幼少期より性に関して無頓着だった私はレイプというものに肉体的苦痛と精神的恐怖を感じはしたが、犯されたということに対してはそれほど気にはしなかった。事が済んでようやく自由になったという安堵と、他人の体液が付着した事による不快感を同時に味わったことは記憶している。
ボロボロのまま家に帰ると父がどうしたのかと問い詰めたので、ありのまま全てを話した途端血相を警察に電話をしていた。男手一つで育てた大切な愛娘が強姦されたのだからそれは怒り心頭だろう。同情に値する。
しばらくして父の勧め産婦人科へ行ったところどうやら子供ができているらし。
父と医者は降ろせとちうのだが、せっかくできた命をそう簡単に殺すのも忍びないので産むという旨を伝えたところ父は卒倒し医者は呆れかえっていた。
家に帰りどうしても産まないでくれと懇願する父親を見ると私の意志は少し揺るぎかけたが、それでも命には代えられないと父を説得。高校を辞め近所の町工場で働くといった私に「わかった」と一言だけ呟くと自室へと戻っていった。
程なくして玉のような男の子が産まれる
さてこの子。実は取り上げてもらう前に医者から教えてもらっていたのだが、どうやら知的障害を持っているらしい。よだれをたらし呆けた顔をしていたあの人種だ。キーキーとうるさかったので私自身好きではなかったのだが、産まれてくるものはしょうがないとして全てを受け入れることにし。そのときの医者の顔もあきれ返っており、医者というのは予想外のことが起きると皆こんな子をするのだろうと私は考えたのであった。
さて、正直に話すと父が悲しむ事が分りきっていたので黙っていた子供の知的障害のことだが、産まれた以上はどうせばれてしまうと思い正直に話すことにした。父は人目をはばからず号泣し剥きかけのリンゴを置いて病室からでていってしまったので私は皮を最後まで剥いて八等分にして食べた。あの時の、甘く美味しいリンゴの味は、父親の嗚咽と共に今でも鮮明に思い出す事ができる。
そして今。部屋でギャーギャー騒いでいるのがそのときの男の子である。
テツロウと名付けた。洒落で強姦太郎にでもしようかと思ったがそんな名前役所に通るわけがなかったし、なによりまた父に泣かれるのが嫌なので無難なものにしておいた。ちなみに銀河鉄道999の主人公から拝借した名前だ。字は哲郎と書く。
さてこのテツロウだが、どこでも関係なくよく叫ぶ。何が気に入らないのか知らないがとにかくギャーギャーうるさく所構わず暴れまわるのでその度に本気で頬っぺたを引っ叩き強制的に大人しくさせている。その際私は「罰です」と、ひとこというようにしている。今ではその一言を呟くたびに体が硬直させ目を見開き大人しくなるようになった。犬猫の躾と似たようなものだ。この方法があっているかどうか私には分らないが、この光景を見ていた40歳ほどのおばさんに説教を受けたことがある。
「かわいそうじゃないです。子供にも障害者にも人権はあるんですよ?この子はなにもわからないんだからこんなことしちゃ駄目です」
なんとも自分勝手な言い分に温厚な私もつい反論してしまった。
「ならどうすればいいんですか?この子が暴れてモノを壊すのは許されるんですか?他人様に迷惑をかけてもいいんでか?一年中ずっと部屋の中に閉じ込めておけばいいんですか?それこそ人権侵害なんじゃないんですか?」
ここまでいうとおばさんは「キチガイ!」と、震えた声で叫びどこかへ行ってしまった。
私だって叩きたくて叩いているわけじゃない。本当は一緒に楽しく遊園地にでも行って、レストランでご飯を食べて帰りの電車でクタクタになり眠っている我が子の頭をなでであげたいのだ。
産まれてきた過程はどうだったとしても、普通ではなかったとしても、テツロウは私の可愛い子供なのだ。私がどうにかしてあげなければいけない。私はテツロウを愛しているし、テツロウもまた私のことを愛しているだろう。故に家族の事を誰にも責めはさせないし責められる道理もないのである。
ある日いつものように起きて朝食を作ろうと思い起き上がったのだがどうも調子が悪い。
熱を測ってみると39度もありとても風邪で済ますことのできるレベルではなかった。
とりあえずテツロウの分の朝食だけ作り施設へと送り届けると、その足で病院へと行き検査をしてもらうことにした。申し訳ないが会社は欠勤することになるので電話をしたところ随分と丁寧に接してくれた。
「茜ちゃんが休むなんて珍しいねぇお大事にねぇ」
今まで、無遅刻無欠席だったもので大層心配してくれているようだ。元気のいい社長の声が頭痛に響き不愉快である。
一週間後結果を見てみるとどうやらエイズが発祥したようだった。
レイプを受けたの後性病検査も受けるよう促せられていたが面倒ですべて断っていた。そのツケが今来るとはまったく世の中ままならないものだ。
病への苦痛と不安に対し恐怖感がないわけでもないが、喚いたところで治るわけでもないし、死という概念にも特別な感情は抱かなかったが、唯一つ心残りなのがテツロウのことである。
彼はまだ私なしには生きていけない。それなのに私がこんな状態になってしまったら、もう誰も彼を助ける事ができない。そう考えると自然と涙が溢れてくるのがわかった。
医者の同情的な言葉に顔を上げると、なんだか見下したような表情をしていた。腹が立つ。
私は生まれて初めて経験した絶望のせいか症状は日に日に悪化していき、もはや日常生活もままならぬような体になってしまった。病は気からとはよくいったものである。
私はもう立ち上がることも困難になってしまったのでエイズ病棟で大人しく死を迎える決意をしたのであった。テツロウはそのまま住み込み型の施設へと送られたのだが元気で暮らしているそうだ。
心の底からよかったと呟いた私に、父は二度目の号泣で答えた。
短い人生であったが。今思い返せば随分と充実していたような気がする。
ただ大人になったテツロウを見る事ができなかったのが残念でならない。きっと偉い学者にも一流のスポーツ選手にも、極普通の社会人にも成り得なかったであろうが、私は大人になったテツロウを一目見たかった。
さよならテツロウ。
お母さんが死んでも元気でね。
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ありがちシリーズ