~中編に続く~
中書き
どうも、タタリ大佐です。
すみません。大学が始まりペースダウンしました。加えて今回かなり強引な展開になってます……しかも分割……ヒャッハー我慢できねぇ切腹だーーー!!!
…失礼。取り乱しました
前作ですが、皆様こちらの予想を超えるコメントありがとうございました。何よりびっくりしたのは思いのほかにE案を希望された方が多かったことです。正直、Aが多数でD少々だと思っていましたので(正直、前回のは質問というのはあまりにも不公平なんですよね、風炎と揚羽に)
そのことで、原作キャラとの恋愛は無いんじゃないのかって御意見もありましたが。まあ、それは私の信条と言いますか『思いついたネタはとりあえず温める』という考えがありまして。正直、アンケートの結果は重んじていますが、あえてそれから外すような案も考え提示しておかなければ、物書きとしてつまらない人間になってしまう気がするのです。
原作キャラとの恋愛は無いという指針を打ち出していますが、華雄や思春との話を考えることで、それを別の形に変化させたりちょっと取り入れてみて作品がどうなるのかを試してみたりといった試行錯誤は個人的にしていきたいです。まあ、それをあまり表に出すべきではないのですが、ある程度は読者様の意見もお聞きしないことには自己完結の自慰行為になってしまいますから。
同様の事は龍志にも言えますね。正直、どんな一刀が求められているのかは他作品を見たりしながら推することができますが、龍志は当然そんな事も出来ない訳で。必然的に龍志に関しての質問も多くなる。
そんな背景があるわけです。私の質問には。
何はともあれ、第二部も佳境に入りました。第二部は龍志の話ということで、彼に一応の決着をつけねばなりません。彼が死ぬのかという話もありましたが。現在のところ殺すつもりはありません(案として作ってはいますが)
まあ、佳境に入ったからこそヒロインを決める必要に迫られているんですがね。第三部は一刀に視点を当てて行くつもりなので。
とりあえず(以下ネタばれ含む)
美琉ルート:新魏から呉へと、長い時間を共に戦ってきた二人の心が通じていく糖分多めの王道モノ。
風炎ルート:孫呉の存続の為に力を尽くす風炎と、その姿にかつての自分を見る龍志の熱くて寂しげな話。
揚羽ルート:桃香を正気に戻すべく龍志に協力を求めた揚羽とそれを快く受けた龍志が織りなす、コメディ調の中に切なさを盛り込んだ話。
華雄ルート:再び龍志の元に戻ってきた華雄。師弟から男女へと意識の変わってく二人と、それを取り巻く闘いというバトルモノっぽい加糖気味の話。
思春ルート:蜀との戦いのさなか、龍志が戦場で出会ったのはかつての想いを寄せあった別の外史の思春。敵の術によって敵味方に別れてしまった二人の物語。
とまあこんな感じの大筋に、五つを巧い具合に混ぜ合わせた最終稿を作っていこうかと思っています。
とりあえず、四月中に第二部を終わらせ…られるかなぁ(涙)
では。先行き不透明な作者を罵りながら、次の作品でお会いしましょう。
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帝記・北郷の続き
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独自設定爆発
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