【 李通という青年 】
静かながらも活気のある、賑やかという表現が似つかわしい喧騒を遠くに、街の最奥。城の庭では二人の青年が剣を交えていた。
片や、黒装束の軽装に身を包み、双刃剣という特殊な剣を振るう黒髪の青年――李通。
片や、こちらも大陸ではあまり見掛けない細い形状の剣、刀を振るう茶色掛かった髪色の青年――北郷一刀。
お互いの表情は真剣そのもの。当たり前だろう。
彼らが手に持っているのは人を傷付け、殺めることもできる武器なのだから。
見ればお互いの顔には薄い切り傷や未だ新しい血の線が見て取れる。真剣で戦っている弊害だろう。
しかし、そんな状況に至って尚、青年二人に戦いを止める気配は微塵も無い。
既に二人の闘いは十数分の攻防を経ていた。
一言も発しない二人。時折聞こえるのは、力を込めた時や地を蹴る時に聞こえる呼吸音だけ。
一刀は刀を腰溜めに構えたまま、李通へと肉薄する。
その速さと勢いとを冷静に分析した李通は、下がっても更に踏み込まれると判断し、その場で迎撃態勢に移る。
ピクリと一刀の眉が反応するが、勢いは緩めない。距離を詰め、そのまま李通に向け刀を抜き放った。
一閃。
叫び声も上がらない。血飛沫も飛び散らない。断末魔も聞こえない。
響いたのは、鉄と鋼がぶつかった鈍い金属音。李通は一刀の一撃を双刃剣で受け止めていた。
しかし、そこで停止する馬鹿はいない。
一刀は受け止められたと知るや、双刃剣の刃に刀を滑らせ、李通の首を狙いに行く。
それを読んでいた李通は双刃剣の特性を生かし、反対側の剣部分を一刀向かって跳ね上げた。
上体を逸らし、李通の攻撃を避けながら、意地でも一刀は攻撃の手を緩めない。
しかし結果として体勢は無理なものへと変わる。そして、その鼻先を李通の双刃剣の刃が掠めて行った。
一刀が無理な体勢で刀を操ることになった分、動きに余裕が出来た李通は、首元に迫っていた刀を紙一重で避ける。その額から冷や汗が一滴、零れ落ちた。
次の一手。お互いに摺り足で後ろへと距離を取る。戦闘の構えは解かず、停止する二人。
一瞬の沈黙の後、李通の首に一筋の薄い傷。同じく一刀の鼻頭にも、一筋の薄い傷が浮かび上がった。
それがひとつの合図だったのか。一刀が鞘に刀を納め、李通もそれに倣い双刃剣を下げた。
お互いに、一礼。
「ありがとうございました」
「ありがとうございました」
青年二人の、真摯な声が城の庭に響いた。
城の中ほどに位置する小さい庭。
逃げ出した太守がそういう自然のインテリアに興味を示さなかったのか、以前は荒れ放題になっていた庭。
しかしそれも今や華琳の手腕により質素だが美しく姿を変えていた。
初めて荒れ放題の庭を見た華琳はこめかみをピクピクさせていたが。
その時ばかりは逃げ出した太守に、ある意味賢明な判断をしたな、と拍手を送りたい気分だった。
答えは単純。ほぼ間違いなく、華琳に首を刎ねられていただろうからだ。統治の怠慢も相まって。
ともあれ庭を見ながら、そんな血生臭い状況にならずに済んだと心のどこかで安堵し、一刀は鍛錬で掻いた汗を拭いている最中だった。
「一刀様。どうぞ」
「あ、悪いな、李通。ありがと」
「いえ」
同じように汗を拭きながら、隣に座っている李通から水を貰う。
常に微笑を湛えている李通は、一刀の礼にやはり微笑で応えた。
「ふぅ……あー、生き返る」
「お互いに良い汗を掻きましたからね」
乾いた喉に水を流し込み、どこか爽やかな印象を受ける台詞を聞きながら、一刀は鼻の傷を触る。
掠っただけだったので痛みも無ければ殆んど傷も無いに等しい。そのまま、李通の首の傷に視線を向けた。
「あれ以上やってたらどっちかの命が危なかったな」
「ええ、紙一重でした。しかし一刀様、お強いですね」
李通も首の傷を触りながら応える。
なぜか楽しげに。いやまあ、常に笑ってるからそう見えるだけかもしれないけど。
「李通もな。とはいえ、俺なんてまだまだだよ」
「ご謙遜を。既に一刀様の五戦三勝二分け……私は一度も勝てていません。もっと腕を磨かなければ」
「そう気負うもんでもないと思うぞ?や、まあ気持ちは分からなくも無いけど。というか、俺達より強いのが身近にいるからなあ……。黄忠は得物が違うからともかくとして、だ。華琳、俺達より強いだろ?」
「そうですね。恥ずかしながら、私はお嬢様に一度も勝ったことがありません。と言うのも、お嬢様は昔から聡明でしたので。主家にあった書物を全て読んでしまわれてからは、主に武を磨いておられました。……まあ、旦那さまと奥様にとっては心労の種だったのですが」
「まったくあの覇王様は……少しは手を抜くってこと覚えた方がいいんじゃないか?」
「では一刀様。手を抜く姿がお嬢様に似合うとお思いですか?」
「……いいや、思わない。何をするにも大真面目、全力なのが華琳だ」
「そういうことです」
クツクツと愉快そうに李通は笑う。そこに面白がっている様子は無い。
幼少の頃から共にいるというだけあって、李通は華琳にとっての良き理解者であるらしい。
良い機会だと思い、一刀は思いきって尋ねてみることにした。
幼少の頃から共にいた少年。
今や成人男性のようだと言っても過言ではないぐらいに落ち着いた雰囲気を持つ李通。
「なあ、李通はさ……その、なんだ。華琳のこと、好きだったりするのか?」
彼が、華琳に何か特別な感情を抱いているのか、どうかを。
「はい」
その即答っぷりにある意味、面食らった。
爽やか系が自分の心の内を堂々と吐露した時の破壊力は凄まじい。
複雑な一刀の表情を見てその心境をも読み取ったのか、何かに気付いた様子で李通は微笑を浮かべた。
「ああ、申し訳ありません。誤解させてしまいました。好ましいとは言いましたが、それは恋愛感情ではありませんから、ご安心ください」
一瞬の間。その後、一刀は自分の顔を指差す。
「え?……俺、そんな分かりやすい顔してた?」
「はい。それはもう」
李通は楽しげに笑う。間違いない、李通もサディストの素養がある。しかも多分、天然の。
李通はそのまま続ける。
「私がお嬢様を好ましいと言ったのは、女性としてではありません。単純に『家族』として、です」
『家族』。華琳の口からも幾度か口にされていた単語。世間一般的な意味合いが念頭にあるその言葉。
李通がその単語を口にした時のニュアンスから色々と感じることはあったが、取り敢えず一刀は尋ねる。
「か……ひとつ聞きたいんだけど、李通って華琳と血の繋がりがあるわけじゃないんだよな?」
「……『血が繋がっている事が、家族であるということではない』」
「え?」
「私が昔、言われた言葉です。一刀様は、どう思いますか?」
「大賛成だね。『家族』って血の繋がりだけで表せるほど単純なもんじゃないだろ」
肩を竦めてそう口にした一刀を見て、表情を崩した李通は少し安堵の表情を浮かべた。
そのまま一刀から視線を外し、庭へと眼を向ける。遠い何かを思うように。
「私は言わば、孤児というやつでした。父親の顔も知りません。母親の顔も知りません。この『李通』という名でさえ、頂き物でしかない」
「孤児、か。ここじゃ珍しくはないんだろうな」
現代でも、国によってはそう珍しくは無い。ただ、向けられる眼が違うだけ。
ここでは現代と違って、孤児に憐みの眼を向けるどころか興味を向ける人間が少ない。
同様に、それを保護しようという人間も極稀だ。
「ええ。気付けば私は一人でした。しかし、生きたいという意思はあった。ですが、それだけで生きていけるほど、世界は甘くない。すぐに腹が減り、喉が渇き、自分と同じような境遇の人間が死んで行くのを見て、心が擦り切れていく」
李通は眼を細めながら、遠い日の事を語る。
そこには不思議と、悲壮感は無かった。自分の不幸を嘆き、語っているような様子も無い。
そして、その口元が綻ぶ。
「吐き溜めのような場所でボロボロになって生きていた私です。心も擦り切れ、この世界に自分は必要ないとすら思うようになりました。そんな暗いところへと、手を差し伸べてくれた日輪があった」
「華琳、か」
「はい。小汚く、ボロ雑巾のような私を見ても、お嬢様は顔色一つ変えずに手を差し伸べて下さいました。それから私はお嬢様の家に引き取られ、従者として付き従うようになったのです。必死でしたよ、自分の居場所を得るために。守る為に、主家へ懸命に尽くしました。ただ、居場所を求めて」
幸せそうに語る李通。そして、と前置く。
「出自も定かでは無い私を、旦那様、奥様、そしてお嬢様は家族だと言って下さいました。それがどれだけ嬉しかったことか。本当に私にとっては、身に余る光栄です。旦那様と奥様が亡き今となっては、お嬢様だけが私の家族なのですから。その方のことを嫌いなどと言っては、それこそ天罰ものですよ」
朗らかに李通は笑う。嘘や偽りなど一片も無い言葉。恐ろしいほど、李通という人間は誠実だった。
「それに、既にお嬢様の心の中には大切な方がいらっしゃいました。幼少の頃より、散々聞かされたものです。御伽話と称した、少女と少年のお話を。それはもう、聞いているこちらが恥ずかしくなるくらいの、ね。もちろん、あなたの事ですよ。一刀様」
「あー……おう」
気恥ずかしくなって一刀は鼻の頭を掻いた。言葉も微妙に出てこない。からの
「一刀様が思っているよりも、お嬢様は一刀様を好いておられます。ですから御心配なさらずに」
とどめの一言。
内容もさることながら、にこやかに口にされたそれはある意味での拷問に近かった。他意の無いところが特に。
針のむしろもなんとやら、だ。
バンジージャンプとか、極論を言えばアイアンメイデンまで可愛く見えて来るね、いやマジで。
「華琳は、その少女と少年と話で、他に何か言ってたか?」
「そうですね……その少年は、極度の女性好きで気が多い、とも聞きました」
顔を両手で覆った。最悪だった。ホントごめんなさい。もう許して下さい。俺のHPは一気にゼロです。
これはもう反撃するしかないだろう。李通の弱点が分からない以上、有効かどうかは分からないけど。
「ええい!えーと、んじゃあれだ。李通は好きな子とかいんの?いるだろ?俺だけ辱められるのは不公平だからな。ほら、言ってみ?」
完全に高校生の昼時なノリで、少し投げやりに聞いてみた。左慈の時と同じように。
途端に李通は渋い顔になる。嫌がっているわけではなく、ただ単純に渋い表情。眉間に皺が寄っている。
「いえ、それがですね……私には苦手な物がありまして」
質問に関係なさそうな前置き。言い辛そうにする李通。一刀は眼で先を促す。
それを見て観念したのか、酷く申し訳なさそうに李通はこう口にした。
「――苦手なんです、その……女性が」
そのことそのものが恥ずかしいとでも言う風に、渋い表情のままの顔を紅潮させて。
夜。一刀、華琳、黄忠、璃々の四人はひとつの部屋に集っていた。便宜的に『食堂』と名付けた部屋だ。
今のところ、この街の管理やその他政務を四人で切り盛りしている為、この城に常駐している人間は一刀、華琳、黄忠、璃々、そして李通の五人だけ。華琳が率いていた義勇軍――現正規軍は街の一部に造らせた住居に、それぞれ住んでいる。それは本人たちが望んだことで、曰く『城での寝泊まりなんて落ち着かない』とのことだった。
ともあれ、五人しかいない閑散とした城内。
下手に広く無くて本当に良かった、なんて思いながら、それでも仕事と同じく役割は分担している。
今日の食事の当番は李通。彼は現在、調理場でその腕を振るっているのだろう。
ちなみに言っておくが恐ろしいことに、ここにいる五人で料理を出来ない人間はいない。
黄忠の腕も、華琳が認めるほどの腕だった。家庭を持っていたのだから、予想はしていたが。
そして李通。
幼少の頃から共にいるだけあって、華琳の教育を受けており、料理の腕は一級レベル。
もうね、弱点とか無いじゃん。と、そんなことを思いながら、ふと日中の会話を思い出した。
隣に座りながら、街の整備報告書に眼を通す華琳に眼をやる。
視線に気付いたのか、華琳は報告書から眼を離し、こちらを向いた。
「どうしたの?」
「いや、今日の昼間に李通が言ってたんだけどさ、女嫌いってホント?」
「女嫌いというわけではないわ。ただそうね、苦手ではあったと思うけど?」
「ああ、そうそう。嫌いとは言ってなかったな、うん。確か苦手って言ってた」
「では吉利さんのことも?」
さりげなく話に加わった黄忠が、華琳に尋ねる。
「私は問題ないらしいわよ。……いつだったか、そのことを聞いたら何て言ったと思う?」
華琳が笑みを浮かべて問いを投げる。
家族は似る、とはよく言ったもので。李通の笑みと少し似ていた。いや、李通が似てるのか。
「うーん、分かんないな」
「あら、考えを放棄するのは良くないわよ?真面目に考えなさいな」
バレてた。とはいえそんな簡単に答えは出ないのです、はい。
再度、分からないと肩を竦めると華琳は卓に頬杖を付いて、ニヤリと笑った。
「時間切れ、ね。答えは『お嬢様の事を女性としては見られません』ですって」
「え」
昼間と同じように面食らう。そして少し鳥肌が立った。
まさかそんな命知らずなことを言う人間この世に存在するなんてっ……!!
卓の反対側の席に着いていて話に耳を傾けていた黄忠も、少しだけ驚いた表情を見せる。
「魅力が無いということかしら?って聞いてみたら、『分かりません』って返されたけど」
「つまりそれは……魅力うんぬんの話では無く、ただ単純に吉利さんを『女性』として見られない――もしくは見たことがない、ということですか?」
「正解よ、黄忠。少し問い詰めたら、素直にそう吐いたわ。普通に他人が言ったなら、その更に裏まで問い詰めるのだけど。あれは昔から真実しか口にしない。隠し事が出来ないのよ」
俺と黄忠を交互に見た後に――家族や親しい間柄には、ね。と華琳は付け加えた。
「誠実な方ですね、李通さんは」
「馬鹿正直、と言ってもいいかもしれないわよ?」
「もしそうだったとしても、それは好ましいものだと思いますけれど」
「ふふ、そうね」
黄忠と華琳。二人は顔を見せて笑い合う。
ここ数日。時間の感覚なんて曖昧だし、しっかりと数えているわけではないので、多分一週間ぐらいの間。
その短時間で、華琳と黄忠は仲を深めていた。何故か黄忠は華琳に対し、“さん”付けだが。
その事もあってか、多分あまり気にすることではないのかもしれないが、黄忠は華琳に対し、何か遠慮をしているようにも見えた。
同じように、李通にも。
まあ、仲を深めたように見えるとはいえ、未だ一週間程度の関係。
そういうものと言ってしまえばそれまでなのかもしれないが、とその思考を自己完結させた。
そんな中ふと、
(そういや、李通って字と真名あるのか?)
脳内の三国志データベースで李通という名を検索しながら、そんなことを思った。
まあ、しかしその疑問も
「皆様、お待たせして申し訳ございません」
「わーい!ごはんごはんー!」
李通の涼やかな声、璃々の喜びに満ちた活発な声。
そして何より、運ばれて来た食事の匂いには勝てず、いつの間にか霧散していったのだった。
姓:李
名:通
字:文達
真名:???
武器:双刃剣(名前未定)
今作品:黒装束の軽装に身を包む黒髪の青年。瞳は華琳程ではないが緋色に近い。
幼い頃は孤児だったが華琳に拾われ、それ以来従者としてその側に付き従っている。
黒い衣装と物腰も相まって、殆んど執事。姓と名は、出向という形で李という姓を持つ家に滞在した際に当主に気に入られ、養子となり得た物。既に李家の当主は高齢だった為、今は既に亡くなっている。名目上は李通が李家の当主であるが、変わらず華琳の側に影のように付き従っている。しかし空気は読めるので、良いタイミング(華琳的に)の時はいつの間にか姿を消している。ちなみに武力や知力は平均値。少し頭の回転が速いくらい。常に誰に対しても敬語な話し方は彼の癖であり、直そうと思っても直せないとのこと。生来の性格か、はたまた華琳の教育の賜物か。ともかく人として出来過ぎており、品行方正で頭脳明晰。融通のきかない真面目一辺倒の人間ではなく、冗談も言えば融通も利き、柔軟な考え方を善しとする。基本的に非の打ちどころのないオールラウンダーな完璧人間である。しかし、彼にも人並みに弱点がある。それは『女性に弱い』ということ。より正確に言えば『女性から自分に対して向けられる“特定の感情”』が苦手らしい。家族であり仕える主という認識の華琳や、まだ小さい璃々、自分に対して“特定の感情”を向けない黄忠などは例外らしい。しかし、彼が完璧なイケメンである以上、その悩みはこれから先尽きることは無いだろう。
史実:姓は李、名は通、字は文達。幼名は万奥。出身は江夏郡平春県。武雄に優れ、侠気で知られていた。黄巾党の大物指導者である呉覇を降伏させたりと、勇猛な面もあれば、飢饉が勃発すると部下や兵士と食料を分け合って飢えを凌いだりと人格者の面も。
建安の初めの頃、軍勢を引き連れ許昌に赴き、曹操の傘下に入った。
小話(こばなし):李通の妻の伯父が罪を犯し、妻子が伯父の助命を嘆願したが、曹操の傘下となった以上、私情よりも公の道義を優先すべきとし、妻の伯父を処刑した趙儼の判断を容認。法を厳格に守った趙儼と親交を結んだ、という話がある。(信賞必罰?)
※作者の脳内ビジュアルイメージとしてはKey作品のRewriteに出て来る『鳳咲夜』です。
まあ、李通は執事服でもありませんし、ある特定の人物に対し慇懃無礼に振る舞うということもありません。多分、毒も吐きません。そして最強でもありません。
あくまでビジュアルイメージに特定して、こんな感じ、程度の認識ですね。
ちなみにCVは子西克幸さんが担当。興味のある方は、是非検索してみてください。
Tweet |
|
|
69
|
8
|
追加するフォルダを選択
さて、今回は李通のお話です。
まだ華琳の副官としての面しか見せていない彼ですが、どういう立ち位置なのか。
この話を読んで、後述のキャラ設定を見ればすぐ分かる!
続きを表示