『帝記・北郷:四~主の為に~』
「不味いわ……」
魏軍本陣から蒼亀と三人娘の一騎討ち(?)を見ていた華琳はポツリと呟く。
凪の苦戦を見て真桜と沙和を向かわせたが、それでも蒼亀の強さは華琳の予想を超えて圧倒的だった。
「まだあんな人材がいたとはね……春蘭、二人を助けなさい!」
「はっ!」
華琳の命を受け、春蘭が馬を飛ばす。
さしもの蒼亀とはいえ、あの状況に春蘭が入れば無事で済むとは思えない。
維新軍もそう見たのか、一人の騎将が馬を飛ばし春蘭の前に立ちふさがる。
「貴様は……」
「久しぶりだな夏侯惇……」
「誰だ?」
「………」
荀蘭と華雄の間を駆け抜ける冷たい風。
かつての華雄ならばここで激昂していたかもしれない。だが、今の華雄はむしろ不敵に笑い。
「忘れたならばそれで良い…」
春蘭の右目めがけて鳳嘴刀の突きを放った。
それを春蘭は大剣の腹で受け止める。
「おや、どうせなら残った目も頂こうかと思ったのだがな…盲夏候殿」
「貴様…その名で私を呼ぶなぁ!!」
華雄に襲いかかる魏武の象徴たる豪撃。
しかし、華雄をそれをひょいと避け。
「人の名も覚えられぬ輩が、自らの名をどうこう言うとは馬鹿馬鹿しい……よく聞け!そしてその身に刻め!我が名は華雄!!貴様を倒す記念すべき将の名前だ!!」
霞を苦戦させた嵐のような連撃を放つ。
「ちいぃ!!」
それを春蘭は正面から受け止めた。
忠義に生きる二将の戦いがここに幕を開ける。
「まさか華雄まで手懐けていたとはね…秋蘭!季衣!琉々!三人とも出なさい!!この一騎討ちで敗北したならば、我が軍は数の多さを生かしきれなくなるわ」
維新軍八万、魏軍十二万。数の優位にも関わらず華琳が将による一騎討ちを行ったのは、軍の士気による。
魏軍の中には一刀と共に戦った者、一刀を慕う者も少なくなく。そうでなくとも白色の輝く衣を身にまとった天の御遣いの存在は本人の考えている以上に魏軍に影響を与えていた。
その御遣いと戦うことに躊躇いを抱いている兵は決して少なくない。
加えて三国鼎立以後、戦闘の場は専ら異民族との国境に移っている。
かつて動乱を抑えたとはいえ、この一年間戦らしい戦をしていなかった内地の兵士と、過酷な環境で異民族との激戦をくぐり抜けてきている国境守備軍ではその練度と士気に大きな隔たりがある。
故に、まずは一騎討ちで敵将を討ち士気を高揚させようと華琳は考えたのだが……。
「それくらい…敵も見越していたか」
飛び出した三将に合わせるように敵陣から出てくる三つの騎影に、華琳はギリリと歯を噛みしめた。
パシッ!ピシッ!!
魏国一と言われた弓が、いとも簡単にはじき落とされる。
自分と対峙する白髪の女将に、秋蘭は驚愕を隠せず眉を歪める。
「黄蓋…生きていたのか」
「うむ、死に損なってしもうたわ」
カラカラと笑う自分が止めをさしたはずの将の姿に、秋蘭は心のどこかで安堵も感じていた。
少なくとも三国鼎立以来、秋蘭は祭のことが気にかかり呉の面々と距離を置く程、祭のことを気にしていたのだ。
武人らしい最後のためとはいえ、同盟国の宿将を殺した事に変わりはない。
その宿将が生きていた。
その事実に、秋蘭は思わず口元を歪める。
普段は冷静沈着な秋蘭だが、彼女も武人である。果たされず終わったと思っていた武人の願望に心が高鳴る。
「黄蓋殿……貴殿がどうして北郷の元にいるかは聞かぬ…だが、こうして弓を持つ者同士が相まみえた以上!」
「はっはっはっ、今度はそう易々と当たってやらんぞ夏候妙才よ!!」
二人の弓女神は同時に己の分身へ矢をつがえた。
「はっ!!」
「ふっ!!」
琉々の葉々(公式サイト参照)を、美琉の鉄矢が撃ち落とす。
精度こそ秋蘭に劣ると言われたが、威力だけならば美琉の弓は三国一とも言われる豪弓だ。
「琉々殿…お久しぶりです」
「はい、美琉さんもお元気そうでなによりです!」
戦場の真っ只中だと言うのに、丁寧に挨拶をする両者。
なんとなく、場違いな空気が流れた気がした。
「美琉さん…どいては下さいませんか?」
「残念ですが無理です。私はすでに維新軍の将…あなたが魏国の将であるのと同じように」
「そうですか……」
琉々は悲しげに目を伏せたが、すぐに決然とした表情で美琉を見返し。
「なら…倒させていただきます!!」
葉々を構える。
美琉もそれを見て、静かに鉄矢を弓につがえた。
「でぇえええええええい!!」
「よっと」
ドゴ~ン!!
季衣の鉄球が地面にめり込み、それをニヤニヤした顔で藤璃は見る。
「また外れだねぇ~」
「くっそ~ちょこまか動くなぁ!!」
鉄球を手元に手繰り寄せると、今度は季衣は投げるのでなく手に持ったそれで藤璃を殴りつけた。
「おっと」
藤璃は大斧でそれを受け流す。
「いや~馬鹿の相手は楽で良いね~。こりゃ、この徐晃の不敗神話はまた更新かな?」
「へっへ~んだ。その不敗神話も今日でおしまいだよ!」
再び季衣は鉄球で殴りかかる。
藤璃はそれを同じように受け流そうとして…違和感を感じて横に飛んだ。
ヒュゴッ
藤璃が今いた所を鉄球が走り抜ける。
季衣は殴りつけるように見せて、突然離れた所から鉄球を投げたのだ。
「へ~やるねぇ。いやいや、それでこそ虎痴殿、虎痴殿」
冷汗をかきながらも余裕の表情を崩さず藤璃は大斧を構えると、今度はこちらの番だとばかりに季衣に踊りかかった。
展開される五つの戦いを固唾をのんで見守る両軍の兵士。
そんな中で、冷静に状況を見ている者が何人かいた。
そのうち一人、華琳は維新軍の牙門旗を見てあることに気づく。
一騎討ちに気をとられているのか、一刀の周りの防備が手薄になっているのだ。
(これは…好機ね。でも、あれだけ優秀な将を抱えておいてあんな隙を作るかしら……しかし、この状況を崩すには今しかない)
決断するや華琳の動きは早かった。
「貴方達!今すぐ敵の総帥・北郷一刀の元へ行きその首級を挙げてきなさい!!」
「「「はっ!!」」」
華琳の命を受け、三人の将が維新軍の牙門旗めがけて馬を走らせる。
華琳があの三人を選んだのには訳がある。彼等は仕官して一年足らずの将。つまり、一刀崇拝者ではないのだ。
三人の背を、華琳は複雑な顔で見ている。
「来たぜ兄貴!」
孫礼の声に、蒼亀と闘う三人娘を見ていた一刀ははっとして正面を見る。
三騎の騎馬武者がこちらへ向かって一直線に駆けてきていた。
「ここまでは…蒼亀様の予想通りですね」
緊張した面持ちで画戟を握った郭淮が言う。
一刀は昨夜、蒼亀が言った言葉を思い出す。
(殿…私は今から軍師としてあるまじき献策をいたします)
(っていうと?)
(殿の持つ可能性に賭けてみようと思うのです)
(俺の可能性?)
(は…殿の武と…運を)
「……行こうか二人とも」
「おう!」
「はい!」
そうして三人は同時に駆けだした。
その光景に驚いたのは両軍であった。華琳ですら目の前の事が理解できていなかった。
あの一刀が…天の御遣い自らが敵将と刃を交えようと言うのだ。
だが、それを事前に知らされていた者達は一抹の不安を抱えながらも主の姿を見送る。
そんな中、その動きに最も変化を見せたのは蒼亀だった。
「どうやら餌は充分なようですね」
言うが否や、彼の左袖から先端に鏢の付いた縄が飛び出した。
その布は今当に斬りかからんとしていた沙和の体を絡め捕り拘束する。
蒼亀にはこの闘いに勝つ事などいつでもできた。そうせずに三人と互角程度の戦いをしていたのは、一刀の周りが手薄な事に敵が気付き手を打つまでの時間稼ぎと、三人を救出するために春蘭や秋蘭といった魏国の猛将を釣り上げ他の将と共に足止めするためであった。
「沙和!!」
次の獲物は真桜だ。しかし、あの回転する槍は厄介なことこの上ない。
故に、蒼亀は沙和を拘束した縄鏢を放すと今度は布を真桜に放つ。
「んなもん効くかいな!!」
その布を螺旋槍が切り裂く。
宙を舞う、大量の布屑。
「!この布屑を槍の付け根に挟ませて回転を止めようって魂胆かい…甘いで!!」
すばやく槍を引く真桜。
「ええ、確かに甘かったですね」
シュルル…ギャ!
「あなたが……ですが」
「んなっ!?」
右袖から放たれた布が、引かれた槍の根元に巻き付きその動きを止める。
それをほどこうと槍を振り回す真桜。
その姿は蒼亀には隙だらけだった。
トン
「っ……」
首の点穴を突かれ、声も無く真桜は倒れ伏す。
「沙和!真桜!貴様あああああああああああああ!!!」
雄叫びをあげながら凪が高く飛び上がり蒼亀に飛びかかる。
蒼亀は喪門剣を地に刺すとそれを踏み出いにして宙に舞った。
その高さは凪よりも高い。
「くっ!?」
空中で背後に回り込まれるという不測の事態にも、凪は身をひねり蹴りを繰り出すことで対処する。
しかし、それでどうにかできるほど蒼如月は甘くない。
「破!!」
蹴りが届くよりも早く、蒼亀の掌底が凪の腹部に炸裂する。
「があ!!」
そのまま、凪は頭から地面へと落ち……。
「はいっ!」
…る前に蒼亀の縄鏢が凪を絡め捕り、彼の腕の中に彼女を運んだ。
そして彼女を抱えたまま静かに地面に降り立つ。
「ふう…下手に怪我をされて殿を心配させるわけにはいきませんからね」
縄に縛られ蠢く沙和も、眠ったように倒れる真桜も、蒼亀の腕の中で呻く凪も、あの激しい戦いの割に手傷らしい手傷は負っていない。
時間稼ぎをかねて、三人の実力を見きった蒼亀の手腕である。
兵士を呼び三人を陣に運ばせながら、ふと蒼亀は振り返り、再びあの笑顔でこう言った。
「北郷一刀様の軍師たるもの、この程度の事ができなくてどうします」
蒼亀が三人を捕えるより少し前。
駆けだした一刀達は、それぞれ正面の敵と激突する。
郭淮は左の、孫礼は右の、一刀は真ん中の。
一刀は白狼を抜き放ち、敵将の繰り出す槍を受け止める。
初めて行う命のやり取りの感触に、手足が震えそうになるのを歯を食いしばって耐える。
(良いか北郷殿。勝負というものに概して言えるのは、気おくれした方の負けと言うことじゃ。逆に言うならば気持ちで勝っておれば、少しくらいの実力差は覆せる)
「はああああああああああああああああああああああああああああああ!!!」
祭の言葉を思い出し、一刀は腹の底から吼えた。
一刀の気迫に、敵将の槍に僅かだが脅えが見える。
それと共に、大声を出したことで逆に一刀の頭に冷静さが戻って来た。
その事で今度は蒼亀の言葉が思い出される。
(気迫で勝っている時点で、戦いはこちらに有利と言えます。後はそこからどうやって主導権を握っていくかです。本来は相手の性格を読んで行うべきなのですが、それには殿はまだ一騎打ちの経験が足りませぬ。故にさしあたり敵の攻撃を受け流し続け相手を焦らせることをお勧めします。殿の剣術は一対一に向いております故に、落ち着いて相手の動きを見れば殿の腕ならば必ずさばけるはずです)
繰り出される槍ではなく敵の動き全体を一刀は見る。本来ならば目を見るべきなのだろうが、獲物のせいでそれは出来なかった。
繰り返し繰り出される突きは鋭いが、祭や蒼亀に比べれば…いや、比べるのが失礼なほど遅い。
時折フェイントで払いなどを入れてくるが、対処できないものではなかった。
問題はリーチの長さだ。槍と日本刀の差は思いの外に大きい。
馬上でこの間合いを詰めるには…一手を思いついた一刀は、そのまま槍を避け続ける。
本人は気付いていなかったが、白銀の鎧を着て美しき刃を振るう一刀の姿は見る者を魅了する美しさを醸し出していた。
「っこのお!!」
繰り返される状況に、業を煮やした敵将が思いきり槍を突き出したその瞬間。
一刀は刀の腹でそれを抑えるや、馬の腹を蹴り一騎に距離を詰める。
一刀の目に驚愕に歪んだ敵将の顔が見える。
腕が震えた。
これから自分がしようとしていることに。
呼吸が荒くなる。
頭がふらふらする。
目が霞む。
一瞬が何時間にも感じられる。
日本刀を握る手が緩みかけた。
そのまま刀を放してしまえば楽になれる。
誰かが囁いた気がした。
一瞬気持ちが傾く。
だがそれでも……。
例えそうすることによって華琳の所だけでなく。
元の世界の戻ることもできなくなると解っていても。
それでもなお。
一刀は刀を強く握りなおし。
「俺は…君主だ!!」
その刃で、敵将の首を………。
………刎ねた。
「はぁ…はぁ……」
荒い呼吸がおさまらない。
背筋を言いようのない悪寒が走り、腕が鉛のように重い。
「う……」
胸元の不快感を必死に抑えた。
初めて人の命を奪った感覚は………最悪だった。
(でも、終わりじゃない…)
一刀は、敵味方に自分の勝利を示し総攻撃の合図をするため声をあげようとするが……。
「……っ!…っ!」
湿った息しか出なかった。
「我らが王が敵将を討ち取られたぞ!!」
「今こそ攻撃の時ぞ!!」
そんな一刀の両脇に並び立った二人の少年が声をあげる。
孫礼と郭淮だ。
二人とも自分の相手を見事討ち果たし、一刀の傍らへと戻ってきていた。
王を守る二頭の猛虎のように。
「全軍!攻撃開始!!」
維新軍の本陣に戻った蒼亀が叫ぶ。
その声に応じて維新軍八万が一斉に動き始めた。
それを見て部隊の指揮をとるべく自軍に引き返そうとする魏将たち。
しかし彼等は悉く維新軍の将に足止めされてしまう。
「どけ!!部隊の指揮をとらねばならんのは貴様も同じだろう!!」
がっちりと刃同士を組み合わせたまま、春蘭が華雄に叫ぶ。
「まあな…だが、別に急いで引き返さずとも良いのでな」
「何!?」
そんな両者の元に漆黒の騎兵隊が迫る。
「くっ…」
強引に間合いを外し、春蘭は自軍へと戻っていった。
そして華雄は殺到した騎兵隊に交じりそのまま指揮をとる。
そう、その騎兵隊は彼女が率いる風林火山『風』の騎兵隊であった。
「……計られた!」
忌々しげに桂花は呟く。
一騎討ちの結果、魏軍は六人の将を失ったことで兵達の士気は下がり。何より北郷一刀自らが敵将を討ち果たしたことによる動揺も大きい。
加えて、春蘭達の帰還が妨げられたことにより部隊への支持の伝達が滞っている。対して、維新軍は武将が軍に戻るのではなく軍が武将を拾うことで、より早く指揮系統を完成させている。
「落ち着きなさい!!春蘭隊秋蘭隊はそれぞれ左翼と右翼の指揮を!!季衣と琉々は中央を担当!!」
華琳の指示が飛ぶ。
しかしその彼女自身、先程の一刀が一騎討ちを行い自軍の将を討つという光景に僅かではあるが固まってしまっていたのであるが。
「一刀…やるわね」
「兄上!大丈夫ですか?」
「ああ…それよりごめんな、情けないとこ見せて」
「そんなことありません!ご立派でした!」
郭淮に鎧越しではあるが背中をさすられ、一刀は深く息をして心を落ち着かせる。
傍らには、先ほど討ち果たした敵の首なし死体が転がっている。
首は先程兵士が本陣に持って行った。
「兄上…お辛いなら下がられますか?」
郭淮の勧めに、一刀は首を振り。
「いや…そうはいかない。もう俺は皆の主だ。この皆が命をかけている戦で、俺だけ後ろにいるなんてできない」
そう言って一刀は部隊の指揮をとるべく、先行している孫礼の元へ向かう。
顔色は悪いが、その眼に迷いは無かった。
魏陣営。
「曹操様!我が軍の後方より一軍が接近!!旗は紺碧の張旗。お味方です!!」
「霞…生きていたのね」
珍しくほっとした表情を浮かべる桂花だったが、華琳と稟は厳しい顔のまま。
「稟!一軍を率いて張遼隊を攻撃なさい」
「はっ!!」
「か、華琳様!?」
突然の事に戸惑う桂花だったが、すぐに気づいたらしくギリリと歯ぎしりをする。
一刀が本物であると昨夜から知っていた華琳は元より、親友・風が帰還していない理由を長く考えていた稟は風と霞の離反を考慮に入れていた。
「そ、曹操様!!華雄隊が凄まじい速さで左翼から後方に回り込もうとしています!!」
「春蘭は何をしているの!?」
「張郃隊に足止めされ、華雄隊まで手が回らぬとのことです!!」
「ほ、報告!!夏候淵隊と黄蓋隊の交戦中、中央で許緒隊、典韋隊と交戦中の徐晃隊が突如方向をかえ乱入!許緒隊が追撃!!」
「我軍の正面に、蒼亀隊が突撃!!典韋隊だけでは抑えきれません!!」
次々とくる報告に、そのつど華琳は的確な指示を与えていく。
だが、士気の大きく劣る魏軍の動きは精細さを欠き、普段の実力が出し切れていない。
加えて総指揮をとる蒼亀は部隊を素早く動かし、魏軍をズタズタに分断させんと動く。
「怯むな魏武の兵達よ!!醜き生よりも誇り高き死を選べ!!」
華琳は兵を鼓舞しつつ本陣の一部を前に出し、典韋隊を援護しつつそのまま蒼亀隊を押しつぶさんとする。
覇王の号令に兵達は己を奮い立たせ、進撃を開始する。
その時……。
「いくぞ…皆に俺の命を預ける!皆も俺に命を預けてくれ!!」
「うおおおおおおおおおおおおおおおお!!」
雄叫びをあげながらその軍勢目掛けて突っ込んできたのは、一刀率いる近衛兵隊である。
蒼亀隊の陰に隠れて、突撃の機会を窺っていたのだ。
君主自ら陣頭に立っての突撃に、維新軍は大いに奮い立ち敵兵を次々と飲みこんでいく。
潜んでいる部隊がいる可能性は華琳も考慮していたのだが、まさか総大将自ら動くとは思っていなかったらしくさしもの彼女も少なからず動揺する。
だが、言い換えればそれは総大将自らこちらに首を伸ばして来たに近い。
この好機を逃す華琳ではなかった。
「全軍!!のこのこと前に出てきた北郷一人を狙いなさい!!」
「そうはさせへんで~~~~~~!!!!」
「なっ!?」
左翼と中央の隙間をぶち抜いて現れたのは、張遼率いる旗本八百騎!!
「霞!?じゃあ、いま背後の張遼隊の指揮をとっているのは……?」
桂花の呟きに、華琳ははっと気付く。
「……風ね」
魏軍後方。
「おやおや~さすが稟ちゃん。動きがお盛んですね~」
のんびりとした声で張旗を掲げた部隊を率いているのは、華琳の予想通り風だった。
「まあ、こちらをそれをのらりくらりと交わしながら敵の皆さんが疲れるのを待ちますか~」
風の役目は、敵の後方を脅かし動揺を与え続けることにある。無理に稟の部隊を撃破する必要はなかった。そしてそういう役割は、彼女の最も得意とするところでもあった。
所戻って北郷隊と張遼隊。
「霞、無事だったか?」
「おお、一刀。勿の論や!そういう一刀こそ……」
霞は一刀の姿を見て口を紡ぐ。
一刀の白銀の鎧はいたる所、血で赤く染まっていた。
おそらくそれは、彼が彼自身の手でその命を奪った者達の恨みの痕跡。
そしてその中にはかつて彼を隊長と慕った者も、御遣いと敬った者もいるのだろう。
「………一刀」
「し、霞?」
突然霞は、手綱を握る一刀の手を上から包んだ。
その温かさが、一刀の深いところまで染みわたって来る。
「うちもな…本当はこの間まで仲よーしとった奴等と戦いたくない……でもな、それじゃダメやねん。昔、華琳のとこに降った時も、そやった。今まで仲間だった奴等を斬れへんかった…でもな、一刀のこと見てて思ったんよ。それじゃダメやって…本当にその道を覚悟して選んだんなら、逃げてたら駄目なんやって……」
「霞……」
霞の表情は、辛いような悲しいような悔しいような複雑な顔をしていた。
きっと今の自分も同じ顔をしているんだろうと一刀は思う。
「だからな…今回はうちは斬るよ、うちの弱い心と一緒に。せやから一刀も一人で背負わんでいい。偉そうやけど、今の一刀の気持ちは誰よりも解っとるつもりや……その苦しみも、痛みも、うちと一緒に背負っていこ?」
「……ありがとう」
「…!!何や、言ってからなんやけどえらい照れるなー」
顔を朱に染めにゃははと笑う霞。
一刀も優しく微笑んだ。
その時。
「あ~もう!兄貴も霞の姉貴も時と場所を選んでくれ!!」
画戟で歩兵を薙ぎ払いつつ孫礼が叫ぶ。
二人がいるのは、戦場の真っ只中である。
たは~。と言った風に一刀は頬を霞は頭を掻くと、改めてそれぞれの獲物を構えなおす。
「じゃあ…いくぞ霞!!」
「おう!!」
そして二人は並んで戦場に躍り出る。
「形勢は固まりましたか……」
伝令の報告を受け、戦場を見渡しながら蒼亀は呟く。
勢いを得た維新軍は数に勝る魏軍を圧倒し続けていた。
やはり徹底して敵の士気を下げこちらの士気を上げたのが大きかったようである。
「この流れに乗り、最後まで行ければ……」
「そ、蒼亀様ぁ!!」
「何事です?」
血相を変えて陣に駆け込んできた伝令に、蒼亀は何とも言えない嫌な感覚に襲われた。
「じ、実は……」
伝令の報告を受け。
「な、何ですって!?」
冷静沈着な蒼亀も、思わず叫んでいた。
ジャーンジャーンジャーン
突如戦場に響き渡る銅鑼の音。
その音に、戦場にいた全ての者がそちらを見た。
そして彼等が見たものは、南東にはためく朱の呉旗と、緑の蜀旗……。
「まさか、これほど早く国境守備軍だけを編成し援軍の第一陣を送ってくるとは……」
悔しさに蒼亀は唇を噛む。
国境守備軍から援軍を派遣することは蒼亀も想定していた。そうした場合、呉蜀との交戦は予想よりかなり早くなる。
しかし、それでも到着にはあと一週間を要するはずだった。
「殿と戦う曹操殿の動揺を見越しての、強行軍か……」
いずれにせよ自分の読み違いが招いた事態には変わりがない。
一刀への畏敬もなく士気も高い、そして猛将智将を抱える二国の参戦は維新軍の勢いを削ぎかねない。
とはいえ、それをどうにかするのが軍師たる自分の仕事だ。
頭脳を回転させ、さしあたり呉蜀の兵を足止めさせようと蒼亀が指示を出そうとしたその時……。
ブオオオオオオオオオオオオオオオ
野山に響く、角笛の音。
はっとして蒼亀は北東の丘の上を見る。
三国の中でしかもこの華北一帯で、角笛を使う軍を蒼亀は一つしか知らない。
丘の上、一人の騎馬武者が風に外套をはためかせ戦場を見下ろしている。
「呉蜀の兵も来ていたとは……だが、間に合ったようだな」
彼は手にした槍を大きく掲げる。
するとその背後から、多くの騎兵が姿を現した。
「いくぞ…我らが主の為に!!」
凄まじい勢いで丘から駆け降りる騎馬軍団。
「あらあら、魏呉蜀と群れちゃって……根絶やしにするには良い機会じゃない」
黒衣の軍師が凄絶な笑みを浮かべ。
「うふふ…さあ、燃え上がるわよぉーーーー!!」
深紅の軍師が歓声を上げる。
「私たちは、呉蜀の部隊に当たる!全軍!気を引き締めろ!!」
若き騎士が撃を飛ばし。
「ご主人様~~遼東の兵隊さんを連れてきたわよぉ~~」
謎の筋肉達磨が野太い声を響かせた。
それらの先頭に立つ碧緑の軍神は、その双眸に闘志を宿し澄み渡った声で叫んだ。
「維新軍龍志隊!ただいま推参!!」
~続く~
後書き
また長い。そして蒼亀活躍。
でも、格好良い一刀が書けたから満足です。
次回かその次で一応、第一部は終了です。といってもすぐに第二部に入りますが。
蒼亀が強すぎるという意見もありましたが、彼と龍志の過去の話を読めば、納得されるかと思います。二人の過去については二部の方で主に書くつもりですので、お待ちください。
では、また次の話にてお会いしましょう。
次回予告
交差する外史の因縁。
ぬぐえない遠い日の絶望。
繰り返すまいともがき苦しむ若き将を嘲笑うかのように。
一本の矢が王を貫く。
次回:帝記・北郷~彼方の面影~
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帝記・北郷四作目
オリキャラ、パロネタが大丈夫な方だけお進みください。