この村には「生きては帰ってこられない道」という、曰くつきの道がある。
ずっと昔はこの村唯一の井戸への道であったのだが、水路の普及で必要なくなり、今では誰も行かなくなってしまった。
もともとそこは、森の中に誰かが針で線を引いたかのような、狭く、薄暗い道であったから、誰も好き好んで行かなかった。
誰も行く理由が無くなり、そしていつしか「誰も行かない」、「誰も帰ってこない」と、その道にジンクスができた。どこにでもある妄想の産物だ。
そんなある日のこと、ある子供が行ったら帰ってこなくなった。そうして「生きては帰って来られない」という最終形態になった。
……という話を、私は幼い頃から、祖父に教えられていた。(この話は、そもそもの原典があやふやであるので、信憑性はない。だが、ここで論じるべきではないので、省く。)
世代を重ね、語り継がれていくうちに、そういった類の話は真実味が薄れてしまう。子どもの興味を引くような噂話になるのだ。だが、もう随分の間、「誰も行かな」かったその道は、気味の悪さがますます増えていき、「誰も行こ」うとする者はいなかった。
そんなある日に、数人の男衆が酒の勢いに乗り、根性試しのつもりか、その道を行った。
帰ってきたのは一人だった。
四日後の朝、帰ってきた彼の様子は明らかにおかしかった。彼は裸でぼーっと村の入り口に立っていた。
彼は白痴になったのだ。
だが、村のやつらははその事実云々より、こう考えた。
「彼は裸だったから生きて帰ってこられた」
「裸であれば生き残れる」
そうしてまた、その道は「別の道」になった。
そのまた別の日、ある少女がその道を行った。(彼女の行った理由は知らない。)
その子もまた帰ってこられた。
彼女もまた、異様な姿だった。彼女の場合は水をたらふく飲んできた。呑み続けた結果、まるで妊娠したかのように腹がぼっこりと膨れ上がっていた。
また、どこで拾ってきたのか、古い皮袋を手にしていた。皮袋は穴が開き、水を垂らしていたが、微かに水は残っていた。
内臓器官は多量の水に耐えられなくなり、衣服からはすえた臭いが漂っていた。汚い風体のまま、それでもなお、彼女は水を飲み続けるかのように皮袋を持ち上げようとしていた。
「彼女は水を飲んだから生きて帰ってこられた」
「水を飲み続ければ生き残れる」
「男は裸、女は水」
そうしてまた、その道は「別の道」になった。
今度は数年が流れた。
何を思ったのか、あるやもめがその道を行った。彼女も帰ってこられた。
だが今度は、彼女は右腕を失っていた。綺麗にすっぱりと。
腐りかけの右腕をを左腕が捕らえ、彼女は口に押し詰めながら食べていた。
そのときも村の人たちは色々考えて、その道はまた変わった。
その後は頻繁にその道を行く人が増えた。
酒を飲む、げろを吐く、土を嘗め歩く、逆立ちをする、眠り続ける、様々な人が生まれた。時には人を殺して回るのも出た。
その道はもう何が何だか分からなくなった。
ただはっきりしているのは、その道を行った彼らがしていることは、全てその人々が生き残るためにしていることである。けれど、それでもなお、まだ、村のやつらはどこか浮世じみたことを考えて、内輪のことと抑えようとした。
いつしか道を行っていない人まで症状が現れた。
空を見て譫言を言う人、包丁を研ぎ続ける鍛冶屋、木の皮を噛み続ける牧師夫人、土を掘っては人魚を捜す人。
みんながみんなでキチガイだ。
彼らはみんな生きる手段として考えているのだろうが、実際はおそらく違う。
コレは推測なのだが――あの道は、人に「ある枷をはずさせ、そして何かをし続けさせる」といったことを設けさせる、何か倒錯的な雰囲気のある道ではないのか。
こうして村中に蔓延したのも、こうして村人が村から逃げようとしなかったのも、きっとあの道の命令のせいだ。
では、どうやったらこの命令から逃れられるのか。
それは冷静なる判断。客観的な、そして主観的な精神。
そのためには何をすべきか?
そう、こうして筆を執って物事をまとめ、追求し続けることだ。
文章を書き続け、まとめる。自己洞察を深め、他人のことも捕らえる。これぞ究極の手段。これこそが、生き残るための術だ!!
(以降、解読不可能。 ―ある手記より)
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世界観を共通させた短編連作「死者物語」です。 この世界を、未だ数匹の亀と象が支えていた時代。 霧は濃く、森は暗く、神秘と信仰と迷信は絶えず、ただ空だけはどこまでも高かった頃。 忘れられた、彼らの物?
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流れに乗って自分も死者物語を書いてみました。
だいぶ違う印象のある作品ですが、時代設定的には同じです。
過去には事実、魔術的な疫病が蔓延していた、という話。