No.595069 超次元ゲイム学園 一時間目 (女神と精霊)銀枠さん 2013-07-06 21:45:02 投稿 / 全7ページ 総閲覧数:2304 閲覧ユーザー数:1960 |
-超次元ゲイム学園-
私が歪んでしまったのはいつだろう。
もしそれが神によって定められた運命ならば、私は生まれながらにして世界から遠ざけられるように仕組まれた存在だったのだろう。
それはこの学園に入学した時点でそうなるように運命づけられていたのかもしれないし、あるいは生まれたときから歪みを抱えた存在だったのかもしれない。
あれがいけなかった。あのときああすればよかった。考えても考えても分岐点はどこにでもあったように思えて、後悔ばかりが募っては負の感情がとめどなく溢れ出るばかり。
そもそも神とは何なのか? 運命とはどこにあるのか?
残念ながら私にそれを答える術はどこにも持ち合わせていない。そもそも目に見えない存在について説明しろという方が難解極まるし、本当にいるかどうかすら疑わしい。そんな存在を信じろというのが土台無理な話だ。ましてやそんな不確かな存在に頭を垂れて祈りを捧げるという習慣があるのだから、ほとほと首を傾げてしまう。
私は、私の目で見たモノしか信じられない。そういう性質だ。
敬虔な信者のようにすがりつけば、神は救済の手を差し伸べてくれるのだろうか。
信心深さを声高に叫べば、人々を導く奇跡が起こるのだろうか。
否――深い暗闇の中で、絶望に喘ぐ私を誰も救い出してはくれやしなかった。
神は誰も救いやしない。
それは昔の人が生み出した幻想に過ぎない。貧困に喘ぎ、地獄のような現実から目をそらすために造り出されたその場しのぎの偶像に過ぎない。
神なんて最初からいやしないのだから。
私はそんなものに縋りつくほど、歪んではいない。
そうだ。運命といえば、あの時が始まりだったのかもしれない。
一人で生きていくと決意したあの日から――
今から丁度、一年前のこと。
あれは高等部の入学式の日だった。
桜色の舞う季節――
ぶかぶかの学ランと、真新しい匂いのするセーラー服に身を包んだ子供達が、桜の並木道を歩いている。
みな今日から超次元ゲイム学園に通うことになる新入生達だ。
出来たての制服に身を包み、どこかよそよそしい面持ちでクラス分けについて記載された掲示板へと群がっている。
みな、不安や期待の入り混じった様々な顔ぶれをしている。
ここから始まる新しい生活に様々な思いを抱いているのだろう。友達をつくれるか、新しいクラスに適応出来るか――彼らの悩みは尽きない。
ここが、彼らにとって新しい始まりの場所なのだ。
かくいう私もその始まりを迎える一人だった。
といっても私はこの学園に中等部の頃から通い続けているため、その実感は無いに等しい。環境の変化に対する一切の緊張も感じられなかった。ただ、場所が中等部から高等部へと移り変わる。せいぜいその程度の認識だった。
私にとってクラス代えとは特に心躍るイベントではない。クラス分けの表を見る限りだと、外部から受験してきた生徒もいるにはいるが、中等部からの顔なじみが大半だった。だからといって知り合いのいることが私にとって必ずしもいいことばかりではない。何故なら私には、仲の良いと呼べる友人は一人たりともいなかったからだ。
その原因は私の外見――肌の色にある。
そう、私の全身は真っ白だった。
雪のように純白――というよりかは、ガラス細工のように透き通っていて――透明なのだ。それこそ小麦粉を頭からまぶされたかのように。
中等部にいたとき、幽霊とか雪だるまといった言葉に腹を立てて、クラスの全員を敵に回し、大いに揉めたものだ。中等部を卒業するまでの三年間、その一件が尾を引いて苦労したものだが。
唇に口紅を塗って誤魔化しているが、やはり周囲から目を引くものは――私自身の肌の色にあるといっても過言ではない。
私が変わった風貌だという自覚は十分にある。
例えば、こうしてクラス分けの表を眺めている今でさえも、道行く人達から集中する目線がいかにも物珍しそうな視線だったり、街中で珍獣を発見したときの類のものであると感じられたり。
それは決して好意的な視線ではなく、美術館で裸婦をしげしげ眺めるようなものと一緒なのだろう。どこにいっても私は人ではなく、物としか見られていなかった。
自分の振り分けられたクラスと、階層を暗記すると掲示板に群がる群衆から抜け出し、高等部の校舎へと歩を進めた。
前だけを向いて歩こう。
私の歩調は心なしか早くなっていた。周囲からの物珍しげな視線にもめげることなく、背筋をぴんと伸ばしている。むしろその視線を突き返すように堂々と大股で突っ切ってみせる。
ふと、女の子のグループとすれ違う。盗み聞きをするつもりはなかったのだが、会話の内容が耳に入ってきた。
「ねえ、あの男の人かっこよくない? メガネが似合ってて知的っていうか優しそうだよねー」
「私はあそこにいる人の方がいいな。ピアスとか、刺青とか大人っぽくてたまらないっていうか」
「えー……まあ、たしかに大人っぽいけどさぁ、なんか見た目っていうか雰囲気コワくない?」
「あんた趣味悪いわねぇ。男運なさそう」
「あんたにだけは言われたくないわよ!」
女の子たちはみな色めき立っており、話に花を咲かせている。
これから始まる学校生活に想いを馳せているのだろう。
“女の子は誰でも自分がお姫様になることを夢見ている。白馬に乗った王子様がいつか姿を現すそのとき――運命の出会いが訪れる瞬間を、心の奥底で思い描いているのだ”
そんな話をどこかで読んだことがある。たしか学園長からもらった本だったと思う。
恋愛も新しいことへの第一歩なのは間違いない。もちろん私には縁のない話だ。目の前に王子様が現れるところなんてどうやっても考えられなかったし、お姫様となって守られるところを想像できなかった。そもそも受け身だけの女なんて私の性に合わない。
新しい何かが始まるという期待も不安も私には程遠かった。
それでも学園長だけには感謝している。家を追い出され、身寄りのない私にそっと手を差し伸べてくれただけではなく、学費免除でこの学園にタダ同然で通わせてくれているのだから感謝してもしきれないものがある。
そうそう、変わったということで強いて挙げるとすれば制服くらいだろう。
スカーフの色が赤から紺へと変わり、高等部へと移る際にセーラー服も新調した。新品の香りのする制服――それが唯一新しいと感じる変化だった。
ふっと長いため息をついてから、楽しそうに会話する女子のグループに背を向け、いそいそと校舎へ歩きだそうとしたとき――
「てめえっ、今なんて言った!」
怒鳴り声が聞こえた。
声のする方に振り向いてみれば、
「ひ――あ、ご、ご、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさぁい!」
可哀想なくらい怯えている少女と、恰幅の良い体格をしたチンピラが一人。
「この俺に恥をかかせるとは良い度胸してるじゃないか。どういう落とし前をつけてくれるんだよ。ああっ!?」
「わ、わたし、ほ、他に好きな人がいるの。だから、その、ごめんなさいっ!」
「じゃあ、そいつをぶっ飛ばせばいいのかよ!」
おそらくこのチンピラが少女に告白をして振られたのだろう。そのことに逆上したチンピラが少女に掴みかからんばかりの剣幕で詰め寄っている。こんなところだろうか。
全て、状況的証拠による推測でしかないが、そんなことはどうでもいい。何故この少女を誰も助けようとしないのだろうか。
少女とチンピラだけを避けて、いないもののように通り過ぎていく。二人を中心にして、そこにはぽっかりとした空間が出来あがっていたのだ。
登校初日から、いきなり面倒事に巻き込まれて学園生活を棒には振りたくないのだろう。周りは揃って見て見ぬ振りを決め込もうとしていた。
少女を助けようとする王子様はどこにも見当たらない。
「言え、そいつはどこにいる! どこにいるんだ!」
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさぁい……!」
「てめえ、ごめんなさいで済んだから世の中上手く回ると思ってんのか? 大間違いなんだよ!」
「やめろ。そいつが嫌がっているのが分からないのか」
あまりにも見ていられなくなったのでチンピラの背後から声をかけた。
「ああ、なんだてめえは?」
突然の闖入者に苛立たしげに振り返る男。かと思うと顔が豹変。ニタニタといかにもいやらしい表情が浮かび上がる。全身を隅から隅まで舐めまわすようなじっとりとした視線に、総毛立った。
「ほう、おもしれえ。てめえがこいつの代わりに付き合ってくれんのかよ!」
「相手が女であれば誰でもいいのか。呆れる話だな」
「つべこべうるせえ! 俺に声かけたっていうことは俺に気があるからってことでいいんだよな。そうだって言えよ!」
少女がはっと悲鳴を漏らす。
チンピラが分厚い手を伸ばして、私の首に掴みかかろうとしていたからだ。
私は姿勢を低くすることでチンピラの手をかわし、それを掴んで思いきり引っ張り上げる。男の体重を込めた一振りを――男の腕を掴み取って、ぶん投げた。
「ふがぁっ!?」
床に背中から叩きつけられ、間抜けな声が響いた。骨が折れんばかりの衝撃に男は芋虫のようにのたうち回っていた。何が起きたのか、男にはさっぱり分かっていないのだろう。
何も難しい事ではない。男の全体重を利用することによって、投げ技へと応用しただけの話だ。俗に言う柔術とやらだ。
「人の話もろくに聞こうとしない野蛮人め」
ぱんぱんとホコリを振り落とすように手を叩きながら、足元で呻き声を上げるチンピラを見下ろしていると、
「あの……助けてくれて、ありがとう、ございました」
少女がおずおずとお辞儀をする。
「気にするな。これは私が勝手にやったことだ」
「いえ、そんな……」
少女の顔にはあからさまな戸惑いが表れていた。それは自分よりも大きな体格のチンピラを投げ飛ばしてみせたり、それを助けた女の肌の色が普通とは違ったりしたからだろう。彼女が混乱してしまうのも無理はないと思う。
気まずい沈黙が降りる。正直、こういうときどうすればいいのか私にも分からない。人と接することと本を読むことが大の苦手な私にとって、それらとの適度な距離の測り方がいまいち掴めないのだった。
「この野郎、てめぇ!」
「よくも兄貴をやりやがったな!」
「覚悟は出来てんだろうな、おい!」
どこからともなく罵声が響いた瞬間、私達の周囲を取り囲むようにしてガラの悪い男達がずらりと姿を現していた。その数はざっと二、三十人ほどだろうか。その手には木刀、金属バット、メリケンサック、鉄パイプといった凶器が握られている。それにしてもいったいどこからこんな数が湧いて出てきたのだろうか。こんなか弱い少女二人を相手に恥ずかしくないのだろうか。
なんとも時代遅れなやつらだと感心を覚える。だが、私は内心こいつらの登場に感謝の念を覚えてもいた。
「あ……あ……っ!」
少女が呻きながら後ずさりしたのを男達は見逃さなかった。無防備な獲物を前にしてその目が肉食獣のように妖しく光る。
「俺たちから逃げられるとでも?」
「そんなの無理にきまってんだろうがぁぁぁぁっ!!」
「俺たちが満足したら帰してやるよ!」
勝手なことを口々に叫びながら男達が飛びかかった。哀れにも少女はその場に頭を抱えてうずくまってしまった。
危機を前にして動きを止めるなど間抜けとしかいいようのない選択だ。だけど、私は少女の行動に感謝を感じた。なにせ男達に油断を作ってくれたのだから好都合だとしかいいようがない。
「……っ……?」
少女は自分が成す術もなく襲われるものだと確信していたことだろう。しかし、何も起こらない。おそるおそる顔を上げてみれば、そこに倒れていたのは自分ではなく、自分に襲いかかってきた男達だったのだから、その驚きようといったら言葉には現せないだろう。
そして、その状況を作りだしたのが誰だか理解したようにひっと顔を強張らせた。
背後で控えているチンピラ達も驚愕の声を上げる。
倒れている男達の前に立ちはだかる私を見て。
私の手には一振りの剣が握られていた。それで男達のガラ空きの面に私が一太刀叩きこんでやっただけの話だ。もちろん峰打ち。危ないので刀身はしっかりと鞘に包まれている。
「頼みがある」
私は地面にへたりこむ少女に声をかけた。
「……え?」
「ここは私が引きつけておく。その間に職員室から教師を呼んできてほしい。そうすればこの場はなんとか治まるはずだ」
「う、うん……!」
少女はうなずくと、脇目も振り返らずに、校舎へと一目散に駆けていった。
「このアマ、武器を隠しもってやがったのか」
「卑怯なやつめ」
私は無性にため息をつきたくなった。
「何を言ってるんだ。お前らだって武器を持ってるじゃないか。それに人数はそっちの方が多いときた。たかが女相手に手間取っているなんて話が広まってみろ。明日からは学園の笑いモノじゃないか」
「この野郎……!」
「俺たちの仲間に手を出したんだ。ただで済まされると思うなよ」
男達の視線が鋭くなる。どうやら私の言葉が火に油を注ぐ結果となったらしい。
先ほども言ったが、私はこいつらに感謝を覚えている。人との距離の測り方が分からない私にとって、あの少女との会話が苦痛でしかなかったからだ。その沈黙をやぶってくれたこいつらには、相手をすることでしっかりとお礼を返さなければならない。
おそらくこの場を無事に切り抜けたとしても、私を待ち受けているのは教師か生活指導、もしくは理事長からの有りがたい説教だろう。いや、良くて停学――悪ければ退学処分といったところだろうか。
いくら正当防衛といえども、入学式初日から不良相手に乱闘騒ぎを起こせばそれはこの学園の名誉に関わる大問題。名門校の威信に傷をつけるとなればただで済まされないことは明白だ。財力も地位も何一つない少女の名を学園から抹消することなど容易いことだろう。学園長の後ろ盾があったとしても難しいことかもしれない。
ちくり、と胸の奥にわずかな罪悪感が湧いた。ここまで私を育ててくれた学園長には申し訳ないな。今までの恩を仇で返すことになるとは、なんて親不孝者だろうか。
まあいいさ、と私は息をはきながら剣を正眼に構えた。それは諦めからではなく、どこから吹っ切れたような想いからだった。
実はここだけの話――弱いものいじめは嫌いだが、強いふりをしているやつをいじめるのは心底すかっとする。
「お望みなら夜が明けるまで付き合ってやるさ。立てなくなるまで激しいのが好みか? それなら豚のような悲鳴を上げてみせろ。腰が使い物にならないくらいの快感を味わわせてやるよ」
私の運が悪いのは今に始まったことではない。それなら満足するまでこの悪運とやらにとことん付き合ってやろう。どうせ私に明日はないのだから。己の悪運を笑って見られるのが一番だ。
神とか運命だとか、そんな曖昧模糊なモノには頼らない。助けを待っているだけでは自分の身すら守れない。最悪、手遅れだなんてこともあり得る。
――私はそうはなりたくない。
受け身だけの女ではないという意味をここで証明してみせよう。自分の身は自分で守ってみせる――その覚悟と決意も。
私は守られるお姫様よりも、強くてかっこいい王子様になりたい。
これが私の選んだ道だ。私の意思で決めた選択だ!
「お前たちのような野蛮人に名乗る筋合いはないが、ここはあえて名乗らせてもらうとしよう。私の名前は――……」
そこでつい本名を名乗りそうになって一度口をつぐんだ。もう私はあの家の人間ではないのだからわざわざあの長ったらしい名前を名乗る必要もないだろう。
「私の名前はイヴ。楽園から追放された背徳者の名だ」
私はそれだけを告げると、疾風迅雷の如く駆け出した。
私の堂々たる雄姿に恐れをなしたのか、不良達が硬直をはじめる。
片手に握られた鉄の重みだけを頼りに、怒り狂う男達の列を切り崩しにかかった。
青春の歪みを抱えた少女――
その物語が、ここに始まりを告げる。
◆
あれから季節が一巡して、すっかり桜が花開く時がやってきた。
超次元ゲイム学園では入学式が開かれている。
始まりの象徴――いつも通りの季節がやってきた。
いつものように入学式が開かれ、着慣れない制服で身を固めた新入生達がおどおどと不安そうな眼差しを巡らせていて、教師や在学生達が暖かな眼差しで出迎えている。よりよい学園生活を満喫するために。願わくば学園の知名度に大きく貢献する人材が生まれることを。
いつも通りの光景。いつも通りの通過儀式。
だが、この学園に――いや、この世界にとある異変が起きつつあることを、今はまだ誰も知らない。
舞台はあれから一年後の、超次元ゲイム学園である。
超次元ゲイム学園/高等部――プラネテューヌ女子寮/とある一室
「ふわ~あ……」
毛布にくるまりながら、大きく口を開け、こぼれんばかりの欠伸を漏らしているのは、一人の少女だった。
目を惹きつけるような夜色の髪と、水晶のように立派な瞳。
有り体に言うならば、少女は、人間とは思えぬ美貌を兼ね備えていた。
これほど超越したモノを持っていながら、しかしそれでもまだまだ成長途中だというのだから、この少女はよっぽど神様に愛されているに違いないだろう。
その美貌が眠たげに歪められているその瞬間にも、目覚まし時計がけたたましく鳴っている。うーん、と少女がだるそうに身体をくねらせる。ひとまず眠りから引き剥がすことには成功した。
しかし何という大番狂わせが起こったのだろう。主は眠りから覚めても、未練ったらしくベッドに張り付いている。だが、ここで引き下がるわけにはいかない。一向に起き上がろうとしない怠け者の主を起こすために業務を果たさなければならない。それはさながら己の存在を全世界に知らしめるような叫びの奔流であった。寝ぼすけ一人を起こせない目覚まし時計など、ただの時計にしか過ぎないのだから。
「あと、五分……いや、あと五時間なのだ」
少女があまりにも身勝手なことをつぶやきながら、じりじりとやかましい目覚ましを黙らせるべく、ふらふらと手をさまよわせている。だが、不器用にもスイッチすれすれのところでかすってばかり。その手がスイッチを押すより先に、眠りを妨げる騒音に少女の堪忍袋の緒が切れた。
「……あーもー、うるさいうるさいうるさーい!」
ばちーん! と少女の放った平手が時計にクリティカルヒット。鈍い音を立てながら、ネジやバネがロケットのように吹き飛んだ。剥き出しになった機構と、ひしゃげてくたくたになった針を晒し、すっかり使い物にならなくなった目覚ましが無惨にも転がっていた。
こう見えて少女の腕力はすさまじい。以前、パンチングマシーンを素手で叩き壊したことがあるくらいだ。美貌だけでなく、その身に宿る力も遥かに人を凌駕していた。
だが、少女はそれを誇るでもなく。自らが生み出した惨状に、少女がギクリとなった。
考えるまでもない。時計を壊してしまったのだ。
あまりの恐ろしさに眠気など吹き飛んでしまった。これは大変な事をしでかした。このままではあいつを困らせてしまう。下手をすれば怒られてしまうかもしれない――
「――ん、怒られる? ……私が?」
眠たげに瞼をこすりながら首を傾げた。あいつ? 怒られるとはどういうことだろうか?
「……そもそも、私は誰に怒られると思ったのだ?」
この部屋には元々自分しかおらず、他には誰もいない。本来なら二人部屋であるため一人で使うには広く感じるが、たとえ物を壊そうと困るのは自分だけ。何者にも迷惑がかかる心配はない。にも関わらず、何を気にする必要などあるのだろうか。
何故、自分は誰かがこの部屋にいるなどと思っていたのだろうか?
難しい顔でうんうん唸りながら腕を組んでいたとき、残酷にも始業を告げるチャイムが鳴り響いた。
「し、しまった! 遅刻だ!」
血相を変えながらパジャマを脱ぎ捨てて、制服に着替える・
今日は二回目の入学式。
二年生の幕開けなのだった。
◆
超次元ゲイム学園/高等部/中央棟――二年生B教室
「くうう……結局遅刻してしまったのだ」
十香はため息をつきながら机に突っ伏していた。時刻は丁度昼時。朝食を食べ損ねたこともあり、十香のお腹の虫がぐうぐうとやかましいオーケストラを奏でている。
なんとか無事に入学式を滞りなく行う事は出来た。イストワール学園長の長いお話しに耐え、HRも終わり、後は下校するだけとなった。しかし、学校生活を飾る一日目からこの失態。教師からもうるさく小言を言われ、まだ顔も名前も知らないクラスメイト達からは笑われる始末。初日からこれでは幸先が思いやられるというものだ。
十香はすかすかになった腹を撫でながら、机から身を起こした。
「あれ、おかしいぞ?」
自分のことを何かと気遣ってくれる世話焼きでおせっかいな三人のクラスメイト達の姿を今日は一度たりとも見かけていない気がする。今日は学校を欠席しているのだろうか。いや、そうであっても三人同時に休むなんてことはおかしい。彼女達を探すべく、きょろきょろと首を巡らせてみたものの、それらしき姿は影も形も見当たらなかった。
そういえばこの学校は一年ごとにクラス変えが行われる。おそらくそのせいで離ればなれになってしまったのだろうか。
「――……?」
ふいに訪れる違和感。そもそも自分に友達と気軽に呼べる存在が――そばに寄り添い合える仲間などいただろうか?
否――自分はずっと一人だった。これまでも、これからもずっと一人だ。
夜刀神十香は人間ではない。
姿こそ人間の形を取っているものの、その本質は全く異なるものである。
その身に宿る圧倒的な力と、この世のモノとは一線を画した美貌。
すなわち“精霊”だ。
精霊とは、隣界に存在する特殊災害指定生命体。発生原因。存在理由ともに不明。
こちらの世界に現れる際、空間震を発生させ、周囲に甚大な被害を及ぼす。
自分の望もうが望むまいが、意思とは裏腹に、関係無く世界に災厄を引き起こしてしまう。
そのせいか、人間は自分を見る度に攻撃を仕掛けてきた。人ならざる力を持って生まれたという理由で、その存在を否定されたのだ。
自分はそんな力を望んでいたわけではない。この世にあまねく生き物を蹂躙したいとも思わない。世界を思うがままに支配し、破壊の限りを尽くしたいわけではない。
にも関わらず、人間は私を見る度に恐れを抱き、何度も何度も襲いかかってきた。対話を試みるでもなく、お互いの親睦を深めるために意思疎通を目的としている訳でもなく。十香の意思が何であろうと向こうはお構いなしだった。その度に無益で無用な血が流れていった。
そんなもの誰も望んでない。私は誰も殺したくない。
ただひっそりと静かに暮らしたいだけなのに。
なぜ人間というものはこうも度し難い存在なのだろうか。
「いやいや……何を考えているのだ私は」
ぶんぶんと首を振った。どうやら記憶の混濁が起こっているようだ。
それはすでに過去の話。
今の自分は人の輪の中にある。少し前なら想像もしなかったことだ。
“精霊”という特殊な存在を受け入れてくれたあの少年。自分という異能を肯定し、快く迎え入れてくれた。
その温かさに触れて、十香は人間というものを信じて見ようと思えたのだ。
だが、本当にそうだっただろうか。自分を身近から支えてくれる存在がいたのではないか。
「――夜刀神十香」
抑揚の感じられない声に、振り返ってみる。
そこに立っていたのは綺麗な少女だった。
色素の薄い肌と、浮世のモノとは思えぬ雰囲気を醸し出す人形めいた相貌。
「貴様は……
宿敵の姿を認めて、十香は身構えた。
「まさか今年も、あなたと同じクラスになるとは想定外だった。とても不愉快極まりない」
折紙は表情を変えずに淡々と言った。しかし、その声音にはピリピリとした敵意が孕んでいた。
「ふん、まさか貴様ともう一年同じ空気を吸うことになろうとはな」
「誠に遺憾。クラス編成に不備があることを学園長に抗議すべき」
「なにを言うか、鳶一折紙。それはこっちのセリフだ!」
二人は睨み合った。ビリビリと激しい火花を交錯させながら、どちらもお互いに一歩も譲ろうともしない。
鳶一折紙とは天才だ。
成績は常に学年主席で、体育の成績もダントツ。おまけに模試でも全国トップの超天才。
非の打ちどころもない超人である。
だが、学園が誇る天才が、刺すような敵意を向けている。
そのただならぬ剣幕に押され、二人の周囲にはぽっかりと不自然な穴が出来あがっていた。友達作りに必死なクラスメイト達や、彼女達に下心丸出しで近づこうと画策していた者でさえも、二人にだけは容易に近づくことが出来なかった。
犬猿の仲という言葉がある。
由来は十二支の伝説だった。その昔、干支を決める選手権があった。犬と猿はいついかなるときでさえも仲良しだった。二人はレースが始まる前、一緒にゴールをしようとお互い約束し合った。しかしゴールの直前、猿が犬を川に突き落としたのだ。仲の良い者からの裏切りに、犬は驚き激怒した。それ以来、犬は猿のことを恨み、みかけるたびに吠えて威嚇するようになったのだと言い伝えられている。仲の悪いものの代名詞として。
これ程、十香と折紙の関係を端的に表している言葉はないと思う。
二人はとある一件以来、こうして顔を突き合わせる度にケンカを繰り返しているため、こういった小競り合いは珍しくもない光景だが、しかし新しいクラスメイト達にとっては新鮮なものらしく、好機の視線が教室のあちらこちらから突き刺さっていた。
「大体、人間でもないあなたがここで人間のフリをしている事自体がおかしな話」
「なんだと」十香が机を叩きながら立ち上がる。「それはどういう意味だ」
「そのままの意味」折紙は動じることなく冷たい目で告げる。「学校は人間が勉強をしに来るところ。人間でないあなたには、ここに居場所があるわけない」
そう――折紙は十香が人間ではないことを知っていた。十香が精霊であることを知る数少ない人間の一人だ。二人が揉めることになったとある一件のきっかけもそこにあった。
十香は怯まない。なんだ、そんなことかとでもいうふうに。鼻たかだかに腕を組んですらいる。
「貴様にそんなことを言われる筋合いはない。そもそも貴様に認められずとも、私のことを認めてくれる者がいる。それだけで十分なのだ」
「あなたに、そんな人間がいるわけない」
「ふん、よく吠える負け犬だな。いくらでも言っているがいい」
「証拠は?」
「私はその者とデェトしたのだ。それが証拠だ!」
「それは嘘。私はその人と恋仲にある。あなたがつけ入る余地はどこにもない」
「そんな馬鹿げた話があるか!」
「馬鹿げているのはそっちの方」
額と額をこすりつけ合わせながら二人は唸っている。
「ならば答えて」折紙が口を開いた。「あなたがデートしたという人間は誰なの?」
「愚問だな。そんなこと、考えるまでもない」
自信満々に胸を反らしながら答えようとして――
「……うん?」
言葉に詰まった。さっきまで喉のすぐそばに出かかっていたというのに。
またしても強烈な違和感。まるでパズルのピースが延々と噛みあわないかのように上手く思考がまとまらない。
そもそもの疑問――自分達は何を巡って争い合っていたのだろうか。
考えても考えても思い出せそうにない。それがひたすら気持ち悪い。
(なんだ……この奇妙な感覚は)
何かとても大切な何かを忘れている。
いや、違う。――忘れ去られている?
(誰に? いつ? 何が目的で?)
分からない。思い出せない。胸のすぐそこにまで迫り上がっているのに。
(まさか……記憶を操作されているのか?)
自分が知らない内に脳をいじられているという感覚に、背筋がぞっとなった。
そいつは何者だ? いや――そもそも、そんなことが出来る相手などいるのか?
「夜刀神十香、何を黙っているの。もしかして答えられないの?」
折紙の訝しそうな声でハッと我に返る。
「ぬ……そ、そんなはずはない。今のはたまたま調子が悪かっただけだ」
「あなたの頭の調子が悪いのはいつものこと」
「貴様!」
折紙は踵を変えて歩き出した。これ以上言葉を交わす意味などないというように、教室から廊下へ出て行ってしまった。
十香はすぐに追いすがる。
「待て、鳶一折紙!」
折紙は足を止めない。口を開こうとすらしない。徹底した無言の意思。
「……」
「貴様は分かるのか!」
「何を?」
「貴様にはそれが誰か分かるのかと、訊いている!」
「……答える義理は無い」
「貴様も答えられないのか。恋仲にあるというその者の名を!」
「……っ!」
ぴくり、と折紙の肩が大きく揺れ、その場に硬直した。
表情はこちら側から窺えない。だが、動揺しているのは火を見るよりも明らかだ。
「貴様にも、分からないんだな?」
折紙は肩をわなわなと震わせて立ち尽くしている。
結局、宿敵は最後まで口を開こうとしなかった。
超次元ゲイム学園/高等部/中央棟――二年生教室/廊下
入学式を終えて、二年の教室から生徒がぞろぞろと溢れ出ている。廊下のそこらかしこでは、下校の雰囲気がすっかり滲みでていた。
これから部活動に励む生徒や、課外活動に出かけていく勤勉な生徒もいるのだろう。彼らの顔ぶれは様々だ。
今日、二年生がしたことといえば、新しい教室の確認と、新たなメンバーを眺めることくらいだ。これから七日程度のオリエンテーリングを挟むため、本格的な授業が開始されるのはだいぶ先のこととなる。
様々な顔が廊下に溢れるなか、そこにはブランと――プルルートと呼ばれる生徒がいた。
「……ねえ、プルルート。これから空いてる?」
ブランが静かながらも、期待のこめられた声で言った。
その期待に応えるようにプルルートは、薄紫のサイドテールを楽しげに揺らした。
「大丈夫だよぉ~、ブランちゃん。何かするの~?」
「……ええ。これから妹達を迎えに行こうと思っていたの」
「たしかぁ~、ロムちゃんとラムちゃんだよね~?」
「……そうよ」
「そうなんだぁ~。いいなぁ~、あたしぃ、妹いないからさぁ~」
それは素晴らしいことだと褒め称えるようでもあり、そんな存在がいることを心から羨ましく思うような――そんな響きだった。
ブランはちょっと照れ臭そうに、目を逸らしながら囁いた。
「……あなたさえよければ、紹介するけれど」
「ほんとぉ~? わ~い」
プルルートは嬉しそうに両手をぽんっと叩いた。これから起こる素晴らしい出会いにときめきを隠さずにはいられない。
「……そういえば、ノワールとベールはどうしてるの? あなた達、同じクラスだったと思うけれど」
「んーっとぉ、二人は~、サークルの新入生歓迎会とかいうので忙しそうなんだよ~」
プルルートの返答に、そう、とブランは素っ気なくうなずいた。
「……それなら仕方ないわね。私達だけで行きましょうか」
「あ、でもでもぉ~、その前に~、お願いがあるんだけどいいかな~?」
「……何かしら?」
「あたしのおともだちを誘ってもいいかなぁ~?」
「……友達?」
ブランは目を丸くした。それは新しくクラス替えしたときに出来た友達だということだろうか。もしそうならプルルートは友達を作ることに長けた天才だろう。そうでなくてもプルルートには接しやすいというか、どこか馴染みやすいほんわかとした雰囲気があるのだ。
自慢の宝物を見せつけるかのように、プルルートはブランの腕をそっと引き寄せた。
「うん~! 新しく出来たおともだちなの~。名前をイヴちゃんっていうんだよ~」
「……イヴ? イヴだって!?」
思わず耳を疑った。ブランの心は激しく動揺していた。うっかり素が出てしまうほど取り乱していたのである。まるで見てはいけない何かを目の当たりにしたかのように。
「ブランちゃん知ってるの~?」
プルルートは小首をかしげた。
「……知ってるも何もかなりの有名人じゃない」
「そうだったのぉ~!? テレビにも出てる人なんだぁ~!」
「……違うわ。彼女は不良よ。それもただの不良ではない。この学園きっての不良よ」
「ほえ?」
目を点にするプルルートに、ブランは滔々と語り始めた。
「……一年前――入学式のとき、この学園の不良を潰したとされる札付きのワル。今では学園内の不良を一人残らず従えていて、もし彼女に逆らったり従おうとしない者には、血で血を洗う鉄拳による制裁が待ち受けていると、そう言われているわ」
「へぇ~。悪い子なんだねぇ~」
プルルートはしみじみとうなずいている。
「……悪いことは言わない。彼女に近寄らない方がいい。ましてや妹達に近づけさせてはダメ」
妹達の泣き叫ぶ顔が脳裡に思い浮かんだ。
学園一のワル――そんなやつを妹達の前に連れていった日には、どんな目に遭わされるか分かったものではない。ロムとラムを身代金目的で連れ去られてしまうことだろう。
しかし、プルルートの反応はブランとは全く真逆のものであった。
「う~ん、でもでもぉ、あたしにそうは見えないんだよね~」
「……プルルート?」
呆気にとられるブランの前で、プルルート何事かを思案するように両手を絡み合わせ、
「ごめん、ブランちゃん~。あたし行けそうにないから、先に行ってて~」
人の良さそうな笑みを浮かべ、ぱたぱたと走り出してしまったのだ。
「なっ……おい、プルルート!」
慌てて制止の声をかけるも、プルルートには届かなかった。
たしかに妹達に先に帰られては元も子もない。ブランは名残惜しそうな目でプルルートを見つめた。
遠ざかっていく視界の中でも、彼女のサイドテールは、無邪気な子猫のように揺れている。
前だけを向いて歩きたい。
私の歩調は心なしか早くなっていた。周囲からの物珍しげな視線にもめげることなく、背筋をぴんと伸ばしている。むしろその視線を突き返すように堂々と大股で突っ切ってみせる。
ひそひそと話し声が聞こえる。
一瞬だけ、私の方を見て、怯えたように身を震わせた後、すぐに目を逸らしていく。
わざとらしくお喋りを再開して私のことを無視している。
いつもの日常であり、すっかり見慣れた光景だ。
それは私の特異な見た目にも原因があるのだろう。
白い肌――
白い髪――
これが異常であることは私自身も理解している。どうしてそうなってしまったのか、それは気の遠くなるような昔であるため、私にもよくは思い出せない。
それと、私が遠ざけられるのにはもう一つ理由がある。
一年前に起こした騒動がその最たるものだろう。
入学式に起こした乱闘事件。
そのせいか憶測もない話が今でも広まりつつある。
学園にはびこる不良を従えているとか、ヤクザと繋がりがあるとか、裏口入学だとか、学園長を脅しているとか、そんな根も葉もないゴシップばかり。都市伝説がそうであるように、人から人へ伝わるたびに、元の話に尾ひれ葉ひれがくっついていき、肥大化していくのは常だ。元の形を保っていることは絶対にありえないのである。人の心がそうであるように。頭では分かっているつもりだ。
しかし、それがここまでくると思わず笑ってしまう。
そんなデマを平気で吹きこむやつも、そんなデマを信じてしまうやつらにもだ。
そんな中、私に平気で声をかけてくるやつが一人。
「いたいたぁ、イヴちゃ~ん!」
またか、と呆れたため息がこぼれる。
そこには紫色のおさげを垂らした女子生徒がいた。今年から私と同じクラスになったプルルートである。
私は振り返ることなく、歩き続ける。
「そういえばぁ~、イヴちゃんって一人だったよね~?」
「何がだ」
「寮の部屋のことぉ~。あたしもイヴちゃんと同じプラネテューヌ寮なんだぁ~。だから一緒の部屋になろうよ~」
この学園には学生寮がある。
東と西と、南と北。それぞれ四つ。
『プラネテューヌ』、『ラステイション』、『ルウィー』、『リーンボックス』
超次元ゲイム学園の生徒は、それぞれの出身地によって寮を割り振られる。それがこの学生寮の特色だった。
「断る」さらっとイヴは言った。「趣味じゃないんだ、そういうの」
「ええ~、なんでぇ~?」
あまりにもしつこいので、私は一度だけ足を止めた。
「生憎、私は一人が好きな性質なんでな。誰かと一緒など想像しただけでも気苦労が絶えなさそうだ。それに孤独こそが真に人を強くする。誰かと馴れ合いなんて御免だな」
「待ってよぉ~、イヴちゃん」
「なんだ。まだ何かあるのか?」
「これ、あげる~」
一枚の紙きれを手渡された。
それは相部屋となることへの申請書――ルームメイトの許可証だった。
本来、部屋の移動は禁じられているが、同じ寮内に限り、移動を許されている。
本人同士のサイン――お互いの同意の上で、寮長に提出することが出来るのだ。
「私はお前と一緒になれないと言ったはずだが」
用紙を突き返そうとするも、
「いいから持ってなよ~」
プルルートはにこやかな笑みを浮かべながら、私の手を強引に押し返してくる。
「あたしはいつでも待ってるよ~」
ぱたぱたと小気味の良い足音を立てながら遠ざかっていく。
ゴミ箱に捨てようかとも思ったが、それすらもめんどくさく感じていた。深くため息をつきながら、バッグに押し込む。私なんかと相部屋になることを望むなんて物好きなヤツ。もし私と会話しているとこを目撃されたら、あっという間に不良の仲間として認定されて遠ざけられるかもしれないのに。いや、あんなにゆるふわしたヤツに限ってそんな誤解はないだろうが。
どういうわけだか私はこうして学園にいることを許されていた。あれだけの問題を起こしながら、のうのうと学生生活を送ることが出来ている。
それだけでなく高等部の二年として進級さえしている。
これは嘘のような偶然が積み重なった――奇跡だとしかいいようがない。
(おめでとう。君は無事試験に合格した)
男の声が脳裡に蘇った。
不気味だった。男は口元を愉悦に歪め、世紀の発見に立ち会えたかのように感動に打ち震えている声で、私を見下ろしていた。
その結果が、他ならぬ私でさえも信じられぬような想いだった。
当事者である私に、今でも一年前の出来事を語るのは困難極まる。
しかし、あのときの出来事は私の頭の中で、痛烈なモノとして全て記憶されていることには間違いないのだった。
引き換えに得られたのは、私は生き残る資格を手にしたこと。危うく退学処分になりかけたところをこうしてなんとか首を繋いでいられること。首輪をつけられ、奴らの狗になることで。
代償は、途方のない屈辱と、途方のない敗北感。
その二つが、私の奥深くに焼き付けられていた。
過去回想/一年前の記憶
入学式。
しかも登校初日から不良と乱闘騒ぎを繰り広げた重罪人に、人権などあってないようなものである。
今日は、私の犯した罪について、学園側が審判を下す日だった。
私が通されたのは小ぢんまりとした一室。
入る前に確認したプレートによると『小会議室』と書かれていた。
ここは学園の職員達が通常の会議で使用する場所ではない。素行や成績がいまいちふるわない学生と教師が今後の事を話し合う事で、改善の余地を計る――いわゆる問題児のためにしつらえられた部屋だ。
一台のテーブルと四つのイス――最低限の物しか置かれていないところを見る限り、やはりここはそういう場所なのだろう。
そこで待ち受けていたのは二人の男達だった。私は男達と正面から対峙するような形でイスに座った。黒い服の上からでも分かる屈強な肉体と、サングラスがトレードマークだった。
私はこの二人から妙な違和感を感じた。
どちらも同じ印象しか見受けられないからである。機械的というか――外見的特徴を似せることで自分達の個性を殺しているような気がした。それは何の為だろうか。
そんなことを考えていると、右の黒服がおもむろに口を開いた。
「派手にやってくれたね。リリアーヌ・シュートリッヒ・ウィングナイツ君」
本名をフルネームで呼ばれ、イライラしたが、そんな事でいちいち腹を立てても意味がないと悟った私は怒りを自制することでなんとか事無きを得た。ここで事を荒立てれば不利になるのはどう考えても自分だった。
「君は我が校の理念が何であるか、知っているかね?」
黒服の問いかけに、私はよどみなく答えた。
「年齢、性別、出自、来歴などは一切不問として、これからの未来を見つめる若き学問の徒を慈しみ、育てること」
別に覚えたくて覚えていたわけではない。イストワール学園長に口うるさく聞かされていたので、覚える気はなくとも頭の奥にまで染みついていた。
「その通りだ」黒服は頷いた。「今どき学園の掲げる理念をすらすらと言える生徒は少ない。何故、学校に通っているのか、そもそも学校とは何であるか、教育機関が何のために存在しているのか。勉学に興味を示さない生徒が近年増加したのか、はたまた向上心や野心がない若者ばかりなのか……実のところ私にはどちらが原因かは分からない。とにかく、そういう根本的な部分を理解している生徒は少ない。第一則――本校の生徒である自覚を持って過ごすこと。君は概ね、我が校の模範とされる生徒の一人だと言ってもいいだろう」
サングラスの奥で、男の目が細められたのを感覚した。
「だが、我が校の生徒三十二名を病院送りにしたことについてはいささか配慮が欠けていると言わざるを得ない。彼らは勉学に興味を示すどころか、むしろ悪評がばらまかれる学園の癌そのものだった。正直私達の手に余っていたところもあり、今回の一件は彼らをこの学園から除籍するための丁度いい大義名分となった。癌は早めに切除するに限るからね。が――しかしこれが外部に漏れる事態に発展すれば、話は変わる。超次元ゲイム学園の転覆を狙う他校や、薄汚いマスコミ共にみすみすエサをやることに他ならない。世界一の名門校として我が校が掲げるイメージ、及び尊厳と名誉に傷をつけることになるだろう。これは我が校の存続に関わる一大事だといってもいい。君は学則を覚えているかね? 第二則――授業や
私はうんざりしたように腕組みした。
「つまり、私は学園にとって不必要な存在だってことだろう。ならそう言えば、すぐにでも出ていってやるさ」
自分の学校がいかに偉大で素晴らしいものであるかという自慢を延々に説き伏せられ、そんな退屈な話を最後まで耐え忍んだとしても、どうせ最後には退学しか待っていない。これほど無意味で無価値なことはない。
そう判断した私が席を立ち上がろうとしたとき、
「待ちたまえ。まだ話は終わっていない」
今まで沈黙を保っていた、左の黒服が口を開いた。
「私達は君個人の潜在能力を高く評価している。そこでだ。ここは一つ提案があるのだが、どうだろう?」
「提案だと?」
「今から、入学試験を受けてみる気はないかね?」
チャンスを与えよう――そう言われた気がした。
意味が分からなかった。学園の秩序を乱す問題児である私に何故そのようなことをするのか。全く意図がつかめなかった。
「我々の課した試験で素質を見出すことが出来れば合格だ。素質が備わっているかどうか、それを確かめることにこそ意義がある。そして、試験に無事合格出来たとき、君は改めてこの学園の――“本当の生徒”として受け入れられることになるだろう。君が起こした乱闘騒ぎも不問とし、その後始末もこちらで引き受けよう。どうかね? 君にとっても悪い話ではないと思うのだが」
イヴは手を挙げて黒服を制した。
「そちらの要求に応える前に、こちらから聞きたいことがあるのだが……」
「いいだろう。質問を許可する。ただし、我々が認める範囲内でのみ。それを超えた質問には回答できない」
「本当の生徒とはどういうことだ?」
「この学園に複数のコースが設けられていることは知っているな? 我々は社会に役立つ人材を輩出する義務がある。それは我々にとって至上の喜びである。研究者や哲学者が心血を注ぎ、神経をすり減らして人生の命題を見出すことと同義だ。そのときに感じる感動を味わうためだけに我々は活動しているといっても過言ではない。才能の開花こそ我々に課せられた使命なのだから。その数あるコースの中でも、特に我々が力を入れている学科がある。そこは我々が最も期待と苦労を寄せている場所だ。君にはそこに入ってもらいたい」
「そのコースとは?」
「現段階ではそれに答えられない。君が試験に合格すれば、おのずと明かされるだろう。質問は以上か?」
「そうか」
私は頷くだけにとどめた。これ以上問い詰めたところで、きっとこの男は答えやしないだろう。それにこの男の言葉を信じるとするならば。どんな形であれ後で分かるというのならそれを信じて大人しく引き下がる他ない。
だが――
「最後に一つ」私は最初から気になっていたことを口にした。「お前達は何だ?」
それがこの違和感の正体だった。この男達は見るからに胡散臭い空気をまとっている。どう考えても、こんなやつらが教師であるはずがない。
だが、黒服から返ってきた返答は――
「――それに疑問をもってはならない」
頭を鈍器で殴りつけられるような衝撃が走った。男の声がどこか遠くから降ってくるような錯覚を覚えた。ものすごい力で上から押さえつけられるような重圧感に支配された。
「どうして与えられるモノを疑おうとする? もしかして君は親から与えられた愛を疑ったことがあるのかね?」
「……なに?」
「だから家を追い出された? それはいけないなあ、リリアーヌ君。いや、ここはリリーと愛称で呼んだ方がいいのかね?」
総毛立った。間違いないという確信が湧いた。この男は私の全てを知っているのだと思った。その上で私に接触を試みている。幸福や不幸も取り上げられ、思考する暇もなく一個の物体として処理されたときのことを。
「君はただ選択すればいい。我々の与える試験を受けるかどうか。そのための選択だ。子供は子供らしく大人の言うことに従っていればいい」
全身から嫌な汗が噴き出していた。身体の奥底から殺意という殺意が湧きあがり、どろどろのマグマとなって歯止めなく噴火してしまいそうだった。
「……イヤだといったら?」
「我々が君の前に姿を現すことは二度とない。試験の話もなかったことになる。君は入学式に起こした乱闘騒ぎの責任を問いただされ、しかるべき処分の後、我が校を退学することになるだろう。学園長の後ろ盾は期待しないことだ」
「……」
「考える時間をしばらく与えよう。君の賢明な判断を期待しているよ」
そう言いつつも、私がどちらを選ぶかなんて分かりきっているような表情だった。
どうせ子供なんだから――言外に馬鹿にしきっているようなニュアンスを感じていた。子供なら大人の言いつけは絶対に守るだろうというように。
それだけ告げると、黒服の男達は退室していった。
どちらにしろ私には彼らの要求を呑む以外、他に道は残されていなかった。
悔しい事にそれが現実だった。
大きな力の前で、何もすることは出来ない。手足を押さえつけられ、身動きは取れない。抵抗する手段を一切奪われているのと一緒だった。疑問をもつ自由すら与えられない。ルールという鎖の前では。ルールを疑うということは、それに背くことと同義なのだ。
どこまでも、私は無力な子供でしかなかった。
黒服に連れて行かれた先は、ずいぶんと天上の高いドーム状の建物だった。中はがらんどうで、つやつやと光るタイル状の建物が床一面に敷き詰められている。目を凝らしてみれば建物の隅にはカメラが仕掛けられており、絶え間なく私達の行動を監視していた。
脱走しようとしたり、少しでも変な動きを見せようものならば、その情報も逐一報告されるのだろう。
ここを監視している黒服の男達に――あるいはそれをも操る別の何かに。
まるで研究所の実験動物のような扱いだ。檻の中に閉じ込められ、研究者達の探求心を満たす為だけにその一生を踏みにじられるのと変わりない。
「使え。これがお前の武器だ」
黒服が差し出したのは、一本の模造刀だった。殺傷能力を押さえられた模擬戦用の武器だ。
「私から取り上げた武器を返してもらいたいのだが」
「今はそれがお前の身を守る武器だ。安心しろ。試験が終わればお前の銃剣は返却しよう」
「……了解」
私は渋々それを受け取った。
近接戦が苦手というわけではない。私の愛用していた武器の特質上、近距離だろうと遠距離だろうと両方こなせる万能型であるため、どちらかが欠けようとも特に問題はない。
しかし、そのどちらかを制限されるとなるとどうにも落ち着かないものがあるのは確かだった。剣だけとなると近距離主体での戦いに限定されてしまう。遠距離での戦法は頭から一切、捨て去らなければならない。なまじ両方のスタイルを視野に入れた戦い方に慣れてしまっているためか、息苦しさを感じてしまう。
「で、私はこいつを使って何と戦えばいいんだ?」
黒服はかすかに笑ってこう言った。
「お前の同胞さ」
奥で扉の開く音が聞こえた。見計らったようなタイミングで現れたのは一人の女だった。
すらりとした背丈と怜悧な顔つき――豊満な胸やくびれた腰つきといい、見惚れてしまうようなプロポーションを誇っている。その柔らかな肢体を包むように、紫色を基調とした装甲が、彼女の全身を覆っていた。
――ただ者ではない。
この女の存在だけで雰囲気がガラリと変貌した。殺伐とした実験場から、神聖なる闘技場へと風変わりしたようにさえ感じていた。
現にこの女の纏っている空気からは、全てを寄せ付けないような鋭さを物語っている。
ただならぬ威圧感を私は全身に受けながら、
「お前は誰だ?」
「人に名を聞くときは、自分から名乗るものでしょう?」
凛とした声で女は言い放つ。一見、冷静なようでいて、声の端からはこちらへの警戒と緊張が見て取れた。
私は名乗ることにした。相手の神経を下手に逆撫でする理由はない。
「私はイヴだ」
そう――と女は満足するように頷くと、囁くようにして唇をそっと開いた。
「私はパープルハート。女神候補科に所属する学生よ」
そもそも超次元ゲイム学園とは、この"ゲイムギョウ界"という世界から名を持ってきているのが由来の学園だ。世界の名を冠するだけあって、ゲイムギョウ界で最大の学園とされている。
年齢、性別、出自、来歴などは一切不問として、これからの未来を見つめる若き学問の徒を慈しみ、育てることこそが、世界の創造にも関わったとされる存在、学園長イストワールがこの学園を設立した理由だそうだ。
そんな方針だからか、学園には百をも越える数の様々な学科が設けられており、向学心に満ちた若者達にあらゆる分野に進む為の道を示す最良の環境を提供している。
数ある学科から一部を例として挙げると、音楽科やクリエイター科などの基本学科から、国の機関や冒険者ギルド等に所属する諜報員を育成するエージェント科、戦闘に関する事柄を学んでゆく戦闘技術科……etc
そしてこの学園で最も重要となる、次世代における世界の守護者――女神の候補者を養成する学科、女神候補科。
その他にも遺跡発掘科や錬金術科、魔法科などなど……とにかく数えきれない程の学科があるのでまず学科選びに悩む学生が続出しているのが生徒間での深刻な悩みだ。
そして――当初、設計された部分からさらに増改築を繰り広げているためか、私達がこうして息をしている合間にも、宇宙のように無限に膨れ上がっているのだという。
校舎の外観はせいぜいプラネタワー二個分くらいの大きさにしか過ぎないが、その中身はまさに異次元と言ってもいい程の広がりを有しているのが超次元ゲイム学園の実情だ。これほど見た目が当てにならない校舎はないだろう。
その全貌と概要は誰にも把握しきれておらず、教師が把握しているのは設計当初の部分のみだけ。この学園の設立に携わった理事長と学園長がその全貌を把握していると言われているが、真偽の程は不確かである。
そもそも誰が好き好んでそんなことをしているのかは皆目不明。誰に頼まれたわけでもなく校舎を大きくさせようという向上心たるやボランティア精神の鏡であるが、そこを利用する生徒や教師からすれば傍迷惑な話意外の何者でもない。未だその献身的な誰かを目撃した者は誰一人としておらず、学園の七不思議としてまことしやかに囁かれている。
学校内で多少迷うことはあっても、遭難するなどという実に馬鹿げた事態が発生するのがこの学園の特徴の一つだろう。学園側では立ち入り禁止区域と指定し、特別な許可がない限り生徒の立ち入りを禁じている。
なぜこのようなことを学園側がわざわざ取りきめたのか。それは年々、増加していく傾向にある生徒の死亡者にあった。職員の間でもそれが最大の悩みの種であった。
第三則――学園の立ち入り禁止区域に許可(授業または課外授業以外で)なく近寄るべからず。仮にこれを破って生命が危ぶまれた場合、自分の身は自分で守ること。尚、防衛の手段は個々の判断に委ねる。
学園側は学則を制定することで、生徒間の危機意識を煽ったのだが、これが逆効果だった。
面白半分や怖いもの見たさで危険地帯に入り込む生徒が後を絶たなくなったのだ。
中には、己の勇気と力を誇示すべく、腕に自信のある生徒が自ら危険地帯へ潜り込んでいくのもよくある話だ。
そして、その無謀な生徒の消息がつかめなくなるもの珍しくはない話だが、運よく生還する強運の持ち主が稀に現れるのは珍妙なことであったという。
某所――学園の奥深くにある秘境――秘密の花園
そこにはきらびやかなシャンデリアや暖炉など、色とりどりの調度品が並べられている。
例えるなら貴族の住むお城――その一室を切り取ってきたような西洋風の部屋だった。
ここは隠された部屋の一つ――『秘密の花園』と呼ばれる場所だ。
普段、生徒会室として機能しており、この場所を把握しているのは生徒会のメンバーか、それに隷従する下位組織の人間だけである。
もちろん生徒会の存在は公のもとして生徒の間にも認識されているが、生徒会役員がどこで活動しているかを知る者は数少ない。まさに秘密の花園と呼ぶにふさわしい場所だった。
そこには白い髪と、白い肌をした少女だけが、テーブルに座っていた。
彼女は死装飾をイメージさせるような黒いドレスを着ており、黒と白の対比のせいか――黒いドレスから覗く、白い肌が浮き彫りとなっていた。
どこか優雅な雰囲気を漂わせており、さながら絵本の世界から迷い込んだ、お姫様のような佇まいであり、ほっそりとした腕には紅茶の淹れられたカップが携えられている。
ゆるやかな時間が支配するこの部屋にドアをノックする音――突然の来訪者が現れた。
ドアから現れたのは一人の男だった。
「失礼します。ルールローゼ・シュートリッヒ・ウイングナイツ様。ご報告に参りました」
「その名前で呼ぶのはやめて頂戴」
ルールローゼと呼ばれた女は微笑んだ。見つめたものを一人残らず虜にしてしまうような極上の笑みだった。
それにも関わらず男は心の底から震えあがっていた。彼女の下について日は浅い。しかし、彼女の浮かべる笑みは必ずしも今の感情を素直に表しているモノではないと、ここ数日で身をもって分からされていた。
「し、失礼しました! 次期生徒会長候補様!」
「それもやめて頂戴。堅苦しくて好きじゃないし、私はこの学園の正式な生徒ではないのよ」
フォークとナイフ以外に重いものを持ったことがない、というような仕草で首を振った。
「で、では何とお呼びすればいいのでしょうか?」
「そうね……何がいいかしら」
考え込むようにすっきりと整えられたあごに手を当てる。どこか芝居じみた仕草だと男は思った。それなのにもったいぶった事をするのか、男には考えがまるで分からなかったが、彼女の中で答えなんて最初から決まりきっているということだけは分かった。
「――……そうだわ! 私のことはアダムって呼んで頂戴」
「は……いや、しかし」
歯切れが悪そうな男に、彼女は小首を傾げた。
「どうかしたの?」
「いえ、それは男の名前ではありませんか。あなた様はいわば美しい一輪のバラ。それはバラ園に咲き乱れるどんなバラよりも強く気高く、誇り高い存在です。彼の有名な作家、ダンテの著書『神曲』にもこう書かれています。天使や聖人の献上物に選りすぐりの美の象徴が選ばれたと。その美の象徴とは純白のバラだと言われています。あなた様にはそんな名前よりも他にふさわしいものがあるかと思うのですが……」
「不服かしら?」
ルールローゼは笑みを浮かべた。
その笑みの下にあるモノを察して、男は震えあがった。
「め、滅相もございません! 下僕の身でありながら出過ぎたことを申し上げました。この非礼、どうかお許しください!」
「分かればいいのよ。物分かりのいい子、私好きよ」
ルールローゼ――いや、アダムは花のような微笑を湛えた。
男は安堵のあまり内心で汗をぬぐった。今度の笑みは、どうやら機嫌を直してくれたということらしい。彼女ほど本心の見えぬ相手はそういないだろう。ほとほと対応に困り果てる相手である。
「面を上げなさい。何か伝えたい事があって私の元へと来たんでしょう?」
「はっ……では謹んで、ご報告を申し上げさせてもらいます」
そこでドアがノックされた。何とも間の悪いタイミングで入ってきたのはメイドだった。
「失礼します。お嬢様、紅茶をお持ちしました」
ぺこりと行儀よくお辞儀をしてから、ルールローゼのテーブルへカップを並べる。ポットから香ばしい風味のする紅茶が注がれていく。
「御苦労。下がっていいわよ」
メイドは入室したときと同じくらいの丁寧さで頭を下げると、ポットを持って部屋から退室した。
メイドが退出しても、男はしばらく口を開こうとしなかった。
彼女がカップに一度口をつけてから離すまでは、一切喋ることを禁じられている。それがこの部屋での暗黙の了解だった。その掟を破った者がどうなるか男は知っている。忘れるわけがない。掟を破った者の末路を、幾度も目の当たりにしてきたのだから。
「美味だわ。やっぱり紅茶は百度の熱湯で茶葉を開かせないとね」
ルールローゼがカップから口を離したのを確認してから、男は述べた。
「今年度の女神候補科に選別された新入生のリストが出来あがったのでお持ちいたしましたが、今ここで読みあげましょうか?」
「いいえ、その必要はないわ。テーブルの上に置いといてもらえるかしら。後ほどゆっくりと目を通させてもらうから」
「はっ、承知しました。報告は以上です」
男はテーブルの上に書類を置いて、かしこまって生徒会室から立ち去ろうとした時、
「そういえばあの娘は元気かしら?」
「あの娘というと?」
「リリーよ。もっとも、今ではイヴと名乗ってるらしいけどね」
「……詳細は存じませんが、なんでも二年の女神候補科の学生――プルルートと接触があったらしいです」
「プルルート?」
「はい。なお、彼女の友好関係はとても広く、女神候補科の筆頭であるネプテューヌ、ノワール、ブラン、ベールと、その妹にあたる一年生とも繋がりがあるそうです」
「へえ……一人ぼっちのあの娘に関心を抱く子がいるだなんて、優しい子なのね」
「いかが致しましょうか?」
「しばらく様子を見ましょう。その代わり報告は一切怠らず、定期的に行うこと」
「承知致しました」
男は恭しく一礼すると、生徒会室から姿を消した。
一人取り残されたルールローゼは、紅茶を飲み干すとおもむろに立ちあがった。
窓を開けて、中庭のテラスに出る。
さながらバラの海といったところか。そこには息を飲んで魅入ってしまう程、一面にバラが咲き乱れていた。花びらが散ろうともルールローゼは躊躇うことなく足を踏み入れていく。
彼女の目標とするモノは唯一つ。
中央に一輪だけ咲き誇る――白バラだ。
堂々とした佇まいで咲くそれを、ルールローゼはそっと手に取る。
そして、白バラを胸に抱きしめた。慈愛さえ感じさせるように瞳を滲ませながら。
「ああ、リリー。私のたった一人の妹。最愛の家族。あなたはバラ園に咲き乱れるちっぽけな白いつぼみ。どこを見渡しても同じ色なんてありはしない、孤独な花。周りのバラ達はあなたを異端者だと迫害し、汚い色だと罵る事でしょう。あなたがどんなに泣き叫んだって、イバラの城から決して逃げられない運命にある。でも、安心して頂戴。あなたを途中で枯れさせやしない。他の誰にも蹂躙させはしない。水やりも怠らないし、私が太陽となってしっかりと照らして上げる。絶望だけを糧に、あなたの命が花開くその時までは――……」
そこから先の言葉は露と消えた。
突如吹き荒れた突風に、彼女が顔を覆い隠したからだ。突風が過ぎ去って、再び顔を現したとき、手に握られていた白バラはへなへなに萎れてしまっていた。風から顔をかばったときに強く握りしめてしまったからだろう。
しかしルールローゼは、特に気分を害したわけでもなく、むしろ楽しそうにまっしろな腕を伸ばし――歌を謳い始めた。
白い翼をはためかせて、祝福の歌を詠う天使のように。
「生命みじかし、恋せよ乙女
いざ手を取りて、彼の舟に
いざ燃ゆる頬を、君が頬に
ここには誰も、来ぬものを……」
少女の歌は誰の耳にも留まることはない。
夜空に浮かぶ無数の瞬きへと、吸い込まれていくだけ。あの広大な空から私達を見下ろす、幾億もの星々だけが彼女の観客だった。
「あらあら、なんともお上品な趣味をお持ちですこと」
ふいに、背後から拍手が鳴り響いた。誰もいないはずのテラスから、少女の笑い声まで聞こえてくる。
「素晴らしいですわぁ。アンコールはやってもらえませんの?」
「――……誰?」
ルールローゼが素早く振り向いた。
そこにいたのは影のような少女だった。そのくせぞっとするほど妖しい美貌をもった、妙な存在感を放つ少女だった。
「失礼。申し遅れました。わたくしは
狂三と名乗った少女は、令嬢のように行儀よくスカートの裾をくいっと摘まみ上げながら一礼してみせた。
頭部を覆うヘッドドレス。胴部をきつく絞めあげるコルセットに、装飾過多なフリルとレースで飾られたスカート。それら全てが、深い闇を思わせる黒と、血のように赤い光の膜で彩られる。
そして最後に、なぜか左右不均等に髪が括られていた。
まるで――時計の長針と短針のように。
「時崎さん、といったわね。どうやってこの場所に辿り着いたのか、なんて野暮なことは訊かないわ。いくら秘密を知る人間が少ないとはいえ、人の好奇心を抑えることは出来ないもの。たかが少数とはいえ、秘密を知る者がいればそれは神秘たりえない。でもね、過ぎた好奇心はときに猫を殺すのよ」
ルールローゼは突然の侵入者を前にしても、花のような笑みを浮かべている。しかし、そういった華やかさとは裏腹に、その瞳には油断なく外敵を見据える鋭さがあった。
「そう身構えないで下さいまし。あと、わたくしのことは狂三で結構ですわよ。――アダムさん」
あからさまな敵意に気づきながらも、狂三は物怖じするどころか相手に合わせて笑顔を浮かべてすらいる。腹の底が読めず、ひたすら得体の知れない相手だった。
「そう。じゃあ、親愛と敬意と友好を込めて、狂三さんとお呼びするわね」それでもルールローゼは笑みを崩さない。「率直に訊きましょうか。ここへ何をしに来たの?」
「あらあら、アダムさんったら。随分とせっかちなんですのね」
「無駄な世間話に花を咲かせてもそれは時間の浪費でしょう? 私は回りくどいことが好きではないの。だからミステリーって嫌いだわ。それに、知らないのってすごく気持ち悪い感覚じゃない。密室殺人だとか、迷宮入りなんて言葉を聞くだけで吐きそうになってくるわ。特に、あなたみたいな得体の知れない女の子が、人の部屋に現れたりしたら気味が悪くて仕方が無いわ」
苛立つルールローゼを前にして、狂三はくすくすと笑いだした。
「うふふ、気分を害してしまったようなら申し訳ありませんわ。わたくしはただアダムさんとお友達になりたくって、ついつい後ろから驚かしてしまったんですの」
「もう一度だけ訊いてあげる。ここへ何をしに来たの?」
ぴしゃりとルールローゼが言った。次は無い、とその強張った笑顔が語っていた。
やれやれ、と狂三は顔を振った。
「では、率直にお尋ねします。わたくし達をこの世界に招き入れたのは、あなたですの?」
「わたくし達、とはどういう意味かしら? 分かるように言って頂戴」
「わたくし、精霊ですのよ」
「精霊? 狂三さんがそうだっていうの?」
ルールローゼが初めて笑みを崩した。さすがの彼女もちょっと驚いたようである。
「ええ」
狂三はあっさりうなずいた。
「へえ……あなた精霊だったのね。実物を見るのはこれが初めてだけど」
「でもその口ぶりだと、アダムさんは精霊のことをご存じの様子ですわね」
「ええ、知ってるわ。昔、絵本で見たことあるの。伝説の存在なんですってね。現れたら現れたで、世界に破滅をもたらす異形の存在だって訊いたわ。まさかそんな存在が私の目の前に現れるだなんて――まるで夢でも見てるみたいだわ」
「あらあら、アダムさんがそんなに喜んでいただけるなんて、嬉しいですわァ感激ですわァ。これでもわたくし、元いた世界では《ナイトメア》だなんておどろおどろしい名前をつけられて、みなさんから恐れられていたんですよ。まったく、ひどい話だと思いませんこと」
「ふふ、それに関しては向こうの人達に同情するわ。あなたみたいなのがいたら、夜も怖くておちおち寝てられないわぁ」
「ひどいですわぁ、わたくし泣いてしまいそうですわ」
今にも泣いてしまいそうに表情が歪められた。
だが、ルールローゼはそれを演技だと見抜いてか、狂三に意を介そうともしない。
「狂三さんの質問に答えるわ。私はあなたを招き寄せていない。あなたの存在を知ったのは今さっきのことだもの」
「あらあら、そうでしたの。それは残念ですわ」狂三は演技も忘れ、口元にうっすらと笑みを形作った。「だけど――その様子だと、わたくし達が何故ここにいるのかくらいは御存知のようですね」
「さあねえ。……知らないって答えじゃダメかしら?」
ルールローゼの言葉から、眠りについていた殺意がむっくりと身を起こしたのを感じた。
それだけで確信を得た。答えと言わないまでも、この女は何かを掴んでいる。
「アダムさん。答えて下さいまし」
「知らないって言ったでしょ」
「何か答えられない理由でもあるんですの?」
「しつこい人は嫌いよ」
「どうしても――答えてくれないんですの?」
狂三の問いにルールローゼはもう答えてくれなかった。
答えの代わりに、貼りつけたような笑顔がそこにはあった。それは獲物を前にして、気配を殺して必殺の時を待つ肉食獣のそれと酷似していた。
「そう……ですか。それがあなたの答えなんですね」
それっきり狂三は俯いてしまった。放心したかのように上体を倒し、両手を振り子のようにぶらぶらと揺らしているかと思いきや――
「きひ、きひひ、ひひひひひひひひひひひひッ、残念ですわァ残念ですわァ!」
突如、上体をぶらぶらと揺らしながら、薄気味悪い哄笑を上げた。
「ここであなたと今生の別れになると思うと、残念で残念でなりませんわァ!」
にぃ、と唇の端が曲げられ――いつの間に持っていたのだろう。その手に握られた短銃をルールローゼめがけて構えた。
「そう――」
ルールローゼは臆したふうもなく、その銃口が映し出す大きな暗闇をじっと見つめていた。それが生み出す冷たい感触に、死そのものを覗き慣れているかのように。
「私は嬉しいわ」
にんまりと唇の端をつり上げていた。
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思ったより時間かかってしまったコラボ一弾目。
今回は私個人の勝手な趣味で、ネプテューヌだけでなく、デート・ア・ライブのキャラも出演してもらいました! けれど都合で出せなくなってしまったキャラもいるので、そっちの方も書いてみたい意欲ががががが(ry
琴里さんとよしのん好きな人ごめんなさい! 何かしらの形で出してみたいと思っているのでもしよろしければご期待下さい!
パッと見て前回と同じ部分があるように見られますが、「ここ日本語おかしくない?」ってところや「いやいや、これはダメでしょ」ってところを直したり説明が足りないなってところも付けたしています。
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