人間という生き物は、本質的には決して他者と相容れる事などないというのが私の考えだった。
しかし、それは単に私自身による過ぎた思い込みであるのだと―――
あるいは間違いであって欲しいとさえ願った時期も確かにあったのだ。
皮肉にも、かつての私の考えが正しかった事は、図らずして証明されることとなったが。
現物となんら遜色のない、3Dモデルとしての寸分たがわぬスキャン能力から、
20桁以上のパスワードの解析というプロセスをも、平行していくつも同時に行える演算処理能力。
驚く程の機能を備えるにしてはとてもコンパクトなその端末が、声を発した。
”データのロードが完了しました”
元々無機質ではあるが、更にノイズが混じっている為、乾いたような声質の人口音声。
これは端末に内蔵された出力機器のどこかに問題が生じているためだ。
さりとて、私はそうなる前までの”彼女”にもよく世話になっていた。
まるで長年連れ添った女房のような存在だ。いつものように、私は気さくに謝意で応えた。
「あぁ、ありがとう」
”待機中...メディアをセットして下さい”
「まぁ待ってくれ……少しだけ、チェックをさせておくれ」
言って私は、引き出しから取り出したメディアをこんこんと、二度ほどげんこつで軽く叩いてみる。
うん――まるで劣化はない。
それどころか、私のやわな拳が叩いたところで、ろくに大きな音も響かない。
当然だ。億年単位でデータの保存が可能な高性能記憶媒体、その耐久性も尋常ではないだろう。
厚さにして、およそ5~6cmというところか。
本来であればパルスレーザーを照射し、内部にドットを形成する。
多層化された構造とはいえ、大昔のコンピューターと何ら変わりない、要は、0と1の組み合わせ。
だが、それをした所で、私の持つこの端末以外で、そのデータを読み込む事は不可能なのだ。
だからこそ、私はあえて本来とは多少異なった使い道をする為に、色々と手間を踏んだ。
コンパクト・ディスクに保存するデータの形式を少し変えてやるように、私はこれに画像を刻むのだ。
なにぶんとても繊細なマシンであるから、寸分の誤差も許されない。
新たなプログラムを完成させてから導入に至るまで、この石英ガラス製のメディアは全て使いきってしまった。
だから、どうにか最後にこの1枚を残せた事に関しては運が良かったと言える。
私の努力は報われ、光を通すこの媒体ならではの艶やかな色彩を表現する事が可能になった。
一昔前のアーティストと呼ばれた連中ならば、きっと皆こぞってこの技術を欲しがるに違いない。
”待機中...メディアを――”
「わかってるさ」
彼女の言葉を遮るようにして、手にしたメディアを慎重にパルス照射装置の台座へセットする。
まだ端末の片隅に眠っているあるデータを探し、あとはそれを装置へ送って読み込ませてやるだけ。
残るそのたった2ステップの操作をこなせば、私は晴れて――お役御免だ。
”待機中...書き込み準備が完了しました”
ぴっ
その合図を確認した後、人差し指一本でエンターキーを入力した。
ややあって、まるで患者を縛る手術台の様な台座に向けて、レーザーが照射されるアームの先端部が動き出す。
”照射を開始します...安全のため...装置より5m離れて...ゴーグルを着用して下さい”
「心配には及ばないさ。もはや、慣れたものだ」
制御端末の真ん前に立ち、
それだけではない、青や、緑など。
様々な色を用いて焼きこまれていくデータは、私の理想とする形でメディアに色彩を与えていく。
それは美しくも、虚しい光。
私がこれを残す事に決めたのは、単なる個人的嗜好からだ。
ぼんやりと工程を眺めながら、ぽつり、彼女に質問を投げかける。
「あと、どのくらいかな」
”14分―――50秒です”
「……そうかい、仕上がりが楽しみだよ」
連日根を詰めたせいで、今では疲労がすっかり身体の底に沈殿している。
こんな吹き溜まりでじっとしているよりは、少し身体を動かした方がましかも知れない。
そう思い、完成を待つ間だけこの場を離れる事にした。
「久しぶりに外を歩いてみるのも、悪くないかな」
それに、これが見納めになるだろう。
せめて最後は、穴が空くほどよく焼き付けておかねば。
パルス照射装置が放つ音に、若干耳に不快感が残る。
色とりどりのその光を背にして、土埃が層状に折り重なった廊下の中央を渡り、私は薄暗がりの中を歩きはじめた。
他者、それは種の違う別々の生き物を指している訳ではない。
同じ環境に住み暮らし、同じように知能を持った人間でさえもが、いがみあい、奪い合う。
自らを霊長類の頂点だとうそぶきながら、増長した我々は退化の一途を辿っていったのだ。
それに比べて、野を駆け巡っていた動物、草花、昆虫や微生物すら――どれもが善良な種に思える。
彼らは縄張り争いの為に命を賭けて戦う事もあったが、すべては糧を得るため、種の存続のため。
人間のように、意味も持たず他の命を奪う事は決してしない。闘争の全ては、後世を見据えての事だ。
足を持たないものは他の生命の力を借り受けて、またあるものは過酷な環境に自ら適応して。
そうして、種の保存こそを生きる意味と見出していたであろう彼ら動植物達は、
自然の用意してくれた環境の中で時に淘汰されながらも、それに適応すべく進化を続けてきた。
我々とは、真逆だ。
「……事実上、現存する最後の写真か」
ディスプレイに映された美しい自然の風景を眺める内、思わず自嘲の笑みが漏れた。
この星のどこで撮影されたものか、誰が撮影したものかも分からない。
ただ綺麗だと感じて保存しておいた、デスクトップの片隅に残された画像ファイル。
それのタイムスタンプには確かに、旧西暦でいう”2036”が刻まれていた。
時計の針が、止まる以前の写真だ。
全てのネットワークと隔絶された、恐らくこの世で最後の端末。
それを操作して、石英ガラス製のプレートに画像データを文字通り”直接”書き込む。
さしずめ、億年単位で保存の効くフォトフレームというところか。
後世の人類へ向けたメッセージを託す事の出来る、文字通り唯一の記憶媒体。
最後の1つだというのに―――私は、あえてこうして残そうとしていた。
数百年、いや数千年語には言語体系すらもが変わっているかも知れない。
いや、その頃にはこの星には生命が存在していない可能性の方がよほど高い。
この1枚で私は、失われた自然というものの美しさ。
そして思い上がった人類が、いかに恥ずべき行いをしてきたかという事を伝えたかった。
この死に絶えた大地を踏み歩く未来の若者たちに、警鐘を打ち鳴らしたい。
全ての文明、生態系を滅ぼた張本人の一人である私が願うのは、おこがましいというものか。
自分たち人間の愚かさに一度は打ちひしがれながらも、それでも私は、まだ甘い理想を抱いていた。
もう一度だけ、人の真価というものに賭けてみたかったのだ。
『...書き込みが終了しました』
ジェクトされたプレートを取り出すと、私は思わず感嘆のため息を漏らした。
内に秘めやかな光を煌めかせながら、世にも美しい色鮮やかな風景を、丸ごと切り取ったかのよう。
かつてこの星に確かに存在していた、力強い自然の姿がそこにはあった。
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人類自ら招いた終末戦争で、死の星となった地球。
全ての文明が失われ、放射性物質によって汚染された土地を舞台に、
人々は生きるために安寧の地を求めさまよい、目に見えぬ死の恐怖と戦っていく。