「山田なぎさ、嘘じゃない、嵐が来るんだ」
海野藻屑のアホタレはまだ飽きもせずに砂糖菓子で出来た弾丸を撃ちつづけていた。まるでそれしか能がないかのように。そうなのかどうなのかはあたしには判らない。判りたくもなかった。だって必要のないことだから。アイツを理解しなければならないことなんてない。だからあたしは振り返りもせずに黙々と前だけを見据えて歩きつづけた。
どんっ、っていう不愉快な音と同時に視界が揺れた。ばしゃんっていう音もした。背中に痛み。藻屑が飲みかけのボトルを投げつけてきたのだろう。六甲颪の天然水とかいうラベルが巻きついてたのを覚えている。いい加減むかついてきたけど、今あたしが怒っている原因に比べればカスみたいなものだ。
あたしは振り向かない。
「なんでだよ! 山田なぎさ」
フルネームで呼ぶな、ばか! 心中で毒づくだけだ。目に見える反応なんてしてやんない。
ひいっぃくっとかなんとか低音と高音の交じり合った音とともにずるっずるっと地面を靴でこすりつける音が背中から聞こえてくる。
あたしは歩を緩めなかった。ついてこれるんならついてきてみろっていうんだ。
むぐっふぅっひっ、ごくっごくっげぼっげほ、っげほっへふんんん―――。もうなにがなにか判んなかったけど、多分、さっき投げたペットボトルのとこまでたどりついてそれを拾って水を飲んでむせた、というところだろう。
一瞬だけ、ほんの一瞬だけ視線をやった。見たとかそんなんじゃない。目を僅かに後ろにやるようにして、頭の挙動もほんの少しだけ。横のドラッグストアのウインドウをちらっと見たぐらいにしか思えないような動きだったと思う。
海野藻屑は笑っていた。勝ち誇るようにニタアと。嫌らしい笑みだった。端正に整えられたパーツも腹ン中のものを反映すればああ歪むのかというくらいに。
関係なかった。あたしが藻屑に視線をくれたからってそれがどうした。自惚れるな。気持ち悪い。あたしはあんたのことが嫌いなのよ。知らなかったの。
藻屑は汚れるのも構わずに地べたに座っていた。右肢を膝立てして惜しげもなく中を晒してた。
唇が動いた。
「山田、なーぎーさーっっっ!」
足元にボトルが飛んできた。地面にバウンドして、足首に当たった。痛い。打ち所が悪かったのかさっきのよりぜんぜん痛かった。
あたしは膝から砕けるようにして地に伏した。アスファルト。夏の熱に湯だっているのならともかく今は気色悪い。
仰向けになる。空は雲で一杯だった。焦げついていた。西日が世界を走っていた。
足に感触。ずるずると引きづられる。ぬうっと嬉しそうに笑う藻屑の顔が現れた。
「つかまえたよ。にがさないよ。山田なぎさ」
そう言って馬乗りになってくる。殴るつもりだろうか。藻屑はそのか細い身体から立ち上る暴虐な匂いを隠そうとはしなかった。殴られたら殴り返そう。今、決めた。
首に手が回される。指が這う。
あたしは何も言う積もりなんてなかった。
藻屑の髪の毛がわさわさってなってた。いつもの綺麗な髪じゃなかった。あたしは少しだけ悲しくなった。見たくなかったのに。
藻屑は鼻をすすった。藻屑の手は湿り気を帯びているようだった。
あたしはため息をついた。殆ど人通りはないとはいっても往来で女の子が二人わけのわからないことをやっているというのは人目を引く光景だろう。横のドラッグストアも迷惑してるに違いなかった。
藻屑の手が動いた。右手は頬に、左手は首の後ろに。固定される。顔が近づいてくる。
「ちょっ……」
あたしは初めて声を出した。久しぶりの言葉だったので喉がうまく声を作れなかった。掠れたような音が鳴っただけだった。
頬に頬がこすりつけられた。ごしごしごし。音はそんなだけど感触としては柔らかだった。ぷにぷにって感じだろうか。くんくん匂いも嗅いでくる。海野藻屑は変態らしかった。
空いている両の手で藻屑の肩を押し上げた。あたしはそんなんじゃない。藻屑は変な顔をしていた。
ふと思って藻屑のスカートを捲った。ひらひらのが付いたスカートだ。やけに手触りが良かった。これもどこぞのブランド品だろうか。そんなことはどうでもいい。
やけに薄暗くてほとんど何も見えなかった。あたしは舌を鳴らした。まあ、さっき見たから目を凝らせばあそこに見えてるのが水色のストライプを横に走らせた白地のパンツであろうことは察しがつく。しかし実際のところ、本当に、どうでもいいことだった。
言うかなと思った。
「……死んじゃえ」
やっぱり言ったか。
藻屑はずるずると落ちていった。重石がなくなって自由になった身体を起こすと、藻屑があたしのスカートを捲っていた。藻屑はその手触りをどう感じただろうと思った。
嬉しそうな笑顔を顔に貼り付けていた。変態、って思った。
あたしは藻屑の顔を手で挟んでギリギリのところまで顔を近づけて言った。
「……死んじゃえ」
眉は吊り下げられた。目には悲しみが宿った。口は小さく開かれた。
「やまだなぎさ……」
うぐっうぐううぅっぐうぐうっぅぅっっ。唸るようにしてなぎさは泣き始めた。喉で必死に殺そうとしているようだったがぜんぜんうまくいってなかった。
力なく地面に転がった。身体をぶるぶると震わせていた。まるで陸に跳ね上げられた魚のようだと思った。
急速に怒りがぶり返してきた。
「なんでっ、なんでっ」
叫んで足を踏み鳴らす。怒りは収まらない。
泣き募る藻屑の襟首を掴んで引き上げる。
「なんで何も言わない! 藻屑、なんであんたは何も言わないのよ」
藻屑は首を振って、
「ごめんなさい! ごめんなさい!」
と場違いにも謝罪の言葉を口にした。あたしは悲しかった。
「なんであんたは足をひきずって歩くのよっ、なんであんたは身体中あざだらけなのよっ、なんであんたはペットボトルを投げつけるのよっ、なんであんたは―――」
「人魚っ、なんだから。今の海は工業排水とかで汚いから、ミネラルウォーターを飲んで身体の中を綺麗にして、ぼく、なぎさのこと好きだよ。本当に好きだよ」
嘘はいらない、嘘なんていらない。
「砂糖菓子の弾丸で大人は誰も倒せないのよ、だからだからだから、ここを撃つなら」あたしは拳を藻屑の心臓に押し当てて「実弾じゃなきゃだめなのよう」押し上げた。
藻屑はさらに落ちていった。そして首を振った。判らないというように。
あたしはここで気づくべきだったんだ。藻屑を倒すなら、実弾ではなく砂糖菓子で出来た弾丸を用いるしかない、ということに。
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桜庭一樹『砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない』の二次創作です。