魔戒法師の里、閑岱から去って数日経過したある夜。元老院から再び新たな指令が舞い込んだ。
「トレイグ・・・・・列車に憑依するのか。面倒だな。」
「あの図体がデカいだけの大食いか。見つける事自体は容易い事だ。それより、何時までこの体勢を保つつもりだ?指令が来たからには出向かねばならんぞ?」
現在、凪は鍛錬の最中でゲルバと言葉を交わしていた。そして今、凪は地面に突き刺した二本の剣を支点として逆立ちし、そのまま腕や足の曲げ伸ばしを繰り返していた。鍛え上げられた体には、無駄な脂肪は一切無い。肩や腕の筋肉は長年重い剣を二本も振るっている故に凪の肩幅を広めていた。腹筋はまるで深く彫ったかの様にハッキリとわれているのが見える。下腿筋も、着衣の上からでも筋肉が浮き出ているのが分かる。攻撃を通さない為の堅固な構えの維持、そして生身でもホラーを軽く吹き飛ばせる程の脚力を発揮出来るのも頷ける。凪の体は正しく理想的な『戦士の肉体』と呼ぶべき状態にあり、それが保たれていた。
「ソウルメタルの魔戒剣を一本扱うだけでも充分大変だ。二本扱える様になるには、倍の訓練を積まなければならない。父さんと道寺先生も言っていた。日没までまだ時間はある。」
ようやく両足で立ち上がると、右手に持った剣は順手、左手の剣は逆手に持ち、激しく振るった。強大な見えない敵と対峙しているかの様に凪の表情は厳しくなり、時には持ち方を変え、時には柄同士を連結させた長柄の武器にして振り回した。
「ララ、的、出してくれ。」
「ん。」
ララは細い魔導筆を構え、筆先を空中に走らせた。地面に転がっていた大小様々な石が浮かび上がり、凪の周りを飛び回る。拳を打ち合わせると、指輪が輝いた。二の腕からしたが帯電し始める。指先を鉤爪の様に僅かに曲げると、小さく、素早く、力強く息を吐き出しながらそれを四方八方に突き出した。その度に雷がその手から迸って飛んで来る石ころをバラバラに破壊して行く。最後に再び全方位から石つぶてが飛んで来たが、凪は合掌して、青いプラズマの様な球体に包まれた。石はその球体に触れると、欠片も残さずに消滅した。
「よし。やっぱり術の発動がこれで幾らか楽になった。」
空中に残るオゾンの異臭を手で仰ぐ。
「凪、これ。」
ララは冷たい水が入った水筒とタオルを差し出した。凪の露わになった上半身を見るのを恥ずかしがっているのか、若干紅潮させた顔を僅かだが背けている。そんな事は露程も知らない凪はそれを受け取り、汗を拭いて喉を潤した。汗で湿った髪に水をかけ、それが肩や首筋に滴り落ちて行く。体温が上がった体には心地良い。
「服、着て。」
凪も上半身だけとは言え裸身を女に見られるのは大なり小なり抵抗はあるのだろうか、ララから顔を背け、そそくさとタンクトップとコートを身につけた。
「凪よ、御主も見かけに寄らず以外と初心だな。」
「少し黙ってろ、ゲルバ。」
デコピンでゲルバの頭を弾くと、アジトの屋上に上がった。助走を付けて飛び降りると、コートの裾を掴んだ。風でパラシュートの様に膨らんで行く。だが、本来なら落下する所を凪はしなかった。と言うのも、まるでムササビの様にコートが気流を掴んで滑空しているのだ。
「公共の交通手段として使われ始めて幾年経つか。」
滞空にも限界が来たので、ビルの屋上に着地して街を見下ろす。蟻の様にゾロゾロと人間が歩道や交差点を右往左往している。
「近いぞ。地下鉄に続くエスカレーターがある。」
凪は屋上から飛び降りると、人通りが少ないその地下鉄に続く駅へと向かった。不思議な事に、あまり人はいない。凪はポケットからライターを取り出して点火した。青紫色のその炎を注意深く見つめながらぐるりと一周回り、止まった。ダイヤで火勢が強まったのだ。
「そこか。」
ライターの火を吹き消す様に強く息を吹きかけた。その火はダイヤに当たり、煮崩れるかの様に不定形な形に変わり始めた。
「アイヨチイシカ、ナサリシチ(何をしに来た、魔戒騎士)?」
ダイヤではなく、只のスライムに変わったソレは、向かいのプラットホームで停車していた電車の車両に飛び付いた。赤茶色だった車両はタールの様にぬめる黒一色に染まっていた。そして、中には人間が多数。
「魔戒騎士とホラーが相見える。答えは一つしか無いだろう?」
「リリオサ?アサイリムイユゼユザ、オレモレタイアムド?(良いのか?中にいる人間が、俺の餌になるぞ?)」
「食う瞬間、お前は死ぬ。俺が斬るからだ。」
「ソチャスアザシザ!(小癪なガキが!)」
列車は急発進した。凪は懐から掌と同じ長さの三本の短剣を引き抜いた。左手の指の間に一本ずつ挟み、拳を握りしめた。車両の窓を突き破り、壁にその短剣を突き立てて歩きながらそれを壁に沿って引き始めた。すると、天井、壁、床、至る所からホラーが飛び出して来た。どれも素体の下級ホラーだが、如何せん電車の車両は狭い空間であり、ホラーの数も多い。
「ふん・・・・」
だが、凪は顔色一つ変えずに魔導火のライターを取り出し、再び点火させると、その炎を両手で包み込んだ。
「はっ!!
青紫の炎に包まれた両腕がスパークし始める。バチバチと言う音が次第に大きくなり、早くなり、激しさを増して行った。ホラー達はまるで獲物を見つけたピラニアの様に歯を剥き出して一斉に凪に飛びかかって行った。
「光栄に思え。風雲騎士が代々操る術を、下級ホラー如きが食らえるんだ。」
だが、凪はプロボクサー顔負けの素早いパンチを幾つも繰り出し、触れた所からホラー達の体が焼き尽されて行く。
「消えろ。」
両腕を広げ、大砲の様な凄まじさで掌から炎を中心に雷が螺旋を描きながら放たれた。狭い空間なので、当然ホラー達は避ける事は出来ない。雷を纏った炎の奔流に飲まれ、灰すらも残さずに消え去った。これは、雲平家に伝わる魔導火と魔導力によって作り出した雷を混合して自在に操る、烈火剛雷と言う奥義である。
「ゲルバ、何が起こってる?」
突如として車両が地震でも起こったかの様に激しく揺れ始めたのだ。
「暴れ過ぎだ、凪よ。トレイグは今やこの電車に憑依している。それを御主が左手に持った破邪の剣で行った攻撃が今頃になって効いて来ているのだ。早く倒した方が良いぞ?」
凪はコートの中に隠し持っていた剣を引き抜いて何時もの様に片手ずつで半円を描いた。だが、その円は一瞬蜃気楼の様に揺らぐと掻き消えた。
「何?!・・・・コイツの腹の中は結界か。ならば、」
車両の両端にあるドアに剣を無理矢理差し込み、てこの原理で強引に抉じ開けた。
「力づくで外に抜けるまで!」
一人通るのがやっととなる幅まで抉じ開けると、外に飛び出した。両手は塞がっているのでコートの裾を掴む事も出来ない。再び空中に円を描き、裂け目から鎧を召喚した。
「ハァッ!!!」
魔戒剣が変化した風雲剣の刃を擦り合わせた。火花と共に、ライターから発する物と同じ炎が吹き出し、剣から腕、腕から胴体と、あっと言う間に鎧全体へと駆け巡る。
「燃え散れ、ゴミが!」
両手の風雲剣を振るい、青紫の魔導火が剣圧の軌跡を描いた。剣をブーメランの様に回転を付けて電車に向かって投げつけると、その炎も車両に取り憑いたトレイグに向かって飛んで行く。車両を一つずつ丁寧に切り離し、最後に先頭車両を細切れにした。
「時間が切れるぞ。」
凪は無言で鎧を解除し、ゲルバが巻き付いた左手を突き出した。シュルシュルと本物の生きた蛇の様に蜷局を巻いていたゲルバの尻尾が何メートルも伸びて電柱に絡まり、凪の墜落を阻止した。落下の勢いが死んだ所でゲルバは元の長さに戻って行き、尻尾が再び左手に巻き付いて行く。
「終了だ。邪気はもう感じない。」
「ならここは用済みだ。」
「へぇ〜〜〜〜。上から見てたけど、随分と派手だな。おめーの戦い方はよお。」
後ろから声を掛けられて、凪は振り向き様に剣を振ったが、刃は虚しく空を斬る。
「あれ?もしかして、俺様の事気付いてなかったか?ちょっとショックだな。」
見ると、現れたのは不揃いだが短い金髪の先端を所々黄緑色に染めた青年だった。黒い革の上下に、鎖が両袖に巻き着いた深緑色のベルベットのジャケットを身に着けている。年格好は凪と同じか、少し上だろうか。甘いマスクに浮かぶ微笑はどこかあどけない。
「いや、気付いてはいた。ただ、濡れた犬みたいな臭いしかしないから、大方下水にでも落ちてしまったどこぞの哀れな野良犬かと思った。」
皮肉を皮肉で返すと、剣を納めた。
「お前何者だ?」
「この紋章に、見覚えはねえか?」
後ろを向いて、背中の刺繍を親指で指す。それは円状の楯を背景に地面を砕く巨大な斧の形をしていた。
「それは・・・・!!」
「ま、今日は挨拶と言う事で。近日また会う事になるだろうから。じゃあ、あばよ。」
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突然ですが、最後あたりで新キャラを登場させようかと思います。原作に登場した騎士ではありませんが。