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真・恋姫†無双 異伝 ~最後の選択者~ 第三十一話

Jack Tlamさん

今回から虎牢関戦となります。長いので前編と後編に分けました。

前編は戦闘がメインとなります。では、どうぞ。

※アンチ展開・残酷描写有

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2014-02-23 08:59:23 投稿 / 全11ページ    総閲覧数:7976   閲覧ユーザー数:5632

第三十一話、『報復の剣・前編』

 

 

――その後、汜水関での戦闘は暫く続いた。といっても亀作戦でこちらは連弩や弓兵部隊で迎撃するだけ。たまに華雄がでかい

 

氣弾を撃って敵を吹き飛ばしたりはしていたが、戦死者は味方にも敵方にも出ていない。そして連合側も曹操軍と孫策軍という

 

強力な戦力が殆ど機能しなくなってしまったため、かなり士気が低下し城攻めを続けるのに苦労しているようだった。

 

そして攻めに勢いが無くなってきた頃を見計らい、俺達は虎牢関に移動した――

 

 

 

□反董卓連合軍・袁紹軍陣地(参加諸侯合同軍議)

 

「――あのまま汜水関に留まって迎撃を続けていれば私達を打ち負かせたでしょうに、董卓軍は何を考えているのかしらね」

 

連合に参加している諸侯が集う合同軍議の場に、曹操の無遠慮な声が響き渡った。

 

汜水関戦はある日突然終了し、董卓軍は汜水関から撤退したとの報が、偵察に出た公孫賛軍の兵から齎され、連合軍は虎牢関へと

 

進軍するべく汜水関を抜け、中間の陣泊地に陣を張ったところで袁紹から招集がかかり、軍議が開始された。汜水関戦での死者は

 

全軍でも百名に満たないという驚異的な被害の少なさで、董卓軍に侮られているとの意見が大多数であったが、軍議の場で孫策が

 

自軍の軍師・周瑜の推理を披露し、曹操軍の曹操、袁術軍の張勲、劉備軍の趙雲と鳳統、公孫賛軍の公孫賛と簡雍が周瑜の推理を

 

支持したため、この状況は董卓軍の作戦によるものであるとの、一応の統一見解が出された。

 

曹操が言っているのは、何故虎牢関に突然撤退したのかということである。曹操が言うように、汜水関であのまま戦闘が続いたら、

 

補給に時間と手間がかかる連合軍は確実に打ち負かされていた。にも関わらず、董卓軍はそうせずに虎牢関に撤退したのである。

 

――まるで、連合軍を誘っているかのように。

 

それがわかっていても、連合軍はその大義を証明するために、洛陽を奪回しなければならないので、戦う力が残っている限り前に

 

進むより他なく、総大将を務める袁紹もそう言ったのだが、最初の軍議の時のように偉ぶった雰囲気が無いのを見て、曹操からは

 

嫌味が飛んでいた。しかし袁紹は曹操の兆発には乗らず、それが益々曹操を苛立たせていたのである。

 

「……」

 

そんな曹操を、劉備軍の代表としてここに来ている趙雲は冷ややかに見ていた。

 

現在の所、劉備軍はその機能を全損しているといっても過言ではない状態にある。筆頭武官・関羽は深手を負い、目は覚ましたが

 

戦闘が出来る状態ではなく、筆頭軍師・諸葛亮も心的要因による不調で人前に出られず、何より大将である劉備自身が引き籠って

 

出てこなくなってしまったのである。そのため劉備軍の代表として、趙雲は鳳統を連れて軍議に顔を出したのであった。

 

「……それで?この状況で、まだ劉備は何も説明しようとしないわけね?」

 

不意に曹操が趙雲達に目を向け、嫌味たっぷりにそう言った。それを受けた趙雲は、感情を滲ませない声で返答する

 

「……面目次第もござらん。しかし、劉備様は何も知らぬのです。知らぬことを説明せよと申されても、無理があるというもの」

 

「そのようなことを訊いているのではないわ。この状況、劉備が企んだものなのではなくて?」

 

「それこそ言いがかりというものですな。曹操殿は我が主に一体何を求めているのです?」

 

「口答えをするな。お前はただ私の質問に答えるか、劉備を連れてくれば良い」

 

いよいよもって苛立ちが極まったらしい曹操の無遠慮に過ぎる物言いに、日頃から飄然としている趙雲も流石に苛立ち歯噛みする。

 

「……貴公は他軍の将にまで命令をするのですな。総大将である袁紹殿の目前でそのようなことが許されるとお思いか?」

 

「……そうね。曹操、いくらなんでもそれは不味いわよ」

 

趙雲の言葉に、孫策も同調する。趙雲の言葉は正しく正論であり、軍議の場で総大将である袁紹を差し置いて他軍の将に尋問する

 

ような行為は袁紹の顔を潰すと同時に、唯でさえ連携が不完全な連合を瓦解させかねない危険な行為である。各軍の問題は各軍に

 

任せるというのが袁紹の一応の方針ではあるが、此度の件は連合全体に関わる問題なのだ。幾ら袁紹との連名で檄文を諸侯に発し、

 

連合を糾合した立場である曹操とて、今は袁紹を除く他の諸侯と序列的には何ら変わりない。重要な戦力ではあるが、あくまでも

 

連合の中核を担っているのは袁紹軍なのである。その状況が見えていないのか、曹操は袁紹を無視して尚も言い募った。

 

「孫策、あなたは趙雲の肩を持つというの?」

 

「そうは言ってないわ。ただ、あなたがやっていることは袁紹の顔を潰す行為よ。それは同時に袁紹の呼びかけでここに集まった、

 

 各地の諸侯の顔も潰す行為だということに気付いてる?檄文は袁紹とあなたの連名だけど、袁紹の総大将就任を真っ先に認めた

 

 あなたが、そんなことをしていいのかしら?だとしたら袁紹はいい面の皮ね」

 

「……」

 

年若い曹操に比べ、この場では比較的年長者である孫策は流石に冷静であった。孫策は曹操の気持ちがわからないでもなかったが、

 

ここは袁紹の顔を立てて、曹操を窘めることにしたのである。それがわかったのか、趙雲もその端正な顔から苛立ちを引っ込めた。

 

「ふん……」

 

曹操も不機嫌そうに鼻を鳴らし、腕を組んで黙りこむ。そんな曹操を一瞥してから、公孫賛が口を開いた。

 

「さて、もっと有益な話をしよう。今後の連合の方針についてだが……基本方針は兎も角、連携を改善しなければならん。それは

 

 誰もが思っていることだと思う。私は此度の連合を、洛陽の民を、ひいては皇帝陛下を救わんがためのものであると信じている。

 

 ……というより、それ以外の目的で糾合された連合であるとは考えたくないのだが、如何か?」

 

公孫賛の言葉はまったくの正論である。少なくとも、連合の大義はそうであるのだ。例えこの連合が諸侯の権力争いの場であって、

 

諸侯はそれぞれこの連合を踏み台にするつもりであるにしてもである。勿論、公孫賛とてわかってはいる。友人である袁紹に加え

 

旧知の仲である曹操がなぜ連合を組んだのか。そして大まかに各諸侯の狙いも。その全てを、公孫賛は知っているのである。

 

思わせぶりな公孫賛の言葉に、誰も下手なことは言えなかった。

 

「……」

 

それは曹操も同じであった。何せ曹操は公孫賛に自分の目的を知られているのがわかっているからである。『天の御遣い』をあの

 

黄巾党との決戦を前に自軍に取り込もうとした時、公孫賛は曹操の「いずれ天下を手に入れる者だ」という宣言を聞いているのだ。

 

曹操としては当然の事を言ったまでだったが、それがここに来て弱みに変わってしまった。自分の弱みは徹底的に隠匿していたい

 

彼女でも、既に取り繕うことは不可能であると気付き、口を堅く結んだまま歯噛みするより他なかった。

 

「……だけど、向こうにあんな武器があるんだったら近づいてもまた汜水関の二の舞よ?」

 

「そうですねぇ~。かといって有効な対応策があるわけでもないし、それに向こうもこちらの誘いになんて乗らないんじゃ?」

 

孫策と張勲の指摘は尤もであった。あの猪武者と呼ばれる華雄でさえまるで挑発に乗らなかったのである。近接戦闘になったのも、

 

あの一回だけで、それ以降の董卓軍は汜水関に籠って出てこずに、矢を雨と降らせて連合の接近を許さなかった。孫策軍の甘寧が

 

何度か『天の御遣い』を拉致することを試みたが、向こうもその手の対策を整えており、その度に手ぶらで帰ってきた。連合側も

 

既に引っ込みがつかないので撤退することは出来ず、だからといって有効な手立ても無いので、汜水関戦は結局我慢比べの様相を

 

呈した。だがある日突然董卓軍が撤退したため、連合は進軍を選択したのである。しかし孫策達の指摘の通り、連合はまたしても

 

打つ手無しといった状況であった。しかも、現在の連合は多大な被害を被っている。

 

完全に手詰まりとなった連合の状況を見て、常に後方にいた日和見の諸侯は連合をどう抜けるかということを考えるのに必死だし、

 

有力な軍はどうやって自分達の目的を果たすのかを考えていたので、この時点で連合の連携は瓦解していると言うより他無かった。

 

「……ならば、わたくしが前に出ますわ」

 

不意に、袁紹がすっと進み出、諸侯に向かって宣言した。

 

「わたくしはこの反董卓連合の盟主……董卓軍としては最も捕えたい標的である筈。故に、わたくしの軍を前面に配置することで

 

 董卓軍を誘い出しますわ。無論、董卓軍は防備を固めてはいるでしょうが、我が軍はこの中では最大の軍備を保有していますわ。

 

 ですから、董卓軍としても戦力を割くでしょう。その間に手薄になった関を精鋭部隊で突破・制圧する、というのは如何?」

 

これには諸侯が驚愕した。先程まで苛立っていた曹操でさえ、目を丸くしている。確かに、袁紹の言葉は理に適っている。袁紹は

 

連合軍の盟主であり、謂わば董卓軍の最重要目標だと思われる存在なのだ。向こうも袁紹を捕えたい筈である。抜け目無く、関を

 

防衛されているとは承知の上で、有力な軍から少数精鋭の部隊を抽出し、関の制圧に当たらせるという作戦だった。普段は馬鹿と

 

後ろ指を指されるような袁紹であったが、汜水関での戦いからどうも様子がおかしい。まるで人が変わったようだと、公孫賛には

 

思えた。しかし公孫賛としては好都合であったし、友人の変化に何か感じられるものがあったため、何も言わなかった。

 

「……そんなもので董卓軍が出て来るかしら」

 

しかし、曹操は苛立ちを露わにし、袁紹の策に否定的な見解を示した。公孫賛とは違って完全にこの袁紹という少女を侮っていた

 

曹操は、場の主導権を袁紹に握られるのが気に食わなかったのである。決してそれだけではなく、懸念を示すという意味も含めて

 

言ったことなのだが、苛立ちが先立ってしまっているために、袁紹を嘲っているように周囲には聞こえた。

 

「……自分でも愚策だとは分かっておりますわ。総大将が自ら前線に立つなど、本来はあってはならないこと。それこそ非常事態。

 

 ですが、今がその非常事態なのではなくて?わたくし達はこのまま董卓軍の手の上で踊らされているわけには参りませんのよ?」

 

「……」

 

だが、袁紹は普段なら反応するであろう曹操の嘲弄にも反応せず、それどころかこれまでの彼女を知っている人間からすれば全く

 

信じられない言葉を放ち、そのまま話を続ける。今この時、袁紹は名門の出という生まれ持った特質を、真に発揮していた。

 

そこにはもう、無駄に偉ぶった『愚者』の姿は無かった。そこに在ったのは、一人の『大将』としての貌を顕した女性であった。

 

 

「異論があれば何でも仰ってくださいな。それを咎めるようなつもりは無くてよ」

 

何が袁紹を変えたのか。諸侯はそれがわからず混乱していたが、表情にこそ出さなかったが公孫賛と趙雲には思い当たる節があり、

 

内心驚きつつも袁紹の変化を歓迎していた。連合の動きの活発さは、偏に袁紹の悪い意味での迷いの無さから来ていたものである。

 

しかし今、袁紹は迷いながらも自ら意見を述べ、周囲にも意見を求めていた。諸侯はそれぞれで考えれば良いと思っていただけに、

 

連合全体を考慮した作戦を提示しなければならないとなると、すぐには誰も意見が出来なかった。連合は他ならぬ袁紹の言により、

 

思わぬ妨害を食らったのである。総大将からそう言われては、彼女の総大将就任に賛同した諸侯は真剣に考えざるを得ず、各々が

 

独自に行動するという思惑は崩されてしまった。

 

「……」

 

曹操もまた、黙りこくるより他無かった。この場で最も野心に溢れ、諸侯を利用し踏み台にするという思惑を持っていたのは誰か。

 

それは他ならぬ曹操自身であった。見下しきっていたかつての学友にこうまで己の思惑を崩されることに、曹操は更なる不快感を

 

覚えていた。いつもの曹操なら「それも一興」と言って楽しんでいただろうし、覇王としては思い通りにならない状況というのは

 

本来歓迎すべきものである筈である。普段からそう言って憚らなかったし、そういった状況を自らの手でねじ伏せてこそ覇王だと

 

常々考えていた。だが、袁紹とは違った意味で曹操も変わってしまったのかもしれない。普段の曹操の姿は、そこには無かった。

 

「……反対意見などは無いようだな……本初、お前の意見以上のものは出て来る様子が無い。私としてはお前に賛成だが……」

 

諸侯は沈黙している。反論が無いのは消極的賛成なのか、或いは袁紹の策をいかにして利用するかを考えているということなのか、

 

公孫賛はその両方を想定していたが、縮こまっている有象無象共は兎も角、有力な軍はこの作戦に乗るより他無いとも思っていた。

 

籠城戦をする相手を向こうに回して有効な策など無い。相手を誘い出せる策があるなら、それを採用するしかない。

 

「そうね……孫策軍としては異議は無いわ」

 

「袁術軍も同じく」

 

「劉備軍も異存は無い」

 

有力な軍が袁紹の策に賛同の意を示したことで、弱小勢力の諸侯も挙って手を挙げ、賛同の意を示していった。唯一、曹操だけが

 

沈黙を保っていたが、この場で曹操が反対したところで、袁紹の策の採用は覆らない。曹操の沈黙を、袁紹は特に咎めなかった。

 

「……もう私が反対したところで覆らないでしょう。それに、今はこれ以上の妙案は無いし……いいわ、曹操軍もその策に乗るわ」

 

やがて場の空気を感じて諦めがついたのか、曹操はため息をついて賛同の意を示した。そこで公孫賛が再び口を開く。

 

「……さて、賛成が出揃ったところで、具体的な話をはじめようか。まずは――」

 

その後、数時間に渡って軍議は続けられた。作戦の具体的な書割から、想定される事態への対処まで。夜闇が東から迫るまでこの

 

軍議は続いた。これが諸侯の連携体制の、ほとんど最後の瞬間だったということには、その時は殆どの者が気付かなかった。

 

 

 

――軍議の後。諸侯がそれぞれの陣地に戻っていく中、趙雲と鳳統は周瑜に呼び止められた。

 

「お主らは随分と落ち着いているのだな。お主らの許にいた『天の御遣い』がああして董卓軍にいるというのに」

 

周瑜としては一応の友好関係にある劉備軍の様子が心配だったのと、趙雲達が妙に落ち着いている事に違和感を感じて腹を探って

 

みようとしているのと、二つの理由で趙雲達に話しかけていた。その狙いをわかっている趙雲は、やはり飄然として周瑜に応じた。

 

「世知辛い世の中を見てきたせいでな。それに生まれ持った性分もある……こうした時に慌てることが出来ないのだよ」

 

「ふむ……一軍の将としては良いことだな。どのような時も冷静な将は、必ず軍にとって良い影響を齎すだろう」

 

「はっはっは。かの鬼才、『美周郎』に称賛されるとは光栄だな。『常山の昇り龍』の名にも箔が付くというものだ」

 

年の頃はまだ二十歳に届かない趙雲ではあったが、長い旅の経験や持って生まれた性分のお陰で、己の内心を容易には悟らせない、

 

如何にも曲者といった人格を形成していた。それを存分に活かし、趙雲は周瑜の追及の目をあっさりと躱す。

 

「……しかしだ。劉備は本当に出てこれなくなっているのか?」

 

「……我が主ながら情けない話ではあるがな。あの方は私などと違って世間を見てきた時間も範囲も、短いし狭いのだよ」

 

「ふむ……私とてまだ若輩者故、あまり他人のことは言えぬが……成程。確かにお主の言っていることは理解出来る」

 

「加えて、あの方は北郷一刀殿に強く懸想している。その相手が敵になり、義妹が傷付いては普段底抜けに明るいあの方でも……」

 

「流石に塞ぎ込んでしまう、か。お主は仲間を傷付けられて憤りは感じないのか?」

 

「いや。戦いとは本来そういうものだろう?傷付く覚悟が無いものに、傷付ける資格など無い。これは当然のことなのだよ。なに、

 

 憤りを感じないわけではないが……あの二人とは伯珪殿の許で客将をしていた頃からの付き合い。なんとなく何があったのかが

 

 わかるような気がするのだよ。故も無く誰かを傷付けるような者達ではない。関羽が傷付いたのには何か訳があるのだろうさ」

 

「……」

 

周瑜は悩んでいた。趙雲には嘘を言っているような様子はない。加えて、状況証拠から劉備の計略という線を疑うのは無理がある。

 

この状況は確かに作ろうと思えば作れるが、関羽はもう少し治療が遅ければほぼ確実に命を落としていたと言われるほどの重傷を

 

負って帰ってきたのだ。取り敢えず意識を取り戻したことでその生命力の凄まじさに感心していた周瑜だったが、劉備の義妹でも

 

ある関羽を敢えて死なせかけてまでやるような計略があるのか。思い当たる節は一つだけあったが、余りに矛盾が多過ぎると思い、

 

周瑜は取り敢えずその可能性を頭の隅に追いやり、今度は黙っていた鳳統に声を掛ける。

 

「鳳統、お主もやけに落ち着いているな。一体何があった?」

 

「……私だって、本当は泣き叫びたいくらいに辛いです。でも、私までそうなってしまったら、劉備軍は空中分解してしまいます。

 

 だから落ち着かなければならないんです。孔明ちゃんも落ち込んで、食事が喉を通らない……だから、こうしているんです」

 

これにはさしもの周瑜も舌を巻いた。軍師として常に冷静に状況を鑑み、組織の維持に尽力する。鳳統の態度は間違っていないし、

 

同業者として将来が楽しみな人材だと思えたが、同時に年齢相応の危うさも垣間見えた。この苦しい状況を一人で背負いこもうと

 

するその姿勢は、ともすればそれこそ組織の空中分解を誘発しかねない。趙雲がいるのでそこまでいかないだろうが、鳳統自身の

 

心は相当辛い状態なのだろうとしか思えなかった。とてもではないが、計略を疑える様子ではない。

 

軍師としての周瑜はそれでもまだ深読みしようとしていたが、状況証拠がその深読みを否定していることに気付き、周瑜も追及を

 

諦めるより他無かった。今は黄蓋と共に別行動をとっている孫権は劉備と同年代だが、その孫権がもし仲間の裏切りに遭えば今の

 

劉備のように塞ぎ込んでしまうだろうとも思い、劉備軍の各人の態度は至極当然であると思い直した。

 

「ふむ……そうか。しかし今後、劉備軍はどうするのだ?『天の御遣い』の奪回のために動くのか?」

 

「いや。それは無理だ。あの二人には既に朝廷での地位がある。我らでは足元にも及ばんよ。奪回など以ての外だ」

 

「地位だと?」

 

「……張飛が思い出してな。二人はそれぞれ、大将軍、驃騎将軍と名乗ったそうだ。後漢王朝第十四代皇帝・劉協が配下、とな」

 

「なんだと!?」

 

予期せぬ新情報に周瑜は仰天した。確かに現在、禁軍に有力な将はおらず、何進は殺されてしまったのでその二つの官職は空位だ。

 

驃騎将軍は常設の官職ではないが、現在は戦時。その任命と配置について矛盾は無い。しかし何故そんな重要な情報をあの軍議の

 

場で報告しなかったのか。周瑜はそれが気にかかった。

 

「……何故それを先程の軍議で報告しなかったのだ?」

 

「それを言ったところで、連合は最早止まるまい……『止まれない』と言った方が、表現としては正確かもしれんがな?」

 

「……確かにな」

 

趙雲の言葉が如実に物語っている。朝廷は董卓に乗っ取られ、皇帝が董卓の傀儡にされているというのが連合軍側の言い分である。

 

皇帝の御前での人事であれば、『天の御遣い』が大将軍や驃騎将軍の職を拝命することに形式上の問題は無いが、連合の言い分を

 

勘案すると、皇帝が傀儡となっている以上全ては無効だということになる。連合からしてみればそのようなことは無意味に等しい。

 

だが周瑜は、趙雲の言葉の真意を理解していた。連合の大義を疑う者にとって、それは重大な意味を持っているのだということに。

 

つまり周瑜の目の前にいる二人は周瑜や孫策と同じように、連合の大義の正当性を疑っているということである。まして、仁徳の

 

将と名高い『天の御遣い』と同じ時間を過ごし、その人となりを知っている者であるならば、董卓を悪とする連合の大義を疑って

 

当然なのである。

 

「……どうやら、我々とお主らの考えていることは同じのようだな」

 

「そのようだな。だが今は戦うより他無い……周瑜よ、それはお主とてわかっているだろう?」

 

「ああ。だがお主がくれた情報は少々厄介だな。我が軍の甘寧は『御遣い』を、とりわけ北郷一刀を殺したがっているのでな……」

 

「仮にも皇帝陛下から大将軍に任じられている人物を殺しでもしたら、どうなることやら……少なくとも極刑は免れ得んな」

 

「……頭の痛い話だ……」

 

甘寧は傷が良くなってからというもの、幾度か汜水関に潜入して『天の御遣い』の拉致を試みていた。本人は殺したがっていたが、

 

孫策がそれを許さなかったので渋々といった体で拉致作戦を敢行したものの、全て退けられた。これで仮に周瑜の懸念が当たった

 

場合、甘寧は「大将軍の拉致を試みた罪人」として処刑されかねず、その累は孫策や周瑜自身にも及ぶことになる。そうなったら

 

孫権らが孫呉を引き継ぐことになるだろうが、有力な将が悉く罪に問われたなら、国の立て直しは最早不可能となってしまう。

 

孫呉の命運が正しく風前の灯となってしまったかもしれないという可能性に、周瑜は嫌でも気付かされてしまった。

 

「……さて、我らは陣に帰るとしよう。引き籠り達の面倒を見てやらねばならんのでな」

 

「……情報提供に感謝する。だが、既にどうにも出来んとはな……軍師としてこれほど悔しいことは無い」

 

「世の中、そんなものだ。知った時には全てが遅い……悔しいのは、私とて同じさ。ではな」

 

そう言って、趙雲は鳳統と共に去っていく。後に残された周瑜も陣に帰るため足を踏み出すが、その秀麗な顔は苦慮に歪んでいた。

 

 

(side:一刀)

 

「――そうか。わかった。引き続き頼む」

 

「はっ」

 

報告に来た忍者兵から新情報を聞き、送り返す。連合側は新たな作戦を構築したようだ。しかしまさか、その手で来るとは。

 

「……袁紹とは思えない作戦ですね。加えて、軍議中の謙虚な態度……一刀さん達から聞いてた彼女とは別人みたいです」

 

「何があったのかはわからないけど……麗羽だって人間だ。人間、ふとしたことで変わってしまうこともあるだろう」

 

「個人的にはちょっと想像し難いんですけど……一刀様との関わりが、彼女を変えたのでしょうか」

 

今夜は朱里と灯里が傍らにいる。虎牢関に来てからというもの、灯里は俺達と一緒にいることが多くなっているような気がするな。

 

それはこれからの相談であったり、単なる雑談をするためであったり、かといえば何もしないで一緒にいる、ということもあった。

 

――灯里なりに気を遣ってくれているのかもしれないな。

 

「作戦決行は三日後だそうですね」

 

「ああ。それまでに部隊編成と配置を考えておかないとな。それと、もう一つの準備はどうだ?」

 

「勿論。『釜の底』は塞いだし、『薪』の準備も万端ですよ。霞と華雄が上手くやってくれるでしょうからね。釜茹で地獄です」

 

「……君、そういう物騒な表現を比較的多用するよね」

 

「一刀さんに言われたくないなあ。この策の発案者は他ならぬ一刀さんじゃないですか」

 

「その一刀様の案を、更にいやらしく仕上げたのは灯里ちゃんです……」

 

「あ、酷い。朱里までそんなこと言うの?もう……一刀さんの発案なのに」

 

いや、確かにそうなんだけど。「釜茹で地獄」とはまた物騒過ぎる表現じゃないか……まあ、的確な表現と言えるかもしれないが。

 

この作戦により連合軍は二つの関に挟まれ、閉じ込められることになる。正しく「釜の中」だ。連合軍は即ち、絶体絶命の状況に

 

置かれることになるのだ。連合軍の前には虎牢関。蓋にしては上等過ぎる。後ろには汜水関。釜の底を塞ぐ補修材にしては以下略。

 

「湯気が出る穴すら無い」とはやはり灯里の弁である。この気さくな少女は、そういう物騒なことを口にする時はやけに陰のある

 

表情を浮かべるので、正直空恐ろしい。

 

「……でも正直、この状況になっても攻めて来るとは……意地になるのも仕方がないけどね」

 

「そうしないと連合の正義を証明する手立てはありませんから」

 

「それはそうなんだけど。態々罪を重ねなくてもいいのにって思うわ。まあ、それは知っている者だから言える台詞なんだけどね」

 

「交渉を試みる余地はあるんですけど……それを最初から捨ててしまったのが袁紹さんですからね……」

 

「孫子曰く、『兵は国の大事、死生の地、存亡の道なり。察せざるべからず』……でも、それを徹底出来ないのも乱世なのよね」

 

「何かといえば戦い、また戦いですから。力が無ければ言葉は届かず、力は言葉を届けるべき相手を傷付けてしまう。傷付けては

 

 相手に怒りと憎しみを抱かせ、それが新たな戦いを呼び、更なる怒りや憎しみを生み、最後には言葉そのものが消えていく……」

 

「……戦争って本当に嫌よね。私も軍略を学んだ身だけど、それは戦乱を一刻も早く終わらせるためのもの。決して誰かを陥れて

 

 地位を得るためのものじゃない。戦いの中で謀略は必須かもしれない。けれど、それが必要悪の域を出ることは決してあっては

 

 ならないのよ。野心なんて……悪いものだとは言わないけど、それが過ぎれば身の破滅を招くわ」

 

軍師同士の会話が続く。そこに腹の探り合いなどは無く、ごく普通の、強い信頼関係と友情がある。互いに軍師としての在り方は

 

共通しているのだろう、その会話は予定調和のように、不協和音を奏でることなく淡々と流れていく。

 

「……こうやって連合を陥れようとしている時点で、何も言えないけどね」

 

「それは違いますよ、灯里ちゃん。言い方は悪いけど、連合は自分から落ちていったんだもの。それが彼らの選択でしょう?」

 

「まあ、元はといえば袁紹が月に嫉妬したことが原因なんだけどね。それに乗った諸侯も、連合の大義に乗せられた者も、結局は

 

 その道を自分で選んだに過ぎない。私達はそれを見つつ必要な策を仕掛けているだけ。大元の原因は袁紹だもの……あ、曹操も

 

 そうだったわね」

 

これまでの外史とは違い、今回の反董卓連合の檄文は袁紹と曹操の連名だった。元々野心家の曹操だが、それにしても随分野心に

 

満ち溢れているなと感じた。でも『始まりの外史』に近くなっているなら、そのくらいはやりかねないなとも思える。いや、まあ

 

色々あって彼女が大陸の覇王を目指していた理由というのが……もう是非も無いか。流石にここでも裏の理由がそれ、というのは

 

無いだろうし。だが、随分と奸雄らしい行為だとも言える。曹操も董卓について知っていることは決して多くない筈だけどさ。

 

「でも、必要悪という範囲は個々の人間や場合によって違いますから……」

 

「そうね。特に孫策軍なんかは独立しないと今後も袁術に顎で使われるだろうから、ある程度は仕方ないとは思うけど」

 

「……愚痴を言うようで嫌なんですけど、必要悪を自覚出来ない人間って厄介ですよね……」

 

「あら、この場合そんな人は約数名だと思うけど?本質的には約一名」

 

「……灯里、婉曲的に言っているのかそうでないのかわからないぞ」

 

「名前を出さないだけ、まだ当人の名誉に配慮していると思ってください。と言ってもバレバレですけどね」

 

全然配慮してないと思うが、まあいい。厳しいことを言うようだが、その当人に言ったとして一割でも理解出来るかどうか怪しい。

 

寧ろ周囲の方が過敏に反応するとしか思えない。しかも的外れな反応。必要悪は正義と同義ではない。已む無く必要なのが必要悪。

 

正義を為すために止むを得ず必要とされる悪を行うことはそれに当たるのだが、その行為を正義としてはならない。本当はそれを

 

してはならないと、強く認識するべきだ。でなければ、その『正義』は『無自覚な悪意』と何ら変わらないものになってしまう。

 

「さて、連合軍……特に後ろで縮こまっているだけの人達はどうなるでしょうね?」

 

「これでさらなる被害を被れば、恐慌状態に陥って逃げ出そうとするんじゃないか?君の策のお陰で逃げられないけど」

 

「だから、原案は一刀さんでしょ。封鎖する時期を変えたのは私ですけど」

 

「向こうの輜重隊を封じることは考えたが、連合が決定的な打撃を被ったところで封鎖、俺達は虎牢関から撤退するっていうのが

 

 俺の想定なんだが、君の案は最初から汜水関を封鎖してしまって、連合軍の崩壊を誘発するっていうものだよな。軍師としては

 

 これ以上ないくらいにいやらしいと思う。『上屋抽梯の計』……だったかな?」

 

「ならもっと甘い餌をぶら下げないと。例えば汜水関で手を抜いて簡単に負けるとか。敵を上手く唆すのが肝心の計略ですからね。

 

 とはいえ、今は自分達の存亡という、苦くても絶対に欲しい餌がぶら下がっているわけなので、上る以外の選択肢は無いですが。

 

 一部の人達にとっては一刀さん達が餌ですけどね。かく言う私も、曹操にとっては餌に見えるでしょうけどね――ううぅっ!?

 

 ……考えたら酷いおぞ気が」

 

「……それはどういう意味で?」

 

「別に、女の子同士の『そういうの』が嫌なわけじゃありませんよ?でも、あの人とは正直願い下げです。ねえ朱里?」

 

「はい。彼女を傷付けた張本人がこんなことを言うのもなんですが、正直死んでも嫌です」

 

……『始まりの外史』と『閉じた輪廻の外史』ではその辺りが違うのは俺もわかっている。『閉じた外史』では相手の同意が無い

 

場合は無理にしようとはしなかったし、十分な関係を構築してからでないとそういう話はしなかった。俺に稟や風を「磨け」って

 

言ったことは言ったが、少なくとも相手の意志を尊重してはいたと思う。季衣や流琉には手を出さなかったしな。三羽烏もか。

 

「あの人って嗜虐趣味に満ち満ちてるように思えて何というか、本能的なところで嫌悪感を感じるのよね」

 

「そこなんですよね。そういうのは互いに愛があって、高め合ってこそですよね。彼女の行為に愛がないとは言いませんけど」

 

「うーん、そこは微妙な所じゃないかしら?愛の形は人それぞれだって言うけど、要は曹操のそれが私達の肌に合わないだけよね」

 

「そうですね。別にそれを否定するつもりはありませんけど、ただ私達に向けないで欲しいっていうだけで」

 

「……君達、この真面目な場面でなんて話をしているんだ」

 

さっきまでの緊張が台無しだよ。

 

……『始まりの外史』だとそこが違う。少々強引なのだ。霞はきっぱり断っていたのだが、そもそも曹操が霞を欲しがった理由は

 

人材的な側面が大きい。それに……霞のあの性格だ。いじらしいところもあるが、基本的にあけっぴろげでさっぱりしているので、

 

言い方は悪いが虐め甲斐がない。そういうのは相手が真面目な人間であるほどあるもの。そういう意味では、愛紗には虐め甲斐が

 

あると言える。超が付くほどの生真面目だし、しかもそういう方面には疎い堅物。曹操からしてみれば極上の……そういうことを

 

考えると、この場合、朱里に曹操が向けていた目は『始まりの外史』で愛紗に向けていた目と近似しているのだろう。

 

――って、大真面目に何を分析しているんだ俺は。話が逸れ過ぎているぞ。これでは二人のことは言えないな。

 

「別に話は逸れてないと思いますけど?」

 

「灯里……心を読まないでくれって言ったよな?」

 

やはり、灯里に心を読まれてしまった。静里はちゃんと「心を読む力がある」と言ってたが、ひょっとして灯里もそうなのか?

 

「私の場合は静里と違って、ただの勘ですね」

 

「連続!?」

 

まさかの二連撃だった。

 

 

――報告があってから三日後、虎牢関での戦いが開始された。敵主力は袁紹軍を中核に、袁術軍と公孫賛軍が担っているようだ。

 

突破のための部隊は曹操軍から夏候惇隊及び許緒隊、劉備軍から趙雲隊と……これが意外だったが、張飛隊ではなく諸葛亮隊が

 

出て来ている。孔明は引き籠っていると聞いたが、どういうつもりなのか。雛里や鈴々は劉備軍の本陣にいるのか、出て来ては

 

いないようだ。孫策軍からは、甘寧隊ではなく周瑜隊と陸遜隊が袁術軍と共に主力に組み込まれ、孫策隊はいないようだ。後は

 

公孫賛軍から公孫越隊と諸葛均隊が抽出されている。少々想定外のことはあったが、当初の予定通り、俺達は打って出た――

 

 

 

□虎牢関戦・袁紹軍

 

――顔良と文醜は各々の部隊を率い、正面の囮を担う。袁紹の配下ということで舐められがちの二人だが、これでも袁紹軍の二枚

 

看板と呼ばれる武将。その実力はやはり折り紙付きであった。しかし、敵軍は兵の一人一人がかなりの手練れ。突破する必要こそ

 

無いが、時間と共に被害だけが拡大していくのを防ぐことは出来なかった。

 

「ちっ!さすがは一刀のアニキの隊だぜ!隙がまったくねえ!」

 

「兵の一人一人が武将並みの強さだなんて……!」

 

二人の武器は大型で取り回しは悪いが、破壊力だけならば連合に属する武将達の中でも最高峰の部類である。しかしこの混戦では

 

十分に破壊力を発揮出来ず、それが足枷となって二人は思うように戦闘が行えないでいた。だが、向こうも追い込むつもりは無い

 

らしい。汜水関戦と同じ戦い方で、負傷者ばかりを増やしているのだ。ご丁寧にも撤退出来る程度の隙は作って。

 

「斗詩ぃ!完全に手玉に取られてるぜ!やっぱりアニキ達は麗羽さまの作戦を読んでたんだよ!」

 

「だからってこうも簡単に!――っく!」

 

敵兵の猛烈な攻撃をその大槌で何とか迎撃する顔良。堪らず文醜が反撃するが、敵兵は見事に躱して再び畳みかけてくる。

 

袁紹軍は戦力こそ多いものの、お世辞にも練度はあまり高いとは言えない。装備こそ一級品でも、練度の高い兵は少ないのである。

 

しかし、敵の最強戦力であろう白十字隊を足止め出来ればそれで十分だった。数だけ多いという欠点は、この時ばかりは利点とも

 

なっていた。

 

だが、それも時間の問題だ。このままではあと一刻ももたずに二人の隊どころか、袁紹軍そのものが破られてしまう。その最悪の

 

予想に、二人の整った顔にじっとりと脂汗が滲む。

 

「――顔良や文醜だけではなくてよっ!袁本初、参りますわ!はあぁぁぁ!」

 

総大将たる袁紹もまた、部隊を率いて戦っていた。名家の出身として一通りの武芸は嗜んでいる袁紹だが、持って生まれた才能が

 

それに向いていないので、顔良や文醜のようにはいかない。だが彼女は彼女なりに覚悟を持って、袁家に伝わる宝刀を振るう。

 

(くっ……!どうやら猪々子の言う通りですわね……わたくしを特別に狙おうともしない。では、これはまさか、態と……!?)

 

態と誘っているとでもいうのか――袁紹とて、自軍の練度が決して高くないことはわかっている。だが、敵軍の動きは袁紹の読み

 

通りのようでもあり、外れているようでもあった。一つの軍が一部隊に止められているということも、十分に予想外であるが――

 

ここで袁紹は理解した。

 

(……やられましたわ。向こうの本命は、関で待ち伏せを……突入部隊に配された、此方の強力な戦力を確実に潰すために!)

 

そろそろ、突入部隊が虎牢関に肉薄する頃合いだ。虎牢関の門は開かれてはいるが――そこで袁紹は信じられないものを目撃した。

 

(――っ!?あ、あれは……錦の『馬』旗!まさか、かの名高い錦馬超が董卓軍についたと言うんですの!?)

 

「麗羽さまっ!ありゃあ、涼州の錦馬超ですよ!」

 

「そんな……!五胡の様子が怪しいからって断りの書簡が来ていた筈なのに!」

 

信じられない事態は続く。錦の『馬』旗と共に現れたのは――

 

「『典』と『徐』、『陳』、それから……『呂』っ!?」

 

虎牢関で待ち構える部隊の中に、一際目立つ深紅の旗があった。董卓軍最強の武将にして、天下無双とまで言われる当代最強の将

 

であろう呂布の旗印。その燃えるような深紅に染まった旗が戦場に掲げられる時、それは呂布の敵対者にとっての悪夢のはじまり。

 

天下無双の飛将軍・呂布。同じくらいに名高い猛将・馬超。そして今は旗が見えないものの、あの曹操に重傷を負わせた北郷朱里。

 

『典』と『徐』についての情報は無いが、やはり一線級の将である可能性は高い。

 

袁紹は自軍の苦戦や敵軍の万全の態勢を見、圧倒的なまでの戦力差に目の前が暗くなりかけた。だが、天はそれすら許さない――

 

 

 

「――自分から出て来るとは。随分と変わったな、君も」

 

 

 

――袁紹の前に現れたのは『天の御遣い』の一人・北郷一刀。袁紹にとっては恩人でもあり、真名を預けた友人でもあった。

 

「一刀さん……何故、あなたが……」

 

「それに答えることは出来ない。何故なら、君は既にその答えを知っているからだ」

 

「……」

 

「しかし、単純ながら良い手だとは思うよ。此方の戦力がわかっていれば、尚良かったと思う」

 

一刀は袁紹の策を評価していた。確かに一刀の言う通り、董卓軍側の戦力を把握していればもっと効果的に作戦を動かせただろう

 

ことは疑う余地を持たない。実際、ある程度は把握していたのだ。しかし予想外の戦力の存在も多い。その意味では、この作戦は

 

失敗としか言えない。

 

「まさか、一刀さんの部隊だけでわたくしの軍をすっかり抑え込まれるとは思いもよりませんでしたわ」

 

「本当は俺の隊の所属じゃない兵もいるけどな。無編成の予備兵力も活用すれば、一部隊で抑え込むことは可能だ」

 

彼の口調は至って気楽なものであったが、それを口にし、更にはやってのける人間など、おそらく大陸中を探してもそうはいない。

 

それを目の前の青年はやってのけている。つくづく凄まじい男だ。黄巾党との戦いで窮地に陥った顔良隊を助けた時にも、手勢は

 

僅か百人程度だったという。呂布とは異なり個人でも集団でも圧倒的な強さを持つ青年。敵に回した場合、最悪の敵となる人種だ。

 

「それに……袁術軍、後ろに下がってるぞ」

 

「なんですって!?」

 

振り返ってみれば、確かに袁術の旗は後方に下がっていた。特徴的な銀色の鎧を纏う兵の位置からもそれがわかる。袁術は袁紹の

 

要請に、結果的には従わなかったのだ。この反董卓連合という組織の連携の弱さを、改めて強く思い知る袁紹ではあったが、もう

 

それはどうしようもない。こうなっては、袁紹軍と公孫賛軍で白十字隊を引きつけておくよりないが、関には敵軍が万全の態勢で

 

待ち構え、突破部隊を撃破する腹積もりでいる。しかし、袁術軍には周瑜隊と陸遜隊も付いていた筈だ。

 

「……ああ、周瑜隊と陸遜隊に押し付けて後退していったのさ。それでその二つの隊は行きがけの駄賃に俺が一人で退けてきた」

 

「そ、そんなことが……!」

 

なんということか。この青年はここに来る前に、周瑜隊と陸遜隊を一人で退けたというのだ。「行きがけの駄賃」とはまた随分な

 

大口を叩いているようだが、青年にはそれを言うだけの力があるのだ。二つの部隊を一人であっさりと退け、その上少しも呼吸が

 

荒くなっている様子が無い。袁紹は悟った――此度の戦いは、連合の敗北だと。

 

「……問答の時間はこれで終わりだ。来い、袁紹、顔良、文醜。この俺と相対したなら、持てる力を全て投じろ。でなければ――」

 

そこで一刀は一度瞑目し、言葉を切る。だが、顔良と文醜は感じていた。凄まじい闘気を。これほどまでに研ぎ澄まされた気迫が、

 

果たして人間に出せるものなのか。一切の淀みも無く、静かな闘気。それは連合側の猛将達が放つ激しい闘気とは全く異質であり、

 

また触れ得ざる圧倒的な力を感じさせた――

 

 

 

「――死ぬぞ」

 

 

 

――そして一刀が目を見開き、ただ一言を放ったと同時、時ならぬ突風が袁紹達を、そして周囲の袁紹軍兵を襲う。

 

「ぐあぁあぁぁっ!?な、なんて、闘気、だよ……!?」

 

「く、苦しい……息が、出来、ない……っ!!」

 

「う、く、うぅうっ……!!」

 

闘気だけで殺されるのではないかと思えるほどの、恐るべき圧力。下がろうとしても体は言うことを聞かず、指一本すら動かない。

 

しかし、目はかの青年に釘付けになっていた。怒りの形相でもない、ただ静かに凪いでいるような表情。袁紹はもう一度、悟った。

 

――あれは、悲しみの表情だと。

 

周囲の兵がばたばたと倒れていく。死んではいないようだが、完全に気を失っているようだ。まるで暴風に向かって歩こうとして

 

いるかのように、凄まじい圧力が一刀から放たれ、そして誰もその場から動けなくなった。呼吸さえも、儘ならない。

 

「どうした?民のためと大義を掲げた矜持があるのなら、立ち向かってみせろ」

 

「う、ううっ……!」

 

「……その程度か。その程度の覚悟で、あんな大義を掲げたのか。ならば、もういい。問うことも、責めることもしない」

 

腰に帯びた刀を抜くこともせず、一刀は無造作に右掌を掲げ、地に膝をついた袁紹達にそれを向けて言い放った。

 

「――失せろ」

 

一刀がそう言い放った瞬間、強烈な衝撃が袁紹達を襲い、吹き飛ばす。そこで袁紹達の意識は闇に呑まれていった。

 

 

□虎牢関戦・公孫賛軍先鋒(田豫隊・簡雍隊)

 

――田豫と簡雍もまた、顔良や文醜と同じく自軍の先鋒を担うため、部隊を率いていた。武将としてはそれほど名の売れていない

 

この二人だが、その戦闘能力は一級品であり、公孫越が突入部隊として抽出された現状、公孫賛軍の最高戦力だった。また二人は

 

視野が広かったため、情報収集に余念が無かった。そして現在の作戦状況を、得られた情報から推察する。

 

「どうも、あのお嬢ちゃんは撤退しちゃったみたいだね」

 

「ええ。この反董卓連合の連携体制の脆弱性を露呈した形になったわね。単に空気を読めない袁術の我儘なのだけど」

 

「あんたも大概キツくなったね、優雨。一刀と桃香の一件で散々あたしに『言い過ぎ』だなんて言ってたくせにさ」

 

「あなたが厳し過ぎるだけよ、涼音。それに、私だって少しくらいはこういうことを言うわ。普段はあなたが目立っているだけで」

 

「あははっ、言うねえ。じゃあ、今回もあたしが目立ちますか!」

 

「ふっ……生憎とこれは二人でなければ踊れない舞曲よ。私も躍らせてもらうわ……!」

 

戦場には少々不似合いな落ち着いた会話を交わす間にも、二人は息の合った見事な連携を見せ、次々と敵兵を蹴散らしていく。

 

田豫の『双龍角』が直線的で鋭利な動きで敵兵を吹き飛ばせば、その隣で簡雍の『黎明』が曲線的で優雅な動きで敵兵を打ち倒す。

 

二人の部隊は公孫賛軍の抑えに回されたらしい、楽進隊及び于禁隊と戦っていた。孫策軍に手痛い損害を与えた隊である。そして、

 

田豫達にとっては『計画』に参加した同志でもある。二人もそれを理解した上で、他軍に露見しないようにかなり配慮して戦って

 

いた。それを可能とする二人の技量は、既に名だたる武将達と同等かそれ以上の領域にまで達していた。

 

しかし、向こうも向こうでそれは同じなのだろう。間もなく、二人の前に敵将が姿を現した。

 

 

 

「――我が名は楽文謙!我が主の命により、貴様達を退ける!」

 

 

 

「――于文則なの!そっちの思い通りにはさせないの!」

 

 

 

二人の前に現れたのは、年の頃は二人と同じ位の少女達。当然ながら二人はこの少女達について、北郷一刀から聞いている。嘗て

 

魏という国で彼と共に警備隊を率いていた少女達だ。桁外れの戦闘力は無いにせよ、実力そのものは折り紙付き。また氣の扱いに

 

おいては他者よりも先んじており、それによって見た目以上の戦闘能力を発揮するという。

 

田豫達は理解していた。記憶が甦っているということは、嘗ての外史には存在しなかった自分達とは経験値が違い過ぎると。だが

 

それでも、二人は簡単に退くわけにはいかなかった。舞台を演出するために、黒子の存在は必須なのだ。黒子というよりは背景を

 

演じなければならない立場の二人だったが、それが自分達の役目ならばと背景役を演じることを選んだ。

 

そしてそれは、目前に立つ少女達も同じ。まともに殺し合う必要は無いが、せめて全力で戦っているように見せなければならない。

 

「あたしは田国譲!悪いけど、あたし達の相手をしてもらうよ!」

 

「私は簡憲和……この場はお相手願いましょう。無論、退屈はさせません」

 

二人もまた、楽進達に向かって名乗りを上げる。『計画』に関わり、誇りを抱いて戦うものとして。

 

四者の間に交わされる一瞬の合意――しかし、それはほんの一瞬。すぐさま互いに襲い掛かっていった――

 

 

 

――田豫は楽進と衝突する。

 

「てりゃぁぁぁあああぁぁあああっ!!」

 

「はぁぁぁぁぁぁあああっ!!」

 

互いの咆哮と共に、槍と拳の応酬が続く。楽進が拳で連打を繰り出せば、田豫は双刃槍で悉く弾き、更に薙ぎ払って楽進の攻撃を

 

凌駕する。槍技と体術を組み合わせて変幻自在の攻撃を繰り出す田豫に、体術の達人である楽進も少々苦戦していた。楽進は隙を

 

見て氣弾を放つが、それは同時に田豫が放った氣弾とまともに衝突し、対消滅を起こして爆裂する。一瞬の爆風は、両者の距離を

 

離すのには十分な威力を持っていた。その衝撃を上手く使い、両者は一度大きく距離を取る。

 

「……まさか氣弾を使うとは。隊長から伺っていた以上の実力のようですね」

 

「あたしだってあいつに教わった身だからね。この身に宿る誇りの炎が、あたしの力をここまで高めてくれた」

 

黄巾の乱の最中に公孫賛軍に加わった田豫だったが、それでもそれなりの時間を、一刀と共に過ごしてきた。彼から戦技を教わり、

 

また努力を重ねてきた。武官として軍に身を置き、前線指揮官として戦ってきたが、その最中で一刀の在り様を見るうち、田豫は

 

生まれて初めて、誰かの背中を追いかけるという経験をした。峻烈な決意と言い知れぬ孤独を背負った一刀の背中を。それを見た

 

田豫は疑問を抱いた。何が彼をそれほどまでに突き動かすのか――『計画』を明かされ、それを知った時、一刀に追いつくことは

 

永遠に出来ないと悟った。それでもその背中を追いかけたくなったのは、彼が目指す未来を見たい、そのために戦いたいと思った

 

からなのである。

 

――恋をしたというならば、そうなのかもしれない。

 

そういった経験が一切無い田豫でも、自分の感情がどういうものかは自覚していた。その想いが叶わないと知っても、彼が示した

 

想いは田豫の心に息づいている。御大層な夢や志でもなく、甘い理想でもなく、ただ懸命に明日を「生きる」ということへの挑戦。

 

夢も志も、理想も、全ては明日無くしては意味が無い。一刀は「明日」を守ろうと戦っている。そこに理想という言葉は一切無い。

 

ただ、明日が欲しいと。夢を奪われ、希望を絶たれたとしても、次なる希望を求めて。そこに在るのは『生への渇望』そのものだ。

 

理想などというもので糊塗する必要は無い。「生きている」という誇りさえあれば良い。それさえあれば、人は戦える。

 

だからこそ田豫は戦う。明日を求めて生き足掻く、明日への挑戦者として。簡雍と双璧を為す攻めの力。簡単には退かない。

 

「……ならば、私も本気で参ります。いいですね?」

 

「いいよ、全力で来な。そう簡単に退けられるなんて思わないでよね。それがあたしの役目なんだからさ」

 

「承知……いくぞ!はぁぁぁぁあああっ!!」

 

「てぇぇぇぇぇぇえええええいっ!!」

 

両者は再び衝突する。交わされる槍と拳が火花を散らし、衝突する氣弾が爆風を起こす。戦いは、その度に激しくなっていった。

 

 

 

――簡雍は于禁と対峙する。

 

「行かせてもらうの!てやぁぁぁぁあああっ!!」

 

「せい、せい、せい、せぇぇぇぇぇいいっ!!」

 

于禁の驚異的な連撃をあっさり捌き切る簡雍。その度に錫杖が鳴り、その姿は高貴な舞でも舞っているかのような、そんな印象を

 

于禁に抱かせた。隙を見て剣を打ち込むが、何度やっても錫杖で防がれ、簡雍は返礼に強烈な突きを繰り出す。あまりにも完璧な

 

攻防を展開する簡雍に、高速連続攻撃を身上とする于禁は攻めあぐねていた。見ると、簡雍の錫杖は僅かに発光している。

 

「……氣が使えるの?」

 

「軍師には過ぎた力だと思ったけれど、私にも出来たから使っているわ。心に秘めた決意と誇りこそが、我が鉄壁の守りとなる」

 

田豫と同時期に公孫賛軍に加わった簡雍。普段は軍師として献策する立場だが、一方では錫杖を用いた武技に長けていた。一刀と

 

接し、それなりの時間を共に過ごして来て、彼の在り様を見るうちに、簡雍は純粋に「強くなりたい」と思った。軍師として軍に

 

身を置く簡雍だったが、一刀の穏和にして峻厳な在り様を見て、自分もその境地に達してみたいと思ったのだ。同じになるという

 

ことではない。ただ彼が見ているものを自分も見たいと思っただけなのである。『計画』を明かされた時、その思いは決意となり、

 

彼が見る明日のために、彼と共にその誇りを背負って戦い、未来を守ることを心に決めた。

 

――それは、恋という感情にも似ていた。

 

今迄異性にそういった感情を抱いたことの無い簡雍ではあったが、一刀の姿や言葉は見る度に、聞く度に簡雍の心に深く刻まれて

 

きた。それは純粋で、苛烈で、無垢なる願いを感じたから。「生きたい」と望む、ただそれだけの想い。ありとあらゆる絶望への

 

挑戦。数多の愛を失い、漸く得た平穏すらも奪われた先にあったのは、たったそれだけの願い。絶望に抗うこと、挑むことこそが

 

生きること。理想というのは、そうした願いの別の形。だがそれは得てして美化され、その内実とは離れてしまうもの。一刀には

 

理想など必要ない。誰にでもあるたった一つの、無上の誇り。何を失ってもそれだけは失ってはならない、生命としての意義。

 

それを胸に、簡雍は戦う。明日を求めて手を伸ばす、明日への挑戦者として。田豫と双璧を為す守りの力。簡単には破らせない。

 

「……じゃあ、沙和も本気で行くの」

 

「ええ、良いわ。この私を簡単に抜けると思ったら大間違いよ。それが私の役目なのだから」

 

「わかったの……行くの!たぁぁぁぁああああああっ!!」

 

「はっ、はっ、はっ、はぁぁぁぁぁああああっ!!」

 

双剣が速く鋭く走れば、錫杖が激しくも優雅に舞う。剣戟が奏でる舞曲に乗って、両者の戦いは激しさを増していった。

 

 

□虎牢関戦・虎牢関突入部隊(諸葛亮隊)

 

――孔明は部隊を率い、虎牢関へと進んでいた。途中で関に先行した趙雲隊と別れての部隊単独行動である。

 

普段の孔明ならばこんなことはしない。そもそも彼女は戦略家であり、戦術家である鳳統と比べれば軍略においては劣ってしまう

 

部分があるのは否定出来ないが、やはり『伏龍』と呼ばれた天才。的確な用兵でどうにか門までもう少しという所までは来ていた。

 

(なんとしても関を破り、お二人に戻って頂かなければ……そうでないと、私達の軍だけじゃない、全てが崩壊する……!)

 

孔明ははっきりと理解していた。自分達は今迄『天の御遣い』である二人の求心力に大きく依存し、勢力を拡大してきた。しかし、

 

今この時になってそれが仇となり、劉備軍はおろか、今迄積み上げてきたもの全てが崩壊しかねないという事態にまで陥っている。

 

だからといって諦めるわけにもいかず、孔明は出て来れない劉備に代わって二人を救出しに来たのであった。

 

この時の孔明は焦燥が前面に出てしまっており、普段の思慮深い彼女からすれば信じられないほど短慮な行動を取っていた。だが、

 

運命は残酷にも孔明の目の前にある人物を差し向けて来た。敵部隊の動きを見ていた孔明は、不意に奇妙な既視感を覚える。

 

(……この兵の動き……こちらの動きを悉く先読みしているかのような……そして『徐』の旗印……まさか!?)

 

そのまさかであった。部隊を進める孔明の前に姿を現したのは――

 

 

 

「――あなたが直接前に出て来るとはね。随分と焦っているみたいじゃない、朱里?」

 

 

 

――かつて水鏡塾で共に学んだ少女、徐庶であった。

 

「あ、灯里ちゃん!?どうして……どうして、董卓軍に!?」

 

「理由を話す必要は無い。ただ、私はあなたと道を違えた。それは動かしようのない事実として今ここにあるのよ」

 

「そ、そんな……灯里ちゃんまで……!」

 

孔明は酷く動揺していた。孔明にとっては鳳統と同じ位に仲の良い友人である徐庶が董卓軍側についているという事実は、孔明の

 

余裕を失くした心をさらに蝕み、彼女の立っている大地さえ危ういものであるかのように感じさせた。孔明は思わず後退りする。

 

「……まあ、何も教えないのも酷か。いいわ、思い出させてあげる。私は水鏡塾を出る時、何処に行くと言って出てった?」

 

「……あ!」

 

徐庶に言われ、孔明は漸く思い出す。徐庶は水鏡塾を卒業して旅に出る時、涼州の方に行くと言っていた筈。つまり董卓が治めて

 

いた雍州を通ることになる。そしてそれは、徐庶が董卓側についている理由を少なくとも半分は説明するのに十分な情報だった。

 

「この戦いは茶番。漢王朝が弱っているのを良いことに起こった、諸侯の権力争い。董卓を生贄とした、世間的に体裁のいい争い。

 

 それ以外の何物でもないわ。そしてあなたはそれをある程度は見抜いていた筈。雛里もね。私の言っていることは間違ってる?」

 

「……それは」

 

「これ以上話すつもりは無い。あなたの用兵術を私が見切れないとでも思う?退いた方があなたのためよ」

 

徐庶の口調は厳しかった。孔明から見れば姉弟子にあたる徐庶は、この戦いの真相を知っている。真相を知る者にとってこの戦は

 

全てが茶番でしかない。それに敢えて乗った諸侯も許し難いが、徐庶は眼前に立つ妹弟子をこそ許すことが出来なかった。これが

 

外史で起きるべき『事象』だと知っていても、自分の妹弟子が誰かの理想に呑まれ、無実の董卓を討とうとしているという事実は、

 

もう知っていようが何であろうが、徐庶には許せなかった。それは師匠の司馬徽との約束を破っているからというだけではない。

 

「……私は、ご主人様と御前様をお救いしなければならないんです。そうでなければ、劉備様は……!」

 

しかし、孔明は迷いを見せつつも姉弟子の言葉を拒絶した。それが孔明の意志なのだと受け取った徐庶は、すっと仕込み刀を抜く。

 

「……そう……ならば容赦はしない。ここで討たせてもらう。朱里……いえ、諸葛孔明。あなたの命は、この徐元直が貰い受ける」

 

徐庶が刀を振るう動きを、孔明は不思議と酷く遅いものに感じた。これが臨死の光景なのか、そう思った次の瞬間――

 

 

 

「――そこまでですの!」

 

 

 

――刃と刃が噛み合う金属音が孔明の耳に届く。閉じていた目を開くと、そこには徐庶の刀を受け止める孔明の妹・諸葛均がいた。

 

愛用の剣――『血焔熾刃』を手に、戦う術を持たない孔明を守っている。

 

「し、静里っ!?」

 

「お姉様、お下がりなさい!」

 

ぎりぎりと刃が拮抗する音が三者の耳朶に響く。体格で勝る徐庶が圧しているように見えるが、諸葛均も負けてはいなかった。

 

「静里……あなたも来たのね」

 

「灯里さん……!」

 

「正直、あなたには来て欲しくなかったんだけど……私はあの子を討たなければならない。退いて」

 

「それは出来ませんの……例えお姉様が歪んでしまっていたとしても、わたしにとっては大切な姉ですの」

 

諸葛均とてわかっている。これは単なる演技でしかない。だが単なる台本の台詞でしかないその言葉には確かに諸葛均自身の心が

 

籠っていた。そこには確かな真実の想いがあると、聞くものに感じさせた。故に孔明は、妹の演技を見抜くことは出来なかった。

 

諸葛均と徐庶は予定調和の如く淡々と、それでいて迫真の想いを籠めて互いに言葉の応酬を続ける。

 

「……そう。なら力尽くで行くわよ。私の技の冴え……長らく会っていなかったとはいえ、忘れたとは言わせないわ」

 

「それなら、わたしだって腕を上げたんですの。以前と同じに思ってもらっては困りますの」

 

「ふっ、言うわね。なら――っ!」

 

徐庶が飛び離れ、そして一瞬の間隙の後に凄まじい速度で突っ込んでくる。

 

「はあぁぁぁぁぁああぁあっ!!」

 

「やぁぁぁぁぁあああっ!!」

 

しかし諸葛均とて徐庶に次ぐ剣技の持ち主。徐庶の動きは以前より素早いものの、諸葛均の動きもそれに完全に追随する。

 

「そ、そんな……静里!灯里ちゃん!二人とも、やめてぇっ!」

 

孔明の悲痛な声が響くが、両者はそんなことお構いなしに互いの体捌きの隙を突いて剣を繰り出し、切り結ぶ。軍師同士とはいえ、

 

元々武芸の修業をしていた徐庶と、彼女に教わった諸葛均の戦闘能力は軍師のそれを大きく逸脱していた。本来軍師が前線で敵と

 

切り結ぶなど余程のことが無ければ起こり得ない。しかし、孔明の目の前ではそれが起こっている。しかも、それをしているのは

 

実の妹と、仲の良い友人。平常心でいられる筈もない。

 

「しぃっ……ふっ!せぇぇぇぇえええいっ!!」

 

「てやぁぁぁぁぁあああっ!!」

 

切り結ぶ二人に孔明の言葉は届かない。いっそ割って入ろうか――孔明がそう思った瞬間、運命は更なる残酷な試練を与える――

 

 

 

「――剣を持つ者同士の戦いを邪魔するものではありませんよ、諸葛孔明」

 

 

 

――そこに現れたのは、誰あろう、孔明が求めた姿――北郷朱里であった。

 

「ご、御前様……!」

 

「私はあなた達の主人になったつもりなど欠片もありません。その呼び名で私を呼ばないで欲しいものですね」

 

朱里の口調は至極落ち着いていたが、孔明は息が詰まるような緊張を覚えていた。息が苦しい。躰が空気を必死で求めるが、この

 

緊張のせいで呼吸が上手く出来ない。額に脂汗を滲ませ、息を荒げながらも、孔明は朱里を見据えていた。朱里は話を続ける。

 

「……私や一刀様を取り戻しに来たのでしょうが、生憎と私達は自分の意志で皇帝側についたんですよ」

 

「こ、皇帝、側……?」

 

「そうです。私は董卓軍の所属に非ず、一人の義勇の士として陛下の許で戦っているのです。名乗っておきましょう、私は――」

 

朱里はそこで一拍置く。目を閉じ、ゆっくりと腕を胸の前まで持ち上げ――そして腕を払うと同時、言い放った。

 

「――驃騎将軍、北郷朱里。洛陽の民に仇なす反乱軍を誅滅するべく、参上しました」

 

言葉が放たれた瞬間、激烈な覇気と闘気が突風となって、孔明と諸葛亮隊の兵を襲った。

 

「あああぁぁああぁ――っ!!!」

 

気の圧力が孔明の華奢な身体を暴力的に喰らい尽くしていく。意識を失いはしなかったが、孔明は少しでも動くことさえ出来ない。

 

「……世界は常に動いている。たった一度の選択が、その後の全ての選択に影響するのです。それを思い知りなさい」

 

朱里は冷然と言い放つ。朦朧とする意識の中で孔明はその意味を考えるが、目の前の現実が選択の代償だとは、認められなかった。

 

 

□虎牢関戦・虎牢関突入部隊(許緒隊)

 

――許緒は自慢の怪力を武器に関に接近しようとしていたが、完全に足止めを喰らっていた。

 

敵は許緒の攻撃方法を熟知しているかのように戦い、また許緒隊は敵に完全に抑え込まれ、関に近付けないでいた。許緒が先頭に

 

立って一点突破を図ろうとしても、敵はそれに都度対応してくる。

 

「ああ、もうっ!春蘭さまも呂布との戦いに行っちゃったし……もう、ボクの邪魔をするなぁーっ!!」

 

鉄球を振り回しながら敵に襲い掛かるが、許緒の間合いは完全に読まれているようで、敵兵には届かない。近接戦闘故に流れ矢を

 

恐れてか、遠距離攻撃をしてこないのが救いではあったが、許緒はそれどころではなかった。まるで自分の癖を知られているかの

 

ような事態だった。これまでは賊相手ばかりで、遠く離れた土地の軍である董卓軍にそれを知る術など無い筈なのにである。

 

「ボクは春蘭さまみたいにすごく強いわけじゃないけど、それにしたってなんでここまで……!」

 

許緒は焦っていた。上司である夏候惇でさえ最近では時折許緒に不意を突かれることがあるほど、許緒は腕を上げていたのである。

 

それにも関わらず、敵兵は許緒の攻撃を一撃も貰うことなく攻撃しては離脱する行動を繰り返していた。一撃離脱型という点では

 

許緒も同類であったが、そのために中々決着がつかないでいた。疲労ばかりが蓄積され、鉄球を繰る力が鈍り始める。そこでふと、

 

敵部隊の旗を確認していなかったことに気付き、許緒は少し遠方を見やる――見えた旗印に、奇妙な違和感を覚えた。

 

「……敵部隊の旗印は……『典』……!?」

 

そしてそれは、運命が彼女に与えた残酷な試練の、ほんの前奏に過ぎなかった――

 

 

 

「――季衣」

 

 

 

――焦る許緒の前に姿を現したのは、生来の親友である典韋だった。

 

「る、流琉!?」

 

「……久しぶりね、季衣。本当に曹操さんの所で将軍をやってたんだ」

 

許緒と同じく巨大な打撃武器を携え、典韋は許緒から少し離れたところで立ち止まる。許緒は典韋の姿に酷く動揺していた。

 

「なんで……なんでだよ、流琉!ボクは流琉に来てほしくて、手紙を送ったのに!」

 

「ごめんね、季衣。多分、私が旅に出るのと入れ違いになっちゃったのよ。私はあんたからの手紙を受け取らなかった」

 

典韋は徐庶と共に旅に出たが、それが許緒が手紙を送ったのとほぼ同時期であった。許緒が手紙を故郷に送った時、そこに典韋は

 

もういなかったのである。たったそれだけの擦れ違いが、こうして生来の親友同士である二人を敵として対峙させるという悲劇を

 

生んだ。よりにもよって世間から悪と誹られる董卓軍側の武将として典韋が現れたことに、許緒は驚愕し、次いで怒りと悲しみに

 

襲われた。その綯い交ぜになった感情のままに、許緒は叫ぶ。

 

「なんで董卓軍なんかにいるんだよっ!?董卓は洛陽の人達を苦しめてる悪い奴なんだぞっ!?」

 

「知りもしないでそんなことを言わないで!悪いのは董卓さんに嫉妬した袁紹さんと……それに乗っかった曹操さんよ!」

 

「えっ!?」

 

「洛陽は凄く平和なの!董卓さんは何も悪いことなんてしてない!この戦いに意味なんて無い、ただの権力争いなのよ!」

 

「そんなの……そんなの、ボクにはわかんないよ!華琳さまは悪いことする董卓をやっつけるって言ってたんだ!」

 

「それが間違いなのよっ!」

 

「っ!?」

 

許緒は典韋の激しい口調に思わず口を噤む。喧嘩するほど仲が良いとはよく言ったもので、二人の喧嘩は村では日常茶飯事であり、

 

酷くなると山の一角の木がごっそり倒されていたということもあった。それでも二人は仲が良かった。典韋は許緒よりも大人びて

 

いるし、それは許緒も認めている。だが、ここまで激しく切実な口調で許緒の言を真っ向から否定する典韋の姿は、許緒でさえも

 

見たことが無かった。

 

「別にあんたが曹操さんを信じるのを否定してるわけじゃない!でも、曹操さんがやっていることは間違ってる!」

 

「そ……そんなこと、あるもんか!華琳さまが州牧さまになってから、すごく平和になったじゃないか!」

 

「それは否定しないよ……でも、それとこれとは話が別なの!今、曹操さんは間違ったことをやっている!それをわかりなさい!」

 

「……っ!わかってなんてやるもんか!流琉こそ、悪党の味方をするなら許さないぞ!」

 

改めて『岩打武反魔』を構え、手に力を込める許緒。それを見て典韋も覚悟を決めたか、『伝磁葉々』を肩掛けに構える。

 

「でりゃぁぁぁぁぁぁあああああっ!!」

 

「どぉぉぉおりゃぁぁぁぁあああああっ!!」

 

互いの武器が繰り出され、それは空中で激突する。派手に衝撃と火花が散るが、いつものことなのでお互い構わず打ち合う。

 

「流琉のバカぁぁぁぁぁああああっ!!」

 

「あんたこそぉぉぉぉぉおおおおおっ!!」

 

子供の喧嘩というにはあまりに過激な光景だが、この二人にはよくあることである。しかし、今は互いに敵同士。その事実はこの

 

光景をさらに過激なものにしていた。互いが互いに強烈な敵意を向け、排除するために全力で武器を振るう。それは最早、喧嘩と

 

呼べるような生易しいものではなかった。

 

「でえぇぇぇぇぇえええいっ!!」

 

「てやあぁぁぁぁああああっ!!」

 

まだ幼い二人だが、破壊力は桁外れなので、周囲の兵も動くに動けない。必然、二人の戦いを取り囲んで無言の観衆となっていた。

 

許緒が鉄球を真正面から繰り出せば、典韋はそれを受け流し、お返しとばかりに葉々を叩き込めば、許緒も同じく受け流して防ぐ。

 

互いの癖を熟知しているが故に、決定的な隙を見出すことが出来ない。それだけ二人は長いこと武器をぶつけ合っての喧嘩をして

 

きている。次に相手がどんな攻撃を繰り出してくるかなど、手に取るようにわかってしまう。

 

しかし、変調は突然に訪れる。典韋は許緒の攻撃を受け流さず躱し、武器を構え直したのだ。

 

「――っ!?なんのつもりだよ、流琉!?」

 

いつもと違う行動を取った典韋に、許緒は違和感を感じて問うが、典韋は答えない。その代わり、許緒は信じられないものを見る。

 

典韋の『伝磁葉々』が淡い光を帯び、バチバチと紫電を散らし始めたのだ。それと同時、典韋の全身から膨大な闘気が溢れ出す。

 

「る、流琉!?」

 

その異様な光景に、許緒は身体の震えを抑えようともせず、なおも典韋に問いかける。ここで典韋はようやく口を開いた。

 

「……わからないのは仕方ないよね。知らないんだもの。別に悪いことじゃない。でも、私だってここでは退けない。だから」

 

葉々の光は益々強くなり、最早放電していると言っても過言ではないほどに紫電を散らし、それを持つ典韋に異様な迫力を与える。

 

典韋は一度言葉を切り、大きく息を吸い込んだ――

 

「――『招雷(しょうらい)電光破山鎚(でんこうはざんつい)』っ!!」

 

繰り出された葉々は想像を絶する破壊力を秘め、許緒が咄嗟に繰り出した鉄球を捉える。そして轟音と共に、鉄球は砕け散った。

 

「そんなっ!ボクの『岩打武反魔』がっ!?」

 

純粋な鉄球でしかない許緒の武器は当然だが恐ろしく強固。それを典韋は容易く砕いて見せたのである。周囲の兵も驚愕していた。

 

「……退きなさい、季衣。私はあんたを殺したくなんてない。それにあんたはもう戦えない。だから、退きなさい」

 

「流琉……そんな……そんなのってないよ……」

 

「……二度は言わないよ。次は季衣に中てるからね」

 

典韋は静かに言い放ったが、それは許緒への決別とも受け取れた。許緒はそれに気付き、涙を呑みながら、部隊を率いて撤退した。

 

(……季衣。もしかしたら、もう私たち……二度と同じ道を歩めないかもしれない。それでも私は兄様についていく。私が選んだ

 

 運命が季衣を苦しめるかもしれない。でも、私は立ち止まらない。自分で選んだこの道を、苦しくたって歩いていく。この先に

 

 選べない運命が待っていても、きっとそれが季衣を守るための道になるって信じてる。私は歩き続ける……ただ、誇りとともに)

 

典韋もまた、静かに涙を流していた。友と道を違えたことの意味を、その重さを、覚悟も新たに背負いながら。

 

 

□虎牢関戦・虎牢関突入部隊(公孫越隊・趙雲隊・夏候惇隊)

 

――虎牢関を前に、三つの隊が合流した。公孫越、趙雲、夏候惇の隊である。

 

「ここに集まったのは三人だけか……」

 

「そのようだな。だが、三人も残って良かったというべきではないか?」

 

「そう、ですね……この先に、いるのは……飛将軍、呂布……そして、涼州の、錦馬超……強敵です」

 

趙雲の言う通りなのだが、夏候惇は敢えて「三人だけ」と表現した。この先に待つのは呂布と馬超。大陸にその名を広く轟かせる

 

正真正銘の猛将達。曹操が呂布を欲するであろうことは長年の付き合いである夏候惇にはわかっていたが、正直に言えば、それは

 

自分と妹の夏侯淵、そして部下の許緒と引き換えにすることになりかねないとも思っていた。それほどの強敵である呂布に加えて

 

馬超までいる。妹にさえ馬鹿扱いされる夏候惇だが、戦に関しては誰よりも鼻が利いた。夏候惇は敗北の匂いを濃厚に感じ取って

 

いるのだ。だが、だからといってただ退くわけにもいかない。

 

「趙雲、お主は呂布についてどう思う?」

 

「そうだな……ここにいる三人で四半刻打ち合えれば上出来だろう。一人では数合ともつまいよ」

 

「むう……やはりか……」

 

やはり猛将として知られる趙雲に参考意見を求めた夏候惇だったが、あっさりと「負ける」と宣告するかのような答えを返される。

 

これでは公孫越も同様の意見だろう。公孫越については何も知らない夏候惇でも、彼女が相当な武人であることは肌で感じ取って

 

いた。そして三人が見つめる先には、各々の旗印を掲げる呂布と馬超がいた。その背後には陳宮隊も控えている。酷い戦力差だ。

 

 

 

「――お前達は、ここから通さない……」

 

 

 

「――残念だったな。あたしらがいる限り、ここは通行止めだぜ。観念して陣地に帰りな」

 

 

 

そこにいるだけで夏候惇らの周囲の兵が脂汗を吹き出し、倒れそうになる者まで出て来るほどの闘気を放つ呂布。そして、その隣

 

では涼しげにそれを流しつつ、自らも強烈な闘気を放つ馬超がこちらを睨み付けている。

 

「呂布、そして馬超!戯言は無用だ、かかってこい!」

 

それは呂布や馬超が言うべきことなのだが、夏候惇は取り違えていた。それでも気合は伝わったらしく、二人は向かってきた――

 

 

 

――趙雲は一人、馬超と衝突する。

 

「はぁぁぁああああっ!!」

 

「うっしゃおらぁぁぁぁあああっ!!」

 

趙雲の『龍牙』と馬超の『銀閃』が激突する。槍技に長けた両者の戦いは苛烈ではあったが、一方では優雅な印象さえあった。

 

「ふっ、まさかお主とこうして相見えることになるとはな!」

 

「まったくだぜ!」

 

二人は共に『大超越者』であり、記憶が甦っているため、互いのことをよく知っていた。嘗て五虎将として名を馳せた盟友である

 

両者の戦いは演舞にも似ていた。しかし、他者に露見しないように戦いぶりは激しくならざるを得なかった。戦場の喧騒のせいで

 

言葉までは他者にはよく聞こえないので、それをいいことに両者は親しげに言葉を交わしていた。

 

「お主まで呼んでいたとは、まったく主の徹底ぶりには頭が下がる」

 

「同感だ。ホントだったらあたしはそっちにいた筈だしな。だがご主人様はちゃんと手を回してたんだな」

 

「うむ。この時より我らは再び同志だ。しかし今は……」

 

「ああ。あたしらが全力で舞わねえと、事が露見しちまう……悪いが全力で行かせてもらうぜ、星」

 

「それは私とて同じこと。我が槍を見事防ぎ切って見せよ、翠」

 

互いの間に交わされる合意。次の瞬間には再び激突する。歴史にその名を残す猛将同士の戦いは、他者の介入を許さなかった。

 

 

 

――夏候惇は公孫越と共に呂布と対峙する。

 

「くっ……強い……!」

 

「二人掛かりなのに……こうも簡単に、あしらわれるなんて……!」

 

既に戦闘は開始されていたが、二人とも呂布のあまりにも無造作で無秩序な戦い方に翻弄されていた。夏候惇もそういう意味では

 

似た者同士であったのだが、呂布は格が違った。『方天画戟』を振るうたび、その衝撃で周囲の兵が吹き飛ばされる。二人が戦う

 

そばから隊の兵は関に突入することも出来ずに吹き飛ばされていく。敵は変わらず万全の態勢で待ち構えているし、こちらは突破

 

することが出来ない。作戦は既に崩壊していた。

 

「うおぉぉぉぉおおおおっ!!」

 

「……ふっ!」

 

「ぐわああぁぁぁあああっ!!」

 

何度やっても同じであった。況して夏候惇は本来の得物である『七星餓狼』を失い、予備が無い現状では親衛隊に支給される剣を

 

使う他無い状況である。しかしそこは腐っても曹操の右腕。どうにか呂布の攻撃を受けきっていたが、衝撃が彼女の肉体を喰らい、

 

普段以上に消耗してしまっていた。

 

「夏候惇さん……!」

 

「くっ……まだ大丈夫だ。しかし全身が痺れる……公孫越、数合ほど奴とやりあってはくれぬか」

 

夏候惇には珍しい弱気であった。しかしながら背に腹は代えられない。全身が衝撃で痺れているため、このまま戦ってはあっさり

 

首を取られる。武人として戦いの中で死ぬならば本望とは思っていても、人が変わったようになってしまった曹操を支えなければ

 

ならないと、夏候惇はこの場は自らの意地を貫くことを諦めた。

 

公孫越は小さく頷くと、その青い長髪を束ねていた装飾品を外し――

 

「――本気で、行かせて頂きます」

 

――呂布に向かってそう告げた。それと同時、公孫越から凄まじい闘気が轟と放たれる。

 

(な、なんだこの闘気は……!あの呂布にも劣らぬ凄まじい闘気……まさかこやつ、今迄は本気ではなかったとでも言うのか!?)

 

驚愕――夏候惇は一瞬我を忘れて公孫越の姿に見入っていた。普段はおそらく非常に大人しいであろう少女の姿は、今は恐ろしく

 

攻撃的。その攻撃的な気配を纏ったまま、三叉槍と剣を持った公孫越は恐るべき速度で呂布に襲い掛かった。

 

「たあぁぁぁぁああああっ!!」

 

「――っ!?」

 

あの呂布が、感情の起伏が見えないその顔にはっきりとした驚愕の表情を浮かべる。戟を振るって牽制しようとするが、公孫越は

 

剣でそれを受け流し、その間に三叉槍で刺突する。呂布は桁外れの臀力で戟を取り回し、三叉槍を防ぎはしたものの、続けて繰り

 

出される激しい連撃を前に、反撃に出ることが出来ずにいる。長髪を振り乱して戦う公孫越の姿は、流麗ながらも猛々しいもので

 

あった。夏候惇は思わずその姿に見惚れていたが、そこで重要な事実に気付いた。

 

(呂布を抑え込んでいる……これは、行けるのではないか!?)

 

公孫越の猛攻を見た夏候惇は、突破口を見出しつつあった。このまま公孫越が呂布を抑えてくれていれば、馬超は趙雲との戦闘に

 

かかりきりになっているし、その隙に夏候惇隊が部隊の突破力を活かして関に突入することは可能であるように思われた。

 

しかし、運命は彼女を違う道へと誘ってしまう。

 

 

 

――夏候惇は見つけてしまった。戦場にはためく『黒十字』の旗を。

 

 

 

「――あれは……あの……北郷……朱里ぃぃぃぃぃぃぃぃいぃいぃいいいぃぃいいぃいぃいぃいいいぃいぃいぃぃいぃいい!!!」

 

その旗を見つけた瞬間、夏候惇の感情は爆発した。最早その思考から作戦や戦況というものは悉く消し飛び、唯一つの感情だけが、

 

夏候惇を突き動かす。そして夏候惇はそれに抗おうとはせず、全身を暴力的に流れる感情に呑まれ、何もかもを忘れて走り出す。

 

狙うは唯一人――北郷朱里。敬愛する主・曹操を害し、その秀麗な美貌を酷く汚し、荒ませた、この世の誰よりも憎悪すべき怨敵。

 

「殺す!!殺す!!殺す!!殺す!!ころしてやるうぅぅぅぅぅぅううぅうぅうぅぅううぅううううぅううぅぅうぅううう!!!」

 

夏候惇は疾走する。その行動は連合軍の作戦に反するばかりか、曹操が下した「北郷朱里を捕えよ」との命令にさえ反していたが、

 

怨敵を見つけて暴走する夏候惇の思考にはもうそんなことは残っていなかった。唯一つの感情だけが、彼女の思考に残されていた。

 

そこに残っていたのは殺意だった。

 

殺意しかなかった。

 

 

□虎牢関戦・虎牢関突入部隊(黒十字隊・徐庶隊)

 

――徐庶と諸葛均が剣戟を重ねる傍で、朱里は孔明と対峙していた。

 

朱里が放つ気の圧力は凄まじく、孔明も途中で何度も意識を失いそうになったが、どうにかここまで耐えていた。しかし、指一本

 

動かせず、立ち上がろうとしても足は言うことを聞かない。敵対者を凶暴に蹂躙する朱里の気を前に、諸葛亮隊は完全に戦闘不能

 

となっていた。

 

しかし、それにも終わりが訪れる。不意に圧力が緩み、全身の硬直が解け、孔明は地面に倒れ込んだ。躰が動くようになったのを

 

確認すると、息も絶え絶えに立ち上がる。先程から碌に呼吸していない孔明の肺は半ば狂ったように空気を求め、渇ききった喉を

 

戦場の荒れた空気が焼く。その痛みに顔を歪めながらも、孔明は肩を大きく上下させ、脚を震わせながら立っていた。

 

「はぁっ……はぁ……はぁっ……うぅっ……!」

 

「……戻ることなど有り得ないというのに、よくもまあ……人の執念とは恐ろしいものですね……妄執と言うべきなのでしょうか」

 

「はぅぐっ……あぅっ……!」

 

会話さえ儘ならぬほどに消耗した孔明を前に、朱里は心底呆れたような口調でぼやく。孔明は信じられないものを見るかのように、

 

目の前に立つ朱里の姿を見ていた。この激戦の最中にあってもまるで落ち着き払って、孔明の必死の姿勢を「妄執」と言う。この

 

人物は本当に、自分が慕う北郷朱里なのだろうか。厳しくも優しく、時折孔明達を指導してくれたあの仮面の軍師は、目の前には

 

いないのではないか。孔明には、目の前に立つ仮面の少女が、自分が尊敬している少女と同一人物だとはとても思えなかった。

 

「……あなたは……一体……誰、なんですか……!?」

 

口の中になんとか湧き出した唾液を呑んで少し潤った喉で、孔明はどうにかそれだけ問う。

 

「……私が誰か……ですか。それはあなたにとって、本当に意味のある問いですか?」

 

「……」

 

「……おそらく意味など無いのでしょうね。ならば私も答えません。それに、あなたなら自分で答えを見つけられる筈ですからね」

 

無論、朱里はわかっていた。孔明が何故そう訊ねたのか。しかし、それに意味は無い。純粋に朱里が誰なのかを問うならば、朱里

 

としても答える用意はあるが、孔明の問いは今ここにいる朱里を否定する一方的なものだ――朱里はそう判断していた。

 

「……もう、退きなさい。退くのであれば追撃はしません。向かって来ても無駄ですよ。五つ数える間にあなたの隊を無力化して

 

 差し上げます……五つも要らないかもしれませんが」

 

「い、五つ……!?」

 

「ええ。あなたがどちらを選ぶのかは自由です。私としては撤退してほしいのですが――っ!?」

 

そこで朱里は気付く。会話の間も躰の緊張を解いてはいなかったが、それが否応無しに高まっていくほどの何かを感じ取っていた。

 

それは、烈火の如き紅い怒りと、悪魔よりも黒い憎悪から醸成されたような、あまりにも混濁した殺意だった――

 

 

 

「――ほおぉぉぉぉぉぉぉおおおんんんごぉぉぉぉぉおぉおおぉ……しゅぅぅぅううぅぅぅうぅりぃぃぃいいぃぃいぃいい!!!」

 

 

 

――その異様な気配の主は、夏候惇だった。

 

露出が殆どない堅い服装の夏候惇ではあったが、肌が見える部分には、何か赤黒い線が幾つも走っているのが朱里には見て取れた。

 

おそらくは激発する感情がただでさえ血の気の多い彼女の血流をこれ以上ないほど活性化させているのだろうが、それは普段とは

 

比較にならない力を得られる代わりに彼女の命を削っている。人の心臓は生涯に鼓動する回数が決まっているという。あれほどの

 

血流では肉体だけでなく脳にまで壮絶な負荷がかかる。だが、そんなことは激情に支配された夏候惇には関係ない些末事なのだ。

 

「しいいぃぃいぃぃぃいぃいいいぃぃいいぃいぃいいぃぃぃいいねぇえええぇぇぇぇぇぇええぇぇえええぇえええええええ!!!」

 

無意識に放たれているらしい紅い氣の波動がその髪を逆立たせ、眼は赤黒く濁り、整った顔は浮き出た血管で醜悪に変わっている。

 

既に声は枯れた様子で嗄れ声だが、辛うじて人間の言葉とわかる絶叫で怨敵への殺意を撒き散らしつつ、我武者羅に疾走してくる。

 

 

 

――その姿は、阿修羅以外のなにものでもなかった。

 

 

 

「あ、ああああ……っ!!」

 

ただでさえ脚を震わせながら立っていた孔明は、夏候惇の恐るべき姿を見て、完全に逃げる気力を失っていた。

 

(――ならば!!)

 

朱里は瞬時に双剣を抜き、蛇腹剣を展開して伸ばす。伸びた『陽虎』の鋩は既に傷を負っている夏候惇の左肩をあやまたず貫くが、

 

夏候惇は構わず向かってくる。今の『陽虎』にあの膨大な熱量が宿っていないにしても、かなりの深手となる筈の一撃を受けて尚、

 

紅い殺戮者は止まらなかった。

 

「しぃいゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁあああああぁぁぁぁぁああぁああぁぁぁああぁぁぁぁぁああああぁぁぁぁぁあああ!!!」

 

最早人間のものではない絶叫を吐きながら、夏候惇が襲い掛かってくる。目的は唯一つ、北郷朱里を殺すために。しかし、濁った

 

眼は朱里の姿さえ正確に捉えていないようだった。突き刺さった刃を無理矢理引き抜き、その勢いのまま大上段から斬りかかって

 

来る。即座に蛇腹剣を縮め、両方の剣で夏候惇の剣を受けたが、肉体や武器の消耗などの常識をまるで意に介さない今の夏候惇の

 

一撃の威力を殺し切ることは出来ず、朱里は大きく後ろに押しやられる。しかし、そこで信じられない事態が起こる。

 

「あああああああっ!!」

 

あろうことか、夏候惇は自ら後退させた朱里を追わず、自身の近くにいた孔明に襲い掛かったのだ。朱里と孔明は姿形や声が似て

 

いる。朱里の方が肉体的に成長しているとはいっても、同年代の少女と比べればそれでもかなり小柄な方である。最早正常な認識

 

能力さえ失った夏候惇には、二人の区別がつかなかったのだ。

 

(――くっ!?)

 

朱里はすぐさま地面を蹴り、急いで割って入ろうとした――が、朱里よりも先に反応した者がいた。

 

 

 

「――はぁぁぁああああああっ!!」

 

 

 

それは徐庶であった。『幻走脚』で二人の間に突っ込み、孔明を突き飛ばして仕込み刀を鞘走らせる。あまりにも鋭い仕込み刀の

 

斬撃を刹那の間に幾度も繰り出し、夏候惇の剣をバラバラに切り刻む。殆ど同時に夏候惇の顎を杖先で突き上げ、腹に二度蹴りを

 

かまして逆に後退させる。そして蹴りの間に刀を収めて右手を空にし、その右手で太腿から何かを取り外し――投擲した。

 

「っぐわあぁぁぁぁあああっ!!」

 

それは青銅製の太い長針であった。狙った場所に命中させるのが非常に難しい筈の、暗器と呼ばれる部類の武器だ。徐庶はそれを

 

見事に投擲し、放たれた長針は夏候惇の左目を捉え、瞳孔を正確に貫いた。しかし信じられない事態は続く。

 

「ぐぅぅぅううううっ……おぉぉぉぉおおおおおっ!!!」

 

夏候惇は目に刺さった長針をむんずと掴み、眼球ごとそれを引き抜き――そのままそれを口に入れ、咀嚼し、嚥下した。

 

「あぁぁぁ……うぅううっ……!!」

 

肉体的にも精神的にも追い詰められていた孔明は、その凄絶な光景を前にして強烈な嘔吐感を覚え、恥も外聞も無くその場で嘔吐

 

するが、食欲の無かった孔明はあまり食べていなかったので、吐かれるのは胃から逆流してきた粘液だけであった。

 

そして夏候惇は立ち上がろうとしたが、命を削ってまで得た壮絶な力の負荷が圧し掛かり、倒れてしまった。一部始終を見ていた

 

周囲の曹操軍兵が夏候惇を抱えて撤退していく。他の敵部隊も撤退しつつあるのを確認した徐庶は、孔明に歩み寄り、手を引いて

 

立たせる。

 

「……立ちなさい」

 

「うぅっ……えっ?灯里、ちゃん……?」

 

「退きなさい、朱里。もうあなた達の作戦は失敗した。もうここにいる意味は無い。退きなさい」

 

「で、でも……」

 

「……彼女は自らの意志で此方にいる。二度とあなた達の許には戻らない。取り戻そうなんて考えない事ね。静里、朱里をお願い」

 

「……わかりましたの」

 

諸葛均は姉の手を強く引いて立ち去っていく。孔明はもう抵抗する気力もないのか、妹に大人しく従い、撤退していった。それを

 

見た朱里と徐庶は踵を返すと、部隊を率いて虎牢関に帰還する。彼女達の表情は、孔明と同じように酷く曇っていた。

 

 

 

――こうして虎牢関の戦いは幕を下ろした。戦場を駆け、戦った者達に、身体・精神問わず、等しく傷を与えて。

 

 

あとがき(という名の言い訳)

 

 

どうも、Jack Tlamです。

 

前回の更新から既に二十日あまり…大変長らくお待たせいたしました。

 

実は大学の関係でいろいろバタバタしておりまして、中々執筆の時間が取れなかったのです。

 

加えて今回、内容的に色々詰め込んだものとなっており、その編成に時間がかかってしまい、

 

こうして皆さんにお届けするのが遅くなってしまいました。

 

 

あまりに長いので投稿しようとしてもエラーに怒られると思うので、前編と後編で分割して

 

それぞれの話として再編成しました。そのため今回は戦闘がメインとなりました。

 

 

意外や意外、虎牢関戦での最初の作戦を提案したのはなんと麗羽。あの麗羽が自分から囮を

 

買って出るなど、今までにあったでしょうか…少なくとも反董卓連合という『事象』について

 

言えば、今までには無かったかと思います。

 

それと引き換えに悪い方向に変わっていってしまっている華琳。今後どうなるのか…彼女の

 

心中については後編で多少言及されます。短いですが。

 

私自身が彼女に対して苦手意識を持っているせいか、どうも描写が悪い方向に行きがちですね。

 

 

今回は色々な人が戦いました。まず涼音と優雨。第二章から登場しているキャラクターですが、

 

ようやく初の戦闘シーンが描写されました。一刀からやり方だけ教わった氣の自在制御をある程度

 

身に着け、ますます実力を上げています。特に優雨。お前は本当に政治家なのか?

 

 

水蓮も同じく初の戦闘シーンですね。彼女は第三章からの登場ですが、以前から五虎将クラスの

 

強さがあるとは言及してきました…が、ここでまさかの本気モードの存在が発覚。発動時の実力は

 

恋並みとなります。ますます手が付けられなくなってきた公孫賛軍。曹操軍がやり合おうとしても

 

勝てませんね、これでは…ただ、重いリスクは有りますが。

 

 

流琉は新技披露。季衣の鉄球を粉々に粉砕するという凄まじい威力を見せ付けました。というか、

 

そんなものを人に中てたら死体がまともに残らない可能性があるからそれはやめてね流琉、といったところ。

 

そこ、放電しているみたいだからといって流琉愛用の武器の元ネタに言及してはいけない。

 

 

そして灯里ですが…なんと春蘭の左目を潰したのは灯里になってしまいました。

 

灯里がトドメに使った長針…そこ、どこぞのツインテールお嬢様に影響されたとか言わない。

 

元々史実では撃剣の使い手である徐庶なので、投擲武器の要素は残しておいた方がいいだろうと

 

思いまして、普段は仕込み刀なので針ということにしました。

 

 

今回と次回の連投になります。次はそれぞれの状況です。今回よりも短くなるかと思います。

 

 

 

次回もお楽しみに。

 

 

次回予告

 

 

 

戦いは非情。しかしてそこで戦う者達は心持つ生命(いのち)。戦場を駆ける戦士達は、その度等しく傷を負う。

 

 

次回、『報復の剣・後編』

 

 

正義は何も肯んじず。理想はあまりに儚き夢。何を掲げても最後に残るは、酷く虚しい負の連鎖。

 

 


 
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