始まりがあれば、終わりがある。
どれほどの栄華を誇ろうと、終わりはある。
そう、今の今川軍の有り様のように。
大勢は決していた。
たとえ兵のレベルにどれほどの差があろうとも、神ならぬ身である限り『体調』の良し悪しという生物的な弱点からは逃れられず……
全知全能でないその意識は、『未知』のものに対して、容易に対応することは出来なかった。
中央軍を良晴に割られ、両脇の軍は美濃と尾張の名将四人に食い破られ……
残りの兵のほとんどが酩酊している上に疲労困憊で兵として機能しておらず、
いくら名門今川家の軍であっても、これ以上、戦線の維持は不可能であった。
だが逃げようとしても、無傷の後詰めの軍勢と、格上の敵を破り士気が異常なまでに上がっている目の前の軍勢に対して、逃げにくい谷で背中を向けることは出来ない。
そして、迷う今川軍に最後のだめ押しが加えられる。
『弓、構え!』
各指揮官の命により、一部の兵が武器を弓に持ち変えた。
狙いはただ一つ、戦国大名、今川義元の首。
雨音が続く戦場に、弦を引き絞る音が連続する。
たとえ多少雨が降っていようと、ここまで近づいてしまえば意味をなさない。
もはや将棋でいう『詰み』の状態まで追い込まれた今川軍に対し、良晴は自軍の一歩前まで歩を進めると、真摯な口調で今川義元に語りかけた。
「投降しろ。……もう詰みだ」
「っくそがぁ!」
その呟きに一部の兵が激昂し槍を振り回すも、高名な武将や忍びの太刀筋を見慣れている良晴にとっては、その動きは遅すぎた。
掴んだ槍にテコの原理で力をかけると、そのまま投げ飛ばす。
別に今川軍の兵や指揮官の練度は低い訳では無い。
むしろこの時代の各国の軍勢の中では全体的に優秀な今川軍は『軍』としては上から数えた方が早い方ではあった。
だが、こういった敗北の危機に突破口を拓けるような人材、つまりは歴史に名を馳せるような突出した能力の『武将』が居ないことが、この追い詰められた状況になって軍の動きを著しく狭めているのもまた確かであった。
ここまで追い詰めた状態で、四方から武将率いる兵達に畳み掛けられればもはや一方的な虐殺にしかならない……
戦に詳しくない今川義元でもそれぐらいはわかった。
「不味い、姫様を早く……」
義元の近衛兵がその言葉を言い終えるより先に、半兵衛の式神が逃走経路に躍り出る。
攻撃せずとも、その巨体の威圧感が、その言葉を終わらせた。
最も近い戦列の兵達の口からは悲鳴さえ漏れる。
その巨体を生かした攻撃に巻きこまれ死ぬ自身を想像し青ざめた兵にもはや、攻めていた頃の戦意は無かった。
その姿を横目に、良晴は静かに、言葉を紡ぐ。
「勝負はついた……無駄な殺生は望むことではない。降伏を」
真っ直ぐ義元を見つめながら伝えられたその言葉に、びくりと体を震わせるも、もはやその言葉通り挽回は不可能なことは彼女にもわかった。
警告を聞き返すことなく、義元はゆっくりと自軍の中心から良晴に向けて近づく。
そして良晴の前まで来ると、そっと扇子で口元を隠してこうのたまった。
「して、見事な武芸の若武者よ。わたくしに『降伏』を願うということは、わたくしは殺されない……という認識でよろしいのですよね?」
ちらっちらっと横目で見てくる義元の態度にため息をつく。
前世で行われた悲しい降伏勧告……乱戦で捕まえられて駄々っ子のように暴れた挙げ句に負けを認める……という前回とは違い、今回はしおらしくしているので、前回よりはアホではなくなっているのでは、と期待したんだが……
敗軍の将がする態度じゃないだろ。
「な、なんですのその呆れ顔は!」
「……いや、別に。勝家。彼女を連れて帰ってくれ」
「うん!分かったよ良晴!」
義元を勝家の馬の後ろに乗せるために、良晴は納刀しそっと義元の後ろに回る。
そして、両腕で義元を所謂、『お姫様だっこ』で抱えあげた。
「……きゃっ、ご、強引過ぎますわ。」
何故か顔を赤らめ、戦場らしからぬ声を出す義元。
その態度に、勝家がじろりと良晴をにらみつける。
「……勝家、何故にらむ」
「べっつに〜、何でもないよ。ほら義元もさっさと乗る!」
織田の家臣ごときが無礼な、などとのたまう義元を黙殺し、良晴は今一度今川軍に告げた。
「今川義元の命、この相良良晴が預かった!今川軍、争いをやめい!」
その声と光景を目にして、今川軍の兵達は力なく武具を置いた。
地鳴りのような織田軍の大歓声が桶狭間に鳴り響く。
こうして、この世界での桶狭間の戦いは終了した。
「……まずは一勝、ってとこか。」
馬上にて良晴は、ぼそっとそう呟いた。
無論、義元は既に引き渡し済みである。
先日話した通り、今川義元という存在は、信奈を余計な摩擦を起こさず京へ送る重要な要素である。その身柄は長秀に預け、良晴は兵と共に帰還していた。
流石に鍛えた良晴でも、気の張った奇襲と雨の中での長時間の戦闘は疲れる。
体勢こそしゃんとしているものの、体重を馬に預け、その体を休ませていた。
ふと見上げると、既に遠くに見える町の上の空は晴れ渡っている。
その、透き通った青さを眺めながら、良晴は長秀に告げた過去の続きを思い返していた……
隻腕の老師から、もう一度立ち上がる力を得た良晴は、『天下布武』という理想の続きを、一人で受け継ぐ覚悟を決めた。
……その理想を叶えるにあたり、当然起こるであろう自分に向けられる怒りや憎しみを甘んじて受ける事も覚悟の上で。
毛利を打ち破り、中国地方を平らげた。
武田と縁戚関係を含めた同盟を結び、経済的な点から攻めて支配した。
政治的圧力や経済的な搦め手を使いながら、一歩一歩、『天下』という頂を目指して進み続けた。
『お前達に出会えたから、天下にまで届いた』と先に天に還った二人に伝われと祈りながら。
勿論、隻腕の僧、後から名を伺った所、『龍伝(リュウデン)』という名であった方には、励まされた後も度々お会いした。
妻達以外この世界に身寄りがおらず、当時親代わりだった道三にも先立たれた良晴にとってみれば、龍伝は、唯一の信頼できる年配者であった。
良晴は有形無形の援助を申し出たが、最低限の援助以外は、龍伝の方からきっぱりと断られた。
『天下人となる方が、一つの宗教に肩入れしてはなりませぬ。権力を持った宗教ほど、他人を巻き込んで暴走するゆえに』
そう言い切った龍伝は、その言葉を裏切らず、寺の住職として必要な分の銭以外を全て戦場で家族を失った孤児の育成等に費やし、その生涯を終えるまで、その生き方を変えなかった。
良晴はそのことを誇らしく思う反面、天下人となっても恩人に何も返せない自分に歯がゆさを感じていた。
龍伝が良晴に送った、一冊の本を見るまでは。
表紙に『日記』と簡潔に書かれた本には、その名の通り、龍伝という一介の僧が、室町から戦国にかけて生きた全てが書かれていた。
村に伝わる小龍のお話に魅せられ、僧籍を得た少年は、師に願い出て『龍伝』という名を貰い、乱世に苦しむ皆を救おうと決意した。
だが、その純粋な願いを持つ少年は、清廉なはずの僧の世界に蔓延る『堕落』を目にしてしまう。
……彼の人生をかけた戦いが始まった。
日記という形であるが故に、生の感情をただただ綴る形となったその文面には『人間』の全てがあった。
武力と財力に溺れた寺院に向けた『悲しみ』があった。
年老いた家族を食わせるためにと、必死で勉学に努める農家の子供たちを見守る『楽しさ』があった。
溢れるほどの食料を持ちながら、飢えた人々を尻目に自分達だけ満足する豪商や大名に『怒り』を覚えた。
それでも、この乱世を必死に生きようとする人々のひたむきな姿に、人の強さを見つけた心は、深い『喜び』を得た。
喜怒哀楽の全てを記した日記は、その終わりを常にある一文で締めていた。
『小龍は未だ、我が心におわす』
それは、自ら定めた誓い。
片腕を奪われてなお、龍伝の日誌は淀みなく、日々を綴っていた。
そして読み進めた日記の日付は、良晴と会った日までたどりついた。
『我、天より堕ちし龍に出会う』
その言葉より書き出された龍伝の文面には、良晴の極めて奇怪な素性に対する疑念は一切なく、逆に、『我らのいさかいに、巻き込まれざるおえぬ事、申し訳なし』と謝罪する言葉さえあった。
そして更に時が経つにすれ、彼の日記の中身の殆どは、『天下泰平』のために奮戦する良晴の身を案じる事と、そんな感情とは裏腹に良晴の活躍に胸踊らせる自分の罪深さを描いていた。
そして、日記は最後の一枚となる
そこには、こう、書かれていた。
子供の頃から、願っていた。
人を守って切り裂かれた小龍に救いがあって欲しいと。
だからこそ、誓った。
この世界でたった一人、『小龍』の遺志を継ごうと。
そして遂に私は見つけた。
異界に召喚され、愛する者を奪われ、己の心を引き裂かれる痛みに苦しみながらも、歩みを止めず、日ノ本を救った『小龍』に。
ありがとう 良晴、我が愛しい息子よ。
龍伝
それは遠い昔に受けた『小龍』の優しさを受け継いだ僧と、その志に感化された一人の異界の若武者が織りなした、『小龍』の物語の優しい結末。
『小龍の魂』を受け継いだ者たちが作り出した『天下泰平』という結末であった。
良晴は眼差しを遥か天に向けた。
『師と小龍よ、見守っててくれ。今度こそ全てを守ってみせる。』
かくして、近隣諸国の多くが予測した結果を覆し、現代にまで語られる戦、『桶狭間の戦い』は尾張軍の圧勝で幕を閉じた。
(第十八話後編 了)
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織田信奈の野望の二次創作です。素人サラリーマンが書いた拙作ですがよろしければお読み下さい。注意;この作品は原作主人公ハーレムものです。又、ご都合主義、ちょっぴりエッチな表現を含みます。そのような作品を好まれない読者様にはおすすめ出来ません。
追記:お待たせして本当に申し訳ありませんでした。急な人事異動で大幅に遅れました。完結はさせますのでよろしくお願いします