私達の間には鏡がある。
一枚の、ひとつながりの、透明で薄い膜のような、それでも決して壊れる事のない鏡があった。
私はレオノールの髪を梳くのが好きだった。
レオノールは私の髪を梳くのが好きだった。
私達はそうして向かい合わせで、互いの髪を梳くのだ。鏡うつしの自分の髪を梳くのだ。
私達はひとつだった。
昨日までは、間違いなくひとつだったのだ。
私達は先日の午後、森に散策に出かけた。私達は木の匂いが、苔の匂いが好きだった。私達はそれぞれ母さまの手にぶら下がるようにして歩いていた。すると、あるとき鳥が一声大きく啼いた。
レオノールはそれに驚いたのか、気を引かれたのか――声のした方向を見ようとしてよろめき、転んでしまった。私と母さまは急いでレオノールを起こそうとしたのだけれど、レオノールは左目のあたりから血を流して、震えながらうずくまっていた。
それから長い事、私はレオノールに会う事が出来なかった。父さまも母さまも、私がレオノールに会う事を許してくれなかったからだ。私は、生まれてからただの一日だってレオノールと離れ離れになったことはなかったのに。私は体を引き裂かれたように感じた。
数日、或いは数週間が経って――私はようやくレオノールに会う事が出来た。ベッドの上に横たえられたレオノールは、私が最後に見たときのままの様子で、青い顔をして震えていた。
泣き腫らした目をした母さまが、私に教えてくれた。
レオノールは左目を失ったのだ、と。
それが、昨日の話。
そして今日。ようやく、私はまたレオノールと一緒のベッドで寝る事を許された。
レオノールは、昨日も今日もベッドから出ようとはしなかった。それでも私が部屋に入ってくるのを認めると、レオノールはほんの少しだけ微笑んだ。
ベッドの中。星々の明かりだけを頼りに、私はレオノールの顔を見ていた。レオノールの顔の半分を覆っていた包帯は、今は私の手の中にある。
母さまが私に嘘をつくはずなどないのだけれど、それでも――わたしは信じたくなかった。信じたくなかったけれど、それは本当の事だった。
私は食堂から持ってきたスプーンを取り出す。
私とレオノールがデザートを食べる時に使う、おそろいのスプーン。
私はそれを、右の眼に当てた。
……だけれど。
右の眼を刳り抜こうとする私の手を、レオノールは泣きさえして止めた。
悲しいと。何故だかそれは酷く悲しいことなのだと、レオノールは私に訴えた。
私達を分かつのは鏡なのか。そもそも『私達』? 私達は『わたしたち』ではなく『わたし』であったはずなのに。
私達は同一のものであったはずなのに。
私達は鏡を割った。
「男の子ならレオン、女の子ならノエルと名付けようと、そう決めていたのよ」
母さまはよく、そんなことを言っていた。
私はノエル。あなたはレオノール。
それならば私達が鏡映しなのは、恐らくは、私達には計り知れない――いわば運命のようなものだったのだろう。
私はそっと、レオノールに口づける。
レオノールはそっと、私に口づける。
私達はひとつではなくなってしまったけれど――
私はかわりにあなたを、あなたは私を手に入れる事が出来たのだから、これはきっと仕合わせな巡り合わせなのでしょう。
閨に差し込む月の光も柔らかく。
今日は、わたしとあなたの誕生日。
Tweet |
|
|
4
|
1
|
追加するフォルダを選択
この世界を、未だ数匹の亀と象が支えていた時代。
霧は濃く、森は暗く、神秘と信仰と迷信は絶えず、ただ空だけはどこまでも高かった頃。
忘れられた、彼らの物語。
短編連作「死者物語」。