No.644995

すみません、こいつの兄です。79

妄想劇場79話目。いよいよ高校卒業が近づいてまいりましたよ。ギャグ少な目。少女マンガ回。

最初から読まれる場合は、こちらから↓
(第一話) http://www.tinami.com/view/402411
メインは、創作漫画を描いています。コミティアで頒布してます。大体、毎回50ページ前後。コミティアにも遊びに来て、漫画のほうも読んでいただけると嬉しいです。(ステマ)

2013-12-13 23:37:28 投稿 / 全5ページ    総閲覧数:981   閲覧ユーザー数:884

 電車で三十分ほどの距離にある、地元の私学を最後に受験が終わった。

 結果はどこも出ていないから、また一年受験勉強のエクストラステージが残っている可能性はあるけれど、とりあえず終わった。

 開放感と言っていいのだろうか。

 最後の試験を終えて部屋に帰ってくると、いつもと違う感覚を感じていた。

 昨日までは、部屋に帰ってきたら勉強をしていた。自室から受験勉強をする以外のアイテムをすべて追い出していたのだ。その部屋に、とりあえずは勉強をしなくていい俺が戻ってくれば、やることがなくなる。当たり前の話だ。

 橋本も上野も、まだ試験が残っている。遊びに誘うわけにも行かない。

 冬の短い日は、もう暮れかけている。この寒いのに外に出る気にもならない。

 

 とりあえず、妹からパソコンを取り返そう。

 

「ってか、なんでお前、俺のパソコンにがんがんインストールしてんだよ。自分のノートパソコン使えばいいだろ」

妹の部屋に行って、パソコンを取り返そうとしたら妹の抵抗にあった。なぜなら、妹がやりかけのゲームをことごとく俺のパソコンでやっていたからだ。もちろんエロゲーである。

「私のノートは、SSDの容量がいっぱいでインストールできないっす」

SSDだったのか……うちの両親は、このバカ妹に甘いからな。俺には、意外と辛口のくせに差別だ。

「二五六ギガしかないっす」

マジか?ふざけんな。そのノーパソいくらしたんだよ。これは、さすがに両親にちょっと抗議したくなる待遇の差である。

「学年四位をとったご褒美だったっすけどね」

そうか……。じゃあ仕方ないな。

「とにかくさ。そのパソコン俺のだし、俺も使うから持っていくし、お前の抵抗にあう根拠がねーし」

そう言いながら俺は妹のやりかけのエロゲを終了し、OSをシャットダウンする。強制収用である。

 こうなると、妹も素直なものである。自分からケーブルやパーツの取り外しを手伝ってくれる。潔い。よし。まず液晶モニタを運ぶ。後ろから、キーボードとマウスとケーブルを持った妹がついてくる。次に本体である。本体を持って、部屋に戻ると妹がモニタの電源とケーブルを接続し終わっていた。ほめてやりたい。

 本体に、キーボード、マウス、モニタ、電源ケーブル、最後にネットワークの線をつないで完了。

 電源が入り、パソコンが起動する。妹が、椅子に座りエロゲを起動する。

《お兄ちゃんは、無慈悲な夜の帝王、はっじまるよーっ!》

「まてこら」

「なんすか?」

「なんで、俺の部屋でエロゲ起動してんだよ」

「パソコンを移動させることには同意したっすが、エロゲをやらないとは言ってないっす」

「自分のパソコンで……」

「SSDパンパンっす」

話がループしたな……。

 しかたなく、ベッドに腰掛けて妹がエロゲをプレイするのを後ろから見ることになる。

 エロゲは、淡々とストーリーを進めていく。今回も義妹モノだ。

「お前、義妹モノ好きな」

「……ゲームは、都合いいっすよね」

妹のくせに、兄が同意できることを言った。

「そうだな。エロゲくらいは、男に都合いい世界であって欲しい。この世の中、可愛いが正義だから、現実は可愛い女の子に都合よく出来ているよな」

美沙ちゃんくらい可愛いと、本当は世の中すべてがイージーモードであるべきだ。可愛いは正義で、世の中は正義の味方にあふれている。可愛い女の子の周りは、味方ばかりだ。美沙ちゃんも、俺のことなんて好きにならなければ、ラブにあふれた高校生活を送っているはずだ。

 ちくりと胃が痛む。

「私、この間、にーくんの受験についていったとき、エロゲ状態にしたっすよ」

「まさか、お前、わざとダブルの部屋にしてたのか。あれ。ツインの間違いじゃなくて……」

答えを待つまでもなく、冷静に考えれば妹の確信犯だとわかる。こいつが『うろおぼえ』でツインとダブルを『記憶違い』しているわけがないのだから。

「エロゲ展開にならなかったっすね」

居心地の悪さが、悪魔超人レベルである。妹の声音に真剣さの色があったからだ。

「現実とゲームの区別はちゃんとつけような」

その微妙な空気に、暴力を控える。いや。俺も、もうすこし妹に対する暴力は控えたほうがいいな。

「現実でエロゲ展開にするには、どうしたらいいっすかね」

「SFが現実になるよりありえないから、わけのわからないことを言うな」

「SFはけっこう現実になっているっすよね。ショッピングモールに行ったら、スマホの化け物みたいな自販機が『あなたの飲みたいものは、これですね』って言ってきたっすよ」

「当たってたのか?」

「大はずれっす。ガツンとつめたいブラックのアイスコーヒーが飲みたかったのに、ホットレモンを薦めてきたっす。あれ作った人は、人間の多様性をナメてるっす」

……たぶん、それは自販機のせいじゃない。この妹みたいな見た目の女子高校生が冬の寒い時期に、自動販売機に近づいたらホットレモンを買うのだろう。おまえがおかしいだけだ。

「そうじゃない。SFって言ったから、話がおかしくなった。SFは現実になりすぎだ。やりなおす。ファンタジー小説が現実になるよりありえないから、わけのわからないことを言うな。これでいいか」

そう言うと、妹が黙ってエロゲ画面のほうを向く。

 だから。なんでお前、さっきからその微妙な居心地の悪さをかもしだすの?

「……そうっすよねー」

俺は《お兄ちゃんは無慈悲な夜の帝王》というゲームをプレイ中の妹に言っていいことなのかどうか悩む。うーむ。もし、東京の大学に受かっていたら、俺は一人暮らしをすることになって、こいつと毎日顔を合わせる日々も長くないのだ。言うことは言っておこう。

「お前さ。……えっと」

言いづらい。妹が、また無言でこっちを見る。くそ。こいつ黙っていると、けっこう整った顔をしているんだよな。学校じゃ俺以外相手には、美沙ちゃんと人気を二分しているらしいしな。妹がロリコン枠担当で、ノーマル枠は美沙ちゃんだろう。ってことは、うちの学校の生徒は半数がロリコンなのか。おまわりさんっ!

「……まさかとは思うが、そのエロゲ、義妹側に感情移入してプレイしてるわけ?」

とあるエロゲ好き妹キャラの出てくるラノベですら、その妹は主人公視点で妹を愛でていた。義妹側に感情移入して、リアル妹がエロゲをやっているほどのクレイジーレベルではなかったように記憶している。

「そうっすよ。悪いっすか」

「非常に悪い」

「どう悪いっすか?」

妹が真面目な顔で食い下がる。

 ふむ。

 いまさら、この妹に向かって普通じゃないとか、十八歳未満禁止だとかを説いてもしかたあるまい。こいつが規格外なのは今に始まったことじゃない。

 そうなると、どう悪いんだろう。

 たしかに、悪くない気がする。

「そうだな……悪く、ないな。お前の自由な気がする。エロゲは架空の妄想世界だしな。女子高生がやるには変わった趣味だとは思うけど好きにやればいいと思うよ。俺がまちがっていた」

「そうすね。妄想世界っすね」

妹が、エロゲをセーブしてシャットダウンする。こいつの精神を持ってしても、背後から肉親に観察されつつエロゲ世界に没頭はできないようだ。

 プレイ途中のエロゲがあるのに、エロゲのインストールされたパソコンを取り上げたのは可哀想だったか……と思うが、俺のパソコンをエロゲでパンパンにしたのはこいつだ。どうして、半年でこんなことになるのか。

「あ、真菜」

「な、なんすか?」

エロゲをやめて、部屋を出て行こうとする妹の背中に声をかける。

「たしか、ディスククリーンナップってのをしてウィンドウズ・アップデートのバックアップファイルとか消すと、SSDの容量が少し空くらしいぞ」

やりかけのエロゲくらい自分のパソコンにインストールできるようになるといいなとせめてものアドバイスをしてみる。

「やってみるっす。あ、ありがとっす」

そう言って、妹が部屋から出て行く。

 

 大学受験が終わった後の三学期。高校時代の消化試合だ。

 やる気のなさと、プレッシャーから解放された開放感。惰性で高校に通う。

 そんなある日、学校で下駄箱を開けると封筒が入っていた。

 

 小さな水色の封筒で、葉っぱの形をしたシールで封がされている。表には、丁寧で読みやすい少し丸みを帯びた字で「二宮直人さま」としたためてある。

 なにも後ろ暗いところもないのに、あわてて制服のポケットに隠す。

 状況の全てが、これは伝説の物体だと示している。八十年くらいある人生の中で、十分の一以下の期間しか受け取る機会がないと言われる、伝説の下駄箱ラブレターだ。まさか本当に存在しているとは思わなかった。てっきり、小説や古い少女マンガだけに登場する架空の物質だと思っていたぞ。

 伝説アイテムの効果も、伝説が伝えるとおりだった。その日、一日そわそわしてしまい、午前中の授業の内容は一つも頭に入らなかった。

 俺は操られるように、伝説どおりの行動をしてしまう。

 休み時間に、男子トイレの個室に入り、便座のフタを閉じた上に座って、そぉっと、破かないように封筒を開封する。中から、封筒と同じ水色の便箋が出てくる。震える手と、落ち着かない瞳で、丁寧な丸みのある文字を追う。

 三度読み返す。中身と同じ丁寧な字で書かれた『市瀬美沙』という署名にも間違いがないことを確認して、小さくため息をつく。水色の便箋に書かれた手紙は、こんな言葉で始まっていた。

 

(お兄さん。また、突然に変なことをしてしまってごめんなさい。だけど、今度のこれは、私がすることの中では、たぶん一番ちゃんとしていると思います。)

 

丁寧な文字から、美沙ちゃんの透き通った少し緊張した声が聞こえてくる気がする。

 

(突然、屋上に呼び出したりしてごめんなさい)

 

文化祭でのことだ。俺は、美沙ちゃんに呼び出されて告白された。謝ることじゃない。

 

(何度もメールしてごめんなさい)

 

そうだった。十分に一度、五分に一度、二分三十秒に一度…という風に携帯電話メールのスループットタイムを漸近線とする単純な二次曲線で近似できる頻度でメールをもらった。いまの俺は受験生で理系だ。

 

(長電話で拘束してごめんなさい)

 

大丈夫だ。どんなに話しても定額プランだ。スカイプも通話無料だ。テクノロジー万歳。

 

(縛り上げて、レイプしそうになって、ごめんなさい)

 

きた。イマココ。

 それは、反省して欲しい。俺はスーパーラッキースケベだが、美沙ちゃんにはもっと自分を大事にしてほしい。あと、きっといろいろ困った事態になる。

 手紙は続く。

 

(なにをしてもうまくいかなくて、一人で焦っちゃっていました。今も、焦っています。真菜から、お兄さんはもしかしたら遠くの大学に行くかもしれないって聞きました。このまま、お兄さんと同じ学校に通っていなくなるのが怖いです。お兄さんとのつながりが、ひとつなくなってしまうのが怖いです)

 

 そうか?電車で二時間半くらいの距離の大学に行ったくらいで縁が切れるか?

 …と、思ったが、その状態を想像して、自分の中にも不安が頭をもたげる。今、美沙ちゃんとは、学校で顔をあわせる。偶然に顔を会わせなくても、会いたければ美沙ちゃんの教室に行けばいい。美沙ちゃんのほうから、教室に来ることもある。別に同じ校舎に通わなくなっても、電話だって、メールだってある…。

 だけど、本当にそうだろうか。

 電話も、メールも、情報を伝えるツールだ。用事無いけど、声が聞きたくなっちゃったーなんていうのは、恋人同士でやることな気がする。じゃあ、俺と美沙ちゃんは、なにを電話するんだ。なにをメールするんだ。

 大学に行けば、大学での当たり前の毎日があるだろう。美沙ちゃんも、高校での当たり前の毎日を続けるだろう。俺は美沙ちゃんとは関係のないことばかりが起こる毎日を続ける。美沙ちゃんも、俺と関係のない事柄ばかりの毎日を続ける。関係のないことを、関係のない人にメールで伝えるだろうか。電話で伝えるだろうか。

 伝えないだろう。

 そうして、一日が経ち、二日が経ち、一週間が経ち、いつか何年も経ってしまわないと誰が言えるだろう。

 偶然に顔を合わせる距離にいる。偶然に顔を合わせるリズムで暮らす。そんなことが、俺と美沙ちゃんには大切なことなんじゃないか?

 美沙ちゃんの手紙が続ける……。

 

(だから、ひとつお願いを聞いてください)

 

きた。美沙ちゃんのお願いだ。俺は気を引き締める。さぁ、こい。

 

(私と、交換日記をしてください。メールじゃなくて、ノートを交換してください。毎日じゃなくてもいいです。でも、一週間以上は空けないでください。今まで、いろいろ無茶なことをしてごめんなさい。全部、忘れて、最初から始めていいですか?)

 

交換日記?母親の持っていた古い少女マンガで登場したことはあったけど、リアル交換日記なんて見たこともないぞ。また、美沙ちゃんが変なことを言い出した

 ポケットから携帯電話を取り出して、開く。そこで思いとどまる。また畳んで、元のポケットに携帯電話を戻す。手書きの手紙にメールで返事をするのは、なにか違うと思った。

 

 トイレから出て、教室に戻る。

 

 放課後、美沙ちゃんの教室へと行く。後ろの入り口から中を覗くと、窓側の席で教科書をカバンにつめている美沙ちゃんと目が合う。美沙ちゃんの整った顔が、さっと表情を硬くする。俺の表情もきっと同じように硬くなっているだろう。

 美沙ちゃんが少し伸びたボブカットの髪を揺らして、駆け寄ってくる。

「お、お兄さん……」

「あ、い、急がなくていいよ。カバン、持ってきたら?い、一緒に帰ろう」

「は、はい……」

「一緒に帰るっすーっ!」

うちの妹の空気の読めなさは、すごい。

「あ、ま、真菜…。きょ、今日は私、お兄さんと一緒に帰りたいんだけど」

「だから、一緒に帰るっすーっ!」

うちの妹の空気の読めなさは、すごい。全日本空気読まない選手権があったらチャンピオンになれる。

 かくして、居心地の悪そうな美沙ちゃんと妹が並んで歩く後ろを俺がついていく。

「真菜。美沙ちゃん、俺、ちょっと買い物。つきあってくれる?」

学校の最寄り駅の駅前。そこの本屋兼文房具屋に入る。ちょっと物色して、学校で使うものよりも一回り小さくて、リングで留めてあるタイプのノートを一冊買う。

 店を出るときに、振り返った美沙ちゃんと視線が絡み合う。

 照れたように、美沙ちゃんの少し垂れ気味の瞳が細められる。

 

 家に帰り、久しぶりにゲームをやる。一瞬だけエロゲ……と思ったが、なんとなくエロゲを避けて、レトロゲームをやる。なんとなくだが、3Dよりも2Dのゲームがやりたかった。そんなことをしているうちに、いい時間になる。受験勉強のときは、試験時間に合わせた一時間が長く感じたのに、ゲームをしていると一瞬だ。

 寝る時間までは、まだ少し時間がある。だけど今日は、寝る前にやることがある。

 パソコンをシャットダウンして、帰りに買った真新しいリングノートの一ページ目を開く。

 なにを書こう?

 美沙ちゃんとの交換日記の一ページ目。シャープペンを持った手がそこでフリーズしている。『朝起きて、学校に行きました』小学生の作文か?消しゴムで消す。『美沙ちゃんから、手紙を貰いました』美沙ちゃんは、とっくに知っていることだった。消しゴム。『ノートを買いました』消しゴム。『夕飯は麻婆豆腐でした』消しゴム。

 ……三十分後。

 日記を書くのが、こんなに大変なことだとは知らなかった。三十分かけても、何一つ書けていない。日記は簡単なはずだ。一日、あったことを思い出して、それを書くだけだ。でも、ノートに向かってみると気づく。俺は、本当につまらない毎日を過ごしているのだ。

 朝起きました。ご飯食べました。学校に行きました。美沙ちゃんから手紙を貰いました。授業を受けました。昼休みが終わるときに、校庭から妹のバカ声が聞こえてきました。下を見ると、二年生が体育の授業で体操服姿の美沙ちゃんが見えて、眼福でした。妹と美沙ちゃんと帰りました。このノートを買いました。

 以上、二宮直人の一日終了だ。

 …つまらなくないな。美沙ちゃんの体操服姿が見れていて、十分今夜のおかずになるレベルだったな。でも、美沙ちゃんとの交換日記の一ページ目にそれを書くのは、残念レベルが高すぎる。

 困った。

 本当に困った。

 困り果てた俺は、こんなことを書いた。

 

『なにを書こうか、一時間なやんだけど思いつかなかった』

 

 翌日、朝、美沙ちゃんが真奈美さんと一緒にうちに迎えに来た。ずいぶんと久しぶりな構図な気がする。真奈美さんは、あいかわらずジャージ姿。美沙ちゃんは、冬服だ。スカートから伸びる脚を包む黒タイツが少し背伸びした感で可愛い。

「ふぃはっひひょっほはふふぇふーっ!」

朝からエロゲで聞いたみたいなしゃべり方でダイニングから叫び返すのは、言うまでもなくバカ妹だ。トーストをくわえながら通学路を走るのは少女マンガであり、うちの妹はトーストをくわえながらトイレに行く。さすがの俺でもあの真似はできない。超人である。

「美沙ちゃん、あのバカの汚さは見なかったことにして欲しい」

妹の代わりに、妹が友達を失わないように言い訳する。

「大丈夫です。お姉ちゃんは、引きこもっているときペットボトルにしてましたから」

「え?……お、女の子でもできるの?」

「……と、トイレ行くの、こ、こわいときだけ…お、お客さんとか来てると…こわいから……」

なるほど。自宅と言っても、百パーセント家族だけではない。他人が尋ねてきているときは、真奈美さんにとっては家の中でも、自室以外は『外』になってしまうのだ。

「今はトイレ行けるし」

「あたりまえでしょ!お姉ちゃん!」

美沙ちゃんの真奈美さんへの当たりがハードモードだ。あまりハードになると、トイレが必要な意味合いで危険な現象が起こりかねないのが真奈美さんである。あまり刺激しないで欲しい。

 俺は、美沙ちゃんの会話の矛先を逸らすことにする。

「そうだ。美沙ちゃん。これ…今のうちに渡しておいちゃうよ」

カバンから、リングノートを出して美沙ちゃんに渡す。

「あ…。は、はい」

美沙ちゃんの頬にさっと朱がさす。うわぁ……。超、かわいい。

 受け取った美沙ちゃんは、カバンからクリアファイルを出して、その間にノートを一度挟んでから、またカバンにしまう。

「……交換日記?」

真奈美さんが異常にするどい。二十一世紀の日本において、ノートの受け渡しから交換日記を連想するとは、さては真奈美さんも人の革新を起こしている。ニュータイプだ。最近、俺の周りがニュータイプばかりだ。

「どうでもいいでしょっ!」

「ひゃっ。ご、ごめんなさい!」

うああ……。当たりの矛先を変えるつもりが、さらに美沙ちゃんの真奈美さんへの当たりがハードになった。弾幕シューティングで、やっつけたと思ったボスが死ぬ間際に全部弾になって飛んできたみたいな状況だ。シューティングゲームをやらないと分からないと思うけど…。

 ちなみに、うちの妹はシューティングゲームも大好きでよくやっている。

「おまたせっすー。いくっすーっ」

妹がトイレから出てくる。口にくわえていたトーストが消えているあたりが、うちの妹の鋼鉄の精神力を表している。鋼鉄の鈍感力といってもいい。

 いくら朝の一分一秒が惜しいからと言って、トイレと朝食を並列処理できるのはうちの妹だけだ。超並列処理である。

 

 俺の少し前を妹と美沙ちゃんが楽しそうにしゃべりながら歩く。妹は、無意味に進路を左右ずらしながら社会の迷惑だ。美沙ちゃんは、背筋をすらりと伸ばして、平均台の上を歩くかのごとく軸のしっかりしたいい姿勢で歩く。美沙ちゃんの可愛さは、見た目の美少女っぷりだけじゃなくて、こうやって歩く姿勢ひとつとっても芯が通っていて、それでいて硬さのない柔らかな女性らしさもある。

 背後から、見とれそうである。

 その少し後ろをジャージ姿の真奈美さんが、相変わらずカバンを両手で抱きしめて、背中を丸めて歩く。その姿は、出会った頃と変わらないようだけど、足取りはしっかりしている。最初は、左右にブレて襟首を掴んで方向修正をしてやらなければいけなかったのだから、たいした進歩である。

 狭い歩道を向かい側から、ベビーカーを押したお母さんがやってくる。妹と美沙ちゃんが脇に避ける。お母さんはすれ違いざまに、軽く会釈をする。妹は意に関せず、美沙ちゃんに会話を続けている。美沙ちゃんは、お母さんの会釈に少し首を傾けて返礼する。うちの妹にも、その美しい日本の礼儀の文化を教えてやって欲しい。

 真奈美さんが、脇に避ける。というか、道路標識の支柱の陰に隠れようとする。真奈美さんがいくら痩せていてもそれはムリだ。

 お母さんが、真奈美さんにも軽く会釈をして通り過ぎる。

 ベビーカーの赤ちゃんが、真奈美さんを見上げる。透き通った子供の瞳で真奈美さんをじーっと見上げて通り過ぎる。

 学校に到着する。

 真奈美さんは、上履きをカバンの中から出す。履いているスニーカーと入れ替えて、スニーカーをカバンにしまう。

「どうしたの?」

その真奈美さんの様子をじっと見ていた俺に、真奈美さんが前髪の隙間から不思議そうな表情でのぞく。

「ん……。なんでもないよ」

「ん」

そう答えて、短い返事が返ってくる。上から二番目の真奈美さんの下駄箱は、けっきょく使われずじまいになりそうだ。そう思っていたが、わざわざ言わなくてもいい。俺は、三年間、毎日下駄箱に靴を入れて、上履きに履き替えた。真奈美さんは、カバンから上履きを出して履き替える。真奈美さんは、下駄箱を使わないが、俺はカバンにスニーカーをしまったことはない。それだけのことだ。制服を着て通っても、ジャージで通っても、高校生活だ。保健室登校でも高校生活だ。俺は、保健室登校をしたことがない。真奈美さんはある。真奈美さんの方が、バリエーション豊かな高校生活をしている。俺は、ひきこもったこともなければ、そこから復活したことも無い。保健室登校も無い。

 単純でありふれた高校時代だったなと、卒業前からノスタルジーにひたる。

「真奈美さん」

真奈美さんの教室の前で、教室に入ろうとする真奈美さんを止める。

「……ん?」

「ありがとう。なんだか、真奈美さんのおかげで少しだけ人と違う高校時代になった気がするよ」

まだ卒業までは、少し時間があるし、なんでこのタイミングでこんなことを言っているんだろうかと思うが、口をついて出てしまったのだから仕方ない。

「……みんな。ひとりずつちがうよ」

「そうだね」

そう言葉を交わして、真奈美さんが教室に入っていく。

 就職クラスの教室は、受験シーズンが終わりに近づいても雰囲気が変わらないな。当たり前だけど……。受験生たちとは違って、少しずつ髪の毛が伸びるように真奈美さんの教室は卒業へと向かっていく。

 

 大学受験の結果が郵送で届いた。面倒くさがりの俺は、別に結果発表を見に行ったりしなかった。郵送で届くのだし、見に行って受からないものが受かるわけでもない。だから、郵送で合否通知が届くのを待っていた。

 

 そして、落ちた。桜散るというやつである。

 

 俺の感傷を返してくれ。首都圏東サイドにある、微妙に高望みだった国立大学にはあっさりと落ちた。だが、地元の私立大学には受かっていた。

 正直言うと、ほっとした。偶然で実力以上の大学に入ってついていけないよりも、身の丈にあった大学のほうが気楽でいい。一人暮らしも、少し楽しそうではあるが、美沙ちゃんといつでも逢える距離には及ばない。

 美沙ちゃん。

 見事にはめられたのだろうか。

 今では、美沙ちゃんの名前を思い浮かべるだけで、胸の奥がほわっと暖かくなって、浮き上がるような気分になる。

 美沙ちゃんが、確信犯で交換日記を始めたのだとしたら、孔明なみの知将だ。

 交換日記の情報量は少ない。一週間に一度か二度。本当に短い言葉を手書きで、美沙ちゃんに向けて書く。それだけのことだ。メールの三日分にも及ばない。美沙ちゃんと話した十分間にも及ばない数語の言葉。

 だけど、その数語の言葉を考える。これは美沙ちゃんも知っているな。これは美沙ちゃんに言っちゃいけないな。これを書いたら、美沙ちゃんはどう思うかな。頭の中で、書くことと、それを読んだ美沙ちゃんのことを想像する。美沙ちゃんを考える。美沙ちゃんの心のうちに想いをめぐらす。

 そうしているうちに、自分の中で美沙ちゃんが怒り始める、悲しみ始める、泣き始める、笑い始める。

 自分の中で、美沙ちゃんがループし、再起循環しながら大きくなっていく。美沙ちゃんを考えていた時間が、俺の中で美沙ちゃんの存在を大きくしていく。

 

 朝の空気に、白い息を吐きながらノートを美沙ちゃんに渡す。美沙ちゃんが受け取る。すこし垂れ目の鳶色の瞳と目が合って、少し恥ずかしそうに目をそらす。少し開いた唇を、橙色のマフラーに隠して、ノートをカバンにしまう。白いコートに包まれたその細い身体を見下ろして、抱きしめたい衝動に駆られる。ふと、なにかに気づいたように美沙ちゃんが目を見開いて、また俺を見る。目だけで笑う。そして指先に、ちょんっと美沙ちゃんの指先を感じる。軽くつまむように俺の指を握って、また離れて行く。妹と真奈美さんも近くを歩いている。その隙を縫うように交わされる、視線と指先のやりとり。

 

 数秒が今朝を桜色に染めて行く。

 

 だめだ。

 

 大学だけじゃない。こっちも落ちた。

 俺は、もう、美沙ちゃんに夢中だ。

 

(つづく)


 
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