No.591295

妖精の悪ふざけ

にてんさん

長編を書こうと思って、区切り区切りに投稿しようと思います。そうすれば、完成すると思うので。前から、書こう書こうと思ってた話。

2013-06-26 02:49:50 投稿 / 全1ページ    総閲覧数:257   閲覧ユーザー数:257

 絶体絶命の時こそ天に祈りを捧げ、神様の加護を受けたい。誰もがそうやって望んだけど、上手くはいかなかった。女神に嫌われてしまった世界中の人達は、運命に身を任せ多くが死んだ。祈りは届かず、残されたのは俺と母さんだけだった。生れ故郷は焼きつくすされ、父さんも弟もばあちゃんもじいちゃんも、死んでしまった。「神様なんて嫌いだ」登校中、毎朝のように自分に言い聞かせている。信念がぶれないように、ぶれないように。眠い時も、雨の日も欠かしたことはない。

 席につき、担任の田中がホームルームの準備を始める。五分程度、ホームルームのあとは必ず個人面談がある。今日は、俺の日だ。

「学校生活はどうだ?」

「本当は、普通の高校なんかに通いたくなかったです」これが本音。口に出せるはずもなく、むずかゆくなる。「ぼちぼちです」適当に言った。

 「翔平、お前、夢とかあんのか?」と田中は無責任に投げかける。

 「今、探してます」後頭部を掻きながら愛想笑い。これは建て前。仲の良い友達に聞かれても「今探してるよ」とあしらう。

 家に帰って、必ず仏壇に手を合わせる。「神様なんて嫌いだ」言動が正反対だが、母さんと俺だけになってから一日も欠かさない。とにかく、欠かさない。置き写真をじっと見つめ、線香の香りを深く吸い込む。

 「今日バイトは?」母さんがリビングから顔を出す。残されたたったひとりの家族だ。いつも元気そうにしてるけど、無理しなくていいのに。

 「ないよ」

 母さんと話してるといらいらしそうだから部屋に戻った。家族が死んでから、リビングにいる時間がほとんどなくなった気がする。母さんを見ると、前の生活を思い出す。欠けてしまった壊れかけの家族。母さんが、それを笑顔でつくろうのがとても嫌だった。もっと、悲しめばいいのに。

 寝付けなくて、近くの古本屋へ足を運んだ。ベットの上でぼーっとしてるのもそわそわするし、何かに集中したかった。古本のカビ臭さを嗅ぐと、守られた気がする。色々な物語が眠っていて、どこか遠くに連れ出してくれるかもしれない。そうやって本を探していると『一般人による神災の対処法』のタイトルが目に飛び込んできた。喉が詰まる。

 「対処法なんてないじゃん」乱暴にページをめくる。そこに書かれているのは今まで一般人が実際に行ってきた対処法だった。全然対処できないよね。翔平は情報を右から左へ流し、元あった場所に本を戻した。

 「くだらな」

 タイトルに吐き捨て、店を出た。カビ臭さを思い出しながら歩いていると、同じ歳くらいの高校生が近づいてくる。ポケットに手を突っ込み、夏が近いのに厚着をしている。どう見ても不気味だ。

 「夜遅くに出歩かないでくださいよー」と翔平は注意される。その声はとても気だるそうだった。「どうしてですか?」あえて聞き返した。

 「神災がおきたらどうするんですかー?」いちいち気に障る喋り方だ。

 「べつに、おきたらおきたで仕方ないっすよ」いつもより、少しだけ早口になってしまう。口の中が乾燥して気持ち悪い。

 「それであんたに死なれても困るんですよね」

 なんだこいつ――むかつく。胸倉を掴み引き寄せた。

 「死ぬも死なないも俺の勝手だろ」

感情に身を任せたはいいけど、男の殺気に押し負けてしまう。こいつ、普通じゃない。

「あんまり、調子乗らないでください」

 「っく――」

 胸倉を掴む腕が軋む。人間とは思えない握力で握られ、手は離れた。

 「弱いくせに調子乗ってる奴が一番むかつくんですよね」にやっとわらい、腹にパンチが入る。力の差は圧倒的だった。容姿は変わらないのに、大人と子供と言ってもいいくらいだ。

 「おまえ……少年兵か」腹を抱えながら苦痛で顔が歪む。「うん。選ばれちゃったからしょうがないよね」

 産まれてすぐ兵士としての素質をチェックされ、普通の子供とは違う道を歩む。神災に対抗できる存在。俗に少年兵と呼ばれている。

 「とにかく、すぐ家に帰ってね。いつ神災が起こるか分からないからさー」

 厚着している男は一瞬にして消えた。おちょくった様な声も、不自然な厚着も、あったことすべてが幻みたいに感じた。

 ――くやしい。

 古本屋のカビ臭さも、殴られた痛みも、すべて感情に流される。兵士になって、神災を止めたかった。あの男みたいに強くありたかった。

 そう思うだけで、何もできない現実と一緒に、大人しく家に帰る。殴られた腹は、まだ痛い。

 

 いつも通りの通学路。日差しが半開きの目を襲う。眩しいのは嫌いだ。

高校まで徒歩で行ける距離だから楽だけど、通学路に少年兵専門の学校がある。昨日の奴もここにいるかもしれない。

 「おはよ」ミサが横から覗きこむ。「もしかして、機嫌悪い?」

 「べつに」

 「図星かー」

 男を誘惑する様な短いスカートをひらひらさせて「先いってるよーん」と小走りで置いてかれた。気の抜けた奴だな。

 ミサと少し会話をして、眠気がとれた気もする。空は快晴だ。校舎が陽で照らされている。綾瀬高校はいつも通りだ。

 今日の宿題を忘れたことに気付いたの教室だった。しかも、一時間目に提出。なすすべもない。

 「じゃあ、授業はじめるぞー」

 大丈夫だ。先生はきっと宿題の存在を忘れてるに違いない。心の片隅で神様に「どうか、忘れてますよーに」と願った。心の片隅で。

 「まずは、宿題集めるから出してくれー」

 ……やっぱりだめだった。がくっと肩を落とす。思い通りにはいかないもんだ。

 「宿題忘れた?」

 そういえば、席替えでミサが隣の席になったのをてっきり忘れてた。クラスで一番仲が良い女子はミサだけど、こいつの事はよく知らない。須藤ミサ。学校三大美女。同じ歳。これくらいしか情報がない。別に調べようとも思わないけど。

 「忘れたんだー。しっかりしなきゃ」

 わざとらしくため息をついて誤魔化す。お前はお母さんかよ。

 クラス全体を見渡して、冷や汗を浮かべてる奴は、いない。一人くらい仲間が欲しかったけど、俺は群れるのが嫌いだから問題ない。クラス中の視線がいたい。あいつ、また忘れたんだ。常習犯だ。だらしない。皆の心の声が聞こえた気がする。しっかりしなきゃ。

 こうして一日の幕が開けた。「朝から災難ね」とミサは余計なちゃちゃを入れてくる。はいはい、子犬を追い払うように、手を振った。「言い返せないから悔しいくせにー」べー、と舌をだす。黙ってれば可愛いんだから。心の中で呟いた。

 「災難なら、昨日の晩に遭遇したよ」

 古本屋のカビ臭さが、少し嫌いになったかもしれない。

 

  昼食の時間。母さんの弁当を開ける。カットされたオレンジに、ハンバーグ、炒め野菜、ピーマンの肉詰め。好物ばっかりだ。

 台所に立つ母さんを思い浮かべて、「頂きます」と呟いた。鼻の奥が熱くなる。

「お母さんの弁当、すごい丁寧だね」ミサが覗きこむ。

「うん」目がかすむ。ミサにはばれないように、じっと弁当を見つめた。 

「どこがって、色とりどりで、翔平のこと考えてメニュー作ってるのがひしひしと感じるよ!」

 「そうか?」ハンバーグを味わいながら、ミサの弁当を横目に見る。お前の弁当だって、うまそうじゃんか。

 「そういえば、朝ごはんはなに食べたの?」

 「みそ汁とごはんと納豆だよ」

 「質素だね」

 「好きなんだよ。朝食は質素に限る」

 「私は、なっとう嫌いだな」

 「非国民め」

 納豆が嫌いだなんて人生損してる。カレーが嫌いってくらい、もしくはそれ以上にもったいない。ほかほかのご飯にかけたら絶品だ。思い出しただけで、唾液が溢れる。

白米にかける瞬間の高揚感。口の中で踊る絶妙なハーモニー。ミサにも教えてやりたいが、「きも」と一蹴されそうだから、やめておく。あんな素晴らしい食物の話を楽しく出来ないなんて人間失格だ。

「学校に納豆もってきていいと思う?」

 「は?」

 「だから、学校に納豆もってきていいかってこと」

 「だめに決まってる」

 「どうして?」

 「くさいからよ」

 やっぱり非国民だ。

 「ところで、今日買い物付き合ってよ」ミサはもう弁当箱を畳んでる。弁当は小さく、いかにも女の子らしい。

 「部活はないのか?」

 「ないよ。今日は休み」んー、とミサは大きく伸びをして、大きく息を吐いた。陸上部で毎日疲れてるのに、ミサはいつも元気だ。すごいなー、と感心してしまう。

 「じゃあ、行くか」

 「うん!」

 ミサの立場だったら、真っ先に帰ってごろごろすると思う。そのパワーを分けて欲しいくらいだ。「つかさ」ふと疑問に思う。

 「お前って、彼氏いないの?」

 「え?」ミサは机の中から教科書を出し始めた。ぱらぱらめくって、しまって。何がしたいのか分からない。

 「いや、買い物なんて普通、恋人と行くものじゃん。お前、もてるだろうし、いいのかなーって」

 「彼氏、いないよ」下敷きで扇ぎながら答える。ミサのシャンプーの香りが風に乗って鼻をくすぐる。いい匂いだ。

 ミサは虚空を見つめて、それから話しかけて来なかった。

 

 「おい、買い物って言ったよな?」

 「うん」

 ミサについて行ったら、なぜか水族館に行くはめになった。「かわいー」ペンギンをきらきらした目で見つめている。こいつ、騙しやがって。

 「ペンギン、好きなのか?」

 「すきだよ!」

 逆に、嫌いって人も珍しい。ペンギンコーナーは人でいっぱいだ。

 「はら、すかないか?」

 「うん。すこし」

 恥ずかしいのか、ミサは俯きがちになる。以外と、遠慮しがちな女の子だって初めて分かった。「もう少し見たら、ご飯、食べに行くか」首を嬉しそうに縦に振った。

 「じゃあ、次はあっち!」無邪気にはしゃぐ姿はいつものミサとは別人みたいだ。今日は新しく分かることが多い。それとも、俺がミサのことを知らなすぎただけかもしれない。

 「お前、思ってたより子どもっぽいんだな」

 「なによ、いきなり」オットセイに見入っている。俺の質問なんて興味がなさそうだから、大人しくしてるのが一番だ。邪魔しないでおこう。

 「悲しくないのかな。オットセイ」

 ミサの顔を少しだけ覗きこむと、上の空だった。オットセイを見つめてなんていない。

 「おーい」顔の前で手を振ると、我に返ったようにこちらへ向き直った。

 「悲しいって、思わない?」

 オットセイのことか?

 「別に、思わないよ」

 「薄情ね」

 「逆に水族館のオットセイを見て、悲しいって思うやつの方がすくねーよ」

 ミサは少し真剣になって「こーゆう時は、女の子に同意するもんよ」とでこピンをして他の場所に移ってしまう。真剣になると、怖いっていうか、大人の女性っていうか。上手く表現できないが、いつものミサじゃなくなる気がする。

 少しの間オットセイを見ていたけど、悲しいとは全く思わず、むしろ慈しみの気持ちが湧いてくるだけだった。「やっぱり、悲しくなんてなれないな」オットセイは何も分からず、ぐてーと寝そべり、ひくひく髭を動かして観客の注目を集める。

 どれだけの時間オットセイを眺めていたか分からないが「こっちこっちー」とミサに急かされてしまったので、仕方なくその場を立ち去る。また来るよ、と目配せする。オットセイは前脚をはたはたさせて、ちゃんとお別れをしてくれたような気がした。ミサにこのことを言ったら「ばかじゃない」で終わらせられるから黙っておく。

 「可愛いな、オットセイ」

 「わたしはそうやって思えないな」

 やっぱり、ミサは少しだけ、いつもと違う感じがした。なにか、変なこと言ったかもしれない。

 「お前、怒ってる?」

 「別に」

 ほら、やっぱり怒ってるじゃん。口に出したら喧嘩になりそうなので、ぐっと我慢する。せっかく水族館に来てるんだし、楽しみたいのが本音だ。けれど、ミサがこのままじゃ楽しもうにも楽しめない。女の子って、難しい。

 もやもやと考えていると、ぽつっとミサが「早く、ご飯たべようよ」と足を早めた。

 

「どうやってころす?」女は楽しそうに問いかけた。

 「たべちゃおっか」

 「それはめんどい」

 ビルの屋上で二人組の男女が、笑いながら話している。

 片方は赤髪の女。もう片方は、頭を坊主にしている。坊主の男は「やち」と呼ばれている。

 「やち、やっぱり皆燃やしちまおう」

 「いや、食べた方がいいよ」

 やちはいやらしい笑みを浮かべて「人間ってうまいじゃん」と人ごみを眺める。

 「じゃあ、わたしが焼いたあとにしろ」

 やちはびっくりして赤髪の女から距離をとった。女の周囲は灼熱で覆われる。やちは大声で笑った。

 「そんなに興奮してるんだったら、好きにさせてあげるよ!」げらげらと卑屈な笑い声と一緒に、やちは跡かたもなく消えた。

 「うんうん。分かればいいんだよ」

 灼熱が一瞬にして消える。女はやちがいた場所を静かに見つめた。

 「たぶん、今日もたくさん食うんだろーな、あいつ」

 赤髪をなびかせ、空へ身をなげた。

 やちはさっきまでいたビルから少し遠い場所まで移動していた。坊主頭にだぼだぼのスエットのため、人ごみを歩いていても苦労しない。

 「そろそろかなー」

 やちは交差点にいた女性に一気に近づき――腕を引きちぎった。「あれ?」やちは不思議そうにしている。

 肩から血が噴き出し、白い骨がむき出してしまった。もう、たぶん、助からない。

 「いただきまーす」傷口から一気に食べ始める。やちの顔は血で染まり、狂気を帯びている。骨を砕く音と、女性の痛烈な悲鳴が響き渡り、辺りはパニックに陥る。

 「最初はいたずらで脅かしてやろうと思っただけで、肩をちぎってやろうなんて思わなかったのに」女性の上半身は、ほとんどなくなっていた。

 「ごちそーさまでした」

 女性の骨盤を踏みつけ――粉々にした。

 近くの交番から警官が駆けつける。問答無用に銃を連射するも、すべて当たらない。

 やちは消えたと思うと、警官の後ろに立っていた。

 「まずそー」

 手で首をはねた。血がスプリンクラーのように飛び散る。警官はその場に倒れ、まだ絶命してないのか痙攣を起こしている。

 「早く止まってよ」

 警官の上でジャンプするように、体を踏みつける。もう、人間としての跡かたもない。ただの肉塊だ。悲鳴と、やちの甲高い笑い声で一帯は包まれる。その後も、やちの殺戮は終わらない。

 「迷子かなー?」

 腰を抜かした女の子が、無情にも目を付けられる。女の子は恐怖で声も出ない。

 「やめて!」

 親が駆け寄る。周りにいた誰もが同じことを想像した。いや、もはやこれは想像ではない。誰もが確信し、割って入った親を見捨てた――子どもの上半身が一瞬にして消える。そう誰もが視覚した。けれど、実際は違う。やちの蹴りが早すぎて、人間の目では追うことができない。親に、子供の血が浴びせられる。

 「あったかいよね、血液って」親の悲鳴とやちの笑い声が混ざる。町は地獄絵図となって、人を飲み込む。これが「神災」だ。人間への慈悲はこれっぽっちもない。すべては神の都合により決定される。

 「ほらほら、もっとにげなきゃ」

 やちは何人殺しただろうか。そこらに人の部位が転がっている。どれも無残に解体、分離させられていた。助けて。死にたくない。人間の悲痛な叫びはやちの耳に届くが、どれも叶うことはない。圧倒的力の差の前に、人間の運命はやちに握られてしまう。

 「もうそろそろ、いいですか?」

 虐殺の影に隠れて、一人の厚着した男が無線で告げる。

 期待した返答がなかったのか、顔をゆがめて無線を放り投げた。自然な足取りで、人間の足にしゃぶりつく坊主頭の元へ向かった。

 「おい」

 やちは気付かない。相当おいしいのか、犬のように四つん這いで、まさしく骨の芯までかぶりついている。

 「しかたないなー」

 人間の足を、厚着男は蹴り飛ばす。やちはびっくりして、顔を見上げた。

 「なに?」

 「暴れないでよ、めんどうだから」

 厚着男はやちの顔面をサッカーボールの如く、足を振りぬいた。骨の砕ける音が聞こえる。人間とは思えない力で、十メートル近く蹴り飛ばしただろうか。やちはごろごろと転がって動かなくなった。

 「早く立ってよ。どうせ効いてないんでしょー?」

 厚着男はやちの力量を知ってるかのような口ぶりだった。やちはよろよろと立ちあがろうとするも、立て続けに打撃した。油断の色は全く見えない。

 「おなかいっぱいになっちゃった?」

 「……めんどうだなー」やちは自分の血でまみれるも、気にすることなく億劫に答えた。

 「俺だってめんどうだ」

 厚着男はやちと距離をとった。まるで、これから何かでかいことをしでかすような、そんなただならぬ雰囲気が厚着男から感じられる。空中にヘリが飛んでるだけで、彼らの周りには警官も一般市民もいない。戦場と化していた。

 「お前はここで終わりにさせてやる」

 厚着がはだけ、半袖半ズボンに変わる。腕や足には下を向いてしまいたくなるような、おびただしい数の傷があった。火傷、切り傷、刺し傷。傷が肌一面を覆っているようだ。

 「痛々しい傷だねー」やちは口角を吊り上げケラケラと笑った。しかし、強がっている反面、反撃する力がないようだ。

 半袖男は足に力を込め、地面を蹴った。一度の跳躍でやちの眼前に迫り、あごを蹴りあげる。

 「ここまで弱れば、これも効くだろ」

 半袖男はポケットから拳銃を取り出した。何発も撃ちこみ、勝利を確信したそのとき、鉛玉は空中で溶けてしまった。

 「――なんで」

 半袖男は動揺を隠せない。やちはなんとか着地し、血だらけになりながらも立ちつづけた。「残念だったね」そう言ってやちはまたケラケラと笑だした。

 「笑ってる場合か?」

 灼熱に揺れる赤髪女が、蜃気楼の中から現れる。その女はやちに「さなだ」と呼ばれていた。

 「さなだ。来るのが遅いよー」憎たらしく、甘えた口調でやちはさなだに近づいた。さなだはそれに構うことなく半袖男と向き合う。

 「あらあら、やちを殺したつもりだった?」

 さなだは上唇をなめる。妖艶な彼女からは絶対的な力が感じ取れる。「あなたでわたしを殺せるの? 名前、井上くんだっけ?」半袖男は「井上くん」と呼ばれ、顔が恐怖に満ちる。このおびただしい傷は、さなだによるものだった。

 「殺すさ」

 井上は断言した。

 「あっそ。じゃあ、しね」

 炎球を手のひらに創り、井上めがけて投げる。それをすれすれで避けると後ろのビルに直撃した。コンクリートの塊がみるみる溶けていく。人間が長い月日をかけて作ったものを「神災」は一瞬にして壊す力をもつ。

 「あんたには興味ないんだ」

 さなだは踵を返し、蜃気楼の中へ消えて行った。やちは「おみやげー」と楽しそうにスキップし、近くに落ちていた人間の欠片――もはやどの部位か分からないものを拾い上げ、その場から一瞬にして消えた。

 井上は呆然と立ち尽くす。血の海となった、以前は人で溢れていた場所。人間を越えた存在「神災」はまた大きな傷跡を残して、身勝手に無責任に消えた。いつどこで起きるか分からない彼ら。止める術はやはりないのだと、うなだれて俯く井上だった。

 

 壊れたビルも一月で直り、戦場と化した場所もまた人で溢れている。多くの花が手向けられているが、誰もがそれを目に止め、合掌するわけではなかった。

 翔平は、そんな人ごみに流され、花の添えられた電柱の前で足を止めた。

 「忘れ去られていくんですよ」

 だれに言ってるのでもなく、周りから見たら不気味なやつだと勘違いされるだろう。手を合わせて立ち止まり、流れに逆らう魚のようだ。

 この事件は二週間くらい報道されたが、今ではもう音沙汰もない。こうして、親族や知人を失った人間が頻繁にこの地を訪れ、悲しみと向き合っている。世界中で「神災」対策は力を入れている。しかし、毎回毎回死者はあとを絶たない。

 家族を、友達を、恋人を失い残された人達は何を恨むのか。警察か、「神災」か、それとも少年兵たちか。やり場のない怒りがたまっていくばかりだ。仮に「神災」を食い止め、「神」を殺したからといって死者は帰ってこない。そうやって死んでいって、残されて、死んでいって。あまりにも多くのスパイラルが生まれてしまい、世界中の人達は悲しまなくなってしまったのか。それとも、悲しまないために、忘れるのか。

 翔平は手を合わせながら、もんもんと考えることしかできなかった。これが、「神災」への対抗とも、反逆とも思えない。けど、忘れたら死んでいった家族は、失われた故郷は、

そしてなにより残された母さんと俺は、どうやって生きていくのだろう。

 翔平の周りにはいつの間にか人だかりができていた。

 「きもちわるー」女子高生が指をさす。

 それでも翔平は呟く。

 「見ちゃだめよ」と母親は子供の目を覆う。

 呟きは、ますます憎しみがこもり、声は大きくなった。

 「神様なんて嫌いだ」

 翔平は今日も、欠かさなかった。 

 

 

 

 


 
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