真 恋姫無双 幻夢伝 第三章 2話 『百年と二時間』
文明の根底には食物がある。
小麦・大麦、トウモロコシ、ジャガイモ、そして米。世界各地に散らばった人類はその土地に合った、もしくは偶然見つけた穀物を育てて食べてきた。農耕民族の誕生だ。この基本スタイルは、少なくとも紅花など商業作物の開発まで変わらなかった。
中国ではその地域の気温差で育てる穀物を変えている。華北は麦、江南は米だ。彼らの歴史を見ると、ちょうどこの穀物の境を国境として国が南北に分かれていることが多い。食物は言語や文化、そして国までも隔てる。
この盧江は米作の北限と呼べる地域だ。周囲の田んぼを青々と稲が育ち、その緑の中でカエルが跳ぶ。トンビが澄んだ青空の中を泳ぎ、彼らをひっそりと狙う。延々と続くこの風景は、古の時代からこの漢朝、そして何世紀も後の未来まで変わることは無い。
その伸びやかな風景の中を、がしゃがしゃと鎧で音を立てて進む軍団があった。風に小さくなびく旗には『袁』と書いてある。
その武者たちが一列に道を進む中に、金色に輝く輿とその上に坐る二人の姿があった。
「七乃!あついのじゃ!」
「は~い、美羽さま。今うちわでぱたぱたしますね」
う~と唸る美羽の前髪を揺らすように、七乃は風を送り始める。二人とも甲冑すらつけず、勿論兜もかぶらない普段着姿である。とても合戦に行くとは思えない。周りの風景とも溶け込めないその華美な姿は、いささか場違いである。しかしそんなこともお構いなしに、「つかれたのじゃ~」と愚痴る美羽を微笑みながら七乃は慰めていた。
その時、恐る恐る兵士が走り寄ってきた。
「あの…今、よろしいでしょうか?」
「手短にお願いしますね」
顔の向きを変えることなく七乃はそう答える。兵士は早口で情報を伝えた。
「この先の街道口で反逆軍が展開していることを確認。その数、3000に満たないほどです」
「予定通りですね。以上ですか?」
「は、はい!失礼します!」
足早に走り去る兵士の足音を聞きながら、七乃は心中で舌打ちした。
(あそこは軍が展開するとしたらせいぜい1万人が限界。3000の敵には好都合でも、3万の私達にとっては不都合ですね。ちょっと時間がかかっちゃいますねえ)
さっさと帰りたい美羽さまのためにも早く終わらせたいのに、と七乃はため息をつく。と言っても、彼女が汗水たらして働く訳では無い。ただ面倒なだけだ。
この袁術軍は、本陣や前軍以外はほぼ周囲の都市から集めてきた兵士で形成されている。反逆軍を木端微塵にする様子を目の前で見せつけることで、改めて袁術への忠誠を誓わせる、という寸法である。
「七乃、あやつらをけちょんけちょんにしてやるのじゃぞ!」
「きゃー、美羽さま♡自分は何にもしないのにその上からのおっしゃり方、ご立派です~!!」
「わはははー!もっと褒めるのじゃー!」
美羽のかんざしが反射する日の光を、七乃はひときわ眩しく感じた。
未時、初刻(13時)。汝南の軍隊は敵軍の到着を目で確認した。まだ空に雲は無い。
「さすがに3万は壮観だな」
「なに、前の連合軍より大分ましだ」
『袁』の旗印を小高い丘の上で見つめながら、アキラと華雄は改めて作戦を確認していた。
「アキラ、あれで本当に大丈夫か?」
「安心しろ。しっかりやってやるさ。お前こそどうなんだ。やれるのか?」
「ふん、私を誰だと思っている。袁術の顔をばっちり拝んでやるさ」
「任せたぞ」
二人は互いの顔を見ることも無く、丘を降りて持ち場へと戻って行った。先ほどまで喧しく聞こえていたトンビの声は、もう聞こえない。
同じ頃、袁術軍もアキラ達を確認した。西側の丘に布陣した汝南の軍勢の上に、太陽が見える。
「張勲様、我々の布陣は終了しました。他の軍はもう少しかかりますが」
「それが終わったら適当に始めちゃって下さいね。銅鑼とかも任せます」
「はあ」
七乃は自分の膝の上で眠る美羽を揺すった。
「美羽さま、もう起きてください」
「う、う~ん」
目を擦る美羽に対して、七乃は慰めるように声をかける。
「すぐに終わりますから」
銅鑼の音と共に、両軍が地を震わしながらぶつかった。その途端に雄叫びと悲鳴が各所で上がる。
始めの勢いは汝南軍。大軍が展開できない地形とあって、袁術軍はその数を生かすことが出来ない。俄然、士気が高い汝南軍が彼らを押し込んでいた。『汝』と書かれた旗が、段々と戦場を進んでいく。
しかしその勢いも長くは続かない。袁術軍は時間が経つにつれ、第二陣・第三陣と新たな兵士を投入していく。その交代はさすが袁術軍と言えるほど見事だ。
汝南軍には最初から予備軍などいない。一時間もすれば、戦い続ける兵士の顔に疲れが見えてくる。今度は逆に『袁』と書かれた旗が、『汝』の旗を押し返し始めた。
勢いに乗る袁術軍。その様子を見た諸都市の軍勢も、その勝ち馬に乗っかろうと軍を進め始めた。もう汝南軍の兵士に先ほどまでの勢いは全くない。
しかしこの時、彼らは“中央”が徐々に開けてきたことを知らない。
アキラは袁術本陣の旗が見えた時、銅鑼を大きく鳴らした。
「さあ!出番だ!」
その瞬間、歩兵の壁で巧妙に隠されていた軍勢が姿を現した。華雄率いる300名の騎兵集団だ。
前軍に配置された袁術の精鋭部隊は、さしずめアメフトのように汝南軍の歩兵がブロックするために、それに近寄ることが出来ない。彼らは中央を駆け抜け、袁術本陣に迫ってきた。
「え?!ウソ!なんで騎兵が??」
七乃はその騎馬の姿に、思わず驚きの声を上げる。
なぜか?それは馬がこの当時、特殊な存在であったことにある。馬は北方や西方のステップ気候に生育しており、湿度が高い東アジアには元々存在しない生き物である(日本の馬は全て大陸から輸入したことは有名な話だ)。そのため歴代中国王朝は高い金を払って西から馬を輸入していた。
そういった事情から、名門の袁術軍でも千頭しか保有していない。しかし汝南は独立中の小国にも関わらず、300頭も保有していた。
そして不幸なことに、袁術軍はこの戦いに騎馬を連れてこなかった。
「袁術!姿を見せろ!!」
華雄がそう声を放ちつつ、怯える歩兵を金剛爆斧でなぎ倒す。対抗する騎馬や騎馬に対する備えもも無いために、あっという間に轟々と砂埃をあげながら近寄る騎馬の足音。
こらえ切れず袁術は震えた声で叫んだ。
「な、七乃!逃げるのじゃ!」
「ええ?!」
大将の一声は大きい。その声に反応するように本陣の兵が逃げ始めた。七乃が制止するのも聞かず、旗すら投げ出して逃げる兵士もいた。もはや七乃に選択肢は無かった。
本陣が崩れたことを受けて、他の袁術軍も撤退を始める。狭い街道に大軍が殺到する様は、アキラの目からも惨めに見えた。
「華雄にそのまま追えと伝令を出せ。こっちは盧江へ入城しよう」
駆け出す兵士。アキラは戦場の状況を確認しつつ、空を見上げた。まだ少ししか傾いていない太陽は、申時(16時)に差し掛かっていないことを示していた。
(……あっけない、あまりにも…)
思えば二時間だった。たった二時間で、百年にも及ぶ繁栄を続けた袁家の一翼の権威は音を立てて崩れたのだった。
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久々の合戦シーンです。vs美羽&七乃です