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真・恋姫†無双~絆創公~中騒動第四幕(後編・上)

あけましておめでとうございます。
投稿速度がめちゃくちゃ遅い我々二人、今年もよろしくお願い致します。

ある日のファミレスでのやり取り

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2014-01-04 14:43:46 投稿 / 全2ページ    総閲覧数:1354   閲覧ユーザー数:1223

真・恋姫†無双~絆創公~ 中騒動第四幕(後編・上)

 

 その少年は頭を押さえて、ただ困惑していた。

 自分一人が、頭からつま先までびしょ濡れで立ちつくしていた。

 

 そして、彼の視界には。

 泣きじゃくりながら、お兄ちゃんが溺れてしまったと騒いでいる少女。

 困ったように笑い、大丈夫だと少女をなだめている男性。

 自分の身体をバスタオルで拭きながら、怪我はないかと問いかける女性。

 そして、自分を鋭い目つきで睨みつけ、右手に握り拳を作っていた老人がいた。

 少年はその拳を恨めしそうに見つめていた。

 

 でも拳は何も悪くない。自分が悪いのだ。

 夏休みの遠出で浮かれて、はしゃいでいた自分が足を滑らせて、小川に落ちてしまったのだ。

 

 少年は強がって、歯を食いしばる。

 妹が泣いているから、自分は泣きたくない。

 

 そんな些細な強がりで。

 

 こらえた息苦しさがある。それでも母親に大丈夫だと、また強がってみる。

 少し呆れたように母親が微笑む。

 バスタオルで拭く力が弱まった。

 

 早く着替えてきなさい。みんなでご飯にしましょうね。

 

 優しく微笑む母親の姿。

 その奥では、バーベキュー用のコンロから煙が上がっている。

 

 少年は笑顔で頷いて、荷物をまとめた土手へと駆けていく。

 

 お兄ちゃん、大丈夫……?

 

 傍を通った妹が、目元に涙を溜めて訊いてきた。

 心配された照れ臭さで顔を合わせず、大丈夫と告げながら通り過ぎる。

 

 

 そのまま荷物へと近付いていく。

 

 と、少年の履いていたサンダルが途中で脱げてしまった。

 取りに行こうと振り返る。

 

 

 そこで少年は気が付いた。

 

 家族が、どんどん遠ざかる。

 自分を残して。

 

 

 

 サンダルを放り出して、全力で走り出す。

 

 追いつかない。どんなに走っても

 

 名前を呼ぶ。声を枯らして泣き叫ぶ。

 

 気付いてくれない。

 遠くの四人は楽しそうに笑っている。

 

 少年を置き去りにして。

 

 待ってくれ……! 俺は、まだ……!

 

 声が出ない。

 涙はこんなに出ているのに……。

 

 暗闇が少年を包み込む。

 手を伸ばしても、ただ虚しく宙を切るだけ。

 

 足が重くなる。身体が重くなる。

 意識が……遠くなる。

 

 暗闇しか、もう見えなくなる……。

 

 

 

 

「……大丈夫? カズ君」

 

 優しい声が、一刀の耳に届いた。

 

 救いを求めるように目を開く。

 ふと気が付けば、瞳の中に眩しい光が。

 暗闇などとは程遠い、心地良い温もりが彼を包み込む。

 

 そして、一刀の顔を覗き込んでいる女性。自分の母親が、心配そうに自分を見つめているのをやっと確認した。

 見下ろすようにこちらを伺う姿から、自分が寝台に横たわっている事を認識した。そこで初めて一刀は、あれから自分が、再び眠りに落ちていたことを知る。

 

 あれは、夢……か……?

 

 実に緩やかに、彼の意識は覚醒していく。短く吸い込んだ息で、脳に酸素を流し込む。

 いまだに不安そうな母親の瞳は、一刻も早く息子の言葉を聞きたいと訴えているようである。

 それに気付かないまま黙っている一刀。彼は前と同じように、再び目線を窓へと向けた。そこからは太陽が見えていたハズなのに、今では差し込む日差しだけ。

 だいぶという訳ではないが、あれから時が経っていた事を理解した。加えて、体調も全快に近いほどに回復していた。頭の痛みもすっかり消えていた。

 ただ、それと引き換えに。夢が押しつけていった寂しさが、今の彼をゆっくりと苦しめていた。

 逃れるように寝台から身を起こそうとする一刀。傍にいる母親が制止しようと動き出すが、一刀が上体を起こす方が幾分早かった。

 かなり回復したことをその動きで察した泉美だが、まだ心配そうな顔で寝台の横に立っている。

 難なく自分の体を動かせたことに、とりあえず安心した一刀は溜め息を吐いた。

 

「……泣いて、いたの?」

 

 再び聞こえてきた母親の声。その言葉を不審に思い、顔を合わせる。

 近付いてきたのは、ハンカチを持つ彼女の右手。微かに怯む一刀の目尻を、柔らかい肌触りが撫でていった。

 その心地よさで我に返る一刀。見れば不安そうに自分を見つめてくる顔が。

 

 ダメだ、悟られたくない。

 

 多少慌てながら、ハンカチを持つ相手の手を軽く押し退ける。

 

「ああ、イヤ。ちょっと寝苦しかっただけだよ。心配しないで……」

「……そう?」

 

 ぎこちなく笑いながらではあるが、言葉をやっと聞いて、少しは安心した母親。胸の前にあるその両手の中で、ハンカチはほんの少し震えている。

 彼女の目に映る一刀は、シャツの長い袖で目元を擦っている。

 なるだけ強く、何かをごまかすように……

 

 

 

 そんな中、ノックする音が二人の耳に届いてきた。発信源であろう部屋の扉の方を見れば、開いた扉から男の顔が覗く。

「……一刀、起きているか?」

 声をかけながらゆっくりと歩いてくるのは、一刀の父親の燎一。その姿を見て薄く笑いながら片手を上げる一刀。息子が回復したのを理解して、燎一の心配そうな顔がほころぶ。

「どうやら、元気になったみたいだな」

「うん……。お陰様で」

 泉美の横に立ち、深く息を吐く燎一。久々に会ったような、何か照れくさいようなものを感じた彼は、人差し指で頬を掻いて小さく笑う。

 そんな父親と、母親の顔を見た一刀。

 二人が目の前にいる事。自分の両親が傍にいる事を実感していた。

 さっき見ていた夢が与えた怖さもあってか。自分の家族がこの世界にいる事を、これまで以上に噛みしめていた。

 

 と。二人の姿を眺めながら、一刀は気が付いた事があった。

 父親の服装がかなりくたびれていたのだ。いつもは綺麗なワイシャツにきっちりネクタイを締めているハズ。なのに今の彼は、スラックスの中からシャツを少しはみ出して、ネクタイも首もとが見えるくらいに緩んでいる。

 真面目な父親のほつれを指差しながら問いかけた一刀。その指摘に燎一はシャツに手のひらをかざし、困ったように笑っていた。

「いや、な。今ここに孫登ちゃんが来ているんだが……」

「孫登が?」

「ああ。お前と……母親の蓮華さんが待ちきれなくなって、こっちにやって来たんだ」

「……もしかして、父さんが遊び相手をしてくれたの?」

「……さっきまであの子が眠っていた事もあるのか、予想以上に元気一杯でな。振り回されちゃったよ」

 口ではそう言いながらも、やはり“孫”と遊ぶのは嬉しいのだろう。またもその頬を指で掻いて小さく笑っていた。その隣にいる泉美も、口元を押さえてクスクスと笑う。

 そんな二人を眺めている一刀は、申し訳無さそうに俯いた。 

「ごめん……。風邪引いて、心配かけるだけじゃなくて。みんなに……」

 口から出てきた謝罪の言葉。それに戸惑う様子も見せずに、二人は柔らかく笑いかける。

「一刀が謝ることはないさ」

「そうよ。私たちは家族なんだから、ね?」

 心から安心させられる笑顔。それは親であるからこそ見せることの出来る、慈愛に満ちたものだ。

 だが一刀は、二人の顔を一切見ようとはしない。彼の表情は浮かないままで俯いている。

 後ろめたさにも似た何かから、必死で逃れるように。

 そんな黙り込んでしまった彼を見つめている両親。目の前で辛そうにしているその理由、おそらく風邪とは違う苦しみなのだろう。

 それが何なのかを、二人は知りたい。

 自分の子供の、笑顔が見たい。

 なのに、互いに歩み寄ることを阻んでいる見えない壁を感じ、二人は息苦しさを覚えていた。

 

 

 

 そんな居心地の悪い空気の中、違う音が割り込んできた。

「……ちゃーん! 待ってー!」

 呼びかけるような女性の大声。それと同時に廊下を掛ける足音が聞こえてくる。パタパタと少し騒がしいそれは、どんどん三人がいる部屋へと近づいてくる。

 どうしたのかと三人が部屋の扉に目を向ける。同時に扉は開き、三人は訪問者の顔を確認する。

 視線の先には、人の顔は見えなかった。しかしそのまま扉の下へと向ければ、一人の少女が少し息を切らして立っていた。

「孫登……!」

 驚く一刀が口に出した通り。その子は一刀と蓮華の娘、孫登であった。

 一刀が名前を口にすると同時に、孫登は満面の笑みを向けながら、寝台へと駆け寄ってくる。

「とーさま!」

 タイミング良く踏み切った孫登は、そのまま一刀のいる寝台の上に飛び乗った。一刀は自分の足に当たらないよう、乗る寸前で足を曲げて胡座を組んだ。いきなりの事にびっくりして、傍らにいた燎一と泉美も、目を見開いて寝台から数歩下がる。

「おっと! 孫登、危ないだろ?」

「とーさま! お身体はだいじょーぶ?」

「あ、ああ。だいぶ元気になったよ」

 弾けるような笑顔と声で、一刀の注意は聞き流されてしまった。

 少々気が抜けてしまった一刀。そんな彼に、今もニコニコ笑いながら顔を合わせてくる孫登。

 一刀は、ふと考える。

 孫登は父親である自分を心配して、ここまで来てくれたらしい。この小さな身体一杯に抱えていた不安は、自分の今の言葉でどこかへ消えてしまったのだろう。

 自分を気遣ってくれたお礼をするように、一刀は優しく孫登の頭をなでる。

 

 ごめんな、心配かけて。

 

 あやすように語りかける一刀のその言葉に、孫登は一層眩しい笑顔を見せる。

 

 と、またもや息を切らす声が聞こえてきた。今度は結構荒い印象である。

 一刀が再び扉に目を向ければ、また一人の少女が立っていた。

「ご、ごめん……。孫登、ちゃん……、部屋に入れちゃって……」

 胸に手を当てながら、切れ切れに話す彼女は一刀の妹、佳乃。もう片方の手は扉に添え、微かによろける身体を支えていた。両脚を少し震わせながら苦しそうにする姿。

「よ、佳乃……。大丈夫か?」

「……だ、大丈夫……、じゃない、かも」

 ヨロヨロと自分の所に近寄ってくる佳乃。もはや誰かが指でつついただけで、その場に倒れ込みそうな有り様は、一刀でなくとも心配してしまう。

 すかさず燎一が少し離れた所にある丸椅子を、元は一刀に用意していた水差しの水を泉美がカップに注ぎ、各々佳乃に差し出していた。

「ご、ごめんね……。ケホッ……!」

 軽く咳込みながら再び謝罪する佳乃。まだ水は受け取らずに椅子に座りこみ、部屋の壁を背もたれにして肩で息をする。泉美は手渡す予定だった水を、とりあえず手桶のある棚の上に置いた。

 佳乃の隣には、寝台で上体を起こしている一刀がいる。ちょうど兄妹で並んで、同じ体勢になっていた。

 一刀がもう一度大丈夫かと尋ねる前に、佳乃が肩を落とす方が早かった。

「ハア……。やっぱり、少し運動した方が良いよね……」

「うーん。運動とか体力どうこうの話じゃないと思うぞ?」

 慰めの言葉をかけながら苦笑する一刀。佳乃は変わらず、頭を前に傾げて息を整えている。

「佳乃も、孫登の相手をしていたのか?」

「うん。でも上手にできなかった……。子供って凄い元気なんだね。孫登ちゃんに追いつけなかった……」

 少し落ち着いた佳乃は、またもや肩を落とす。その表情も少し泣きそうだ。

「まあ、いきなり上手く出来る訳じゃないさ。誰だって子供の世話は難しいんだぞ?」

 敷布を挟んで自分の胡座の上に乗る孫登の頭を撫でながら、一刀は佳乃に笑いかける。

 そんな彼を黙って見ていた燎一と泉美は、思わず吹き出していた。二人の反応に疑問を感じた一刀は、視線をそちらに移した。

「どうしたの? 二人とも」

「……一刀の口からそんな言葉が出るとは思わなくてな。いや、なんかおかしくなってな」

「本当……。今更だけど、私たちに孫が出来たなんて、まだこれといった実感が無いのよね……。普段通りなカズ君を見ていると……」

 そう言って自分に微笑む二人の姿に、自分の隣の佳乃も賛同する。

「私も同じ、かな。自分にお姉ちゃんが出来たとか、姪っ子が出来たとか言われても、まだ理解出来ていない感じがする……」

 

 皆の言うその言葉は、自分だって同じだ。

 目の前に、自分の家族がいる事が信じられない。

 しかし、何故かそれが普段通りに思えてしまっている。自分の光景に、いとも簡単に溶け込みすぎて。まるで最初から、自分と一緒にこの世界にいたかのように。

 理由を考えればいろいろ出てくる。この世界にいる自分の大切な人たちが、自分と変わらなく厚意に接してくれただとか、あまりに突飛な事は、拒絶するよりも許容してしまう場合が多いとか。

 でも、それは正解に近いような気がしていた。何かが足りない、一歩手前まで来ているような感じがしていた。

 

 首を傾げて、頭の中で答えを探ろうとしていた一刀。そんな彼の耳に、またもや駆けてくる足音と荒い息が聞こえてくる。

 同じように、次第に自分の部屋へと近付いてくる。

「……孫登っ!」

 叫び声が上がる。

 一刀の視線の先は、やはり部屋の扉。

 そこには自分の恋人が、孫登の母親の蓮華がいた。

 佳乃と似て、肩で息をして険しい顔をしているが、少し様子が違うのを一刀は感じた。

 そのまま部屋の中へとツカツカ歩いて、寝台の一刀……ではなく、娘の孫登に近寄ってくる。

「勝手に入っちゃダメじゃないの!」

 母親の大声に身体がビクつく孫登。その無垢な瞳は不安そうに、腰に手を当てて見つめ返してくる蓮華を見つめている。

「貴女のお父様は今、床に就いているのよ。おまけに叔母である、佳乃お姉様にまで迷惑をかけて……!」

 吊り上がった眉で叱りつける蓮華。孫登の両手は、一刀のシャツの胸元を強く握りしめている。

「蓮華、そんなに怒らなくても大丈夫だよ。俺はかなり元気になったんだし」

「でも……!」

「そ、そうですよ。確かに私はちょっと疲れちゃいましたけど、それでも結構楽しかったですし……」

「そ、そうだとしても……」

 二人からの言葉を聞いても、いまいち納得出来ていないのか、二人を見比べながら困った様子の蓮華。

 そこに、傍で見ていた燎一が口を開いた。

「蓮華さん。孫登ちゃんは一刀が風邪を引いたと聞いて。そして、貴女が呉の屋敷から離れていって、すごく不安だったんですよ。ですから、親に会いたかったという気持ちが強くなってしまったんです。それを分かってあげてください」

 叱りつけるのではない、穏やかな口調。それは蓮華の苛立った感情を、ゆっくりと鎮めていく。

 

「そう、ですね……。登を放っておいてしまったのは、母親としていけない事ですよね……」

 

 自分だけじゃない。孫登だって、辛かったのだ。

 何より。一刀の家族だって、同じなのだ……。

 

 蓮華は孫登に向き直る。

 腰を屈め目線を合わせたその姿。

 威圧するような振る舞いではない。瞳は優しく、自分の娘を見つめている。

「登……。ごめんなさいね、怒鳴りつけたりして。貴女も、寂しかったのよね……」

 伸ばした手は、ゆっくりと孫登の頭を撫でている。

 怯えさせるような目つきではなく、母親の優しい眼差しで。

 安心した孫登は、無邪気な微笑みを蓮華に見せた。

「でも、登。お父様はまだお休みしなくちゃいけないの。遊んでもらうのは、また次にしてもらいなさいね?」

「……はい、かーさま」

「それと。佳乃お姉様と、おとなしく待っておいてと言ったはずよ。言い付けを破ったのは、いけないわよ……」

「……ごめんなさい」

「かーさまじゃないわよ。謝るのは……」

 蓮華の視線の先には、傍らで椅子に座る佳乃。孫登もその後を追い、はっと気付いて頭を下げた。

「佳乃おねーさま、ごめんなさい……」

「……私は、大丈夫だよ。それよりもお父さんが元気になったら、皆で一緒に遊ぼうね」

 優しく笑いかける佳乃に、今度は孫登が元気に頷き返す。

 柔らかい空気が部屋を包み込む中、一刀が思い出したように口を開いた。

「そういえば、蓮華。ご飯は出来たのか?」

「あっ、ええ。その事なんだけど……。結局、佳乃やお母様の手を借りてしまって……」

「そうか。でも、蓮華がちゃんと作ってくれたんだろ?」

「ええ。だけど、私が代わりに作ることが出来なくなっちゃって……」

 約束を守れなかったことを悔やんでいる蓮華。下唇を軽く噛んで俯いてしまった。

「……蓮華が俺のために作ってくれた。その事に変わりは無いさ。ありがとうな、蓮華」

「一刀……」

 少し前の力無いものではない、心からの感謝を込めた優しい笑顔。蓮華の胸の中に、じんわりと温もりが広がっていく。

 その時。傍に立っていた泉美が、はたと手を打った。

「あっ、蓮華ちゃん! 厨の火は大丈夫!?」

「ああっ! そ、そういえば、着けっぱなしで……!」

 

 

「安心なされい。ワシが消してきた……」

 

 

 慌てだした二人が老人の声を聞く。同時に扉を見れば、胴着に袴といった出で立ちの人物が一人。

「……爺ちゃんも来てたんだ?」

 一刀が言葉に出した通り、それは彼の祖父の耕作であった。

「バカ孫が一丁前に風邪を引いたと聞いてな。だが、ワシの聞き違いだったか……」

 口元でニヤリと笑いながら部屋に入る耕作。何故か嫌味に聞こえないのは彼の人柄ゆえか。

 すぐさま耕作の下へ駆け寄る蓮華。

 その素早い動きに怯んで立ち止まる耕作。その前で蓮華は深々と頭を下げた。

「申し訳ございません! 私の不注意で、お祖父様のお手間を……!」

「……お気になさらずに。大事にはならなかったのですから」

「で、ですが……」

 なおも謝り続けようとする蓮華に、耕作は小声で話す。

「料理を作ろうと意気込んだのも、娘を部屋に入れようとしなかったのも、全ては相手を思いやってのこと。それを責めるなど、誰がしましょうか」

「お祖父様……」

「……貴女が一生懸命やろうとする事に、文句や口出しは致しませんよ。ワシは野暮は嫌いでしてな……」

「……ありがとう、ございます」

 同じく小声で礼を告げる蓮華。その横を耕作は軽く手を挙げ、薄く笑いながら通り過ぎる。

「泉美よ。あの粥はもう出来上がっておるのか?」

「……どうかしら。どれだけ出来上がってるか、一度見てみないと……」

「そうか……。では、孫仲謀殿と確認に行ってくれ。味の落ちない内に、一刀に食わせてやらんと」

「あっ、待ってください。それ、佳乃ちゃんにお願いしたいんです……」

「えっ、私?」

 いきなり名指しで呼ばれた佳乃は、目を丸くしている。

「仕上げの確認だったら、佳乃ちゃんにも出来ますから。……お願いできる?」

 自分を見るその表情。

 単に料理の確認を頼むだけではない。

 その微かに細めた目の奥には、もっと別の何かがある……。

 佳乃は無意識に、それを読み取った。

「……うん、分かった。じゃあ、蓮華お姉ちゃん。一緒に行こう?」

「え、ええ、そうね……。お願いしようかしら……」

 いささか妙な空気に戸惑う蓮華。彼女に付き添って、すっかり息の整った佳乃が部屋を出ようと立ち上がる。

 二人ともどこか心残りがあるようで、ゆっくりではあるが部屋を後にした。

「ふむ……。では、孫登よ。ワシと一緒に行こうか。お前の父は、まだ全快ではないようだからな……」

「はい、ひいおじーさま」

 同じく耕作も何かを感じたのだろう。一刀の足の上に座る孫登を抱きかかえながら、部屋を出ようとした。

「……ごめんなさいね、お父さん」

「とことん話すことだ。親子三人でな……」

 意味深長な笑みを泉美に向けながら、耕作は部屋を出て行く。

 抱きかかえている孫登が、部屋を出る間際に小さな手を振っていた。残る三人は後ろ髪を引かれながらも、各々手を挙げてそれに応じていた。

 

 

 

「……何か、あったか?」

 扉が閉まり、いくらか静かになった室内。

 燎一の声が響く。

 穏やかではあるものの、微かな不安が内に見える。

 それを感じ取ったのか、別の後ろめたさがあるのか。一刀は敷布に目を落とす。

「無理して話さなくてもいいわよ。知られたくない事もあるでしょうし……」

 続く泉美の声も、やはり印象は同じだ。

 一刀には分かる。言葉ではそう言うものの、本当は全て話してほしいと思っている事を。

 相手をかばうようなその優しさが、今は痛い。

 もしかすると、今まで自分もそんな言動を誰かにしてきたのだろうか。

 今の自分が抱えている想いを。

 少しだけ怒りにも似た、やり場のない息苦しさを。

 

 

「……夢を、見たんだ」

 

 

 片意地を張ってか、隠し事をしたくないからか。

 

 一刀の、消え入りそうな声が。

 

 溜め息混じりで、発せられた。

 

 

 

 

 

-続く-


 
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