No.57345

真・恋姫✝無双異聞『帝記・北郷~日輪と青嵐~』

前回の人物紹介であったように、今回からタイトルを『帝記・北郷』にします。


オリキャラ多発な独特の魏ルートアフター。それでも良い方のみお進みください。

続きを表示

2009-02-11 05:36:40 投稿 / 全7ページ    総閲覧数:18541   閲覧ユーザー数:13202

 

 

『帝記・北郷』

~日輪と青嵐~

 

一刀が謀反に加わると決めて一週間が過ぎた。

この一週間、一刀は龍志の屋敷にかくまわれたまま彼の政務を手伝ったり各地から集まる情報をまとめたりする傍ら、蒼亀から兵法や政治学を祭から武芸を学びつつ来る決起の時に備えていた。

 

「ふう……」

中庭で、龍志から渡された竹簡に目を通し終わった一刀は深々と溜息を吐く。

「うん?どうかしたのか兄貴」

「わひゃあ!!」

不意に後ろからかけられた声に、一刀は飛び上がる。

「うわっと!!、情けない声を上げないでくれよ、こっちまでびっくりしちまうよ」

「わ、悪かったな孫礼……」

驚きのためか目を丸くしている自分より少し年下の少年に、一刀は咎めるような視線を向けた。

「今日は鍛錬は休みだったと思うけど?」

謀反への加担を決めた後、一刀は今回の謀反に賛同した将たちと顔合わせをした。そしてその時その場にいた女将は皆、一刀に真名を許したのだった。

加えて、決起の時までにもう少し一刀にはいろいろと学んでもらおうということで祭が武芸の師範に選ばれ、この孫礼と共に鍛錬をすることになったのだが……。

まあ、初日からしごかれまくり満身創痍、蒼亀による軍学の講義すらまともに受けられないありさまだったため、見かねた黄蓋が今日を休みにしたのだ。

その名残か、一刀の顔には二三ヵ所膏薬を塗った布が当ててある。

「いや、そうじゃなくて。ちょっと所要があって兄貴を探してたら、いたく物憂げな顔をしてたからさ……で、何か悩み?」

「ああ…うん。これを読んでたんだけどさ」

少し躊躇った後、一刀は持っていた竹簡を孫礼に見せる。

「これは…最近の各地域の情勢だな」

その竹簡には、大陸のほぼ全土における最近の人々の動きや金の流れが簡潔にまとめられていた。

「これを読んでてさ…結構、今のあり方に不満を持ったり、不安に思っている人が少なくないんだなぁって思って」

華琳と共に歩んでいた頃は妄信していたわけではないが、彼女の作り出す世界は絶対に皆が笑顔で位しているんだと信じていた。

それはとても難しいことではあると知っていたけれど、華琳ならできると信じていた。

そして三国鼎立という一刀にとって最高と思える形でそれが成されたのならなおさらであった。

だが現実は、今の天下の在り方になじまない者がかなりの数存在している。

「まあな、歴史的に見ても今までにない形だから、全員がそう簡単に受け入れられるわけじゃないさ」

「そう…なんだけどな……」

この広い大陸、そこに住む人々はそれぞれがそれぞれの思いを持って生きている。それは解っている。

だが、あの激動の時代の後に作られた今の天下ですら一つに成るには程遠いということが、理想論とは解っていても一刀には辛かった。

「………兄貴」

ポンと一刀の肩に孫礼は手を乗せる。

「今の時代に足りていないもの…それになるために俺達は立ち上がるんだろう?」

一刀は顔をあげて孫礼を見た。

孫礼はニッと笑い言葉を続ける。

「そのために、兄貴も龍志さんも…俺だって心を決めたんだ。自信持って行こうぜ、いつか今よりも絶対良い世界が作れるって」

「……ああ、そうだな」

それは、何の根拠もないただの理想。

この謀反が成功するのかすら解らないし、一歩間違えればこの謀反が再び大陸を巻き込む大動乱に発展しないという保証もない。

だが、それでも。

孫礼の言葉に、一刀は少しだけ心に覆いかぶさっていた重りがとれた気がした。

「それはそうと、所要ってなんだったんだ?」

「あ?…やべ!忘れてた!法正さんが都から帰って来て、報告を受けて今後の方針を練るから急いで集まるようにって龍志さんが!!」

「ちょ…それを早く言えって!!」

慌ただしく会議場へ向かう二人。

その後ろで、置き去りにされた竹簡がじっと青空を見ていた。

 

 

北平城会議室。

「ご、ごめん!遅くなった!!」

「遅いですぞ兄上」

慌てて会議場に駆け込んだ一刀と孫礼に、長い黒髪を二つに分けて背中で結んだ少女が笑いながらそう言った。

「ごめんごめん藤璃」

徐晃こと藤璃に笑いかけると、藤璃はしょうがないなぁといった具合に苦笑する。

見れば、隣に座っている龍志も同じように苦笑いを浮かべていた。

「何はともあれ、玉座にお座りください」

冷徹な声が響きそちらを見ると、龍志とは反対側の藤璃の隣に座っていた髪をきっちりと後ろになでつけ眼鏡をかけた女性が冷やかな目でこちらを見ていた。

「あ、ああ。そうだな美琉」

張郃こと美琉はその言葉に小さく会釈を返した。

そして一刀が玉座に座ると、進行役である蒼亀が会議の開始を告げる。

「まず、洛陽とその近辺の情勢を聞きたいと思います。法正殿、お願いします」

「はい……」

蒼亀の声を受けて末席から出てきたのは、髪で前を隠したどこか不健康そうな痩身の女だった。

「報告の前に…我主・北郷一刀様にご挨拶を」

ぼそぼそと聞き取れるかどうか微妙な声でそう言い、法正は恭しく礼をする。

「姓は法…名は正…字は孝直と申します…私のことは真名で紅燕とお呼びください…」

「う、うん…」

法正の調子にどう反応していいかわからないながらも、一刀はどこか違和感を禁じ得なかった。

法正孝直。劉備に仕え、その入蜀から漢中争奪戦まで劉備の参謀として戦術面を担っていた三国志屈指の軍師。病没後、劉備が夷陵の戦いに敗れた際、諸葛亮は法正がいればこのような戦いは起こらず、仮に戦ったとしてもこのような敗北はなかったであろうと言ったという。

つまりは、生粋の蜀の軍師であるはずの法正がこうして幽州で龍志の元におり、今また自分の配下となっているのだ。

「ってきり同姓同名の別人だと思ってたんだけどなぁ……」

「は?」

「い、いや何でもない!それより、報告をお願い」

「…畏まりました」

そう言って法正は報告を始めた。

最初はまともに報告ができるのかと不安だった一刀だが、報告に入るや法正は相変わらず陰気な雰囲気ではあったが、流れるように報告を終えていった。

曰く、都周辺では流石に乱の兆しもなく、逆にそれが兵士の弛緩に繋がっていること。

とはいえ地方の乱の兆しを察知した曹操は、兵士の訓練に余念がないこと。

そしてその場にいた一同に最も緊張を走らせたのは、最後の報告であった。

曰く、幽州と并州の行動に違和感を抱いた曹操が、両州に慰問と銘打って使者を派遣するというのだ。

 

 

「……元より騙し通せるとは思っていません」

法正の報告を受けて、蒼亀が口を開いた。

「壺関の防備の強化、易京の要塞の修復……諸々を異民族の行動が鈍くなっている昨今において急いで進めてきたのです。怪しまれるのは当然かと」

「むしろ好機かもしれないわねぇ…その使者を斬って宣戦布告の証にするっていうのはどうかしら?」

艶然と微笑みながらさらりと物騒なことを言う躑躅。

「いや、それよりも使者を返して相手が油断したところを狙うのがいいのでは?尤も、使者を騙せれば話ですが」

美琉の言葉に、藤璃はうんうんと頷き。

「もともと、今度の洛陽での三国鼎立記念祭の時に謀反の情報を洛陽に流すつもりだったんだから、そっちのほうが良いんじゃないかな?」

「いずれにせよ……その使者が誰でいつ来るかと言う事を無視は出来ないな」

締めくくるように言った後、龍志は法正を見る。

(……あれ?今法正、頬を朱くしてなかったか?)

同じように法正を見た一刀はふとそんな気がした。

「紅燕、使者の名と大体の到着日は判るか?」

「はい…使者は程徳仲殿との事でした、到着はおそらく一週間後かと…」

「え?風?」

思わず漏らした声に、その場にいた全員が一刀を見た。

「そう言えば、北郷様は程昱殿とは昵懇の仲でしたな…」

「ああ…まあ」

「ふむ…」

訊いたきり考え込む法正。

そんな法正の姿に一刀は怪訝な表情を見せるが、同時に心の中では懐かしい少女の姿が浮かんできていた。

 

 

常に飄々としていてマイペース。つかみ所のない猫のような少女。それでいて誰よりも自分の信念を強く強く持っていた。

「……元気かな」

未だにあの少女はあの眠そうな瞳で、周りを煙にまきながら過ごしているのだろうか。

そうあって欲しい。そういう姿が風には似合う。

そんなことを一刀が思っていた時だった。

「……ふふ、ふふふふ」

突然、法正が笑い始めた。

途端に場に広がる『始まったか』という空気。

何が何だか解らない一刀を尻目に、諸将は溜息をついたり苦笑したりしている。

「あの…法正?」

とりあえず一刀がそう尋ねてみたその時。

「もぉ~ん!法正じゃなくて紅燕で良いって言ったじゃなぁい」

「んなっ!?」

バサリと音をたてて前髪を掻き上げ、法正…いや紅燕は先程の姿からは想像も出来ないほどの妖艶な笑みを浮かべる。

「……何か策でも思いついたのか紅燕」

龍志の問いに、紅燕はクネクネと腰を動かし。

「思いついたわぁ。つまり、ご主人様が程昱ちゃんを籠絡してこっちに引き込んじゃえばいいのよ」

「……はぁ!?」

「ほほう」

「成程」

何を言っているんだこいつはという表情をする大多数と、納得した表情になる軍師達(龍志含む)。

「ご主人様がぁ魏の首脳部の女の子達全員に手を出しているのは、公然の秘密でしょう?」

「そ、そうなの」

「そうです」

短く、龍志から返事があった。

「で、でもそれだけで風がこっちに来るはずが……」

「勿論、それだけじゃ無理でしょうねぇ。でも、程昱ちゃんだからこそ可能性があるのよ」

「?どういうこと?」

ニヤリと嗤って紅燕は言葉を続ける。

「程昱ちゃんの立ち位置って何だと思うかしらご主人様?」

「風の立ち位置って…軍師だろう?」

「それはそうだけどぉ…あの子の立ち位置は、荀ちゃんと郭ちゃんの緩衝材にあると思うのよぉ」

「緩衝材?」

「そ、一括りに軍師って言っても、魏の軍師は荀ちゃんを筆頭とする内政担当と、郭ちゃんを筆頭とする軍事担当に分けられるわぁ。その両者が巧くやっていくように橋渡しをするのが程昱ちゃんの仕事だと思うの」

「橋渡しか……」

一刀はかつての風の姿を思い出す。

桂花と稟の意見が衝突した時、またはしそうな時に居眠りをしてやんわりと場を収め、その上で打開策を述べる。そんな光景が何度もあった。

「でもねぇ、三国が鼎立してから荀ちゃんと郭ちゃんが前程衝突することが無くなっちゃたの。それで、程昱ちゃんは今までよりも力を発揮する機会がないと思うのよぉ。そ・こ・で」

突如玉座へにじり寄って来た紅燕に再び玉座から落ちそうになる一刀。

「そこにご主人様が現れて、この謀反のことを言ってごらんなさい、愛しい男が大事を前に自分に助けを求めている、しかも自分は今その力を充分に発揮できる状態じゃない……もう、答えは決まっているじゃなぁい!!」

紅燕に圧倒されながらも、だんだんと一刀も何を言われているかを理解してきた。

要は、力をもてあましている風を一刀の手でこちらに引き込めということだ。

一刀は一度深く息をして呼吸を整えると、じっと紅燕を見据える。

「確かに…紅燕の意見は一理ある…でも」

再び思い出す少女の姿。

「でも風はそんなことで主を変えるような子じゃないよ。力が発揮できないとかそんなことで」

静かに、だが確信に満ちた声でそう言った。

紅燕はそれを受けて一瞬キョトンとした顔をしたが、すぐに先ほどとおなじ笑みを浮かべ。

「そう?ご主人様がそう言うならそうかもしれないわねぇ、でもねぇ」

クルクルと回りながら玉座から離れた紅燕は、龍志のそばでピタリと止まると。

「恋する女は理屈じゃないのよぉ」

振り返りながら一刀に向かいそう言った。

 

 

それから一週間後。

「ぬかりは無いな」

「ええ、祭殿にはしばらく部屋から出ないように言っておきましたし、国境に言っている華雄殿の所には美琉を派遣しておきました。いないはずの将がいることがばれることはありません」

「一刀様にも、祭殿と一緒に屋敷にいるように言い含めておりますので、ばれることはないかと」

「その他、こちらの動きが気取られそうなものは全て隠しておきました」

龍志と三軍師が額を寄せながら、間もなく到着するはずの風への対策を確認し合っている。

「よし、じゃあ行くぞ。紅燕もうまくやれよ」

龍志のその言葉を受け、紅燕は一瞬あの笑みを浮かべた。

 

「程徳仲殿。ようこそはるばるお越しくださいました」

「いえいえ~こちらこそお出迎えご苦労なのです~」

以前会った時と同じく気の抜けたしゃべり方の風に、龍志は小さく微笑むと。

「さあ、立ち話も何です。宴の用意があります。どうぞこちらへ……」

優雅なしぐさで風を政庁の中へと導いた。

「それはどうもどうも~しかし、風は遊びに来たわけではないのですよ~」

「それは承知していますが、中央からの使者をもてなさぬなどいくら我々が辺境にいるとはいえ、無礼がすぎまする」

「そうですか~ではごちそうになりますねぇ~」

「はい、どうぞこちらへ」

穏やかに話しながらも、風は予断なく周囲の様子を探り合っている。

とはいえ、こういったことは龍志も予想済みのことである。

結局、うわべだけの歓迎会は何事もなく終わりを遂げた。

 

翌日。

風は龍志の勧めに従い、北平の街を見て回っていた。

当初は政庁の調査をしようと思っていたのだが、昨日の様子からみて何か企んでいるとしても証拠を残すようなへまはしていまいと思い、むしろ町の様子からそれを探る方が良いと思ったというのもある。

風の傍らには龍志の腹心である田豫こと藍々が案内役として付いていた。

「凄いですね~とても都から遠く離れた都市とは思えないです」

「はい。龍志様が幽州を収められて以来、治安を強化すると共に異民族からの珍しい品なども積極的に受け入れることで商業の発展に力を注いできました。加えて、効率の良い屯田計画や積極的な人材の登用などでこの幽州は大陸でも屈指の豊かな州になっていると自負しております」

自分達の統治が褒められた事が嬉しかったのか、嬉々として藍々は語った。

ふむ。と言って風は再び町並みに目をやる。

民には笑顔があふれ、道行く人々は道を譲り合い、警備兵もその身のこなしから相当訓練されていることが解る。

なによりここは輝いていた。かつて自分の愛した男が守っていた町のように。

(お兄さん……)

「?程昱殿?」

(む……)

「ぐぅ~~~」

「寝ないでくださぁい…」

「おおっ!ついついこの平和な空気に誘われてつらつらと眠気が」

「ふふ、まあ確かにこの街は平和ですから」

屈託なく笑う藍々に風もつられて笑みを浮かべる。

そうして二人は大通りを一通り見て回った。

 

同時刻。

「えーと紅燕?俺、龍志さんに屋敷から出るなって言われてるんだけど……」

「まあまあ、良いから良いからぁ」

軍師モード発動中の紅燕に連れられて、一刀は街に連れ出されていた。

「こんな天気の良い日に屋敷に閉じこもっているなんて、もったいないわよぉ~」

「いや、でも風とか知り合いに会ったら……」

「大丈夫大丈夫~」

こんな調子で屋敷から大通りまで一刀は紅燕に引きずられてきたのだった。

「ばれたら龍志さんに怒られるんじゃないのか?」

「大丈夫!!」

「どうして!?」

「ご主人様の責任にするから」

「こらーー!!」

というか、そんな大声で漫才のようなことをしていたら目立ちまくりだと気付かないんですか一刀さん。

「ああもう、しょうがないわねぇ…えいやぁ!」

 

ドフッ

 

「が…紅…燕……?」

紅燕の見事な一撃が一刀の腹部にきまった。

「ふふ、おやすみなさいご主人様……」

耳元で囁く紅燕の声を聞きながら、一刀の意識は闇へと沈んでいく………。

 

 

「ふう…どうしたものですかねぇ……」

北平の中心部にある大規模な森林公園に来たところで、急な用事が入ったらしく藍々はしばらく待っていて欲しいと言って伝令の兵士と共にどこかへ駆けて行った。

残された風は、とりあえずぶらぶらと公園の中を歩いている。

「…大きな公園にわりに人がいませんねぇ」

公園といってもかなりの広さがあり、普段は結構な数の民衆がいるのだが不思議と今日はあまり人影がなかった。

そんな中、植えられたのか天然のものなのかは解らないが生い茂る公園を風は歩く。

それはさも、一枚の絵のように見えるほど浮世離れしたものであった。

「しかし、誰もいないというのもつまらないものですねぇ~」

本人はご不満なようだが。

そうしていると、木立の中で横になっている人影が目に入った。

「おやおや、誰かは知りませんが、随分と気持よさそうですね~」

その姿にクスリと口に手を当てて笑いながら、風はその人影へと歩いていく。

どれほど近づいただろうか。

不意にその足が止まる。

そして呆然と、彼女にしては珍しく呆然と立ち尽くした。

 

サァアアアア

 

爽風が木々を揺らす。

風の柔らかな髪もそれにあわせて静かに踊る。

「………お兄さん?」

やっとの思いで風はそれだけ口にした。

風の視線の先、消えたはずの北郷一刀が静かに眠っていた。

「…………」

何も言わず、風は一刀の傍らに座る。

そっと一刀の頬に、その手を当てた。

「ん……」

微かに一刀は眉根を寄せる。

それにビクッと風は手を引く。

再び沈黙。

やがて今度は起こさないように気を遣いながら、風は自分の顔を一刀の胸の上に置いた。

「す~~~~~~~~~~」

そして胸いっぱいに息をする。

「………お兄さんの匂い」

鼻腔をくすぐり、肺腑まで行き渡った懐かしい香りに風は猫のように目を細めた。

同時に理解する。

目の前にいる男が、偽物でも幻覚でもなくあの北郷一刀本人であるということを。

「…………」

一刀の胸に頬を擦り付ける。

考えてみれば、疑問は絶えない。

どうやって戻ってきたのか。

どうして一刀がここにいるのか。

今は何をしているのか。

 

だが、今は、今だけは。

 

理由なんてどうでもよかった

ただこの懐かしいぬくもりを感じていたかった。

 

「ん……」

だがその時間は唐突に終わりを告げる。

「んん……え?ここどこだ?」

風の頭の上からそんな声が聞こえてくる。

「えっと……あれ?公園?紅燕は?っていうか何か胸が重いような……」

丁度、一刀が視線を胸に下げた時。

風もまた一刀へと視線を上げていた。

必然的に交錯する視線。

 

 

「…………」

「…………」

しばしの沈黙の後。

「へはぁ!!」

珍妙な声を一刀は上げていた。

「え?なんで風ここに?っていうかどうして俺ここに?」

面白いほどに取り乱す一刀に、風は一刀の胸の上に乗ったまま溜息をつき。

「やれやれ…質問をしたいのは風なのですよ。それに、久しぶりに会ったのに挨拶も無しとは、風は泣いてしまいそうなのです」

「あ……」

そこでようやく一刀は、落ち着きを取り戻した。

そしてゆっくりと一度深呼吸をして、満面の笑顔で『ただいま』と言おうとして。

 

 

………できなかった。

 

 

本当に自分は『ただいま』と言えるのだろうか。確かにこの世界に戻って来た。しかし今自分がいるはかつて自分がいたあの場所ではなく、そことまもなく刃を交えんとしている位置。

故に、一刀の口から出た言葉は。

「……久し振り、風」

ひどく乾いていた。

しかし風はふっと微笑み。

「やっぱり、『ただいま』とは言ってくれないんですね……」

その言葉に、一刀の胸がズキリと痛む。

「ひょっとしてはと思いました…ここでお兄さんを見つけた時、もしもあの噂が本当ならと……」

「そっか…もう噂になってるんだ」

その噂が何を指しているかは一刀にも解る。

「誰も信じてませんけどねぇ~こうやって風が来たのも、気分転換の旅行も兼ねてって感じでしたから」

「はは、信頼されてるんだなぁ龍志さん」

確かに一年前の龍志は真名こそ許されてはいなかったが、華琳からの信頼は絶大なものであった。

「そうなのです…だから、風は知りたいのです。どうしてこんなことになっているのかを……」

その言葉に、一刀は一瞬躊躇った。

しかし、記憶を失う前の紅燕の様子を思い出し、きっとこれも龍志の考えなのだろうと結論付けた。

……間違っていたらとんでもない事になるだろうが。

「解った…でもまず覚えていて欲しい、俺も龍志さんも…仲間たちも皆、華琳を本当に裏切ろうと思っているわけではないってことを」

約二名程非該当者いる気がしたが、無視することにした。

そして一刀は改めて風と向かい合って地に腰を下ろすと、ポツリポツリと話を始めた。

 

「そうですか…小乱を抑え三国の結束を増すための大乱ですか……」

龍志の考え。それに自分が同意した理由。それらを全て一刀が語った後、風はポツリとそう言った。

「ああ…言い訳に聞こえるかもしれないが、それが今俺がここにいる理由だ」

裏切り者と罵られてもいい、それでもこの思いは伝えねばならなかった。

「では…一つだけ訊いても良いですか?」

「うん……」

「訊いておいてなんですが、お兄さんはそのことを風に言ってどうして欲しいのですか?」

「へ?」

予想だにしなかった言葉に一刀はつい目を丸くしてしまった。

 

 

「どうしてって……」

先日の紅燕の献策を思い出す。

「………」

もしも風を仲間にしたいかと問われればそれは真実だ。だがそれを言うわけにはいかなかった。

風はあくまで華琳の臣なのだから。

「このことを、黙っていて欲しい…かな?」

一刀の答えに風は眉を寄せ。

「それは、華琳様の臣として無理なのです」

「だよなぁ~」

そりゃそうだよなぁと頭を掻く一刀。

しかし、となるとどうすればいいのか。自分がこうして言ってしまった以上、風をこの北平から出すことはできない。かといってこのことがばれれば躑躅あたりが容赦なく命を狙ってくるだろう。

頭を抱えた一刀を、風は相変わらず眠たげな目で見据えた後。

「お兄さん、もう一つだけ訊いても良いですか?」

「え?あ、うん」

「お兄さんは……後悔しませんか?」

その問いはかつて龍志がしたものと同じ問い。

「それは、解らないさ。でも俺は後悔したくないって思ってる」

「………」

また風はじっと一刀を見つめる。

今度は一刀もそれをまっすぐに見返した。

「……お兄さんが今とるべき最良の行動は一つなのです」

「え?」

驚いて目を剥いた一刀だったが、その次の言葉にさらに驚くこことなる。

「風に、自分の臣下になれと言えばいいのです」

「なっ……!?」

驚きの余り、それ以上の声が出なかった。

それもそうだ、華琳を日輪とも敬っていた風がそれを捨てて自分の元に来るというのだ。

冗談かと思って風を見たが、風からはそんな雰囲気はまったく感じられなかった。

「い、良いのか?」

「良いも何も、お兄さんがしようとしている事は華琳様の…ひいては天下のためなのでしょう?だとしたら断る理由は無いのですよ~」

「で、でも風は華琳を自分が捧げる日輪だと思ってるんだろう?だったら……」

ここでスッと風の双眸が細くなった。

「お兄さん…風の世界は、お兄さんがいなくなってから暗くなってしまったのです」

「え?」

「日輪はそこにあるのに、風の世界はいつも曇りだったのです」

おもむろに風は一刀を抱きしめた。

「そして今日、この北平に来て一年ぶりに明るい世界を見たのです……そしてお兄さんに会いました」

「それって…」

「風の日輪は…お兄さんなのです。天下を、風を優しく照らす日輪はきっとお兄さんなのです」

「俺が…日輪?」

思いもかけない言葉だった。

自分の存在意義はあなただと言われたようなものだ。

「それに…」

ここで風は悪戯っぽく笑い。

「罪悪感とか贖罪とか、お兄さんは一人で頑張りすぎなのです。風ぐらい一緒に汚名を被ってあげても良いじゃないですか」

「………!!」

体が動かなかった。

硬直してしまったかのように体がピクリとも動かなかった。

「…お兄さんは泣き虫なのです」

「そうだな」

ただ、涙だけが両目から流れていた。

「風の胸で泣いていいのですよ…泣くだけ泣いたら今度は、いつもの笑顔を風に見せてほしいのです」

「う…うわああああああああああああああああああああああああああああああああああ」

年下の少女の胸の中で。

誰が見ているとも知れない木立の中で。

涙を流すことで一刀はこの世界に戻ってきて初めて、かつての北郷一刀になることができ、かつての北郷一刀と別れることができた。

そんな一刀を抱きしめる風の目からも、細い涙の筋が出来ていた。

 

 

 

少し離れた木々の合間。一刀と風の様子を見る二つの人影があった。

「どうやら巧くいったみたいですね」

藍々の言葉に紅燕が頷く。

「しかし…流石は龍志様。一刀様のお悩みを見抜き、それを解決しながらも新しき人材を得られるとは」

「まあ、結構今回は賭けだったみたいだけどねぇ」

カラカラと紅燕は笑う。

一週間前の会議の後、龍志は二人を呼んでこう言った。

曰く「北郷様のお気持ちを軽くするためにも、かつて共に戦場を駆けた者の存在が必要だ」と。

そのためにも程昱をこちらの陣営に入れるためにも、二人に協力してほしいと。

一刀のお叱りも怒りも憎しみも、全て自分が受けると言った上での作戦だった。

といっても、最終的には一刀と風の絆にかけるしかなく作戦と呼ぶにはあまりに博打臭かったのだが。

「しかしあれねぇ…龍志様もある意味ご主人様にぞっこんねぇ」

「え?りゅ、龍志様にそんなご趣味が!?」

「馬鹿!ものの例えよ!!」

そうして紅燕は髪を掻き上げ未だに泣き続ける二人を見た。

「日輪か…ご主人様が日輪なら、龍志様は何かしら?」

「そうですね…青嵐ではないでしょうか?」

「青嵐…?」

聞きなれない言葉に紅燕は首をかしげる。

「はい、一刀様の国の言葉で、木々に打ち付ける激しい風のことを言うそうです」

「なるほどねぇ…」

荒々しくも、常に変化をもたらし時代を揺する風。

「なかなか良いんじゃない?」

「でしょう?」

日輪と青嵐。

二つが作る国がどのようなものなのか見てみたいと思う二人であった。

 

 

                     ~続く~

 

 

 

次回予告

 

遂に始まった大乱。

動揺する三国。

激昂する魏。

その先駆けは、天下に名だたる神速の驍将。

迎え撃つは大成し疾風の烈将。

帝記・北郷~大乱の始まり、西域への道~

 

 

 


 
このエントリーをはてなブックマークに追加
 
 
106
6

コメントの閲覧と書き込みにはログインが必要です。

この作品について報告する

追加するフォルダを選択